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2020年11月 3日 (火)

幸福観の貧困は幸福の手段も可能性も貧困にする?

「子どもがいたら楽しいのにね」、悪気ない言葉にモヤモヤ 不妊治療マンガ作者語る“普通”への違和感

――治療を受けた日々を振り返って、今、率直にどんなお気持ちですか?

【海原さん】後悔はまったくないとは言えません。不妊でよかったともぜんぜん思えません。世間体を気にしていなかったといえば嘘になるし、夫とだったら楽しく子育てができるんじゃないかと思って治療を受けてきましたから。あと、正直、もう少し早い段階から出産を意識して行動していたら結果は違ったのかなという心残りもあります。でも、もう言っても仕方がないことですし、子育てしない分、自分の時間をいっぱいもらったので、今の生活をとにかく楽しくしようと思うようになりました。

「結婚して子供がいる家庭作るのが人間の普遍的幸せ(そこにしか最高の喜びも幸せも存在しない)」みたいな一元化された狭いマニュアル志向やプロパガンダが不妊治療をする人を苦しめたり子供のいない人を苦しめたり人類の視野と可能性を狭めているのかもしれない。時には、その人が本当に望んでいる幸せと人生を視野の外に追いやって自覚出来なくさせているかもしれない。
20世紀中盤以降、人類は文明の力で今までになく人口を増やし死亡率を低下させ平均寿命を上げていった。人類は十分に増えたというか、増え過ぎた。だから死亡率の低い先進国を中心に出生率や繁殖本能が下がるのは自然の摂理だ。種族の視点に立てば、人口が少なくて死亡率が高かった頃のようには「繁殖本能や母性本能が出力MAXで発動する条件」がそろわなくなったんだから。それは、悲しい出来事が減ったことを意味するし、人類という種族が生存と繁殖以外の方向にも自らの可能性を広く模索し始めた(余裕が生まれてそれができるようになった)事を意味する現象でもあると思う。これは、人類史始まって以来のことだと思う。種族が今までは手が届かなかった広い可能性に、新たな自己発見に目覚め始めている・・・いいことじゃないか? 新しい進化の気配がする。

だから草食化やおひとり様増加という現象は異常事態じゃないし人類の危機でもないと思う。単に大量生産、大量消費、大量雇用に依存した産業革命由来の現代文明を維持するには人口減少が大変不都合だから必死に異常扱いしているだけで、生き物として見ればむしろ死亡率の低い国で発生する草食化・少子化はごく自然で正常な反応なんじゃないかと思う。むしろ無条件に草食化・少子化を不都合とし異常だと思わせる産業革命由来の現代文明こそが不自然なのかもしれない。
実際、現代の文明は自然破壊が甚大だし、食料の問題もある。それもあって死亡率が下がった現状でむやみに増えると自分達の首を絞めるから本能が増えたがらないのかもしれない。
子供を作ることが生殖能力を持つ人間としての社会的責任であるかのように錯覚させたり、子供を作らない/望まないことや子供を好まないことは利己的で人間性に欠陥があるとか幸せになれないとか異常であるかのように錯覚させる風潮は、裏側から見ると「労働者と消費者は産業文明(あるいは国力)を発展・維持させるための家畜や資源として大いに繁殖させておくべき」という思惑が透けて見える。大量生産と大量消費という目的のために、人間の生や繁殖までが生産ラインの一部に組み込まれている。家畜どころか機材や素材扱いだ。いくらでも替えが効く。

心から望んで作った子供と家庭を通して得られる体験や経験は確かに人類種族が実現しうる素晴らしい人生の宝物(幸せ)の一例になりうるだろう。だが、それだけが人類のなしうる素晴らしい幸せの形や手段ではないし、それだけが唯一の正解でも最高でもない。単に、人類が今までそういう幸せの形と手段しか知らなかった(+不都合だからそれ以外を知られたくなかったし抑圧してきた)だけだ。そしてそれらを「唯一最高のもの」と思い込んでマニュアル化し洗脳が発生していたのだろう。その幸せと同様に尊く素晴らしい未知の幸せと手段を知らないまま・・・種族に潜在する広い可能性を知らぬまま・・・時には、そんな洗脳が本心の望みを覆い隠していたかもしれない。

そういう意味でも、現代は実現できる幸せの形も手段も昔よりはるかに種類が増えている。女性の職業が限られていて多くの女性が生活のために結婚していた時代でもない。結婚しない生き方を選んでもちゃんと生きていける時代だ。だから人々の本心が望む幸せの形や手段もそれに合わせて昔より多様化している。それ自体はとても素敵な事なのに、まだ多くの人はそのことに気付かず古いマニュアルに心が縛られているような感じがする。心のOSを更新する必要がある。
心が古いマニュアルに縛られてOSを更新しないままでいると、古いマニュアルが本心で本当に望んでいる幸せと人生のあり方を無視して古いマニュアルが知ってる狭い幸福観(本心とズレている)へと無意識に己を駆り立ててしまうことがある。それは時に、靴ズレしたまま望まぬ方向へ走り続けることを強いられているかのような苦痛を伴うかもしれない。
例えば、本心では望んでいないのに婚活にいそしんだり子供を作ったり不妊治療してたり、成果が上がらずに自分や他人を責めていたりすることさえある。時には産んだ者が妬みゆえに産まない者を遠まわしに歪んだ形で非難・攻撃することもある。逆も然り・・・

幸いにして、もはや繁殖と生存に大部分の手間暇エネルギーを割かねばならなくて手に入る幸せの形・手段・可能性も限られていた時代じゃなくなった以上、人類のライフスタイルは大きく変化し多様化するのは当然だしそれに合わせて心や価値観や幸福観だって変化・多様化するのは自然の摂理。だって今まで生存と繁殖にばかり使ってた手間暇エネルギーに余裕ができた種族の可能性自体が多様に広がっているのだから。
これは種族に潜在する可能性の実現効率が上がった、即ち「進化のスピードが上がった」というやつではなかろうか?

そんな時代を生きているのなら、一人一人の本心がベストと感じる「幸せの形」ってもっと色々あっていいはず。人間は何のために生まれて生きるのだろう? 少なくとも生存と繁殖のために生まれ生きてるわけではない。そもそも自分の生まれ生きる意味を「繁殖(子孫繁栄・一族繁栄)」に見出す人が死亡率の低い先進国で今時どれだけいるだろう?
生存と繁殖・・・それらは生命活動の一手段ではあるが、生命活動の目的じゃない。
そして当たり前だけど、子供ってのは「子供がいない人生(マニュアルから外れること)への不安感」を動機と原動力にして産むものじゃない
これは占い師に結婚や出産の相談をしに来る人が陥りがちな落とし穴でもある(個人の感想)。

今はまだ、人類の多くが生存と繁殖に全集中していた頃の癖や発想が強く残っていて、種族自身に生存・繁殖以外の可能性を広く模索する経験も少なく、急激な環境と事情の変化で突然広がった自らの可能性にどうしていいか分からなくて戸惑いが残っている時代かもしれない。「皆が生存と繁殖の事で手一杯でそれだけを考えていればよかった時代」じゃなくなったのだから。今や人々の本能は生存と繁殖だけに全集中しておらず、進化の速度を上げることへ今まで以上にエネルギーを注げるようになったのだ。
ご存知だろうか? この種族は生存と繁殖以外にも、色んなことが出来る能力を持っていることに。多様な進化の可能性を持つことに。

今、種族は自らの生命活動について「量より質」へとシフトしているのかも。種族にとって「質」とは、個々が取り組む人生の質であり、質を拡充させる上で「生存と繁殖で手一杯だった従来よりずっと広がった個々人の可能性」が深く関わっているのだろう。
子供を持っていない人は不幸でも劣っているわけでもなく、繁殖とは異なる人類の新たな可能性をより多く持つ人でもあるのかもしれない。
子供を持っている人といない人、どちらが良いとか優れているとかではなく、人類の可能性としてどっちも素晴らしい。
どちらの人にも、種族を進化させる素晴らしい適性がある。

出産する理由と背景についての極論

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