社会

2017年8月15日 (火)

犠牲の価値より生きた尊さ

※以下に書いたことは全て個人の妄想です。

上彰、戦争を美化する動きに警鐘 「特攻」について考える特番放送
「池上彰 X 特攻」リアルタイムツイート

今年の終戦記念日シーズンは特攻についての番組が放送され、かなり反響があったようだ。
私も以前、『太平洋戦争のベルセルク悲話』というオカルト視点の記事を書いたことがあるが、今回はまた別の視点から考えてみようと思った。
まず、神風特攻隊創設者の大西瀧治郎の意図・目的について。おそらく特攻作戦は対米戦における効果を狙ったのではなく、「敗戦後を想定したレジェンドづくり」と「昭和天皇に戦争を止めてもらう」ためのデモンストレーション(直訴)という意味合いが強かったかもしれない。

大西の意図した「レジェンド」は、
「戦いが日本の劣勢になり刀折れ矢尽きたその時、若者達がその忠君愛国精神ゆえに命令したわけでもないのに自ら進んで命と引き換えに次々と自爆攻撃をし始めた。
天皇陛下はこれをお聞きになると御自らの御仁心により戦を止め講和する決断をなさった。陛下も散華した若者達も、日本と国民を愛するがゆえの決断であった。
このように日本国民は散華した若者と陛下の双方からかくも深く愛された存在なのである。戦争に負けたからと言って絶望し自暴自棄になったり自己卑下したり自尊心を失わないように。」
というもの。敗戦後の民心統治を意識して作られたっぽい(敗戦後も国家神道の価値観が続く想定で)。

上に書いた「レジェンド」を残すことに加え、「(日本側の欠陥によりだれも講和を提案できず)暴走機関車になった日本が女子供まで巻き込み自滅していくのを止めるための(天皇を講和へ向かって動かすための)人柱として『特攻を自ら志願して散華した』という設定の若者達を量産」というのもありそうだ。
これは大西瀧治郎が残したコメント()から何となくそう感じた。

要するに、「特攻作戦」はアメリカから国民を守るためのものではなく、(国民を道連れに自滅へ進む)日本側の暴走から(特攻を知った天皇に講和の決意を促すことで)国民を守るためのものプラス、敗戦後の人々が落ち込み過ぎないように残しておくレジェンドを作るためものではないか、と思った。
もしも「陛下は自分達の過激な行動を知れば分かって下さるに違いない」という願望回路が特攻立案の背景にも存在するとすれば、226事件の頃から全く進歩してない気がする(妄想)。

最近はネットなどで「日本はあの時特攻やったお蔭でアメリカによる滅亡から救われたからこそ今の繁栄した日本がある。特攻兵達は現代日本の立役者だ」 とか「誰だって死にたくはないし特攻兵達もみんな本当は生きたかったけれど、そこを我慢して日本のために自分の一番大事なものを捧げたところが美しくて素晴らしいんじゃないか」 という(おそらくは軍産複合体や防衛利権と絡む右派の?)ロビー活動も散見される。
特攻兵の死をロビー活動のために当時の作戦(政策)を肯定する道具として利用するぐらいなら無駄死にと断定していいかもしれない(失策を明らかにした死としてすら評価しなくていいかも)。
およそどんな犠牲者もロビー活動の道具にしたりロビー活動の視点からその死をを評価することはご本人やご遺族にとって失礼にならないか。
(この問題、PKOで亡くなった自衛官の死を当時の政策肯定のために尊ぶロビー活動とも共通点がある。どちらのロビー活動も、その作戦や政策の効果を肯定しない者=犠牲者の死を無駄死にと切り捨てる冷血漢だというレッテルを貼る。遺族達ですらその罠にハマって都合よく利用され、ロビーの主張を支持しなければ身内の死を供養できなくなってしまっているケースがある)

「その人が死んだ意味や価値」ではなく、その人が生きた意味にこそ目を向け尊ぶ(その死を尊ぶのではなく、その生きて来た人生を尊ぶ)ことが供養なんじゃないかと思った。
死をしか評価され尊ばれない命、しかも他人にとって政治的な利用価値のある死という一点でのみしか存在意義を評価され肯定されていない命というのはなんとも悲しい(遺族すらその価値観における評価に供養を依存しているならなおさらだ)。
後世の人間が「死に方こそ特殊で短命だがその生きて来た人生は無駄じゃなかった」と思うこと、本人もそう思えることが一番の供養で愛情じゃないかと思える。
特攻兵なんて平均20歳前後だから自分の人生振り返って「生まれてよかった・生きてよかった」ってしみじみ思う機会はそうそうなかったかもしれない。でも特攻兵達だってきっと自分の生きた意義は心のどこかで感じていたと思いたい。たとえ短命だったとしても、自分にしか生きられないその人生は尊い。
少なくとも彼らの魂はきっと知ってると思いたい。

「生贄」が自分個人の生きる喜び(生きがい)を組織や社会に捧げるのと引き換えに、組織や社会によって死を崇拝され高く評価される(生贄はそれを名誉や救いとして認識する)という一面が古今東西の生贄のシステムにはあるのかもしれない。
古代人じゃないんだからそろそろ生贄的なシステムから卒業してはどうだろうか?
死の価値なんかに依存しないで生きた尊さにこそ目を向けられる社会は、たぶん平和な社会だろう。

サバイバー症候群

2016年11月11日 (金)

米選挙を振り返って

※以下に書いたことはすべて個人の妄想です。

トランプ支持を大っぴらに表明できなかったインテリ白人男性の現状を明かすルポを見つけた。そのルポの前半で、行き過ぎた(というよりもはや悪用された)ポリティカル・コレクトネス(一番下に解説)の風潮に対し「自分が矢面に立って差別主義者のレッテルを貼られたらこの国ではまともに就職できないよ」というセリフの下りが印象に残った。「差別主義者」の部分をイスラム過激派にしても通用するし、国を変えれば同性愛者にしても通用する。時代が違えば共産主義者でも魔女や異端者、異教徒でもいけるw そう。全部差別対象になったもの。最近では「差別主義者と見なされた人(差別主義者とは限らない)」が差別と迫害の対象になるようだ。
従来の差別と迫害を抑圧する代わりに別の形の差別と迫害で代用するかのようなポリティカル・コレクトネスの暴走(悪用?)が社会に蔓延する原因にアプローチした方がいいかもしれない。そもそも不寛容で厳格な一神教のマニュアルを土台にした思考・習慣・価値観が何世代も連鎖した歴史を持つ欧米。そんな連鎖自体が不寛容な思考パターン癖を集合無意識レベルで作ってしまっている可能性も。それが中世の異端者狩り・異教徒狩りのようなポリティカル・コレクトネスの暴走(悪用)にも反映されてる?
現在の米国の差別文化・差別欲求において、差別の対象が一神教文化圏の人々になることが多い傾向にあるのは意味深だ。同じ文化圏同士、お互いの集合無意識下にある「不寛容さ(差別の原因にもなりうる)」が合わせ鏡となって映し出され共鳴しあっているのか?
どうやらアメリカでは過剰なポリティカル・コレクトネスを使って差別の風潮(差別の欲求?)を表面上は押さえつけることに成功した反動で、差別主義者(あるいはそのレッテルを貼られたり言いがかりをつけられた誰か)を差別する代償行為的な文化が生まれているようだ。
(因みに選挙戦に勝ちたくて過激な発言をしたトランプ氏だが、個人的には本気でイスラムヘイトや移民ヘイトに基づく政策をするとは思わない。口先だけじゃないかと思う。トランプ氏が大統領となって国として人種差別を容認or推進するというデマを流しているのはリベラル寄りのマスコミの方で、それを真に受けた一部の人達がトランプ当選で差別の大義名分を得たと勘違いして移民や黒人やイスラム教徒に危害を加えるなど、トランプを自己正当化の言い訳にして暴走している印象)

以下、件のルポトランプ旋風でわかった“インテリの苦悩” ハーバードの学生がトランプ支持を表明できない事情 より一部抜粋

ハーバードを卒業した白人男性は、「僕らは自分の意見を自由に表明することができない」という。ポリティカル・コレクトネスが行き過ぎた現在のアメリカでは、白人男性であることはむしろ「原罪」なのだ。
努力して好成績を修めても、「優遇されてるからでしょ」と批判されることもあるという。
下手に反論すれば「差別主義者」のレッテルを貼られてしまう。
ケヴィンも酔った席での戯言を除いてオフィシャルにトランプ支持を表明することはない。
ポリティカル・コレクトネスが何より重んじられるアメリカ。
インテリ層がこれを間違うと大変なことになる。信用を失い、名誉を失い、将来を失う。

為政者にとって寄り添うメリットが無いか少ないマイノリティーを犠牲にする・無視する形の政策を決めるために多数決を使うと、必然的にマジョリティーが勝つので多数決が弱肉強食の道具にしかならなくなる(為政者に好都合な結果となるだけで時に人道的ですらなくなる)。
「トランプ支持者は皆レイシスト」というレッテルを張り差別することで自分と異なる候補の支持者層をある種の被差別マイノリティー化させて多数決(投票)で勝つ作戦は失敗した。なぜなら、トランプ支持層の多くはピラミッドの下層にいるのでもともと数が多く、マイノリティーになりようがないから。実際、マイノリティーじゃなくてサイレントマジョリティーになった。

多数決ルールが整備されてなかった時代は政治の世界の弱肉強食手段がもっとえげつなくて殺し合いとか脅迫とか暗殺とか普通にあったから多数決を発明したことで政策を決める手段としては「まだマシになった」というレベルなのだろう(今でも時々死人が出るけど)。
そもそも弱肉強食発想で社会の在り方やルールや問題解決方法を決めていったらどこかが犠牲になるのは当たり前で、いつまでたっても社会に弱肉強食の争いと犠牲は減らないし無くならない。マイノリティー(社会的弱者)という存在もなくならない。
高度な政治の議論に見えたものが、フタを開けたら「どこを犠牲にするか」で利害対立し大喧嘩してるだけだったりする。
かつて(今も?)のマイノリティー側。その一部が行き過ぎたポリティカル・コレクトネスや「差別を受けた」という事実を盾にして(時に悪用して)誰かやどこかを攻撃したり、逆差別したり、差別利権作って台頭したり、対抗勢力に差別主義者のレッテルを張って差別や攻撃をすることで相手を被差別マイノリティー(かつての自分達と同じ弱い立場)にして社会の中で支配力を増していく現象がその証。

弱者はいつまでも弱者とは限らない。強者はいつまでも強者とは限らない。当たり前のことだが、弱肉強食の世界も諸行無常。差別と迫害に甘んじていた者達は、生き残るために強くなり力をつけて、いつの間にかその一部は迫害者になっていることもある。キリスト教だってそうやってのし上がった。
強者にのし上がった元弱者もまた、いつかは別の強者に負けていく。
もしかすると、「迫害してきた者にいつしか迫害される」というカルマ的な運勢ってのがあるのかもしれない。立場の弱い自分達を守るために「迫害者の側になる」というやり方も考え物だ。また迫害されかねないから。

(11.21追記『一部のポリコレ暴走現象は、リベラル叩きをしたい勢力が世間をポリコレというリベラルの作った風潮にうんざりさせる意図でわざと演出しているケースもある』という噂と、『トランプ当選に差別の大義名分を得たと勘違いしてマイノリティへの差別や危害をあからさまにやっているのはトランプをイメージダウンさせたい勢力が意図的に行っている』という噂を聞いた。真相は不明だが、いずれにせよ差別というものがパワーゲームの道具になっている面はある気がする)

ポリティカル・コレクトネスとは(ここから抜粋)

特定の言葉や所作によって差別的な意味や誤解が含まれないように、政治的に(politically)適切な(correct)用語の使用を是とする態度のこと。政治的妥当性。「PC」と略される。西洋的な白人男性中心主義とマイノリティの価値観が衝突し、さまざまな社会的問題が露呈したアメリカで前景化した概念

おまけ:TPP大筋合意占ってみた

2016年2月21日 (日)

出産する理由と背景についての極論

以下に書いたことは全て一個人の妄想です。問題点を見やすく抽出するためにあえて極論を用いています。

「子を産む責任」という女への圧力。「産まない」選択した山口智子、そして小泉今日子の言葉から考える

2月12日発売の雑誌「FRaU」(講談社)3月号に掲載された、山口智子(51)のロングインタビューが波紋を広げている。彼女は夫・唐沢寿明(52)とのあいだに子供をもうけなかったことについて、初めて「子供を産んで育てる人生ではない、別の人生を望んでいました」と能動的な選択だったことを明言。当サイトでも取り上げたが、当該記事のコメント欄だけでなく、SNS上でも議論が活発化している。これを「逆に“懺悔の念”を感じさせる。若い女性たちに自身の生き方を反面教師にして欲しいという思いが強いのかも」と分析する“芸能評論家”もいた。

 女性が「私は産まない」と意思表示することが、これほど関心を呼ぶのは、「女性は全員、産むべき」という抑圧がいまだ機能していることの裏返しだ。しかも一枚岩ではなく、

(A)「女の肉体で生まれたからには、出産の悦びを!」派
(B)「社会保障制度存続のために産むべき(=社会構成員としての義務)」派
(C)「子育ての不自由を回避して自由を謳歌するのはワガママ女」派

 などなど、いくつもの抑圧が重なり合っている。BとCは近い側面を持つが、理屈ぬきの主張なだけにAが一番性質が悪いようにも思える。そういえば昨年、評論家の金美齢(82)が、「子供産まない自由を強調する女性は浅くて未熟」と繰り広げたことを覚えているだろうか(「SAPIO」2015年4月号/小学館)。

これは、「AERA」(2015年2月16日号/朝日新聞出版)の「『子どもいらない』は人に非ずなのか」なる特集を受けての金美齢の提言だ。「AERA」特集では、世界に先がけて超少子高齢社会化する日本では昨今、出産礼賛の空気が漂い、女性が「子どもは欲しくない」とは決して口にできなくなっていることを問題視。蔓延する「出産・育児至上主義」に疑問を投げかけた。金美齢は、次のように主張。

『記事は、「出産礼賛な空気が行き過ぎれば、“圧力”になることも忘れてはいけない」と結ばれている。しかし、私はあえて言いたい。「子どもを産まない自由」を謳歌する女性は、それぐらいの“圧力”は受け入れなければならないと』

 「もちろん個人の自由は尊重する」としながらも、
『出産できる環境や状態にあるのに、「子どもいらない」と主張する女性は、人間としての責任を果たしていない」と断罪。
彼女は現代の日本社会を、『むしろ、「子どもを産まない自由」が優遇されすぎている』『出産は個人の自由な選択であり、国や他人が口出しすることをタブーとする風潮が根強い』と感じているそうで、『AERA』特集の認識とは真逆だ。彼女は、子供を産まない選択をとる女性を『自由や権利ばかりを強調する女性』と決めつけている。

◆人命の尊さを「利用価値」で判定?
「社会のために人間を産む義務」という発想は、行き過ぎた社会主義にも似ていて、「社会は本来人間のために発生し存在する(人間が生きていく上での利便性を追求したら社会になった)」という事実を忘れている。そして例の発想は「人間(の生命)は社会のために発生し存在する=人間は社会の道具」という妄想が支配権を持っている。社会維持の需要を満たす義務としての出産思想は生命の価値(利用価値)を当事者ではなく社会が決めており、妊娠・出産(妊婦)や生まれた命を自然現象ではなく、単に「社会のニーズを満たすための道具」としてしか見ていない。そこに母性は全く介在しておらず、発動できず、締め出されて蚊帳の外。

極端な妄想をすれば、件の出産発想が社会を支配していくと、社会にとってニーズがない(利用価値がない)と判断された者の命をないがしろにする風潮につながる危険がある。
もしも社会の義務を果たさんとする発想動機で生み出された命が重い障害などで社会構成員となる機能を満たさず社会のメリットにはなりえない性質を持っていたら、たちまちその赤ん坊と命がけでその子を産み落とした妊婦は社会にとって利用価値のない存在、単なる役立たずとなり、その赤ん坊は出産を社会的義務とする価値観の世界にとって「生まれながらに無価値な命」でしかなくなる。
我々が望むものは、社会のための人間か? 人間のための社会か?
(かつてナチス・ドイツがガス室送りにしたのはユダヤ人だけではない。社会にとって有害無価値とされた各種障害者達も同じ運命をたどった。ナチスドイツは非常に社会主義的とも言われている)

母性を原動力にするのではなく、「社会にとっての利用価値を満たさん」という価値観に基づいて妊娠と出産を促し求め望む発想は、いかにも行き過ぎた男性的発想によって構築され営まれている社会の価値観だと言える。同じくその価値観によって営まれている各業界の職場では、マタハラが横行するようになってきた。母性のないその価値観は、少子化対策として全くの逆効果だ。
同じ価値観が義務感や罪悪感を用いた妊娠・出産を促す一方で、妊婦に対する嫌悪と排除を生み出しもしているわけだ。同じ価値観なのに矛盾していると思えるが、何のことはない、どちらも「その場しのぎの狭い視野で自己中心的に妊娠・出産の利用価値(道具になるか否か)を判断している(行き過ぎた男性的発想に立っており母性が介在していない)」に過ぎないという点では全く同じだ。
目先の利益や利用価値だけをエゴイスティックに追求するだけで大きな視野に立てないばかりに自分の首を絞めていることに気づかない社会は、そんな社会を構成する人間達の短所(つまり我々の)を如実に反映しているとも言えるのだろうか。
「社会維持のために出産せよ」と人々へ圧力をかけ支配する社会が、果たして人々にとって存在メリットのある社会と言えるだろうか? 「自分達にメリットのない社会を維持するために出産する(命がけ)」という社会貢献をしたがる人間がどれぐらいいるだろうか?
しかも、目先の利益を追い過ぎて不況に陥り格差拡大を放置し子供を産み育てにくくしている社会のために?

◆「子供を欲せ」と気まぐれな自然の呼ぶ声がする時?
社会によって刷り込まれた表面的な価値観ではなく、本能の支援と導きを受け心の底から産みたい気持ちになるかならないか、授かるか否か・・・(恋愛の段階を含め)子孫を残す/残さないの展開など、それこそ自然界の事情で偶発的に発生する自然現象であり、自然の気まぐれであり、いわば一種の「ネイチャーコーリング」の力によるものだ。社会が自然現象(自然界)にエゴを押し付け人工的に介入し都合よくコントロールし評価したり裁いたりする(社会が自然界を従わせて都合よく使役する)ことは本質的に不可能かつナンセンスであることを忘れていないか?
社会的義務感から機械的に子供を望む心は、本能でもなければ自然現象でもない。子を望み愛する母性ですらない。男性的社会によるエゴの価値観でのみ作り上げた洗脳による偽りの欲求だ(実はこの価値観、少なくともアラサー世代の親の無意識下にも一定量刷り込まれていたりする。そのためアラサーの皆さんが親からその価値観による刷り込み支配を無意識に受け継いでいるケースも結構ある)。
この洗脳、少なくとも人類史の中で社会が男性性優位となった頃から古今東西ずっと続いている。「世継ぎを生む」とか、「長男の嫁」といったプレッシャーもこの洗脳から派生している。

男性的な価値観によって構築された社会が、その社会にとってのみ好都合な男性的価値観による生き方を植え付け人々を支配することこそが母性(女性性)を抑圧し、子どもを望む者を減らし、生まれた子供を愛せず(愛し方が分からず)虐待する例を増やす一因になっている。母性を抑圧し男性的な意識と原動力で子を産み育てさせようとする社会がそんな「自然の気まぐれ」を圧迫した結果が今の少子化と結びつく・・・まさに現代文明による自然破壊の一例だろう。社会はそんな自然破壊の責任を取ったことがあるだろうか? 責任を果たすべきは人か社会か?
子供は、人の命は、社会のエゴによって産み育てられるようなものじゃない。
(言うまでもなく、子を産み育て愛する母性本能は社会的義務感や洗脳によって呼び覚まされることはない。母性本能だけではなく、男女問わず生殖本能自体が社会的義務感では発動しない。両者は共に社会の都合に合わせて動くことなどない)

例えば、「ママ、どうして自分を産んだの?」 という子供への問いかけに対して母親が「それが社会に対する義務だからよ」と答えたら、子供はどんな気分になるだろう?  
母親の抱くその価値観が支配する世界で育った子供は、自分の中に潜在している母性を発育させていくことができるだろうか? 将来、「子供が欲しい」というネイチャーコーリングを感知した時無事に自分の母性を発揮することができるようになるだろうか? そもそもネイチャーコーリングを感知しにくくならないだろうか? その状態が世代を超えて連鎖していったら?

◆女性の地位を勝ち取る戦いのために邪魔な乳房を切り捨てたアマゾネス達
皮肉なことに、女性達が(男性的な価値観で営まれている)社会へと進出するにつれ、女性達も仕事のために、そして男性的な価値観で営まれる社会から評価を得る(男性的な価値観において利用価値ありと認められる)ために必死の努力と戦いをする中で、無意識に男性的な価値観の視点でものを考え言動する機会が増え、もはや習慣化している。利益、効率、能率、コスト、利用価値、シビアな弱肉強食(弱者の捕食/排除)の戦い・・・その結果、女性達は今まで以上に男性的に考え行動し戦い、女性的な(価値観の)視点に基づいた発想が抑圧され、社会は女性達が進出しても女性性と男性性のバランスを欠いたままに見える。すると男性的な視点にとっての価値を追求する社会は女性的な視点にとっての価値を生みにくくなってしまい、未だ女性にとってあまり快適とは言い難い社会のままになってしまう(仕事と育児の両立に悩むのはなぜか女性ばかり)。
男性的に偏っていた社会に女性が進出したにもかかわらず「女性にとっても快適な社会」が未だに生まれてこないのは、女性が女性として男性的社会に進出した(男性的社会に女性的要素が取り入れられた)のではなく、女性が男性化して社会進出したので社会は本質的にそれほど大きく変化せず男性性に偏った社会が相変わらず維持されただけだったようだ。
やがて、(極端なほど視野の狭い状態で男性的な価値観の視点に傾き心を支配されてしまった?)職場の女性上司が不都合に妊娠した部下(職場の業務効率を下げ足手まといになったり、職場にとって利用価値がなくなっていく者、コストの敵)に執拗なマタハラを仕掛けて部下を退職に追い込んだり、堕胎するように圧力をかけたり、時にはマタハラのストレスで部下が流産してしまうなどというケースさえ出てくるようになった。
まさに、「何で戦場に足手まといの腹ボテがいるんだ」という状態だろうか。

男性性に偏り過ぎた社会が母性を抑圧してしまえば「自然の気まぐれ」を抑圧し、本来なら「ネイチャーコーリング」が発動して心から本当に生みたくなる人(己に宿る自然の意思と一体化し母性の発揮を無意識に望む人)の運勢まで抑圧してしまう。本当に子供が欲しいときでも授かりにくい(母性が発揮しにくい)運勢になってしまいかねない。
逆に言えば、自分自身の価値観や思考パターン、今までの生き様が本音や本来の自分とかけ離れて必要以上に男性的な視点や価値観に偏り過ぎていなかったか、視野が狭くなっていなかったか自分と深く向き合いチェックして、もしも偏り過ぎが見つかれば修正していくことが母性(女性性)の抑圧を解きほぐし母性を発揮しやすい(そして自分の持つ女性的な個性を活かした生き方をしやすい)運勢になっていくためのささやかな開運法になるかもしれない。


「女性は2人以上子を産み大学は子育て後、産めない女性は施設に寄付を」大阪市立中学校長
↑やはり自然と母性を原動力に介在させてない男性性に偏り過ぎた発想。これが却って少子化を悪化させる。まさか昨今の少子化は、男性性に偏り過ぎた発想と価値観で営まれる社会がこれ以上続かないように、社会を動かす燃料(人員=子供)の供給を遮断する運気の一部なのだろうか?(妄想)

ワーキングマザーが「私が悪い」から抜けるために、本人と周囲ができること←前編からおすすめ
戦後の男性性と女性性←この妄想の続きが今回の妄想になった
男性的世界と地母神の再会

2014年6月25日 (水)

人間の文明は人間にしか作れない

※以下に書いたことは全て個人の妄想です。

◆陰謀論の人気者「灰色宇宙人」の正体?
世界的に有名なオカルト陰謀論のなかに、「世界をエゴイスティックに牛耳り支配しているのは軍産複合体=国際金融資本(ユダヤ人)」というものがある。
その陰謀論ではイギリスやアメリカ、日本や韓国など数々の国がソレに利用されてきたと言われている。軍産複合体のビジネス(日本の集団的自衛権容認とも関係)やグローバル経済や新自由主義(竹中平蔵氏も支持)による「全てを巻き込む見境のない無制限の弱肉強食の推進」もソレの仕業で、ソレにしゃぶりつくされてポイ捨てされた国はパワー(=火気)が衰退するという。まるで、宿主を次から次へと渡り歩かなければすぐに干上がってしまう病原菌みたいだ。前の記事で書いたあの奇妙な偶然を帯びた「炭疽菌現象」における炭疽菌は、ソレの象徴になっているのかもしれない。前回は何人かが感染して(菌の宿主になって)亡くなっているが、今回はテロじゃないし、それほどひどい結果にはならなさそうだとのこと。
この現象、今回は前回と違ってソレらが宿主getに失敗する暗示かもしれない?

で、個人的な意見を言うと、ソレはユダヤ人ではないと思う。ユダヤ人は単なるソレの宿主で、ソレの本質は誰もが持っているものだ。ソレは太古の進化記憶を思わせる存在であり、私達よりも古く、最も私達の近くにいる。
即ち、ソレの正体は飢え、恐怖、怒り、闘争・逃走、生存(原始的な欲望)といった本能を司る脳の爬虫類的な部分(=爬虫類脳)が優勢になり暴走することで生じる『人間の悲しい性』だろう。ソレは別に軍産複合体や国際金融資本(?)だけじゃなく、様々な姿かたちで人類史のあちこちに出現しており、誰もがソレを演じる宿主になりえる。人類は進化の途上なのだ。
自分が潜在的に持っているソレをユダヤ人に投影して八つ当たりするのは単なる人種差別になると思う。そして解決よりも憂さ晴らしを優先させている(これも爬虫類的発想)。要するに、人類は脳の爬虫類的な部分にむやみな権力や主導権を持たせないほうがいいというだけのことだ。私達が自分の爬虫類的部分に依存しすぎて過度の権力や主導権(=パワー)をもたせると、内なる爬虫類がバランスを欠くほど過剰に動いて「ソレ」が社会に現象化する。ソレに選ばれた宿主を増やし操り、爬虫類脳が優勢気味な人から順番に同調させていって、やがて『人間の悲しい性』(=ソレ)によって歴史や世界情勢が大きく動くような運勢を作る。

一部で有名な「軍産複合体や国際金融資本(?)を操る影の支配者は爬虫類型の宇宙人(レプティリアン)だ」というオカルトな陰謀論()は、自分達がうっかり権力や主導権を持たせて優勢にしちゃった爬虫類脳を爬虫類型宇宙人として象徴的に描いた現代の神話だと思う。その神話に登場する彼らの暴挙は、私達の暴挙だ。要するに世界を牛耳って支配するラスボスの正体は、私達がうっかり主導権を持たせた自分達の爬虫類脳なんじゃないだろうか。
時々地球人を誘拐すると噂される灰色の不気味な爬虫類型宇宙人。彼らの肌色は、「灰色の脳細胞」の色だ。人間みたいな体に爬虫類みたいな顔の頭部という姿は「人間の爬虫類脳部分」をうまく表現している気がする。
要するに、世界を牛耳り支配できるほどの強大なパワーを「爬虫類星人」達に与えてやっているのは、私達なんじゃないか? せっかく知能を獲得したのに、爬虫類の発想や価値観やセンスでしかそれを使ってこなかった?

◆人間の中にいる爬虫類君
基本的に爬虫類というのは、自分自身(個体)の安全と目先の欲求しか考えていない(※)。爬虫類の進化レベルだと、高度な社会性や広い視野、ましてや抽象度の高い思考(※2)などといった能力は持っていない。原始的な欲求が満たせればそれで十分なのだ。それ以上のことには関心が無い。脳が小さい爬虫類ならそれでもしょうがないけど、より発達した脳を持つはずの人間が爬虫類の発想に退化してしまい、それゆえに爬虫類的な発想で弱肉強食ピラミッドを築き上げ、その頂点にいる者達(=爬虫類にとっての理想を極めている=最も爬虫類的な適性を身に着けている)ばかりがイニシアチブを持ちやすい爬虫類的文明を営みあくせくしているというのは何とも悲しげなだけでなく、滑稽ですらある。自分達をトカゲや蛇だ思い込んでいるサル(高等哺乳類)みたいなものだ。
いわゆる「サイコパス」と呼ばれる人々もまた、脳の中で高等哺乳類脳に分類される大脳新皮質(知能以外)があまり働かず、結果的に爬虫類脳部分ばかりが優勢になってしまい極端なエゴイズムに走りやすくなるという先天的病気説がある。普通の人でも爬虫類脳が優勢になりやすいが、サイコパスはそれが病的に極端な形で現れたケースなのかもしれない。
(※:どこかの政治家や財界人にもそういうタイプが多いように見える)
(※2:抽象的な大きい視点からその中の一例としての具体的事象を見る思考。例えば、『生きること(抽象的)』という視点から『今自分のやっている生き方(一例)』をとらえ、「生きること自体が辛いのではなく、今自分がやってる特定の生き方が辛いだけだ。自殺を考える前に、自分がこの辛い生き方をしてしまう原因を探ってみよう』という思考は『生きること=辛いことだから自殺しよう』という抽象と具体を混同した思考よりも抽象度の高い思考といえる。手段と目的を混同しない視点からの思考も抽象度の高い思考といえる)

そういえばアダムとイブに知恵の実を食べるようにそそのかしたアイツも、ヒトDNAが爬虫類時代の進化記憶を持っていることをよく表した姿をしている。アダムとイブに向けたアイツの言葉は爬虫類脳の囁きかもしれない。「禁じられてるとか関係ないよ。あの実マジでうまいから食っちゃえよ」というセリフはいかにも原始的欲望に忠実な爬虫類脳にありがちw その昔、爬虫類脳が本来は高等哺乳類脳(大脳新皮質)に属する「知能」を乗っ取り自分の欲望を叶えるために都合の良い動きをさせたいと思ったのかもしれない。それが成功すると知能がただの悪知恵になったり『人間の悲しい性』を発生させるという結末になりうる(乗っ取らせるのではなく、うまいこと連携できれば『生きるための知恵』になることもある)。

色々困った動きをしやすい爬虫類脳だが、爬虫類脳自体が悪いのではない。脳の使い方が悪いだけ。人間が未だに脳の使い方が下手で爬虫類脳だけの視点に陥りやすく、脳全体を完璧に連携させる境地には到達しきれてないだけ。進化途中の私達は、脳の使い方がまだそれほど上手くないのだろう(脳の三層構造←人間の脳ミソは爬虫類脳、哺乳類脳、新哺乳類脳の三層で構成されているらしい)。

タロットの『力』は爬虫類脳などの動物的な部分が脳全体の連携に喜んで参加する様を描いている。物事に合わせて脳全体をその都度適切に連携させる機能をユング心理学では『セルフ』と呼んだ。力のカードでは貴婦人の姿で描かれているこのセルフは、脳を含めた肉体に宿る私達の魂(ゴースト)なのかも。私達は自分の魂を無意識下に抑圧し無自覚になりがちだ。

◆爬虫類脳に依存しすぎると共食いしやすい
もしも、「全てを巻き込む無制限の弱肉強食」を軍事的に象徴したものが核兵器だとすれば、経済的に象徴したものが竹中氏等の志向する新自由主義(ネオリベラル)かもしれない。
私にはネオリベというやつが、飢えの恐怖を原動力にした弱肉強食(←爬虫類的発想)に支配された人類が陥った「全てを平等に巻き込み規制も制限もなく勝者が敗者に足を引っ張られずに正当な繁栄を得られる弱肉強食の形こそが唯一にして真の平等」という悲しい視野狭窄の象徴に見える。
前にも書いたが、ネオリベのお題目「誰もが豊かさを勝ち取れるチャンス」は「誰もが豊かさを奪い取られるチャンス」でもある。奪い合いによって富を独占する者が増えれば増えるほど地球を循環する富の流れ(金運の流れ)は全体量を低下させ、世界は貧しくなる。それでさらに奪い合いと独占が激化する悪循環。これは共食いの悪循環と同じで、共食いの先に待つのは絶滅だ。
経済だろうが軍事だろうが、どの分野で共食いをやっても結果は同じで、「共食い」である限り待ち受けるものは絶滅だ。20世紀の人類は軍事の分野においてそのことを知った。日本を実験場にした大きな犠牲と引き換えに。
21世紀の人類も、経済の分野で同じような犠牲を払わなければ学習できないのか? まさかまた日本を実験場にして? 今の首相はアベノミクスをニューディール政策になぞらえた演説をし、経済的なルーズベルトになりたがっている。彼がルーズベルトなら、残酷な実験の操り人形トルーマンの役は誰になる? これから日本の政財界は本当にあのトルーマン役を産み出してしまうのか?
「共食い」・・・やってることが同じなら結果も同じ。分野がちょっと変わっただけでもう分からなくなってしまうのか?
(そういえば爬虫類脳ってあまり頭が良くない原始的な部位だ。爬虫類は人間より共食いしやすいし)

◆爬虫類脳はまともな金運回路を作れない
竹中氏を占った記事の「余談」でも書いたが、地球を循環する富(金運)の流れの全体量を今より増やして富を極端に独占(滞留)させないことが地球の富と金運を一番スムーズに流すことになり、その時世界は本当の豊かさを得る。金運は「流れる」から効果を出すのだ。電気と同じ。独占(滞留)するほど金運の流量は低下し全体が貧しくなる。貧しいと飢えの恐怖からさらに独占したくなる悪循環を引き起こすのが爬虫類脳。
共食いの勝者が味わう満腹は、流れを滞留させて作った淀みに浮かぶ泡を食べてるようなもの。誤魔化しの満腹感はほんの僅かな時間だけしか持続しない。次に来るのは前よりもさらに大きな飢餓という無間地獄。だから飢えの恐怖はなくならない。飢えの恐怖による弱肉強食(奪い合いと独占)を繁栄の原動力を依存する限り。
(共食いの王者もいつかは滅びる・・・ああ『ハムレット』←前記事参照)
現代文明は人間よりも爬虫類に近い文明を作ってしまっているのかもしれない(妄想)。

このテーマに関しても、あの「お金の不徳を正す島(島の鬼門に新火口が誕生。そこからも溶岩を出し島は成長中)」に開運を託すべきなんだろうか。日本がトルーマンを生み出したりソレの宿主にならないように。そして私達もまたソレらに同調(感染)しないように。日本の政財界は既に同調しちゃってるけど、あの島の発する衝撃波はそういう運気を吹き飛ばすかもしれない。猪瀬氏の時みたいに。
島がそれを成功(?)させるには、私達も自らの爬虫類脳を必要以上に増長させた挙句に支配されることでソレらと同調しない心がけが大切だと思う。私達が集合無意識規模で爬虫類脳優勢の生き方(爬虫類脳視点に依存する生き方)をやめていけばソレは現象化しなくなり、ソレの宿主もいなくなる。
爬虫類脳は人間の脳のなかで独自の役割を持っている部位だ。その部位にこだわって過度に依存したり増長させたり抑圧するのではなく、その部位本来の役割と他の部位(原始哺乳類や高等哺乳類の部位)を含めた脳全体でバランスの取れた連携を目指すこと、脳に全体性を実現することが理想的(その全体性の象徴がユング心理学の『セルフ』)。脳の特定部位に偏りすぎた使い方(またはそんな生き方)は、その部位を増長させるだけでなく、疲労させ負荷をかけそうだ。例えば人々が爬虫類脳ばかりに偏った使い方をする生き方をすれば、蛇やトカゲの視点から人生や文明を導いてもらうのと同じようなもの。そんなに依存したら蛇やトカゲには荷が重すぎていつかは破綻する。

忘れてはいけない。人間はトカゲや蛇にはない可能性を持っていることを。
人間の文明は、人間にしか作れないのだ。


2014.7.14追記
世界の経済や軍事を支配しているという爬虫類脳的発想。これは日本人が奇跡的に残せていた文化的美徳(震災時に暴動を起こさないとか、思いやりや助け合いの精神とか。ココで言う新哺乳類脳の部分、すなわち人間脳の部分をうまく使うと出来る技)とは真逆であり、またそういう発想に支配され宿主になってしまった人々の無意識は、ああいう美徳を強く求める。世界中が震災時に暴動を起こさない日本人の様子に感心したのはそのせいもあるんじゃないかと妄想(とはいえ、それを鼻にかけるべからず)。
だから彼らは今、こぞって日本へやって来た? 無意識の底にある変わりたい思い、支配される日々を卒業したい願いが同じ心を抱える日本の宿主達と合流し、大変動する日本の巨大な龍脈の力に後押しされて奇跡が起こる? それは、この惑星が龍脈を使って引き起こす巨大な変動の一つ?

「天空の城のラピュタ」のオカルト解釈←爬虫類脳を優勢にさせてしまうとムスカみたいになる例も。
進撃のアドレナリン←アドレナリンもまた、爬虫類脳と縁が深い
魂の環境インフラ
運勢の神業
ベトナムのデモから妄想←文中の「とある勢力」は国際金融資本のこと。この記事で書いた「ソレ」の宿主である(妄想)。

余談:私は格別に爬虫類をヘイトする信条ではない。一般人並に苦手ではあるが、ヤモリは割と好きだ。亀も嫌いじゃない。


2014.8.2追記
炭疽菌騒ぎのあったアトランタ、今度はそこへ西アフリカで大流行してるエボラ出血熱の患者が数日中に搬送されるという(ニュース)。
エボラと炭疽菌。共通点は危険な感染症。その伝染は「よからぬものが宿主を介して広がっていく」という象徴?
せっかく今回は炭疽菌騒ぎが大事にならなかったのに・・・
患者が搬送されてくる西アフリカの地域はかつて内戦で爬虫類脳的な「ソレ」が強烈に吹き荒れた土地である。そもそもあの地域の国々は建国背景がアメリカ解放奴隷の移住地だったりするケースもある。かの地で生じた「ソレ」はアメリカへ来た。アメリカとあの地域、そしてキング牧師が活躍したアトランタにひとつながりの因縁を感じる。

2014年5月 6日 (火)

秘められた力

※以下に書いたことは全て個人の妄想です。

今回の話は前回の記事の補足みたいなもの。
安倍政権が目指す“戦争ができる国” 裏に潜む米国との関係

2013年12月に策定された「国家安全保障戦略」では、積極的平和主義のもと日米同盟の強化と自衛隊の増強を謳った。「米国とともにある日常的な戦時体制の構築こそが、彼らの当面の目標だと見て間違いない」と斉藤氏はみる。

 それは自民党の「日本国憲法改正草案」に、「開戦規定」がないことからも垣間見えるという。戦争ができる国にするであれば、憲法に「開戦規定」を設けるのが自然だ。ドイツもフランスも韓国もそうしている。それがないことで、いったいどんな「戦争」を想定しているのだろうか。斎藤氏は、獨協大学法学部の古関彰一教授の次のような議論を紹介する。<一旦緩急あらば、米軍が出動する。米軍が武力行使に出る場合もあれば、国際法上の戦争による“開戦”となる場合もあろうが、日本国防軍は、いずれの場合も米軍の後方支援であるので、最悪の場合でも武力行使はするが、それによって「開戦宣言をしない戦争」、つまり事実上の“戦争”が可能になる>(「自民党改憲案の書かれざる1条」―「世界」2013年5月号)

◆いつものアメポチ芸
今まで憲法を理由に後方支援を断ってきたアメポチ国が、アメリカから「じゃあ憲法どうにかしろよ」と詰め寄られればこうなるのは自明の理。今までよく保った方だ。改憲(or集団的自衛権容認)の理由をナショナリズムで誤魔化してたけど結局はいつものアメポチであり、改憲(ないしご都合拡大解釈)した場合は経団連含めた諸々の勢力による軍産ビジネス(残業代0)が本格化し、軍事費用財源確保の増税と社会保障削減が来るだろう。やがて日本にもアメリカのような「政治を牛耳る軍産複合体」が生まれそうだ。
(アメリカを牛耳ってきた軍産複合体の話はこちら←防衛予算削ってるオバマ政権下でアメリカでのうまみが減ったからって日本を利用する気?)
ついでに憲法は9条だけじゃなくて労働3権のある28条もどさくさに紛れて変えたそうな予感;
(変えるまでもな、くとっくに機能してないという噂も)

この国、建前上は独立国だが諸般の事情で独立国なら常識である「独自の開戦規定」を作ってない。その状態のまま改憲(or集団的自衛権容認)するとアメリカの思惑次第で自衛隊が色んな事にこき使われたり、無条件に世界中あちこち駆り出されて本来なら参戦理由のない戦いに出向き死人を出す羽目になりうる(既にNATOの連携協定に調印してる自衛隊引っ張り回す気まんまん)。それでイランなど比較的日本と仲いい中東諸国は心中複雑。要するに、日本はその力がありながら独立国として自立(independence)できてない。
ひとまず自衛隊が憲法と矛盾した存在にならず、なおかつ9条よりも強力な「ポチ仕事(お供・財布・後方支援・加勢etc)お断り」に使えてなるたけ平和に過ごし面倒事に巻き込まれにくくなるような、条件の厳格な独自の開戦規定を作ること、そしてそれをしっかりキープすることが日米関係の運気を大きく変えるような開運ポイントになる。
が、それが出来るには日本の集合無意識に植え付けられた無用な依存心や泣き寝入りの暗示(マインドコントロール)を抜け出すことが不可欠だし、それには自分が自立して生きられる力を持っているとしっかり自覚することが不可欠なので、それが出来てないうちは口で言うほど簡単じゃない・・・

◆使いこなせなかった力
昔々。まだ日本人の部屋着が着物だったり、貧しい農村から娘が身売りされたり、ラーメンやお好み焼きといった現代の国民食が発明される前のこと。「民主主義」という概念はあるものの十分には発達・機能しておらず、古代からずっと続く「泣き寝入り暗示」の支配的運気は今よりもずっと強く、「憲兵」という職業が存在していた頃。
その当時は不景気で、日本の国民(この当時から一応主権者だった)は政府に向けるべき不満と注意を海外に逸らせガス抜きさせる手口にまんまと誤魔化されていた。国民は今も同じ手口(例:尖閣・竹島といった住民のいない島をツールにした領土問題演出や嫌中韓ブーム、幸福の科学が絡んでたという慰安婦漫画展騒ぎやSTAP細胞騒ぎetc)に引っかかって全く進歩してない。政策と不景気と原発事故のストレスは解決されず誤魔化されただけ。

当時の注意逸らし(=八つ当たり)対象は中韓ではなく欧米列強。集合無意識を支配する泣き寝入り暗示のせいで政府への社会ストレスを適切に解消できない大衆(主権者)は、ガス抜き対象として用意された排外主義にのめり込んでいったが、あくまで単なるガス抜きであって問題は根本解決しない(=鬱屈が解消できない)から相変わらずストレスは蓄積するため、尚更ガス抜きへ先鋭的・急進的ににのめり込む(=解決よりも憂さ晴らし優先)という悪循環に陥り、とうとうガス抜きネタを提供していた政府の方が不満を募らせる大衆心理の暴走を抑えきれなくなって欧米列強ほぼ全部と戦争する羽目になった。本当に立ち向かうべきは欧米列強なんかじゃなく、集合無意識を支配する卑屈な泣き寝入り暗示(マインドコントロール)の方だったのに。

ここまで書いてお気づきだろうか? あの当時ですら、大衆(=主権者)の力は政府よりも強かったことに。

そして、あろうことか誰もその事に気が付かず、その力を問題解決に用いず泣き寝入りと引き換えの憂さ晴らしに注ぎ込んだことで暴走し自ら壊滅的な悲劇を招いた。「主権」という強力な力は持っていたのに、力の使い方が分かっていたとは言えない。「泣き寝入り暗示」が主権の意味と使い方を理解する妨げになっている。未だに。
戦争になると大衆は今まで以上のストレスと泣き寝入りを強いられる環境に追いやられた。結果的に敗戦で泣き寝入りを強いる軍事政権は転覆したが、戦争(ガス抜き)に依存せず最初から自分たちの主権力で政権を倒せばよかったことには恐らく多くの人々が気づいてなかった。使い方のわからない力は生かされることなく封印され続け、暴走して自分達を傷つけた(「◆感情を満たすための暴走と傷」を参照
為政者に対する長年のストレスと泣き寝入りの蓄積をナショナリズムや根性論で誤魔化し勇ましく強がっても、それは無力感を隠す虚勢でしかない。「とある東の国の物語2」でも少し妄想したが、自信のない自分を誇大な自己像で覆い隠してしまった背景は、そういうことだったのかもしれない(妄想)。
(例え当時の日本に強い国力があっても、戦う前から負けてる状態で戦争に勝つ運気は作れまい)

◆イジメとの運気照応?
よくある日本的なイジメの中に、「暴力で心を支配した上で金を持ってこさせる」というのがある。一昔前だと被害者は家から金品を持ち出し続ける良心の呵責とその命令に逆らえないことへの板挟みから、遺書にすべてを告白して自殺することが多かった。イジメを受けても泣き寝入りしてしまい、被害を相談できずに独りで抱え込んで加害者を増長させることが悲劇を招く日本的な現象といえる。問題が起きるとつい泣き寝入りをしやすい集合無意識下の暗示(マインドコントロール)が、自分の中にあるその心理癖が悲劇の共犯者なのだ。
最近は家から金品を持ち出させるだけではなく、万引きさせたり「稼ぐ」ことを命じたりもする。女の子であれば稼ぐ手段に売春(援助交際etc)をさせたりもする()。

おそらくそういうイジメの構図変遷と同じことが敗戦後の日米関係でもどこかしらで起きているのだろう。子供は時に自分が属する集合無意識の暗部を「イジメ」という形で無意識に体現する器になっていることがある。個人的には「この人は強いから我慢して言いなりになってさえいれば、他からはイジメられなくて一番安全なのだ。」と自己暗示して泣き寝入りするいじめられっ子と日本が妙に重なる(妄想)。終戦から数年で勝者と敗者が同盟関係(対等なお友達)になんかなれやしない。

アメリカへ貢ぐための経済成長と沢山の借金。戦後史を一手に担う自民党(と官僚達)が伝統的に経団連と癒着しているのは、経団連がアメリカへ貢ぐための資金稼ぎ機関にもなっていたからだろう。イジメにある「もう家からお金を持ち出せません」「じゃあ稼いで来い」というパターン、今回の改憲も米国の意向であり、かつ軍産ビジネスのためでもあるとすればまさにそんな感じだ(妄想)。
今のアメリカは、アメポチ日本への依存なしではいられない。日本の伝統的アメポチ政策は国民の泣き寝入り癖に依存せずには成立しない。つまり、アメポチ日本への依存なしではいられないアメリカは、日本国主権者達の泣き寝入り癖への依存なしには今の力を維持できない国ってこと。もしもこの国の主権者が泣き寝入り癖をやめて政府と官僚をきちんと監視・コントロールし、今までのようなアメポチ政策の歴史を断ち切ってしまった場合、一番強いの誰?

けれど今の日米はまだ共依存。心理構造は尼崎事件や日本的なイジメと同じ。深層には集合無意識規模で稼働してる泣き寝入り根性の暗示。要するに、主権者達を無意識下で支配するの泣き寝入り癖こそがアメポチという運勢を招いた。そういう政策を私達が何も言わずに長い間許してきたからだ。するとやはり、国の運気を変えるにはその国に住む人々の集合無意識を変えるのが一番か。 

◆歴史は繰り返・・・さなくていい
敗戦後はアメポチ政党(ほぼ一党独裁に近い戦後史を作った)のアメポチ政権によるアメポチのための政策(国の借金増大)にやっぱり泣き寝入りし続けてきた。(アメリカに貢ぐための)高度経済成長や好景気が続く間は泣き寝入りのストレスを景気で誤魔化すことができたが、今は景気で誤魔化せない。
そこで再び「海外に不満を逸らせるガス抜き策(注意逸らしたすきに不満出る政策をこっそり通す)」が出てくるわけだ。さすがに311という巨大な龍脈変動が起きた後の今はガス抜き政策(尖閣・竹島といった住民のいない島を巡る領土問題は集団駅自衛権容認へのプレッシャー兼相手国と共同のガス抜き用ツールとも言われている)があっても大正~昭和のような運の流れを繰り返すとは思われないが、泣き寝入り暗示を抜け出せず未だに十分な主権の使い方が出来ずにいる主権者がガス抜きに誤魔化されてる隙にストレスを強いる政策を通されても泣き寝入りして再度ガス抜きに誤魔化されてしまう悪循環がしばらく続く可能性は見て取れる。

アメリカに対する日本の依存心と自民党に対する大衆の依存心は似ているかもしれない。『強い相手は依存できる相手。たった一つの依存対象なのだから見捨てられたり今以上に虐げられないように何でも我慢するしかないのだ』という自己暗示に縛られている。それは古代から始まり封建時代には全国の大名クラスにまで定着し、今も続く日本的泣き寝入り根性。
政府に対してもアメリカに対しても、日本の集合無意識は昔のような強権的支配に怯える必要がなくなったことにまだ気が付かなくて泣き寝入りや隷属の習慣が取れてない。まるで、とっくに自立して生きる力を持ってるはずの大人が未だに「支配的だった怖い親(またはそれを連想・投影させるもの全て)」に怯えて卑屈に様子をうかがっているようなもの。自分が不要な習慣をずっと持ち続けてることに気が付いていない。時にはそれが、出来るはずの自立(independence)を妨げることさえ。
(あ。これって国政の官僚依存症にも言えることなのか?)

震災以降に始まった「泣き寝入り暗示脱出の流れ」は一人一人が自分に秘められた力に目覚めていく流れにもなりそうだ。「秘められた力」・・・時にそれは一人ひとりの個性や能力であったり、運勢であったり、社会的には『主権』という力であったりする。それに対して従来通り力を封印する運気(泣き寝入り暗示に支配される運気)が存続する流れ。日本の運勢は二つの流れの過渡期にある。
風水の視点から見ると、昨日起きた大島近海を震源とする地震(=龍脈変動)による各地の震度分布をオカルト的にみると、この国の中枢である千代田区の風水を選んでそこの気の流れ(=運気の流れ)をダイレクトに直撃したような印象がある。震源から発された振動波があまり分散されずに千代田区へと伝わっている。
しかも、よりによって政治と経済の中枢である大手町だけが最大震度5弱。
多分この龍脈変動、はるか南の西之島に新しい島が出現したのと同じ力が働いている気がする(妄想)。私が以前、「お金の不徳を正す風水効果がありそうな島()」と妄想したあの島を生み出した力が。
あの島も、猪瀬元都知事の誕生日に突如出現したとたん、東京の運気を直撃したんだよなあ・・・
私達が泣き寝入り暗示に気づいて抜け出すようになっていくと、あの島やあの地震を引き起こした力(?)がさらに強い運気を発動させそうな気がする。

首相官邸ご意見フォーム
自民党へのご意見・ご質問


古代から続く支配の手口?←日本古代史を尼崎事件に例えた妄想。角田美代子は卑弥呼(アマテラス)で、暴力装置の弟分はスサノオ。それが大和国権勢の始まりか?
ヘリテージ財団の論文←シナリオ通りなんだろうね・・・

2014.5.17追記
多国籍軍参加、将来は可能性=石破氏←言わんこっちゃない。

2014年4月29日 (火)

奴隷の反乱

※以下に書いたことは全て個人の妄想です。

競争力会議の格上げ求める 経団連が提言
「残業代ゼロ」厚労省懸念 政権、前のめり 競争力会議

高齢化で46年後は1京円超…国と地方の借金

財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の財政制度分科会は28日、財政の長期推計をまとめた。
高齢化で社会保障費が増えるため、このままのペースだと、2060年度には、国と地方を合わせた借金(債務残高)は、国内総生産(GDP)の約5・6倍となる1京1422兆円(京は1兆の1万倍)という天文学的な数字に膨らむと警告している。

消費税30%にしないと… 「国の借金減らすには」試算
2021年度に国内総生産(GDP)の8・9%にあたる約57兆円分が必要だという。消費増税によって歳入を増やすだけで達成しようとすると、消費税率を30%近くまで引き上げなければならない計算だ。
28日の財政審では委員から「社会保障費を厳しく切り込んでいかないといけない」などの意見が出た。

◆奴隷の反乱
「生活苦しく社会に不満」と財務省前でナイフ所持の男 自宅には火炎瓶

佐藤容疑者は7日夕、東京都千代田区霞が関の財務省前の歩道で、カッターナイフを所持していたとして銃刀法違反容疑で逮捕された。直前に同省近くで破裂音があり、警戒中の麹町署員が佐藤容疑者に職務質問したところ、マジックペンを改造し、ねじを飛ばしたことを認めたという。
起爆装置として、高性能爆薬「HMTD」が使われたとみられ、自宅から原料となる火薬のようなものが数グラム見つかった。火炎瓶のほか、化学薬品のようなものも押収されており、公安部が成分などの鑑定を進めている。佐藤容疑者は「生活が苦しく、社会に不満があった」などと供述しているという。

とうとうこんな事件が起きるようになってしまった。
伝統的に自民政権が経団連と仲良しであることは有名。国の借金が膨らむ中での法人税引き下げ、派遣法改正や残業代0など、最近の安倍政権も経団連の影響力が強いといわれている。
特に残業代0を提言した「産業競争力会議(議長は安倍首相)」や財務省等は強い影響を受けている。

とまれ相手が政治家だろうが政治を牛耳る経団連だろうが「テロ(物言えぬ奴隷の反乱手段)」をやる発想は、自分がこの国の主権者 (政治家や官僚のボス)であり、かつ経団連から見て「お客様(=神様?)」でもある事実を忘れ去った挙句に、
「自分は奴隷のように文句も言えずひたすら一方的に虐げられ搾取されるだけの存在なのだ」
という卑屈な自己認識が無意識下にあるからこそ選ぶ手段。この手のテロ行為それ自体が立派な自己卑下の証だ。
自分を奴隷扱いしたのは、ほかならぬ自分自身。主権者が自らを奴隷扱いすれば、その意志は主権に基づき社会に反映される。
この国の政治も経済も、私達(国民)がいなければ一日も存続できない。存在できない。そのことを忘れ、国民という「国家のボス」で「経団連のお得意様」のくせに政権や官僚という部下や経団連という販売者にまともな仕事をさせず、クレームも出さず監視もせず首にもしないで長年泣き寝入りしてきたからこそ(=主権を行使してこなかったからこそ)今がある。
私達は奴隷じゃないので文句を言える。なのに今までずっと文句を言う人が極端に少なくて、多くは泣き寝入りし続けたまま。肝心の相手には言いたいことを言えずに陰で愚痴を言うだけ。その卑屈さに長い間付け込まれっぱなし。そんな主権者にあるまじき卑屈な精神性がこの国の現状を招いた一因だ。私達は共犯者。

◆巨大な監禁事件継続中?
「監禁(共依存による支配服従関)」という状況下で起きたマインドコントロール(暗示)による異常な惨劇として有名な尼崎事件北九州監禁殺人事件。この国の現状を招いた卑屈な精神的背景はそれと全く同じ構図だ。
どちらの事件も、主犯はまず監禁(=逃げられない)という環境下で暴力を使って人々を脅し言うことを聞かせていた。最初は痛めつけられて泣く泣く従っていた人々も、やがてそのような暴力的強制が長い間常態化するにつれ、暴力抜きで何でも主犯の意志通りに動く奴隷になっていき、本人達自身がそのことを異常だと思わず常識的なことだと感じるようになる。むしろ命令通りにに動かない・動けない者を非難し罰するほどになる。これでマインドコントロール完成。異常な環境が日常になってしまった(狭い)世界に閉じ込められて生きる人々の脳が「絶対服従」を習慣化させてしまうのだ。こうなると文句を言わないどころか逃げられる状況下になっても逃げる発想が出てこない。逃げないから監禁が長期化するし見つかりにくい。
尼崎事件の場合は主犯の弟が暴力装置として働いていたが、弟自身もすでに主犯からマインドコントロールを受けていたのかもしれない。マインドコントロールは自我境界を破壊し共依存関係を作る。

日本の集合無意識は、古代や鎖国時代に起きたそんな「監禁状態でのマインドコントロール」からまだ抜け出せてない。抜け出さないうちは惨劇の共犯者のままだ。日本が巨大な監禁部屋のままだ。
卑屈な暗示から抜け出さないうちは解決よりも憂さ晴らしを優先するイジメ文化だって消えない。部活など、暴力が横行する教育現場でもマインドコントロール現象は起きている。桜宮高校体罰自殺事件はその代表例だ。暴力が常態化(常識化)した環境下で加害者も被害者も暴力を異常なこととは感じ取れなくなってしまうことが、体罰による死亡事件や障害が残るような重傷を負わせる事態を招いている。自衛隊の中でもそのような問題が起きているが、表面化するのは氷山の一角だ()。
大津いじめ自殺事件・・・桜宮高校体罰事件・・・機動隊員水死事件・・・女子柔道強化選手による告発・・・震災以降、日本の集合無意識に刷り込まれた泣き寝入り根性を生み出した暗示(マインドコントロール)を象徴的に見せつけるかのような事件が結構起きている。日本の無意識が「暗示から抜け出せ」と伝えてるように。
ブラック企業の問題だって根っこは同じものだ。マインドコントロールが抜けてないから暴力を受けることがなくなった今でも奴隷のようになったり何もせずに泣き寝入りしている。

◆「奴隷」から我に帰れ
日本の大地が自らとんでもなく大きな整体をして龍脈(経絡)がどんどん新しく再構築されていく今、整体前の気の流れに頼ってたような運気が続くはずもない。マインドコントロール(暗示)が続くはずもない。
即ち、私たちがいつまでも「共犯者」のままでいられるはずがない。
尼崎事件もまた、数年前からずっと続いていたにもかかわらず、警察の怠慢もあって震災後にやっとその事実が判明した。尼崎事件を告発した男性は死の危険にさらされながらたった一人で告発するのにどれほど勇気が必要だったろう。彼はたった一人で立ち向かったけど、私たちは沢山いる。殺される心配もない。暴力装置なんかとっくにいない。さらに、もしも「お客様が神様」なら、私達は八百万の神ってことになるw
神様が経団連のお供え物になってる場合じゃないw
(先日起きた八王子の大規模停電もまた震災を引き金にした龍脈変動の一種。八王子は富士~首都に流れる龍脈の上にある。肝心の富士山は雪崩でスカイラインが埋まって人が入れない→人払いした聖地系パワースポットは群集に乱されずパワーを強いまま保てる→いつもより強い力を発する)

26日にメーデーで残業代0や派遣法改正をヤジられた直後の安倍首相がニコニコ超会議自民党ブースに痛選挙カーで登場し、自民党のスタッフがうっかり旧日本陸軍憲兵(暴力的支配の象徴みたいな組織)のコスプレイヤーに「自民党」のたすきをかけて屋根に上らせ敬礼させてしまうというもはや超常現象レベルの事態(画像)が発生したことは非常に意味深な運勢だ。特定秘密保護法なんて昔憲兵がやってた「ジャーナリズムの抑圧」に通じうるというし・・・
(コスプレイヤー自身にはさしたる政治的意図はなく、ただの軍服マニアがスタッフに勧められて乗っただけ)
尼崎事件では人々を脅し従えるための暴力装置が主犯格の弟だったが、日本という監禁世界で一番最近まで存在していた暴力装置が憲兵だといえる。そんな憲兵殿がたすきをかけて自民党の痛車に・・・
不思議なことに、マスコミはこれを今も全く報道していない。前記事に書いた「グランドクロス」は、今も続いている。

この国の現状を変えるなら、まず自分達を奴隷ではなく主権者(国家の上司)であり経団連最大のお得意様だという認識に変えていくことも開運法となるだろう。


【経団連に意見したい人向け】
労働政策本部、労働法制本部など参照
【派遣法改正が心配な人向け】
派遣法改正案に反対する市民集会by日弁連
厚生労働省

運勢の神技
いじめっ子を憎む心の落とし穴
古代から続く支配の手口
自我境界が未発達な国民性3
自我境界が未発達な国民性1
誤魔化されず本質を見る力
人の器に宿りし金運

2014.7.2追記
派遣法改正案、しょうもない条文ミスで廃案になってたw しかし文章書き直せばいつかは・・・

2014年4月22日 (火)

自分の足を食べるタコ2

※以下に書いたことは全て個人の妄想です。

「残業代ゼロ」一般社員も 産業競争力会議が提言へ
アルバイトなのに残業?!それってあり?なし?「残業代が出るならOK 69%
「残業代ゼロ」だけの問題ではない!

・・・最近まったく妄想が思い浮かばないなーと思ってたらこんなニュース。
よりによってグランドクロス(不穏な運気になりやすいとされる星の配置。星々が十字架型の配置になる)のピークにあたる今この提言が発表されちゃった。内容的にも占い的にも縁起が良いとは言えない話。
これじゃ政府がせっかく国内の風潮を右傾化させてきたのに反動で針が思いっきり左に振り切れる可能性が出てきちゃったかも。不満が出て 政府の人気運落ちちゃうかも。
「人件費が高くて発展力や競争力の足かせになってる日本人なんか、日本にとっては経済成長や競争力アップの敵でしかない。日本人こそが日本のお荷物だ。もはや日本に日本人は必要ない」
なんて皮肉を言う人が昔いたw 特定秘密保護法案騒ぎに国民の注意を引きつけてる隙にまんまと派遣法が改正されたり、「グローバル経済になると労働者の賃金が生存最低限の国に近づく()」 と言われている昨今では、強烈なブラックジョークだ。

派遣法改正に残業代ゼロ・・・企業に勤めるメリットがどんどんなくなってしまう。「高学歴になって良い会社に入って」なんていう時代は高度経済成長期だけなのだろう。
いかにも占い師的な言い方だが、企業に人生を依存したり支配されたりしないで命に秘められた自分だけの運勢をフル活用して欲しい。人生は自分の運勢が創っている。その運気をしっかり外に出せれば、例え会社員をしてても企業や景気に自分の人生を損なわれはしない。

◆泣き寝入り根性に付け込まれた結果?
残業代0は違法だけど実質は今までも暗黙の了解で皆泣き寝入りし続けてきた。収入の低い平社員でさえそうなることは珍しくなくなってきた。なんとなく、日本人の集合無意識に刷り込まれた泣き寝入り暗示がとうとう為政者による「サビ残合法化」を招いてしまった感じ。今回の提言は「収入の低い社員に対してのみ会社と労組と本人の合意が条件」とは言うものの、今の社会的風潮では「合意しない社員」に対する風当たりやプレッシャーはきついだろう。労組以外に「残業代0に反対する社員連盟」みたいな互助組織が欲しくなる印象。今回の提言が実現してもしなくてもそれがサビ残を強いられている社員達の助けになる。

日本の主権者は国民なので、国民は政府の上司なんだけど、例の暗示に縛られてしまって未だに大昔からずっと「お上には逆らえない」と思い込んで泣き寝入り を続ける傾向がある。「お上」は自分達なのに。
そして抑圧された不満や自己表現は職場テロ(バカツイート)や職場いじめという歪んだ形で表面化させ、発散を試みる。たぶん古代とか江戸時代とかと変わらない。
けれど、為政者(お上)のために施された古代朝廷の呪術結界も江戸幕府の呪術結界も震災で破たんした今、そろそろ暗示をはねのけてもいい頃ではないだろうか? 
どんな政治家も政党も政権もその支持母体も、国民がしっかり注意し監督しコントロールできなければ(主権を発揮しなければ)どうしたってまともな仕事より利権に好都合な動きをしたがるものだ。政府という部下に仕事をさせる上司は私達だ。部下を育てるのも私達だ。特定の上司(支持母体)に操られた状態を正すのも私達だ。

◆グランドクロスが示すもの?
「この世は弱肉強食の共食い。自分以外の誰かを犠牲にしなければ生き残れない」
という集合無意識に刷り込まれた強迫観念(これも暗示の一つ)が当たり前になってしまった人類史の世界だと、異なる立場や主張による意見対立は、ともすれば「次は誰を犠牲にすべきか」で揉めているだけだったりすることがある。それぞれの違いは「何を犠牲にするか」の違いでしかなかったりすることがある。
「(自分達が)快適な社会のために社会のどこを犠牲にするか」といった、あくまでも犠牲を出す解決方法しか思いつくことができないうちは、本当の意味で社会問題は解決しないのだろう。「社会問題」とは、犠牲にすると決めた部位で犠牲が蓄積し続けて広範囲に悪影響が出た現象だからだ。
だから犠牲ありきの解決方法は、問題解決するんじゃなくて、問題(犠牲)が社会の中を移動するだけだ。プラマイゼロ。発展性(プラス)は無い。

そういう社会はまるで、自分の足を食べて生きる方法しか知らないタコが「次はどの足を食べよう?」と悩んでるみたいだ。そのタコは、自分の足を食べないで別のものを食べてそのフンを別の生き物の栄養にする(生態系の循環に参加する)って発想がない。生態系の循環では、決して共食いタイプの弱肉強食は発生しない。そんなことしてるのは人間ぐらいだ。エネルギーがまともに「循環」してないのだろう。だから金運も循環しない。

今起きてるグランドクロスには「犠牲ありきの共食い発想に囚われた世界のひずみ」を象徴してるみたいだ。クロス(十字架。時に犠牲の象徴)だけに。
このグラクロシーズン中に起きた韓国の客船沈没事故にしたって船長が「乗客を犠牲にしなければ自分は助からない」と強迫観念的に思ってしまったことが悲劇を大きくした。船の行き先だった済州島もまた、3・4事件という共食いによって数万の島民が犠牲になった場所だ。

犠牲を出さない社会を作るには、私たちが集合無意識規模で刷り込まれた諸々の暗示をはねのけて、集合無意識規模で「スタンドプレーから生まれるチームワーク(=和)」の運気を発動させる必要がある。これがあのタコにとっての「生態系の循環」に相当する。某サイバーパンク作品風に「上部ゴーストレベルからの連携プレー」と表現してもいい。下部ゴーストだけでは出来ない神技だ。
今のところそれはまだ難しいらしく、過渡期なのだろうと思いたい。今出来ることは暗示の呪縛を意識すること。それが今出来る開運法の一つだ。

自分の足を食べるタコ
誤魔化されず本質を見る力
就活自殺の増加に思うこと

【今回の提言に意見したい人向け】
日本経済再生総合事務局
TEL.03-5253-2111(代表)  内線:84816

2013年12月25日 (水)

NSC局長の記事から妄想

※以下に書いたことは全て個人の妄想です。他愛も無い素人の陰謀論遊びと思ってお楽しみください。

谷内正太郎初代NSC局長と“元KCIAエージェント”との親密交際が発覚!

2014年1月に、日本版NSC(国家安全保障会議)の国家安全保障局初代局長に就任する谷内(やち)正太郎・内閣官房参与が、元KCIAのエージェントとされる在日韓国人実業家と、きわめて近い関係にあることがわかった。
(中略)
K氏は韓国に太いパイプを持ち、公安関係者によれば、韓国の情報機関KCIA(現・国家情報院)の元エージェントで、日本国内では韓国大使館の一等書記官の指揮下にあったという。
谷内氏は、週刊文春の取材に事務所を通じて「個人情報に関わることですので回答は控えさせていただきます」と回答。K氏は弁護士を通じて「事実無根」と回答した。
一方、谷内氏は、韓国でカジノリゾートを建設し、日本国内でのカジノ進出を目指すパチンコ・パチスロメーカー、セガサミー(里見治会長)の顧問も務めている。

大掃除はじめたし面白い妄想ネタもあまりなくて最近ブログに書くことが無いなと思っていたら、なんか目に付いたニュース。
このブログでは安倍氏を占った記事でチョコット触れたことがあるが、実は自民党現総裁の安倍氏、父親の代から統一教会と縁があるそうだ。彼が現政権の首相になったとき、統一教会の訴訟代理人をしたことがある高村正彦氏を副総裁に任命している。奥様も韓流ファンだし、何かと韓国とは縁がある様子。
統一教会といえば韓国政財界に絶大な影響力を持つ宗教団体で、アメリカを牛耳る軍産複合体がパトロンにいる保守系シンクタンク「ヘリテージ財団」とつながりもある。「反共産」という点で冷戦期にアメリカとつながりを持ったようだ。例の高村氏も統一教会が立ち上げた国際勝共連合のメンバーだった。

そういった背景から今回のNSC局長に関する文春記事を読むと意味深に感じる。NSCや特定機密保護法占ったとき何故かお金の暗示がやたら出てたのは長官がパチ・スロメーカー顧問でカジノ利権持ってる谷内氏だったせいか。アメリカの意向で作った日本NSC局長がパチ・スロ(=韓国)と利権ズブズブ。日韓がアメポチであることを良く示している?
お台場にカジノ作る話は、韓国でカジノリゾート開発に参加したセガサミーのNSC局長とも絡んでるのだろうか。そういえば石原慎太郎元都知事もお台場カジノ構想を語っていた。彼もまた、ヘリテージ財団とつながっている。彼が財団の会合に出席した直後にいきなり「尖閣国有化基金」を立ち上げたのは有名(都の14億円基金は今…)。
(日本のカジノ構想とアメリカにはつながりあるのだろうか?) 

◆嫌韓ブームの裏にアメリカ?
ここで妄想開始。
アメポチ国(ある種の植民地)の国民同士が結託してアメリカ本国に歯向かわないよういがみ合わせるために作られたのが嫌韓ブームや反日プロパガンダで、国民はいがみ合ってても両国政府は利権ズブズブ。両国のアメポチ政府(ある種の植民地政府)にとっては国内の不満を外に逸らせ(憂さ晴らしさせて国民の不満と注意を誤魔化し)ている隙に不満が出そうな決定通すメリットもありそうだ(原発増設許可通したり派遣法改正した時みたいに)。
何となく、嫌韓ブーム誕生やそれ以降に発生した韓国との揉め事(竹島問題やアメリカ各地に従軍慰安婦の碑設置)などもアメリカが裏で何か考えてて、だからアメリカは竹島を明確に「日本領だ」と公式に断言しないし韓国はアメリカで慰安婦碑をバンバン置けるのではないか。で、テキサス親父やグレンデール市長はアメリカのために日本向け・韓国向けのピエロを演じる愛国者なんだろうか。

なお、中国の江沢民派もヘリテージ財団経由でアメリカ(軍産複合体)とつながっているとの噂。韓国は竹島に、中国は尖閣にちょっかい出してきたのは、さっき書いた「国内の不満逸らし」に加え、日本の世論・風潮・大衆心理をあおり日本が国防分野を意識する状態になって日中緊張が演出されると民主党が政権持ってるアメリカの軍縮で不愉快な思いをしてた向こうの軍産複合体が何らかの形で得するからかもしれない。
(ヘリテージ財団と縁ある石原氏は尖閣基金というパフォーマンスで国内の風潮をより好都合に強めた?)
特に中国は「国内の不満逸らし」という点で日本と密接な関係を作っているかも。とすれば、中国が安倍政権の利益(≠国益)を損ねることは無い。例え安倍氏が靖国参拝パフォーマンスしても中国にとってそのパフォーマンスはむしろ不満逸らし・ガス抜きに好都合だ。場合によってはこっそりリクエストさえするかも。
日本の領土問題は複雑な背景がありそうだが、日本もガス抜きに領土問題の演出を要するというならば、日本にガスがたまる原因は集合無意識レベルで自我境界を保てていない(=演出に扇動・洗脳されやすくなる)ことに一因があるのだろう。

話をアメリカに戻す。帝国主義時代の植民地支配において、宗主国達は植民地に住んでいる人々が結託して反乱しないように、現地で民族対立・宗教対立を仕掛けたり煽ったりした分割統治の歴史がある(例えばインドの場合はイスラム教徒とヒンズー教徒が共闘したセポイの反乱がきっかけでヒンズー教とイスラム教を対立させる政策が行われ、今でも尾を引いている)。現代も続くその後遺症の一つが、アフリカ各地で紛争が絶えない状況を作ったともいわれている(そんなアフリカの民族紛争を舞台にしたの映画が『ブラッド・ダイヤモンド』)。
ある意味アメリカの植民地と化している日韓の人々も、まさかそれと同じような古い手口にハマってる可能性は・・・?
・・・といった妄想電波を受信したw

特定秘密保護法と日本NSC占ってみた←「蛇足妄想」参照。
谷内正太郎←山羊座生まれ。山羊座には現在冥王星が入っており、NSCのホロスコープにもその山羊座冥王星が大きく影響している。

オマケ
お台場カジノは本当に実現するのか?

猪瀬さんの問題を巡っては、霞が関でも「猪瀬さんと極めて関係の近いFMH(フジ・メディア・ホールディングス)にカジノを担わせて大丈夫か」という心配が頻繁に聞かれます。まるでカジノに関わろうとする個人や企業体が悉くスキャンダルに見舞われるのは何かの陰謀でもあるのではないかと邪推してしまうほどにいろんな事件が発生します。
(中略)
海外の巨大カジノには、富裕層の資産逃避の窓口という側面があります。特に東南アジアやドバイといった新興国のカジノは、中国など他の諸国であまり適法とはいえない個人資産や収益を、賭博に負けたことにして国外へ出すために、金融規制のバックドアとしての機能を備えています。
「健全なカジノ」とは何かを考えるに、これらのカジノを通じた資産の移動をどこまで日本の金融当局が監視し把握するべきなのかという問題に行き着きます。逆に言えば、「健全なカジノ」によって使われたカネが全額当局に捕捉されるようなカジノは海外からの遊戯客をまったく呼べないということでもあります。

猪瀬元都知事もカジノ構想に関わってたけど、ご存知の通り辞任した。お台場カジノ構想の運気がグダグダなのは「何かの陰謀」か、それとも猪瀬氏の誕生日に今年の恵方方角で出現した「例の島」が風水的に影響してるんだろうかw
過去記事参照

オマケ2
ヘリテージ財団とTPP>←米保守系シンクタンクヘリテージ財団が志向するTPPのシナリオ

2013年12月11日 (水)

ヒトデの集団自殺事件から妄想

米国の海に広がる衝撃的な光景 : まるで絶滅に向かおうとしているような「ヒトデたちの自殺」

自切:節足動物やトカゲなどに見られる、足や尾を自ら切り捨てる行動。主に外敵から身を守るために行われる例が多い。

現在起きているアメリカでのヒトデの大量死では、まさにこの「自切」行為が発生しているのですが、しかし、普通の自切と違うのは、「自分を守らず死んでしまう」ところです。

つまり、ヒトデたちが自分の腕を自分で落としていってから死んでいっているということが、明らかになろうとしているのです。

なお、これらの現象は決してミステリーの類いではなく、このヒトデの大量死が「消耗性疾患」という名前の病気だということは判明しているのですが、過去にないほど拡大し続けていることと、こんな状態を「どんな科学者も今まで見たことがなかった」ということで、脅威を与えているようです。

AP 通信によれば、ある種ではその棲息エリアで 95パーセントが死滅しているそう。

今年の5月に競争社会を営む現代文明を「自分の足を食べるタコ」に例えた記事を書いたが、上の話もそういった物事を「ヒトデ」で象徴的に暗示した現象のように見えた。あれはいわば競争社会の宿命のようなものだ。競争社会とは、「どこを(誰を)切り捨てるか(=犠牲にするか)」で常に悩む先細りの文明。 やがては自分の足を食べ尽くして死んでいくタコや足を切り落とし尽くして死んでいくヒトデと同じ運命を辿る。競争社会の経済システムにも同じことが言える。これは植民地(足)に支えられた産業革命が起源のシステムなので、植民地を失った時、足が尽きて寿命の来るスピードは加速する。
(足は燃料でもある。燃料が尽きかけた文明運気に燃料の木を追加するべく建てられた開運モニュメントのスカイツリーだが、あの開運法、結局『燃料は自分の足だった』というオチになりそうだ。木が燃料になる運命を脱出することを祈る)

「どこを(誰を)切り捨てるか」で常に悩む先細りの文明。いわば文明が「消耗性疾患」に陥っているともいえる。
アメリカにも「誰かを犠牲にしなければ(生贄に依存しなければ)やっていけない状態に自ら追い込む」という根深い消耗性疾患の症状がある。 「自ら追い込む」ことで、何かを犠牲にする運勢を自ら作り縛られている気がする。 インディアンを排除しなければ成立しない国づくり。奴隷制度に頼らなければ維持できなかった豊かさ(特に南部)。 戦争というビジネスをしなければ支持と豊かさと結束が維持できない(軍産複合体に依存し牛耳られる)国家。生贄を出さないと救われない世界(キリスト教)。

しかし生贄と引き換えのそれは救いでも解決でもなく、犠牲にする部分が自分からよそへ移動しただけだ。世界全体が救われたわけじゃない。 体の切り落とす部分を変えたところで、体全体は救えない。少しずつ少しずつどこかを切り落としながら破滅を遅らせたところで、 待ち受ける運命からは逃げられない。でも、破滅が恐ろしくてそれを止められない。自分でそう追い込んだからだ。
その方法しか自分に思いつかせなかったし。全ての特性(可能性)を活かし連携させる方法で乗り越えるのではなく、何かを切り捨てることでしか乗り越えられない。前に進めない。その発想しか己に許さなかった。手段を現実に合わせようとはせず、手段に現実を合わせようとした。
生贄を捧げる(自切する)ことが破滅からの救いをもたらすのではなく、実際は、そんな方法こそが破滅から逃れられない運命を作っているだが・・・

そうなると、もはや何のために生贄を捧げているのかさえ、分からなくなってしまう。迫り来る運命への恐怖が強迫観念となり、発想が盲目的・原理主義的に先鋭化していくことで、「手段が目的化」していく。目的を失った手段。生贄のための生贄。 理由も無く足を切り落とすヒトデ。盲目的に足を食べ続けるタコ。
・・・そんな集合無意識の様子を、あのヒトデ達は表現しているように見える。ヒトデ達は星条旗の星々であるだけではなく、競争社会を営む人間そのものの象徴だ。
地域を問わず、人類の集合無意識にはそのような「消耗性疾患」が長い間巣食っていたのだ(海は集合無意識の象徴)。当然ながら、日本にもその病はある。ヒトデ同様☆型をした結界が生まれた頃から既にあった。
依存症を前提とする世界では「破滅から救われる」ことはない。破滅に巣食われるのみだ。
足を一本切り落とした(生贄にした)☆型のヒトデは、十字になる。十字架にかけられた生贄の子羊か。

ヒトデの多くは星型をしているので英語で「海の星(sea star)」と書く。タロットの「星」のカードは希望や可能性を意味する。
ヒトデ達が消耗性疾患にかかって自ら足を切り捨てて死んでいく様は、競争社会が末期に至り多くの人が内に秘めた可能性や運気を活かされること無く社会から切り捨てられていく一方になるという、「自ら希望や可能性を切り捨てていく病」に陥った現代文明のように見えた。

追記
TPP交渉(やはり何を犠牲にするか・切り捨てるかで揉めるし悩む)では強引なアメリカの圧力に各国が渋っている。日本すら何とか泣き寝入りは避けようとしてる。実は、アメリカ自身が国内の有力な政財界から「こうしろ」という強引な圧力を受けてやむなく強圧的になっている模様(記事)。要するにトコロテンみたいに圧力が伝わっているのだ。日本はアメポチだがアメリカも多分何かのポチだ。
(日米含め)各国が対等な協力関係を作り直した上で連携して圧力の大元に立ち向かってみたらどうだろう? 国や世界というものは建前上、大企業の「足」じゃないことになっている。
(大元のさらに大元を辿っていったら最後は人間の心に巣食う闇や歪みや抑圧に行き着くんだろうけどね。集合無意識規模で長年巣食った心理的抑圧の解決を探り始めた国も既に出てきた)

2013年12月 5日 (木)

特定秘密保護法案で妄想

※以下に書いたことは全て個人の妄想です。 この記事を書いたことに伴い、前回の記事を一部修正しました。

国家安全保障会議(日本版NSC)が発足
初会合既に秘密 日本版NSC、内容説明なし
秘密保護法、夫婦にたとえると?全日本おばちゃん党がネットドラマ配信
【秘密保護法案】 参院特別委で強行採決 国会前にあがる怒号
秘密保護法案 参院特別委で可決

◆日本版NSCは「情報戦略の在日米軍基地」?
例の法案や日本版NSCはアメリカの意向で作られた。いわば「アメリカの軍事的な情報戦略のため」に作ったので、アメリカの意向に沿う情報だけが特定秘密に指定される印象。政治家の汚職や各種不祥事や不満が出そうな国内政策まで何でもかんでも拡大解釈して「特定秘密」を振りかざし記者や一般人を逮捕していくことは無いだろう。それはアメリカの意向に反するし、何より目立ちすぎて自分の首を絞める。とはいえ、具体的に何が特定秘密指定されるかは結局分からない(一般人がうっかり知ってしまう心配はあまり無いと思うけど)。
何となく、アメリカには逆らえないからと強引にでも組織と法案を作ってしまいたかった印象がある。

例の法案とは別件で、千年以上もの時を積み重ね磨き上げられてきた日本の隠蔽体質は筋金入りである。隠蔽してることすら隠蔽する。しかも「機密を守る」という現代的な発想での隠蔽ではなく、肝心な情報セキュリティそっちのけで不都合隠しに技を注ぐ傾向がある。
去年の記事でも「これからの戦争は情報戦」ということを少し書いたが、多分日本は情報戦が弱い。機密の厳守というより単なる不都合隠しで発達した隠蔽体質は情報戦の役には立ちそうにないし、縦割りのお役所気質が伝統的に強い国なのでなおのこと「戦い」には弱そうだ。
するとどうなるかというと、「自分達では情報戦に勝てないからアメリカに依存する」ということになる。アメリカはアメリカで自国の戦略上日本版NSCを求めていたので、日本がそれを作ることと引き換えに依存させてやる気なのかもしれない(スノーデン氏とか見てるとアメリカも見た目ほど強く無さそうだけど)。要は冷戦期に戦略上のニーズから在日米軍基地が作られたのと似たような感じ? 在日米軍基地との違いは、日本版NSCの職員が日本人てことか。アメリカの情報戦に巻き込まれそうな気もする(妄想)
自我境界の問題は領土だけじゃなく情報の分野でも表面化しているのだろう。

◆冷たい戦争の次は見えない戦争?
アメリカ式で機密を守るなら、「秘密に触れた者・近づいた者」への扱いは確かにシビアになのだろう。何より、実際に「秘密」を扱う職員達がとても厳しい境遇になりうる気がする。
当然家族や親戚、交遊関係、ネット履歴までありとあらゆることを調べられ、監視され、時に制限され、家族親族共々プライバシーのある人生は送れない(本人達は気付かないだろうが)。最悪の場合、仕事のために家族親戚など「自分を知る者」とは二度と会えない孤独な人生を生きる人も出るだろうか(映画みたいに遺体もなく死亡届けだけが出されるとか?)。マトモな結婚だって出来るのかどうか。 なんか口封じに消される可能性が日本一高そうな職員ともいえるし、突然そういう職務に人事異動を命じられたら拒否出来ないかも。
(一部の北朝鮮拉致被害者も似たような境遇で秘密の仕事をさせられてるという噂あり)
目的のためなら誰かを犠牲にすることなどめらわない。情報戦は目に見えないが戦争の一種だからそういう発想になってしまいやすいのだろうが、どうにも重苦しい話だから国内でも懸念や反発は強まるし、国連の人権弁務官も懸念を表している(記事)。
これからの戦争が情報戦になるとしたら、「偉い人さえ自分達の戦ってる相手の正体が見えてこない」などという事態にもなるのだろうか。
どんな手段であろうがどんな時代になろうが、「戦争」というものには係わり合いになりたくない。

・・・お気づきだろうか? 過去の安保闘争でも今回の騒動でも、反対者は皆日本側に抗議するばかりでアメリカ側には特に抗議をしていなかったということを。
(TPP抗議にも同じことが言える)

◆余談
多分水面下ではいつでも繰り広げられている情報戦。今後の展開次第では、日本版NSCが標的になったり集中的に狙われたりすることもありえるんじゃないだろうか。ハッキング仕掛けられる頻度が上がったりして。
「縦割り過ぎて情報が混乱する。まとまってない。」という弱点は、情報を盗む側にとっても同じことを意味する。パズルの断片がバラバラに散らばった状態の方が紛らわしくて面倒だ。
ハッキングとかITセキュリティの技術を日本独自に開発しちゃったらすごいんだけど、技術者の待遇が悪いと技術者ごと外に出ちゃうんだろうな。日本は職人や技術者をあまり大事にしなくなった?

ここ数年は戦後日本史のデジャブのごとき「奇妙な時代の焼き直し」が目につく今、特定秘密保護法案やNSCにまつわる騒動は、さしずめ安保闘争の焼き直しなのかもしれない。そのうち労働争議の焼き直しもありそう。
(西之島に新しい島が出来たことも時代の焼き直しに見える。あの海域は73年にも新しい島が出来て西之島とくっついた歴史がある)

オマケ:【秘密保護法案】議長「賛成者は起立を」→野党「全員立ち上がり議長に詰め寄る」→議長「全員起立のため可決されました」

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