「キジの物語」で妄想2
◆「弱肉強食」という発想に長年支配された人間のサガ
今、弱肉強食の心理(=闘争することと何かを犠牲にする事で生き延びる発想。生贄依存症とも表現できる。常に恐怖と脅威感に苛まれ、その苦しみと戦って勝てる強い力に飢え続ける闘争的心理)-----------が日本の集合無意識下から歪んだ形で表面化つつある。この心理は人類規模の心理なので「和を尊ぶ日本人」も例外じゃなく存在する。ずっと取り繕っていたけど、ずっと前からあった。それが世界と共鳴し始めてる。
人類が長年抱え込んできた弱肉強食の心理は、常に「飢えた手負いの獣」のような追いつめられた感覚を帯びているものと思っていいのかもしれない。前記事で書いた「力」のカードのライオンが貴婦人と出会う前の状態と考えてもいい。キジに癒される前の「力」を求めるカラスの心と思っていい。
日本人の和を好み争いを嫌う心理は、自分達の抱えるこの弱肉強食心理と向き合う事を忌み嫌い、それが万が一表に出ることが無いように取り繕いたい気持ちの裏返しという一面もあった気がする。
特に、「和のためなら自分や他人を犠牲にする」という発想は陰湿に歪んだ形で表面化した弱肉強食でしかない。あれは和(平和主義)の仮面をかぶった弱肉強食現象だ。この伝統は少なくとも江戸時代には確立していたかもしれない。
例えば、「自分さえ(あなたさえ)我慢すれば丸く収まること」・・・現代でもよくあるパターンだ。例えばイジメの現場で生徒(弱者)が先生(強者)からそう説得され、「我慢しないことは和を乱す悪なんだ」と思い込んでしまい、それ以来いじめられてもSOSの声を上げることに罪悪感を感じてしまう事例もかなりある。最悪の場合、遺書にイジメの事を全く書かずに(あるいは遺書すら書かずに)亡くなる。かくして強者は弱者を犠牲にして安泰を保つことに成功する・・・
日本人が無意識レベルで自分達の抱えている弱肉強食心理から目を背けて見ないように抑圧したとすれば、それらは上に挙げた例のように歪んだ形で表面化する。自分の心理を恐れて目を背け、その存在を封じれば封じるほど、封じられた心理は反動で暴れる。その「反動(ツケ)」が不景気と増税で飢えの恐怖が強まったことも手伝って今出てきた。その表れの一端が現在クライマックスを迎えている平成の安保闘争という運勢ではないかと思う。
よく、安保反対派は政府と戦う発想にあり、安保賛成派は(中国など)外国と戦う発想にあるとか言う。
個人的には、政府と戦う発想になるか中国と戦う発想になるか(=国内と国外のどちらに脅威と闘争の対象を見出すか)は性格(内向・外向)の違いでしかなく、どちらも同じく長年目を背けてきた集合無意識下のと弱肉強食心理の表面化でしかないのかもしれないと思う。反対派も賛成派も動機や原動力は同じもので、ともすれば同族嫌悪になりかねない。両者はともに共通する課題を抱えている。
「対立するもの同士は同じ土俵に立つ」というやつだろう。
そして、「対立するもののどちらにも屈するな(byユング)」ともいう。両者が共通して抱えている課題は日本の集合無意識の課題でもある。今、それと向き合い理解し乗り越える時期に来たのかもしれない。
日本人が抑圧してきた闘争的な弱肉強食心理の反動的表面化とも言える安保騒動の運勢。そのクライマックスに合わせて熊谷の殺人事件を起こしたペルー人の容疑者。彼は自分の心が日本の「反動表面化」と共鳴し、自分自身も抱えていた同じ心理(特に脅威感と闘争心)が増幅され理性とTPOを突き破って暴走してしまったか。
(ペルー人姉「誰かに殺されると話していた」)
もしかすると、集団的自衛権に対する世間の関心が高まっていた時期に発生した佐世保女子高生殺人事件の犯人も似たような背景で共鳴した者であったかもしれない。
己の弱肉強食心理から発する脅威感(恐怖)と闘争心が世相の動きに共鳴し増幅。病んだ心はそれにどう反応するか。増幅された脅威感(恐怖)と闘争心の投影対象(スクリーン役)が特定の人になれば最悪その人に対して自衛の殺意を持つだろうか。もし特定の人に脅威感(恐怖)と闘争心の投影が固定せず、周囲の人間へ手あたり次第に投影してしまえば彼らを手当たり次第に殺してしまうことだって起こりうるだろうか。
弱肉強食心理は前記事に書いた「ペプシ桃太郎」に出てくる「カラス」の心理だ。人間なら誰でもこれを持っていることを忘れてはいけない。キジはこれまで直接向き合うことは避けてきた自分自身の心の象徴でもある「カラス」と勇気をもって直接向き合った。そしてカラスの心理を知ってもなおカラスを(=醜いと考え今まで目を背けてきた心理を抱えるそんな自分自身を)愛し、ゆえに救おうと考え、力に飢えるその心を癒すことで実際に救った。
◆「短所や醜さ」を持っていても愛し救えるか?
人ならだれでも持つ弱肉強食の心理。
「和を尊ぶ私(達)にはそんな罪深く醜いものは持っていません」という取り繕った態度こそが、実は一番危険なのかもしれない。自分が実は「罪深く醜いもの」を十分に持っていることを知ってしまえば、その事実を認めてしまえば、もはや自分を愛する事が出来ない(=救えない)という態度だからだ。それは、自分を愛するために自分の本当の姿を受け入れ認めることはしないということ。即ち、「偽りの自分を肯定していくために本当の自分自身を否定する(自己否定する)」ということだ。本当の自分を「罪深く醜い」と認識しているわけだ。
内側に存在するカラスを「恥」として糾弾し座敷牢に隔離・隠蔽すると、カラスはいつか「鬼」になる。
誰もが心のどこかに弱肉強食の心理とそこから生まれる闘争心を持っている。弱肉強食発想で社会が営まれている限り、どうしたってそこに対立や戦いが生まれ犠牲者が出る。時には「自分達が有利になるために誰を(どこを)犠牲にするか」という相談をしていたらケンカになってしまうケースだっていくらでもある(多分政治の世界でも)。
そんな弱肉強食心理を持っている事実やその心理に基づいた営みを人々がしているという事実からひたすら目を背け、弱肉強食心理に基づいた営みの一例(安保関連や軍事行動etc)だけを脅威とみなし非難・攻撃してみたところで腹いせにしかならない。そこには救いも解決もない。それだって「脅威を闘争で排除する」という弱肉強食の営みに過ぎない。
反安保派が冷静な発想のデモではなく、賛成派と共通する発想である「弱肉強食に基づく脅威感(恐怖)と闘争心」を原動力と動機に依存したデモをしているとしたらちょっと心配だ。60年安保の時みたいに暴力沙汰が起きてしまいかねない。
(利権のために国民や税金を犠牲にする手段を選びがちな)政府に反対する側までもが政府と同レベルに「目的のために誰かを犠牲にする方法」を考えてしまえば、先鋭化した過激派の温床になりやすい。60年安保ではそのせいで日本赤軍とか革マル派とかいった過激派が出てきてしまった。彼らを駆り立てた動機は社会体制が自分の人生や自我を抑圧してくるかのような脅威感(恐怖)と闘争心だ。彼らが他者を犠牲にする手段をためらわなかったのは、それが正当防衛の一種みたいな感覚だったからかもしれない。結局、敗戦から20年も経たないうちに彼らはかつての日本国と同じく「カラス」になったのだ。
ここ数年は戦後史の焼き直しみたいな運気が発生していると以前書いたが、そんなところまで焼き直さなくていい。
自分のために、自分が今まで目を背けて来た心理の存在を認めてそれをしっかり向き合い把握する事。そのような心理が心の中に存在することを自己否定の根拠にしない事。その心理が自分を苦しめるのだとしたら、己を救うためその心理の発生原因を背景ごと探ってみること。そんな作業自体が自分自身への愛情表現になっていく。
賛成派とか反対派とかを一度脇に置いて、皆で「誰か(何か)を犠牲にする手段しか思いつけない弱肉強食という意識の支配」からどうやって抜け出せばいいのか(ただし誰かを犠牲にしない方法で)、そしてそのためには人間同士がどのように協力し合えるか、といったことを仲良く考えてみるといいかもしれない。
社会の無意識下に弱肉強食心理が強く響いていなければ、同じ波長を抱えた国と共鳴して戦いになる運勢は生まれにくくなる。そういう意味において、戦争を予防するには、国内(国民)がどんな波長で社会を営むかもポイントの一つだ。国内が弱肉強食を強めると国際関係も弱肉強食の戦いに巻き込まれやすくなる。
国民主権国家の国政は、良くも悪くも主権者達の内面を反映させる鏡(ないしバロメーター)になることがある。主権者達が己の暗黒面を乗り越えた時(己の内なるカラスを癒した時)、国の運勢は(国内外含めた)社会を取り巻く弱肉強食心理がもたらす暗黒面を乗り越えるだろう。安保問題や政府側と反対派の軋轢、(軍事含めた)国際関係の運気にも良い効果が表れる。
国民一人一人の心が一人一人の運勢を作り、一人一人の運勢が集まって国の運勢を作るのだ。
そんな国民一人一人の「内なる暗黒面を乗り越えた心」と運勢が合わさってキジに力(strength)を与え、キジとカラスの物語を開運させるのだ。そうやってキジはカラスを救う技をやり遂げる。
キジはカラスに「力に飢えなくても(弱肉強食という『共食い』をしなくても)君は幸せに生きられる。もうそんなことしなくていいんだ。僕が君を(=自分自身を)助けるよ」と言い聞かせているようにも見えた。丁度タロットの「力(strength)」で貴婦人がライオンにそう言い聞かせるかのように。
一人一人のカラスが救われた時、この国のカラスも救われる。人々は弱肉強食(共食い)という手段なしに生きられる社会を作るだろう。
(ちなみに『世界の警察』として戦争をすることが多いアメリカは、日本よりはるかに国内が弱肉強食社会である。実力だけを命綱にアメリカンドリームを掴んだ一握りの勝者の陰には大きな格差と多くの貧困層と悪い治安と訴訟ビジネス大国。政策上の理由から格差問題を放置・利用し社会福祉・社会保障を整備してこなかったことや銃社会にしてきたこともその一因だろう。そもそもアメリカが依存し巨大化していった軍産複合体自体が他者の犠牲無くして繁栄できない。武器商人なわけだから。
そんなアメリカ社会を支配してきた弱肉強食発想がここにきて微かに変化の兆しを見せている。軍産複合体とは異なる派閥に属すオバマ大統領が社会福祉の整備に手を出し始めたからだ。しかしオバマはオバマで別の企みを持っている。経済的な戦争とも言えるようなことを・・・)
軍産複合体もまた「カラス」の一例である。大国と癒着し人々を犠牲にすることなしには(=共食いをしなければ)飢えをしのぐことが出来ずにいる武器商人の彼らを忌み嫌い排除するのではなく、異なる生き方に導き救うことが出来れば、世界の様子は大分変化するだろう。
魂の環境インフラ←これが発動すると何事であれ弱肉強食的な(誰かを犠牲にする)手段をとらずに済む。ゆえにカラスは癒える。
目覚めよ我らが解決能力 自分の足を食べるタコ 男性的世界と地母神の再会
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