チベットに(内なる)自由を
※以下に書いたことは全て個人の妄想です。
中国、18歳チベット族僧侶が焼身自殺 懐柔策で月給支給も 「チベットには自由がない。亡命しても自由がない」焼身未遂の若者の言葉を聞いた=チベット蜂起記念日のダラムサラにて 焼身のチベット僧侶、死亡 20歳、ダライ・ラマ14世の名、何度も叫び ダライ・ラマ「仏教者として心が痛む」 チベット族僧侶らの焼身自殺続
来日中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は19日、東京都港区の増上寺で若手宗教者との対話集会に出席し、中国政府のチベット政策に抗議するチベット族僧侶らの焼身自殺が同国内で続発していることに「最も大切な命を他人のために投げ出し、世の中の不条理を問いかける行為だ。一人の仏教者として心が痛む」と述べた。チベット内部で、人々が焼身自殺に追い込まれるような状況にあることをあらためて訴えた発言とみられる。
◆セルフを外部に投影・同一視しない生き方を
焼身自殺の衝動にかられているチベット人に必要なことは、政治的な「独立」もさることながら、ダライ・ラマや祖国や信仰の姿に投影・同一視してしまった自分自身のセルフ(自我や顕在意識と無意識を合わせた精神世界全体とその中心的存在。時に自我や人知を超えた理想像になったり生きがいや自己実現の象徴になったりする)を自分自身の中に引き戻す(自分と統合する)、自分のセルフを投影対象と混同することなく区別し、いわば精神的な意味で「独立(自立)」することであるのかも。即ち「independence」。
こう考えると、 チベットでは精神的な自立をしていく発達期にある若者の焼身自殺も多いというのがなお痛ましい(青少年期や思春期の心はしばしば己の無意識に秘めた未来の可能性や自己実現を外部投影することがある)。
セルフ(生きがいや自己実現)を外部に投影・同一視してしまったために投影対象の有様に縛られてしまった場合、投影対象の状況が悪ければセルフの状況が悪くなった・失われたと誤認しやすくなる。すると無意識のうちに精神的な行き詰まり感や未来(可能性)に対する絶望感がふつふつと湧き起こるかもしれない。
チベットで発生する若者の焼身自殺は、セルフを外部に投影し、いわば人質にしてしまったことによる自分の精神的な「命の可能性」が抑圧された怒りと絶望感を自分自身にぶつけるという形で表現したSOSのようにも見える。
余談だが、自分の大事なセルフを外部に投影・同一視してしまう仕組みは時に「投影対象さえ無事に残れば自分自身は死んでしまっても構わない」という心理を誘発することもある。その様な心理を誘発させ悪用することで「死を恐れない狂信的で従順な兵隊」を作る組織もあるという。
セルフを外部に投影・同一視してしまう癖や生き方は、時に人生の自由を奪ってしまう。例え、何処に住んでいようとも・・・
◆大切なものは、目に見える世界よりも近くに 今の状態だと、無意識下に発生した「中国によってチベットの自由が奪われたせいで自分のセルフも奪われてしまった(=生きるよりどころを失ったからこの先生きてても一生自己実現は出来まい)」 という勘違いの絶望感に押しつぶされかねない状態で、心を支えるはずの信仰が心を絶望に追いやり、人生の意義や生きがいのあり方を奪ってしまう懸念。祖国も信仰もダライ・ラマも、自己実現のツールにはしてきたがあくまでツール(器)でしかない。 器は死すとも中身は死せず。
もしかすると、チベットが封建社会だった頃からの伝統的な外部投影型共同幻想の作り方が実情に合わなくなって来ているのか? あれは投影対象が無事であれば安心感を持てるやり方だが、いざそうじゃなくなった時が問題だ。生きがいの作り方を従来よりももっと自由の利く形に再創造出来るかどうかがカギ?
そろそろ外部投影型の信仰から内面重視の哲学型仏教に生き方のよりどころをシフトチェンジした方がいいのかもしれない。チベットは外部投影型の素朴な信仰のみならず、内面重視の仏教哲学も非常に詳しく保存し研鑽してきた国だ。内面重視の仏教哲学では、セルフを外部に投影させる発想を持たない。ゆえに、外部の状況には一切縛られず左右されない。
「セルフ」の概念を説いた心理学者ユングもまた、仏教哲学には大きな関心を寄せていた。セルフは古今東西の神や仏のイメージの元ネタにされたという。また、特に東洋人が見る夢の中にセルフが登場するときは神仏の姿で象徴的に現れることがあるといわれている。それこそまさに、セルフは外部の何処でもなく、自分自身の内部にこそ存在している証だ。
(そもそも、自分の内部に無いものは外部に投影できない)
セルフと縁深いという神仏のイメージ。仏教の世界でも「仏は一人一人の中にいる」という思想はある。神社にお参りすればご神体の鏡に自分が写る。人間は、かなり昔から「己の内なる深淵に潜む尊くて大切に感じるもの」を拝んできたみたいだ。一人一人に自前の神仏がいるらしい。八百万の神仏・・・
とまれ、外部の「目に見える何か」に生きがい(生きるよりどころ)や自己実現といった「目に見えない大切なモノ」を投影・同一視し過度に縛られるのは結構怖いことなのかも。目に見える世界は諸行無常。何が起きるか分からない。
◆「自己」の主権をとりもどす
セルフ、自己実現、生きがい・・・自分の魂ともいえるような大切な部分を外部投影して投影対象の様子に影響され縛られてしまう状態は、自己の命が本来持つべき独自性や主体性を自分以外の何かに明け渡してしまうのと同じこと。チベットの集合無意識は長い間そういう部分を抱えてきたのかもしれない(セルフを日本語訳すると「自己」になる)。
長年積み重ねられたその状態が、「外部(中国)に主権を明け渡す」という運勢を招いてしまったのか?
・・・仮にそうだとすれば、チベットの人々が外部に投影していた己の命の独自性と主体性を己自身のもとにとり戻す(自分自身と統合する)動きをするようになれば、チベットの集合無意識の変化がチベットの主権回復という運勢を作ってけるかもしれない(占い師的発想)。
かつてチベットを侵略した人民解放軍は「宗教はアヘンだ!」と言ってチベットの僧侶達を迫害したという。が、当時の中国共産党思想もまた、一種の新興宗教だったりする。教祖様は毛沢東だ。多分、当時僧侶達を迫害した人々(信者)もまた、己の大切なセルフを「中国共産党」に投影・同一視してしまっていたと思う。とすれば、僧侶達への迫害はある意味近親憎悪みたいなものだ。本人達の無意識からすると、「宗教はアヘンだ!」は自分自身に向かって(又は自分の属する宗教に向かって)言いたかったことかもしれない。
「大切な命を投げ出し不条理を問いかけている」byダライ・ラマ
・・・チベタンが「こんなこと間違ってる!!」と最も訴えたい(不条理を問いかけたい) 相手は国際社会でも中国政府でもなく、自ら作った不自由な精神的束縛にあえぐチベタン達自身に対してなのかもしれない。
(自ら作った精神的束縛によって)大事なセルフや自己実現を抑圧され、未来や可能性が行き詰まったことへの燃えるような怒り、身を焼かれるような苦しさ。死にたくなるほどの絶望感。そんな集合無意識規模の悲鳴(訴え)が歪んだ形で象徴的に表現し訴えた結果が焼身自殺になったのか?
だとすれば、自分自身をそこまで虐げ苦しめてしまっているのは、自分自身だ。
まさか、それで自分自身にも怒りが向いて、自分の体を傷つけるようなことを?
自分を苦しみと絶望に追いやったのはチベットから自由を奪った中国だけじゃなくて、自分自身の不自由な発想もその共犯者だったと?
・・・まあ、勝手な妄想でしかないんだけど。
王力雄:焼身するべきか否かの間から考える……あるチベット人との対話 共同幻想から自己をとりもどせ? 就活自殺の増加に思うこと←自分の人生や命の価値を外部からの評価に投影・同一視して縛られてるケース
「必要とされる」必要が無い←自分の自尊心を他者からの愛情に投影・同一視して縛られてるケース
デクレア・インデペンデンス
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