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2020年6月26日 (金)

多元的に豊かさを循環させる

※以下は全て個人の妄想です。前記事後半のテーマをもっと抽象化させたもの。

 

◆豊かさは本来多元的で貨幣のみでは扱えない
物々交換の時代は多様な、事情背景のある個々人によって価値や価値観が多元化しており、それゆえに多様な可能性に支えられた豊かさと調和があった。豊かさの作り方が一元化されていない分だけ融通が利いたのだ。豊かさの作り方が多様な分だけ可能性が豊富で、そこに創造性を発揮する余地が多くあった。特定の物にだけニーズが一極集中することもなかった。
しかし「貨幣」が生まれると一神教的なマニュアルめいた「貨幣に対する価値や価値観(ニーズ)の一元化・画一化・一極集中化」を引き起こし、文明の営みを一元化させた価値や価値観(マニュアル)に一極集中依存することで豊かさの生かし方や作り方に融通が利かなくなり、効率と引き換えに創造性を排除したことで豊かさとその可能性を制限・抑圧するようになった。 それが一層の飢えを引き起こし、奪い合いや争いは一層広がったかもしれない。貨幣にニーズが一極集中するから貨幣を手に入れる倍率・競争率が高く、結果多くの人々が飢え、他者の飢えにつけ込み利用することで権力を得た者達もいただろう。そんなふうに飢えを力の源として依存する彼らと「一元化された(多くの豊かさを切り捨てる)経済システム」を普及させた者達は、場合によっては同一勢力かもしれない(陰謀脳)。
生活を支える経済を貨幣に一元依存する危うさは、例えば生活のエネルギーを電気に一元依存する危うさとも似ている。

例えば農業。経済を貨幣に一元依存する世界では運悪く豊作になってしまうと、値段が下がって損をするからせっかくの作物を廃棄してしまう。貨幣変換(価値や価値観の一元化に基づくシステムとの合致)がうまくいかないから自然が恵んでくれた豊かさを存分に生かせない。貨幣では扱えない豊かさを(市場原理に組み込めない豊かさを)むざむざ捨て続けている。
作物を貨幣に換えることだけで豊かさを得るのではなく、時には作物を別の何かと物々交換すれば新たな豊かさを生んだかもしれないのに・・・ 
「貨幣」というツールに価値とニーズを一元化させた経済システムは、本質的に多様で多元的である「豊かさ」というものに対応できていないから、地母神は恵みと共に封印されてしまう。一元化・画一化されたあまりにも狭い視野の貧しい仕組みゆえに。「多様だからこそ豊か」なのに。
貨幣は「どんな豊かさにも変換可能」ではない。一体どれだけの豊かさが「貨幣変換しにくい(お金に変えられない)」という理由で生かされることなく無視され切り捨てられ忘れ去られてきたのだろう? 貨幣は多様な豊かさに対応していない。貨幣が媒介できる豊かさなど、全体のホンの一部に過ぎないのだろう。時には豊かさを貨幣に変換する手間暇だってバカにならないこともある。
システムに不都合な種類の豊かさを切り捨てる。そう。豊かさを志向する経済システム自体が豊かさの大部分を自ら捨てているのだ。どおりで飢えるわけだ。飢えれば争いだって起きやすい。

結局、「豊かさ自体が貨幣経済
に一元変換しきれないので物質的豊かさすら十分活用できない経済システム」が人類を豊かにするわけがない。人類は、豊かさの何たるかを知らず、システムの狭い視野で認識し取り扱いできる豊かさのほんの一部分しか得ることも活用することもなく、慢性的に豊かさと可能性に飢えてそれらを奪い合い、飢えの恐怖(及びその裏返しになっている強迫的な欲望やハングリー精神)を動機と原動力に文明を営む歴史をずっと続けてきたのだろうか。
豊さを十分に活用しきれず飢えを手放すことができない経済システムそのものが、飢えの恐怖を動機と原動力にして作られたのだろうか。

人類は貨幣だけに一元依存せず、物々交換も含めた「循環経済」とでも言うべき大きな枠組みを作り、その中で作物だのエネルギーだのサービスだの貨幣だの情報だの、事情に応じて臨機応変に柔軟に色んなものを交換し合い循環させればいい。「貨幣と何か」の間にしか交換や循環が発生しちゃいけないなんてことはない。貨幣ではないもの同士の間でも交換や循環を作った方が人々は豊かになる。貨幣に一元依存するリスクがなくなるし、争いも減る。そんな新しい豊かさを生み出す経済の秘訣は「ウィン・ウィン」「持ちつ持たれつ」「助け合い」てなところか。

豊穣交換の発想が貧困だから本当に貧困が生まれちゃったのかもしれない。たかが貨幣が暴落しただけで、その貨幣を使ってた人々や物事が深刻過ぎる損害を被る必要なんてないのだ。 貨幣がダメなら別の何か同士で交換し合って経済を回せばいい。安全にスムーズに調和して物々交換できるように専用アプリを開発してもいい。経済に必ず貨幣を介在させ、貨幣に一元依存するから貧しいのだ。貨幣に一元依存するから皆がカネの奴隷になるし、いつの間にか国が資本に支配されて国民主権が資本主権になってたりするのだ。全国民が健康で文化的な最低限度の生活が保証される権利を持つのに、生活まで市場原理に完全支配されることはない。
(仮に『循環経済』が実現した場合でも、注意してないと一部の有力な者が経済と人々を支配してしまう危険はあるのだけれど、そこは仕組みの工夫が要る。また、貨幣や物資を独占し経済を自分達だけで支配しようとする者達は信用されず取引する人も少ないかな?)

豊さでもなんでもそうだが、手段の過剰な一元化・画一化(マニュアル化)は時に視野を狭め認識と可能性を貧困化させる。しかも、もしシステムの基礎たるマニュアル(一元化・画一化主義)に問題があれば、そのマニュアルに基づいて創られたシステムの扱う範囲の物事全てに問題が生じる。タロットなら「塔」。
一元的・画一的マニュアルのみに縛られず、その時に合わせて臨機応変に多様で豊富な手段を活用して創造性と可能性を発揮することができないと本来多元的な性質を持つ「豊さ」というものが制限・抑圧されてしまう。玉子は一つのカゴで保管するな。
(改めて『マニュアル人間』にならないようにしたい。彼らは発想が貧困化しすぎて己の創造性や可能性や自由を自ら抑圧してしまっている。現実を見ることよりもマニュアルを先行させてしまった結果、盲目的だ)


◆一元性と多元性の連携
そもそも、人がロボットでない限り価値(観)や考え方は画一的に一元化(共通のマニュアル化)させようがなく、無理にそれをしようとするとその過程で必ず争いが発生する。調和と秩序に不可欠な視点は「どうやって価値観を統一するか」ではなく、「どうやって多様な価値観の違いが存在する中で調和を保つか」が重要。むしろ、価値観が多様だからこそどこかで事情や利害が一致しやすく調和が実現できるのだろう。
また、「違いが許せない」という現象は過剰に何かを一元化・画一化させなければ成立えしないシステムに依存している時に起きやすい。
「違い」が争いを生むのではない。「違い」を生かせないことが争いの一因になるのだ。(前記事で挙げた現実もその一例)
それは多分、「違いが保てない(許されない)ほどの画一的一極集中」も背景じゃないかと妄想した。

豊かさの実現と維持のために貨幣経済と物々交換は調和した連携が可能。過剰な一元化(マニュアル化)が創造性を抑圧し、地母神を抑圧し、豊かさを抑圧し、飢えや弱肉強食を作ったのだとすれば、多元性を許すことで一元(画一手法)と多元(多様な手法)の両立と連携が可能になり、可能性は切り捨てられることなく広がっていける。飢えや争いや弱肉強食に陥らなくて済むようになる。効率や能率の追求ゆえの行き過ぎた一元性・画一性・一極集中志向が無駄や遊びやスタンドプレーを許さないために却って余裕や可能性を奪うことは多い。リスク分散もしづらい。
一元性と多元性は陰陽の関係。調和した連携をさせることで創造性と可能性を生む。これからの時代のキーワードになるかもしれない「スタンドプレーから生まれるチームワーク(和」)には一元性と多元性の連携技だってあっていい。

本質的に多様で多元的な「豊かさ」というものの多くを廃棄してしまう一元的な発想を基礎に作られた「飢えの経済システム」は、他者の飢えや飢えによる奪い合いにつけ込み利用することで力を得たい者達(他者の飢えに依存する者達)にとってはまことに好都合であったと思う(陰謀脳)。そもそも飢えの経済システムが生まれた背景は、人類文明の
生産・流通・貯蔵の能力が未発達で「全員は食べていけなかった」歴史が長かったせいもある。でも現代は違う。技術的には飢えを克服しているのに、心は飢えたまま。飢えを克服できない世界観のまま時間が止まっている。だから心の飢えが本当の飢えを招いている。飢えた心が飢えの経済システムに依存し続けている。
飢えた心が豊かさの多元性を封じニーズと富を一極集中させる(=格差を作る)飢えの経済システムを開発して一元的・画一的に普及させ、それ以降数千年もの間人類史を飢えと争いで支配してきたのだとすれば、先日起きた「世にも珍しい夏至日食」はそんな歴史の終わりの始まりを暗示させるものになっているかも(妄想)。
現在、6500年ぶりに山羊座に冥王星、木星、土星がそろう珍しい現象が起きている。そんな珍しい現象と、「372年ぶりに夏至と日食が同日に起きる現象」が重なったのだ。こんなことが起きる確率は非常に稀だから、世にも珍しい現象だ。

偶然か否か、夏至日食は山羊座と正反対に位置して母性(創造性)を司る蟹座で発生し、サビアン占星術で食の発生位置をみると、その位置のキーワードは「船にかかげられた旗: 象徴的行為によって忠誠心が転向したことを表明する」であった。貨幣経済が普及して以降続いてきた「貨幣に対する価値や価値観の一元化・画一化・一極集中化」という、いわば貨幣への一極集中的で盲目的な忠誠心は、変化していくかもしれない。占星術で見ると東アジア及び一部の東南アジアでは国際金融資本や海外経済や遺産(負の遺産含む)も司る第8室で夏至日食が起きている。そしてこの8室、司るもう一つの分野が死(死亡率)である。これは何を意味するのか・・・

これからの時代は価値や価値観の過剰な一元化やそれがもたらす飢えに依存せず、多様性・多元性を活用し貨幣や物々交換などをはじめ多様な豊かさの手法が搾取なく葛藤なく調和して同居・連携できる「価値や価値観(豊かさ)の多元化・多様化」に向かって進んでいくかもしれない。経済を貨幣に一元依存し囚われる時代は終わるかもしれない。
過剰に山羊座的(父性的)な一元的・画一的・一極集中的発想が暴走する時代は徐々に終わると思う。 多元化、多様化はリスク分散にもなる。
その時、人類の地母神は、多元性を回復させた本当の豊かさは、甦るだろう。それは、このブログ的に表現するなら「楽園の復活」や「テフティの復活」「イザナミの復活」でもある。



楽園が甦る時←多元的な視野を封印し、(飢えの苦しみを動機と原動力に?)目先の効率や能率を求めるあまり一元的・画一的に偏った視野の狭い知能の使い方ばかりを志向したことが
「知能の幸せな使い方」を封印させてしまった一因かもしれない。

象と王様

「君たちはどう生きるか」~巨匠の呪術~


経済ド素人の占い師があえて書いてみる

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コメント

山岡鉄舟だったか

「一刀は万刀に化し、万刀は一刀に帰す」

と言ってた。


見事ですね。


>しかし「貨幣」が生まれると一神教的なマニュアルめいた「貨幣に対する価値や価値観の一元化・画一化・一極集中化」を引き起こし、一元化された価値や価値観(マニュアル)に一極集中して依存することで豊かさの作り方に融通が利かなくなり、効率と引き換えに創造性を排除したことで豊かさとその可能性を制限・抑圧するようになった。

一極化すると、それは「干からびたようなもの」で使い物にならないようになる・・
あまりに固定化し、現状に対応できないから・・。


そもそも一元化は、それを逆にすべての放出するから、有効だが、それを出来ないと、「ポンコツ機械」となる・・

まさに
「『分散すべきときに分散できない軍隊は、縛られた軍隊である。集合すべきときに集合できない軍隊は、孤立した軍隊である』」

で、縛られて、孤立して、弱くなり、衰亡する・・・。


良い文章をありがとうございます。

また、よければ引用させていただいてよろしいでしょうか。

失礼しました。

>遍照飛龍さん
手段を一元化・画一化させてしまうと視野が狭まり可能性や機会が色々取りこぼされてしまうもんなんですね・・・

引用御自由に。

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