見ているものはアニマか人間か
※以下に書いた内容は全て個人の妄想です。
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◆アニマ/アニムスを人質にとられた人々
アイドルは「人間」であってはいけない。己の内なるアニマ(アニムス)の投影スクリーンとして、投影・同一視の道具として機能しなくてはならない。
(※アニマ:心に住む理想の女性像。しばしば本人の無意識下に抑圧された個性や可能性や欲求のシンボル)
(※アニムス:心に住む理想の男性像。以下同文)
例えば今回のケースのように、投影道具が「人間」ぽい行動や個人の人格から来る行動等で投影をぶち壊すようなこと(例:お泊り、丸刈り、合コン)をしてしまえば、己の内なるアニマとの対話がそこで中断されてしまう。たかが道具のくせにそんな裏切りは許されない。誰が人格を持てと言った? 誰が「人間」になれと言った? 誰が勝手な動きをして良いと言った? 誰があの人(内なる理想)とのつながりを邪魔しろと言った? 自分のアニマはあんなことしない。
(↑一方的な愛情欲求の押し付け型DVや一部ストーカーにもある心理。共通点は自我境界の異常)
そんな「道具」を提供する代わりに金を貢がせるのが伝統的なアイドルビジネス。ビジネスの作戦にはまった人々は己の心に住んでいたアニマを道具に投影(時に完全同一視)させられることで、道具とアニマを混同した挙句アニマを胸の中に感じることができなくなり、アニマがあっちの業界へ人質にとられてしまった。
それ以来、わざわざ金を払わなければアニマに会えなくなった。本来なら心の中にいるからいつでもどこでも会えるし感じ取れるはずのアニマ。それが道具に投影・同一視したばっかりに金を払ってグッズやCDやイベントに出かけなければアニマを感じられなくなってしまったのだ。 アニマを胸の中に抱くことが出来なくなってしまった。
(心の中には確かに存在する自分のアニマは物理的な存在ではない。ゆえにいつでもどこでも自由に会える。けれど、物理存在と自分のアニマを同一視させてしまえば、自由に会えなくなる)
「あなたに会えなくて寂しかったわ。今度のイベントには来てくれるんでしょ?」
心にそう囁きかけて何人もの男にカネを貢がせ狂わせるファム・ファタール(魔性の女)。それがアイドルビジネスである。
要するに、キャバ嬢やホストの手口がプロデューサーとメディアの力で高度に組織的に発達しただけだw
「お前のアニマはこの子だよ。この子に会いたければ出すモン出しな」
・・・「シェアできる恋人(=アイドル)」は、どんなに足掻こうが所有も独占もできない。もしアイドル(道具)に彼氏がいるなら、そいつとシェアするしかない。他のファンとシェアしてきたように。
アイドルによる「設定の裏切り」でアニマ投影をぶち壊されて恨む人は多いが、「裏切りによる投影のぶち壊しは契約違反だ! 今までつぎ込んできた金返せ!」と訴訟を起こす人はいない。自分の要求が法的・社会的正当性を持たないことを知っているからだ。
(そういえばアイドルの恋愛禁止って法的にはどういう扱いなんだろ?)
アニマは昔から心の中に住んでいるので、それに気付けば道具は要らなくなる。自分専用の「あの子」の存在に気付けば、アイドルを他人とシェアする必要もない。アニマは今この瞬間も、心の片隅で本人が自分の存在に気付く日を待っている(この手の話はアニムスの場合に置き換えても全く同じ。アニムスを人質に取られてしまった女性達は数え切れない)。
本人がアイドル(道具)につぎ込むカネと情熱(=自分への愛情)を見つめながら。「道具」に裏切られたことを「アニマに裏切られた」と勘違いして恨みに燃える姿を見つめながら、アニマはつぶやく。
「・・・私は前からずっとあなたの中にいるじゃない」
◆どうしてあの子が好きになったのか
好きになったアイドルのどの部分に自分のアニマ/アニムス(抑圧された個性や可能性を象徴表現した理想像)を投影しているかで、自分が無意識下でどんなことを 求めているのかがわかる。自分の理想を投影しているのは、そのアイドルのどの部分か。その子の一挙手一投足、言動の全てが自分の理想(アニマ/アニムス)を体現などしていないはず。ほんの一部分にすぎないはず。本人の特徴の中でアニマ・アニムスを連想させうる部分はほんの一部。全部じゃない。
もしもその子の有様が100%自分の理想を体現していたら、それはもはや他人ではなく、「本人(自分の脳内が物質化)」になってしまう。本当に脳内物質化現象が起きていたらそれこそ超常現象だ。
しかし、無意識下で気づかずに「その人の100%全てが自分のアニマ/アニムスを体現している」と勘違い・錯覚する(ほんの一部分を針小棒大に拡大解釈する)ことで他人とアニマの混同・同一視・すり替えが発生することがある。
そのアイドルがそのような有様に見えるのは、自分の中にそのような理想(アニマ/アニムス)があるから。その子は他のファンから見た場合と自分の目から見た場合とで全く同じ見え方はしていないはず。
自分が見た「あの子・あのひと」は、そんなアニマやアニムスを持つ自分の認識の中にしか存在しない。自分が「あの子・あのひと」を見て夢心地になれるのは、自分の方に原因があるからで、相手が原因ではない。彼や彼女が素晴らしいというよりは、彼や彼女を見た自分の脳や心の反応が素晴らしいのだ。
アイドルビジネスは、視聴者にそんな脳や心の反応を誘発し引き出すための刺激を与えて儲けている。アイドルはそのための道具だ(二次元キャラや小説のキャラでも可能)。
「あの子・あのひと」は、そのような姿のアニマ・アニムスを持っている自分自身の中にしか存在しない。
そして、最初からこの世のどこにも存在しないが、自分自身の中に確かにあって、世界で唯一自分しか体験できない(出会えない)存在でもある。あの子・あのひとは誰よりも自分に近いところに存在している。自分にしか味わえないあの子・あのひとは、最初から自分の中にしかない。
ゆえに、自分しかその存在を統合できない。自分しかその存在を娶れないのだ。他に誰が娶れるというのか?
自分にとってあの子・あのひとが象徴しているものは何か。即ち、あの子・あのひとの真の正体は何かを自覚した時、その存在を統合できる。統合が完了すれば、間違いなくそれ以前とは人生が変わっているはずだ。統合後の新しい視点に基づく思考や行動が出来るからだ。
人間は「人生の大仕事」とさえ言えるアニマ・アニムスの自覚と統合を促すためのパートナーとして、アイドルやコンテンツや生身の人間と出会う事がある。そんな人生が変わるほど大切なことの協力者になってくれる相手は、その正体がアイドルだろうがコンテンツだろうが空想上のオリジナルキャラだろうが独立した人格を持つ生身の人間であろうが、「大切なパートナー」として感謝すればいい。
◆無意識に内側を向く心
ここに書くことも、私の個人的な邪推と妄想に過ぎない。以下に書いたことは全ての人に当てはまるものではない。
アニマを投影するための偶像(=道具)を求めてさまよう彼らは、注意が心の内側を向いていることに無自覚だ。
アニマを求めアニマに興味を注いでいる以上、外界に存在する「人間(アニマとは異なる独自の人格)」になんて興味がない。人と交流するのではなく、アニマと交流したいのだから、偶像自身の人格なんて邪魔なだけ。道具にならない「独自の人格を持った人間」なんて本当は必要ない。だからもてないし、もてる必要もない。 注意が無意識に心の内側を向いた状態でいると、外界と内界を混同しやすくなる。本人は外界の物事を見ているつもりでも、そこに内なる心の世界(内界)のものを連想・投影・同一視の末に混同していることがある。
当然ながら外界は個人が内なる世界でイメージした通りの動きなどしないのだが、外界を内界と混同した状態の人が自分でイメージした通りの動きをしなかった外界(=現実)に直面した場合、自分の内なる世界が自分の心に反して勝手な動きをしだした、心の世界を勝手に損なわれたと認識し、パニックや怒り(恨み)を抱くことがある。最近はそういう事例が増えている。AKBのコアなファンがスキャンダルに衝撃を受けたり怒り狂う構図はその一例だ。逆恨みしたファンがアイドルに襲いかかる事件も多い。ストーカー犯罪でも中にはそういうケースがあるかもしれない。
何故そんな状態になりうるのか?
もしかすると、外界で喜びを味わう体験を十分に積み重ねていないせいで外界に対する興味が乏しく、普段から外界への関心が低くて外界へ意識が向きにくいのかもしれない。外界を「魅力に乏しい世界」とか「苦痛に満ちた世界」のように認識していれば、それもありうる。 その認識のせいで外界というものへの好奇心が持ちにくいかもしれないが、「外界=苦痛に満ちている/魅力に乏しい」という認識は、様々な物事や事例が無数にある広大な外界のほんの一例(たまたまそれが苦痛で不愉快な事例だった)を経験し、それだけを根拠(口実)に強引に作り上げた視野の狭い認識(思い込み)かもしれない。
もし何らかの理由で外界への関心が低いなら、反動で内なる世界(イメージの世界)に魅力や喜びを求め見出しやすくなりそう。いわば精神的な引きこもりだ。ある種の解離かもしれない。
外界での充実体験は、外界に意識が集中することで自然にコミュニケーション能力や自我境界を発達させるが、そういう体験が乏しければ・・・
(内界と外界の混同は自分と自分でないものの境界、即ち自我境界が曖昧な状態にあるってことでもある。自分と他人を混同・同一視してるようなものだ。その状態だと、『第3者』が存在してない)
◆外界(リアル)で自分独自の充実感を得るには
「リア充」という言葉が生まれた頃から、学園生活やとりとめのない日常を描く作品(ありふれたシーンの描写が効いている)や架空のキャラとバーチャルな交流をする商品がヒットするようになったのは、ああいう作品が「外界での意義深い体験(例えば友達との意義深い交流や部活や恋等)とそれを糧にした成長」を疑似体験させてくれるからかもしれない。
「外界で意義深い体験をして、それを糧に成長すること」・・・そんな無意識の望み(憧れ)を作品に投影する人々が増えているのかもしれない。
(バーチャルな恋愛ゲームソフトや涼宮ハルヒシリーズにも作品中にその手のテーマがあるかも)
代用品による疑似体験ではなく、本物の「外界での充実体験」が彼らの人生に訪れることを祈る。
「外界での充実体験」・・・恐らくこれは、命の本能にして誕生の動機にもなりうるようなものじゃなかろうか?
外界での充実体験をする手段は何も恋愛に限ったことではない。投影や先入観、個人の内面的な期待や不安、自分個人のイメージにこだわったり押し付けたりすること等を抜きにして、そういったことは何も考えずただニュートラルに意識(注意力)を外界に向けて行う活動全般が手段だと言える。人によっては見知らぬ土地への旅行が外界での充実体験の手段になっていた、というケースもある。予想外の(時に不本意な)配置転換がそういう体験のきっかけになった人もいるだろう。想像のつかない国の食べ物を食べたことがきっかけになった人もいた。
運勢がどんなふうにそのきっかけをくれるかは、人により千差万別なのだ。その運勢は、フタを開けるまで何が出てくるか分からない、ステキなサプライズのびっくり箱だ。
「自分の脳内では予想も想像もつかなかった有意義な体験」・・・それが外界での充実体験が持つ特徴かもしれない。
そして外界への充実体験が「命の本能にして誕生の動機にもなりうるようなもの」であったとすれば、一人一人の命の中には必ずソレを実現させるための運勢が秘められている。それを発動させるか、させないかだ。
少なくとも、「外界は苦痛に満ちている/魅力に乏しい」と頑なに思い込んで外界そのものを避けている場合、例の運勢は発動しにくいかもしれない。
外界での充実体験を望んでいる人は、時が来ればそのような体験をする運勢が作られると思う。その体験は、バーチャルな世界での遊びや「自分のイメージ通り」を追い求める遊びとは異なる未曾有の刺激を得られるだろう。全く別個の味わいだ。その喜びや充実感は、世界でたった一人、自分自身にしか作れない尊い宝物。成長の糧。自分が世界で唯一無二の存在である証。
次回、峯岸みなみの騒動を当てたとされる栗原類のタロット占いを動画で見た上で妄想してみる。
本気で架空のキャラを愛する人々←アイドルもまた人の演ずる架空のキャラだろう。
峯岸みなみを占う栗原類のカードに出ていたもう一つの暗示?
余談:多くのファンによる応援で人気投票上位という「偉業」を実現するアイドルは時に、自己実現や自己肯定の代償行為願望を象徴するアニマになりうる。一部ファンの無意識下には「多くの人に愛され支えられて成長し大きな目標を実現する人生を送りたい」とか「周囲の期待に応えて評価される存在でいたい」という願望があるのかもしれない。もしそういう願望があるとすれば、その願望自体が自己肯定の代償行為になっている可能性もある。そして、その願望は「他者にとって存在価値や利用価値があるか否か」を基準にしてしか人間や自分を肯定できない証になっている可能性もある。
「高い評価」「派手な社会的成功」「派手な名声・名誉・ステイタス・人望」という手段なんかじゃなくても、ささやかな趣味の喜びなどを通して自分が生きていること(=存在していること)を自分自身が少しでも喜びに思えれば(価値を見いだせれば)それは自己肯定しているってことだ。自分がこの世に存在してないと趣味を楽しむことも出来ないので、自分にとって自分は「この世に存在していた方がいい者・存在していてくれるとうれしい者」になる。自分自身にとって価値のある存在になる。その命は、まず「自分自身にとって使う価値のある命」となる。
自分がそう思うことには誰の許可も承認も支持も要らない。そう思うことを誰も取り締まったりしない。
「他人にとって使う価値のある命」と、「自分にとって使う価値のある命」・・・どちらの命を生きることが魅力的な人生になるだろう?
【人間同士のリアル恋愛をテーマにしたお話】
人間を楽器に例えた恋の話
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