砂漠の洪水とイブのお墓伝説
ちょっと前の話になってしまう。
11月の終わり、イスラム教徒のメッカ巡礼(ハジ)が始まった初日。巡礼の玄関口の都市、中東はサウジアラビアの乾燥した砂漠地帯にあるジッダという場所で、何故か豪雨による洪水が発生。被害は大きく、3桁に至る犠牲者が出てしまった。ご存知の方も多いと思う。
洪水のニュースをきっかけにこのジッダという場所についてちょっと調べてみると、オカルトマニアとしてはちょっと興味深い事実を発見した。
何と、ジッダには旧約聖書の物語に出てくる人類の祖先、アダムとイブのうち、イブのお墓と言われている墳墓が存在しているとのこと。その墳墓に巡礼者がこっそりお参りしてしまった(イスラム的にはNG)ことがきっかけで、30年以上前に現地の宗教当局が墳墓をコンクリートで覆ってしまったそうだ。
イブのお墓があるという言い伝えのためか、「ジッダ」という地名の語源は「おばあさん(jaddah)」から来ているという。まさしくイブは「人類全てのお祖母さん」という設定だ。
そしてイブは、謎めいたお祖母さんでもある。
◆アダムとイブの物語
ユダヤ・キリスト・イスラム各宗教の共通認識として、アダムとイブは人類の祖先だ。旧約聖書によると、二人は最初、「エデンの園(楽園)」に住んでいた。そこには様々な果物や食べられる実のなる木が沢山あり、二人は神からそれらを好きにもいで食べていいと言われており、働かなくてもお腹一杯食べられて何不自由なく暮らしていた。そんなエデンの中央には「生命の木」と「知恵の木」というものがあった。神は「知恵の木の実(禁断の知恵の実)だけは食べると死ぬから食べてはいけない」と言った。しかしある日、蛇にそそのかされたイブが知恵の実を食べ、美味しかったのでアダムにも勧めた。アダムも食べた。二人は知恵の実を食べちゃったために、「知恵の実を食べた上に生命の実まで食べて自分と同じになられたら困る」という神の思し召しでエデンを追放された(ちなみに、生命の実も食べて神との合一を目指すのが生命の木を重要視するカバラ神秘学だ)。
エデンという楽園を追放された二人。イブはそのときはじめて、「イブ」という名前をアダムにつけてもらった。名前の意味は「生きる者」とか「生命」。二人はエルダという場所に住み着き農業をして暮らした。子供も生まれた。こうして人類は汗水たらして働かなきゃ食べていけないほど実り少ない世界で生きることになった(その結果、金融危機が起こせるほど経済が発展したのかもしれないw)。
「知恵の実を食べると死ぬ」・・・神がそう言ったとおり、やがてアダムは930歳で死んだ。しかし、イブの死に関してはなぜか記録が存在しない。彼女の行方は、今のところ誰も知らない。
おそらく、イブの死が記録されていないからこそ、ジッダにお墓があるという伝説が生まれたのだろうと思う。昔の人はこう考えたのかもしれない。「食べると死ぬという知恵の実を食べたのなら、イブだっていつか死んだはず。恐らく死んだ場所は旧約聖書の世界観に合わせて中東のどこかだろう。丁度誰のものかわからない古い墳墓がジッダにはある。じゃそれがイブのお墓かもしれない」・・・そんな感じでイブのお墓伝説は生まれたんじゃないかと空想した。
食べると死ぬという知恵の実を食べたのなら、イブだっていつか死んだはず・・・なのに、彼女が死んだ記録はどこにも存在しない。いつどこで死んだのか全くわからない。誰のものかわからない古い墓が存在するだけ。
これが意味することは何か。恐らく、イブは生き続けている。
神が「食べると死ぬ」といった知恵の実を食べたアダムはとっくに死んだのに、なんでイブだけがまだ生きているのか?
次回はアダムとイブの物語にオカルト的・心理的な焦点を当ててみる。
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