※「ゴールデンカムイ」は日本政府に不都合な現代アイヌ問題は描かれておらず、ラストではあたかもアイヌ問題が既に解決し存在しなくなったかのように受け取れる表現があり、よってこの作品は国のインバウンド事業の一環に利用するための悪質なプロパガンダである」とのご意見もありますが、アイヌ当事者や権利団体の方々から作品への抗議が未だ出ておらず、また作品の中で差別問題とは無関係に個人的に興味深い箇所があったのであえてこの題材を取り上げます。アイヌ差別を助長したりアイヌ問題の存在を否定する意図はありません。
※2作中で鶴見達を支配した(現代日本にも影を残す)心理、鯉登がそれを卒業できた理由、戦場経験がない鯉登がためらいなく人を殺せた理由、鯉登の誕生日がA級戦犯の処刑と同じ12月23日な理由などを妄想してみました。ネタバレ注意。
執筆中に聴いた曲↓
ある日ネットでニュースを見ていて、この方の抱えている心理と「ゴールデンカムイ」の鶴見達が(そして近代日本の大衆が)抱えている心理がある意味とてもよく似ているんじゃないかと思った。すると突如頭が奇妙な回転をし始めたのでここに記す。
男性「左翼と戦うには統一教会しかないと思い40年献金してきました。人生を否定するのが怖くて、後悔しているとは言えません」
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)で40年以上、信仰にもとづいて献金を続けてきたという。
「人生を否定するのが怖くて、後悔しているとは言えません」
30代で会社を経営していた1980年ごろ、先に信者になっていた妻の影響で入会した。
今も、屋外での週3回のアルバイトで献金を続け、約40年間の総額は1億円近い。
信仰のきっかけは、教団や友好団体の政治姿勢への共鳴だった。当時、世界は旧ソ連や中国など共産主義勢力が拡大を続け、日本までも共産主義に乗っ取られるという危機感が男性にはあった。
そんなとき、共産主義と対峙(たいじ)するという「勝共運動」を訴えた教団日本教会の久保木修己・初代会長の演説に心打たれた。
「左翼と戦うには統一教会しかない」
教団の問題をきっかけに被害者救済新法が成立しました。今後は解散命令請求をめぐる政府の動きが注目されます。そんな中、教団の現役信者が朝日新聞の取材に応じました。
◆過ちの犠牲を無駄にしない方法
【捧げて来た犠牲や努力のあまりの大きさゆえに、犠牲や努力に見合うものを得るまで諦められず、過ちを受け入れられない/路線変更出来ない/今更辞められない】とか、【強い期待や信念・信仰とそこに捧げた大きすぎる犠牲への執着が過ちも報われぬ現実も受け入れることを拒んで路線変更できず、現実よりも信念・信仰を選んで現実逃避する】という心理は古今東西よくある。カルトにハマった人だけでなく、ギャンブルにハマったりネズミ講にハマった人。ホストや恋愛にハマって貢ぎ過ぎた人、一部の占い依存症患者にも通じるものがある。現在のウクライナ情勢でも発生しているかもしれない。
そんな気持ちは人間なら誰しも持ちうる心理で、だからこそ時に暴走したり悪用されたりするものでもある。鶴見がこの心理を扇動のために利用したのは、本人も抱える心理だったからだろう(当然、自分はサイコパスだと信じたかった尾形にも・・・)。
個人的に、報われぬ覚悟を持つ前に根拠のない期待や空想だけで何かを犠牲にしない方がいいと思う。この現実逃避的な衝動に負けると、自分自身の「考える力」が抑制されて簡単に誘惑されたり騙されたり煽動・洗脳されやすくなる。
過ちや失敗の犠牲を無駄にしないためには、鶴見達のように「犠牲に見合う対価や結果」を求めて突き進んではいけない。さらなる過ちと犠牲を繰り返すだけだ。過ちで生まれた犠牲は、それに見合う対価や結果を求めることではなく、「過ちから気付く・学ぶ」ことで初めて無駄ではなくなるのだ。気付いたこと/学んだことを生かすことは、その犠牲を生かす事。
そして何より、何かを失ったことによる「犠牲の痛み」から立ち直るには、「失う前の自分には持ちえなかった全く新しい喜びや幸せや可能性・意義・意欲を得ること」が効く気がする。多分、失う前には無かった新しい何かを得ることで「失っていなかった頃に戻りたい」という気持ちが薄れて前を向きやすくなるからだ(占い師の感想)。
それが出来た時、その人は【犠牲に見合う対価や結果への執着に基づく選択】という過ち(失敗)から何かを学んでいる。大切な事は執着ではなく、「新たに得る事」だと。
「ゴールデンカムイ」のキャラ達を見ていると、それが実現できたキャラ達は比較的救われているような気がする(例:谷垣、杉元、アシリパ、鯉登、月島、門倉、夏太郎、多分土方も)。
恐らく、彼らの選んだ道こそ、「戦争の世紀」と呼ばれるあの時代が選べなかったもう一つの可能性。カルマ解消のカギ。
鶴見は、彼らのように『失う前には無かった新しいものを得て犠牲に見合う対価や結果への執着を手放し過ちから学ぶ』まで死ぬことが許されないキャラなのかもしれない。日本の国益のために身命をかけて従事する過程で愛する家族を失った彼は、作品中の誰よりも「犠牲に見合う対価」を求め、執着し、反乱を起こし、それまでの犠牲をはるかに超える犠牲を出す侵略者や独裁者になることも辞さなかった。だからこそ同じ心理を抱える者達のリーダーになれた気がする。
【】で書いた例の心理、実は先の大戦でボロ負けした大日本帝国の末期症状とも通じている(『この世界の片隅に』の主人公も、鶴見達と同じ心理に陥っていて玉音放送を聴いた時ガチギレ)。
幾多の戦争をしてきた近代日本は、明治の時点でこの心理が大衆の集合無意識下で急速に蓄積しだしたのかもしれない。
「カミカゼ作戦は間違っていなかった。あの犠牲は戦後日本の発展に必要不可欠だったのだ。カミカゼを否定することは日本に捧げられたあの尊い犠牲とそれによって成立する今の日本を否定することだ」と未だに強く信じ込んでいる人達(宗教右派の信者さんにも多い)にも多分同じことが言える。
「大義のために身命を捧げる」という武士の価値観とも共通した特徴を持つ神風思想は、いわば土方や永倉が生きていた封建時代の発想が下地になっており、その発想は鶴見達のような【心理】に陥りやすい。そのような状態が明治どころか昭和まで続いていた。
明治(近代)生まれの鯉登と天保(封建時代)生まれの土方の対決は、近代以前から日本が引きずっていたそのような状態を断ち切り、近代日本で封建時代の発想とは異なる思考を持つ近代自我の芽生えが始まることを暗示させるシーンでもある。
ある種のカルトは戦没者遺族の心理を巧みに利用して私腹を肥やす。カミカゼ含め戦没者達に対しては死ばかり尊ばないで彼らの生きた人生を尊んだ方がいい。あれじゃまるで「死ななきゃ価値を生まなかった命」みたいな扱いだ。
これと同じテーマは鶴見のために汚れ仕事役の月島が葬って来た人々の命についても言える。月島は、自分が奪ってきた一人一人の人生を尊いものと認識していたからこそ罪悪感を持ち、その罪悪感で命の犠牲に見合う対価や結果を求め駆り立てられた。月島は彼らの人生をその手で終わらせてしまったことで彼らの生きた証を背負うことになった以上、月島の過ちは彼らの生きた証の一つになった。月島が己の過ちから学ぶとき、彼らの生きた証も生かされる。そうなることは、月島の生きた証になる。
皮肉にも、現代においてそんな心理に支配されていた近代日本のカルマを再現する器となっているものの一つが今話題の統一教会(日本会議など、宗教右派の幹部関係者にも統一教会の人間が多い)である。祖父の代から統一教会と密接な安倍氏の政権以降、日本の政策は統一教会(もとい彼らが浸透している日本会議などの宗教右派)の影響が濃くなっていた。昨今話題になっている防衛費増額やそのための増税案や9条含む改憲論にしても、世論がそれを受け入れやすいようにネットなどで(統一教会の浸透した)宗教右派たちがその手のロビー活動(多くは感情論の流布)を20年以上も前からずっとやっていた。その活動の運気が潮目を迎えたのは311。311による日本列島全体の大規模龍脈変動が古代と近代に敷設された国家のための開運呪術(結界型)を破綻させ、「為政者にとって不都合なもの(鬼)を封印する力」が低下したせいで政財界の運気や統一教会の運気やそれに支えられた政権の運気が変動して、色々バレちゃっていく感じだ。もはや日本列島の龍脈が帝国(のカルマ)に利用されなくなっていった結果だろう。
下のニュースも、そんな流れの一部かもしれない。
防衛省、世論工作の研究に着手 SNSで無意識のうちに同省に有利な情報発信誘導
防衛省が人工知能(AI)技術を使い、交流サイト(SNS)で国内世論を誘導する工作の研究に着手したことが9日、複数の政府関係者への取材で分かった。
インターネットで影響力がある「インフルエンサー」が、無意識のうちに同省に有利な情報を発信するように仕向け、防衛政策への支持を広げたり、
有事で特定国への敵対心を醸成、国民の反戦・厭戦の機運を払拭したりするネット空間でのトレンドづくりを目標としている。
防衛省による世論誘導工作のイメージ
当時の防衛大臣岸信介氏は安倍氏の弟。即ち安倍氏同様、祖父の代から統一教会と密接な人。こんな報道されたら無意識誘導の標的にされる多くのインフルエンサー達は防衛省を警戒するので「無意識に有利な情報発信を誘導」などできない。
この思惑は去年から批判されていて今回詳しいことが判明したという。去年は「岸防衛相、インフルエンサー接触計画認める 省内外から批判」という見出しで報道されている。岸氏が「国民に影響する防衛・安全保障が専門ではない学者、有識者、メディア関係者の推薦」にこだわったのは、専門家だと色々ツッコまれて「無意識のうちに防衛省に有利な情報発信」をしてくれないからだろう。今回詳しい報道が出たのと同時に岸氏が自ら政界を引退したのは奇妙な偶然に見える。そして現防衛大臣はどの程度「壺っぽい」のだろうか?
(必要なら改憲や防衛費増減の議論もあっていいとは思うが、カルト的感情論に依存したやり方では信用されない。そも、感情論で物事を決めていい分野じゃない。感情論に逃げぬ冷静な説明と議論と判断が必要なのに、感情論がそれらを遠ざけている)
今思えば、「令和」が始まった日。統一教会とズブズブだった故安倍首相が即位式に戦前・戦中のごとき「天皇陛下万歳」をシャウト(敷居踏んでて台無し)という現象が発生していたのはいくらなんでも皮肉な暗示すぎる;「ド壺にハマる」とはまさにこのことか;
◆近代日本のカルマと「ゴールデンカムイ」
カルト的な神権政治の側面があった近代日本のカルマを再現する器になっていると思しき統一教会。その運気変動が本格化していった先月、最終巻が出て話題になった「ゴールデンカムイ」という明治時代の北海道と樺太を舞台にした人気漫画にも例の心理が描かれている。「金カム」という略称でファンに親しまれているこの漫画には、カリスマ的な独裁者やカルトの教祖めいた素養を持つ「鶴見篤四郎中尉」というキャラがいる。つるみとくしろう・・・アナグラムすると「後ろと組みつる(『背後と組んだ』という意味の古語)」になる名前を持ったこのキャラ、近代日本の集合無意識に巣食っていた例の心理を利用して日露戦争で(身も心も傷ついた者、部下や仲間を失った者、殺人の罪悪感を抱える者など)大きな犠牲を払うも中央からは不当な仕打ちを受けて報われぬ気持ちを抱えた大勢の第七師団兵士達を扇動し中央への反乱と北海道での独裁国家樹立を企てる。そも、第七師団が犠牲や貢献を評価されず不当な仕打ちを受けて報われない兵士達が反発するよう裏で画策したのは鶴見自身だ。
一方、そんな鶴見に操られ心酔し、彼を大義と信じて熱狂的に付き従ってきた純粋で子供っぽい青年将校の「鯉登音之進少尉」は主人公達と行動し様々な経験を通して自我を発達させていく過程で鶴見を絶対視せず客観視できるようになり、やがて少しずつ自らの考えと意志で行動し始める。
その結果、数奇な経緯と「汚れ仕事」という自己犠牲から例の心理を抱え、自分の生き方を持てずに長い間鶴見に依存し心囚われていることを自覚しながら鶴見に利用され続けてきた部下の「月島基」を鶴見から解放し、最終的には鶴見と決別。「反逆者の上官に従ったがゆえに中央から追求を受ける際には(上官の鶴見を殺してでも)部下を守りながら全ての後始末(即ち敗戦処理)を背負う覚悟」を持って大人へと成長する。
一方、海軍で艦隊を率いていた鯉登少尉の父親は、日清戦争で「松島」が砲撃された際に乗っていた長男が戦死。日本が勝利した戦争だが「勝利で我が子の犠牲は報われた」とは思えなかったのか、例の心理を抱えたところを鶴見に利用されてしまった。そして最期は激流に飲まれる。
人々を戦いに駆り立てる準備としてよく言われているのが、杉元のように「軍に入らなければ食っていけない貧困層」を予め大勢用意しておくこととされているが、それだけではなく、予め大きな損失や損害・犠牲を味あわせて不満や恨みや危機感や喪失感や欠乏感を蓄積させ例の心理を煽動するのも効果的なのだろう。鶴見もやったそんな手口が、今も世界中で行われている。その結果、憎しみの連鎖が続いている地域も。
他方、8歳で大好きな兄を失くした鯉登少尉は恐らく「一時的な兄代わり」にもなっていた月島との交流によって無意識に喪失の傷が癒され、例の心理を抜け出すことで鶴見から卒業した。無意識に兄を投影して甘えていた月島へ投げつけられた手りゅう弾を両断する行為は、『かつて兄の艦を襲った砲弾を両断して兄を守る』という、呪術的な癒しの儀式になっていた感。その直前に月島達が負傷したことで鯉登が発した『よくも私の部下達を!』という怒りの中には『よくも私の兄を!』という過去の傷が発する声が混ざっていたと思う。癒しの儀式は、そんな過去の傷を浄化し、鯉登自身の内なる8才児に「自分は兄を失くして寂しがるだけの甘えん坊で無力な8歳児ではなくなったのだ」という自覚を促した。心の片隅にいた8歳児を「自分が兄を守った」ことで成長させ兄への依存心から自立した鯉登は変わっていった。月島に兄を投影した甘え方をしなくなっていき、月島の本当の姿を受け入れ思いやるようになる。その結果例の心理を抜け出して鶴見から卒業した。
また、月島が秘密を吐露する「あなた達は救われたじゃないですか」の場面が手りゅう弾を両断した後で幸いだ。月島に兄を投影して甘えていた状態でなかったからこそ、鯉登は衝撃から速やかに立ち直って奇抜な演技までやれたのだろう。心の傷が癒されたからか、帰りの船では心因性の船酔いをしている様子もない。鯉登は、兄を失う前には持ちえなかった成長を手に入れた。
例の心理脱却に必要なことは「犠牲に見合う結果や対価や報い(モルヒネ的な癒しの代償行為)」ではなく、「犠牲に痛む心の癒し(あるいは痛ましい犠牲を無駄にせず生かす意欲)」であることが鯉登の例からも分かる。「犠牲への悲しみや苦しみや怒り」という痛みは癒えずにいると時に人を凶暴にさせ力を渇望させる(それが憎しみの連鎖や紛争の火種を生む。軍需産業は儲かる。軍需産業と癒着した政治家達は公共事業で戦争する)
だが、痛みが癒された鯉登は例の心理を脱却し、心の中で子供時代から止まっていた時間が動き出し、鶴見(痛みに対するモルヒネ)に依存しない自立した自我を獲得。その様子はさながら「社会の思春期」や日本人の近代自我発達の過程を見ているかのようでもあった(思春期の自我発達を描いた「少女革命ウテナ」とも少し似ている。アンシーが月島でウテナが鯉登で元王子様が鶴見。胸に差すのはケシの花w)。
そんな鯉登の成長、まるで1945年に敗軍の将となる未来に備えた予習のようだ。どーりで彼の誕生日がA級戦犯の処刑と同じ12月23日なわけだ; 鶴見達の過ちとそこからの卒業を通したこの成長、きっと将来無駄にはならなかっただろう。
さらに12月23日と言えば、野田先生が金カムのキャラ設定を練っていた頃は未だ現役で日本国の象徴をやっていた方の誕生日でもある。恐らくこれはうっかりや偶然ではない。A級戦犯の処刑執行が当時皇太子だったその方の誕生日に設定されたように、鯉登はその方とあえて同じ誕生日に設定されていると考えていい。
その理由の一つが、「鯉登は日本(人)の象徴だから」であろう。鯉登音之進・・・「音」の字は「日」の上に「立つ」と書く。
さて、物語終盤で自我を発達させ自分自身の道理や価値観や正義が芽生えた鯉登少尉は、無垢ではなくなった。今までのように「純粋培養で育ったがゆえに自らは深く考えることも疑うこともないまま無条件に心酔する他人(鶴見)の正義や信念に基づいて罪悪感なく半ば反射的・機械的に人を殺す」という生き方が出来なくなっていく。純粋無垢な操り人形で居続けていれば、今後も鶴見の意のままに動くことに罪悪感を持たずに済んだはず。だが、鯉登はそれを選ばなかった。アシリパ同様、無垢な子供でいることをやめて成長を選んだ。むしろ「自ら考えず罪悪感なく殺す純粋無垢な人形」であり続けることを恐れた。
その結果が「私は鶴見中尉の本当の目的を見定めたい。その先に納得する正義が一つもないなら後悔と罪悪感にさいなまれることになるだろう」という言葉になったようだ。.
この部分は杉元の心理とも一部通じる可能性。彼もその親友の寅次も、思わず真意を問いただした勇作も、己の道理とは無関係に動員され戦場で命令のままに殺し合うだけの操り人形として扱われた大勢の兵士の一人だ。だからアシリパが他者の思惑で殺し合いの道を選ぶことは嫌った。
「無垢な人形」をやめた鯉登の成長は、物語終了後に2つの世界大戦という時代の激流が訪れた時、軍人の彼に大きな葛藤を与えること同時に、作中で終戦時には師団長にまで出世することが示されている彼を大いに鍛え上げさらに成長させることにつながっていくだろう。
彼は、鶴見が扇動に利用した例の心理がかつて鶴見に熱く心酔していた頃の自分みたいな大勢の将兵達や国民を巻き込んで各所で暴走し歯止めを失う時代の激流に、多くの部下を従える「ボス」の立場で直面することになるわけだ。しかしそれらは彼が過去に一度経験したテーマなため、「激流」に心飲み込まれず俯瞰的な視点から冷静に客観的に見つめることが出来る。その上で自らの考えと意志に基づいてどのようにどれだけ己の最善を尽くせるかがテーマとなるだろう。それは、鶴見達の(即ちそれに従ったかつての自分達の)過ちとそれが生み出した犠牲を教訓として無駄にせず生かすことでもある。
カギは「黒歴史から目を背けず生かす勇気と聡明さ」。鯉登がこのテーマに取り組むとき、彼の隣で月島も同じテーマに取り組んでいることだろう。彼もまた鶴見同様、「『犠牲に見合う対価や結果への執着を手放し過ちから学ぶことと失う前には無かった新しいものを得ること』を実現するまで死ぬことが許されないキャラ」かもしれない。鯉登中将の右腕を全うできたのも分かる気がする。
この辺りを描いた二次創作が増えると、日本の開運を促進するかもしれない。割とマジで。
このテーマはタロットカードならさしずめ「正義」と「力」。ポイントは「戦車」だ。命が自己一致した状態で出せた結論は開運しやすい。
今までしてきたことが過ちだったり結果に反映しない努力や献身だったことを受け入れることは、決してそれまでの人生や今までの犠牲を無駄にすることではない。むしろそれらを本当の意味で無駄にせず生かすための第一歩なのだろう。
作者は当然、1940年代の第七師団とその運用発想を知っている。その史実を踏まえて想像するなら、敗戦の予習を終えた鯉登少尉は将来「鯉登中将」となって北方の守りを担う「不動の師団」を率い、暴走する中央によって大勢の部下達が無駄死にする事態を極力回避する努力をしただろう。中将就任前から彼の聡明さは日本の敗戦をとっくに予想していたはずだ。それで本隊の海外派兵は避ける代わりに敵の北海道上陸に備えた演習と訓練に勤しみ、本土が空襲されるようになると各隊を北海道の複数地域に置いて師団の損害をリスク分散。トーチカの視察や増強をする。やがて南方へ派遣された支隊の壊滅を知り、師団の駐屯地を含め北海道各地も空襲され、駐機してあった軍用機も攻撃された。翌月には日本が世界初の核攻撃を受け、その3日後に北海道とは目と鼻の先に位置するソ連が日本へ宣戦布告。ソ連の満州侵攻と同日に長崎への核攻撃があり、もはや国どころか種族を滅ぼしうる力がこの世に生まれたことを知る。世界は明治生まれの自分達が知っている戦争をしなくなったことを実感しつつ8月15日で敗戦を知る(そして敗戦に心揺れる将兵達に向けて訓示だか演説だかやったり誰かの自殺を止めるような事すらあったかもしれない)。終戦と言っても対米国戦が終わっただけでソ連の件があったから気を抜けなかっただろう。結局9月にソ連が北方領土へ侵攻した対応に追われ、北海道の一部であった北方領土を失う(エノノカやチカパシ達を思い出しただろうか)。
北方領土を失えば次は北海道へ上陸しに来るソ連軍を迎え撃たなければならない。その時鯉登の内にあったのは玉砕の悲痛な覚悟か、それとも折れた刀で土方と対決した時に会得したあの境地か。
そんな事態の中で(鶴見の暗躍により)B29が北海道に飛来。あの島はソ連軍の上陸を免れた。皮肉にもかつての敵機B29の飛来に救われた北海道。その時、鯉登は鶴見の気配を感じ取っただろうか。
戦争は終わっても鯉登にはまだやることが残っている。彼なら若い頃に敗戦の予行練習で身に着けた「共に戦った者達を守りながらの敗戦処理能力」を敗戦本番でもフルに発揮するだろう。中将閣下ともなれば本人が米国側の取り調べを受けたり、戦犯達の中には同期や知り合いや戦友さえいうる。裁判で彼らのために証言をしたかもしれないし、時には助命嘆願だってしたかもしれない(なお史実の鯉登中将は戦犯として起訴されていない)。
そして1948年には自分の誕生日(=現上皇の誕生日)にA級戦犯の処刑を迎える。史実とキャラの誕生日が符合するそんな設定を仕込んでおいて最終回を読み終えた読者に色々想像させる作者の手腕は見事だと思う。ノダセンセイスゴ~イ
そして鯉登は自分の誕生日に知るだろう。A級戦犯容疑で投獄されながら何故か死刑を免れた者がいることを。そのうち一人は当然鯉登も知る東條英機内閣の閣僚、「岸信介」。この人、安倍元首相や岸前防衛大臣の祖父である。
彼はやがてCIAの支援を受けて首相となり、戦後日本に統一教会を招き入れて政界と癒着させ、安倍氏銃撃~現騒動の遠因を作った人物でもある。統一教会は日本統治時代の朝鮮で生まれ育った教祖が大日本帝国に対する恨みを動機と原動力に1945年から行った布教活動が起源だという。とすれば、「大日本帝国万歳な日本会議」と政界に癒着・浸透した統一教会がらみで昨今起きている因果にはめまいがする(その因果で孫が一人死んじゃったよ;)・・・これも鶴見(=帝国のカルマ)の仕業なのかってぐらいだ;
(CIAの日本における活動)
◆「ゴールデンカムイ」のオカルト妄想
占星術的に見ると、現在は2つの世界大戦が起きた20世紀前半の運気の焼き直しめいた気配を帯びている時期だ(コロナ禍はさしずめスペイン風邪。既に5.15事件の再現と日英同盟の再現が発生済み)。あの当時の激流が(カルマ解消のために)再現されやすい。多分、この漫画が今この時代に発表されたことは、大正時代にファシズムで一度中断された日本人の近代自我発達が再開することも暗示していると思う。かつてマッカーサーが「日本人の精神年齢は12歳程度だ」と言ったのは近代自我発達が中断されていることにも起因しうる。中断されていた近代自我の発達が進めば、かつてよりも扇動やプロパガンダに対する強い免疫を獲得できるようになるし、自分自身の「考える力」を今まで以上に持てるようになる。鯉登のように。初登場時の鯉登の精神年齢が8~12歳程度に見えたり、彼の心の一部が子供時代のまま時間を止めていた描写もあり、あのキャラは日本人の一面を象徴しているような気がする(となれば、前途は一応有望なのか?w)。そして「鶴見」は統一教会も再現している近代日本のカルマ(=帝国のカルマ)及びそこに潜む例の心理を象徴している感じだ。これが主権者の近代自我発達を抑圧してきた一因。そして、そして、数奇な経緯や汚れ仕事という大きな自己犠牲を支払い例の心理を抱えて鶴見に心囚われていた「月島」は日本列島(及び帝国のカルマに利用されてきた日本の龍脈含む)そのものの象徴になっているかもしれない。何しろ日本、三日月の形をした月の島だ。月みたいに国土の大きさが満ち欠けしたこともある(その過程には汚れ仕事)。
それと同時に、この国は龍の形もしている(証拠画像)。月の島にして竜の島・・・この偶然は非常に暗示的に感じる。鯉が激流を乗り越えるのは運命かもしれない(理由は後述)。
後日談で月島は鯉登の右腕として共に職務を全うしたという。さしずめ「体と心」のごとく息の合った連携だったのではと妄想した。
私達と龍脈もまた、鯉登と月島の関係同様に「傷つけあったりせず連携していきたい関係」だ。
また、戦争や事件含め、己が人を殺める運気の源にある因子は、殺める前から己の中にも存在している。己のそこから目を背けず向き合うことも重要になって来る。その不調和な因子は、己の中にも以前から存在していたのだ。当然、鯉登や他の登場人物達の中にも国にも存在する。それら因子の波長が共鳴・増幅し合い組み合わさり積み重なり、それら因子が自らを現象化させる条件がそろう運勢を招けば戦争になることも。特に、プロパガンダや大衆心理その他で多面的・全体的な広い視野を抑圧し分断的・一面的な視野に基づくと争いを招きやすい(例えば、ヒトを善人/悪人で分ける分断的・一面的な視野に陥って、一人一人が条件次第でエグいこともハートフルなこともする『清濁併せ持つ存在』と見なさないのもその一種。杉元達日本兵はロシア兵を人間的な感情も感覚も乏しい悪人とする一面的な視野を植え付けられる立場にいた)。
人間は因子と条件がそろえば、誰もが人を殺しうる。特別に異常な人間だけがそうなるわけじゃない。戦争という、いわば共食いの如き現象を引き起こすに至る数々の因子。因子同士が共鳴しジェンガの様に組み合わさり積み重なり、それが現象化する条件がそろった結果「共食い」という現象(運勢)を構成している。それら因子のどれか一つでも向き合って改善・緩和出来れば、その現象(運勢)を構成する因子のジェンガがわずかにでも形を崩すことになる。その結果、共食いを引き起こす運勢の形が崩れて変化し、時には共食いという形の現象(運勢)が成立しなくなることもある。要は、悲劇や惨事を引き起こす因子と条件を作らない・そろえないようにすればいいのだ。それを期待して実行する努力の全てが開運法となる(例えばこれも)。
金カムのキャラ達は皆清濁併せ持ち「100%清らかな存在」ではない。だが、自暴自棄にならず己の最善を尽くすことはできる(『まだ遅くないッ』)。21歳の鯉登はそんなテーマを歩みはじめた将来有望な青年だ。
鯉は清流に住めない。だが、激流を登って竜になることはできる。程度の差こそあれ、誰もが清濁併せ持つ。その点で我々は金カムのキャラ達と何ら変わらない。因子と条件次第では我々も彼らと同じようになりえるし、逆も然り。我々は皆、鯉なのかもしれない。
個人の想像だが、戦後の鯉登は「多くの日本人が『失う前には無かった新しいものを得て犠牲に見合う対価や結果への執着を手放し過ちからも学んでいける』未来」や「日本人が自らの『考える力』を養っていける未来」を願って生きたのではないかと思う。
その様な願いを込めて、自らの経験を自伝に書き残していたりすると面白そうではある。
◆鯉はやがて竜となる
「登竜門」という言葉の元ネタは「鯉が激流(滝)を登り切れば天に昇って竜になる」という中国発祥の故事だ。鯉登も、彼が象徴している日本人の集合無意識も、激流を登っている過渡期にあると思う。激流を登った鯉は竜となり、見晴らしの良い高所から多面的・全体的な広い視野を得る。
竜たる者は一面的・分断的な視野を超えた者。決して狭い視野の囚われて【犠牲に見合う対価や結果への執着に基づく選択】をしない者。その広い視野で「失う前には無かった新しいもの」得られる者。
日本において竜神は水を司る。そして水(水気)はしばしば民衆を象徴する。 日本人はこの国の主権者という意味で鯉登同様「ボス」の立場にある。我々一人一人が、竜を秘めた彼でもある。そして彼を支えるのは「月の島」・・・
私達もまた、鯉登と同じテーマに取り組んでいるわけだ。この国のボスとして、世界覇権が変動した過去の再現めいた時代の激流に心飲み込まれず登りきるために、それらを俯瞰的な視点から多面的・全体的な広い視野をもって冷静に客観的に見つめて己の最善を尽くせるようでありたいものだ。一人一人がそれをやれれば、鯉はやがて竜となる。
その時、月の島は竜の島にもなれるのだ。島を築くことを「築島(つきしま)」という。
すでにこの国の太平洋島しょ部で、その始まりを告げる暗示的な現象が起きている。
『ゴールデンカムイ』は日本の艮(=鬼門)の地を舞台にしている上に直訳すれば「金神」になる。まるで「艮の金神(※)」 だ。そんな漫画が世界的にヒットという現象は、かつて日本の鬼門に封印されたかの存在が甦る予兆ないし暗示のような幻覚が見えてきたので、もう寝る。
※艮の金神:
別名を国常立尊という 。「国の大地が立ち上がる」という意味の名を持つ日本の原初神。個人的には大地を隆起させる力を持つ龍脈も象徴してるように見える。一説によると国常立尊 は 「口うるさくて不都合な存在」として鬼門の地に封印され、以来、その体は毎年お雑煮の餅として長い間日本人に食べられ続けているのという。しかし、「時が来れば甦る」とも言われている。
だとすれば、国常立尊は何世代もお雑煮を食べてきた日本人一人一人の血肉に宿り、いずれ私達の中でその力を発動させ甦ることになるだろう。この国の主権者(ボス)達の中で・・・
(必要なら『口うるさい主権者』になってやればいいw)
金カムキャラ達が知っていたかは定かじゃないが、明治に流行った奇妙なオカルト理論「雛形論」が主張するところの「日本列島は世界の雛形」とかいうのがもしありうるなら、日本で「鯉が激流を乗り越える運命」が進めばやがて世界中の「自我発達を必要とする地域」に波及するかもしれないし、その逆だってあり得る。
※今回扱ったテーマは、「ペプシ桃太郎」のキジの物語でも表現されている。カラスは恐らく、「犠牲への悲しみや苦しみや怒り」というトラウマが癒えず、犠牲に見合う結果や対価を求めて力を渇望し、鬼となった。キジはそんなカラスを癒した。
キジは日本を象徴する鳥(国鳥)で、キジに授けられた力(タロットならストレンス)は多分、我々の中で眠る国常立尊の力でもある。我々に眠るその力が発動する時、国の大地は立ち上がり、鯉は天に登って竜となる。
キジの物語について
救いのためならどんな犠牲もいとわない?←鶴見達もいとわなかった。政治だろうが宗教だろうが、「カルト」にハマる心理にありがち。
首里城火災に奇妙な偶然←「◆まとめ」に同じテーマを扱っている。既に2019年から今回書いたテーマの運気は動き出していたと思う。
「国民主権」て知ってる?←カルトと日本人の近代自我発達について
共同幻想から自己を取り戻せ? ←帝国のカルマについて
土方歳三占ってみた←オマケの動画も必見w
2022.12.21追記:
多分、日本がカルト的波長を卒業していけると、国内外のカルト的な勢力との悪縁も徐々に消えていく。共産党支配の中国、金一族の統治する北朝鮮、現ロシア(ロシア正教が国家神道めいた神権政治カルト化)、キリスト教原理主義層を票田とする米国の派閥ともいずれは・・・
どれもみな、ある意味では自我発達を必要とする(未だ自我を抑圧されている)地域だ。
2022.12.22追記:
偶然か必然か、物語のカギを握る主要キャラ達の名前(日本語名のみ)をアナグラムすると、そのキャラを暗示するような鳥肌もの・爆笑ものの古語が浮かび上がるように見えたので、ここに記録しておくw
2023.1.8追記:
鯉登少尉を占ってみた
尾形を占ってみた
2023.6.22:
余談:「鶴見」という苗字設定には、鶴に例えた戦没者達に捧げる有名なロシア民謡「鶴」からインスパイアされたものかもしれない。
ロシアのウクライナ侵攻後にこの歌を投稿したリンク先のロシア人の気持ちを思うと・・・
2023.7.11:
占い師が「現代転生した金カムキャラ」を妄想してみた
各キャラ達の現代化した画像(想像図)ありw
2023.10.26:
ゴールデンカムイ×タロット
23.11.3:
またも太平洋島しょ部で国の大地が立ち上がって島が築かれた。島を築くことを「築島(つきしま)」という。
ジョセフ・ナイ「対日超党派報告書」より、「2023.12月追記」をご参照の事。くれぐれも世論に仕掛けられた扇動や誘導に心を流されませんように。
24.1.1
ブログ記事
今年は龍の年。リンク先の記事、「◆金神」の章にてゴールデンカムイを別視点からオカルト解釈してみた。
ゴールデンカムイは今月30日まで無料で読める。
24.1.24
鶴見篤四郎を占ってみた
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