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2019年10月22日 (火)

他人の幸せが許せない=自分の不幸が許せない

■「他人の得が許せない」人々が増加中 心に潜む「苦しみ」を読み解く

「彼女はとにかく新しく入ってきた若い人を片っ端からいじめていました。退職に追い込むまで。10人くらい辞めていったと思いますよ」
(中略)
自身はなぜかいじめの対象にならなかったが、ある日、どうしてそんな振る舞いをするのか聞いてみたところ、こんな答えが返ってきた。
「若い人はどこでも就職できるのがねたましいし、腹が立つ。私なんかはもうどこにも行くところがない」

 この女性は、職場でのいくつものいじめの行為が会社に認定され、職場を追われたという。

 

他人が自分よりも得をしている(幸せそうである)有様を見て妬みに苦しむのは、その有様があまり意識しないようにしていた自分の抱える不幸や不満(思い通りにならなかった、欲しいのに得られない、境遇が悪い、不器用で要領が悪くて損する癖を直せないetc)を強制的に連想させ意識させ刺激・強調するからだと思う。
そんな傷に爪を立てるような苦しみを与えた相手に復讐したい気持ちが人を「妬みによる嫌がらせ」に駆り立てることもあるのだろう。要は本人にしかわからない個人的な事情による逆恨みなので、嫌がらせの被害者にしてみれば「身に覚えのない恨みによって復讐された」ということになる。

自分が不満や不幸を抱えていなければ、現状に満足感や充実感があれば、いくら他人が幸せでも得していても妬みやルサンチマンは成立しない。そういう意味で、たとえ地味な生活でも他人を妬まなくて済む程度には充実感を持って生きられるのは幸せだ。

先日の台風により武蔵小杉で被災したタワマン住民を叩いている人々の中にも、タワマン住民を妬む心の片隅に、そっと隠しておきたい不満や不幸や惨めな劣等感を抱えた人がいるだろう。彼らの人生に真の幸あれ。

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