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2012年10月16日 (火)

古代から続く支配の手口?

※以下に書いた内容は根拠の無い個人の妄想です。実際の日本史を誹謗・中傷する意図はありません。

 

介入家庭、暴力と甘言で支配…尼崎ドラム缶事

兵庫県尼崎市のドラム缶遺体事件で、主犯格とされる無職角田(すみだ)美代子被告(64)(起訴)が暴力的言動と甘言を巧みに使い、周辺人物を精神的に支配していく実態が、これまでの公判証言で明らかになっている。
角田被告の周辺では次々と行方不明者が浮上。同市内の民家では3人の遺体が見つかり、これらの関係者には角田被告に服従する人物もいるとされる。県警は「マインドコントロール」の影響の有無を慎重に調べる。

 

この事件現場は、古代大和朝廷が国家開運のために作った星型の結界の中にある。現場の鬼門方向には大津イジメ事件(+大衆心理大暴走)が起きた大津市。
結界図

自我境界の脆弱さ(未発達さ)、隠蔽体質、泣き寝入り暗示、同調圧力・・・これらは大津イジメ事件(ならびに大衆心理暴走)と今回の事件の共通点か。自我境界が脆弱だと、簡単に洗脳されやすくもなる。
また、今回の事件に使われたマインドコントロールや支配の手口は、古代の時点から既に歴代の為政者達が使っていたのと同じものかもしれない。 為政者に有利な結界を作ることで、その手口を使った支配力(影響力)はより強固なものになっただろう。

為政者達が長年そのような方法をとっていった結果、日本人の自我境界の脆弱さ、泣き寝入り体質、NOと言えない心理、煽動されやすさや同調圧力の問題、問題解決能力の抑圧といった様々な弊害が蓄積していった。
けれどもそれらの蓄積は結界の力によって問題化せずに、日本の集合無意識の中で長いこと封印されていたような気がする。
日本人が抱えるそんな弊害、特に泣き寝入りや自我境界の脆弱さ、「NOと言えない」といった心理、実は暴力的な監禁事件でしばしば被害者に発生しうる心理と似ているのだ。監禁被害者は「逃げられない中で監禁加害者からどんなに虐待されてもその相手に頼らなければ生存できない」という立場になる。するとどうなるか?
立地的に独自性を保ちやすい古代の日本列島。その環境を悪用すれば、歴史規模、集合無意識規模の「壮大な監禁事件」を引き起こすのにうってつけ?

さて、上に書いた「弊害」。むしろ為政者達にとっては弊害どころか「都合の良いもの」だったろう。「問題」という形で表面化さえしなければ。 問題という形で表面化させない装置(結界)があれば。
しかし、震災の影響によって結界が機能低下した今は?
封印されてきた様々な弊害は、「問題」という形で社会に表面化し、解決することを迫っているような気がする。
今、長年抱えてきた様々な弊害の蓄積は結界の崩壊と共に「問題」という形で社会に表面化し、象徴的に現象化しつつある。
大津イジメ事件と大衆心理の暴走然り、尖閣・竹島といった日本国の自我境界に関わる騒動然り、オスプレイや原発の問題然り、尼崎の事件然り・・・他にも何か起きる可能性は0じゃない。弊害は他にもあるかもしれない。
弊害が表面化しているということは、「解決の時が近い」ということでもある。これはチャンスだ。

実は、尼崎の事件とそっくりな事件が北九州市で2002年に起きていた。
北九州(福岡)から近畿の結界へ。似たような問題が現場を移動して現象化。
この二つの地域、古代では邪馬台国と大和朝廷の支配地域だった。個人的に、この二つの国は時代が違うだけで同じ国(同祖)だと思ってる。(ちなみに邪馬台国の「台」は「たい」だけでなく、「と」とも読む)

場合によっては、上に書いた「支配」と「弊害」の起源、大和朝廷どころか邪馬台国の時代にまでさかのぼる可能性も・・・ ?
もしもその頃からの「弊害」が尼崎の事件でも象徴的に現象化したのであれば、角田被告が卑弥呼(アマテラスのモデル?)で、その片腕であった弟の角田正則が卑弥呼の弟(スサノオのモデル?)を象徴してるんじゃないか? 
・・・などと嫌な妄想をした自分がいる。

2012.11.2追記 前記事より一部抜粋。

実は日本という国、自我境界の発達スピードは遅め。脆弱な自我境界しか持たない自我を何とか安定させ守るために、「引きこもり」と「独裁者(侵略者)」の間を行き来したことも。今もその間を漂っている。個人の中に「引きこもり」と「独裁者」が同居している。パブリックを忘れ、自分(プライベート)しか存在しない世界に引きこもり、外界を自分の延長にしてしまうことで、自我境界は崩れていく。
逆に、自我境界と自他分類を確立していけば、「独裁者化」を防ぐので自分と他人の双方を尊重することができる。

・・・お気づきだろうか? 尼崎事件もまた、「独裁者(侵略者)」と「引きこもり(監禁)」が合わさっている犯罪であることを。
角田被告は独裁者。自我境界を失い支配されていく人々と同様に、「自分でない者」を自分の一部 として支配することでエゴと人生の充足を依存していた「独裁者(侵略者)」もまた、自我境界を失っている。
独裁者は自我(エゴ)を他人に依存しているだけで、自立してなどいない。 「己に従う者=支配に泣き寝入りする者」という共犯者が居るからこそ、自分の権力が維持できているに過ぎない。だから一人では何も出来ない。
独裁者に強大な力を与えているのは、それに従っている者達自身なのだ。
(この事件が不気味なもう一つの点は、事件の性質同様に権力主義的な波長の強い一部警察やマスコミが共鳴したかのように事件の捜査・報道で致命的なミスを犯すこと。歪んだ権力の運気が崩壊する傾向は、震災以降顕著だ)


2022年7月追記
この記事書いた当時はあんなことが起きるなんて、全く予想しなかった。結界の中心部で起きた安倍元首相銃撃事件をきっかけに、とうとうこの国に巣食う根深いカルト問題にメスが入りだした。この国に古代から存在していた「弊害」の表面化は、どんどん加速しているように見える。結界は表面化の加速を抑えつけることができない・・・ 

自我境界が脆弱な国民性2 邪馬台国と大和国? いじめっ子を憎む心の落とし穴?

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