欲求の取り違え
※以下は根拠のない憶測です。
思春期には親を殺す夢を見たり、昼間でもふとそれを空想することがある。 親殺しのイメージは無意識に潜む抑圧された自立の欲求、自分の人生を自立して作る欲求を象徴的に表したものらしい。「殺す」のはあくまで象徴的な例えでしかない。親に縛られる心や親に依存する心など、「自立を妨げる心」を象徴的に殺すといったところか。
家庭内に悩みがあればなおのこと、自立した人生を送りたいという欲求は強かったかもしれない。
彼女達は内面から強く沸き起こった自立欲求の象徴を理解できず、自分が本当は何を欲求しているのか自覚できずに象徴的な例えの「殺し」こそが自分の真の欲求だと勘違いした?
本当に親を殺したかったわけじゃないのに、象徴的な「殺し」を本当の殺意と混同した?
内面欲求の象徴を物理的に額面通りに受け取ってしまったために、本当に実行してしまった…?
無意識領域に抑圧された心は論理的な言葉(顕在意識の技術)を使うことができずに、象徴的、比喩的にしか形容することができない。けれど顕在意識はそれをスムーズに理解できるとは限らない。むしろ苦手だ。
人間が己の心を理解できずに象徴と本当の欲求(象徴が表現している欲求の正体)を同一視してしまったが故に発生する悲劇は後を絶たない気がする。
これも「汝自身を知れ」か・・・
己の深層からやってくるメッセージの解読には、象徴解釈力が要る。この力を身につけると、心強い。
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