何故か外国(ブータン?)のお祭り会場にいる。色々なお店が出ている。私は占いの露店を出していて、客足が途切れたチャンスを見計らって休憩を兼ねあちこち見て歩く。その間、何故か父が露天の店番をしてくれた。バナナを売る人、お菓子を売る人、東南アジアの屋台ようにランニング一丁で中華なべをふるっている人。
楽しんでいると、皆があわてて店じまいを始める。どうやらこれからとてつもない竜巻災害が起きるので非難しなければならないらしい。私も心配になって自分の露天に駆け戻る。周囲はほとんど店じまいが終わっている。危険が迫っている。緊迫した雰囲気。もう間に合わない! 早く非難しなくちゃ! と売上金の入った袋とカードを並べるときに敷く布と携帯とタロットカード本体をだけを一気に両手に抱え(カードの入っている紙箱は見捨てるしかなかった)、ガラス張りの円柱形をしたモダンできれいなビル(地上10階建て)めがけて一目散に走り出す。ごうごうと不気味な音が聞こえてくる。風が強くなり、砂埃が舞う。
強化ガラスのドアを押し開け、立派できれいな吹き抜けのエントランスに駆け込む。危機一髪。間に合った・・・
すると、店番をしていた父の姿が見えない! ぎょっとしてエントランスの二階のロビーに駆け上がると、いた!
しかも、ロビーのソファにゆったりと腰掛けて自販機で買ったレギュラーコーヒーを飲みながらこんな時に思いっきりくつろいでいる(笑)。私は脱力しつつ、「ここにいたらよくない。竜巻は地下にいなければ安全とはいえないのだから」と一緒に地下階に行こうとする。そして初めて、ビルの外の恐ろしい惨状を目にする。
高層ビルによく使われるような強化ガラスの窓が少したわむほどの凄まじい強風が何度も吹く。遠くから、今までテレビですらも見たことのないような巨大な褐色の竜巻が何本も何本も発生し、高速で移動していた。竜巻が移動した後は何もかも壊れている。壊れたものが細かい破片になって舞うのが見える。地平線と同じくらい遠くなのに、あれだけ大きく見えるなんて・・・
災害が到達するまでにビルへの避難に間に合わなかった民族衣装の男性(ターバンをしてサンダル履き。中東かインド風の格好)が入り口まであと少しのところで風に吹き飛ばされ、外壁上部に叩きつけられたあと落下する。起き上がって走るまもなく風によって再び同じように叩きつけられては落下を繰り返す。顎がつぶれて顔は血だらけ。泣き叫ぶような表情で血の代わりに大量のタンを吐く。だめだ。この人は助からない。強風で壁と地面に何度も何度も叩きつけられて苦しみながら死んでしまう。ああ・・・何て残酷なんだろう。見ていられない。
嘆き悲しむ反面、頭の片隅は冷静に動いていて、今のうちにビルの地下にあるスーパーマーケットで水や避難生活に必要ななものを買っておこう。避難者が押し寄せる前に・・・などど計算している。
結局、B2Fの図書館のソファに落ち着くことになった。そこで今回の災害についてこっそり占うと、出たカードは3枚。吊るされた男、運命の輪、審判・・・共に正位置。めったに出ない組み合わせ。「自然界自身の大規模な再生・復活のために自ら本能的に引き起こした出来事(自ら創った運命)。」とでも読むべきか? 先ほどのタンを吐いた男が頭をよぎり、「今回自然界が引き起こした竜巻は、風邪をひいた体が治るために自ら発熱し咳やタンを出すようなもの」か。何かに感染すれば、治癒のために免疫機能が働いて必ず苦しい症状が出ることは、再生・復活のためには避けては通れない運命・・・じゃあ今回の巨大竜巻は、自然界の巨大なくしゃみ?? などととりとめもなく終末思想的電波解釈をした。
・・・ここで目が覚めた。
「竜巻」は突然の大きな変化の暗示であり、しかも変化の前後で凄まじい差があるために、変化にすんなり順応してついていけずに葛藤を起こすシンボル。丁度竜巻が急激な凄まじい気圧差、温度差から発生するように。風は「思考」に照応するので、竜巻の凄まじい気流は自分の中の考え方が大きく変わる過程で、古い考え方から新しい考え方への変化に戸惑い、無意識下で古い考えと新しい考えがせめぎあい葛藤を抱えているということか。
竜巻が大量に壊していくものは、恐らく古い考え方によって成り立っていたもの、築かれていたもの・・・
露店とタン、民族衣装・・・どれも、「自己表現と抑圧」に関わるキーワード。店を開くのは「自己表現」。タンは自分を抑圧しているがゆえの「本当の自分の心を吐き出したい」という願望。民族衣装は「自分の持ち味を出せない気持ち」や「自分の個性に関するコンプレックス」と言われている。その民族に所属する人なら個性と無関係に誰が着ても無難な服。そんなある種のユニフォームに覆い隠された個性・・・
民族衣装を着た男性がタンを大量に吐いて死ぬのは、「抑圧を解いて本当の自分(の持ち味)を(吐き)出すことで、自分(の個性)に関するコンプレックスが死ぬ」「個性に抑圧とコンプレックスを抱えた古い自分の姿が死ぬ」という暗示か。竜巻のために露天をたたむのは「古い自分が死んで新しい自分に変化するに従い、古い自分を前提にした自己表現のやりかたをたたむ」という感じがする。当然、新しい自分は自己認識も表現するものも考え方も変わっているのだろう。古い自分に執着した視点では、その変化は残酷にすら見えるのかもしれない。
竜巻は怖かったけれども、新しいビルに避難して危機を乗り越えることが出来たので、急激な変化に伴う凄まじい暴風(葛藤)を乗り越えることが出来そうだ。
きれいで新しい感じのビルは、新しく元気な良い運気が創られつつあることを示すといわれている。ビルは地上10階建て、地下2階。計12。「運命の輪」のカードに振り当てられた番号は10。「吊るされた男」の番号は12。
ビルの階を上るのは運気の低下。逆に、階を下がるのは運気の上昇の暗示。一旦2階のロビーまで登ったので一時的に運気が下がり、その後地下階まで降りたので、再び運気上昇の暗示か。変化後の運気上昇・・・
図書館は記憶や感情など、自分の心にしまわれているものが入っている「心の倉庫(データベース)」。またそこでタロットを切ったことから、自分の中の心のデータベース内を検索する(自分を占う)という暗示だろう。
また、強風はアーユルヴェーダで言えばヴァータ(風)のアンバランスのイメージでもある。夢の中で占いの解釈の例えに使った「風邪」はやはりヴァータのアンバランスが引き起こす。これは恐らく、「死にゆく古い考え方の自分(風邪ひき中)と→生まれ変わった新しい考え方の自分(風邪から回復)」という変化の流れを例えたものか。同時に過去の記憶でもある(数日前風邪を引いたので)。
携帯電話、タロットカード、布、売上金の袋・・・外で占いをするのに必要な最低限のアイテム。これだけは竜巻から守り切れたことからも、これらのアイテムが変化を迎える私にとって今後も有意義な役割を果たすことだろう。ただし、占いに対しては今までの古い自分に基づいた古い考え方、古い使い方、古い形にこだわってはいけない。それが外箱(もう古くてヨレヨレ)を失った意味か。
抑圧とコンプレックスを抱えた前提の古い自分の生き方・考え方から新しい自分のそれへの変化の過程。そこには、古い自分と新しい自分の間での戦い、心のせめぎあいという葛藤があり、けれどもそれを乗り越え新しい方が勝つ。その過程で発生する葛藤はさしずめ竜巻のようでもあり、風邪菌と免疫機能の戦い(くしゃみ・咳・タン)のようでもある。また、人間が大昔から経験してきた生き方や考え方の変化(心の変化)に伴う葛藤とそれをくぐり抜けた最終段階はハルマゲドンの後に訪れる「最後の審判」の物語で表現されている。だから3つ目のカードは「審判」。
また、巨大な竜巻の破壊的な災害は「個性の抑圧とコンプレックス」という鬱屈を浄化するためのカタルシス願望の象徴でもあるのだろう。「自分の抑圧やコンプレックスを吹き飛ばせ!」今まで占いのアイテムは、鬱屈浄化の重要なアイテムだった。学生時代、「占い」で自分の持ち味を発揮出来たことは、それまで「自分には良い個性がない」と思い込んでいた私の大きな救いになった。これからも、占いで持ち味を生かすことはできるだろう(夢ではタロットを失わなかったので)。ただし、これからは恐らく、自分の持ち味の発揮を「占い」という方法のみに頼ることはなくなりそうだ。占いで発揮できる私の個性(持ち味)は、私全体の個性の中の一部分でしかないのだろう。
「私の個性を生かせるのは占いだけ(=私の取り得は占いだけ。占いで生かせる種類の個性しか私は持ち合わせていない。それ以外の個性など私には存在しない)」と無意識に考えていた抑圧的な古い自分は、やがて死ぬ。生まれ変わって新しい考え方になった新しい自分は、占いに使っているもの以外の個性が私に存在することを認め、それらの個性には占いとは別の使い道を見出すだろう。
「自分を生かす道は占いしか存在しない。占いしか自分を生かす方法は存在しない」と狭い考え方に執着し己に暗示をかけてしまうと、「今までの個性とその生かし方」という部分からしばし視線をずらし、占いに使っている範囲とは別の個性やその使い道に目を向けることは即ち「自分の個性とそれを生かす人生を自ら捨てる」。という自殺行為や自己否定じみた残酷なことと誤解してしまうかもしれない。実際は逆なのに。人生をもっと豊に大きく育てるだけで、何も捨てやしないのに。
登戸の占い商店会も去年の29日で終わったことだし(実はその直後から新年の一番忙しい時期にかけて、風邪で実際に咳とタンが止まらなくなった。確かに一時的に運気低下。でももう治った。今までの流れが終わって身軽になった分、今までとは異なる新たな持ち味を生かす新しい可能性を探していこう。
個性やその使い道にヴァリエーションが増えていくこと。古い自己認識の殻を破ってそれらの可能性を発見していくこと。ユングはそれらを「個性化」と名付けた。この大竜巻の夢は、私の個性化の流れとそれを阻む執着的自己暗示の葛藤を表していたと思う。そして、葛藤の竜巻を潜り抜け個性化(きれいなビル)にたどり着けることは、夢のカードが示すとおりきっと「運命」なのだ。
・・・大惨事の非常事態にもかかわらず、一人コーヒーを飲んでくつろいでいた父については、未だに何のことだか分からない。
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