飢えの恐怖と抑圧され犠牲になってたもの?
※この記事は「心の飢えが本当の飢えを招く」や「NYデモが生んだ流れの行方?」の補足記事であり、個人的な覚え書きのようなものです。
◆ただの理想論?
今の世界は「飢えの恐怖を逃れるため」という原動力を主流に奪い合いの経済と文明が作られているとすると、それを継続する前提でベーシックインカム的なものを実行しても「インカムに依存して全く働かない人」が大量に生まれ各業界が慢性的な人手不足になりやすい。
それは、飢えの恐怖に支配された心理が「飢え(の恐怖)さえしのげることが保証されればそこが『ゴール』。ゲームは終わり。そこから先はもう何もしなくていい。何も考えなくていい」 という思考回路になりやすいからであるように思う。
飢えの恐怖による奪い合いを主流とした経済が人の心や風潮を強く支配しているうちはベーシックインカム的なものを文明に活用することは難しいのだろう。ただの理想論で終わるか無職を増やすか権力者に都合の良い支配(飼い殺し)の道具になってもおかしくはない。
恐怖が人々を支配し駆り立てるうちは、「ゴール(=壁)」の向こうへ行くことにまで人々の意識が向きにくいのかもしれない。いわんや、壁の向こうに待つ広い可能性へは・・・
今までの文明は本能的で、本能的な欲求を追及することには秀でていたけれど、ある種の想像性・創造性に乏しい面がある。
◆個性化の力
飢えの恐怖から解放された環境を得た上で(飢えの恐怖とそれによる奪い合いに縛られることを脱却した上で)、それを母体として更なる可能性への好奇心を持つ者達が現れ出したとき。即ち、飢えをしのぐ話とは無関係に、恐怖や利益量に煩わされず縛られず、恐怖の裏返しで生まれた欲望に支配されず、純粋に自分自身を活かしたり人生の可能性を探りたいと思う者、広い意味で「創造的な欲求を追及したい」と思う者が増えたとき。
そうなってはじめてベーシックインカム的なものは個人と文明発展の支えとして機能するかもしれない(ただし、ベーシックインカムを圧政の道具には出来ないシステムの確立が先決)。創造性の支え(パトロン)となるだろう。
地球規模で龍脈と運気が変わりつつある今、上記の創造的な意欲傾向をはっきり持つ人々はこれからもっと増えていくような気がする。例えば、最近増えつつあるオカルトや精神世界に関心・憧れを持つ人間の一部には、神秘的なものに対して「己の目には見えないけれど、確かに存在する己の未知なる可能性」を投影するケースがある。ユング心理学で言う「個性化」を投影してるわけだ。
飢えや利益量に縛られず、そういうのとは無関係に、「純粋に自分の可能性を探る意欲」は、個性化への意欲だ。
この意欲は心理的に見て「人間が持つ魂の本能」とも表現されている。
この本能は、例え災害で家財と家族を失おうが事故や戦争で体の一部を失おうが「消滅」はしない(オカルト説では死後も続く本能とも言われている)。とてもポジティブでクリエイティブで自由で元気な本能だと思う。
私たちはともすればこの本能よりも「飢えの恐怖」に気を取られてしまいがちだが、本当は恐怖よりもこっちの本能の方が強い。この本能が本気になると運勢に作用することさえある。この本能が自分の意欲を叶えるために自分のための運勢を生み出す(創造する)ことがある。当然、その運勢が「金運」という形で生まれることもある。いわば「その魂が生きるために必要なインフラ機能」だ。個人レベルの地母神機能とも言える。
そんなカスタマイズインフラが生まれてしまえば、もはやベーシックインカムにこだわる必要ないかもしれない。もっと高性能のインフラが一人一人の中で稼働するのだから。
人々の集合無意識が飢えの恐怖を抜け出し、よりポジティブな意欲を膨らませる日は来るだろうか?
飢えの恐怖(死の恐怖)に抑圧されていた個性化への意欲と運勢は、今以上に解放される日を迎えるだろうか?
集合無意識規模で膨らみ解放される個性化への意欲(本能)と運勢が、恐怖に代わって新たに文明の原動力を担う日は来るだろうか?
飢えの恐怖に基づくシステムの世界はネガティブな原動力故にネガティブな金運(=経済)を生む。個性化の意欲(と、それを実現させるためのインフラ機能)に基づくシステムの世界はポジティブな原動力故にポジティブな金運を生む。その金運が飢えの恐怖を救う。その金運が機能すれば飢えの恐怖はそもそも成立しない。
各々が飢えとその恐怖に煩わされず、より純粋な活動(個性化の意欲に基づいた活動)をするために、それができる環境(=格差の苦しみや飢えの苦しみが無い環境)が作られること。作られたその環境を維持するのに必要なことがあれば、各自が魂の本能と集合無意識のレベルから協力し合うこと(奪い合わずに行き渡らせるのもその一種)。・・・それが実現したときは文明の方向性すら変わるだろう。
◆地母神の産み出すもの
飢えの恐怖から保護され発育(個性化)を促される環境を古代のシンボリズムに例えるなら、「地母神の恵みと加護」だろうか。その環境を「母体」にして人々に新たな可能性を探っていく意欲と好奇心が芽生えれば、新しい文明の原動力が生まれやすいかもしれない。
地母神が自らの母体から産み出すかのような文明は、個性化への欲求を原動力にしているように妄想した。 何しろ、地母神は発育を促すプロである。
西洋社会では、古代に存在していた地母神の記憶やイメージはやがて聖母マリアに姿を変えていった。
だとすれば、地母神が出産する「個性化の本能を原動力にした文明」は聖母が大切に抱えるあの子供に象徴されてたりしちゃうんだろうか? もしそうだとすれば、それを担い形づくる細胞は、私たち一人ひとりだ。あの子供の誕生と育成は、私たちの仕事になる。その仕事を一人の男に押し付けて(投影して)スケープゴート(願い事を叶えてもらうための生贄。対価)にしたって実現するはずは無い。実現した気になっただけ。
だって私達こそが、あの子供の細胞なのだから。
象徴的に表現すると、あの大工のせがれが、そろそろ教会の作った生贄の十字架から降りて「再臨」してくるんだろうか?
(そういう妄想するとクライストチャーチの大地震やバチカンの運勢がオカルト過ぎる。集合無意識規模であの本能が本気になれば、巨大な運勢に作用することさえ・・・)
今度は「あの子供」を殺さないようにしたいものだ。
卵の殻を破らねば 雛は生まれず死んでいく
卵の殻を破った雛は やがて羽ばたき 壁を越える
人の器に宿りし金運←「宿る」っつうより「縛られてる」感じ?
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