容姿・劣等感・個性3
※以下は占いを通した個人の仮説です。
異性から見た人の魅力
自分の容姿が造形的に評価されるか否かに関わらず、自分に女性的な感性や男性的な感性と思える部分があると感じることは多かれ少なかれ誰にもあるだろう。その感性を使って自分の喜びや幸せを作ったり感じたりすることは、自分の個性の一つ。
人は性別を問わず自分の中に女性的な部分と男性的な部分があるといわれている(当然、性別とは無関係な部分もある)。その2つ(ないし3つ)の割合や性質や使い方次第で、色んな個性が出たり、色んな恋愛のバリエーションが生まれるようだ(もし身体の性別と精神的に大部分の割合を占める性別とが異なると、複雑なことになりそうだ)。
自分の個性に宿る女性的な感性や男性的な感性。普段の言動、ライフスタイル、ファッション、趣味などでその感性を(例え無意識にでも)使っていると、それを見た異性は本能的に、そんな相手の中にある「女性的(男性的)要素」そのものに心惹かれることがある。例え、自分がそれを異性から魅力的に見えるものだとは思っていなかったとしても。ものすごく極端に言うと、周囲に異性がいる限り、自分の感性を有効に使って生きている様子を見せることが異性への最も消極的な自己紹介になりうるようだ(ただし、最も消極的な自己紹介だけで恋が成就することは稀だ)。
人間の恋愛に関わる心理の中に、「自分には無い(女性的・男性的)要素を求める」という無意識の本能があるらしい。その本能がとある異性と遭遇し、相手の中に自分には無い(女性的・男性的)要素を嗅ぎ取った場合、無意識が「心地良さ」や「興味」や「美」や「魅力」という形で意識に向かってサインを発する。そして、そんな「無意識の本能」が嗅ぎ取る 「自分には無い(女性的・男性的)要素」の魅力や美しさは意識が想像可能な範囲を超えていることが多く、決して造形的・表面的なものとは限らない。当然メディアでもてはやされる類のステレオタイプなものだけに限ったりもしない。美や芸術が流行や目に見えるものだけに限らないように。どこをどんな風に嗅ぎ取るかは、謎多き無意識の本能が持つ独自の感覚に基づいている。そのセンサーが感じ取るものは、一般的な「男らしさ・女らしさ」を超え、美や魅力という概念にすら収まらず、「自分から見て何故だか心惹かれるもの・気分よくなるもの」と表現した方がいいのかもしれない。陳腐だが、「言葉に出来ないinteresting」とでも言うべきか?
もし当人の意識がステレオタイプなイメージ(ある意味これも多数決)やそれに基づく劣等感にこだわっていた場合、その人はステレオタイプの範囲外にある魅力をなかなか感じ取れない。無意識の本能サインを見落としがちなのだろう。それどころか、サインを頑なに拒んでることさえあるかも。「こんなもの魅力とは認めたくない!」と。
恋の占いだと、ステレオタイプに拘りすぎて恋愛運を自ら狭めている暗示が出ることもある。
・・・だが古今東西、無意識の本能のサインを柔軟にキャッチしたお陰で、「彼女(彼)はいわゆる『女らしい(男らしい)人』でもなく、『容姿が美しい』わけでもなく、特別なところも無く地味で平凡なんだけど、なぜかこの人を愛したくなった(愛したら幸せだった)。」という恋はいくらでもある。
「個性」を履き違えた勘違いや自分の個性が分からない(=自分が持てない・見失っている)ゆえに劣等感のある人、他人の価値観やステレオタイプや多数決に弱くなっている人、劣等感とまで言わないが何となく自信の無い人、自分の容姿やモテないことをコンプレックスにしている人は、そんな上に書いたような恋愛を、本当は望んでいるんじゃあるまいか。そしてそのためには、自分の中で幸せな恋が出来る環境を整える必要がある。自分含め「生きてる人間の愛し方」を知っておく方がいいのかも。
時に劣等感を抱えた上での「恋人がほしい」という切ないまでの願いが、「しっかりとした(安心できるだけの)自分の自尊心がほしい」という願いの裏返しならば、裏の本当の願いが叶った時、すなわち、このテーマの1で書いたことを通して愛すべき本当の「自分の個性」を知った時・・・それを元に、劣等感に歪められていない本当の自分に合う恋の姿を知ることだって出来るだろう。当然、恋人を単なる自尊心の保証書にせず自分と同じく一人の人間として愛せるような恋愛ができるようになっているだろう。自分の中で、幸せな恋の出来る環境が整ったのだ。
カードは言う。「運は自分が作っている。自分が変われば、運は変わる。恋愛運も変わる。」
おわり
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