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2009年8月 5日 (水)

ピョコタン的不思議ライフスタイルのすすめ?

皆さんは「ピョコタン」と言う漫画家を知っておられるだろうか?
彼の生き様はまじめな人からは目の敵にされそうなものかもしれない。

彼の生き様が垣間見られるインタビューをご覧頂きたい(右クリックで別窓)

こんなんでどうして今まで生きてこれたのか首をかしげる人、「自分はこんなに毎日がんばっている(苦しんでいる)のに何だあいつは!」といらいらする人、思わず笑ってしまう人、色々なリアクションがあるだろう。私は彼の持つ「楽しさを食べて生きる力」に尊敬の念を持った。
「ピョコタン」はお金で食べてるんじゃなくて、「楽しさ」を食べて生きてるんだろうな。そういう運勢を作れる人。一種の生命力。

そんな彼の生き様を支え、楽しさを食べて生きる運勢を作った生命力の一端をご覧下さい。
 続き
・・・ちゃんと「楽しさ」をエネルギー源にとんでもない運勢を作っている。 なんと楽しい体験を創れる人だろうw

タイミングと物理的背景(=時間と空間)、ピョコタン独特の漫画を発想していた本人の感性、本人の興味が向く方向(本人が楽しいと思った物事)、本人と参加者の事情…色々な条件が全てひとつに集約した偶然が「ポーカー大会の奇跡」を発生させ、彼の運勢(可能性)をさらに切り開く。そんな集約の偶然(もはや奇跡)を楽しんで漫画にし、読者が読むことで読者をも楽しませ、その結果漫画家としての運勢(可能性)までUPするかも知れない。
まるでいろんなことがうまい具合に一つの結果へ集約するべく計算された大規模な 「運勢的ピタゴラ装置」みたいだ。

「特に気合を入れるでもなく、ただ楽しさを求め楽しさを食べることで周囲に新たな楽しさを生み出し供給する」こんなことできる人が他にどれだけいるだろうか?
ポーカー大会の奇跡はシンクロニシティー(意味のある偶然の一致)のなかでもかなりハイレベル。「異様な調和」とでも言えばいいのか? もはや人間業じゃない。というかこれは彼個人(自我意識)の仕業じゃない。 多分ユング心理学でいう「セルフ」の技だ。
「ピョコタン」は努力・根性・勤勉といった人間の能力の中でも現代文明の前提基盤になっている「自我領域の力(物理的知性)」をよりどころにした生き方をしていないのではないかと思う(彼自身はそんなこと意識してないと思うが)。

ジョジョ風に言うと、
「な…何を言ってるのかわからねえと思うが努力とか根性だとかそんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ  もっと巨大で神秘的なものの片鱗を味わったぜ…」

こんな運勢を作れるほど高度な生命力は意識的に作れるわけがない。個人の無意識世界にある運勢を作る領域(多分個のレベルを超えた集団の無意識とつながっている)との連動率・シンクロ率が半端じゃない。 自我領域を超えた力と連動した生き方・・・自我の視点から見れば「インチキ」か「奇跡」のどちらかだろう。
もしかすると、自我(物理的知性)だけの力を前提基盤に使った生き方に限界が来ているのが今の現代社会で、それに対する別のライフスタイルの一例が「ピョコタン」なのかもしれない。彼の自我領域を超えたシンクロニシティーを使った神業的な生き方は、どちらかというとチベットあたりで山篭りをする修行者に一部共通するかもしれない。

「人間」と言う生き物は、私達が頭(自我)で考えているようなものじゃないのかもしれない。私達ですら、私達を知らない。

「楽しさを食べる生き様」…
いつかそんなことさえできるほどの境地に到達できる日が私にも来るだろうか。

文明と生命力の使い道
人々を社会に合わせさせる? 社会を人々に合わせる?
村上春樹氏のスピーチ

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