飢えで建てた豊かさの塔
※以下に書いたことは全て個人の妄想です
サンゴ密漁:価格高騰 罰金払ってまた…中国船歯止めなし
サンゴ密漁船、大挙して領海内に戻る 小笠原諸島沿岸
日銀の追加緩和、狙いと効果は?(Q&A)
◆サンゴ密漁と日銀追加緩和に奇妙な偶然?
中国船がサンゴを密漁している東京都の小笠原付近は、奇しくもこのブログで「お金の不徳を正す運気を発する島」が去年突如出現した海底龍脈の海域である(過去記事参照)。
日本の首都東京。中でも将門の結界エリア内に位置する日銀が、先日大胆な追加緩和をした。この出来事はサンゴの密漁騒ぎと時期が一致している。
おせっかいな懸念だが、いきなり沢山の船がサンゴの密漁を始めて、せしめたサンゴが一斉に市場へ出まわったら高騰しているサンゴの市場価格はどうなるだろう? この懸念(危険性)は日銀の大胆策に対しても同じ。両者の時期がシンクロしたのもむべなるかな?
中国で赤いサンゴが好まれるのは、それが富や幸運の象徴とされているからだ。また、サンゴを身に着けると血行が良くなるとも信じられている。
占いの世界でも、血の流れが良くなると金運の流れも良くなると言われている。現代文明における血液(各細胞に栄養を送る機能)はまさにお金と言えるかもしれない。
また、夢占いなどを見ると、サンゴは恋愛的な情熱の象徴だという。日本の豊かさや豊かな生活水準に恋焦がれている中国人は多いかもしれない。少なくとも、一部の中国人が日本の豊かなサンゴに恋焦がれていることは確かである。豊かな国で採れたサンゴなら、金運UPの開運グッズとしてもハクが付くのだろうか?
◆飢えで建てた豊かさの塔
「お金が欲しくてしょうがない」・・・これはサンゴ密漁の動機であり、サンゴを好む動機だろう。そんな強い欲望の背後、欲望の土壌となる無意識下の背景にあるのは「飢えの恐怖」か。死に直結するこの本能的な強い恐怖によって生じた強い欲望がなりふり構わずお金を追い求め、時に「お金の不徳」を創りだす一因でもある(密漁も『お金の不徳』の一種だろう)。
そして、そんな強い欲望を作る「飢えの恐怖」こそ文明の原動力になって来た。私達の文明は、その豊かさは、飢えの恐怖に依存して成立している。戦後日本の豊かさだってそうだ。日銀の大胆策だって・・・
ただ、運気の世界で見ると、「飢えの恐怖」に基づいて行う物事は却って「飢え」を招いちゃうことがある。
飢えの恐怖というのは飢えが存在してないと成立しないので、飢えの恐怖にはどこかに飢え(貧困etc)の存在が不可欠だ。よって、飢えの恐怖を原動力にして(飢えが存在していることを基礎にして・『飢えがある』という思いを原動力にして)豊かさを構築していくと、その豊かさをもたらす運気の構成材料に「飢え」が入ってしまうため、実際に飢える運気を招きうる。豊かさの運気が増えた分だけ飢えの運気も増えてしまうわけだ。
飢えを基礎材料にして建築した「豊かさの塔」は、お金が増えて飢えがなくなったら(=飢えを基礎にしてた塔から基礎が消失したら)たちまち崩壊してしまう。飢え(飢えの恐怖)を原動力に作られた豊かさは、飢えがなくなると泡のように消えてしまうのだ。その一例がバブル経済や市場価格の崩壊といった現象だ。
それはサンゴ市場だけで済むのか、それとも以前から懸念されてるように中国全土に広がるバブル経済自体が崩壊するのか・・・ 日本だって今後の展開次第では他人事じゃなくなるかもしれない(最悪、塔の崩壊が世界経済を巻き込む)。
ひとたび「豊かさの塔」が崩壊すれば、再び新たな飢えと飢えの恐怖が生まれる。それを原動力にまた新たな塔を建て、崩壊させる。その繰り返し。繰り返せば繰り返すほど、飢えの恐怖とそれに裏打ちされた欲望は強まっていき、かくしてよく言われるようにバブル経済の周期が短くなっていく。神経症的な悪循環だ。
飢えに依存する文明が営む塔の新築・崩壊・再新築の循環。そんなわけで、未だ世界に貧困はなくならない。
余談:
それとは別視点で、サンゴ密漁騒ぎ(ついでに富田選手の窃盗騒ぎ)は多分小保方氏のSTAP細胞騒ぎや中国による尖閣パフォーマンス同様、「注意逸らし」という側面もあるかも(過去記事参照)。サンゴ密漁騒ぎと日中首脳会談が時期一致してるのも不気味だ。
尖閣パフォーマンスや小保方氏の騒ぎがあった頃は集団的自衛権と派遣法改正、今回も派遣法改正からの注意逸らしだろうか(派遣法改正案、一度厚労省の事務的な書類不備で廃案になったが復活した。今回も事務方の台本ミスで塩崎厚労相がトンチンカンな答弁をするハメになったというのは、何を意味するんだろう?)。
派遣法改正もまた、飢え(不景気)が引き起こした経営者と労働者、あるいは政府と主権者同士の共食いなのかもしれない(だが、労働者と主権者は、消費者=お客様でもあることをお忘れなく)。
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数字を、その「数」本来の意味を剥ぎ落として使用するのが金銭経済ですね。
教育の世界でも、成績や偏差値などのように、「数」が単なる数字として使用されていますが、金銭同様、そこに意識を奪われると(数字の高低にのみ価値観をおくと)神経症の症状を呈し始めます。
高得点を取る喜びと、学び知ることの喜びがすりかえられるのですね。
金銭経済も、全く同様だと思うのです。大切なものを失いながら金を欲していて、その金はいまや意味を削ぎ落とされた数字の羅列と化しています。
本来「数」というものは、ひとつひとつに独自の意味があり、その組み合わせで、さらにふくよかに意味を広げ、私たちにインスピレーションを与えてくれたりします。(占いの世界では当然のこととして受け入れられていると思うのですが)
ところが、自分自身を見失った状態のままだと、「数」の本質にふれたとしても、その意味(自分との関係性)が見えずに、神経症から一気に分裂症へと振り子がふれてしまう気がします。それは、占いや呪術、宗教への単なる「依存」という形で現れ始め、その内自他の境界があいまいな分裂症的症状へと足を踏み入れていくのかもしれません。
社会が、神経症に陥れば陥るほど、一方で分裂症的な症状も悪化していくという流れです。
ただバランスを取るというだけでは、根治は難しい気がします。
ここはやはり、自分の世界を取り戻す、自分の感覚を取り戻すという方向に光明はあるのでしょう。
「飢え」という恐怖は、本当の自分が今生きていないという、心の奥に潜む生命の欲求が、ねじれた形で現れているのかもしれません。
投稿: 如月 | 2014年11月 9日 (日) 11時03分
>如月さん
飢え(の恐怖)を原動力にした社会にとって利用価値が高いかどうかを便宜上の数値に表したものが偏差値や成績表、株価などの「スコア」ですが、自然界の産物である人間はそういった人工的なスコア数値を基準にしない生き方をするようにできてますから、あまりに自然からかけ離れた人工的な生き方(=不自然な生き方)をすると健康を損ない神経症になっても無理はないですね。
(社会にとって利用価値があるから命が誕生すると思ってる人はいないだろう思ってたんですが、かつてホームレスを面白半分に殺した少年たちが『社会にとって無価値な命だから殺してもいいと思った』と供述してた事例を見ると、それも怪しいですね)
それはいわば、自我や人生が(飢えの恐怖を原動力とした社会のニーズを表す)数値至上主義の価値観に侵略されてしまった状態。これは以前書いた「セカイ系の革命」で自我境界を失った独裁的革命家達の症状につながったりもします。
万人に分かるように数値化したものではなく、自分にしか味わえず自分にしか分からぬ喜びや可能性(自分の感覚)に基づいて生きることができるようになれば、自分のを取り戻し己の生命が望む生き方へと向かっていけるんじゃないかと思います。
投稿: AYA | 2014年11月 9日 (日) 11時39分
こんばんは、
サンゴの密漁、
盗難騒ぎ、
この世には、光と影、陰と陽、
必ずセットになっていますよね。
政府の目眩まし作戦かもしれないし、
悪いことが現れてくるということは、
良いことが隠れているのでしょうか?
今の日本は、少子高齢化、私の周りの20~30代の若い女性も男性も、なかなか結婚しないし、女性は出産のためにもって考えてもいない感じがします。
言い換えれば、今、自分が良ければそれで良い。
という風潮なんですかね?
正社員として、就労している男性が少ない為に、
女性も結婚も出産も関係ない。
仕事して、収入があれば、生活できれば良い。
男性も女性も、陰陽の関係なのに、
お互い、切り離している。
だから歪みが生じる。
自分の内面に気を配れば、何が必要なのか、わかると思うけど、
実際、身の周りには、足りないものしかない。
だから、盗みも正当化してしまう。
原始に帰らないと、本当に必要なものがわからないのでしょうか?
投稿: 義月 静堂 | 2014年11月 9日 (日) 21時13分
>義月 静堂さん
悪いことが現れてくるということは、良いことが隠れているのでしょうか?
「現れることができるようになっただけまし」だと思います。今までは隠れていたから自覚しアプローチする事さえできなかったのですから。
競争原理市場の経済・産業分野では「今さえ良ければ・自分さえ良ければ」という風潮がどんどん強まっていますね。
生存競争が厳しすぎてどんどん人間らしく生きる余裕が失われていっている気がします(水面下で飢えの恐怖が強まっているんでしょう)。
長い目で先々まで見ていく余裕もないし、そういう見方を許さず安易で衝動的な消費へと扇動するビジネス戦略ばかり。
人間のための豊かさがあるのじゃなくて、豊かさのために人間がある(豊かさを作るために人も市場も使い捨てる)。後はどうなろうが知ったこっちゃない、そんな印象を感じるケースもありますね。
原始に帰っても原始的な弱肉強食の視点にしか意識が向かなければ今と何も変わらないでしょうね。
「戦力のある者は誰でも平等に戦場に出て己の戦力でのし上がることが許される世界(ただし一部の勝者しか生き残れない・戦場で役立つ形の能力を持たない者は生まれつき敗者)」という発想ではなくて、
「戦場で役に立つ形の能力(戦力)であるかどうかに関係なく、全ての命がその中に秘めた個性と可能性を幸せに向けて発揮できること、それらの個性や可能性を活かして社会が営まれている」
という発想が理想的なんですかね。
豊かさの創製を戦い(競争原理)にばかり依存しないシステムが欲しいかも。
投稿: AYA | 2014年11月11日 (火) 18時50分