悲しみは宝物を得ている証
政府主催の「東日本大震災1周年追悼式」が11日午後、東京都千代田区の国立劇場であり、天皇、皇后両陛下、野田佳彦首相、各地で被災した遺族代表ら国内外の約1200人が出席した。地震発生から1年の午後2時46分に全員で黙祷(もくとう)。首相の式辞に続き、天皇陛下が「おことば」を述べた。
※以下は先月父を見送った私個人の考え方です。ニュース見て連想しました。
その人が亡くなることで悲しみを感じるということは、その人との思い出が尊く幸せなもので、自分がその人から多くのものを貰っている、その人といたことでかけがえのない自分だけの宝物を得た証でもある。自分の中に、とんでもない宝がある証。自分が幸せを知っている証。自分が不幸じゃない証。
それはいわば、その人がくれた魂の栄養のようなもの。
自分とその人が交流し連携することで自分の内部に作られた自分だけの特別な栄養のようなもの。
故人がそばにいてくれたことで自分の得たものがどれだけ尊くすばらしいものかに意識を向けたい。そして感謝したい。
そして、その栄養を未来に活かすことがとても重要になる。それは自分にしか出来ないことだし、ある意味では、そのために故人は生前自分と共にいてくれたような部分がある気がする。故人の死で生前共に培ったその栄養まで死んでしまったとは思うべきではない。自分が死んでも私の中の栄養は生き続けられるようにしてくれたのだから。 生前の父との間に様々な思い出や経験・体験が積み重なっていった期間は、いわば栄養を食べていた期間、あるいは内部に栄養を取り込んでいた期間ではないかと思う。お腹の中に、栄養が積み重なっていったのだ。
栄養を食べていた時は、とても幸せだった。自分の感性をフルに活用して、アレをとてもおいしく味わえたのだ。
(亡くなってしまうと、多分あったはずの不満が消えてよい記憶ばかりが思い出されるのが不思議だw おいしい記憶しかないw)
栄養を食べるおいしい時間は、ある日突然終わってしまった。
夢中で食べていたら、いつの間にか食べ終わってしまったのだと今は思う。
正直、ずっとそばにいて欲しかったし、ずっと食べていたかったよ。
退職してから2年しか経ってない。これから第2の人生じゃないか。子供の頃は毎日夜遅くまで仕事してて、平日はあまり顔を見ることが出来なかったから、これから毎日あなたが家にいるのはなんだか嬉しかったよ。
退職後の2年間は私が子ども時代の寂しさを癒すのにギリギリ残された時間だったんだね。肺のレントゲンがあんなに真っ白になるまで、ずいぶん長い間ふんばっててくれたんだね。
あなたがくれた「栄養」を、ある時突然食べ終わっちゃった。
でも、「食べたらなくなっちゃう」わけじゃないのよね。栄養は食べた私の中に移動しただけなの。食べたら移動するのは当たり前だよね。
それと、栄養ってのは食べ終わらないと未来に生かせないんだよね。
だから、必ずいつか食べ終わらなきゃいけないんだ。
あなたが逝った時が食べ終わった時なんだね。
あなたが逝った時が栄養を生かす時の始まりなんだね。
子猫がミルクを夢中で飲んでお腹をぽんぽこ膨らませ、やがてお腹に入ったミルクが子猫を立派に成長させていく。そんなイメージ。
栄養を食べて、宝を得て、それを未来に活かし、成長する。あなたと交流した「私」という魂にしか出来ないこと。
あなたは、そのために私のそばにいてくれたんだね。
活かさなきゃ。でないと栄養を食べたかいがない。宝が宝でなくなってしまう。あの時食べた栄養のおいしさは、未来の可能性の証しなんだ。
あんなにステキなものを頂いたんだ。それで未来を創れば、未来が悪いものになるはずがない。
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つい先日父を亡くしました。母は三年前に他界……あまり好きになれなかった父だったのに楽しい思いでばかりが過りますだから余計に悲しくて悲しくて…そんな時AYAさんの言葉にホントに救われました。ありがとうございますそしてこのブログが継続されること本当に嬉しいです!
投稿: めぐみ | 2012年3月16日 (金) 06時22分
>めぐみさん
コメント有り難うございます。
故人の思い出というのは何故か良い思い出ばかりが目に付く、という話を聞いたことがあります。人間の無意識というのは、良い思い出を気付かずに日々地味に蓄積しているものなんだろうかと最近思いました。
日々の瑣末事に気をとられてあまり意識しなかった物事の中に宝物が隠れていることも多そうです。それに気付かず「自分の人生には良いことがない・私は不幸だ」なんて嘆くのはひどくもったいない気がします。
これからはどうでもいいことに気をとられず、狭い視野に囚われず、本当に意識を向けるべきモノは何なのかについてもう一度考え直すのもいいかなーなんて感じました(言うのは簡単でも実際は結構難しい作業かもしれませんが;)。
非科学的なことばかり書いているブログですが、継続を喜んでいただける方がいらっしゃるのはとてもうれしいです。これからもよろしくお願いいたします。
投稿: AYA | 2012年3月16日 (金) 10時42分