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2009年6月18日 (木)

ヘタリア

※リンクは右クリックで別窓

「ヘタリア」という国を擬人化した漫画が人気になっているようだ。アニメも無料配信されている。興味を惹かれて私も漫画やアニメを見たところ、面白かった。日本人の視点から見たステレオタイプな各国のイメージからキャラの個性や言動が設定してあり、一種のエスニックジョークと「キャラ萌え」が合体したような感じだろうか。どのキャラもよく出来ていて、不思議な面白可愛さを感じた。日本だけではなく、海外にもファンが多い様だ(物議をかもした韓国にもファンがいるとのこと)。
また、この「ヘタリア」は一貫した長いストーリーがあるわけではなく、世界史や時事、各国の文化等を元にした4コマ漫画的ギャグ仕立てなので、同人作家が割と楽に二次創作できるところも人気の一つかもしれない。制約が少なく自由に好きな設定を作ってキャラを動かすことが出来る。実際、ファンサイトや動画サイトで見かける二次創作がこれまた秀逸。海外ファンの作品も多い。ある意味、「ヘタリア」は二次創作の可能性を大きく広げるための作品なのかもしれない。「ヘタリア」という読者共通の元型(アーキタイプ)があり、それが読者一人ひとりのレベル(二次創作レベル)に降りていくにつれ、読者や二次創作者の個性や事情に合わせて様々な姿で動いていく。そうやって「ヘタリア」は面白さや深みを増し、豊かに拡大・膨張を続ける一種の文化的生物のようにも思える(※)。
そして作品を投下するファンひとりひとりが、「ヘタリア」という世界(生き物)をより楽しく大きく豊かに育てることに貢献している。それは、「スタンドプレーから生まれるチームワーク」であり、「和」である。きっと、投下作品一つ一つがこの生き物の一部(細胞)でもあるのだろう。
そして、「ヘタリア」自体が我々の住む「世界」という壮大な物語の二次創作作品なのかもしれない。「ヘタリア」という世界(生き物)の中で繰り広げられる「和」・・・それが、我々の世界でも実現すれば・・・我々は、世界の細胞なのだ。

かく言う私も「ヘタリア」の二次創作に挑戦。登場人物に料理の作り方を説明させる動画を作ってみた。
動画を見る

こういうタイプの文化的生物現象が花開く傾向は最近顕著で、ヘタリアに限ったことではなく、初音ミクはもっと大規模。世界に「和」の素地ができつつある?

ついでにキャラをタロットに当てはめて妄想した

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アニメ・コミック」カテゴリの記事

コメント

こんにちは!先日は拙ブログにコメントしていただいてありがとうございました!
…そしてこちらにお伺いして最初にコメントさせていただくのがこの話題というww
私は割と最近(というか昨年半ば)はまった口なので、まだまだ現役(!?)だったりします…そういえばアニメも第5期制作が決定しましたね。

ヘタリアはアニメ開始頃に日丸屋(原作者)氏のサイトにWEBコミックを見に行ったのですが、その時は「うまくまとめてあるな〜」とさらっと読んだだけでした。
本格的にはまったのは、むしろ二次創作の充実ぶりから。はまってみてやっとそのすごさが理解できた気がします。

国の擬人化って、そもそもありそうでなかった分野なんですよね。
古くから国民性ジョークやら風刺画などでその萌芽は見られるにも関わらず…です。
昔はそもそも国民性を「キャタクター化=共通記号化」する発想がなかったんだろうと思いますが、近年までそれがなかったのは、ひとえに政治的・民族史的な側面のタブーに触れる危険が大きかったからじゃないかという気がします。風刺画のたぐいなんてもろに政治的意図ばりばりですしね。
実際、私は最初「ヘタリア」を見たとき、「この作者勇気ある!というか、それをアニメ化する制作サイドもすごい!」とまず思いましたし。

しかも、「ヘタリア」はもろにWWIIの枢軸国&連合国を中心的な内容としてて、これでコメディできるのか!?とか思ってたんですが…
あの時代を扱いながら、ヒトラーなどの人物にはあえてノータッチ、あくまでぐだぐだな側面から国民性を描いてるあたり、うまいなーと思います。
しかも、「国」なので原作にないエピソードも史実を核にして妄想することが可能だし、一方で普通のキャラとしていじることも可能。
史実のあの出来事は、キャラにとってはどういうエピソードになるのか。
そういう観点の二次作品も多く、読み応えがあります。(作者も、アメリカ独立戦争とオーストリア継承戦争あたりはエピソード化してますね)
何より、これまで、特に遠くの国々は名前を覚えるのさえ難しかった私のような人間も、バルト三国の特徴が覚えられてしまいました…

昨今はあれこれ擬人化ばやりですが、ある意味、抽象的な存在や無機物に魂を入れてしまうのは、日本人の十八番なのかもしれません。
それは原始にはアニミズムという形で存在し、欧米など多くの国々で一神教や唯物論に駆逐されてきた価値観でもあります。
また、諸外国では無機物に感情移入する場合、何かに「見立て」るタイプのもの、使用者の思いがこもるもの…というパターンが多いのですが、日本だと付喪神のようにものそのものが魂を持つ形なんですよね。
そういう感性が普通にあるからこそ、擬人化という発想が広く受け入れられているのかもしれません。

そういえば、初音ミクも、もとはシンセサイザー(電子楽器系)の擬人化が開発者の意向だったとか(あの黒と緑のイメージカラーは、電子楽器によく使われていたカラーリングなんだそうです)。

とりとめのない話(しかも無駄に長文)になってしまってすみません…
最後に、ニコニコのヘタリアお料理動画…
「あなたさまでしたか!」
とても美味しそうでした♪親分子分の掛け合いが可愛いです♪

>ソラゴトさん
動画をご覧頂いていましたかw ありがとうございます。
「ヘタリア」の作者の地雷回避術はなかなかのものですね。ニューヨークの留学生という経験が生かされているように感じます。
日本人がやたらと擬人化で遊ぶ理由、アニミズムの感性というお話にはすごく納得できました。それで何にでも魂を吹き込んでキャラ化させてしまうんですね。
日本には「東京タワーとエッフェル塔の遠距離恋愛(BL)」という作品まであるらしく、それを知ったフランス人(腐女子)がその発想に愕然とした、という話を小耳に挟んだことがあります。
そうやって生まれたキャラの魂は、つまるところ作者の魂(内面)が持っている感性の投影なのでしょうね。いわば自分の分身。
その国に対するイメージさえも、その人の内面の感性が反映されていますから、二次創作におけるヘタリアのキャラはファンの数だけ個性を持っている気がします。
今この瞬間も、彼らの個性はどんどん増え続けているのかも・・・

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