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2013年7月26日 (金)

母性を見失った記憶の神話?

※以下の文章は全て個人の妄想です。特定の民族や宗教を侮辱・誹謗・中傷する意図はありません。

授業中、気失う子続々…ギリシャ、緊縮財政で

21世紀のユーロ圏で子供達がひもじい思いするなんてユーロ発足時に予想出来た専門家はいただろうか?
ポルトガルやギリシャといったPIGS諸国は伝統的に地母信仰盛んな精神世界を持っていた国々だが、キリスト教にその精神世界を侵略、抑圧されてしまった。今でもなお、古代には地母信仰が盛んな精神世界だった国ほど封印されたダメージが大きいようだ。
地母信仰盛んだった国はマリア信仰が盛んでマリアに地母神が投影されがちだが、これだと地母神の子供(=自分達)が死ぬことになってしまう。そもそも、地母神を処女にしてしまったら「何も生み出せない」。土に種が無ければ、実ることは無い。 豊かになれない。

かつて「地母神」とされていたものは現代風に言えば「その命が無意識の底から本能的に望む生き方をするための相応しい運(魂の環境インフラ)」をもたらすもの。
しかしそれらは意識されることなく封印されて久しい。

◆砂漠化の試練?
キリスト教はユダヤ人の精神世界から生まれた物語なので、ユダヤ人の精神世界に注目して妄想してみた。
ユダヤ人の精神世界の起源となる「失楽園」の話(アダムとイブが神に禁じられていた知恵の実を食べたことにより、大地は呪われ、額に汗して働かなければ食料を手に出来ないほど地の実りが減少することを神に言い渡され楽園から追放される話)は、ユダヤ人の祖先が土地の砂漠化に伴いライフスタイルの変更(裸で地の実りを得る生活から服を着て遊牧したり農業したり)を余儀なくされた時代の犠牲とトラウマめいた集合無意識の記憶から発生した神話? あの時、ユダヤ人は地母神を感じ取れなくなってしまった?

中東含むサハラ砂漠周辺地域はかつて湿潤な緑の大地だった(約8~5千年前まで)。 その頃のユダヤ人の祖先はアダムとイヴ同様、さして服を着る必要のないライフスタイルだった気がする。
しかし遊牧民は住む土地の風土上もライフスタイルの上でも葉っぱ一枚ってわけにはいかない。ユダヤ人が昔からすんなり遊牧民してたら彼らの先祖アダムとイヴの身なりは不自然。

なす術もない砂漠化は、それまで葉っぱ一枚で果物を食べるような生活をしてきた当時の人々にとって、世界の終末が訪れたかのような絶望感をもたらしたかもしれない。気候の変動に合わせて試行錯誤しライフスタイルを変えていく過程は、犠牲と苦難の連続だっただろう。
今まで食べてきた大地の恵みが失われていく様は、地母神が消えたか去ったかのように見えたかもしれない。
「地母神はもういない」・・・人々がそう思うようになった時、彼らの精神世界で地母神は封印(抑圧)された。
そしてあちこちをさ迷い歩き、何世代も経ってエジプトに移住した時にはファラオから奴隷にされてしまった。そしてエジプトの影響を受けた父権的な一神教「ユダヤ教」が生まれる。

◆心の伝染病?
砂漠化による苦難の時代、沢山の者が何らかの意味で「生け贄」になったのか、地母神を抑圧され心理的な病因を抱えたユダヤ人の精神世界は奴隷化をきっかけにまずユダヤ教を生み出し、その後紆余曲折の末キリスト教(救世主)という新たな神話を作り出した後に肥大しはじめ、各地の精神世界を侵略・抑圧し地母神を封印し始める。
それは、彼らの病んだ精神世界が伝染病のように広がったことを意味する(そもそも病むほど困ってなければ救世主なんか求めない)。

ヨーロッパでペストが流行した時期は、かの地に本格的な精神世界の伝染病が 広がりだした時期と一致する。
この場合、病んだ精神世界の持ち主が悪者だとか言うことではなく、誰もこの病を予防したり治療したり出来なかったことが問題なのだろう。ましてや『ユダヤ人が悪い』とかいう発想はナチスになってしまう。必要なのは迫害ではなく、癒しだ。
多くの精神世界がその伝染病に感染し、かつ治せなかったのは、その世界にも伝染病と呼応・共鳴するような問題を抱えていた可能性がある。いわば「類は友を呼ぶ」だ。
それは、精神世界を侵略された他の地域に住まう人々もまた、砂漠化に直面した彼らと同じ条件下に遭遇すれば、恐らく彼らとほぼ同じような病に陥り同じような経過を辿ったであろうことを意味する。
(欧州の抑圧された精神世界については『侵略者と被侵略者』を参照)
中世の時代、ヨーロッパの人々が本当に「奪還」したかったのは聖地エルサレムではなく、伝染病に侵略され抑圧された自分達の聖なる精神世界だったのかもしれない。本当に取り戻したいものを自覚できぬまま、取り戻そうとする情熱だけが歪んだ形で自分達の精神世界と本当は無関係な中東の聖地へと投影・同一視され、混同されてしまった。それが十字軍だったのかもしれない。

◆「母殺し」の意味
ヨーロッパでペスト流行を引き金に流行した魔女狩りは「忌まわしき地母神(=魔女)」を殺す象徴だろうか?
砂漠化した時期にユダヤ人の無意識は地母神に見捨てられたれた気分になったか、あるいは砂漠化で母権的ライフスタイルから父権的ライフスタイルに変更するには、 かつて果物をくれた地母神(母性)への依存と未練を「忌まわしいもの」として断ち切る必要があったのだろう。自立期の青少年がよく夢に見る「母親(又は母親役の人)を殺す」というストーリーが象徴しているものは、「母性(を投影した相手)への依存心と執着心を殺すこと」だ。
投影対象に依存し執着している限り、投影対象の様子に人生を支配・束縛されてしまう。だから投影対象から投影していたものを引っぺがしてもともとあった場所(自分の中)に戻すのだ。すると投影対象に依存し執着する必要がなくなる。外部に投影していた「大事なもの(命を支援する力=母性)」は、手元にあるからだ。そして自分の中で自分のために稼働する。子孫のために稼働する。

それは母性の「否定」ではなく、外部(他者)に投影していた母性を自分の中に「統合」することである。母性が自分の中に統合されれば自分の中に母性(命を慈しみ支援する力・命を肯定する働き)を内蔵し自由に使うことが出来るので、他者に母親役を求めたり母性の投影対象にする必要がなくなるため、他者に母性を求め依存する本能(心の中のプログラム)を解除することができる。 すると今まで投影対象に抱いていた依存心と執着心は死ぬ。
(母性を投影・同一視した相手が実際は母性的な機能を持ってない場合はなおのことプログラム解除が重要な意味を持つ)

このプログラム解除を象徴的に表現したものが「母殺し」となる。母親(又は母親代わりの人)は母性の投影スクリーンだ。母性を投影・同一視したそのスクリーンを破く(殺す)ことは、投影対象への依存心と執着心がなくなった(死んだ)ことを象徴し、プログラム解除を意味する。
しかしユダヤ人の無意識の中ではそこが単なる母性否定と勘違い・混同されてしまったため、投影をやめて統合し内蔵されるべき母性の存在が否定・抹殺されることで投影することも統合(内蔵)することもできなくなり、自分の中に内蔵・統合されるべきものを殺して(抑圧して)しまってる印象。それは母性の統合どころか、母性の切り捨てだ。母性(その投影相手)への依存と執着を「母性は自分の中にこそあるのだ(統合)」という発想で断ち切るのではなく、「そんなものは最初から存在しなかったんだ。忘れよう。幻想は捨ててしまおう」という発想で抹殺。
(時々、自立期の青少年が母親を物理的に殺してしまう事件が発生するが、アレは象徴的な母殺しと物理的な母殺しが混同されている印象。母性の統合と母性の切り捨てが混同されてないか要注意)

◆母性の蘇りと統合
地母神は、時代や事情や人に合わせて支援の形を幅広く千差万別させる。支援の「形」に囚われず適宜自由に発動できる力を持っているのだ。地母神を、始めの方で書いたような現代風にイメージ出来れば、「父なる神の子供達」は砂漠化時代(?)に自ら封印した内なる母性に再会・統合出来やすくなるだろうか?

彼らは気づいてなかったのだろうか。砂漠化した後も地母神は彼らの家畜に大地の恵み(草)を与えることで彼らを育んでいたことを。草を食べて栄養を蓄えた家畜の乳は地母神の乳であることを。
大地が砂漠化した時も、地母神は決して彼らをネグレクトしてなかった。父権的ライフスタイルの世界においてもなお、事情の変化に合わせた形で地母神は支援をしていたのだ。
しかし、狭い視野に陥りがちな人間という生き物は事情の変化に合わせて支援の形が変更され従来のような方法で地の恵みを直接受け取れなくなった時、「支援を失った=母性が去った」と勘違いして大地に母性を投影することも投影をやめて自分の中に統合(内蔵)することも出来なくなったのかもしれない。母性の「形」に囚われた挙句母性が去ったと思い込んだことで生じたショックと絶望は大きかっただろう。 恨みさえあったかもしれない。
(その絶望は、後に終末思想と救世主願望を生み出す原因となった?)
母性が去ったと思い込んだ(自己暗示にかけた)ことで、自分に統合されるはずだった母性を殺して(抑圧して)しまったのか。

今の経済システムをはじめとする西洋起源の現代文明は、文明設計者達の精神世界が既に伝染病に感染したまま(地母神が封印されたまま)作られた文明なので、病気の症状が文明上に再現されやすいのかもしれない。この文明は「生み出して繁栄する」という女性的(母性的)な豊かさではなく、「奪い取って(勝ち取って)繁栄する」という男性的(父権的)な豊かさを追求し続けるようになってしまった。今もなお、それに適した人材の育成に余念がない。
私達現代人が伝染病に感染した文明の中で発育するにつれて己の精神世界にダウンロードしてしまった伝染病の症状(地母神を封印する癖)から回復し、地母神の統合を果たす日が一日も早く来ること願ってやまない。

【余談】
先日生まれたロイヤルベビーの名前「ジョージ」は聖ゲオルギウスが語源。ゲオルギウスはギリシャ語で「大地(GEO)」と「働く(ERG)」合わせた言葉で、農夫を意味する。
ドラゴン(地母神や母性の象徴)を退治した武勇伝で有名な聖ゲオルギウスだが、実は地母神と縁深い職業の名前なのは皮肉だ。ゲオルギウスが「退治」したのは母性(を投影した相手)への依存心と執着心か、それとも己に統合すべき母性そのものを退治してしまったのか?
また、ミドルネームの「アレクサンダー」はギリシャ神話の女神ヘラの称号 「男性(戦士)の庇護者」が起源。男性的な豊かさの追求(奪って繁栄する道)を庇護する存在になったヘラだが、もとはアカイア人の地母神であったという。奪い続けても枯渇しないのは、どこかから生み出されているからかもしれない。奪い合いの糧になると知ってもなお、男性的世界(社会)と離婚した(社会から封印・抑圧された)地母神は、今日もどこかで人知れず生み出し続けてくれている。
地母神が封印された前提で作られた文明発祥地でTPP交渉中に地母神と縁深い名前をした蟹座(守護星が月なので星座自体も母性を象徴することがある)のロイヤルベビー誕生とは…

地母神(母性)を封印せず、外部に投影して縛られもせず、抑圧された己の個性として統合する。
…現代文明に住む我々とロイヤルベビー「ジョージ王子」が持つテーマかもしれない。

自分を慈しみ成長・発達させる力(時にそのための運気を作る力)は自分のセルフが持つ力(ないし個性)の一つ。一人一人の中にはその人だけのカスタマイズ地母神(母性=生命支援機能)がいる。

妄想おわり。


※アムネジア:記憶喪失

男性的世界と地母神の再会
魂の環境インフラ←個人レベルのカスタマイズ地母神について

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