移転か分散か
※以下に書いたことは全て根拠の無い個人の妄想です。
東日本大震災から2年近くがすぎ、最近は、“三連動地震”や“首都圏直下型地震”といった名称もよく耳にするが、「そうはいっても、大きい地震はまだまだ先」と、内心では思っている人も多いのではなかろうか。しかし、立命館大学歴史都市防災研究センター教授の高橋学さんは、現在も非常に危険な状態が続いていると言う。
「何を根拠に安心しているのでしょうか。今は首都の移転も考えなくてはならないくらい非常に危険な状況なのです」
地球の表層は、プレートと呼ばれる硬い岩盤でできている。そのプレートはゆっくりとした速度で移動し、プレート同士で押し合いを続けている。日本列島の付近にはプレートの境界が4つある。こんな場所は世界で日本周辺だけだとか。
◆中央集権システムの限界?
日本はプレートが4つも押し合って出来た国(画像)である以上、どこに引っ越しても同じ。大昔に大陸(大地震少なめ)から来た中央集権型の行政システムである「都(みやこ)」という概念はこの国の自然環境にとって非効率的かもしれない。
ネットも発達した現在、引越しするよりはそれぞれいくつかの地域に首都機能を分散し連携させたほうがよほど低コストだし、渋滞も緩和されるだろう。
例えば、世間のネットとはつなげず首都機能を担当する各地(と、そのバックアップ地域)だけをつなぐ独立したネットワークを作り、首都機能を分散させる。
そして、ある担当地が地震に遭ってその担当機能が落ちたらその機能とデータをバックアップ地域に転送して再開させるシステムを構築するとよさそうだ(ただしセキュリティしっかりしないとね)。
それぞれが独自性を保ち活かしながら機能を連携・循環させていくことで発展していける仕組みが作れれば、それはスタンドプレーから生まれるチームワークであり、「和」だとおもう。そこには一極集中型、中央集権型のリーダー役すら必要ない。首都機能を分散させれば、自ずと「中央集権」という形態が無くなる。
昔の時代に首都機能を各地に移転させると、その土地が首都機能の一部を盾にして謀反を起こしかねない。だからすべての機能と権力を「首都(みやこ)」という一箇所に集中させ、そこを中心にして全土を治め支配する一極集中システムでやるしかないのだが、首都というたった一箇所が乱れたり腐敗するだけで、国全体が乱れやすい。また、都でトップに上り詰められればその権限は全土に広がる。人間そのような環境下で暮らしてると、「天下統一」という野望が刺激されやすい。それで時々、「俺でも天下取れるんじゃね?」と思う人が出てくる。
反乱の種がくすぶっている前提でデザインされた中央集権(都)というシステムは、それゆえに戦乱を招きやすかったかもしれない。反乱の種なしではアイデアが成立しなかったシステムだ。
でも今の日本ではどうだろう? 反乱を抑えるために作られた中央集権システムは、必要か? 現代は永田町がいくら腐敗しようが地方は謀反も反乱もしない。
◆日本史的な視点で妄想
日本で最初に「首都」と呼べるものを置いたのは古代大和朝廷である。龍脈(大地の気の流れ)を操る呪術と鉄武器の製造に優れた彼らは、その技術を総動員した天下統一に自信を持って取り組んでいた。各地の抵抗勢力は「まつろわぬ民」と呼ばれて抑えつけられ、丁度日本の北米プレートエリアに住んでた蝦夷などは手強さから後に「鬼」のモデルになっている。日本独自の風水呪術「陰陽道」で東北の方角を「鬼門」と呼ぶのはそこから来ている。
NHKで全4回の時代劇として発表された「アテルイ」は、そんな「まつろわぬ民」の一つ、蝦夷(鬼)の指導者アテルイが主人公になる。彼も強かったが貞観時代に坂上田村麻呂(東征の総司令官にして呪術にも詳しい)に敗れてしまった。貞観地震の67年前のことである(この地震と龍脈呪術の関連は不明)。
後にアテルイの首は一時期、茨城の鹿嶋神宮(創建は奈良時代)に奉納されていた。この神社が東征の呪術拠点だったことと関係ありそうだ(妄想)。
で、この神社、去年も書いたが「地震を抑えつける呪術」があった。しかし3.11で鳥居が根元からポッキリ折れて倒壊し、呪術は破綻したようである。
「もう地震抑えきれない!」古代人ならそう思っちゃうかもしれない。さすがに海溝型の地震は無理だろ。惑星規模で動いてるプレートは抑えきれない。
いくら龍脈をいじる技術があるとはいえ、大自然は人の手で制御しきれるモンじゃない。ヘタにいじって抑え続けると反動が怖い。古代はこの呪術にも安全神話があっただろうが、いまや原発の安全神話並みに胡散臭いものになった。
(なお、「呪術自体が胡散くせーよw」と思ったアナタは常識人です。そのままでいてください)
こと地震に関しては、「抑える」とか「逃げる」じゃなくて、「起きてもあまり困らないようにする」が正解じゃないかと思う。困る度合いと怖がる度合いは比例するから、少しでも怖くないようにすればいい。リスクを分散すれば不安は少し減る。
◆まとめ
東征の歴史的・呪術的因縁が解消されつつある昨今。多分「アテルイ」は、「平清盛」(都の権力者が主人公)よりも視聴率が上がるかもしれない。封印されてしまった日本の個性の話には、日本の集合無意識が反応しそうなのだ。
たった一つの個性が他の様々な個性を抑えつけて中央集権化していった結果、大部分の個性を活かせずじまいなまま歴史を辿った日本。地震を機に、そろそろ古代から今まで続くやり方を見直してもいいかもしれない。
いじられ抑えつけられた各地の龍脈があるべき姿に戻りつつある今なら、その運気によって現代に適した形で各地の個性が封印から蘇ることも出来る気がする。
首都機能分散は、分散した各地(バックアップ地含む)の個性を今まで以上に引き立たせる効果があるだろう。地域が活性化する。首都機能分散と連携のシステムを、日本各地の個性(封印から蘇ったやつもそうじゃないのも)を用いた「和」(スタンドプレーから生まれるチームワーク)の実現に効果的な使い方が出来れば、日本に開運効果が期待できそうである(妄想)。
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>地震に関しては、「抑える」とか「逃げる」じゃなくて、「起きてもあまり困らないようにする」が正解
>困る度合いと怖がる度合いは比例する
寺田寅彦という科学者の方が書かれているんですけど、子供の時から人並み以上に臆病で、雷鳴と地震が特に怖かったらしいのですが、これらをできるだけ詳細に観察した結果、臆病の根を絶やすことができたと書いてありました。
>一つの個性が他の様々な個性を抑えつけて中央集権化していった結果、大部分の個性を活かせずじまいなまま歴史を辿った日本。
そうなんですよねー。個性って思った時、自己の個性を主張する時同時に、他者の個性を踏みつけにしてる人、多い気がして。私も結構変わってるのですけど、否定する人は否定するなりの別の個性を持ってる人が多いかと。個性をそんなに感じない人は、だいたい似たような自慢話が多いような。(独断)
何かを探究しようと思っても、対立するもののどちらかに屈してると、100%の正義が100%の悪を告発するという単純な図式、安易な犯人探しばかりで、速攻で裁こうとする気がします。その場合自分は絶対正義な訳で。相手にも正義の味方か、そうでないか、どちらかの選択を迫る感じ。(冤罪事件とか、いじめの構図にも似てる)
そうなったら、寺田寅彦さんのような好奇心とかそう言った客観的な視点での探究にはならない訳で、その人の正義に背く事は言えないようになる。そうやって根本解決と違った方法を取った恐怖が新たな暴力と攻撃性を生みだすのかも。しかも、それで自分もやがては困る事になる。
この間、フジコヘミングとラトビア交響楽団の演奏会に行ってきたんですけど、個性を磨いた楽器の奏者がそれぞれ、個性の見せ場がありながらも、ハーモニーとなって(他の個性をつぶさず)やがて全ての楽器があます事無く演奏されてもバラバラにならず、全体としての、AYAさんのいう和のような状態になった時、不思議と返ってそれぞれの個の力が際立ったんですよね。
で、そこには指揮者も必要かな、とは個人的に思ったのです。指揮者は、演奏者と逆向きに立って、全ての個性を見て聞き分けながらも(重要)1つのハーモニーとしても扱わなければならない訳で、それができなければ指揮者とは認められない訳ですよね。この楽器はいらない、というのは指揮者ではないので。奏者と指揮者の互いを認め合うような信頼関係が大切ではないかと。(指揮者の部分は人体で言うと丹田のような気が)この指揮者は、ある意味中央だと思うのですが、この中央、中心って、本当はただ一点というより、アボリジニの人が描く点描画のアートのように、数えきれない程一杯あるんじゃないかと思うのです。
http://www.webcreatorbox.com/inspiration/aboriginal-art/
それで、個性は、カオスの動きそのもの、不可逆的で刹那的な創造そのものだと思うのですが(前にクローンの何がいけないのかって考えた時に、夢で、二度と作り出せない不可逆的なもの、霊ではなく魂を、時と場所を変えて再現できないからだといったようなのを見たんですよね)、それを消えないように刻む為のものが、無=0、内的自己、カオスの中に隠れている点だと思うんですよ。それは記憶装置で、個性はそこに刻まれて時に懐かしさを生みだし、無慈悲な破壊の抑止力となる。日本人は、西洋人のように、数を数える時指を1つ2つと立てずに、指折り数えますよね。だから、そこに嫌でも無=0が現れる。それを意識するような数え方をしている。この無が、個性と連携できれば。そう思います。
少し早いですけど、よいお年を(*^_^*)
投稿: サボテン | 2012年12月28日 (金) 14時20分
>サボテンさん
※更新前のコメントに不正確な説明をしてしまったのでコメント書き直しました。
「和」に指揮者が不要だと言った意味は、和の場合、ひとつひとつの楽器は「予め楽譜によって定められた通りの演奏」をしないからです。自分の奥底(セルフの次元)から湧き出すものを表現するのみ。めいめいが好き勝手に好きな演奏をして好きな形で自己表現するだけです。
まさにスタンドプレー。
楽器ひとつひとつはそんな自由でカオスな状態なのに、俯瞰するとその状態こそが(そんなカオスを生かすことこそが)素晴らしい作品を形成しています。
楽器を人におきかえればまるでJR九州新幹線のCMです。
http://www.youtube.com/watch?v=UNbJzCFgjnU
あたかもチームワークが発生しているかのようなカオス。そこには「全体を支配・統率し思い通りの動きをさせよう」という中央集権的な指揮者がいません。
それで「指揮者は必要ない」と表現しました。
>根本解決と違った方法
これに突き進むと怖いですね。狂信者みたいになる。
「100%善or100%悪」という発想は、とても一神教的ですね。一神教も中央集権的なんですけどね。他の宗教を侵略・抑圧しちゃいますから。
https://aya-uranai.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-824b.html
投稿: AYA | 2012年12月29日 (土) 20時53分