上手なニートの過ごし方?
※占いを通した個人的見解です。全ての人には当てはまりません。
◆個人的な思い出
ちょうど「就職氷河期」と呼ばれる時代、私は大学4年生だった。その2年前から既にキャンパスで占いを始めていた私の元には、毎年ある時期になると就職のことで学生達が相談に来ていた。
相談の中で一番多かったのが、「やりたいことがわからない・見つからない」。
最初にそこで身動きが取れなくなると、就職活動自体に意欲が出てこなかったり、仕事選びの見当がつかない、という状態に陥ってしまうようだ。私の知っている範囲でだが、そういった彼らの何割かはフリーターを経験したあと派遣社員になったり、場合によってはニートになったりした。
「やりたいことに拘るのじゃなくて、できることに目を向けたほうがいい」
「興味のある仕事しかやりたくない、というのは甘え」
そのように思われる方々もいるだろう。
実際、「やりたい仕事」ではなく「就職できる所」をとりあえず選んでいく学生も多い。
問題は、「やりたい仕事が見つからない・わからない」時点で「やりたいことが仕事(収入)に出来ないなら自己実現の可能性ゼロ」と勘違いして既に身動きが取れなくなってしまい、就職の意欲や気力を作りたくても作れない人。そんな人にとって、「適当に就職する決意」=「今後の長い人生を意欲も喜びもなく生きる決意」という発想になってしまっているのかもしれない。「やりたいことは仕事の形でなければ実現できない」という勘違いゆえに。
そのため、どれだけ「それは甘えだ」と周囲になじられても、「どこでもいいからとりあえず適当な仕事に就く」ことが出来ない。例えうしろめたくても、そのような意志や意欲を作りたくても作れない。それをやることは、勘違いした彼らにとって「現代人が切腹する」のと同じくらい難しいスキルなのかもしれない。
そんな彼ら中には、『やりたいこと(自己実現の内容)』を『仕事(収入手段)』という形に限定しなければならない。イコールで結ばなければならない」と狭く考えて、「やりたい仕事が出来ない=自己実現できない」と思い込むことから自分を追い詰め、気力や希望を失ってしまうケースがあるようだ。「『仕事』にしなければ『やりたいこと』が実現出来ない(その価値がない)」と狭く考えてしまっているとも言う。お金を生むか生まないかによって自らの「やりたいことをする意欲」を自ら全否定するような感じだろうか? 自分の素質や特性の使い道を、「収入手段」という狭い枠だけに閉じ込める発想。「やりたいことをする喜びの価値(プライスレス)」を「収入金額の貨幣価値」に換算してしまう発想だ。
無意識のうちにそんな狭い考え方にはまっているので、「やりたい仕事じゃなくて出来ることを見つけろ」というアドバイスは、「やりたいこと(自己実現・生きる喜び)は諦めて、それとは無縁の生き方をしろ」と言われているように感じてしまうこともあるようだ。それは、「やりたいことが見つからない・わからないせいで就職する意欲も探す気力も出てこない」というよりむしろ、「狭い考え方にはまり込んで身動きを取れなくしてしまい、自分を追い詰めて気力を失った」といった方が近いと思う。これ、ごく一部の「退職型ニート」にも当てはまるかもしれない。
また、一部の引きこもりやニート達は、「子供の頃にやりたかったこと・やり残したこと(それを通して社会性を身に着けられたかもしれないこと)ができないままで先に進みたくない(したかったことや今でもしたい事を犠牲にしたまま別の事に時間とエネルギーを費やしたくない)」という心理が無意識下で働いているケースもあるかもしれない。そしてその大半は、「やりたかったこと(やりたいこと)」を自覚していない可能性も感じる。
◆やりたいこと・好きなことは人生を彩る資産
「仕事(就職)の確保」と「やりたいこと(自己実現)」をどちらも大切にするには、2つを切り離して個別に実現する発想を持つとよいだろう。そうすれば、かなり身軽になれると思う。フリーターやニートだというだけで、どちらかを諦める必要はない。要は実現させる方法の問題。
やりたいこと(自己実現や生きがい)は、仕事じゃなくても叶えられる。「お金にならなければ自己実現(の価値)にならない」という発想は、「人生に値段がつく」と考えてるのと同じ。充実感を金額で感じようとしているから。
自分の趣味や好きな活動のためにバイトやお手伝いに励んだことのある人なら、それを思い出すといいかもしれない。
もしも今ニートか、ニートになりそうな人で、「仕事を探す意欲はまだないが、『やりたいこと』を探す意欲はある」場合。収入手段の前に、生きていく意欲の方向性や張り合いといったことから探したい場合。
仕事を見つけられないなら(見つける意欲が出てこないなら)、まず「やりたいこと(または好きなことや深い関心事)」だけでも見つけた方がイイ。それは趣味や楽しみや買い物、「あの漫画が読みたい」といったレベルでも全く問題ないと思う。物理的な活動じゃなく、完全に脳内、精神内だけで行う活動でもいいだろう。その意欲は一生続くものではなく、その時期にだけすごく意味のあるものであったりもする(時期と共に意欲の対象が変化するケースもある)。そういったものに出会い触れる体験は意義深い未来の材料(場合によっては開運材料)になり、人生を豊かに意義深くする生命活動でもある。人類は「仕事をしてお金を生むため」に生まれて生きる生物ではないし、そのために創られた生物でもない。命にとって仕事とはあくまでも一手段であって、目的ではない。
「やりたいこと(深い関心事)」には、自分にとって重要な意味が象徴的に隠されている。それがやりたいのは(好きなのは)、ちゃんと意味があってのこと。体裁やメンツにこだわってその意味ある欲求を切り捨て押し殺すのはオススメしない。それはお金以上に本物の資産になるだろう。それへ存分に打ち込む体験が自己発見を促したり、自分にしか作れない幸せな未来を作る糧になる。したいことや好きなことがあってやれる環境にあるなら、何もしないより遥かにいい。 例えそれが周囲や世間からは評価されないような「下らない趣味」だとしても、そこから得られるささやかな喜びは自分の人生に生きる価値を実感させてくれて自己肯定の糧にもなるだろう。
「自分が本当に望むことを探したい・見つけたい」という欲求自体が「やりたいこと」だというケースもある。
また、運勢の世界では、無意識の底から本当にやりたいことを実現するために、それに見合った運勢が作られるという説がある。例えば、金運(時には仕事運)が「やりたいこと」に合わせて発動したりする。「無意識の底から本当にやりたいこと」に合わせて運勢が無意識の底から創られやって来るからだ。命は自分の意図する生命活動に合わせて(それに適した)自前の運勢を創る力がある。実は誰もが一度はそれをしたことがある。それが「誕生」だ。母体に命が入る否かは、まさに運勢次第。
生き方の発想や価値観を仕事や貨幣価値に縛られる人生が嫌なら、無意識の奥底から望む生き方が出来るように(それを自覚できるように)自前の運勢を創ればいい。
「やりたいこと(深い関心事)」自体がお金にならなくてもいい。職業にならなくてもいい。それでも「やりたいこと(深い関心事)」が一つでも見つかれば(又は一つでも実行できれば)、そのことがこれから生きていくための貴重なエネルギー(生命力の一種)になるし、自分独自の充実感を得たことが自信にもなる。
すでに自分の「やりたいこと」「好きなこと」を持っているなら、それを誇りに思っていいと思う。例え職がなくても。職につく意志が生まれてなくても。
「自分独自の充実感を得る」・・・例えその行為が他者にとって何の価値も無い(他人の役には立たない)事であったとしても、大いに自分の役には立っている。時にその充実感は、他者から(利用価値を)高く評価されたり褒められたりした時以上のものかもしれない。あの充実感を捨ててまで他者からの評価を得るメリットは無いかもしれない。
今はやりたいことや関心事が無いとしても、いつか見つかる可能性を今から否定しない方がいい。こういうのは無意識領域の作業だから、あせらず力まず生きていればいいと思う。
◆「やりたいこと」と資金源
その上でもし仮に「やりたいことに向けて金が欲しい」という状況になれば、それが無意識の底からの願いであれば、その願いを叶える運気が流れるだろう。その運気が仕事運という形になることは大いに考えられる。仕事運の形をとった場合はやりたいことを実行する意欲・続ける意欲が、そのための資金調達の意欲(=仕事をする意欲)に繋がることが充分に想定可能。「職場」は、運勢が用意してくれた丁度いい資金源だ。何も調達方法に生きる意味を見出さなくてもいい。映画を作る人は、撮りたい映画のためにスポンサーから資金調達をしたりバイトを掛け持ちすることもあるが、スポンサーからの予算がほしくて映画を撮るわけではない。「お金を調達すること(仕事すること)」自体には情熱がないなら、発想を転換して「お金の使い道(やりたいこと)」について考えてみたほうが建設的で楽しいかもしれない。目的もなくお金を調達するだけではちょっと物足りない気分になりそう。逆に、お金で気軽に自分の世界を発展させたり充実させたり出来るならめっけもの?
「やりたいこと(充実感を得る活動・充実感の媒体)」が0か1かで、同じニート(又はニート予備軍)でも、全然違う。「職の無い者(=カネを生まない者)が生きる喜びや充実感を見つけることは許されない」なんて思わないで。人の命は社会やお金のために生まれたわけじゃないのだから。
どうせニートでいるならニートの立場を存分に使ってまずは「やりたいこと」だけでも探してみた方がいい。
人生は一度きりだから、そこから始める方法も、時にはアリじゃないかと思う。
(そして、そう出来る環境に感謝しておこう)
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