モスクワで反戦活動をして12日間拘束された友人から電話で話を聞いた。その内容をまとめた。より一部抜粋:
複数人で通りに反戦マークを描いたり反戦ポスターを貼ったりしていた。するとそこに国家親衛隊の車がやってきて、丁寧な口調で車へ乗るよう促された。2月26日午前5時であった。
国家親衛隊に悪口を言って抵抗した。国家親衛隊曰く、ロシア行政違反法典第20条第2項「軽度のフーリガン行為」第2部分に違反する形で公共の秩序を乱したので、身柄を拘束すると。まず、内務省管轄の区内の拘置所に送られた。
2月28日に出来レースの簡易裁判がなされ、12日間の拘束の判決が下された。法律によると、前述の内務省管轄拘置所には基本的に何もないので拘束は48時間以内と定められているのに、結果的にそこに9日間いることとなった。身分証明書やスマホは没収された。洗髪ができなかった。
着替えはなかった。部屋は湿気っていた。2日目、男性が送られてきたが、彼は身分証明時にウクライナパスポートを見せたところ理由もなく身柄を拘束されていた。西側諸国の一部報道とは異なり、暴力や暴言はなかった。指示に従おうとしない男の子は殴られていたことを除いて。
国家親衛隊は拘置所の酷い状況を理解していて、拘束者を別の拘置施設に移そうと必死だった。私は、警官にモスクワ郊外にある不法移民収容所に2度連れられ、警官は移送を収容所への移送を求めた。10時間待たされたが、そこの職員は拘束者の証明書の記述に書き間違いがあるだの所定の場所に公印が押されていないだの色々言って受け入れを拒否した。不法移民収容所の職員の仕事ぶりはのろまでストライキでもしているのかとさえ思えた。彼らは雀の涙みたいな給料で長時間労働を強いられていて、かといって公務員ゆえ反政府的なはずもないので、急増する反プーチン派の若者相手にまともに仕事しないのも当然の話だった。結局、10日目からはモスクワ市内の別の施設に移された。そこの環境は良かった。シャワーも備え付けられていて、食事もボルシチ、ジャガイモのピューレ、カーシャ、温かい紅茶と良かった。施設内の散歩も許された。そこで3日間過ごし、釈放された。
※以下に書いたことは全て個人の勝手な妄想です
ウクライナ侵攻以来、ロシアでは逮捕されるリスクもあるのに反戦運動が活発化している。とうとう国営放送のディレクターまでやり始めたぐらいだ。
とはいえ、心に思うことはあっても、大きなリスクを冒して反戦運動に参加する勇気を持てる人ばかりではない。当然だ。日本で同じことできる人間が何人いるだろうか?
ロシア人の間では反戦運動を肯定的に見ている世代はネットに親しむ比較的若い世代で、年配になるほど否定的・消極的な目で見ているという。世代間でかなり意見が分かれるらしく、反戦運動をしている若者はしばしば家に帰ると親にとがめられて口論になることがあるらしい。
プロパガンダに洗脳されたり、国家と自我を同一化させてしまわないで両者を相対的に見れる客観視点がどれだけあるかも関係している気がする。
個人的な勘だが、表立って反戦運動や社会運動をやれるほどの勇気はないけれど、自分の国が国内外で暴挙をしないように変わっていってほしい、より良い方向へ情勢(運勢)が変化していってほしいと思っているロシア人は実際に何らかの表立った運動をやっているロシア人よりもはるかに多いのではなかろうか。
◆社会を開運させるには?
国や社会の運勢をより調和した方向へ変えていきたい、困った情勢や状況が打開される方向へ開運させたい場合、国によっては危険を伴う社会運動以外にも効果の期待できそうな開運法がある。
それは、その国の人々が持っている心の様子や価値観が関与して社会の現状や問題が作られている事も多いので、できるだけ大人数がそれについて背景も含めて考え語り合うこと、問題に関与している心性や価値観を変えるべきか否か、変えるならどんな方向に変わりたいかを語り合うことで集合無意識を動かすこと。
例えば今回のロシアの場合、恐らくツァーリズムが問題の一因になっていると思われるので、出来るだけ多くのロシア人が「ケンカが強くてマッチョで押しが強い様を尊ぶ気質」について多角的に考えてみたり、ネット等で議論してみる事。こういうタイプを恋人にすると時にはDVが発生しやすくなったりする。覚えておきたいのは、DVには共依存や学習性無力感やストックホルム症候群なども併発することがある点。そして、「恋人」が指導者に変わるだけで国でも同じくDVとその併発現象めいた運勢傾向は発生しうる。
自然環境の厳しい中で外敵に脅かされる歴史を経験してきたロシア。生きる不安や困難はいかばかりだったか。人々は長い間、優れた体力と勇気と判断力を持ち、強気で皆をぐいぐい引っ張ってくれるような、「俺についてこいタイプ」に頼って生き抜くことが多く、それが生存戦略としてマッチョ志向の文化を作ったのかも。「今までは多少乱暴でもいいから強い者に頼るしかなかった」とも言えるか?
ぐいぐい引っ張れるタイプは大概押しも強い。気を付けないと我が強すぎて乱暴で強引なワンマンになりうる(不安になったりおだてられたりすると特に)。それに、そのようなタイプは人々の期待や称賛や依頼心だけでなく妬みや反発も集中しやすい。支持と比例して敵も増える。
結果、人を信じられず弱みを見せられず孤独や不安やプレッシャーを抱えすぎてバランスを崩しやすい。不安やプレッシャーから自分の弱さを出すことも受け入れることも出来なくなって必要以上に強がったり自分を大きく見せようとしたり、周囲をイエスマンだけにしたり、孤独を力づくで解決しようとしたりすると、悪循環になる。それは自分も他人も苦しめる結果を招く。DVはその一例だ。本人含めた当事者全員が本人の「強さ」に依存した挙句、その強さに支配されて苦しむ。
厳しい環境をやり過ごす技術が昔よりもずっと発達してライフスタイルが変わった現代ロシア。生存や発展に必要な要素は昔と全く同じではない。過去から学び、もっといい方法を見つけてアップデートすることも時には必要。それが進化だから。
ソ連時代まではロシアと同じ国だったウクライナの無意識下にもツァーリズムやマッチョ気質を尊ぶ文化が多少残ってるかもしれないので、ロシア人だけではなくウクライナ人も以下のようなことをやってみると開運効果がある。
①マッチョな指導者を尊ぶ価値観、マッチョな指導者への依存と期待、即ちツァーリズムを卒業する方向を意識して、自分の中に該当する気質や依存心がないかチェックし、もしあればそれと向き合い何ゆえそうなのか、今でもそのようであった方がメリットあるのか・ないのか(それはなぜか)を自分に問いかける。
②もし変われるならどのように変わりたいか、人や社会が(自分が)力を無闇に欲しがる時はどんな条件や動機や心理背景がありそうかを探り考える。
③情勢や自分達の国をどのようにできたら嬉しいか(それはなぜか)などといったことをイメージしてみること。
④①~③についての話をネットや友達や家族同士などでやってみること。自分や相手を裁いたり批判したり論戦・論争をするのではなく、あくまで意見交換や感想を語るような形でやること。一種のグループカウンセリングだ。
社会の事を思ってやるなら、こういうのだって立派な社会運動の一種だ。
「ケンカが強くてマッチョで押しが強いキャラ」こそが本当になりたい自分の理想像や理想の恋人像なのか否か(それはなぜか)、という話をしてみるのもいいかも。(そもそも、なぜケンカをする前提なのか?)
今まで書いてきたようなタイプは時々自分をおだてさせたがる時がある。そんな時は調子に乗っている時か、プレッシャーや不安に苦しんでいる時かもしれない。むやみにおだててやると後で却って不安やプレッシャーが増えたりするので、プライドを保てる形でストレスを自覚させたり労わりを伝えた方が落ち着きやすい。人間だもの。
◆独裁政権下などでの社会開運法?
社会運動や公正な選挙が難しい国の場合、上記のような、いわば「ソーシャルグループカウンセリング」をするだけでも社会の集合無意識が動いて社会の運勢に作用しやすくなると思う。これなら親子喧嘩や逮捕のリスクは低いし、いわば安全な開運法でもある。 国や社会は時に、人々の集合無意識(時にはその暗黒面やコンプレックス)と共鳴しやすい人物ほど台頭・繁栄しやすい運勢になることがある。有名な例だとヒトラーなどもそのようなタイプの運勢を持っていたと言われている。
さらに、ある国の社会を構成する人々の集合無意識(特に暗黒面)と共鳴しやすい他国(の指導者や集合無意識)が存在した場合、互いに共鳴し合って衝突したり悪ノリする悪友になったりするなど、変な因縁が生まれる場合もある。冷戦期の米ソなんてどっちもマッチョなゴリ押し気質全開でベクトルが違うだけだった。片方は国民に対して、もう片方は国外に対して。今の中露は国内外にゴリ押ししたがる気質が共鳴し合って因縁めいた悪友と化している。
国や社会の集合無意識が動いて変化し始めると、変わる前の集合無意識と共鳴したのが原因・背景となって発生している物事(情勢や指導者の運勢含む)も変化していく。大体は運気の流れが低下・縮小しやすい。
占い師をやっていると、自己理解は最大の開運法だとつくづく思う。社会を構成する人々が自らの在り様を理解することは、人々の在り様を反映しているその社会を理解し打開策を発見する一助となるだろう。
雑記:「マッチョ」なロシアへの回帰でご満悦?
【ウクライナの女たち④】セクシズムと家父長制の国で、ジェンダーギャップを埋める
↑
この2つはウクライナとロシアのマッチョ文化(家父長制の価値観とも密接)を多少感じ取れる。
古今東西、「女性自身が戦いに適したマッチョ気質になることで男社会との闘争に勝利する」という発想で男女平等を推進しようとするケースがある。これだと男女不平等の原因でもある弱肉強食発想から全く脱却していないので、女性の中でも一部の強者(勝利者)しか平等に扱われない社会になってしまう。マッチョ的な強さを武器に社会闘争を勝ち抜くこととは別の適性と素養を持つタイプの女性達は「平等を勝ち取る」ことができない。(
過去記事参照)
心身の性別や障害を問わず、人々が適材適所に連携して信頼し合うことで初めて全員が対等になれると思う。
平等とは、「勝ち取る」ものではなく「成立する」ものだ。
そういう意味で、ディズニー・ロシアのこの作品は興味深い。主人公はマッチョとは程遠い詐欺師。日頃の行いが悪くて異世界へ飛ばされ、最終的には仲間と力を合わせて世界を救う。
そう。世界はマッチョなリーダーが救うものではなく、世界に住む多様な個性の仲間達と調和・連携して救うものという設定だ。「世界」を「国」に置き換えても同じことが言える。作品設定を古典的なヒーローものにしなかったことが人気を集めたと思う。
あと多分、日本の異世界モノの影響を間違いなく受けすぎているw
コメント