夢の記録

2023年11月 2日 (木)

今朝見た夢

今朝、かなり鮮烈な夢を見たので記録する。

ツアー旅行的な大人数で連れ立って列車に乗ってどこかに降りるすると、いわゆる「菊の御紋」に取り囲まれた地域であることが分かった。線だけで描かれた菊の御紋の上部だけが建物や樹木の間から見え隠れしている。紋の向こう側は見える。
これはすごいとスマホで撮影しようかと思ったが、すぐに奇妙な縦に細長い雲に変わってしまって撮れなかった。
降りた駅の近くには「千と千尋の神隠し」に出てくる湯屋のような立派な和風建築があり、その中に入っていく。中も立派な造りをしていて把握し切れない広さ。吹き抜けがある。
見学中、ふと10歳ぐらいの男の子(多分和服)が向こう側の階段を降りてきて、吹き抜けの一番下にある広間(少し暗い)を横切ってまたどこかへ消えていった。「この建物にいる特別な子だ」という認識はあった。

次の見学場所は明るい窓辺で、近くの海岸や遠くの山を含め周囲の景色を一望できる。その絶景を眺めていたら、突然山の方に巨大な煙と火柱があちこちで上がった。東の方だろうか。衝撃的な光景だ。
騒然としていると、今度は近くの海岸でも煙が上がり、溶岩が湧き出ているのが煙の隙間から見えた。やがて消防士が溶岩を撤去し始めたが、まだ熱そうだ。どこからともなく現れたジャーナリストが動画を撮影しながら目撃者にインタビューし、助手の女性に「君は情報を集めてくれ」と指示している・・・

私達は一度建物の外に出た。すると向かい側の高層建築の中にあるガラス張りのエレベーター(上昇中)の中で「ハウルの動く城」に登場する火の魔物カルシファーが悲鳴を上げていた。
「その中に火を制御できなくするものがあるんだ!」と建物のエントランスにいる私達に訴えながらエレベーターで昇って行った・・・

多分、列車を下りた場所は東京駅で見学した建物は皇居だと思う。だとすれば建物から見えた海岸は東京湾北岸だろうか。
「火を制御できなくする何か」は皇居の中に?←これ書いた瞬間、家鳴りがしたw ラップ音のようだった。すごいタイミング・・・

皇居は富士山からやってくる龍脈の終着点で、近代からこの龍脈の気を用いて皇居を守るように靖国神社を中心とした結界(図の赤いやつ)や山手線結界が張られているのは有名。龍脈が動くと地殻変動や電気系統のトラブルを招くことがある。その時は火の気(火気)が発生する。龍脈自体が溶岩やマントル、プレートの活動という強い火気の動きによって生まれている。龍脈の気は、火気なのだ。
また、軍事や権力は五行説では火の分野だ。戦争が発生する運勢でも、勃発の少し前から火の気が発生するという。原子力も強い火気を発するエネルギーだ。
さらに最近は、西之島など南の島しょ部から来る龍脈が活性化しており、噴火している。この龍脈は本土につながっており、富士山周辺~都内(皇居含む)~北陸新幹線沿線を通って大陸へ。その途中に東京湾北岸があり、そこには断層龍脈がある。恐らく、夢の中で建物から見た溶岩(火気)の出る海岸は・・・

皇居の中にある「火を制御できなくするもの」とは一体・・・?

 

悠仁さまの進学に奇妙な偶然?少しだけ夢の意味わかったかも


11.03追記:
正直、予知夢などを見ることはめったにない。なので私の夢が予言的な何かの暗示だとは思っていないが、龍脈的な視点で見ると皇居とつながりのある太平洋島しょ部の龍脈(通称『お金の不徳を正す龍脈』)にある硫黄島の火山活動が活発になっているので、皇居に縁深い人々の運気に何らかの影響が出うるだろうかと妄想中。
とくに夢の建物で見た男の子。実年齢より幼く見えたが、恐らく彼は・・・

そして太平洋島しょ部で西之島に次ぐ新たな島を誕生させた龍脈変動が意味するものは、「クニトコタチ」。このブログで度々取り上げているあのテーマ(艮の金神を参照)である。

11.14追記:皇居にある「火を制御できなくするもの」で思い出す。雛形論的視点では皇居と照応していた可能性のある首里城は、既に・・・

2024.7.7追記:「次の天皇は悠仁様ではない」という噂が一部で存在するらしい。

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2018年2月 2日 (金)

鬼と節分と蔵王で妄想

※以下に書いたことは全て個人の妄想です

先日の草津白根山の噴火、実は当日に変な夢を見た(詳細)。普段こういう夢を見る体質ではないので、個人的にかなりショックだった。
修験道の聖地でもある草津白根山の噴火直後から、日本の(そして前触れなく噴火した草津白根や御嶽山の)鬼門に位置する東北の蔵王山がなぜか火山性微動を始めた。まるで草津白根の変動に蔵王が呼応してるみたいだ。
この蔵王山、「蔵王権現」という修験道の本尊を勧請した山である。これが今回のキーワード。

話変わって草津白根といえば、indeep様の記事(詳細)に興味深い話を発見した。
(レイラインでつながっている)御嶽山と富士山、そして草津白根を結んだ三角形の中心に八ヶ岳がある。この八ヶ岳と御嶽山と富士山と八ヶ岳は共に「クニトコタチ(古語で『国の大地が立ち上がる』の意)」という日本の古い神様と縁深い。御嶽に関しては以前このブログでも少し触れた(過去記事)。
で、この「クニトコタチ(国常立命)」という神様、修験道の世界では先述の蔵王権現と同一視されているのだ。
しかもこのクニトコタチという存在は、一部では「はるか昔、神々の勢力争いに敗れ『鬼』として日本の鬼門エリアに封印された『丑寅の金神』」であるとも言われている。
即ち、「クニトコタチ=蔵王権現=丑寅の金神(鬼)」という図式になる。そう。草津白根噴火直後から火山性微動し始めた蔵王もまた例の三角形を形成する山々とクニトコタチの縁でつながっているわけだ。

日本の鬼門エリアで発生した311含め、数年前から日本の龍脈は動き続けている。御嶽と草津白根という、共に「何の前触れもなく、かつ有史以来初めての噴火」という現象が引き金となって、「クニトコタチ(鬼)」の因縁を帯びた変動現象が一層進んでいるような気がする。
しかも、今年は節分シーズンのタイミングでそれが起きているのが意味深だ。
蔵王権現信仰の総本山、金峯山寺では今年の2月3日に「節分会」をやる。ここの節分の儀式は巷の豆まきとは一風変わった掛け声を出す。「福は内 鬼も内」だ。

蔵王山が変動を始めているこのタイミングで蔵王山の神である蔵王権現の総本山が呪術を・・・蔵王(権現)がクニトコタチであるならば、それ即ち日本の鬼門に封印された丑寅の金神であり、鬼でもある。
そんな存在を祭る総本山で行われる寒波真っ最中の節分呪術で唱えられる呪文が「福は内 鬼も内」・・・この言葉は、鬼を封印・抑圧せず、受け入れている。 まるで、鬼門の封印を解く呪文のようだ。
「鬼」という存在は、抑圧され本来の姿を歪められた「神」なのだろう。 だから、鬼を鬼として排除・封印するのではなく、鬼のありのままの姿を受け入れる。鬼を神の姿に蘇らせた時、鬼(=神)の封印が解けるのだろう。

修験道において蔵王権現は「万物を司る不滅の王」という設定だ。それが鬼(=丑寅の金神、クニトコタチ)の真の姿なのだとすれば、その存在は即ち、「宇宙」だ。万物を生み出し万物として営みをする一つの巨大な生き物にして、我々でもある存在・・・(過去記事参照)。ユング心理学で言えば「セルフ」だ。ユング心理学だとセルフは人類の心の中で最も抑圧されがちな元型の筆頭格である。そのセルフを象徴するイメージの一つが修験道でも縁深い「マンダラ」である。
人類が抑圧しがちな己のセルフを抑圧から解放し、自分自身(=セルフ)としてそのありのままの姿を受け入れ自覚・統合を進めていく流れは、仏陀の時代から既に始まっていると言われているが、その進み方は非常に遅い。
21世紀以降に始まったスマトラ沖地震や311を含む惑星規模の龍脈変動は、その遅い流れを加速させる効果があるのだろうか?

・・・昨日そんな妄想をしていたら、雛形論で見ると「例の三角形」の中心に位置する八ヶ岳と照応する場所でM6.1の地震が発生した。ちょっとシンクロニシティーを感じたスーパーブラッドムーンの夜。
そしてこの記事を書いている今日、すなわち節分前日。鬼門エリアの青森では節分で鬼除けに使用されるイワシが大量死し、蔵王山では再び火山性微動が観測された(詳細)。
節分会以降はどうなっていくのだろうか?

このブログが2011年あたりから冗談半分で語ってきたテーマ()は、未だに続いているってことなのか・・・

2009年3月24日 (火)

今朝見た夢

夢の中で、何故か飲み屋にいた。飲み屋では赤紫色をした中年男性と何か話していた。その中で今でも覚えている彼のセリフ。

生きてるのが辛いのではなく、その生き方が辛いだけなわけで
生きてる意味が分からないのではなく、その生き方に意味を感じないだけなわけで
答えのない問いは、決まった正解が無い代わりに不正解も無いわけで

・・・夢に出てきた物凄い色のおっさんは、そんなことを私に言った。
多分、飲み屋は「気晴らし・内面の吐露」の象徴だろうか。中年男性は「若者より人生経験のある者」という意味かもしれない。40歳のことを「不惑(人生に迷わなくなる年)」と書くこともある。彼の言っている内容も、いかにも年配の人が若者に言いそうなセリフだ。そんな夢を見たのが私自身であるなら、そろそろ私が初々しい「若者」を通り過ぎつつあるということだろうか(精神年齢は10代のつもりなんだけど、いろんなことがわかる様になるなら、年を取るのも悪くないかも)。
彼が赤紫色で登場した理由は、いまだに分からない。

2008年1月18日 (金)

今朝見た夢の暗示

何故か外国(ブータン?)のお祭り会場にいる。色々なお店が出ている。私は占いの露店を出していて、客足が途切れたチャンスを見計らって休憩を兼ねあちこち見て歩く。その間、何故か父が露天の店番をしてくれた。バナナを売る人、お菓子を売る人、東南アジアの屋台ようにランニング一丁で中華なべをふるっている人。
楽しんでいると、皆があわてて店じまいを始める。どうやらこれからとてつもない竜巻災害が起きるので非難しなければならないらしい。私も心配になって自分の露天に駆け戻る。周囲はほとんど店じまいが終わっている。危険が迫っている。緊迫した雰囲気。もう間に合わない! 早く非難しなくちゃ! と売上金の入った袋とカードを並べるときに敷く布と携帯とタロットカード本体をだけを一気に両手に抱え(カードの入っている紙箱は見捨てるしかなかった)、ガラス張りの円柱形をしたモダンできれいなビル(地上10階建て)めがけて一目散に走り出す。ごうごうと不気味な音が聞こえてくる。風が強くなり、砂埃が舞う。
強化ガラスのドアを押し開け、立派できれいな吹き抜けのエントランスに駆け込む。危機一髪。間に合った・・・
すると、店番をしていた父の姿が見えない! ぎょっとしてエントランスの二階のロビーに駆け上がると、いた!
しかも、ロビーのソファにゆったりと腰掛けて自販機で買ったレギュラーコーヒーを飲みながらこんな時に思いっきりくつろいでいる(笑)。私は脱力しつつ、「ここにいたらよくない。竜巻は地下にいなければ安全とはいえないのだから」と一緒に地下階に行こうとする。そして初めて、ビルの外の恐ろしい惨状を目にする。
高層ビルによく使われるような強化ガラスの窓が少したわむほどの凄まじい強風が何度も吹く。遠くから、今までテレビですらも見たことのないような巨大な褐色の竜巻が何本も何本も発生し、高速で移動していた。竜巻が移動した後は何もかも壊れている。壊れたものが細かい破片になって舞うのが見える。地平線と同じくらい遠くなのに、あれだけ大きく見えるなんて・・・
災害が到達するまでにビルへの避難に間に合わなかった民族衣装の男性(ターバンをしてサンダル履き。中東かインド風の格好)が入り口まであと少しのところで風に吹き飛ばされ、外壁上部に叩きつけられたあと落下する。起き上がって走るまもなく風によって再び同じように叩きつけられては落下を繰り返す。顎がつぶれて顔は血だらけ。泣き叫ぶような表情で血の代わりに大量のタンを吐く。だめだ。この人は助からない。強風で壁と地面に何度も何度も叩きつけられて苦しみながら死んでしまう。ああ・・・何て残酷なんだろう。見ていられない。
嘆き悲しむ反面、頭の片隅は冷静に動いていて、今のうちにビルの地下にあるスーパーマーケットで水や避難生活に必要ななものを買っておこう。避難者が押し寄せる前に・・・などど計算している。
結局、B2Fの図書館のソファに落ち着くことになった。そこで今回の災害についてこっそり占うと、出たカードは3枚。吊るされた男、運命の輪、審判・・・共に正位置。めったに出ない組み合わせ。「自然界自身の大規模な再生・復活のために自ら本能的に引き起こした出来事(自ら創った運命)。」とでも読むべきか? 先ほどのタンを吐いた男が頭をよぎり、「今回自然界が引き起こした竜巻は、風邪をひいた体が治るために自ら発熱し咳やタンを出すようなもの」か。何かに感染すれば、治癒のために免疫機能が働いて必ず苦しい症状が出ることは、再生・復活のためには避けては通れない運命・・・じゃあ今回の巨大竜巻は、自然界の巨大なくしゃみ?? などととりとめもなく終末思想的電波解釈をした。
・・・ここで目が覚めた。

「竜巻」は突然の大きな変化の暗示であり、しかも変化の前後で凄まじい差があるために、変化にすんなり順応してついていけずに葛藤を起こすシンボル。丁度竜巻が急激な凄まじい気圧差、温度差から発生するように。風は「思考」に照応するので、竜巻の凄まじい気流は自分の中の考え方が大きく変わる過程で、古い考え方から新しい考え方への変化に戸惑い、無意識下で古い考えと新しい考えがせめぎあい葛藤を抱えているということか。
竜巻が大量に壊していくものは、恐らく古い考え方によって成り立っていたもの、築かれていたもの・・・

露店とタン、民族衣装・・・どれも、「自己表現と抑圧」に関わるキーワード。店を開くのは「自己表現」。タンは自分を抑圧しているがゆえの「本当の自分の心を吐き出したい」という願望。民族衣装は「自分の持ち味を出せない気持ち」や「自分の個性に関するコンプレックス」と言われている。その民族に所属する人なら個性と無関係に誰が着ても無難な服。そんなある種のユニフォームに覆い隠された個性・・・

民族衣装を着た男性がタンを大量に吐いて死ぬのは、「抑圧を解いて本当の自分(の持ち味)を(吐き)出すことで、自分(の個性)に関するコンプレックスが死ぬ」「個性に抑圧とコンプレックスを抱えた古い自分の姿が死ぬ」という暗示か。竜巻のために露天をたたむのは「古い自分が死んで新しい自分に変化するに従い、古い自分を前提にした自己表現のやりかたをたたむ」という感じがする。当然、新しい自分は自己認識も表現するものも考え方も変わっているのだろう。古い自分に執着した視点では、その変化は残酷にすら見えるのかもしれない。
竜巻は怖かったけれども、新しいビルに避難して危機を乗り越えることが出来たので、急激な変化に伴う凄まじい暴風(葛藤)を乗り越えることが出来そうだ。

きれいで新しい感じのビルは、新しく元気な良い運気が創られつつあることを示すといわれている。ビルは地上10階建て、地下2階。計12。「運命の輪」のカードに振り当てられた番号は10。「吊るされた男」の番号は12。
ビルの階を上るのは運気の低下。逆に、階を下がるのは運気の上昇の暗示。一旦2階のロビーまで登ったので一時的に運気が下がり、その後地下階まで降りたので、再び運気上昇の暗示か。変化後の運気上昇・・・

図書館は記憶や感情など、自分の心にしまわれているものが入っている「心の倉庫(データベース)」。またそこでタロットを切ったことから、自分の中の心のデータベース内を検索する(自分を占う)という暗示だろう。
また、強風はアーユルヴェーダで言えばヴァータ(風)のアンバランスのイメージでもある。夢の中で占いの解釈の例えに使った「風邪」はやはりヴァータのアンバランスが引き起こす。これは恐らく、「死にゆく古い考え方の自分(風邪ひき中)と→生まれ変わった新しい考え方の自分(風邪から回復)」という変化の流れを例えたものか。同時に過去の記憶でもある(数日前風邪を引いたので)。

携帯電話、タロットカード、布、売上金の袋・・・外で占いをするのに必要な最低限のアイテム。これだけは竜巻から守り切れたことからも、これらのアイテムが変化を迎える私にとって今後も有意義な役割を果たすことだろう。ただし、占いに対しては今までの古い自分に基づいた古い考え方、古い使い方、古い形にこだわってはいけない。それが外箱(もう古くてヨレヨレ)を失った意味か。

抑圧とコンプレックスを抱えた前提の古い自分の生き方・考え方から新しい自分のそれへの変化の過程。そこには、古い自分と新しい自分の間での戦い、心のせめぎあいという葛藤があり、けれどもそれを乗り越え新しい方が勝つ。その過程で発生する葛藤はさしずめ竜巻のようでもあり、風邪菌と免疫機能の戦い(くしゃみ・咳・タン)のようでもある。また、人間が大昔から経験してきた生き方や考え方の変化(心の変化)に伴う葛藤とそれをくぐり抜けた最終段階はハルマゲドンの後に訪れる「最後の審判」の物語で表現されている。だから3つ目のカードは「審判」。

また、巨大な竜巻の破壊的な災害は「個性の抑圧とコンプレックス」という鬱屈を浄化するためのカタルシス願望の象徴でもあるのだろう。「自分の抑圧やコンプレックスを吹き飛ばせ!」今まで占いのアイテムは、鬱屈浄化の重要なアイテムだった。学生時代、「占い」で自分の持ち味を発揮出来たことは、それまで「自分には良い個性がない」と思い込んでいた私の大きな救いになった。これからも、占いで持ち味を生かすことはできるだろう(夢ではタロットを失わなかったので)。ただし、これからは恐らく、自分の持ち味の発揮を「占い」という方法のみに頼ることはなくなりそうだ。占いで発揮できる私の個性(持ち味)は、私全体の個性の中の一部分でしかないのだろう。

「私の個性を生かせるのは占いだけ(=私の取り得は占いだけ。占いで生かせる種類の個性しか私は持ち合わせていない。それ以外の個性など私には存在しない)」と無意識に考えていた抑圧的な古い自分は、やがて死ぬ。生まれ変わって新しい考え方になった新しい自分は、占いに使っているもの以外の個性が私に存在することを認め、それらの個性には占いとは別の使い道を見出すだろう。
「自分を生かす道は占いしか存在しない。占いしか自分を生かす方法は存在しない」と狭い考え方に執着し己に暗示をかけてしまうと、「今までの個性とその生かし方」という部分からしばし視線をずらし、占いに使っている範囲とは別の個性やその使い道に目を向けることは即ち「自分の個性とそれを生かす人生を自ら捨てる」。という自殺行為や自己否定じみた残酷なことと誤解してしまうかもしれない。実際は逆なのに。人生をもっと豊に大きく育てるだけで、何も捨てやしないのに。

登戸の占い商店会も去年の29日で終わったことだし(実はその直後から新年の一番忙しい時期にかけて、風邪で実際に咳とタンが止まらなくなった。確かに一時的に運気低下。でももう治った。今までの流れが終わって身軽になった分、今までとは異なる新たな持ち味を生かす新しい可能性を探していこう。
個性やその使い道にヴァリエーションが増えていくこと。古い自己認識の殻を破ってそれらの可能性を発見していくこと。ユングはそれらを「個性化」と名付けた。この大竜巻の夢は、私の個性化の流れとそれを阻む執着的自己暗示の葛藤を表していたと思う。そして、葛藤の竜巻を潜り抜け個性化(きれいなビル)にたどり着けることは、夢のカードが示すとおりきっと「運命」なのだ。

・・・大惨事の非常事態にもかかわらず、一人コーヒーを飲んでくつろいでいた父については、未だに何のことだか分からない。


自分の見た夢に占い師の解釈が欲しい方はこちら

2007年3月24日 (土)

自分に言い聞かせるための夢

今朝見た夢

どうやら大地震が起きるらしいので、皆で荷物をまとめて建物のない丘に避難する。ピクニックのようにビニールシートを敷いて座って地震に備えていると、やがて地面が揺れ始める。結構大きい。これからもっと大きくなるのだろうか? と不安に思いながらも、皆で地面に手を当てて何事かを呟いている。まるで地面に言い聞かせるように。その言葉が地面に響いたとたん、遊園地のアトラクションのようにビニールシートを敷いている地面が横にスライドし出して、地下鉄のようなトンネルの中へと私たちを乗せたまま入っていく。途中で荷物(トランク)をしまう場所があるのでそこに荷物をしまっておく。更に地面は進む。
「あまり奥へ入って行って欲しくないな。地震で出られなくなったら怖いから」という気持ちと、「ここは安全そうだ。このトンネルが崩れることはないと思うけど・・・」という気持ちがない混ぜになっている。地震はさっきより静かになったが、まだ続いている。
やがて、地面が止まった。皆ほっとして、先ほど荷物をしまった場所から各自トランクを取り出してトンネルの外に出てゆく。そこですぐに目が覚めた。1分後に目覚ましが鳴った。

地震は、「心が揺れる」とか「自信が揺らぐ」という表現があるとおり、いわゆる精神的な動揺のモチーフ。
揺れ動く心に手を当てて、静まるように何事か重要なキーワードにもなりえる言葉を言い聞かせ、響かせる。
トランクは責任感や義務感の象徴といわれている。時に「重荷」になる荷物でもある。
トンネルは、多分私の無意識ではないかと思う。あまり奥深くに行くとなかなか目覚めないから嫌だったのだろうか? 無意識的なレベルで言えば比較的浅い夢みたいだっただから。
地下鉄っぽいイメージを尊重するならば、地下鉄は「秘められた意図」。

最近、いろいろあって(心揺らいで)自分が占い師を志した初心を思い出したいと思うようになっていた。そして昨日、思い出してきた。それでまた占い師としてのルーツ&ポリシーを再確認し(心に言い聞かせ)、占い師としてモチベーションがぽかぽかと再びあたたまって来たところだった。
ルーツ、ポリシー、モチベーション。私の場合、そのどれもが、「面白そう・楽しそう・良さそう」→「だからやろう」という単純な図式の「好奇心と意欲」から端を発していた。最初の動機は決して義務感や責任感からではない。だから荷物は一旦脇に置いておき、無意識の内部にしまい込んだまま記憶が薄れがちになっていた(秘められた)本来の意図(=初心)の奥深くをさぐってゆく。そして、心の揺らぎは収まる。

目が覚めてすぐに路上で占っていた頃の記憶を思い出しながら浮かんできた文章。

人の流れを見ている 道行く人を見ている それだけで安らいで落ち着いた気分
私を見て変な顔をする人には、わらいかけてやろう
あ、こっちをみている
あれなに? 占いやってる めずらしい でも得体が知れなくて不気味 でも面白そう
いくらで占っているの?
あなたが好きに決めていいんですよ(人生のように)
どうしようかな・・・
好奇心と少しの勇気で、面白いことが起きるかもしれません(人生のように) せっかくですから、話のタネにおひとついかが?
じゃあ、やってみようか ・・・・・・うん、けっこう面白かった
ありがとう 私の楽しい仕事は あなたの過ごした「面白い時間」で出来ています
あなたと過ごすその時間は、私にとっても面白いのです 

2006年9月27日 (水)

風邪の時に見た夢

このところ急に冷えたせいか、風邪を引いた。おかゆとハーブティーで何とか治そうと試みている。
風邪を引くと一日中でも眠っているので、よく夢を見る。たいてい風邪のときに見た夢は起きて数分後には忘れてしまうのだが、今回はいくつも覚えているので、記録しておく。

 

その1 鎧を着た中世の騎士が怪我の治療のために温泉に入る。
解釈:環境(気候)の変化に対応して自分の体を保護する必要がある(鎧)。しかし保護が不十分だったので、鎧を着ていても怪我をした=風邪を引いた。温泉は身体を温め変化による緊張を解くことの暗示。


その2
近所の川沿いの道を、少年(自称運送屋)の自転車の後ろに乗って走る夢。ちょうどどうしてもある場所(多分地元の母校)へ行きたかったので、非常に助かった。その川には、実際には存在しないスイレンやハスの花がまだ少し咲いていた(以前にも何回か夢でこの風景を見たことがある)。
解釈:夢に出てくる子供というのは、よくわずらわしい出来事の象徴とされているのだが、多分風邪のことだろう。しかし自転車は身軽さ、活発さの象徴でもある。風邪のための休養が心理的な意味でのリラックスと開放感をもたらしたと言うことか? それとも、最近自転車の空気を入れた記憶が関係しているのか?
身体の変化が運気の変化を暗示することがあるので、占い師らしく風邪で運が一時休止し、風邪をきっかけに運を再構成するという考え方もしてみた。
川はハスやスイレンが咲くぐらいだから、実物より流れが遅い。そして、ハスやスイレンは飲み会から帰った夜や、家で飲んだ日の夜に見ることが多かったことを振り返ると、代謝が落ちて老廃物が溜まることの暗示だったのかもしれない。ハスもスイレンも、あまり流れのない水場の沈殿した泥から咲く花だから(単純にきれいだなと喜んで見ていたのだが)。今回も私の体調を象徴しているのだろうと感じる。特に、腸内環境ではなかろうか? 実は腸の状態が悪い(スムーズじゃない)と免疫が落ちたり、熱を持つことがある。副鼻空に鼻水が溜まることもある。今回は鼻水は出ないが、腸の中をきれいにするためにひまし油をお白湯と一緒に飲む。熱が少し下がった。


その3
何故か新体操のようなダンスのようなものを踊る人になっている。実際は前屈にならないくらい体が硬いのに、夢では非常に軟らかい。とても動きがスムーズで楽しい。踊った後で少し年下の男の子のダンサーと会う。あの踊りをアイススケートのようにペアで踊ろうというアイデアが浮かび、相手役の少し年下の男の子とミーティングでアイデアを練っている。シチュエーションやストーリー性の凝ったものがいいという話をしていた。テンポの良い面白い踊りが出来そうだと楽しみになってきた。
解釈:踊りは自己表現の象徴。難しい踊りを踊れた場合は表現力やコミュニケーション能力UPの暗示。無意識レベルでは新しい物語でも思いついたのだろうか?


その4
卒塔婆が印象的なお墓。私はある作業をする必要があり(何かは分からない)、誰かがそのお墓を作業の場として貸してくれたらしい。大小さまざまな鉢が重ねてある。何本か立てられた線香から煙が出ている。
そして作業が終わると(何をしたのか記憶してない)一旦その場を離れ、再び片付けに入る。何故か昔の友人のお母様が出てきて、「さあ適切な作業を済ませましょう」と言う。当の友人も私の隣に来た。私は重ねられた鉢を墓石の上から移動させようとすると、鉢の中に溜まった水の中へ、上の樹からヒルがくねくねしながらぽとぽと落っこちてきた! 友人と二人でムンクのように叫んだところで目が覚めた。片付けなくてごめんなさい。
解釈:昔の友人は現在の人間関係の象徴。お墓は先祖の象徴だったり、生活の変化の象徴だったりする。そういえば今年のお盆は色々あってお墓参りへ行ってない。線香も気候の変化や運の変化の象徴。樹は人体、或いはその人の霊的な体を意味するそうだ。ヒルは体調不良、特に冷えを意味する。運気を変える作業がひと段落して、その仕上げ(片付け)が「風邪」? 友人のお母様の謎の言葉は・・・?


なお、「気候の変わり目は運の変わり目」とも言われている。それは、気候の変化に伴って身体もそれに順応すべく変化するからだ。

2006年5月 6日 (土)

夢に出て来た子

なんだか、私の深層から生まれたような子。 Baketuneko

少し前のこと。昼寝をしていたら、SFチックな夢を見た。

ある光速宇宙船が新種のブラックホールの圏内にとらわれてしまい、時空の向こうに飛ばされてしまった。
宇宙船が飛ばされる寸前、乗っていた超天才科学者の博士は、自分の知性の粋を集めた研究データと、ペットとしてかわいがっていた子猫(空き地で赤ん坊のとき拾った)を手近にあったバケツ型ペン入れに入れ、凄まじく揺れる宇宙船内の異次元転送装置から地球に向けて転送した。それを最後に宇宙船の通信は途絶えた。

地球に転送されたバケツと子猫と研究データは、転送装置が激しく揺れていたために、転送の途中で全部一緒になってしまったらしい。
バケツは子猫の胴体にはまり、研究データは何と、子猫の頭脳の中に入ってしまった。
子猫は凡人を超えた超天才子猫になり、人語を話し、二足歩行し始め、地球にある博士の研究所を引継ぎ、文字通り教壇に立って学生たちに講義をし、博士の孫と遊びつつ宿題を見てやるようになった。そして、博士の研究を応用して時空の向こうに飛ばされた博士達を救出する一大プロジェクトを立ち上げた。 
「しょくん。これはひじょうにじゅうようかつふかけつなぷろじぇくとなのだ。」
子猫はちゃんとそのプロジェクトの理論も講義していたのだが、私の記憶があいまい。唯一はっきり覚えているシーンが、

「・・・であるからして理論上、時空のゆがみの特異点では時間と重力は実質上ゼロになるために・・・あ、ちょうちょ!」

窓の外へダイブ。


時々宇宙船の飛び立った方角の夜空を見ては、
「はかせ。まっててね。きっとたすけにいくからね」

・・・と子猫が密かに涙しつつ健気に決意を固めているところで間違い電話にたたき起こされた。

この絵は目が覚めて、夢の記憶を頼りにスケッチしたもの。すごく味のある顔だった。目が覚めたばっかりの時以外、もう二度とそっくりには描けない。「ぶちゃねこ」のモデルになった。
この絵を見て「にくったらしい」と思うか、「かわいい」と思うかは見る人によって大きく別れるようだ。
「かわいい」と思った人は、男女関係なく「母性本能」が活性化していると思われる。

2005年10月19日 (水)

夢と「タナボタ」

19日早朝の夢。お菓子をいくつか持っていて、その中にぼた餅が含まれていた。私はぼた餅を食べるのを後回しにして、駄菓子やらスナックばかり食べていた。すると、何故か「そろそろ終わる」という感じがしてくる。何が「終わる」のかはわからない。ただ、「そろそろ終わるからぼた餅を食べてしまわなければ」と急かされるような感じがして、あわててぼた餅を包んだフィルムをはがしてぼた餅を食べる。すぐに食べずに放置していたので、ちょっときな粉が湿っていたが、ぼた餅はおいしかった。ぼた餅を食べていたら、目が覚めた。
ぼた餅は利益の象徴。それも、「思いがけない利益や幸運」を意味することがある。いわゆる、「棚からぼた餅」。「そろそろ終わる」という感じは、「夢がそろそろ終わる」という意味だったようだ。
そんな夢を見た日、月に一度のラジオ出演のためにタロットカードを用意していつもよりかなり早めに出かけた。夜にラジオの仕事をする前に、飲み友達および茶飲み友達へファミレスでお茶しないかと募集をかけた。すると反応が返ってきて、数人がお茶に参加。そのうち一人から占いを希望された。思いがけず商売することになった。
そして仕事の帰り。気まぐれを起こして「パブで一杯引っ掛けないか」と募集をかけると、今度は別の飲み友達が参加。そして偶然にも、全員を占うことになった。昼も夜も占いをして、思いがけず商売繁盛。しかも飲み代タダ。まさに棚からぼた餅。
そして、夜の飲み友達との会話から次のようなインスピレーションを感じた。
「棚からぼた餅」は、ラッキーなことが「思いがけずに」起きるからうれしいのであって、日ごろからそれを期待していたり、それを当てにしていたら、いざ偶然ラッキーなことが起きてもありがたみが半減する。「思いがけないこと」だからこそ、「棚からぼた餅」はうれしいと感じるのだろう。
普通の人生なら「タナボタ」に頼らなくても十分に幸せを作ることが出来る。それなのに更にボーナスポイントとして突如「タナボタ」が起きる、とTV通販の宣伝文句のように考えておけばイイかもしれない。

2005年8月 2日 (火)

魚の夢

何かを探すために勇んで仲間と車に飛び乗り、前を見据えて進んでいた。途中、瀟洒なレストランに立ち寄り、魚のアーモンドバターソースズッキーニ添えを食べる。自信作なのか、店の人がこの料理に付いて色々と説明しており、仲間達は料理に満足している様子。私はと言うと、「さあ食べて食べて」と言われているのだが口の中に玉ねぎの塊が入っていて魚の味がわからない。玉ねぎを口から出して魚を一口食べる。

そこで目が覚めた。
車は行動の象徴。
魚を食べるのは縁起のいい夢なのだが、玉ねぎやにんにくなど匂いや味の強い野菜は不摂生の暗示でもある。不摂生をしていると縁起の良い運を充分に味わうことが出来ずに勿体無いということか。
良い運を作るためにも、これから身体のコンディションを整えるべし。

red_fish

2004年7月 6日 (火)

夕べ見た夢

麦の穂からばらばらになった麦の粒と、ネックレスからばらばらになった小さなクズ石のようなトルコ石。
それらをかき集めて一緒に袋に入れて大事にしまうというもの。
解釈は、
トルコ石が「仕事を通してじょじょに一つずつインスピレーションを得てゆく暗示。一つ一つは一見地味でささいな物事だが、どれも意味がある」
麦の粒が「一つ一つはわずかな利益だが、あつめればそれなりの形になる利益」
まとめると、「金運(お金)的にしろ精神的にしろ、少しずつ発展し、『チリも積もれば山となる』」

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