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2011年12月19日 (月)

人の器に宿りし金運

※前書き(読み飛ばして結構)
これから書くことは、今までやってきた心の飢えが本当の飢えを招く NYデモが生んだ流れの行方? 飢えの恐怖に抑圧され犠牲になってたものといった一連の妄想に新たな展開が起きたので記録したもの。 今までの妄想では「(豊かさを)奪い合わずに手分けして生み出し行き渡らせる方法」の探求を物質的な目に見える世界の範囲内で考えてしまっていたところが私の(そして多分、ある種の理想主義者達の)限界だったと思う。「豊かさ」というものを、物質的に考えすぎていたのだ。それでは壁を越えられずに行き詰る。
しかし今回の妄想で壁を越えるメドが出てきたかもしれない。さらには「地母神(又は地母神に投影されていたもの)」の正体がなんとなくぼーっと見えてきたような気がしないでもない。

近年、惑星規模の大きな龍脈変動(=運気変動)が始まると共に、世界に流れていた金運(むしろ、豊かさを作る運といった方が正確)の様相も大きく変わっていくような印象を受ける。08年は四川大地震とリーマンショックという2大変動が起き、2010年はハイチとチリの大地震に欧州危機、今年は東日本大震災を始めとした各地の地震と記録的な円高(ドル安)・・・
そんな惑星規模な変動の影響によって(またはそれをチャンスにして)人間世界が集合無意識規模で豊かさのあり方を大きく変えていったとしてもおかしくは無いなとか考えてたら、相変わらず異常電波な妄想が浮かんだ。以前書いた妄想で言うところの「個性化の意欲を原動力にした文明」ともかかわってくるような妄想である。基本的に意味不明。

◆世界(の金運)を革命する力を
もし世界が運勢の作り方を大きく変えていくとしたら、これから向かおうとしている時代はいわばユング心理学で言うところの「個性化」の意欲がカギになる時代だったりするんだろうか。個性化の別名は自己実現。
実は、個性化の力というものは、本人の運勢を変えたり新たに作ったりできるほど強いパワーを持っている。(深い意識の視点から見た場合の)自分の幸せにぴったりなデザインをした自分だけの運勢を作る機能を備えているのだ。非常に自由で独自性の高い力である。
個々人レベルに備わった「魂の意欲」とも呼ばれる個性化の意欲が一人ひとりの運勢を作り出し、自分の(魂が)望む生き方に適した独自の豊かさや環境を作る運がインフラのように備わっていて、皆がそんな独自のインフラを活用できている世界になっていったら。
一人ひとりが本来備わっている自分自身の運をフルに発揮して人生を営み、膨大な数のそれらが集まり反響・共鳴し、連携し合って世界の運勢に反映されていったら・・・などと考えると私が楽しい。
(『豊かさを奪い合わずに手分けして生み出し行き渡らせる方法』というのは、ここらへんにカギが隠れているのかもしれない。あくまで暫定的な仮説)

目先の欲や打算や不安やコンプレックスに基づく意欲(=本心ではなく、本心を抑圧した結果生まれるもの)ではなく、もっと深い所(魂?)から湧き起こる意欲や赴きに沿う生き方や行動を意識したり選んだりすると、それが実現出来るような運勢(金運など、豊かさを作る運含む)が個々人に合う形で発動する(無意識の深層にある魂によって創造される) 。
もしそんなふうになっていった場合、シンクロニシティが今までより格段にあちこちで増える可能性もある。
深い所から沸き起こる意欲や関心を見分ける目安となるキーワードは「自己一致」や「調和」だ。これが自分自身の心と外界の間を調和させるような運勢を引き起こす。人はそれを「開運」と呼ぶ。

そんなふうに運勢のあり方自体が根本的に変わった場合、最近噂される不調和な経済システムの崩壊どころか、人類が歴史的に抱いてきた「その人がその人らしく生きるための豊かさを作る運勢」のあり方(作られ方)全般が地球規模でガラッと変わっていくことすらありうるだろう。
人類が生きるための豊かさを作る運の作り方(作られ方)自体を変えてしまえば、今まで稼動してきた「古い豊かさの作り方」に基づくシステムが稼動停止していくことも不自然ではないのかも。だって生き方自体が変わるから。

◆カゴと鳥は運命共同体
しかし今までの時代に生きる人々は、自分の魂が作る独自の運を存分に活かさず、むしろその存在を忘れて抑圧したまま(ある意味己の運勢活用を放棄したまま)、 国家や銀行や企業の金運(=他人の金運)に一元的に頼って生きている傾向にあった気もする。自分の運勢を封印する代わりに大企業や国家の運勢に養ってもらってたのだ。それが本心(からの判断)を抑圧し不調和な運勢を引き起こしやすい一因とも知らずに。
要するに依存対象にした存在の運勢と運命共同体だったわけだ。「自分の金運を金や株の発行者(他人)に支配される状態」でもある。運を自分のために自由に動かせない。「依存する」とは、それに縛られ支配され振り回されるということと表裏一体、イコールだ。
それは「籠のなかの鳥」に見えることさえある。自分よりも強い金運を持つように見える国家や巨大組織に運を依存する(代替してもらう)ことで得られると思っていた安全性(=加護)は、時と場合により、「己(の運勢)を閉じ込める籠」になってしまうことだってあるのかもしれない。「加護は籠になる」・・・ちょっと言ってみたかったダジャレ。

弱肉強食(の発想)が支配する世界では一人一人の「自分らしく生きるための豊かさを作る運勢」が無意識下に抑圧されてうまく発揮できなくて仕方なく代わりに変な方法をとるケースが目立つ。例えば戦いに勝って誰かの財産を支配・所有することで生きるとか、自分より強いものの傘下に入ることで強いもの(巨大なもの)の運に依存して生きる。どちらも相手に依存したがゆえに縛られ支配されやすい。弱肉強食世界の「強さ(力・パワー)」は、運を作り出す魂の力(能力)とは全く次元が違う。全く別物だ。即ち、本来頼るべき力とは全く別物の力に依存し支配されている印象。
本当の意味で自分を養えるのは、自分の命が生み出した独自の運勢だけなのかもしれない。それは、世界でたった一人、自分にしか扱えない唯一無二のもの。自分の運を使えば、自分にしかできないことが沢山あるはずだ。それにはまず、自分の心を知ること。

とりま、己を閉じ込める鳥籠を作ったのは、籠に依存していた鳥自身なのだろう。「自分達の創ったものにいつの間にか支配され縛られてしまう」というのはよくあるパターンだ。己の運を封印し、外部のもの(籠)で代替させしまえば支配され振り回され、籠の運気が変われば共倒れすることはリーマンショックの時に嫌と言うほど見せ付けられたような気がしないでもない。 「依存する」ということは時に「己の力を封じること」でもある。
まるで鳥達が自らその翼を封印し、自前の翼で飛べることを忘れて旅客機に翼の代わりを依存してるみたいだ。チケット代に頭を悩ませ、大空に上がっても風を感じ取れない無粋な鉄のカゴに閉じ込められ、時々皆で墜落してる。自分専用の翼があるにも関わらず、落ちてゆく機体から飛び出すのを怖がっている。鳥は、翼を忘れて自分らしく生きようとしない。本当の自分らしさが何だったのかを知る自分の心を忘れてしまったから。

カゴの中の鳥が外へ出る時は、己の翼に気づいた時。翼は後ろの正面=自分自身にある。

【余談】
以前何度も取り上げた「飢えの恐怖(従来文明の原動力?)」の背景の中には、人々が自分らしく生きることや「自分らしく生きるための豊かさを作る運勢」から目を背け忘れ去ってしまったことや、それゆえに己の運勢活用を放棄し、その可能性を抑圧し、己の豊かさの運を満足に使えなくしてしまったことが関わっているかもしれない。自らの運を自ら抑圧したために飢えやすくなり、その飢えに対して運の抑圧を解かないまま力づく(奪い合い)で解決するように追い詰められていったことが関わっているかもしれない。 (運勢発動の要になる個性化の力を歴史が進むにつれ人々が自ら無視し封じていった可能性もある)。己の豊かさの運・・・古代人はそれを地母神のモデルにしたかもしれない。

◆お札がおフダ
実を言うと、呪術的に見た場合、「通貨・貨幣」といったものは人々の魂が作った自分らしく生きるための豊かさを作る運勢を実現する上で用いる便宜的なツール、すなわち「依り代(よりしろ。オカルト分野では呪術や運勢の力を物理的に作用させたり現象化させる際に用いる器。力の媒体。東洋ではおフダの形をしているものも多い)」でしかない。しかも、「貨幣発行者の運気や事情」が混入しているので、貨幣を持ってさえいればどんな時でも100%自分だけの運を反映してくれるとは限らない。貨幣発行者の運気がコケると大概みんなコケる。
にもかかわらず、人々は「自分らしく生きるための豊かさを作る運勢など存在せず、ただひたすら貨幣を多く得る者だけが幸せになれる」という暗示にかかっている。人は貨幣で生きるに有らず。自らの作りし運勢で生まれ生きる。手段の目的化には要注意。

世界中で流通している偉い人と数字が印刷された紙。人々がとても大事に持っているアレは、つまるところただのお札(おフダ)であって己の持っている「自分らしく生きるための豊かさ」ではないということだ。あくまでその媒介物(依り代)。その媒介物は便宜的なツールである以上。豊かさの運勢発動に必ずしも必要じゃない。(これは紙幣・貨幣だけじゃなく債券や株券、投機商品、不動産などにも同じことが言える)
人間は自分の(魂が)望む独自の生き方に適した独自の豊かさの運がインフラのように備わっていて、それが発動したとき、その力を媒介する便宜上の器(媒体)としてたまたま貨幣(給料)やら株券やら債権といった「おフダ」を一時的に使うことがあるというだけ。そういうおフダ型の媒介器を使わないケースもある。便宜上の器(ツール)の種類が事情に合わせて変化することもある。いわば、自分に豊かさをもたらすものはカネ(おフダ)ではなく、「その豊かさをもたらす己の運勢」であるという発想。媒体なしで直接自分自身の持つ豊かさの運(インフラ)とつながっている感覚があるといい。便宜上の媒体なんてコロコロ変わりうるものだ。使わないことさえある。

と、いうことは、万一何らかの理由でおフダ(便宜上の媒介)は死んでも本人の豊かさ自体は死なないから、自分らしく生きる運勢を封じずにしっかり使っている人は引き続きこっちの世界に自分らしく生きるための豊かさを降ろすこと(金運の再生・新生)が出来る(自分らしく生きる発想を封じてしまうと運勢も金運再生力も封じてしまう)。その場合、豊かさの器(媒介)自体はその人の運が事情に合わせてその都度臨機応変に適したものを選ぶ。器は貨幣や株・債券といった「おフダ」だけではなく、モノや仕事であったり、情報や縁であったり、はたまたアクシデントということさえある。器を使わず直接望む豊かさが現象化するケースさえある。どういう形で豊かさが降りるか(豊かさの運が発動・現象化するか)は、その人の無意識がどんな生き方を望んでいるか、そしてそれに合わせてどんな行動や生き方をし、その結果どんな金運(豊かさ運)を作っているかに合わせて決まる。大事なのは自分の心と調和した生き方だ。

私たちは貨幣(おフダ)よりも目に見えぬ「自分らしく生きるための豊かさを作る運」をこそ意識した方がいい。豊かさを媒介するおフダは人の手で創れるが、豊かさの本質である己の魂が紡いだ運は人の手で創ることができないからだ。そしてそんな大事なもの(=自分らしい生き方とそれを実現するための豊かさの運)を封印し、代わりに他人の金運に依存し支配されるべきではない。自分だけの命の金運は、封じることなく自らの無意識の奥底から運用すべし。心の奥底から望む生き方を実行すべし。
((便宜上の媒体たるおフダを支配・管理することで人々の金運や世界を支配せんとする者達がいる、という噂もあるが、もしそんなのがいても上記のような意識を持っていると支配されにくくなる)

本当に自分らしく生きる運勢やそれを実現する豊かさを作る運勢(命の金運)が封じられることなく機能していれば、災害や金融破たんで一時的に目に見える財産を失ったとしても、運は勝手にそれなりの形で持ち主のもとへ戻ってくれる。その人の魂がつむぐ独自の運は、その人の魂がつむぐ人生に合わせて独自に動ける。おフダの力で生きるのではなく、自分が持つ独自の運の力で生きている。頼るべきはおフダや発行者の運ではなく、己の運。
(だが地球の人類史では一人一人独自の運は忘れられ、生かされずに眠っていることが多い。これが魂の豊かさの封印だ)

しかし、先に書いたような背景からおフダに媒介させていた己の運とおフダそのものを同一視してしまっていると、万一おフダの価値が暴落した時は自分の運が死んでしまったと勘違いしてしまい、せっかく存在している「自分らしく生きる運(そのための豊かさを作る運含む)」に気づけなかったりする(それで運を活用できなかったりしたらもったいなさ過ぎる)。
個人的には、とても長い間、世界中の多くの人々の持つ自分らしく生きるための豊かさの運が働きを縛られ、自分らしく生きることを抑圧されてきた気がする。自分の豊かさの実現媒介を貨幣(発行者)だけに一元依存しているとは、何と恐ろしい事だろう。
(それは、ひとりひとりの中に住んで豊かさを生み出してくれる個人規模の地母神を自ら封印しているようなもの?)
「もともと自分に金運がないからうまくいかないのだ」ではなく、自分の金運を生かすことなく(自分の金運を生かすのにふさわしい生き方を選ばず)、ミスマッチな手段に依存したから本当の運勢が流れずうまくいかないのだと考えた方がいい。

その人に豊かさをもたらすものは器(おフダ)じゃない。あくまで本人だ。にもかかわらず、人々は器だけを追い求め、自分の魂が自らの金運として便宜的に「自分らしく生きるための豊かさ(中身)」を器へ宿らせていることを忘れ、器や器の支配者、器の供給者・発行者に己の生き方と豊かさを支配され左右される(そして時に社畜となり、自分らしく生きることを封じられる)。肝心なのは、本人が創り宿らせた器の中身だ。
故に、器と豊かさは運命共同体ではない。器は壊れても宿った中身は死なない。形を変えて実現する。

◆お札は死すとも運は死せず
己の持つ「自分らしく生きるための豊かさ」自体から目を背けて「お札(=おフダ=器)」だけを盲目的にありがたがるのはまさに拝金主義。ありがたいおフダとされていた「お札(貨幣)」のパワー(権威)は結局幻で、本当に力があるのは人々の命に備わった自分らしく生きる豊かさを生み出す力の方だ。自分がいなければ自分の生きる豊かさをおフダに宿らせる(降ろす)ことはできない。(大事なことなのでしつこく言いました)
魂が創るアレは人の手で創れないのと同様に、殺すことも出来ない。せいぜい独自の働きを一時的に押し殺し抑圧できるだけだ。本人が心の底から気付けばいつだってアレは自由を取り戻す。封印は解ける。
人々がそのことに気づいて「自分らしく生きる運勢とそのための豊かさを作る運勢(=アレ)」を封印から解いてまともに使うようになったら、器や器の支配者、器の供給者の権威・権力は大幅に下落する。おフダはパワーを失なうが、おフダに依存し支配されることなく自分らしいすこやかな生き方ができるようになる。

昨今は災害や世界的経済不安などで数多くの財産が失われ、企業の経済的損失も大きい時代になった。日本には震災で家財を失い苦しむ人々が大勢いる。しかし、失われたのは、豊かさを降ろすための器(依り代)だけであって、自分に秘められた本質的な豊かさを生み出す力(いわば個人レベルの地母神の力)は失われていない。器が死んだからといって己の運や人生まで死んだとまで悲観する必要はない。引き続き、「自分らしく生きる」ということについて考え探求していくことが開運法だ。
器は死んでも豊かさは死なない。器の力をアテにするのではなく、「自分独自の生きる運勢を発動」という意識を強く持っていれば、運はどんな形になるにしろ、めぐりめぐって必ず降りてくる。あれは持ち主(と、その事情)に合わせた形で降りてくる。そのときは多分、特定の器に縛られ支配されている心では無く、今までよりももっと自由な心で降りてきた独自の運(=魂の贈り物)を活用するのが吉。
「0の状態」は、ある意味では余計なものにフタをされて見えにくくなっていた「心の奥底から望む生き方」をスタートさせる(そのための独自の運を魂が発動させる)チャンスにさえなりうる。失うものは、何もない。

今の時代に必要なことは、過激な反格差デモよりむしろ、魂の作りし己の運が自由を取り戻すこと(自分らしい生き方を取り戻し、縛られた魂の動きを自由に解放すること)なのかもしれない。そうすれば、自分らしく生きるための豊かさはツールを限定されず、適宜絶妙に活用され自分の幸せにぴったりの運勢を展開させるだろう。
例え財産や職場や地位を失ったとしても、自分らしく生きる運(そのための豊かさの機能)を「既に死んだもの」と思い込んで目を背け、意識の中から抹殺し封印してしまってはいけない。あれは死なない。そして、心の奥底が真に望む方法と方向でしか機能しない。
これから人間界の経済がどういう展開になっていくとしても、そのことを心の隅っこに留めておきたい。

忘れないで。自分の豊かさを発動させる器は自分自身であることを。
自分自身さえいれば、自分が本当に望む生き方を意識すれば、その運勢は形を変えても発動することを


オマケ
ヨガとタロットの「戦車」←この話で例えるなら、今の経済システムは御者が車のオーナーを無視して強引に豊かさを作ろうとしてるようなもの。


2012年7月17日 「英中銀の指示だった」 金利不正操作 大手銀元幹部が証言 もしコレが本当なら、人々の金運(魂がつむぎし豊かさの運)を金(おフダ)の発行者が支配していた証か。いわば、日銀がインチキしてたようなもの・・・

2013年10月15日 そろそろアメリカの金運に依存することから卒業していく時期にあるのかもしれない。大国の金運は一見頼もしげで誰よりも優れて見えるけれど、自分の人生は心から悔いなく生きることで自分独自の金運を使った方がなにかとうまくいきやすい気がする。

2019.10.14 国はいくら借金しても大丈夫? 驚きの経済理論“MMT”とは←こんな理論まで出て来た。なんか陰謀臭いw

 

お金(おフダ)が人を支配するんじゃない。人が作った「お金」という暗示に人が依存し支配されて魂の力が縛られてるんだ。
(最後に救い出された彼女は、やがて地母神になるかもしれない)

 

魂の環境インフラ

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