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2012年5月 7日 (月)

年齢と自信

若さを失ってもモテる秘訣

歳を重ねることは、経験を積むこと。それはとても素敵なことなのに、その人の魅力がそれと反比例して失っていくという考えは、上っ面しか見えていない証拠なので、なんとも残念です。そういった風潮があるため、30代以上になると自信を失う女性が少なくありません。

以下、占い師の視点から書いた個人の意見。 決して「子供おばさん」を貶すつもりはありません。むしろエールを送りたいです。

◆年齢で自信を失うのは子供おばさん?
記事は女性側の年齢による自信喪失を上っ面しか見ない男性達のせいにしてる印象だけど、そんな風潮に同調し支配され自信を失う女性達自体が上っ面しか見えていない証拠でもある。自分自身の上っ面しか見えていないってことでもある。だから、上っ面主義をふりかざして年増な己の自信を傷つける男達への恨みの半分は、上っ面主義に迎合して自らを傷つけた己に対する恨みでもあると思う。
上っ面な男達は、己を傷つけるための道具であり、傷つけた罪を着せるための道具か?

男女問わず、己の上っ面しか見えてないってことは自分のことがまだあまり分ってないということでもあるので、経験不足という点では子供に近いといえる。年齢を重ねることと経験を重ねることはイコールではない。
ある程度歳を経た大人になると、目に見える経験、目に見えない経験を含め、「どんな経験を積んできたか」がその人の個性になる。 今までの生き方(経験)が個性を作り、個性が生き方を作るのかもしれない。

ただ、それが他人から見て魅力的に映るかどうかは、「その人にとって利用価値があるかどうか」という基準での判断でしかないので、絶対的なものじゃない。他者からの評価てのは所詮そんなもので、評価者の主観によってコロコロ変わる。昨日と今日で変わっちゃうこともある。 とても自己評価の代用に出来るシロモノじゃない。
そんなものに脅迫的にすがってしまう風潮が日本人にはあるかもしれない。
モテたい心理の裏側は、特定の異性と恋し交流するチャンスを求める発想ではなく、「周囲から評価されたい」という発想とつながってる「子供おばさん(子供おじさん)」も多いのだろうか?

◆評価されることへの強迫観念?
日本の集合無意識下には「他者から評価されない=周囲に受け入れられない=村八分(まともに生きることが許されない)」というトラウマか何かが影響して作られた被害妄想でもあるんだろうか?
(仮に利用価値がないだけで村八分が起きるとしたら、村人を煽動し悪用できる立場の存在がいたということだ。それは村の有力者か、それを恐れる村人達の集合無意識下にある恐怖と不安と疑心暗鬼が作り出した実体のない精神プログラムかも)。
「自分の個性が他人から見て魅力があるかどうか(利用価値があるかどうか)」を自信の根拠にして一喜一憂すること自体が、ある意味では他者に依存しているとも言える。
精神的な他者依存は子供の心理の特徴でもある。「自分は無力で他者の庇護を必要とする=他者(周囲)に生殺与奪を握られている」という強迫観念が強いと、己の生命の尊厳(自尊心)と他者の評価を混同し同一視してしまうことがありうる。子供の本能にとって、 「愛されたい」は「生きたい」でもありそうだ。

これが大人になると、一方的な依存ではなく、助け合うとか、連携とかいった関係になっていく。恋愛も然り。若い頃は「かわいいと思われたい」という心理だったのが、徐々に「信頼しあいたい・尊重しあいたい・信頼と尊重の関係に感謝したい」に変化する人もいる。
大概大人になると外部に生殺与奪を握られているという強迫観念は徐々に薄れていくのだが、稀に子供の頃強い不安感を味わい、そのインパクトが無意識に響いてて自分がまだ子供の頃と同じぐらい無力でおびやかされていると勘違いの自己暗示がかかっているケースもある。
(子供から大人へと成長し徐々に生きる力を身につけていくことは、自分自身への愛情でもあるのだろう。強迫観念から己を救うことも出来る)

◆他者から見た利用価値 自分にとっての意義
個性は生命活動の証。他人にとって意義があるかじゃなくて、自分にとって意義があるか、が重要なわけで。(積んできた経験にも同じことが言える)
他人にとって利用価値がないこと(利用価値を失うこと)は恐れる必要がない。対人関係なら、利用価値の有無よりも、自分が迷惑を出してないか(害の有無)を脅迫的にならずスマートに考慮できるようなカッコイイ大人になりたい。 出来るだけ高潔で上品な感性を身につけ、そのように振舞えれば・・・

他者に個性的だと思われたいばかりに奇抜な格好をしたり、又は自分らしさを出すことにこだわりとらわれるのは、自分自身が自分を認めていない証かもしれない。その振る舞い方自体が自己否定を前提にしていて、本人が自己否定を抱えた証なのかもしれない。

「個性的と評価されるためには、自分を殺せ。自分の感性とは違うもっと派手で奇抜な格好をしなければ。私の無価値な感性(個性)なんかどうでもいい。私の個性なんてどうせ誰も評価しないんだから。私すら私の個性なんて評価しないんだから・・・」

評価を得るための自己否定。無理して奇抜に走る若い子達を見ると、そんな痛々しい心の声がたまに聞こえてくる。私の通ってた大学(別名変人大学)にもそういう子達がいた。
(変人大学、という世間のイメージを意識しすぎたためにその役割を背負おうとして押しつぶされたのか?)
キャンパスで占いの店を開いていた時、奇抜なファッションで闊歩し自信ありげで悩みなどなさそうな同年代の彼らの悩みを聞いて、そんな心の声を知った。
タロットカードを使って、目に見えない心の葛藤を、彼らと一緒に対話しながら探った。

そんな経験の積み重ね達が、今の私の個性を作っている。私の個性を構築している素材は、他人には利用価値も意義もない怪しく胡散臭いだけの経験かもしれないが、私にとっては充分に尊い宝物である。そんな宝物達を愛する気持ちが、己の個性や人生を愛おしくしく思わせるのかもしれない。

「宝の経験を得た」という現象には、人知を超える神がかった運の力を感じる。人間が意図して手に入る体験じゃない。そんな体験を積み重ねたせいで、私の個性はほぼ非科学的なモノで構成されている。
それはどう見てもモテやすい個性ではないが、別に後悔はしていない。
(中身は電波でも外見がよければモテる? 察してください)


「必要とされる」必要がない

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