江原啓之氏が母校の先輩だった
最近何かと注目されているスピリチュアルカウンセラーの江原啓之氏。実は最近になって彼が母校の先輩であることを知る(彼が学生の頃私はまだ入学してないけど)。人文学部芸術学科だったそうだ。私が学生時代キャンパスで占いの露天を出していたときは、芸術学科の生徒がかなり訪れていた。アーティストタイプの人はインスピレーションを受け取ることが多いからか、神秘的なものに興味を持つことが多いのかもしれない。
その後、彼は神道を勉強するために別の大学に入ったらしい。
彼、インド医学ではカパ(水の要素)が強いのではないだろうか。受身で聞き上手だし、声もいい。カウンセラーには向いているのかもしれない。江原氏は本も良く売れている。地元の本屋にも彼の著書が置いてある。彼の登場で、ニューエイジがサブカルチャーからメインカルチャーになりつつあるのだろうか。
良く言われるように、「自分はどうやって生きればいいのか」、「自分は何故思うように上手く生きられないのか」、「自分の生きている世界は一体何なんだ」「自分が生きる意味は・・・」という疑問に対して理由を誰かに説明してもらいたい。そんな人達が増えたのかもしれない。江原氏のファンには、ちょうどバブル時代に若い時期を過ごした女性が多いそうだ。つい十数年ほど前まではジュリアナでふわふわ扇子を振り回していたらいつのまにか不景気になってしまった。そんな感じだろうか。自分が「こうだ」と思っていたこと、あるいは「こうだ」と植え付けられていた認識が必ずしも通用しなくなる。そんな変化が彼の本を有名にさせたのだろうか。
占いに来るお客さんには、自分の人生を自分で創るということがどう言うことか分からなくなってしまったお客さんも多い。無論、私とて自分の人生の創り方が分かっている、と言うつもりは無いけれど。
そんなふうに、妙な「生きにくさ」を持つ人が増えたことで、「スピリチュアル」と名がつく・つかないに限らずカウンセラーの需要が増したような気もする。同様に、占いを利用する人も増えた。ただ、カウンセラーも占い師も、必ずしも上に挙げた疑問の理由や答えを提供できるわけではないことを覚えておいて欲しい。「自分が答えを見つける」、「自分で理由を探し当てる(あるいは自分で理由付けする)」「自分の生き方を見つける」。占いやカウンセリングがこういったテーマを実現する為のツールになることはありこそすれ、占い・カウンセリングを受けさえすれば後は何もしなくてもテーマが実現できたり、答えが出てくるのだ、とドグマチックな発想に縋ることは危険だ。そういう発想は瞬く間に「自分の人生を自分で創造する」ことから自己を遠ざけてしまい、結局また同じ「生きにくさ」に逆戻りしてしまうから。
それに、もし私が悪い占い師だったら、そんな発想を逆手にとってプラスチックの印鑑を高値で売るようになるでしょうから。
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