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2013年2月 2日 (土)

中二病の有効活用

こじらせ独女に中二病が蔓延?! この記事、中二病とはちょっと違うモノまでひっくるめて分類してしまっているのが気になるところだが、10代を過ぎて大人になっても中二病を持っている人がいることには同意する。抜粋した箇所はまあ中二病と分類してもいいかな、と思えるところ。

● 中二病症例その1
コーヒーはブラック。赤川次郎あたりを読んで自分は読書家だと思い込む。
(独女Sさんの証言/30歳)→「友人は本当はカフェオレが好きなのに、渋い喫茶店で深煎り珈琲を飲みながら太宰治の文庫をブックカバーなしで読んでいました」

● 中二病症例その4
身体の中の悪魔が命じるとか、自分の前世は天使だとか言う。
(独女Yさんの証言/38歳)→「前世が天使ではありませんが、占い師から天使がついていると言われ、浮かれて友人たちに豪語したことがあります。すみません!!」

● 中二病症例その10
あたしは他の女子とは違うとか思っちゃう。
(独女Mさんの証言/36歳)→「思わないとやってられません!」

 

◆中二病に秘められたもの
中二病といえば、「邪気眼」「静まれ俺の右手」「それが世界の選択か(ニヤリ」…などの「恥ずかしい空想(所により演技つき)」に象徴される特殊な事情や特殊な能力(=独自個性)への憧れ。
これは即ち、「他人には無い自分だけのもの(個体の独自性・多様性)」を獲得したり自覚したり活かしたり育んでいきたい願望の象徴的な表面化だったりするのかも。ガガの「ボーンディスウェイ」大ヒットもその心理的欲求に共鳴した部分があるだろう。
そのような欲求を持つこと自体は年齢を問わず人間発達において大事なことだ。
そして、そのような欲求が心の奥底から沸き起こるということは、無意識がその欲求を叶える意志と能力を持っているということ。その欲求は、叶えることが出来るということ。
「己の個性を模索することは、己の生き方を模索すること。他でもない自分の人生を助け豊かに出来るような自分の命の個性に目覚める時期は誰もが通る道。
リンク先の記事が言うところの「何かとくすぶっている大人たち」は諸事情からその道を通るのに多少時間がかかっているのかもしれないが、恥ずべきことではなく単なる個人差と言える。大器晩成型な人にそういうケースが多く、そういう人は長生きする。実際に長生きの手相を持ってる人も多い(早死にしたら大器晩成できないからだろう)。

◆中二病の有効活用
年齢を問わず、もしも今自分が中二病だと思う人は、自分が好む「恥ずかしい空想」が自分のどんな願望を象徴してるのか、その謎を解いてみてほしい。それは世界であなたにしかできない素敵な心の冒険だ。その謎を解く能力、冒険をする能力はあなたしか持ちえない独自のもの。存分に空想して楽しみ、空想する楽しさの特徴を掴むことは、謎解きの役に立つだろう。
空想という象徴的な暗号で示された「本当の願い」は暗号の謎を解くにつれて叶える方法が見えてくるだろう。
あなたの空想とその味わい方は、あなたにしか出来ない独特の技なのだ。それはあなたにしか創れない人生の技でもある。

中二病に罹患した人はしばしば、「個性」というものを、「自分の中で最も優れた部分/他者を見下すことが出来る得意部分」と誤認してしまうケースがある。競争社会が生んだ発想の弊害だ。劣等感の裏返しでもあるし、自立した自尊心が未だ形成されてない証かもしれない(見下せる相手に自尊心を依存している)。「ある能力が並外れて優れている設定」の中二妄想にはそんな心理が見て取れる。
しかし個性とは本来、全員が「世界に一人しかいない独自性」を帯びているため、他人の個性と互換性のある共通項が無い。そのため他者と優劣を比較する(=互換性のある共通項が前提)という劣等感や優越感とは無縁のもの。そんな自分の「個性」を自覚すれば、自尊心を「他者との比較(による優越感)」に依存しなくて済むようになるものでもある。競争社会での優劣や比較など所詮は「社会(あるいはその人個人)にとってどの程度利用価値がありどの程度好都合な存在か」でしかない。「評価」は利用価値を示す度合いに過ぎない。
自尊心というものはその根拠を「他者による利用価値の評価」や「比較による優越感」よりも、「その人が世界に一人しかおらず、ゆえにその人がすること、考えること、感じることも世界でたった一つである」というある種の希少性に基づいて作った方が何かと人の顔色や評価を気にしなくていい分ストレスが少ないかもしれない。

一人一人の個性は「自分にとって意義深く豊かな味わいを作り出せるもの(趣味など)」に反映されたりもする。いわば、その人の持つ「他者からの評価に依存しない人生の楽しみ方」にはもれなくその人の個性があるともいえる。その人自身が感じる「喜び」という感覚は他者と互換性がなく、本人にしか作れないからだ。ラーメンの食べ歩きが好きな人ならその喜びに個性が宿るし、漫画・アニメが好きな人ならその喜びに個性が宿る。自分がラーメンや漫画を通して味わうあの喜びは自分の中にしかない。自分の喜びは自分にしか味わえない。他者が代わりに感じることのできない喜びを味わっているとき、そこに自分の個性が発揮・活用されていて、その喜びは個性の証だ。そのような喜びを味わう運勢(人生)が作れるのは自分という個性の証だ。
・・・なんて希少性の高い喜びだろう。世界広しといえど、自分自身にしか無い。
中二病にしばしば見られる『他人とは違う(マイナーだけど質の高い)趣味や教養を持つ自分』という空想の中は、そんな「他人にはわからない自分独自の喜びを作れる個性」が持っている可能性への憧れが象徴的に現れているのかもしれない。

お気づきだろうか。中二病特有の「恥ずかしい(しかし楽しい)空想」自体が、他者からの評価に依存せずに作った自分独自の人生の楽しみ方であることを。あの空想は、確かに自分の毎日を楽しくしてくれていることを。あの空想・あの喜びがある人生とない人生では大違いだということを。あの空想によるあの独特の喜び(世界でも自分にしか作れない喜び)を作れること自体が「自分」という個性の証だという事を。
そんな素敵な喜びを味わえる素敵な唯一無二の個性が、自分の中にはあるのだということを。
それだけで自分にとって自分は生きる価値のある存在にはなるまいか?


余談:
読者も御存じの通り、私には非科学的な怪しいオカルト妄想癖がある。「妄想」を通して私にしか味わえない独特の快楽を私に与えてくれる自分の感性(個性)が私は大好きだ。妄想が閃いた時のあの快楽は私しか知りえないものだ(閃いた妄想の中でも毒性の低いものしかブログには書いてない)。私はそんな自分の個性を心底愛している。他人には理解できないものだし、醜悪にさえ見えるかもしれないが、私個人にとっては世界一尊く思える(=好きな)ものの一つだ。

 


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