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2007年5月 8日 (火)

占い師の旅路~雲南省・三江併流~その5

雲南の地図はこちら

 

白水台
車酔いをしている間の記憶は、あまり残っていない。ただ、ゼーゼー言いながら薬を飲んだことだけは覚えている。母が言うには、「白目を剥きながら異常な呼吸をしていた」そうだ。それはさぞかし不気味だっただろう。1時間半ぐらいはそんな有様で、そのうち薬と下り坂(標高低下)のお陰か少しずつ楽になっていった。
やがて車は目的地付近のゆるやかな谷あいの集落に出た。ここで昼食。よろよろと車を降りて、食堂に入る。客は私たちだけのようだ。おかみさんと娘さんが人数を確認して中華鍋を振るい始める。中国のガスコンロはゴウゴウと強力な火の音が聞こえる。食堂に暖房は効いてない。気温は多分10度位。
裏手のトイレへ行くと、チベット族(チベタン)ではなくナシ族の服が干してあった。ここら辺はナシ族が多いってソナムが言ってたっけ。ぼーっとした頭で思い出す。それもそのはず、白水台はナシ族のシャーマニズム【トンパ教】の発祥地。年に一度、ナシ族のシャーマン【トンパ】が白水台の周りで神聖な儀式の踊りを奉納をする聖地なのだ。
着いた食堂でやかんに入ったお茶を何杯か飲むと、とても楽になってゆくのがうれしかった。じっとしている分には平気になったので、料理が来る前に車に積まれた大きなトランクをチャオシンに出してもらい、そこから衣類を引っ張り出し、男性陣には席を外して頂いて、母と食堂の隅っこでトランクを衝立に防寒強化。ももひき万歳。はしたない? それより命の方が大切。
今回私に高山病の症状が出たのはこれっきり。前回は3日間ほとんど死んでいたが、今回は90分程度半殺しになるだけで済んで本当に良かった。お薬万歳。(2024年8月追記:現在では振動医学を用いた高山病対応の動画がある。標高の高い所へ行く方は携帯にブックマークおすすめ)
着替えが終わってトランクを再び積みこんだ頃、丁度料理が運ばれてきた。メニューはジャガイモを細く切って多めの油で焼いたもの、トマトと卵の炒め物、豚肉ときくらげとねぎのピリ辛炒め、えんどう豆の葉っぱの炒め物、鶏肉と豆の炒め物、豆腐入りのスープ、ご飯。どれも味の素なんて使っていない。野菜は無農薬。「この肉はついさっきまでそこらへん歩いてましたよー」とインド訛りの英語で笑いながら朗らかに言うソナム。そう。ここはそういうエリア。日本とは違う。〆たばかりの鶏は、きっとおいしいだろう。実際、おいしかった。
私はさっきまで白目をむいていたとは思えないほどもりもり食べた。トマトと卵の炒め物、通称「トマト卵」は以前のチベット旅行でも良く出された一品。懐かしい。チベットエリアは標高が高く沸点が低いので、米を炊くと日本の倍近く時間がかかる。そしてまずい。それがチベットに来た実感を持たせてくれてとてもうれしい。もりもり食べつつまずいまずいと言いながらニヤニヤしている私はきっと気持ちが悪かっただろう。自分でもそう思う。
母はご飯が食べられなかった。父はご飯を1杯、私とチャオシンは2杯、大柄なソナムは3杯食べた。

食後はお待ちかね。4km走って白水台に到着。山の斜面のそこだけ木が生えずに白い石灰岩の地形が露出している。遠目にも不思議な光景。入り口にはナシ族の皆さんがたむろしている。遊んでいる子供、毛糸つむぎをしているおばあさん、おじさん、子守をしているおばさん・・・彼らを見ながらまず階段を上る。空気が薄いのでちょっときつい。階段を上って後ろを振り返ると、美しい村の風景が目に飛び込んできた。ナシ族の村だ。ハアハア言いながら写真を撮る。観光客は来るけど、観光開発まではされてない。そんな過渡期にある村なんだろう。のどかな光景も、いつか変わっていってしまうのだろうか?
入り口の階段から白水台の見どころまでは、更に緩やかな上り坂が1km近く続いている。ちょっとげんなりしているところへ、ナシ族のオヤジがやってきて私に声をかけた「馬乗らないか?」
たむろしているナシ族の皆さんの多くは、観光客相手の馬引きさんだった。病み上がりの私と、同じく息切れが激しい母は大事をとって乗ることにした。多分観光地値段だろうけど。
オヤジ「1人20元だ。2人なら40元」
私「・・・2人で35元なら乗っt」
オヤジ「よし!」
即交渉成立。オヤジ、こっちが値切る額を見越していた。さすがだ。

Uma

馬に乗るのは久しぶり。チベットでの記憶を手繰り寄せ、何とか一人で乗ることが出来た。オヤジに褒められた。馬はさすがに楽チンだ。人が身体を動かすと、どれほど酸素を消費しているかが良くわかる。私は馬の首につけられた鈴の澄んだ音が大好きで、だから余計に気分が良かった。母もリラックスしている。一番高山病を心配していた父が一番元気で、今まで何の異常も訴えず、普通に坂を歩いている。
見どころのすぐ手前で馬と馬引きは帰っていった。上り坂だけのビジネスらしい。
まずは水に溶けた白い石灰岩が水が流れるうちに長い間堆積して作られた白い岩の塊(小山)を根元から見上げる。塊のてっぺん部分は水による侵食で池になっている。塊の中腹部分は棚田のようなプールになっていて、そこから少しずつ水がこぼれていた。私たちがいる根元の部分には、祠があった。すると、どこからか一人のおじさんが出てきて、ソナムにうれしそうに声をかけた。ソナムも親しげにチベット語で応える。知り合いらしい。このおじさん、祠にお参りする観光客へお線香を売って御祓いをするビジネスをやっているらしい。白水台に観光客が訪れだしたのはここ2,3年だから、おじさんはそこに目をつけてベンチャーを立ち上げたのだろう。祠もおじさんお手製か? ちゃっかりとたくましい。路上やキャンパスでおもむろに店を広げていた頃を思い出した。最近は余りやらなくなったが、地元のお花見シーズンだけは今年も店を出していた。親近感を感じて、私も2元でお線香を買い、お参りと御祓いをしてもらう。心の中で誰にともなくチベットに行ってから今までの報告と、お礼を言った。飛行機の待ち時間に色々思い起こさなければ心の中でもここまでスムーズには出来なかったと思う。偶然にもチベタンの御祓いなので、丁度良い。
遊歩道を上へ登る。登り終えると、確かに聖地と呼ぶのにふさわしい光景が広がっていた。

Baishuitai

徐々に晴れてきて、水の色がどんどんきれいになってゆく。この光景はケータイのカメラだけでは画面が小さくて勿体無いので、父のデジカメを借りてソナムも入れて記念撮影した。
この時は私たちのほかに、中国人のカップルが一組見物しに来ていた。中国人・台湾人は共に、写真を撮る時はばっちり演技派のポーズをとる。そのカップルも例外に漏れず、両手を大きく広げてポーズを決めていた。日本人はどこに行ってもほとんど直立不動なので、彼らからするとつまらなく見えるようだ。ソナムにカメラを渡して撮ってもらったら、細かくポーズを指示されたw やたらポーズ指導する癖に、自分が写真に写る時はいつも恥ずかしがって絶対ポーズをとらないw ずるいw

帰りはゆるい下り坂なので、とても楽だった。景色も楽しむことが出来た。谷の畑では裸麦が育ち始め、山の上の方にある畑はもう少し温かくなったら耕す。斜面の段々畑やパッチワークのような畑が美しい。天気が晴れてくると、かなり温かい。売店でペットボトルのアイスティーを買った。すると、胡桃売りのおばさんがやってきた。確か行きにも売りにやってきた2人組みのうちの1人だ。今度は私たちが日本人と知って日本語で挑戦してきた。「カルミ、カルミ」と言ってるから正しい発音を教えてあげた。かなりしつこく営業してきたが(恐らくそうすると買ってくれる日本人が多かったのだろう)、私達はさっき食事をしてお腹がいっぱいだったので、買わなかった。・・・今度から正しく発音すると、もっと売れるよ。

帰りもまた、とぐろを巻いたりのたうっている蛇のような山道を進む。途中のトイレ休憩は雪の峠の「ナチュラルトイレット(byソナム)」。さらに、少数民族の一つであるイ族の人々ともすれ違った。彼らは地域によって民族衣装が少しずつ違うが、私たちがすれ違った女性はエリマキトカゲのような黒地の巨大な頭飾りをつけていた。恐らく「黒イ族」。イ族の中でも支配階級の人々の末裔だろう。大学時代に受けた講義を思い出して血が騒ぐ。
シャングリラ郊外に戻った時、父が少し気分が悪いというので、一旦トイレ休憩。「車酔いだと思ったら高山病みたいだ」とのこと。標高が下がってから気が付いたらしい。薬を飲んでもらう。トイレ休憩の途中、路上に見事なヤク(毛の長いウシ科の生き物。高地にしか生息しない希少動物で、チベット人たちの家畜)が悠然と歩いてきたので、高山病が治りたてなのに思わず駆け寄る。ヤクは「も?」と振り返る。素晴らしいショットが撮れた。ひざに手を当てて呼吸を整えていると、向こうから少年達3人が歌いながらやって来る。様子を見るに、どうも彼らがこのヤクの飼い主らしい。仕事を終えておうちへ帰るところのようだ。コンクリートの道に昔ながらの光景が残っていた。

そんなこんなで6時にシャングリラの街に着きホテルにチェックイン。普通ならここで今日の観光は終わりだが、私はどうも現地の人とのふれあいが物足りないと感じていた。夕食まで1時間半あるため、近くにバター茶を飲ませるチベタンカフェがないかとソナムに相談した。ソナムは、「夕食後なら案内できる」と言った。
それならと夕食まではホテル向かいの市場で犬を見たり部屋でおとなしく旅日記をつけることにした。
実は夕食後、チベタンカフェよりも面白いところに連れて行ってもらえたのだ。

 

続く

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