夢の記録

2009年3月24日 (火)

今朝見た夢

夢の中で、何故か飲み屋にいた。飲み屋では赤紫色をした中年男性と何か話していた。その中で今でも覚えている彼のセリフ。

生きてるのが辛いのではなく、その生き方が辛いだけなわけで
生きてる意味が分からないのではなく、その生き方に意味を感じないだけなわけで
答えのない問いは、決まった正解が無い代わりに不正解も無いわけで

・・・夢に出てきた物凄い色のおっさんは、そんなことを私に言った。
多分、飲み屋は「気晴らし・内面の吐露」の象徴だろうか。中年男性は「若者より人生経験のある者」という意味かもしれない。40歳のことを「不惑(人生に迷わなくなる年)」と書くこともある。彼の言っている内容も、いかにも年配の人が若者に言いそうなセリフだ。そんな夢を見たのが私自身であるなら、そろそろ私が初々しい「若者」を通り過ぎつつあるということだろうか(精神年齢は10代のつもりなんだけど、いろんなことがわかる様になるなら、年を取るのも悪くないかも)。
彼が赤紫色で登場した理由は、いまだに分からない。

2008年1月18日 (金)

今朝見た夢の暗示

何故か外国(ブータン?)のお祭り会場にいる。色々なお店が出ている。私は占いの露店を出していて、客足が途切れたチャンスを見計らって休憩を兼ねあちこち見て歩く。その間、何故か父が露天の店番をしてくれた。バナナを売る人、お菓子を売る人、東南アジアの屋台ようにランニング一丁で中華なべをふるっている人。
楽しんでいると、皆があわてて店じまいを始める。どうやらこれからとてつもない竜巻災害が起きるので非難しなければならないらしい。私も心配になって自分の露天に駆け戻る。周囲はほとんど店じまいが終わっている。危険が迫っている。緊迫した雰囲気。もう間に合わない! 早く非難しなくちゃ! と売上金の入った袋とカードを並べるときに敷く布と携帯とタロットカード本体をだけを一気に両手に抱え(カードの入っている紙箱は見捨てるしかなかった)、ガラス張りの円柱形をしたモダンできれいなビル(地上10階建て)めがけて一目散に走り出す。ごうごうと不気味な音が聞こえてくる。風が強くなり、砂埃が舞う。
強化ガラスのドアを押し開け、立派できれいな吹き抜けのエントランスに駆け込む。危機一髪。間に合った・・・
すると、店番をしていた父の姿が見えない! ぎょっとしてエントランスの二階のロビーに駆け上がると、いた!
しかも、ロビーのソファにゆったりと腰掛けて自販機で買ったレギュラーコーヒーを飲みながらこんな時に思いっきりくつろいでいる(笑)。私は脱力しつつ、「ここにいたらよくない。竜巻は地下にいなければ安全とはいえないのだから」と一緒に地下階に行こうとする。そして初めて、ビルの外の恐ろしい惨状を目にする。
高層ビルによく使われるような強化ガラスの窓が少したわむほどの凄まじい強風が何度も吹く。遠くから、今までテレビですらも見たことのないような巨大な褐色の竜巻が何本も何本も発生し、高速で移動していた。竜巻が移動した後は何もかも壊れている。壊れたものが細かい破片になって舞うのが見える。地平線と同じくらい遠くなのに、あれだけ大きく見えるなんて・・・
災害が到達するまでにビルへの避難に間に合わなかった民族衣装の男性(ターバンをしてサンダル履き。中東かインド風の格好)が入り口まであと少しのところで風に吹き飛ばされ、外壁上部に叩きつけられたあと落下する。起き上がって走るまもなく風によって再び同じように叩きつけられては落下を繰り返す。顎がつぶれて顔は血だらけ。泣き叫ぶような表情で血の代わりに大量のタンを吐く。だめだ。この人は助からない。強風で壁と地面に何度も何度も叩きつけられて苦しみながら死んでしまう。ああ・・・何て残酷なんだろう。見ていられない。
嘆き悲しむ反面、頭の片隅は冷静に動いていて、今のうちにビルの地下にあるスーパーマーケットで水や避難生活に必要ななものを買っておこう。避難者が押し寄せる前に・・・などど計算している。
結局、B2Fの図書館のソファに落ち着くことになった。そこで今回の災害についてこっそり占うと、出たカードは3枚。吊るされた男、運命の輪、審判・・・共に正位置。めったに出ない組み合わせ。「自然界自身の大規模な再生・復活のために自ら本能的に引き起こした出来事(自ら創った運命)。」とでも読むべきか? 先ほどのタンを吐いた男が頭をよぎり、「今回自然界が引き起こした竜巻は、風邪をひいた体が治るために自ら発熱し咳やタンを出すようなもの」か。何かに感染すれば、治癒のために免疫機能が働いて必ず苦しい症状が出ることは、再生・復活のためには避けては通れない運命・・・じゃあ今回の巨大竜巻は、自然界の巨大なくしゃみ?? などととりとめもなく終末思想的電波解釈をした。
・・・ここで目が覚めた。

「竜巻」は突然の大きな変化の暗示であり、しかも変化の前後で凄まじい差があるために、変化にすんなり順応してついていけずに葛藤を起こすシンボル。丁度竜巻が急激な凄まじい気圧差、温度差から発生するように。風は「思考」に照応するので、竜巻の凄まじい気流は自分の中の考え方が大きく変わる過程で、古い考え方から新しい考え方への変化に戸惑い、無意識下で古い考えと新しい考えがせめぎあい葛藤を抱えているということか。
竜巻が大量に壊していくものは、恐らく古い考え方によって成り立っていたもの、築かれていたもの・・・

露店とタン、民族衣装・・・どれも、「自己表現と抑圧」に関わるキーワード。店を開くのは「自己表現」。タンは自分を抑圧しているがゆえの「本当の自分の心を吐き出したい」という願望。民族衣装は「自分の持ち味を出せない気持ち」や「自分の個性に関するコンプレックス」と言われている。その民族に所属する人なら個性と無関係に誰が着ても無難な服。そんなある種のユニフォームに覆い隠された個性・・・

民族衣装を着た男性がタンを大量に吐いて死ぬのは、「抑圧を解いて本当の自分(の持ち味)を(吐き)出すことで、自分(の個性)に関するコンプレックスが死ぬ」「個性に抑圧とコンプレックスを抱えた古い自分の姿が死ぬ」という暗示か。竜巻のために露天をたたむのは「古い自分が死んで新しい自分に変化するに従い、古い自分を前提にした自己表現のやりかたをたたむ」という感じがする。当然、新しい自分は自己認識も表現するものも考え方も変わっているのだろう。古い自分に執着した視点では、その変化は残酷にすら見えるのかもしれない。
竜巻は怖かったけれども、新しいビルに避難して危機を乗り越えることが出来たので、急激な変化に伴う凄まじい暴風(葛藤)を乗り越えることが出来そうだ。

きれいで新しい感じのビルは、新しく元気な良い運気が創られつつあることを示すといわれている。ビルは地上10階建て、地下2階。計12。「運命の輪」のカードに振り当てられた番号は10。「吊るされた男」の番号は12。
ビルの階を上るのは運気の低下。逆に、階を下がるのは運気の上昇の暗示。一旦2階のロビーまで登ったので一時的に運気が下がり、その後地下階まで降りたので、再び運気上昇の暗示か。変化後の運気上昇・・・

図書館は記憶や感情など、自分の心にしまわれているものが入っている「心の倉庫(データベース)」。またそこでタロットを切ったことから、自分の中の心のデータベース内を検索する(自分を占う)という暗示だろう。
また、強風はアーユルヴェーダで言えばヴァータ(風)のアンバランスのイメージでもある。夢の中で占いの解釈の例えに使った「風邪」はやはりヴァータのアンバランスが引き起こす。これは恐らく、「死にゆく古い考え方の自分(風邪ひき中)と→生まれ変わった新しい考え方の自分(風邪から回復)」という変化の流れを例えたものか。同時に過去の記憶でもある(数日前風邪を引いたので)。

携帯電話、タロットカード、布、売上金の袋・・・外で占いをするのに必要な最低限のアイテム。これだけは竜巻から守り切れたことからも、これらのアイテムが変化を迎える私にとって今後も有意義な役割を果たすことだろう。ただし、占いに対しては今までの古い自分に基づいた古い考え方、古い使い方、古い形にこだわってはいけない。それが外箱(もう古くてヨレヨレ)を失った意味か。

抑圧とコンプレックスを抱えた前提の古い自分の生き方・考え方から新しい自分のそれへの変化の過程。そこには、古い自分と新しい自分の間での戦い、心のせめぎあいという葛藤があり、けれどもそれを乗り越え新しい方が勝つ。その過程で発生する葛藤はさしずめ竜巻のようでもあり、風邪菌と免疫機能の戦い(くしゃみ・咳・タン)のようでもある。また、人間が大昔から経験してきた生き方や考え方の変化(心の変化)に伴う葛藤とそれをくぐり抜けた最終段階はハルマゲドンの後に訪れる「最後の審判」の物語で表現されている。だから3つ目のカードは「審判」。

また、巨大な竜巻の破壊的な災害は「個性の抑圧とコンプレックス」という鬱屈を浄化するためのカタルシス願望の象徴でもあるのだろう。「自分の抑圧やコンプレックスを吹き飛ばせ!」今まで占いのアイテムは、鬱屈浄化の重要なアイテムだった。学生時代、「占い」で自分の持ち味を発揮出来たことは、それまで「自分には良い個性がない」と思い込んでいた私の大きな救いになった。これからも、占いで持ち味を生かすことはできるだろう(夢ではタロットを失わなかったので)。ただし、これからは恐らく、自分の持ち味の発揮を「占い」という方法のみに頼ることはなくなりそうだ。占いで発揮できる私の個性(持ち味)は、私全体の個性の中の一部分でしかないのだろう。

「私の個性を生かせるのは占いだけ(=私の取り得は占いだけ。占いで生かせる種類の個性しか私は持ち合わせていない。それ以外の個性など私には存在しない)」と無意識に考えていた抑圧的な古い自分は、やがて死ぬ。生まれ変わって新しい考え方になった新しい自分は、占いに使っているもの以外の個性が私に存在することを認め、それらの個性には占いとは別の使い道を見出すだろう。
「自分を生かす道は占いしか存在しない。占いしか自分を生かす方法は存在しない」と狭い考え方に執着し己に暗示をかけてしまうと、「今までの個性とその生かし方」という部分からしばし視線をずらし、占いに使っている範囲とは別の個性やその使い道に目を向けることは即ち「自分の個性とそれを生かす人生を自ら捨てる」。という自殺行為や自己否定じみた残酷なことと誤解してしまうかもしれない。実際は逆なのに。人生をもっと豊に大きく育てるだけで、何も捨てやしないのに。

登戸の占い商店会も去年の29日で終わったことだし(実はその直後から新年の一番忙しい時期にかけて、風邪で実際に咳とタンが止まらなくなった。確かに一時的に運気低下。でももう治った。今までの流れが終わって身軽になった分、今までとは異なる新たな持ち味を生かす新しい可能性を探していこう。
個性やその使い道にヴァリエーションが増えていくこと。古い自己認識の殻を破ってそれらの可能性を発見していくこと。ユングはそれらを「個性化」と名付けた。この大竜巻の夢は、私の個性化の流れとそれを阻む執着的自己暗示の葛藤を表していたと思う。そして、葛藤の竜巻を潜り抜け個性化(きれいなビル)にたどり着けることは、夢のカードが示すとおりきっと「運命」なのだ。

・・・大惨事の非常事態にもかかわらず、一人コーヒーを飲んでくつろいでいた父については、未だに何のことだか分からない。


自分の見た夢に占い師の解釈が欲しい方はこちら

2007年3月24日 (土)

自分に言い聞かせるための夢

今朝見た夢

どうやら大地震が起きるらしいので、皆で荷物をまとめて建物のない丘に避難する。ピクニックのようにビニールシートを敷いて座って地震に備えていると、やがて地面が揺れ始める。結構大きい。これからもっと大きくなるのだろうか? と不安に思いながらも、皆で地面に手を当てて何事かを呟いている。まるで地面に言い聞かせるように。その言葉が地面に響いたとたん、遊園地のアトラクションのようにビニールシートを敷いている地面が横にスライドし出して、地下鉄のようなトンネルの中へと私たちを乗せたまま入っていく。途中で荷物(トランク)をしまう場所があるのでそこに荷物をしまっておく。更に地面は進む。
「あまり奥へ入って行って欲しくないな。地震で出られなくなったら怖いから」という気持ちと、「ここは安全そうだ。このトンネルが崩れることはないと思うけど・・・」という気持ちがない混ぜになっている。地震はさっきより静かになったが、まだ続いている。
やがて、地面が止まった。皆ほっとして、先ほど荷物をしまった場所から各自トランクを取り出してトンネルの外に出てゆく。そこですぐに目が覚めた。1分後に目覚ましが鳴った。

地震は、「心が揺れる」とか「自信が揺らぐ」という表現があるとおり、いわゆる精神的な動揺のモチーフ。
揺れ動く心に手を当てて、静まるように何事か重要なキーワードにもなりえる言葉を言い聞かせ、響かせる。
トランクは責任感や義務感の象徴といわれている。時に「重荷」になる荷物でもある。
トンネルは、多分私の無意識ではないかと思う。あまり奥深くに行くとなかなか目覚めないから嫌だったのだろうか? 無意識的なレベルで言えば比較的浅い夢みたいだっただから。
地下鉄っぽいイメージを尊重するならば、地下鉄は「秘められた意図」。

最近、いろいろあって(心揺らいで)自分が占い師を志した初心を思い出したいと思うようになっていた。そして昨日、思い出してきた。それでまた占い師としてのルーツ&ポリシーを再確認し(心に言い聞かせ)、占い師としてモチベーションがぽかぽかと再びあたたまって来たところだった。
ルーツ、ポリシー、モチベーション。私の場合、そのどれもが、「面白そう・楽しそう・良さそう」→「だからやろう」という単純な図式の「好奇心と意欲」から端を発していた。最初の動機は決して義務感や責任感からではない。だから荷物は一旦脇に置いておき、無意識の内部にしまい込んだまま記憶が薄れがちになっていた(秘められた)本来の意図(=初心)の奥深くをさぐってゆく。そして、心の揺らぎは収まる。

目が覚めてすぐに路上で占っていた頃の記憶を思い出しながら浮かんできた文章。

人の流れを見ている 道行く人を見ている それだけで安らいで落ち着いた気分
私を見て変な顔をする人には、わらいかけてやろう
あ、こっちをみている
あれなに? 占いやってる めずらしい でも得体が知れなくて不気味 でも面白そう
いくらで占っているの?
あなたが好きに決めていいんですよ(人生のように)
どうしようかな・・・
好奇心と少しの勇気で、面白いことが起きるかもしれません(人生のように) せっかくですから、話のタネにおひとついかが?
じゃあ、やってみようか ・・・・・・うん、けっこう面白かった
ありがとう 私の楽しい仕事は あなたの過ごした「面白い時間」で出来ています
あなたと過ごすその時間は、私にとっても面白いのです 

2006年9月27日 (水)

風邪の時に見た夢

このところ急に冷えたせいか、風邪を引いた。おかゆとハーブティーで何とか治そうと試みている。
風邪を引くと一日中でも眠っているので、よく夢を見る。たいてい風邪のときに見た夢は起きて数分後には忘れてしまうのだが、今回はいくつも覚えているので、記録しておく。

その1
鎧を着た中世の騎士が怪我の治療のために温泉に入る。
解釈:環境(気候)の変化に対応して自分の体を保護する必要がある(鎧)。しかし保護が不十分だったので、鎧を着ていても怪我をした=風邪を引いた。温泉は身体を温め変化による緊張を解くことの暗示。

その2
近所の川沿いの道を、少年(自称運送屋)の自転車の後ろに乗って走る夢。ちょうどどうしてもある場所(多分地元の母校)へ行きたかったので、非常に助かった。その川には、実際には存在しないスイレンやハスの花がまだ少し咲いていた(以前にも何回か夢でこの風景を見たことがある)。
解釈:夢に出てくる子供というのは、よくわずらわしい出来事の象徴とされているのだが、多分風邪のことだろう。しかし自転車は身軽さ、活発さの象徴でもある。風邪のための休養が心理的な意味でのリラックスと開放感をもたらしたと言うことか? それとも、最近自転車の空気を入れた記憶が関係しているのか?
身体の変化が運気の変化を暗示することがあるので、占い師らしく風邪で運が一時休止し、風邪をきっかけに運を再構成するという考え方もしてみた。
川はハスやスイレンが咲くぐらいだから、実物より流れが遅い。そして、ハスやスイレンは飲み会から帰った夜や、家で飲んだ日の夜に見ることが多かったことを振り返ると、代謝が落ちて老廃物が溜まることの暗示だったのかもしれない。ハスもスイレンも、あまり流れのない水場の沈殿した泥から咲く花だから(単純にきれいだなと喜んで見ていたのだが)。今回も私の体調を象徴しているのだろうと感じる。特に、腸内環境ではなかろうか? 実は腸の状態が悪い(スムーズじゃない)と免疫が落ちたり、熱を持つことがある。副鼻空に鼻水が溜まることもある。今回は鼻水は出ないが、腸の中をきれいにするためにひまし油をお白湯と一緒に飲む。熱が少し下がった。

その3
何故か新体操のようなダンスのようなものを踊る人になっている。実際は前屈にならないくらい体が硬いのに、夢では非常に軟らかい。とても動きがスムーズで楽しい。踊った後で少し年下の男の子のダンサーと会う。あの踊りをアイススケートのようにペアで踊ろうというアイデアが浮かび、相手役の少し年下の男の子とミーティングでアイデアを練っている。シチュエーションやストーリー性の凝ったものがいいという話をしていた。テンポの良い面白い踊りが出来そうだと楽しみになってきた。
解釈:踊りは自己表現の象徴。難しい踊りを踊れた場合は表現力やコミュニケーション能力UPの暗示。無意識レベルでは新しい物語でも思いついたのだろうか?

その4
卒塔婆が印象的なお墓。私はある作業をする必要があり(何かは分からない)、誰かがそのお墓を作業の場として貸してくれたらしい。大小さまざまな鉢が重ねてある。何本か立てられた線香から煙が出ている。
そして作業が終わると(何をしたのか記憶してない)一旦その場を離れ、再び片付けに入る。何故か昔の友人のお母様が出てきて、「さあ適切な作業を済ませましょう」と言う。当の友人も私の隣に来た。私は重ねられた鉢を墓石の上から移動させようとすると、鉢の中に溜まった水の中へ、上の樹からヒルがくねくねしながらぽとぽと落っこちてきた! 友人と二人でムンクのように叫んだところで目が覚めた。片付けなくてごめんなさい。
解釈:昔の友人は現在の人間関係の象徴。お墓は先祖の象徴だったり、生活の変化の象徴だったりする。そういえば今年のお盆は色々あってお墓参りへ行ってない。線香も気候の変化や運の変化の象徴。樹は人体、或いはその人の霊的な体を意味するそうだ。ヒルは体調不良、特に冷えを意味する。運気を変える作業がひと段落して、その仕上げ(片付け)が「風邪」? 友人のお母様の謎の言葉は・・・?

なお、「気候の変わり目は運の変わり目」とも言われている。それは、気候の変化に伴って身体もそれに順応すべく変化するからだ。

2006年5月 6日 (土)

夢に出て来た子

なんだか、私の深層から生まれたような子。 Baketuneko

少し前のこと。昼寝をしていたら、SFチックな夢を見た。

ある光速宇宙船が新種のブラックホールの圏内にとらわれてしまい、時空の向こうに飛ばされてしまった。
宇宙船が飛ばされる寸前、乗っていた超天才科学者の博士は、自分の知性の粋を集めた研究データと、ペットとしてかわいがっていた子猫(空き地で赤ん坊のとき拾った)を手近にあったバケツ型ペン入れに入れ、凄まじく揺れる宇宙船内の異次元転送装置から地球に向けて転送した。それを最後に宇宙船の通信は途絶えた。

地球に転送されたバケツと子猫と研究データは、転送装置が激しく揺れていたために、転送の途中で全部一緒になってしまったらしい。
バケツは子猫の胴体にはまり、研究データは何と、子猫の頭脳の中に入ってしまった。
子猫は凡人を超えた超天才子猫になり、人語を話し、二足歩行し始め、地球にある博士の研究所を引継ぎ、文字通り教壇に立って学生たちに講義をし、博士の孫と遊びつつ宿題を見てやるようになった。そして、博士の研究を応用して時空の向こうに飛ばされた博士達を救出する一大プロジェクトを立ち上げた。 
「しょくん。これはひじょうにじゅうようかつふかけつなぷろじぇくとなのだ。」
子猫はちゃんとそのプロジェクトの理論も講義していたのだが、私の記憶があいまい。唯一はっきり覚えているシーンが、

「・・・であるからして理論上、時空のゆがみの特異点では時間と重力は実質上ゼロになるために・・・あ、ちょうちょ!」

窓の外へダイブ。


時々宇宙船の飛び立った方角の夜空を見ては、
「はかせ。まっててね。きっとたすけにいくからね」

・・・と子猫が密かに涙しつつ健気に決意を固めているところで間違い電話にたたき起こされた。

この絵は目が覚めて、夢の記憶を頼りにスケッチしたもの。すごく味のある顔だった。目が覚めたばっかりの時以外、もう二度とそっくりには描けない。「ぶちゃねこ」のモデルになった。
この絵を見て「にくったらしい」と思うか、「かわいい」と思うかは見る人によって大きく別れるようだ。
「かわいい」と思った人は、男女関係なく「母性本能」が活性化していると思われる。

2005年10月20日 (木)

夢と「タナボタ」

19日早朝の夢。お菓子をいくつか持っていて、その中にぼた餅が含まれていた。私はぼた餅を食べるのを後回しにして、駄菓子やらスナックばかり食べていた。すると、何故か「そろそろ終わる」という感じがしてくる。何が「終わる」のかはわからない。ただ、「そろそろ終わるからぼた餅を食べてしまわなければ」と急かされるような感じがして、あわててぼた餅を包んだフィルムをはがしてぼた餅を食べる。すぐに食べずに放置していたので、ちょっときな粉が湿っていたが、ぼた餅はおいしかった。ぼた餅を食べていたら、目が覚めた。
ぼた餅は利益の象徴。それも、「思いがけない利益や幸運」を意味することがある。いわゆる、「棚からぼた餅」。「そろそろ終わる」という感じは、「夢がそろそろ終わる」という意味だったようだ。
そんな夢を見た日、月に一度のラジオ出演のためにタロットカードを用意していつもよりかなり早めに出かけた。夜にラジオの仕事をする前に、飲み友達および茶飲み友達へファミレスでお茶しないかと募集をかけた。すると反応が返ってきて、数人がお茶に参加。そのうち一人から占いを希望された。思いがけず商売することになった。
そして仕事の帰り。気まぐれを起こして「パブで一杯引っ掛けないか」と募集をかけると、今度は別の飲み友達が参加。そして偶然にも、全員を占うことになった。昼も夜も占いをして、思いがけず商売繁盛。しかも飲み代タダ。まさに棚からぼた餅。
そして、夜の飲み友達との会話から次のようなインスピレーションを感じた。
「棚からぼた餅」は、ラッキーなことが「思いがけずに」起きるからうれしいのであって、日ごろからそれを期待していたり、それを当てにしていたら、いざ偶然ラッキーなことが起きてもありがたみが半減する。「思いがけないこと」だからこそ、「棚からぼた餅」はうれしいと感じるのだろう。
普通の人生なら「タナボタ」に頼らなくても十分に幸せを作ることが出来る。それなのに更にボーナスポイントとして突如「タナボタ」が起きる、とTV通販の宣伝文句のように考えておけばイイかもしれない。

2005年8月 2日 (火)

魚の夢

何かを探すために勇んで仲間と車に飛び乗り、前を見据えて進んでいた。途中、瀟洒なレストランに立ち寄り、魚のアーモンドバターソースズッキーニ添えを食べる。自信作なのか、店の人がこの料理に付いて色々と説明しており、仲間達は料理に満足している様子。私はと言うと、「さあ食べて食べて」と言われているのだが口の中に玉ねぎの塊が入っていて魚の味がわからない。玉ねぎを口から出して魚を一口食べる。

そこで目が覚めた。
車は行動の象徴。
魚を食べるのは縁起のいい夢なのだが、玉ねぎやにんにくなど匂いや味の強い野菜は不摂生の暗示でもある。不摂生をしていると縁起の良い運を充分に味わうことが出来ずに勿体無いということか。
良い運を作るためにも、これから身体のコンディションを整えるべし。

red_fish

2004年7月 7日 (水)

夕べ見た夢

麦の穂からばらばらになった麦の粒と、ネックレスからばらばらになった小さなクズ石のようなトルコ石。
それらをかき集めて一緒に袋に入れて大事にしまうというもの。
解釈は、
トルコ石が「仕事を通してじょじょに一つずつインスピレーションを得てゆく暗示。一つ一つは一見地味でささいな物事だが、どれも意味がある」
麦の粒が「一つ一つはわずかな利益だが、あつめればそれなりの形になる利益」
まとめると、「金運(お金)的にしろ精神的にしろ、少しずつ発展し、『チリも積もれば山となる』」

2004年6月24日 (木)

占い師の見た夢の正体

今回見た夢その1
とても大きな大古い木が倒れた上に木が生えているのが脇に見える、緩やかな坂道を登っている。そうやっているうちに、暖炉に使うたきぎを集めようと思い立ち、乾燥した木の枝を一抱えほど集める。しかし、妙に枝集めが後ろめたくなって、枝を抱えながら倉庫のようなシャッターのある小屋に隠れて、父が来るまで迎えに来るのを待つ。が、なぜか警官に見つかって取調べを受けるはめになる、と言う夢。

車は経済状態。樹木は肉体と霊的な身体。たきぎは、ある意味では冬場の「蓄え」だし、冬は自分の心理を表す。
焚き火は「闇を照らす」ことから、「目に見えない世界との交流」を意味する。「父」は誰かに心配されてるということ。
無意識に誰か(父、又は自分を心配する身近な人)と霊的な交流をしようとしているのかも。たきぎは目に見えない(霊的?)蓄えや財産なのだろうか? また、焚き火にはシンクロニシティーを意味すると言われることもある。それから、「うしろめたい」と言う感情を「後悔」に近い系列の感情とすると、良い意味での人間関係の変化というところか。「待つ」というキーワードにも同じ意味があるし。しかし、少々受身な状態かも知れない。そのせいで不自由さや拘束を意味する「警官」が出て来たんだろう。「隠れる」も自由さ・マイペースを望む気持ちの象徴。また、警官には(社会的)責任と解釈することもある。「捕まる」のは重要なことを得る暗示でもある。
解釈をまとめると、自分の持つ目に見えない財産や蓄えを使って、目に見えない世界、多分集合無意識のレベルから、何かをしよう、誰かと交流しようとしているが、まだ自身がなくて受身に傾いているため、自分の持つ不可視の財産・蓄えをうまく使えず、不自由していると言うことか。自分次第では良いこと、嬉しいことが出来るみたいだが・・・

心当たりは十分ある。実は、ひょんなことから急に、占いとは違う全く新しい仕事をすることに決まった。それは、電話番を中心としたある人のスケジュール管理。何故か、理由のわからない興味を感じて、やってみることにした。
初めてのことなので、はっきり言って自信はない。大雑把な私が今から緊張さえしてる。いや、大雑把ゆえにそんなきちんとした仕事をすることに緊張しているんだろう。引き受けた後になって「気楽な占い師が多忙な人のスケジュール管理!?」と混乱し始めているし、何故かすごく重い責任のような気がする。 なんか意味もなく誰かに謝りたい。
だが、夢では「自分次第で有意義なものに出来る」といってるので、まあ、多分大丈夫なんだろう。むしろ積極的になって変化を楽しむことが出来ればと思う。無意識では既にそう思っていたらしい。

さらに、「父」の意味である、「誰かに心配されている」という暗示の心当たりはただ一つ。その人は私が学生時代に「将来は占い師になる」と言ったら両親より心配してくれた有難い人。当時、私は卒業したら占い師をやることへの不安や心配に無頓着だった。「え、そう?」てな感じ。現在まで、幸いにして占い師を選んで後悔したことはない。困る環境にもない(だから選んだ道だが)。今回の仕事は、その人から紹介されたものだ。多分、あの時からわざわざ心配してくれてたんだ! 申し訳ないような、情けないような(笑)。
仕事は、大好きなチベットに関係するもの。チベットに旅行した時、チベットの人々には大変お世話になった。子供の頃から、ある意味暗い永久凍土みたいだった私のココロを、いきなり純朴な笑顔で瞬間解凍して初夏みたいな気候にしてくれちゃった人達。その上、ご丁寧にもヤクに鍬を引かせて物凄い勢いで耕されてしまった。無論本人達にそんなつもりはなかっただろう。ただ、純朴でやさしく、人懐こかっただけだ。素で強力な癒し系キャラだっただけ。暖かく耕してくれたお陰で、凍土に埋まっていたらしい種から、何かが生えてきた。
よもや種から占い師が生えて来るとは本人も予想していなかった。しかもそのせいで、日本でもチベット人に心配され、世話を焼いて貰っている。
そう、心配して今回仕事を紹介してくれた人はチベット人。スケジュール管理の対象者もチベット人。給料の出所もチベット人。
・・・あなた達は、よってたかって私をどこまで耕す気ですか? し か も 今 回 は 肥 料 ま で !

今回見た夢その2
首の後ろから服の中に毛虫のような虫が入り込み、驚いて目が覚める。
毛虫は煩わしいこと、どうでもいいこと、とるに足らないことを表す。
「背中」はすぐに解決出来るトラブル。
心当たりは、あのときのチンピラ達
しかも、彼らが来たとき、隣の植え込みで大きな毛虫が葉っぱを食べていた。
チンピラ大明神。ご神体は「毛虫」・・・・・・・・・・・・確かに嫌われるよなぁ。

2004年6月 8日 (火)

今日見た夢

狂った人がどこかへ走り去っていって、その人を探しに行く夢。
笹林の中の小道を進み、「お父さんの沼」と呼ばれる小さな沼に行き着く。
その沼だけ他の小さな沼より明るい。狂った人はどうやらそこに隠れているらしい。

解釈してみると、沼は体内の、特に下半身の循環機能が悪く、いらないものが澱んでいる象徴か。
多分、私だけ無く、ウチの父も循環に悪さでは当てはまる。腎臓の辺りが凝るし、水虫だ。
狂った人は願いが叶う良い暗示であると共に、心身のバランスに対する注意。
体内にいらないものが溜まると、ココロの中にもいらない物がたまる。いらない物は時に、体の一番低い場所、足に沈殿する。むくんだり、こむら返り起こしたり、水虫にも関係していたり。

また、消化・吸収がうまく行かず、食べ物が体内で消化しきれず、まだ細胞が栄養として吸収するには大きすぎる塊「未消化物」となって腸や血液にとどまると、体にも良くないし、神経や神経の行き着く先、脳・・・・・ココロにも悪影響を与える。要するに毒素。その未消化物のことをアーユルヴェーダでは「アーマ」という。「アーマ」にもドーシャで分類できるので、ピッタ(火)に属するアーマやカパ(水)に属する、ヴァータ(風)に属するアーマなどがある。アーマがたまって体に悪影響を及ぼすと、もちろんドーシャバランスは崩れる。また、アーマが体にたまると神経はそれだけでストレスになり、些細な事から激怒したり、ひどいと理由の無い怒りが生まれたり、凶暴になり、暴力的な振る舞いをすることもあるという。多分この例のアーマはピッタ(火)。カパのアーマは恐怖と関係するらしい。アーマは基本的に毒素なので、神経や脳に影響すると幻覚や妄想を起こすのもある。私も気をつけねば。一昨日飲みすぎ食べ過ぎ。
アーマを排出するには色んな方法がある。オイルマッサージもその一つ。そういった毒素を排泄する事を「パンチャ・カルマ」と呼ぶ。案外、世間で起こる理解し難い事件をやらかす人の中には、アーマがたまってる人もいるかもしれない。カッターでクラスメイトを切り殺した小学生がそうだとは断言しないけど。
一説では、「悪魔」は「アーマ」が語源だといわれている。

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