超常現象

2012年10月30日 (火)

運勢の神業

※あくまで占い師視点の個人的な妄想です。

飛び降りの弟、兄キャッチ…もう一人の兄は

28日午後4時20分頃、東京都大田区内のビル4階から、「男性が飛び降りた」と110番があった。
警視庁蒲田署員が駆けつけたところ、男性2人が路上に倒れているのを発見した。2人は病院に運ばれたが、いずれも軽傷という。

◆めちゃくちゃ生きたがってる本音
4階から落ちてくる大の男を受け止めて2人とも軽傷で済むというのは、奇跡か超常現象に近い。ハイレベルすぎる。
人間は皆誰でも心の奥底(無意識の底)から湧き出す真の望みだけは実現させる能力を持っている。いわば自己実現能力。それが開運の源でもある。
その能力は時に様々な「運勢」と呼ばれるものを作り出す。いわば運勢が真の望みを叶えるための各種インフラや「運命の導き」のようなものを作り出すわけ。この運勢は人が無意識下から作り出す運勢の中で最もハイレベルな神業とも言われている。
それが「誕生」という人生最初の自己実現を引き起こした。

明らかに、この兄弟は心の底から「生きよう」としている。具体的な自己実現の計画さえ持ってるかもしれない。
自殺未遂の弟は、「この生き方(orこの生き方を形成する考え方)をやめたい」と思っているだけで、「自分の心臓を止めたい」などとは微塵も思っていない。単に、より良い違う生き方をしたいだけだ。しかも、本人の無意識はそのような生き方を知っているし、それを始める能力を持っている。知らないのは顕在意識だけ。

◆狭い視野が本音を歪める
しかし、「この生き方はやめたい!」という無意識の強い思いは、無意識よりも視野の狭い顕在意識(自我)に向かう途中で歪められてしまうことがある。
すると視野の狭い顕在意識(自我)では、心臓を動かすことと「やめたいこの生き方を続けること」とが混同され、同一視されてしまうこともある。自分の無意識が知っている別の生き方やその方法(時に非科学的)は視野の外にあるため、顕在意識(自我)はそれらを自覚できなかったりする。
人間の自我は知性こそ発達しているものの、無意識との連携があまり発達していないといわれている。本能経由で連携しようにも、本能は理性によって制御されている。

「この生き方はやめたい!」という無意識の強いメッセージが顕在意識に向かって送信され、その情報が「この生き方」しか認識できない狭い視野の中に押し込まれると、データが歪んで正確に読み取れず、正確に理解できなくなってしまう。「自分で自分の心が分からない」という状態だ。
「この生き方【は】やめたい(=別の生き方しよう)!」という意図は「生きるのをやめたい!」に誤変換され意味を歪められてしまうのだ。
データの中身がすごく不正確になってしまい。もはや無意識本来の意図を表すことが出来ない。
例えば解像度もサイズも大きな衛星写真を古い携帯電話の画面に無理やりDLしたらどうなるかをイメージしてもらえれば分かるだろうか?
地上に写る目標物などまともに見えやしない。

自我(顕在意識)が無意識からの強いメッセージを歪んで受け取ってしまった結果、「自殺への強い思い」として感じてしまったら・・・
(まさしく、『はやまるな思い直せ』というセリフがぴったりだ)

◆ゴーストから神業
で、無意識(本心)の意図とは関係ない方向に暴走した己を何とか押しとどめ、出来れば正確な方向に修正し進みたいがために、あきらめない無意識は無謀とも思えるような大掛かりな神業を仕掛けることがある。
それが今回のケースの背後にあった物語のような気がする。弟(無意識)は兄(無意識)の協力を得ることが出来たようだ。2人が協力し連携し合った神業は、ほとんどサーカスに等しい荒業である。
命がけのサーカスのようなことをしているが、どっちも心から死ぬつもりが毛頭無いことは「軽傷で済ませる」という技からも見て取れる。
(弟さんはこの神業が発動した意味を良く考えて早まったことは繰り返さないでほしい)

この技も自己実現能力の一例なのだが、これは明らかに自我(顕在意識)の力を軽く超えている。「人間」が出来るようなことじゃない。だから人々はこのような技が発動すると、しばしばそこに奇跡や良き運命や神を見出す。そして神を自分の理想の上司兼庇護者にしたがる。
確かにその技は「人間」が身に着けた能力ではない。私達が人間じゃなかった頃、いわば私達が人として「誕生」する前から魂(ゴースト)の領域に備わっていた能力だ。無意識はゴーストとつながっている。

◆内なるゴーストとの連携能力
そして一人一人のゴーストに、「神」がいる。八百万の神。「セルフ」と呼んでもいい。
神を理想の上司や庇護者にしたいなら、無意識の中にあるゴーストとの連携能力を育てること。
それは何も古代人のように絶食したり滝に打たれたり難しい修行をする必要は無く、まずは「とりあえず自分の自我が持ってる視野はすごく狭いので、自我の視野だけで処理できる物事と、自我の能力を盲信しない方がいい物事がある(多分無意識が関わり、無意識にいる己のゴーストと連携した方がいい物事がある)」とか、「答えがすぐ出ないものに関しては、今の自分の自我が認識できる狭い範囲であれこれ考えて決め付けないほうがいい場合もある。未だ自我が認識できていない部分が視野の外に残っていて、全体像が把握しきれていないのかもしれない」「自分のゴーストと自我が連携した運勢・人生を生きられるように、心の底からの真の望みを自覚したい・自覚できる運勢を心の底から望む」という発想を持っておくこと。
そして、自分が抱く様々な願望のうち、どれが世間の風潮やコンプレックスや空想的不安感などに基づかない真の望みだろうか? その願望はどこから来てるんだろうか? と考えてみること。
(真の望み以外の願望に『神業』は発動しない)
そういう作業、最初は難しいかもしれない。しかし「正解」にたどり着く前に力尽きても、そういう作業をする習慣があるのと無いのとでは連携能力の発達がだいぶ違う。

また、最近流行の「萌え文化」で自分のアニマ・アニムス(理想の異性像にして自分の中の隠された個性や願望や可能性のシンボル)をキャラクターに投影している人は、そのキャラに対する自分の感情や「なぜそのキャラや作品が好きなのか」を分析するといい。それは、己の無意識との対話だ。キャラや作品への思い入れが真の望みを投影していたことによるものであれば、それを知ることでゴースト連携に近づける。
(時には真の望みを抑圧した結果の代償行為的な歪んだ願望を投影していることが判明した、というケースもあるw)

今回のニュースでは「兄弟」というごく近しい間柄でのゴースト連係プレー(神業)が紹介されているが、これが国とか民族とか地球人とかいった大規模なレベル(集合無意識レベル)でゴースト同士が連係プレー出来るようになると・・・


スゴイコトニナルネ

【余談】
昨日、「最近体調不良で妄想したり長文を書いたりする元気が無い」とか書いたばかりだが、実は妄想記事にしたいネタも見つけられなかった。でも自我の努力でネタを探そうとはしなかった。そういう努力をする意欲も湧かなかった。「妄想記事を書く」という活動は無意識が関わることだから、それを無視して自我だけでアレコレこねくり回したり、自我だけで「次の妄想ネタはこれ!」と決め付けてもしょうがないと思っていたので。
そしたら今日、無意識が勝手にネタを見つけて妄想を展開してくれた。
「ネタ探し」など意識していなかったのだが、たまたまこのニュース記事が目に入って、そこからふつふつと妄想が展開し、長文を書く気力が出始めたのだ。
やっぱりこのブログ、半分は無意識で進んでるんだな。

文中にある「無意識(本心)の意図とは関係ない方向に暴走」という状態をタロットで例えると、戦車の逆位置だ。
(ヨガとタロットの戦車を参照)ゴースト(神)は車のオーナー(=セルフ)


就活自殺の増加に思うこと
人の器に宿りし金運

2012年9月25日 (火)

未曾有の刺激

予言とカタルシス願望1」「予言とカタルシス願望2」という記事を書いたのは今から5年も前のこと。その当時すでに「マヤの予言」はオカルトファンの間で流行していた。そして今はその予言が示した2012年。地球規模で地殻変動が活発化したせいもあり、かなり盛り上がっている。予言の結末は「人類滅亡」の他に、「アセンションする」「救世主が来る」「友好的宇宙人が来る」「新しい時代が始まる」とか色んなバリエーションがあり、予言を信じる人にもそれぞれ好みの結末があるようだ。

私も子供時代から妄想好きのオカルトマニアとして「ノストラダムスの予言」が終わった後も決して衰えない予言ブームを見つめてきた。そして今、ふと思うことがある。
刺激的な予言や刺激的な現象によって、今まで退屈だった世界が信じられないような未曾有の大激変を起こし、今までには考えられなかったことが当たり前のように存在する未曾有の可能性に満ちた面白く刺激的な世界になっていくことを夢見てあこがれる人々が予言好きやオカルト好き(一部スピリチュアル好きに)は多い印象がある。それはいわば「オカルト」という人知を超えた信じられないほど摩訶不思議なものに「未曾有の刺激」を期待し投影する心理かもしれない、と。

この「未曾有の刺激」、言うなればお腹の中とベッドの中しか知らなかった赤ん坊がその人生史上生まれて初めて外界の刺激に触れて大いに感動し、その刺激と感動が脳と心の発達(=未来の可能性)に劇的な効果を生み出すほど素晴らしいもので、本能的に手を叩いてキャッキャと喜んでいる時の感情・感覚と似ているかもしれない。
赤ん坊が初めて「外界」と遭遇し、そこから良い刺激を得る。それは赤ん坊の世界からみれば、信じられないような人知を超えた奇跡が起きたようなもの(これも個性化の一種)。まさに「想定外」。
従来の「胎内orベッド」という狭い世界は崩壊し、まさに世界が革命されたといっても過言ではない。
この感覚・感情を今のネットスラングにすれば、「うはwwwテンション上がってきたwwww」だとか、
「キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!」などをはるかに超えるかも。
(悟りを開いた人もそういう気分になっただろうか?グノーシス主義の世界なら『救済』にそれが投影されてる?)

赤ん坊にとって「外界から訪れた感動すべき未曾有の刺激」はオカルト的に例えると「大予言的中」とか「UFO着陸」とか「友好的宇宙人との公式接触と地球文明の飛躍的進歩や宇宙開港」等に匹敵する。それがあるのとないのとでは、未来が大きく異なるほど。
そんな「未曾有の刺激」に飢え求める心が、超常現象といういわば「もし発生すれば未曾有の刺激的な事態と可能性」を引き起こすものに投影され、それ(超常現象)に対する興味や関心、期待感を作り出すことは十分にありうる話だと思う(オカルトより恋愛に投影されるケースの方が多いだろうが)。

赤ん坊が手を叩いて喜ぶ時に匹敵する感動(刺激)というのは、それ自体が人生の宝物と言える。人間はいつになっても無意識にそれを求めているのかもしれない。
そして、例えば何らかの理由で赤ん坊時代や幼少期に適切な(良質の)外界刺激を十分に得られなかったり、何らかの理由で今までは自分の殻に閉じこもって外の世界には関心を払わない(むしろ拒絶し締め出す)生き方をしていたり、常に一つの分野(ないし狭い範囲)にだけ強く集中・没頭する生き方をしてきたタイプの人、すなわち外界からの刺激が少なかったか意図的に減らしていた人もこういう刺激欲求が発生することがあるのだろうか? 表面的には外部の刺激を煩わしいと思う反面、無意識は刺激に飢えていた、なんてことはあるだろうか?
(オタクや研究者、一部の芸術家等にもこういうタイプ多そう)

また、今まで自分の個性や能力・感性・可能性の大部分を気付かずに生きてきた人が無意識にそれらに気付きたいと思うようになると、そのことを象徴するかのように「未曾有の刺激(感動)」を求めるようになるかもしれない。
そして実際に「気付いた」時は、まさに未曾有の刺激と感動を味わうだろう。

赤ん坊の頃、多くが一度は体験したことのある無意識に手を叩くほど感動的な未曾有の刺激。人間が何歳になってもそんな刺激を欲する本能を持っているとすれば、それは人間が何歳になってもそのような感動を味わえる生き物だという証拠になる。「今更」なんてことや、「手遅れ」なんてことは一つも無いのだろう。それは永遠に続く発達と進化の本能であり、永遠の能力だから。
例え超常現象が体験できなくても、予言が実現しなくても、そこに投影した感動的な願いはきっと叶う。
自分の人生を変えていく力は、自分の中にこそあるのだから。内奥に秘められた、自分だけの発達の種に。種から咲くのは、あなたにしか分からない宝の花。

【余談】
「未曾有の刺激」を求める欲求を涼宮ハルヒはとても分かりやすく表現した気がする。
曰く、「この中に宇宙人、未来人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」
(作中ではキョンの存在がハルヒに未曾有の刺激をもたらしていることは言うまでも無い、本人は無自覚だが。)
主人公のキャラ設定、ないし作者自身。どちらかが上に挙げた例に近い背景を持っているのかもしれない。
一夜にして社会がガラリと変わることは稀だが、一個人の人生がそうなる可能性はそれより高い。自分の人生を創ってる運気が大きく変わることは割とあるからだ。
人生を変えたり閉塞感を打開したいなら、外の世界(社会)が大きく変わることに期待するよりも、自分の運勢(人生)を創ってる自分の内面を変えていく方が早い。外の世界が大きく変化することで人生を変えようとすると、自分の閉塞感に合わせて世界を変えなきゃいけなくなる。それこそ超人的な宇宙人や未来人を求めたくもなるが、自分の内面に刺激を与えて変化を促す方法なら外の世界に大変革をもたらす未曽有な事件や未曽有な人材を待つまでもない。内面変化を促す刺激との出会いは、ごくありふれた物事からごくありふれた形で、しかし未曽有に発生する。ハルヒにとってのキョン、キョンにとってのハルヒがまさにそれ。


【オマケ】
未知との遭遇」(1977)より。

終末予言の終末

2010年10月20日 (水)

チリ鉱山救出劇と世界のUFO目撃多発現象

※マニアック注意。リンクは右クリックで別窓。

チリ鉱山救出劇は、世界中の人々に集合無意識規模でとある願望を投影させたようだ。それが救出劇の感動的な雰囲気をさらに強めたかも知れない。
その願望とは、ユング心理学で言えば「自分」という存在を心のホンの一部分である「自我(エゴ)」だけの存在として認識するのではなく、未知で広大な無意識の世界をも含めた存在である「自己(セルフ)として認識するようになること。心の全体性を感じること。このような自己認識の変容をグノーシス主義や仏教では「」救済」と呼んでいる(前の記事も参照)。
ユング心理学でUFOはセルフの象徴、即ちグノーシスや仏教で言う救済の象徴とされている。

作業員救出初日の13日から、即ち世界が救出劇に「救済」を投影したと見られる初日から、それと呼応するように世界各地でUFO(未確認飛行物体)の目撃事件が相次いでいるらしい。一部はニュースにもなった。
まず救出初日の13日。アメリカの鬼門に位置するニューヨークと裏鬼門に位置するサンフランシスコ
鬼門と裏鬼門を結ぶ線は、一部のオカルト方面では「神の通り道」と言われている。ユング心理学では、セルフが「神」のイメージモデルになったという説がある。そんな曰くありげな位置関係の都市でUFO騒ぎ・・・
3日後にはテキサスのエルパソ、翌日はアメリカの鬼門に位置するロンドンスコットランド・・・他にも北欧やマレーシア、オーストラリア、中国、モスクワなどで目撃報告があったとのこと。

特に13日のNYには昼だけではなく夜にもUFOが出現したとのこと(動画)。

個人的には、この謎めいた光の正体は何かということもさることながら、人々がチリの救出劇と同じタイミングで発生した件の現象を「UFO」と認識したことに何か大きな意味を感じる。
今になって思えば、ジュセリーノやノストラダムスといった終末予言にカタルシス願望を投影する人々、即ち終末願望を抱いている人々は、要するにグノーシスや仏教で言うところの「救済」を求めているのかもしれない。己を自我のみならず広大な無意識を備えた「セルフ」として認識したがっているのかもしれない。彼らの抱えている鬱屈や閉塞感は、自我だけが作る狭い自己認識の視野とそれが作り出す狭い生き方の世界に閉じ込められたことが原因だったりするのだろうか。内なる狭い世界が崩壊する願望を、外の世界に投影・同一視する時、人々は「世界の崩壊」という終末願望を抱く?
そういえば、20世紀中盤以降の終末予言には「世界が崩壊する時、UFOが人々を救いに来る」というパターンが流行っている。


予言とカタルシス願望1
予言とカタルシス願望2

2009年7月12日 (日)

未確認飛行物体inメキシコ?

youtubeにはUFO(確認飛行物体)と称する動画が数多く転がっているが、そのほとんどはいかにもSFチックな姿や動きをするCGだったり自然現象やピンボケした虫だったりする。そのため、youtubeで不思議な動画を見つけることなど期待していなかった。
けれども昨日、ひょんなことからCGやピンボケとは趣が違っているような奇妙な飛行物体動画を見つけた。それはメキシコの番組で放送されたもので、撮影者がスタジオに呼ばれて説明していた。黄色がかったオレンジの光を発し、やがてひと回り小さな粒状の光がフワフワ飛び回る。4:35あたりでいよく小さな粒をポロポロと噴き出す。・・・鳥や飛行機などでもなさそうだが、この動画に写っている黄色っぽいアレが何なのか、文系の私には論理的な説明がちょっと思いつかない。もしかするとよく出来たCGなのかもしれないが、ただ、勢いよく小さな粒をポロポロと噴き出す様子がかわいらしくてなんか気に入った。この謎の飛行物体がCGの類だとすれば、これを作った人のUFOセンスをちょっと尊敬する(笑)。

Etgril_2

2009年5月25日 (月)

大英帝国、戦いに魔術師と占星術師を雇う

ブログのネタが思い浮かばなかったので、オカルトな小話を・・・ 


BGM

オカルト大国イギリス。占星術が盛んで、妖精を信じる(見る)人が多く、幽霊の噂がある物件の方が高く売れ、国防省がUFO情報を国民に開示し、超常現象のニュースが紙面に頻出し、かの有名な物理学者アイザック・ニュートンも錬金術にはまっていた。
そんなかの国のオカルトっぷりは、政治や戦争とオカルトが結びつくほど。曰くありげな噂が付きまとうあの「フリーメイソン」もイギリス発祥だ。

以下はずいぶん前のニュース記事。
共同通信より

・・・第2次大戦中に英情報機関が登用した占星術師が、昭和天皇ら敵国指導者の運勢を独自に占い、英陸軍省に定期的に報告していたことが、英公文書館が4日公開した情報局保安部(MI5)の機密文書で明らかになった。  英政府が当時、占星術師を雇っていたことは知られている。占いの結果が政府内でどう扱われたかは不明だが、文書によると、これらの「予言」を真剣にとらえていた高官も一部にはいたという。  この占星術師はハンガリー人のルイス・ドウォール氏(1903~61年)。35年にドイツから英国に移り、戦時中は対外情報機関の特殊作戦委員会(SOE)で大尉の肩書を得た。
42年に作成した文書でドウォール氏は、これまでに提出した自分の占いの結果と実際の戦況を比較。同年6月5日から7日にかけて行われ、日本が敗北したミッドウェー海戦について「6月は(昭和天皇)ヒロヒトにとって悪い時期だ。特に8日前後」と予言したと実績を誇示した上で、翌年の昭和天皇やナチス・ドイツのヒトラーらの運勢を月ごとに細かく占っている。
 MI5は外国人であるドウォール氏を警戒し、活動内容や接触先などについて戦後の52年まで調査を続けていた。(共同)

ちなみにナチスはというと、スイスの占星術師カール・エルンスト・クラフトを顧問占い師にした(実はナチス、オカルトを自分達に都合よく独占するため、国内の都合悪い占いをした占星術師達を迫害。結局クラフトもドイツに不利な鑑定結果を出して収容行きに。組織自体が占い依存症だったようだ)。
イギリスはそれに対抗し、「敵が星の様子を見て作戦を決めるのなら、我々も星を見れば敵の作戦を予測できるじゃないか」と件のハンガリー人占星術師ドウォールが雇われたというわけ(星はどこでも見えるんだから筒抜けだ。ナチス側は何で誰もそれに気付かなかったんだろう?)。
彼の一番の手柄は「占いによる作戦予測」よりも、ドイツで有名な星占いカレンダーの『偽物(不吉なことを一杯書いておく)』をドイツにばら撒いて、ドイツ側の士気を大いにくじいたことだとも言われている。
イギリスは、「オカルト」と「政治」が関わることが他にもあった。イギリスに拠点を移した「神智学協会」というオカルト思想グループの会員だったアニー・ベサントが東洋趣味的な神智学の発想に突き動かされて後のインド独立運動に大きな影響を与えた「自治権運動」を展開している(インド独立の母の産婆助手、と評す人もいる。ガンジーも彼女には好感を持っていたとか)。同じような感じで神智学協会会員がスリランカの独立にも影響している。Vsign
また、かの有名な(悪名高いとも言う)西洋神秘主義者にして儀式魔術師のアレイスター・クロウリーもイギリス軍情報部に協力。初めてチャーチルに「Vサイン」という呪術的な所作をさせたり、「ヒトラー上陸を防ぐ儀式魔術」を行ったりしていた(上層部にクロウリーを使う提案をしたのは007の作者、イアン・フレミング)。その効果があったかどうかは定かじゃないが、何故かナチスはイギリス本土の上陸作戦には乗り気にならなかったらしい。それを「ナポレオンの頃と同じことが起きただけ」と言うオカルト系の人もいる。
以上、オカルトを信じない人が読むと抱腹絶倒できる実話。

イギリスのオカルト好きという国民性は現代でも健在。世界的な不景気の今、かの国の占星術師やオカルト結社が景気回復を願ってこっそり動いてみている「かも」しれない。

2009年1月23日 (金)

サウジアラビアにUFO墜落?

サウジアラビアにUFO墜落 数千人が目撃
ちょっと前の出来事。場所はサウジアラビアの首都リヤドの東に位置するアル・カシムという場所。目撃者によると、物体は流星などとは似ておらず、青と緑をしていてレーザーらしき光が見え、爆音を出して地面に激突し、振動を感じたという。地元の気象局からの発表はない。
・・・こういう奇妙なニュースが子供の頃から大好きだ。正体不明の飛行物体は例え実際が隕石や飛行機であっても、未確認であるうちはUFO(未確認飛行物体)だ。そこで様々な空想の余地が生まれる。宇宙人の乗り物だ、いやタイムマシンだ、いいや「悪の組織」の陰謀だ・・・などなど(笑)。未確認。なんと夢膨らむ魅力的な響き。わくわくしちゃう(変態?)。
しかし現地の目撃者達はわくわくするどころか怖いと感じた方が多かったようだ。お祈りをする人、「神がガザで今起きていることへのサインを発したのだ」と思う人・・・
未確認飛行物体も興味深いが、それを見た人のリアクションも非常に興味深いと思う今日この頃。


ハリケーンウィルマの目に現れた謎の数字


2007年8月21日 (火)

ハリケーンの目に現れた謎の数字2

※後半部分は占い師の囁き(たわ言)です。科学的根拠はありません。

 2
海の向こうではハリケーンの季節。
さて、2005年にカリブやフロリダを襲った観測史上最低気圧記録の強烈なハリケーン「ウィルマ」。自然のイタズラか神秘の仕業か、そのレーダー画像の目の部分に「2」の数字が偶然現れた事件を覚えておられるだろうか?当時、「見事なゴシック体だなあ」と感心していたのだが、浮かび上がった数字については余り意識を向けなかった。今更ながら「なんで2?」という疑問が湧いたので、今回はあえて電波に数字の方へフォーカスして遊んでみようと思う。
古代の世界では、数字に様々な象徴や意味を当てはめる考え方があった。数秘学(数字を使った占い)などはそこから作られたもの。古代に行われていた「数字に特定のシンボルを当てはめる作業」は、人間が無意識に抱く数に対するイメージを反映している、とも言われている。
ちょっと気になって、「2」が具体的にどんなシンボルを持っているのか調べてみたら、「2」のシンボルには、二極相対(二極分化)を前提としたシンボルが比較的多いことがわかった。以下は「2」に関する主なシンボルイメージ

女性 母性 月 知恵 陰陽 回転、渦 流動、海、水、アヒル、均衡(バランス)、目に見えないもの、「表」に対して「裏」、「文明(人工)」に対する「自然」、「顕在意識」に対する「潜在意識(心の裏側)」「合理性」に対して「非合理性」etc・・・

ハリケーンは渦だし、回転するし、流動的だし、水や海とも縁が深い。また、ウィルマがハリケーンの最大規模を示す「カテゴリー5」になった2005年10月19日は丁度満月だった。偶然にも「2」は月のシンボルでもある。そして、くだんのレーダー画像が放映されたテレビ局はNBC2。レーダー動画をみると、「2」が浮かび上がった時間は約2秒。本当にイタズラではなく、全て偶然とのこと。

「ウィルマ」をはじめとして、2005年は今までのハリケーンの記録を塗り替えた巨大ハリケーンが多発した年だ。同じ年に発生した「カトリーナ」の惨状を覚えているだろうか? やがて、地球温暖化がハリケーンを大きくさせているのでは?」といわれるようにもなった()。今年の「ディーン」もそんな感じだ。
地球温暖化。偶然にも、「2」のシンボルイメージにある、「文明に対する自然」と「均衡(バランス)」の問題だ。
さらに、「2」が「文明に対する自然」と共に「顕在意識に対する潜在意識」というシンボルイメージを持っている所が面白い。潜在意識(無意識)は、人間の心の領域の中でも、文明が人工的には作れない「自然」の領域でもある。心の中で最も自然の領域の近い部分(又は自然界に属している部分)が「本能」と「無意識」だともいわれている。・・・昨今の自然環境と心の環境の現状は、似通っていまいか?
人間は「母なる自然」にも目を向けると共に、自分自身の心の領域にも目を向けた方が良い時期に来ているのかもしれない。「顕在意識に対する潜在意識」の「均衡(バランス)」・・・
巨大ハリケーンが発生するのは地球温暖化と因果関係があるからだとすれば、巨大ハリケーンは人類に対する自然界からの警告的なメッセージなのかも知れない。「自然に目を向けよ」。
ウィルマのレーダー画像が「2」に見えるのは、雲の様子から人の無意識がそのように見せているからだとすれば、それは「心の中の自然界」である無意識からのメッセージなのかもしれない。「心に目を向けよ」。
人間から見た自然と無意識(心)。どちらも、「合理性」を追求する余りにないがしろにしてきた「非合理」の部分だろう。精神世界系の人ならそれを「スピリチュアリティー」と表現するかも。
外界の自然と内なる自然である無意識(心)は、人が生まれた時からどこかで繋がっているのかもしれない。

文明と生命力の使い道
エコロジーと終末論

2007年8月 5日 (日)

予言とカタルシス願望2

※非科学的なお話です。2009~2010年にだいぶリメイクした記事です。
※お好みでBGMどうぞ↓

カタルシス:精神的なしこりを破壊したがっている心の持ち主が、その代償行為によって得られる満足

◆ジュセリーノの予言とカタルシス
「ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルース」というブラジル人の男性がいる。普段は高校で語学の先生をしているが、「予言者」もやっている。なんでも、9歳の頃から身の回りのことに関する予知夢(未来の出来事を暗示する夢)を見るようになり、それがまたよく当たっていたのだそうだ(当たったとされる予言はこちら)。現在は予知夢を通して世界中の出来事を予言しており、予言の内容は公文書に記録しているらしい。夢のお告げに従って、各国の政治家に予言の内容を記した手紙を送ることもあるそうだ。ノーベル賞を受賞した元米国副大統領のアル・ゴア氏にも、何年も前に手紙を送ったことがあるという(本人談)。そんな彼は今、ブラジルのみならず日本でも話題になっていて、たま出版から彼の「予言」をまとめた本も出た。日本のテレビでも取り上げられた。
彼が予言する出来事で印象的なのは、世界中で巻き起こるらしい終末的な自然災害だ。特に、大地震の予言が注目されている。他には事故や犯罪、そして「人類滅亡」についての予言もあり、これまた人々の注目を引いている。その様子は20世紀に流行った終末予言系のパターンやその焼き直しのマヤの予言、アセンションといったものと似ている気がする。

注目される彼の予言に大地震の予言がある、ということは、大地震の夢を見ている、ということ。夢の世界では、地震は精神的な動揺とか、現状に対する不満や現状を変えたい(破壊したい)気持ちの象徴だったりする。大地震によって立派で頑丈な多くのビルが基礎から破壊され跡形も無く瓦礫と化す夢やイメージは、壊れゆくビルに鬱屈(と、その原因)を投影出来ていかにもカタルシスの方法になりそうだ。そして、「集合無意識を覗き込む夢」ともいわれている予知夢で大地震の夢を見るということは、集合無意識規模で多くの人々が大地震のイメージを思い浮かべており、大地震のイメージを使ったカタルシス欲求を持っているのは夢を見た本人だけではないということだ。彼の夢(予言)に興味を持った多くの人々も同じく「大地震カタルシス」の欲求があるのかもしれない。大地震の予言が特に注目される理由は、日本が地震国だという理由だけだろうか? 

世紀末を過ぎても予言が話題になるということは、「予言ビジネス」が儲かるということは、それだけまだ「予言」というカタルシス方法に需要があるということか。
特に、「人生に不満や鬱屈を抱えているけれど、その正体が具体的に何なのかハッキリ自覚できない」という条件下では、自分の顕在意識(我々の普段の意識)が鬱屈を解決する具体的手段を思いつけない。鬱屈を自力では解決できない行き詰った状態だと、「自分以外の力」に解決してもらわなくてはならない。よって「鬱屈破壊」の代償行為に使うイメージが人知を超えた神秘的なもの・謎めいたものになることも多いのではないか。何か人知を超えた不思議な大きい力が自分でも正体が分からずに壊せない鬱屈や行き詰まりを壊してはくれまいか(自分の現状を変えてくれまいか)と期待する心理が生まれそう・・・
鬱屈の正体がわからず、鬱屈破壊の手段もわからず、いつまでも自力の鬱屈破壊ができない。それで仕方なくいつまでも代償行為を求める。仕方なく。自分に出来るのはそれだけ・・・
終末予言にワクワクする心の裏では密かに思う。
「いつまでこんなことやってなきゃいけないんだろう?」
そして心の裏では密かに思う。
「・・・いっそ何か不思議な力が鬱屈をドンと破壊してくれないかな・・・」
21世紀初頭。そんな心理を抱えた人は一体どれだけいるんだろう? 

今までの終末ブームで多くの人は鬱屈破壊の漠然とした代償体験はできたものの、ぼんやりとした代償体験(にせの体験)では不完全燃焼だったらしい。
そのせいで、ある予言でスッキリできなければ、別の予言を「はしご」する。だから終末ブームは終わらない。本当に望んでいるのは自分の奥深くの鬱屈が解決することであって、破壊的な予言が当たることじゃないと彼らが気付くまで。その日が来るまでメディアはカタルシスに使えそうな予言をセンセーショナルに盛り上げる。本も売れる。世紀末をとうに過ぎたとしても。

結局、カタルシス(代償行為による満足)なんかじゃダメなのだ。本当に壊したいものが壊れねば(本当に解決したいものが解決せねば)心の底からスッキリ出来ない。代償行為で「壊した気になって満足」なんかできなかったのだ。(それに気づけなかったオウムは教義での脳内疑似カタルシスに満足できず、とうとう暴走してハルマゲドンになぞらえたテロという大掛かりな形で終末系カタルシスをやってしまった?)

前回も書いたが、人は心の中で何かを強く望むと、意識的にだろうが無意識的にだろうが、実際にそれを現実化させる(又はリアリティーを持たせる)傾向にある。人の運勢も同じ。心(無意識を含む)に強く思うものがあると、それが行動パターンや運勢(現実)に反映されると言われている。例えば「、鬱屈から己を解放する」という望みを強く願うなら、その願いを叶える力はやがて当事者の運勢に何らかの形で作用し、またもしも多くの人がカタルシスのために終末的な現象の実現を強く求めてしまえば、何らかの形で世界にそういう運勢が表面化することもありうる。

さて、予言(カタルシス)をはしごする人々は自分たちが心底強く望んでるのが鬱屈破壊の代償行為(カタルシス)なのか、それとも本当の鬱屈解決(=本当の鬱屈破壊)なのか。彼らは自分が真実どちらを望んでいるのかしっかり気づいているだろうか?
もしも予言に鬱屈解決の代償行為を求めていた人々が、実際の鬱屈解決の方を強く望むようになれば、もはやカタルシスのために予言を求める必要がなくなる。よって、予言が当たる必要も無くなる。やがて予言は当たらなくなるだろう。

また、もしも本当に予言的中を怖がっている人がいたら。その人は予言に自己の内なる不安感を投影している可能性が高い。予言が怖いのではなく、抑圧された内側の不安感を恐れている感じ。本当に恐れているものは何か、抑圧された不安感の正体は何か。それが分かれば何も怖くなくなりそう。

人の運勢は、人間ひとりひとりの顕在意識を超えた無意識領域から発する。だから、「運は自分で作る」とも言う。もしも予言を信じることに鬱屈破壊の代償行為(カタルシス)を求めているのであれば、それよりむしろ鬱屈解決を直接強く望んだ方がいいかもしれない。長い鬱屈およびそれを引き起こしている原因は、健康的な精神活動・生命活動を妨げる。健康な生命活動に関わる望みは無意識領域が強く反応するので、代償行為ではなく直接鬱屈解決の望みを自覚・意識すれば運勢に反映されて実現しやすい。人の無意識領域にはそういう生命力がある。
その力は、我々の普段の意識(顕在意識)から見れば、確かに「人知を超えた不思議な大きい力」に見える。その力が己や人生を変える働きをする様子は、予言が当たるのと同じくらい神秘的で、信じられないほど画期的な驚異のドラマに見えるだろう。
(だから神秘的な終末予言にその神秘なる力が働く願望を知らず知らずのうちに投影・同一視した結果終末願望が生まれるのは無理もない)
そして、その力は、いまだ謎に包まれた一人一人の広大な無意識領域からやって来る。自分でもよく分からない深遠なる無意識領域の中には神の力を秘めたかのような部分があるのかもしれない。
人は願いを叶えてもらおうと神に祈る時、己の深層に潜む自らの不思議な願望実現力を神に投影しているのかもしれない。願いを叶えるには、自分の願望を正確に知ること、なぜそのような願いを抱いたのかを自覚する事がコツだ。

結局、鬱屈解決の鍵は、自我の能力とは異なる無意識領域からの力(生命力)だといえるだろう。「自力では解決できない鬱屈」ということは、その鬱屈を解決するのに必要な力や手段が自我(顕在意識)の領域ではなく、普段意識することがない無意識領域に属するものだということだ。人間の持つ「自力」という概念は顕在意識の能力範囲にほぼ限定されている。要するにほぼ物理的な力だけだ。
この無意識領域の力を無視して顕在意識の力(物理的な方法)だけで無理やり鬱屈を解決させようとしてしまうと、苦し紛れにカタルシス(代償行為)を繰り返すことで己を騙すことくらいしかできないわけだ。先に書いた「自分に出来るのはそれだけ・・・」となる。

そして忘れてはいけないのは、破壊と再生は表裏一体で、鬱屈解決(=鬱屈破壊)は最終目標ではないということ。
破壊はスタートのための準備や手段。破壊されてはじめて新たなスタートが始まる。新たなスタートの邪魔をする鬱屈や古いものは一掃されてしまう。その一掃する役目を持った破壊は「始まりのための終わり」だ。始まりのための準備でしかない。
人々が終末系予言に投影する本当の願望は、「自我を超えた力が自分と生き方を変革・進歩させること」。終末願望に投影された「破壊したいもの」は、「進歩・変革できずに行き詰った自分とその生き方&そんな生き方の根底にある根本原因(=基礎から崩壊する予定のビル)」

ユング心理学の概念を借りると、行き詰りを基礎(原因)ごと壊して進歩・変革をもたらす力は一人一人の自我(顕在意識)の次元を超えた広大な無意識領域の中心に住んでいる「自己(セルフ)」と呼ばれる「おおもとの自分」の領域から来るかもしれない。「このおおもとの自分」と自我がつながって上手に連携が取れたとき、運勢が非常に良く機能する状態(=開運)になるようだ。分からなかった自分の鬱屈の正体が分かったり、手の打ちようがなかった閉塞感の打開や鬱屈浄化が実現する運勢を作ることも出来るのかもしれない。ユング心理学で「自己(セルフ)」と名付けられた「おおもとの自分」も「自我」も、同一人物、同一の生命体だ(ただし自我とセルフの役割を混同してはいけない。いわば脳と指みたいなもの)。その生命体は予想以上に深遠で広大なようだが、我々の顕在意識は外界の物事にあくせくすることで手一杯でそんなことには見向きもしない。自分で自分本来の姿を無視(抑圧)してしまえば、確かに鬱屈が生まれやすいだろう。

鬱屈解決(=鬱屈破壊)が投影された終末予言。ならば、イメージしてみよう。

予言が的中して世界が激変した未来は、どうなっていて欲しい? それは、なぜ?
その世界で、自分はどんな人生を生き、どんな人間になっているだろう?

そのイメージの中には、鬱屈が解決されて新たなスタートを切った自分のカギが隠されている。
そのカギが、終末願望に投影された本当の願望を象徴してるのかもしれない。
時には自分が予言に投影した「己の望む生き方」に気付きさえすれば、今この瞬間からそれを実行できるかもしれない。もはや、ハシゴした予言の的中を待つまでもない。

未曾有の刺激
終末予言の終末

※あとがき
「カタルシス願望」につながる無意識の鬱屈や閉塞感などは、以前に書いた記事の「生命力を代替する文明」と「自分の生命力が分からない・うまく引き出せない・使い道がわからない」といったこととも関係あるまいか?
終末ブーム時代に流行った漫画が、「水没するビル街(文明破壊のイメージ。水は無意識の象徴)」という絵柄を採用してるのが多いようなので、ふとそう思った。
カタストロフィを起こす終末予言のイメージだと、滅びるのは大概文明世界だけで、自然界は滅ばないようだ。

「草食化」という本能?

2007年7月30日 (月)

予言とカタルシス願望1

※非科学的なお話です。  お好みでBGMどうぞ↓


◆流行するカタルシス願望
カタルシス【katharsis(ギリシア)】(浄化・排泄の意)
1. 古代ギリシアの医学で、病的な体液を体外へ排出すること。瀉血(しゃけつ)。
2. アリストテレスは悲劇の目的をパトス(苦しみの感情)の浄化にあるとした。最も一般的な理解では、悲劇を見て涙をながしたり恐怖を味わったりすることで心の中のしこりを浄化するという意味。
3 .精神分析の用語。抑圧されて無意識の中にとどまっていた精神的外傷によるしこりを、言語・行為または情動として外部に表出することによって消散させようとする精神療法の技術。浄化法。
4. ジクムント・フロイトがこの語を採用したことから、カタルシスは代償行為によって得られる満足を指す心理用語としても用いられるようになった。

20世紀の日本。高度経済成長期~バブル崩壊を経て世紀末にかけて。ある有名なカタルシスが流行した。最初はマニアックな分野から発生したそれは、やがて漫画や小説や映画まで、それをイメージさせるような題材を使うものが流行った。それだけ需要があった。宗教の分野では、言うまでもない。
カタルシス。人々は、自分の内部にある鬱屈し行き詰った「壊したいもの、消したいもの、水に流したいもの」を外の世界に投影し、それを破壊することで、内なる鬱屈・行き詰まりを破壊したつもりになってすっきりしたくなる(=カタルシスしたくなる)衝動に駆られることがあるようだ。内に秘めた「破壊したいもの」がどういうものかは、破壊された後のスッキリ感がどんなイメージかによって象徴的に暗示されている。

あの頃流行ったカタルシス願望の名前を、「終末ブーム(終末願望)」という。有名どころは五島勉の「ノストラダムスの大予言」。当時ベストセラーになり、何と翌年にはこれを原作とした文部省推薦の映画まで作られている。その後も、ノストラダムスの予言を焼き直したような終末予言系の本が世紀末までに沢山出た。世紀末が過ぎてしまった現在は、それに代わるものとして最近話題の「マヤの予言」や「アセンション」、「ジュセリーノの予言」などが挙げられるだろうか。あの頃からのカタルシスは、未だに十分には満たされていないようだ。経済の分野では既に一度「恐怖の大王」が降臨したと思うのだけど、それだけじゃ願望成就として不十分なのか、その後には某宗教団体が自分たちの手で世間にカタルシス(カタストロフフィー)を起こそうとした事件まで起きた。そしたら破防法によって自分達が別の意味でカタルシス(浄化)された。強いカタルシス欲求が終末願望という形をとると、人は実際に「終末」を演出するような行動をとることがある。その例として「地下鉄サリン事件」のほか、海外の宗教団体が集団自殺をするニュースなどはこれまでに何度か報じられている。
・・・こういうのって、彼らだけでなく、テロリスト(特に自爆テロリスト)達にも通じる心理なのだろうか? 人は心の中で何かを強く思うと、意識的にだろうが無意識にだろうが、実際にそれを現実化させる(又はリアリティーを持たせる)傾向にある。人の運勢も同じ。心(無意識を含む)に強く思うものがあると、それが無意識の行動や運勢(現実)に反映されると言われている。
もしも世界中の多くの人々が鬱屈と行き詰まりを抱えてカタルシスを求め、そのためにはどうしても恐ろしげな予言の「実現」が必要だと思ってしまったら・・・? 

破壊と再生は表裏一体。カタルシスの役割として、カタルシス投影の条件として、「破壊の先には新たな希望(可能性)が開ける」というものがある。心を鬱屈させ行き詰らせる何かが破壊されれば、その向こうから新しい世界がやってきて、毎日が変わる。きっと新しい気分で毎日が送れる。以前とは全く違う生き方になる。ノストラダムスの予言で言うなら「恐怖の大王が降って来た後、火星が平和のうちに統治するだろう」という部分がそれ。希望へと続く道を開くには、それを妨げ「通せんぼ」している何かを破壊しなければならない。一体、何が道を塞いでいるのだろう? 

次回はこの続きで最近流行のジュセリーノの予言やマヤの予言等を例に挙げて書いてみようと思う。
予言とカタルシス願望2

参照:広辞苑と大辞泉、ノストラダムス現象

2005年11月 1日 (火)

ハリケーン「ウィルマ」の目に現れた謎の数字

米国のテレビ局NBC2で放映されたハリケーン「ウィルマ」の報道を見ていた視聴者数十人から、妙なものが見えるという連絡が寄せられた。その内容はというと、「ウィルマ」のレーダー画像、ハリケーンの目の部分に数字「2」の姿が見えるのだとか。
テレビ局で画像をチェックしたところ、視聴者の指摘したものが確認できたというニュースでした。

・・・・・・これまた見事なゴシック体・・・

報道で流された「2」は動画だったが、静止画だったらもとっと多くの人が気付いたかもしれない。
それにしてもなぜ「2」なのか? 実はこの事件には奇妙な偶然の一致があった。そこから空想の翼を広げ、なぜ「2」だったのかを妄想してみた


※上のような事件と似たような話に、コロンボのイスラム学センターのMohamed Faizeen氏などが主張する「スリランカの西岸を襲った津波の映像がアラビア語の【アラー】そっくり」というのもあります。画像あり

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