健康

2013年4月25日 (木)

大切なモノを取り戻すためのジハード

※以下は根拠のない個人の妄想です。カルトや霊感商法にも通じる洗脳の手口(一例)をタネ明かししておきます。同じ手口に引っかからないための知識になれば・・・

ボストン爆弾テロ、兄弟の素性…兄は「負け犬」弟は「天使」と親族

ある親族は兄のことを「負け犬」、弟について「純粋な天使」と評している。孤独感を深めていたのか、兄は、知り合いのカメラマンが運営するウェブサイトの中で、「オレには米国人の友達はたった1人もいない。彼らのことは理解できない」などと吐露していた

ジョハル容疑者「計画したのは兄」…爆弾テロ
ジョハル容疑者は捜査関係者に対し、兄の犯行動機はジハード(聖戦)の考えに基づくもので、イスラムに対する攻撃への反撃だったと話し、犯行の背後に国際テロ組織の存在はないとも述べているという。

ネットを通じて過激化か、ボストン爆発事件容疑者の兄弟
■故郷を追われて過激化する思想
米ランド研究所(RAND Corporation)国際安全保障防衛政策センターのセス・ジョーンズ氏は「チェチェン問題はそれほど関係ない。チェチェンで過激化したわけでも、訓練キャンプにいたわけでもなく、それよりもソーシャルメディアを通じて過激化したのではないか」と弟のジョハル容疑者が拘束される前の時点で語っていた。
北カフカス地方に詳しい専門家でカーネギー国際平和財団のバイラム・バルジ氏は、幼少時代に故郷などから追われると、後年、思想が過激化しやすくなると指摘する。

友人の影響でイスラム傾倒=ボストン爆弾テロ容疑者兄

タメルラン容疑者のおじは24日、CNNテレビに対し、友人が同容疑者を「完全に洗脳した」と述べた。別の親類はCNNに、同容疑者がこの友人から「ボクシングや音楽はイスラム教上、良くない」と言われ、いずれもやめたと証言した。
友人はイスラム教に改宗したアルメニア人で、「ミーシャ」と呼ばれていた。タメルラン容疑者はイスラム過激思想に傾倒し、爆弾テロを起こしたとみられているが、友人がテロ計画に関与したかどうかや過激派に関係しているかは不明だ。

◆大切なモノを異物に投影させてすり替えろ
容疑者の兄の方は16.7歳の思春期後半で米国へ渡ったことになる。幼少期に育ったカフカスとは大きく異なる米国への移民。その地で米国人の友人をひとりも作れず(=環境に順応できず)、多分生まれて初めて大きな孤独や挫折感を味わった兄は友人の影響からイスラムに自己投影して自己同一化した気がする。その場合、本当に守りたかったのはイスラムではなく、見失った自分自身や自分らしい生き方だったように思う。見失った大切なモノを別の異物(今回ならイスラム過激思想)に投影してしまったのだ。それが悲劇の始まりか。
そもそも兄は孤独や挫折感を抱えていなければ救いを求めて友人の説く宗教に傾倒してないかも。
イスラムが脅かされている感覚は自分の大切なモノ(自分自身の生き方)が脅かされつつある感覚を投影・同一視し混同させられた結果生まれた錯覚?

挫折して自分の生き方を見失った時に救いを求めたイスラム(もとい友人の洗脳)にハマり、自分の望み(救いや自己実現など)をイスラムに投影・同一視することで望みがすり替わってしまい、本当の望みを見失ってしまったような気がする。ボクシングも音楽も、自分自身で作った自分らしいライフスタイルの一つだったのに。それを捨てさせられ、イスラムをその代用にさせられてしまった。失った「自分」を異物で代用させる洗脳によって。
けれど、自分らしい生き方を失った「人生の飢え」はどんなに異物の代用品へのめりこんでも癒されない。飢えに駆り立てられて、中毒のようにのめりこみ(依存症化)、どんどん先鋭化していく。無意識下でどんどんストレスが蓄積する。いつか爆発する。
自分とその生きる道が自分でない異物に侵略され、脅かされていく。無意識カでつのるそのストレスと憎悪は強い。
ネットや洗脳で身につけたイスラム反米思想と彼の個人的事情が合わさって、米国(=孤独と挫折の国)は彼の中にあるそんなストレスと憎悪の全てをぶつけるはけ口になった。
「幼少時代に故郷を追われると過激化しやすい傾向」があるってことは、彼のような人々が潜在的に沢山いるということかもしれない。カモにしやすいタイプではある。

大切なモノを別物に投影→同一化→すり替え。この手の現象を人工的に利用した洗脳は世間にいくらでもある。宗教だけじゃなく、政治や企業やカルトビジネスの場でもやってる。多分、教育の場でも。
大事なモノを別物に投影させるためには、予め大切なモノを捨てさせておくか、大切なモノを失った(見失いかけた)人間を洗脳のターゲットにすること。心が弱ってたり悩みや迷いを抱えてるときにこの手口を使って親しげに近づいてきたり押し付けがましくしてくる人間には要注意。
犯人(兄)のタメルランの場合、移民先での孤独と挫折感に加え、そんな自分が支えにしていたボクシングやささやかな音楽の趣味をも捨てさせられてしまい、失うものが何も残っていなかった印象。

◆すり替えた大切なモノを囮にしろ
見失った大切なモノ(自分自身や自分の生き方、救い、自己実現等)の姿を宗教・イデオロギーや個人(教祖様、政治家、組織のリーダー等)へ無意識に投影させて、「これが君の探してたものだよ」と無意識下に吹き込めば簡単にそれを同一視し、信念としてのめり込んでくれる。洗脳完了。
自分が本当に守りたかった大切なモノは忘れ去られ見失い、その代わりに同一視させられた信念(=大切なモノじゃなくてその偽物)を実践し守ろうとしてしまう。なんて好都合だろう。

そうやって作った「信者」は自己犠牲をいとわなくなる。もう自分を守ろうともしなくなる。信念のためなら(=大切なモノのためなら)自分も他人も、あらゆる犠牲をいとわなくなる。全てを失えば、失うものは何もない。
そんな都合の良い「殉教者」は世間にいくらでもいる。いくらでも作れる。
殉教者はアメリカなら右派やキリスト教原理主義の世界にいてせっせとイスラムを憎んでくれる。戦争を支持して志願兵になってくれる()。
何処の国とはいわないが、政府与党にその手の洗脳が得意なカルト組織が参加して、与党の支持集めにもこっそりそのノウハウが使われてる気がする。
「ソーシャルメディアを通して過激化していく」・・・これ、日本でも最近の大衆心理がそんな傾向を帯び始めている。大津イジメ事件の時には顕著に現象化した。日本の人々が以前より煽動されやすくなったということは、洗脳されやすくなったということでもある。今の時代、洗脳(煽動)はネットでも出来る。気をつけて。
(今、アメリカでもあの時と似たようなことが起きてる

大事なモノを別の何かに投影・同一視させることで洗脳、扇動する手口にはくれぐれもご用心。
そんな手口から大切なモノを取り戻すことこそ、「ジハード(聖なる戦い)」と呼ぶにふさわしいものではないかと思う。大切な物を奪われ洗脳されジハードに駆り立てられたテロリスト達。彼らが本当にしたかった「ジハード」は、爆弾なんか必要のない魂の活動であったのかもしれない。
wikiによると、「ジハード」には2種類あって、「個人の内面との戦い。内へのジハード。非暴力的なジハード(大ジハード)」というものがあるらしい。どうも心の中の堕落、怠惰、腐敗といった悪徳と戦う事をさすようだが、ついでに己を犯罪に誘う原因になった洗脳とも戦うこと、自分自身とその生き方を取り戻すこと。見失った魂の生きる道を取り戻すこと・・・これも大ジハードに分類していい種類のものかもしれない(オカルトな異教徒の妄想)。

◆誰が人生に責任を持つか
忘れてはいけない。宗教や各種思想は自分の人生に責任など取ってはくれない。他人を洗脳して都合よく利用する連中は、相手の人生に責任とる気など最初からない。
魂の生きる道は自分にしか作れない。それを放棄してどこかの宗教や思想といったマニュアル的なものに丸投げ(異物に投影して代用)するのは無責任だし怠惰なのかもしれない。

魂・・・ユング心理学で言えばセルフ(自我や無意識を合わせた精神世界全体とその中心的存在。時に自我や人知を超えた理想像になったり自己実現の象徴になったりする)。古今東西の神話で神の元ネタとなったそれは、一人一人の心の中にいる。どこよりも近い場所に。そして謎めいた場所に。

【余談】
世界はやがて長い時間をかけた集合無意識規模の「スピリチュアルジャスミン革命」へ向かうかもしれない。イスラム圏におけるそれは、一人一人の「大事なモノ」をイスラムにすり替えてしまうような度を越したイスラム原理主義からの脱却(イスラム原理主義の運気衰退)という形を取る可能性も・・・?


侵略者と被侵略者
共同幻想から自己をとりもどせ←宗教じゃなくてナショナリズムの場合
金正恩占ってみた→犯人兄の心理と彼の心理、「自己侵略」という点では少し似てる?
依存ビジネスの心理的手口→「大切なモノ」ではなく、心に抱えた不安感を投影させる手口

鬼門のボストン 裏鬼門のテキサス

2012年6月24日 (日)

枕元に携帯(スマホ)置いてない?

機嫌悪い・起きない…中学生の7割、睡眠に問題
就寝前の携帯電話利用、睡眠に影響あり!? 電磁波と不眠の関連性を指摘

個人的な体験談を一つ。私が枕元でケータイ(スマホ含)を充電していた頃。今よりも寝つきが悪く、朝はだるさや疲れが取れてない感じがしていた。やがて肩こりや頭痛、生理痛がひどくなり、重症時には身動きが辛いほど。今までこんなことなかったのに、なんだか変だぞ? と知り合いの治療院に行った。
そこで言われたのが「枕元にケータイ置いてない?」「ポケットに携帯入れてない?」「パソコン長時間使ってない?」
・・・どれも当てはまった。

どうも、枕元にケータイを置くと長時間電磁波を至近距離で頭に浴びるため、健康に悪いらしい。とくに、電磁波を頭に浴びるのはよくないらしい。
(電磁波自体、健康に良いものではない)

ケータイの他にも、電源が入りっぱなしのラジオや音楽プレーヤーといった電気製品を頭のそばに置かない方がいいとアドバイスされた。
また、若い人はポケット(生殖器に近い)にケータイを入れないでカバンなどに入れて持ち歩き、使う時以外は電源を切っといた方がいいという(私も以前はカバンに入れていたが面倒になって一日中ポケットに入れるようになっていた)。通話する時は耳から少し話して通話するのも影響を減らすという。
携帯を胸のそばで長時間操作したりいつも胸ポケットに入れていると心臓だけでなく乳腺にも影響する事例がある。

帰宅後、体調不良と一日も早くおさらばしたい私は早速そのアドバイスを実行した。充電は別の部屋で。寝る時使わない電気のコンセントは明かり以外全部引っこ抜いた(節電にもなる)。テーブルタップは頭と離れた場所に移動させた。パソコンも出来るだけ使う時間を減らし、使わないときは休止モードにしないで電源をコンセントから抜いた。
ケータイは家にあった電磁波遮断エプロンの裏地(遮断材)にくるんでカバンに入れて持ち歩くことにした。
(ヨドバシなどではOA機器を扱う人用の電磁波遮断エプロンが売られているが、電磁波の電場は防げてもケータイなどの磁場に対しての効果は『無いよりまだまし』、というレベルの商品も多いという)

そうやって一ヵ月後、気が付いたら体の不調は取れていた。今も無い。 これにはちょっとびっくり。

電磁波の人体への害、特に子供への害について日本はあまり頓着しないし研究も遅れている上に今まであまり報道されてこなかった(利権の関係とかいう噂も)が、WHOでは既に報告されている。欧米では研究が比較的盛んで、電磁波の人体への影響が立証され、。各国で子供のうちから携帯電話を日常的に持ち歩かせないようにしようという動きがある(参考資料)。実際、小さい子供に携帯を持たせない法律を作った国さえある。 ipodやiphoneの注意書きには電磁波に配慮した項目があるのは有名(心臓から15cm以上離して下さい、など)。

不眠症やキレるタイプの犯罪やストーカー犯罪が増えてきた時期と、ネットやケータイが普及し電波塔が増えて、今までになく電磁波が沢山飛び交うようになった時期とは偶然にも一致しているのがちょっと怖い。
最近は「携帯電話の電源を切ってください」と表示されている優先席でも堂々と携帯をいじっている人が目立つ。赤ちゃんを抱っこしながら長時間携帯をいじり続けるお母さん(位置的に携帯が赤ちゃんの頭のすぐ近くに来る)も増えた。ひどいケースだと電車内やレストランで自分の子供が走り回り大騒ぎしてるのにそっちへは全く見向きもせず夢中で携帯・スマホを見ている親もいる。そういった親と暮らす幼い子供は自分に注意を向けて欲しくて一層親の前で騒いだりする。普段からろくにかまってもらえてないのか?
携帯端末が肉体的健康だけではなく、その人本来の姿や思考や人間関係、ライフスタイル、精神発達すら歪められてしまうことさえあるのだとしたら・・・などとついお節介な心配をしてしまった。

電磁波の影響を抑えることやデジタル端末との適切な付き合い方等が今後様々な商品開発・都市計画の課題になる日も遠くは無いかもしれない。
頭痛や不眠が心配でなおかつ毎晩枕元にケータイ置いて寝ている方は、試しに一ヶ月ほどケータイを別の部屋に移して寝てみると何か変化を感じると思う。
もし原因不明の慢性的な体調不良に陥ったら、電磁波を出来るだけ遠ざけてみるのも手だ。
基本的に、電磁波出す機械を至近距離で長時間使用することは、体に優しくない。


電磁波とその影響
ケータイは危険か? 今日誰もが知っておいた方がよい情報←ドイツ研究者の論文(日本語訳)
「電磁波問題を共有」 市民と研究者ら集い

WHO(世界保健機関)が電磁波問題への「予防原則の枠組み」案を公表

リニアは有害電磁波をすごく出すので、個人的には乗りたくない()。日本政府が電磁波の健康問題をとり上げたがらなかったり原発を止めたくないのは、リニア構想(リニア利権)をやめたくないからだという話もあるらしい。確かに、リニアには大量の電力が欠かせないし、発生する電磁波も膨大だ。既にリニア沿線地域では電磁波の健康被害を懸念して住民による反対運動も起きている(参考)。だがマスコミが報道することはない。
既にリニアがある中国では、沿線住民達に健康被害が出ている()。
(2015年脚注:マスコミ最大のタブー「リニア中央新幹線」問題に迫る

【オマケ】

2014.5.14追記
脳腫瘍、携帯電話で増加=1日30分で2倍超-仏研究者←この記事から2年後、日本でもやっと少し報道されるようになった。欧州だと健康への影響を考慮して8歳以下の子供は携帯電話の持ち歩きを禁止する法律を持ってる国さえある。
携帯電話ですらここまで有害なら桁違いの電磁波出すリニアなんかどうなってしまうのか。

電磁波による健康被害、世界で実態が明るみに
電磁波とうまく付き合おう

2012年3月31日 (土)

依存の増える時代?

(オセロ中島事件からの連想その③)
※以下に書いたことは全て一個人の意見にすぎません。依存症については専門のカウンセラーさんなどにご相談してください。

◆依存が増える時代の特徴?
心理的な依存症。現代社会はそういうものが増えているという。じゃあそんな社会の特徴は何だろうと考えて思い浮かぶのは、ともすれば生き馬の目を抜くような激しい競争のある環境であったり、外部から入ってくる多くの情報に意識が干渉されすぎてしまったり、同調圧力や流行に縛られて常に周囲の様子を伺うような強迫観念に縛られていたりという特徴が目に付く。
その結果生じることは、自分の内面(内界)を顧みることなく置きざりにして(状況がそんな時間や余裕を許さず)、外の世界にばかり意識を向けすぎているというアンバランス。
何というか、社会が個人に対して「自分の内面をみる」という作業を後回しにさせてしまう感じだ。意識の焦点が外の世界に固定され縛り付けられている、とでも言えばいいのか?
(同調圧力に縛られ外の目を気にしすぎる国民性もアンバランスに影響?)

そういうアンバランスなライフスタイルを作る社会環境・文化環境が「自分の本当の心に気付かない」「本当の悩みに気付かない」という現象を作りやすくし、また「意識の焦点が外の世界にだけ偏りすぎたアンバランス」は己が内面を見ないせいで自覚することなく抑圧してきたさまざまな欲求や感情や「本当の悩み」を、無関係な外部の物事に投影・同一視させやすい。時にはそこを悪どいビジネスや悪質な勧誘に利用されている印象さえある。そして、そういうビジネスをしている本人達もまた、自分の内面を振り返ったり見つめたりすることはないのだろう(多分)。
時には彼ら自身もまた、抑圧された無自覚な何かによってそういう商売に駆り立てられ、依存し縛られてしまっているのかもしれない。

せわしなく、考え事やボーっとするヒマと余裕がない(それを与えない)情況は、自分の心を観察したり自分の心と対話する(自分の内面を顧みて己の心を自覚する)ための時間を与えない。心にアプローチすることが困難な環境だとも言える。そんな風潮や環境が現代社会や急激な情報過多の環境には潜んでいるのかもしれない。最近の人は考えことやボーっとするような「内省の暇」があるなら迷わずネットで「つぶやき」のチェックを優先する(自分の時間をそれに縛られ、奪われている)人も増えている。

◆心にアプローチする習慣?
では、現代とそれ以前を比べた時、日常で己の内面を見つめる頻度に違いがあるのかというと、多分あると思う。
昔の人は己の内面や心の動きを客観的によく観察してそれらを覚えおくこと、己の心を探り自覚するといった作業の良いきっかけになる文化に親しんでいたように見えるのだ。
例えば、「禅(座禅)」や禅の精神を取り入れた文化や、ブログのような公開型ではない自分のためだけの「秘密の日記」をつけることや、短歌や俳句を書くなど、自分が感じた心の動き、「もののあはれ」を折に触れて書き記す習慣。これらをやる時、己の内面を言葉で表現できるレベルになるまで冷静に分析し観察し把握する過程が必ず入る。こういう文化、他にも探せば数多く出てくるかも。
個人的に、徒然草や日記文学として知られているような作品、または優れた心理描写が人気の源氏物語のなどは、作者が普段から己の心の動きを非常によく観察した結果の産物であるように見える。紫式部の人生には、己の中でさまざまな恋愛感情や女心が浮かんでは消えくという体験があったはず。その内なるリアルな体験を華やかに表現した結果があの物語になったのだろう。そして徒然草や各種日記文学の作者たちは、あれを人目に触れる前提で書いたのだろうか? もとは個人の覚え書きや秘密の日記な気がする。徒然草なんか執筆後百年間は誰からも注目されてなかったらしい。

とまれ、そういった文化、現代ではあまり親しまれていないものも多い。むしろ欧米でリスペクトされることが多い印象。
ただ、最近は何故か座禅(プチ座禅?)に密かな人気が出ているらしいので、人々の無意識がそのような「心の文化・習慣」の復活を求め始めているかもしれない(そしてそこに付け込む依存ビジネスには要注意)。

娯楽の少ない環境の中、内面を見ることによって生まれる豊かな文化や作品の喜びに親しんでいた昔の人は、もしかすると「喜びというものは外部からではなく、己の内面によって内側からもたらされる」ことを知っていたかもしれない。それは、ともすれば「喜び」をつい己の外に探し求めてしまう現代人と大きく違うところのように見える。
それに対し、娯楽が沢山あって外から与えられる喜びに慣れた現代人は「内側からもたらされる喜び」さえも抑圧し、それをどこか無関係な場所に投影する現象さえ引き起こしていることさえあるかもしれない。
(外から与えられる喜びに慣れてしまうということは、ともすれば創造性が発揮される機会を減らしてしまうということにつながりうるのだろうか?)

喜びというものが外部からではなく己の内側からやってくるもの、内側に存在するものだとすれば、不安や依存心もまた、外部ではなく己の内側に存在するものだろう。何でもそうだが、それが己の内側に存在しなければ、それを何かに投影したり何かと同一視することさえ不可能だ。投影や同一視が起きたということは、それは確かに己の中に、誰よりも近い場所に存在している証だ。それゆえに「悩みを作るこの不安やこの感情は己の中のどんな背景から来たものか」という発想が役に立つ。

◆まとめ
外部に投影された内なる不安は、自分の正体が暴かれることを待っている。
喜びも、幸せも、様々な素敵なものも、安心感も、依存せずに生きる前向きな力も、本当は誰よりも近い場所にあって、それに気付いて抑圧を解かれる(封印が解かれる)のを待っているのかもしれない。
そのことに気付いて欲しくて、サインを送ろうとして、我々の無意識は「投影」や「同一視」という奇妙な現象を引き起こすのかもしれない。
だとすれば、私たちはそんな無意識のサインに気付いているか? そのサインを活用できているか?

・・・てなことを、昨夜福神漬けを食べたはずみで妄想してしまった。

2007年6月18日 (月)

文明と生命力の使い道

BGMはこれがいいかな・・・

「生命力」と聞いて何を連想するだろうか? 若葉が芽吹く様子。健康を回復していく様子。破壊された自然環境が回復していく様子、生き物が厳しい環境でたくましく生きている様子、種族の進化etc・・・
生きているものには、必ず「生命力」と呼べる様な何かが潜在している。無論人間にも。
生命力は単に肉体的なものでなく、知恵、直感、分析力、判断力、気力、才能、素質、運、勇気・・・生きることを助ける力全て。

大昔、人間は野生動物だった。私達が当然知っている知識や技術もなく、生活は不便で大自然での生存は厳しい。その代わり、現代人よりもたくましい生命力を持っていた。「野生の勘」とでも言うべき生存本能から来る直感力も、今よりずっと優秀だった。
食べ物を得る、良い住処を得る、危険を回避する、敵に勝つ、体を回復させる、伴侶を見つけて子孫を生み育てる。人間も他の生き物同様、己の生命力をフルに発揮出来たとき、本能的に幸せを感じていた。野生動物だった頃、生命力の形態はとてもシンプルだった。だからって不自由しているとは思わなかったろう。

やがて人間は文明を作るようになった。農耕や牧畜のほか、様々な「職業」が都市部から生まれた。野生時代には必須の「本能的な直感力」は徐々に薄れ始め、一部の「素質」ある者達が宗教的指導者や占い師になってその本能的役割を負った(一部では迫害もされたが)。
収穫の安定を図る、家畜を増やす、家を繁栄させる、自分の仕事を成功させる。自分の仕事が他人を助ける。産業や交易で栄える。・・・領土を広げる。
時代が進むにつれ、生き方の種類が増えるにつれ、生命力の形が細分化していったが、どういう形であれ、自分の生命力が有効に発揮出来た時、ヒトは幸せだった。本能がそれを知っていた。
当初。自分の生命力を更に効率よく発揮し、生命力の可能性を広げるために、人々は文明というツールを作った。強大な帝国が生まれ、学問と文化が華開いた。学問や文化も人が生命力を発揮した例だ。その分野で己の生命力をフルに発揮出来た時、人は本能的な幸せを感じていただろう(本能といものを動物的な部分のみに限定せず広義にとらえて)。

現在。先進国と呼ばれるエリアにおいて、生活はとてもとても便利になった。生存が楽になった。その分、あまり生命力を使わなくても済むようになった。、「本能的な直感力」は科学的根拠がないので存在を否定された。けれど最近になって、否定したはずが何故か不思議な魅力を持つようにもなっていった・・・
人々は生活の便利さ(文明)を維持するために毎日働く。その生き方は、自分のなかにある多様な種類の個性ある生命力のうち、ほんのわずかな部分しか使わずに生きるということだった。日々「生命力をあまり使わないことが前提の生き方」は、裏を返すと己の色々な生命力を使って「本能的な幸せ」を作る機会も少ないということ。そういう発想がひらめきにくいってこと。人々が「豊かになったけど、何か心が満たされない」と訴え始めたのは、いつの頃からだろうか? ヒトの本能は、「幸せ」を感じているだろうか? 文明を「生命力を代替する」ような使い方をするということは、本能から見ると「(生命力が)文明を使うんじゃなくて、(生命力が)文明に使われている」ように見えるのかもしれない。使う機会の無い生命力は、抑圧されていく・・・
(占いの利用客で、『自分でなく占い師に叶えてもらう・解決してもらう・決めてもらう。』と最初から自分の生命力を使わず占い師に全てを代行させる前提の発想になってる人も多い。恐らく、宗教や精神世界の分野でも同じだろう。占い依存症は文明病なのかもしれない)
これは旅行記最終回でも少し書いたが、己の生命力を使わないでいると、、「うまく生命力が引き出せない」「自分の生命力が分からない・使い道が分からない」「どうしたら自分の生命力が使えるのか分からない」なんて事態も発生する。野生の時代なら、あまりに危険すぎる事態だ。「自分の生命力を見失った」んだから。しかし今は便利な世界。別にそれでも生存に支障はきたさないので、そんな事態が起きても気付きにくい。その代わり、いつの間にか己の多様な生命力が抑圧され、いつの間にか本能的な違和感や不安感や閉塞感が無意識に積もって「心」の領域に反映される。
私が旅したチベット、インド、ネパール、雲南。現地の人達は日本人より生命力を使う。特に遊牧民の生命力は凄かった。苛酷な環境で、不便で、お風呂もなく、そう良い物も食べていない。けれど、皆いい表情を持っていた(参照)。訪れたどの場所でも皆様々な問題を抱えてはいるが、多様な生命力を有効に発揮することで得られる最も基本的な幸せは知っているようだった(先進国でスローライフが流行ってるのは、彼らのような生き方を懐かしんでいるからか?)。

「私達も生命力のために文明を遠ざけて彼らのような生活をすべきだ」と言うつもりは全くない。ただ、己の中に潜む多様な生命力を自覚し、発揮し、有効に使いこなす発想はあってもいいと思う。忘れ去られ、有効活用していない生命力が、一体今どれだけあるんだろう。
文明の便利さを、「自分の生命力を省略」するために使うか、「自分固有の生命力をフルに活かす(生命力を後押しする)」ために使うかで、だいぶ違ってくる気がする。文明に自分の生命力を代替・省略させず、文明を「自分の生命力を活かし、生命力の可能性を広げるためのツール」として使いたいものだ。文明が未発達だった時代には原始的な目的に使われていた生命力も、便利になった現代ではまた別の生かし方が出来るような気がする。
どんな生命力の使い方をしようと、どのような生活形態をとろうと、どれだけ巣作りが発達しようと、私達はアリやミツバチやイルカやサル同様、動物の中で「ヒトという名前を持ったそういう種族」なだけだ。

ニートの様子カタルシス願望なども、ここで書いたような生命力の問題が関係してるのかも。

エコロジーと終末論

2007年5月18日 (金)

占い依存症防止のチェックリスト

※一個人の意見です。あくまで参考程度にして下さい。

以下の項目に当てはまるものがあった時。あなたが本当に必要なことは占いではありません。あなたが本当に望んでいることも、占いではありません。自分の心にある本当の望みが分かっていないかもしれません。では一体、本当は何を求めているのでしょう? 期待通りの鑑定結果?  願望を叶えてもらうこと? 未来の保証?
・・・それらは表面的な望みで、本当ははもしかすると、あなたの外の世界を変えることではなく、あなたが自ら自分と向き合い、本当の喜びや幸せを作れるように内側から変わってゆくことなのかもしれません。特定のお悩み解決ではなく、次々と余計な想像や悩みやストレスを作り出してしまう不安定な精神状態を回復させることかもしれません。自分の望みを無関係なものに投影・同一視し、本当の望みと混同して縛られ振り回されているのかもしれません。あなたが本当に必要なことは何か。そのために何が出来るか。占いをする前に、もう一度考え直してみましょう(占いで解決する悩みなら、同じ占いを何度も繰り返さなくたってとっくに解決しています)。

以下にあげるチェックリストは、全ての占い依存症に当てはまるものではありません。あくまで参考程度にしてください。占い依存症(占いジプシー)については、この記事の一つ前の記事もご参考下さい。

☆占い依存症チェック
・全ては運命によってあらかじめ決まっていて、人間はそれに従う・縛られることしかできないと思う
・占いの結果は絶対で、どんな努力でもその運命を変える(変わる)ことは決して出来ない(許されない)と思う
・占いの結果が絶対の運命になるので、占い師は鑑定結果にウソをついてでも客が望むことや喜ぶことを言うべきだ
・悪い鑑定結果が出ると、絶望してしまう(生きる希望や幸せの道が閉ざされたと思ってしまう)
・自分の不安や鬱屈を鎮めるために、占い師は空気を読んで「あなたの望む未来が実現することは絶対的な運命である」という占い結果(お告げ)を常に出すべきだ
・自分の望む鑑定結果が出ない限り(望みどおりの結果が実現しない限り)、悩みから抜け出せないと感じている
・意に反する鑑定結果を出した占い師を恨んだり、当り散らしたことがある
・期待や予想と異なる鑑定結果は何度説明されても内容を理解できない・頭に入らない
・嫌な鑑定結果を出す占い師は、私のことを傷つけて楽しむためにわざとそんなウソを言うのだ
・嫌な鑑定結果を何としてでも自分の望む方向に変更させようとして粘ったことがある
・占いの結果で未来を決め付けてしまいたい(占いで成功が保証されている物事にしか努力したくない)
・占いで成功が保証されない限り、望む道を選べない/自分の選択結果を自分では背負いたくない
・同じ内容の占いを短期間に何度も繰り返している/その場で同じ占いを繰り返し要求したことがある
・すでに占いをやってみたが、現状が変化していない
・占いをすることがストレスに感じることもある
・占いをすると一時的に心が安らぐが、また元に戻ってしまう
・例え良い鑑定結果が出てもすっきりしない
・何度か占いを繰り返しているが、鑑定結果に実感が持てない
・鑑定結果に実感が持てるほど、占う対象についてよく知らない・理解していない
・事実確認をしなければ解決せず、事実確認が出来れば占う必要のない悩みや疑問だ
・占いを事実確認の代わりにしたい(占いの当たり外れを事実からではなく他の占いから確認する・占いは興信所の調査代わりだ)
・何度占いをしても当たり/外れは確認できないし事実確認もできないことにイライラしている
・例え事実確認が出来ても、不安が消えない(疑いや思い込みや妄想が消えない)
・占いを使って自己欺瞞や現実逃避をすることで心を慰めたい
・好きな人に執着するよりも良い鑑定結果を出してもらう方に執着している(又は両者を同一視・混同している)
・様々なことに対して際限なく不安な想像をしてしまう・心配事を作ってしまう
・形は違えど似たパターンの悩みを繰り返していて、そのたびに占いを繰り返している
・占いや占い師に精神安定剤の役割を求めている(必ずしも占い自体を求めてはいない)
・買い物・ギャンブル・アルコール・セックス・ドラッグなど別の依存症になったことがある
・精神科に通院しているか、通院を検討している
・ストーカーになったことがある
・占い師に相談した悩み事に対して抱く感情や不安感が、実は悩みが発生する前から心に抱えていた感情・不安感と似ている
・悩みや疑問の解決・解明へと実際的な行動や努力をする気力がない(アドバイスを実行する気はない)
・「もし~なら」「~かもしれないから」といった架空の想像に基づいた占いがしたい
・相手と向き合うこと/事実確認をすること/現実を受け入れることに対して意欲や勇気が持てずにいる
・相手と積極的にやり取りする作業を抜きにして、相手と親密になりたい(例えば運命や占い師の魔力によって)
・実現しえない願い事に執着している
・「この方法でしか苦しみや問題からは抜け出せない」と狭い固定観念を持っている。
・正直、占いさえすれば何も考えなくても/何もしなくても願いが叶う(現実が変わる)と期待している
・正直、占いに何もかも解決して欲しい/何もかも決めちゃって欲しい(全てを占い師のお告げ通りに動かないと不幸になる気がして怖い)
・占いには「どんな視点を持てばいいか・何に注意すべきか」といった助言ではなく、「こうすればいい」というマニュアル的な指示が欲しい
・「向き合うための道具」ではなく「逃げるための道具」に占いを使っている気がする
・占いの料金が払えずに踏み倒したことがある/占い依存症で借金がある
・悩みが解決しないので料金を払う必要が無いと考えている
・占い依存症を抜け出すために占いを利用しているが効果が無い

◇あなたがもし占いを止められなくて困っているとしたら・・・
「悩みや不安の繰り返しから抜け出したり、先へ進めるようになるには?」
「具体的な形がどうあれ(願いが叶おうが叶うまいが)、現実と向き合って本当の幸せや本当の良い結論を作り出すには?」
「未練や執着や思い込みを手放すには?」
「現実と向き合ったり現実を受け入れられるようになるには?」
「苦しみを癒してより良い方向へ向かうには?」
「自分の願望の裏にはどんな理由があるのだろう?」
「様々な悪い想像を際限なく繰り返させる無意識の不安の正体は何だろう?」
「自分が現実世界で本当に必要としていることはなんだろう?」
・・・といった発想を持って自分を見つめてみてください。そうすることで、裏に隠された本当の希望や、問題の原因や真相に行き着くことがあります。占いをやめられなくなったのが自分自身である以上、答えは自分が持っているからです。
※一番上にも書きましたが、あなたが本当に望んでいることは、現実から目を背けるための占いではなく、現実と(自分と)向き合って分析し、探求し、現実のなかで現実の癒しや喜びや幸せを作っていくことかもしれません。
現実と向き合ったり現実を受け入れたりすることは、現実の短所ばかりを見て切り捨てて生きてゆくことよりも、はるかに簡単です。「現実」のなかには、「あなた」も含まれているからです。そして何より、「現実(真実)」の中にこそ、悩み・苦しみを乗り越える鍵やきっかけが隠れているからです。それを自ら切り捨てる生き方は、辛そうですね。
占い依存が止められない自分を責めたり卑下したりすることなく、依存の原因になったおおもとの精神的な不安定の解決を。それには自分自身と現実をもう一度見つめなおすことが自分を救う大きなヒントです。
何度占いを繰り返しても消えないモヤモヤは、占いに逃げず自分や現実と向き合う方が楽な証。

世界にたった一人しかいないあなたの(幸せな)現実はあなたにしか作る力はありません。あなたほどそれが上手い人もいません。占いに依存している時の不安感は、「占いをしてないと不安」なのではなく、「何かに依存して主体性を手放してしまった」「自分の持つ力で自由に幸せを作る発想を忘れてしまった」「本当の自分(の幸せ)にとって本当に必要なことが何なのか気付かない」ことから来る不安です。今まで操縦していた馬車の手綱を途中で手放してしまったら、誰だって不安になります。けれど手綱は馬車に繋がっているもの。手繰り寄せれば、きっと取り戻すことが出来ます。今からでも、遅くはありません。
「不安をかき消すため」の占いは、それが不安に基づく行動である限り、繰り返せば繰り返すほど内なる不安を強調させてしまいます。決して精神安定剤にはなりません。むしろ、あなたが抱えている本当の不安の正体を突き止めてください。
(人は正体不明のものを過剰に恐れる習性があるようです)。

あなた自身を含め、もしもこの世の物事が運命によって予め定められたようにしか動かないとすれば、そもそも未来をより良く生きる(自分だけの未来を作る)ための開運法や対策をさぐるために占いが発明されることも無かったでしょう。予め決まりきっている未来を知っても、役に立たないからです。
あなたが自ら本当に良い方向へ向かうために今出来ることは何か、必要なこと・重要なことは何かを見つめ検索するのが占いです。丁度、自分がレポートや論文を書く時ににさしあたって必要な情報や文献を調べるために検索エンジンを利用するようなものです。考えながらレポートや論文を実際に書くのは、あくまであなたです。占いは、現実や真実から逃げるためのツールではなく、あなたが本当の幸せを作るためのツールです。今のあなたは、占いを「逃げるため」ではなく「向き合うため」のツールにできる状態でしょうか?

また、余計な悩みやストレスを作り出す不安定な精神状態を回復させるためには、占いではなく別の方法が必要なこともあります。占いを精神安定剤代わりにすることは、治る怪我の手当て(悩みの本質へのアプローチ)をせずに放置したまま大量のモルヒネ(占い)で誤魔化し続けているようなものかもしれません。放置すれば怪我は痛み続けます。モルヒネを際限なく使い続ければモルヒネ中毒にもなるでしょう。結局、占いに依存すればするほど肝心な解決からは遠ざかり、ストレスは慢性化するわけです。
占い依存症の恐れがある場合、本当の意味で自分を大切にしていただくために鑑定をご遠慮いただいていおります。
占い依存症(又はその徴候)と見られる様子が文面に表れている鑑定ご依頼メールには、こちらの独自の判断でお断りのお返事を出しております。

古来、占いは先人達が「どうしたら開運するか」を目的に試行錯誤して生まれた文化です。現実や自分自身から目を背けるためではなく、現実や自分自身と向き合うことでその人にとって本当に良い方向へ自らを導くために占いを役立てていただいたとき、自らの力や潜在的可能性を生かすために役立てていただいた時、占い師は自分の仕事に喜びを覚えます。この上なく光栄なことです。


追記
2012年3月13日、朝日新聞夕刊の11ページ(社会面)に当ブログの占い依存症チェックリストが載りました。
詳細→朝日新聞の夕刊に乗りました

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占い依存症のこと

旅行記の途中だけれど、閑話休題。
ずいぶん前にさらっと触れる程度に書いただけで、常々思っていたけれど本格的には上手くまとまった形で書けなかったことがある。それは、「占い依存症(占いジプシー)」についてのこと。今回の旅行が終わってからは何となく書けそうな気がしているので、書いてみる。

これから書くことは、長いです。それだけ複雑な問題です。しかし、占いを利用する皆さんに、占いを利用する前に読んで頂きたいことでもあります。
占いを有効に使っていただくために。決して占いを自分の新たな問題のタネにしないために・・・

◆例えば、相手の気持ちを占う前に・・・
「相手の本当の気持ちを教えて欲しい」という理由で占いをしに来る場合。一見何の問題も無いありがちな相談内容に見えますが、実は落とし穴だったりします。相談者にとって疑問の解決にはどこかで必ず事実確認が必須であるにもかかわらず、相談者が「事実確認を取らずに占いだけで済ませたい」と意図している場合、もう一度よく考えた方が良いのでしょう。それが、起こりうる危険を防ぐことにもなるからです。
仮に、「相手の気持ち」が知りたい場合。「気持ち」を本人以外の人間から聞き出すだけで、自分が安心したり納得したりできるかどうか、です。相手の気持ちがわからなくて不安だったり、イライラする気分が、占い「だけ」で解消できるでしょうか?(相手とのコミュニケーション不足が原因の悩みなのに?)

例えば、「相手は自分のことが好きではないのかもしれない」という不安や疑惑を持ったとします。その不安や疑惑を「確かめるために」占いに頼ったとします。鑑定結果が「その疑惑や不安はあなたの取り越し苦労で、依然として相手はあなたのことが好き。」と出れば、少なくともその場は安心できるかもしれません。「自分の勝手な想像で取り越し苦労したお陰でお金を無駄遣いしてしまった」と苦笑するかもしれません。喜ばしい鑑定結果が出た場合、実際に相手と向き合って事実確認を取ったわけではないけれど、「占いで事実確認が取れた」と思うことが出来る人もいるでしょう(それが落とし穴です)。

事実確認には2種類あります。一つは「相手と向き合って確かめること」。もう一つは、「自分と向き合って確かめること」。本当に「占いで事実確認が取れた」場合。それは、占いを通して自分と向き合った末「あ、やっぱり自分の思い込みだった」と気付いた時です。自分に対する事実確認です。妄想の証拠は自分の中に。そして、妄想の原因となった「内なる不安」の正体も、自分の中に・・・

◆現実から逃げると解決しない
さて、占いによる鑑定結果が「相手はあなたのことが好きではない」とか、「相手はあなたを都合よく利用する気でいるだけ」というように出てしまったとします。不安やイライラは解消できるでしょうか? 「この占いで事実確認が取れた」と思える人は、すでに自分の中で確信や実感めいたものがあるか、すでに自分が相手に愛想を尽かしているわけでも無い限り、あまりいないでしょう。占いで芳しくない結果や実感が持てない結果が出た場合、「この占いが外れているのかもしれない。やっぱり実際に確かめよう」と思い、実際に相手と向き合って確かめられればいいのですが、「実際の確認をしない代わりに」占いをしに来ている場合、確認する代わりに(実際は代わりにならないのですが)別の占い師のもとに「さっきの占いでこう言われたんですけど当たっていますか?」と一番肝心な現実の確認ではなく占いの確認をしに行ってしまい、結局占いのはしごを繰り返してしまう、ということがおこりうるようです。占いの当たり外れは事実確認しないと判明しません。「当たり」が確認できて初めてその占い師のアドバイスは役に立ちます。

事実確認をしないで占いを繰り返すうちに、悪い結果が出れば不安や苛立ちは増えるし、例え良い鑑定結果が出たとしても、「本当かな?」という気持ちが湧いてきて不安や苛立ちが戻ってくると感じたことのある人もいるでしょう。それは、その鑑定結果にピンと来るような「実感」がないからかもしれません。「実感」は、そのことについて今までを振り返ったり分析できる程度のやり取りや経験があることから生まれます。「実感」が自分に対する事実確認を促します。
特に、相手についての具体的な鑑定結果に実感がない場合、それだけ相手とのやり取りが不足しているということでもあります。そういう場合は占いよりも、まず相手とのやり取り不足を解消するには何が必要かを考えることが先決です。その時、人によっては「相手と直接やり取りをする意欲がどうしても出てこない」自分に気付くかもしれません。それは、「相手に恋してる」のではなく、「恋に恋してる」からかもしれません。

相手との関係や相手の気持ちを具体的に占う場合は、占った結果を聞いてある程度ピンと来るくらいには、相手のことを知っている(理解している)必要があります。
相手とのコミュニケーション不足を抱えた状態や、「まだ相手とコミュニケーションをしたことがほとんどない(実際には会ったことがない)」状態で、予め相手の気持ちを具体的に占いで知りたいということは、「コミュニケーションをとらずに相手と無条件で親密になりたい」「生身の相手を実際に理解する気はないけれど、相手からは愛されたい」「単に一人で恋愛ごっこをしたい」という願望が裏に隠されているケースもあります。

◆「現実から逃げるための占い」は危険
「事実を確認しないための占い」ということは、「占いの当たり外れを確認しない」というのと同じ意味があります。
そんなタイプの相談者に対して、私は時々「当たっているかどうか確認できないと、いくら占いを繰り返しても不安が残りませんか?」と質問することがあります。「いや、そこまで真剣にのめりこんでないから・・・」と冷静にお答えになる方はとても多いのですが、いざ鑑定結果が自分の望みと異なるものだった場合、「そんなはずは無い」「不愉快だから鑑定やり直せ!」と荒れ始めるケースがかなりあります。
それは、「当たり外れなど関係ない。どうせ確認しないんだから、気分の良いことさえ言ってもらえれば口から出任せでも構わない」という占いを精神安定剤代わりにする心理(=依存心理)に繋がっています。

占いは興信所の調査の代わりにはなりません。自分の恋愛運を向上させたり悩みを抜け出してより良い運を作るためのささやかな応援をします。その応援となるアドバイスは、占いが当たっていることを確認出来て初めて役立ちます。確認や心当たりを持つ前に占い師の言葉を信じないで下さい。「心に留めておく」だけにして下さい。
占いは、相手と交流し、相手を知り、相手を理解する作業の「代用」にはなりません。その作業をするためのささやかな応援をします。
応援団は、選手の代わりに競技を行うことが出来ません。でも、選手が競技を成功させると非常に嬉しいので、応援しています。

◆占いをしても不安や苛立ち・悩みや疑問が解決しなかった場合
事実確認が必須の悩み事に対して、本当は事実確認をしていなければ、占いで解決しなくても不思議ではありません。例えば病気治療など、占い以外の手段が不可欠な悩みが占いだけで解決しなくても不思議でないのと同じです。この時点でどう判断するかで、占い依存症のリスクが変わってきます。
事実確認を取る意志や現状を変える意志が持てないのは、現実を切り離して良い事だけ言ってもらうことで占い師を精神安定剤の変わりにしたいからかもしれません。その場合は、占いを求めているわけではありません。
以上のような理由で占っても何も変わらない。鑑定内容に実感が持てず、納得できる答えが得られない。むしろ苛立ちと不安のストレスは増すばかり。それなら今度はまた別の占い・・・ということを繰り返すことが、占い依存症を引き起こす一因になります。

また、占い師と興信所を区別できているかどうか、自分自身に確認してください。「区別できていない」と感じたら、なぜ事実証拠の見える興信所ではなく、自分で答えを掴む必要のある「占い」に頼ったのか自分に尋ねて下さい。本音は、占いを望んでいるのではなく、不安や苛立ちを解消したいだけかもしれません。
その場合は、「こういう理由で悩み苦しんでいます。自分が不安定な状態から抜け出すために私は今何ができるのでしょう?」そう質問した方が、占い師は的確なアドバイスが出来ます。本当の目的は精神の安定であって「未来や相手の気持を尋ねること」はその手段でしかないわけです。そして、その手段は目的実現にとって適切な手段ではありません。その証拠が「占い依存症」です。不適切な手段を適切な手段だと思い込む固定観念が、問題を生むこともあります。また、どんなに不安でも事実確認をする意志が持てない場合は、本当はその物事を不安に思っていないからです。外部に内面の不安感を投影しているだけなので、「何が不安なのか」の答えは別にあります。

◆目を背けた現実の中にこそ解決の糸口がある
何も解決しないまま(解決のために必要なことが出来ないまま)、気分が晴れないまま、占いにその場限りの安心を求め(占いに精神安定剤の役割を求め)続けると、やめられなくなってしまうようです。「現実と(本人や自分と)向き合わずに占いで全てを済ませる」というやり方が適切な悩みの解決法では無いので(むしろ悩みをややこしくする方法です)、結果的には占いを繰り返す度に「不安や苛立ちがちっともなくならないストレス」だけが積もっていき、解決から遠ざかり、その結果情緒不安定になって理性を失ったり、占い依存症になっているお客様をよく見かけます。

それにまつわる色んな話も聞きます。お金が消えてゆくだけでちっとも解決に繋がらないことへのストレスをかかえ、それでも占いをする以外にどうしていいかわからず、「もはや占い師に当り散らすためだけにお金を払って占いをしている」という人の話も聞いたことがあります。
気に入らない鑑定結果を出した占い師をひどく恨んだり(良い鑑定結果に変えてもらうために何時間でも何ヶ月でも粘ったり)、例え良い鑑定結果が出ても「じゃあその占いが本当に当たってるかどうかあなたが確かめてくださいよ!」と叫んだり、時には占いのすぎで借金がかさんで自己破産、なんていうことも本当にあるそうです。最近は占い依存症についてテレビでも取り上げられることがあるので、ご存知の方も多いかもしれませんね。

どうしたら占い依存症から抜け出せるのかと自分を見つめたら、「自分の望まない現実を占い師に変えてもらいたくて(=現実逃避のために)占いをしていた」ということに気付いたケースも多いです。過去を変えられなければ現在をそっくり変えることは出来ませんが、自分次第で現状を改善し建設的な未来を作ることは出来ます。人は大昔からそうやって様々なことを解決し、立ち直り、乗り越えてきました。

◆自分を占い依存症にさせず、占いを自分のために役立てるには
では、自分が抱えている悩みや疑問の解決に占いを役立てるにはどんなふうにすればいいでしょう?
まず、最初にあげた「相手の本当の気持ちを知りたい」という場合。
それが本当の目的なのか、精神安定のための単なる手段でしかないのか、よく見極めてください。単なる精神安定の手段で相手の気持を質問している場合は、本来の目的である精神安定の方法を質問してください。
その上で、それが手段ではなく本当に自分の目的だとした場合、
「占いに相手の気持ちを代弁してもらう」という考え方はせず、「相手の本当の気持ちを自分でつきとめ、納得することが出来るために、今何が出来るか。注目すべき(注意すべき)点はどこか」といったことを知るために占いを使ってください。また、「なぜ自分は相手の気持ちが知りたいのだろう?」ということにも思いをはせてみて下さい。「この恋を有意義にするためには今何ができる?」という発想でも良いでしょう。
「相手の気持ちをいちいち疑わずに心を穏やかに保つにはどうしたらいいか?」という発想も○。
そんな発想に立ってはじめて「相手の心を自分で突き止める意欲がない」「恋を有意義にするために実際的な努力をする意欲はない」ことに気づいた場合は、相手とのやり取りが不可欠な実際の恋愛を望んでいるのではなくこういうことかもしれません。

◆占いを上手に役立てるための基本的なコツ
占いをする前に、いくつかの準備を心の中で済ませておくことをお勧めします。

「自分が抱えている不安や疑問や悩みを自ら抜け出したり乗り越えたりするために、今出来ることや注目すべき点(注意点)は何か?」
「自分の夢や目標を叶えるために、自分が今出来ることや注意点は何か?」

といった発想で心の準備をしてから占いをすると、占いをするときに今までを振り返ったり自己分析する方向に自然と意識が向きます。そのため、そのとき出た鑑定結果に対してピンと来るような「実感」をどこかで見つけることが出来ます。そうすると、「自分に対して確認を行う>」ことになるため、結果はどうあれ占いに対してある程度の納得が得られ、占いをはしごする必要がなくなります(これは、占いが当たっているかどうかについて、自分で推測する方法でもあります)。さらに注意点として、
「占い師に直接解決してもらう・直接答えや確認をとってもらう」という発想で占いをしないこと。
占いだけで全てを終わらせないこと。
「もはや事実確認が不可能なこと」を占わないこと。
「今までそのことを占って来てピンと来るような実感が持てたかどうか」を振り返り、ピンと来るものがなければ「今必要なことは現実の確認」として占いをやめること

・・・どうしても現実を受け入れられない(相手と向き合えない)」状態なら、「その理由や原因を知るために今何が出来るか。解決のために最も適切な方法は? ポイントは?」「消えた可能性ではなく、本当の可能性を探すには?」という発想を持って自分を見つめ自己分析することが占い依存症を防ぐコツの一つともいえるでしょうか。「自分で考えず占いに丸投げ」はNG。「占いを使ってでも考える」と言う発想が○。上手な占いの使い方は、「隠された答えと可能性に思いをはせること」から始まります。

自分自身の悩みを解決する方法は、本当は自分が知っています。占い師の助言が適切か否か(当たっているか外れているか)はその隠れてしまった「解決方法」が証拠を握っています。助言を聞いて「不安」や「疑問」ではなく何らかの心当たりなど、「それはあるな」という感覚を味わったら、「答え」がサインを発している証。
占いを「精神安定剤」や「確認・解決の代行業者」とするのではなく、「レポートを書くための検索エンジン」や「心の物置から答えを見つけるために役立つかもしれない懐中電灯」くらいに思っていただくと良いでしょう。

「占いは」、その人が現実世界で自分の生命力(運勢含む)をいかに有効に発揮できるか、という観点から編み出された古くからの方法でもあると言えます。

※次に、占い依存症防止のための簡単なチェックリストを作ってみました。ご自由に利用してください。

2007年2月18日 (日)

花粉症と鼻水の秘密

以前の記事を少し手直し。さて、今年早くも花粉症の症状が出始めた人もいる。
鼻水の症状は、インド医学でいうと、カパ(水)の領域。
花粉症には菜の花やブロッコリーなどの花野菜や、生ねぎ、シナモン、ユーカリ(アロマ)などが良いらしい。基本的には、症状が出る前の時期に前もって摂取する事で花粉症予防になる。私も毎年2月頃になると、よくブロッコリーを食べている。ピリ辛の味付けで炒めるとおいしい。シナモン入りのコーヒーも飲む。今年は少しだけマシな気がする。
「鼻水が良く出る」という現象。原因はいくつかあるが、その中に興味深いものを発見。
それは、鼻水を出す事で「脳を浮かべている頭の水の取替えをしている」というものだ。脳というのは、頭蓋骨の中に液体があり、その中に豆腐の様に浮かんでいるのだそうだ。液体が脳を守るクッションという事。その液体をプールの水のようにいれかえるということはどういう事かというと、脳が日々働いていると老廃物を出し、液体が汚れてくる。その汚れをきれいにして少しでも脳をリフレッシュさせるために、鼻から汚れた古い液体が出て来るのだそうだ。そう。鼻と脳は繋がっている。古代エジプトでミイラを作るときは、鼻から焼けた鉄の棒を突っ込んで脳を引きずり出していた。
花粉症の時期、丁度花粉で出てくる鼻水のドサクサにまぎれて、頭の中からも水が出ている人もいるらしい。普段頭をよく使う人、睡眠不足な人、ゲームをやりすぎな人、神経が疲れやすい人などはその可能性が高いという。花粉症の時期にかぎらず、普段頭を良く使う人でワケもなく薄い鼻水がジョジョダレる人は、頭をリラックスすると少しはマシになるかも?
脳を浮かべていた液体が鼻から出ていってしまったら脳は大丈夫なのかというと、ご心配なく。自動的に新しい液体が作られ、頭の中に満ちていくから。

2007年2月17日 (土)

体質別フルーツデトックス

最近、美容と健康に良いとのことで「デトックス」が流行っている。「デトックス」にメタボリックシンドロームへの効果も期待されているとか、いないとか。
一時期、食事をりんごだけにする「りんごダイエット」というものが流行ったことがあるが、実はあれ、ダイエットというよりもデトックス法。おなかの中の毒素やいらないものを排出することが目的で、その結果、副次的に体重が減る。肌もきれいになることがある。
更に肝心なことを言えば、その人の体質のよって、りんごが向いている人と向いていない人がいる。体質によって別のフルーツの方が向いていることもある。
今回はインド医学(アーユルヴェーダ)による体質分類別でのフルーツデトックスの正しい方法をご紹介してみる(注意点もよく読んでください)。

1
まず、アーユルヴェーダにおける自分の体質をチェック。最も当てはまる項目の体質と適したフルーツを知っておく。カパ体質に多く当てはまる人のフルーツはりんご(デリシャス系や紅玉系)、ヴァータ体質に多く当てはまる人はぶどう(紫色のもの)、ピッタ体質に多く当てはまる人はざくろ。

2
デトックスの期間は1日~3日間。都合に合わせてどうぞ。それ以上の期間は続けない。デトックスを何度かやりたい場合は、最低一ヶ月は間を空ける。あくまでデトックスが目的なので、体重を減らそうとして長期間続けるのはNG。

3
各体質別フルーツを手に入れる。
デトックスはそのフルーツが収穫される季節に行うのが望ましいとされている。
ざくろやぶどうは100%ジュースでも代用できるが、その場合は水で薄めると良いとされている。一杯のジュースでフルーツを何個も使っているため、一気に大量摂取するとおなかを壊す恐れがあるからだ。特にぶどうジュースを飲む時は5倍程度に薄めるのが良いとされている。

4
デトックス開始。デトックスの間はそのフルーツ(ジュース)と水分(砂糖や脂肪分を含まないもの)だけを摂って過ごす。おなかがすいたら好きなだけフルーツを食べる。ただし無理をして沢山食べたり、夜遅い時間や寝る直前に食べるのはNG。もう一つ大切なのは、水分をたっぷり取ること。コーヒーを飲みたい場合は薄めのアメリカンをブラックで。一日一杯程度なら○。
水分をたっぷり取ると同時に、入浴(特に半身浴)やサウナなどで汗をかくことも効果的。

5
デトックス最終日。デトックスを終える日の夜(一日だけなら当日の夜)寝る前、オリーブオイルを大さじ1杯分、お湯と一緒に飲む。オイルを飲む前後はフルーツを食べてはいけない。フルーツを食べる時間とオイルを飲む時間は最低でも1時間は空ける。消化力が低いと思われる人は、一時間半は空ける。

6
通常の食事に戻る。デトックス最終日の翌日は何も食べる前に歯ブラシ(歯磨き粉はつけない)で軽く優しく舌を洗ってからお湯を飲むと○。
最初はおかゆや雑炊、温かいお蕎麦、煮込みうどんといった消化に重くないメニューから徐々に食事を戻していく。肉類は始めのうちから摂らない方がいい。たんぱく質は大豆製品を。よく煮込んだりスープなどにしてやわらかくした野菜類も食べておきたい。

※このデトックスをしてはいけない人
そのフルーツを食べると腹痛下痢や体調の悪くなる人、妊婦、体力の低下しているか虚弱体質の人、長い間病気の人、とても痩せている人、食事制限を受けている人、摂食障害等で栄養状態の偏っている人など。
持病のある方はかかりつけの医師にご相談下さい。


手相やタロットなどで健康運を読み取ると、体の中のいらないものがなくなると心の中のいらないもの(過去の感情や未練、不安、気持ちがまとまらない状態など)もスッキリしそうな人を見ることがある。体の中の毒素が神経やメンタル面に影響することもある。体や心の状態は、運勢とも密接に関わっている。
頭や心に余計なノイズが走っているように感じたら、自分の体のことも考えてみるのもいいかもしれない。「デトックス」といった本格的なものでなくとも、前もっていらないものを溜めにくくするような生活習慣を心がけるだけで違ってくることがある。
簡単な方法としては、食事は夜8時までに済ませること。毎朝起きたら何も食べる前にお湯を一杯飲むこと。歯ブラシで優しく舌を洗うこと。軽い運動。

2004年5月11日 (火)

アーユルヴェーダによるあなたの体質は?

インド医学による自己体質チェックです。以下の項目のなかで当てはまるものに○を付けてください。各ドーシャ(要素)の体質の特徴のなかで、最も自分に当てはまるものが多いドーシャの特徴が、あなたの一番優勢なドーシャであり、体質となります。
自分に当てはまる体質の種類が複数にわたり、それぞれ同数程度か差が半分以内で当てはまる場合、複数の体質を持っていると考えます。私の場合はヴァータとピッタの体質をあわせ持つ「ヴァータ・ピッタ体質」です。

★ヴァータ体質
ヴァータは風のドーシャ。この体質は、比較的痩せ型の体型であることが多いです。ヴァータ体質の特徴は・・・・・・

・ 食欲が不規則              
・ 独創的で創造性豊か
・ 汗をあまりかかない           
・ 記憶力はあまり良くない、もしくは普通
・ 尿の回数は多いけれど量が少ない      
・ 希望するもの、やりたいこと、選びたいことが多すぎて優柔不断
・ 便秘がち                  
・ 硬くて色の濃い便          
・ 喋るのが速い、もしくは話題があちこちに飛ぶ
・ 無駄遣いが多い。           
・ 神経質で恥ずかしがりや
・ 寒い気候や強い風が苦手         
・ 旅行が好き             
・ 性衝動は強いと弱いに分かれる      
・ 不安感や落ち込むことが多い
・ 動きが多い、じっとしているのが苦手  
・ 飽きっぽい
・ 好奇心がある             

☆ヴァータのバランスが乱れた場合に起きる健康への影響☆

心臓への負担、高血圧、神経系の症状、情緒不安定、緊張、鬱、偏頭痛、過敏性大腸症候群、緊張、じっとしていられず、動き過ぎによる疲れ、不眠、精神障害、言葉がうまく出てこない、精神的な疲れ、頭の疲れ、冷え性、躁鬱、ヒステリー

☆ヴァータのバランスを整える生活☆

・糖分の摂り過ぎに気をつける。                       
・コーヒーを飲みすぎない。
・温かい食べ物を適度に食べ、冷たい食べ物はあまり食べない。
・過度な運動を避ける。
・リラックスできるような環境に身を置く。リラックスできる音楽も良い。
・夜早めに眠り、朝の日の光を浴びる。

☆ヴァータのバランスが良い状態のとき☆

想像性豊か、インスピレーションを感じ取り、表現しやすい、楽観的、寛大、繊細、感性豊か、頭の回転が速い、芸術的センスを発揮することもしばしば、誰も考えつかなかったことを思いつく

★カパ体質

カパは水のドーシャ。この体質は、比較的身体が大きく、ぽっちゃり体型が多いです。カパ体質の特徴は・・・・・・

・ 食欲は普通かそれ以下          
・ 道徳的や貞節を重んじる
・ 汗かき                 
・ おっとりしていて受身 
・ 尿は多量で、回数は少ない        
・ 平和で静かな、慣れた場所を好む
・ やわらかい多量の便           
・ 美食家
・ 声がきれい               
・ 冷たく湿った環境が苦手
・ 形式的、保守的             
・ 集中力がある
・ 記憶力がよい              
・ 忍耐力がある
・ 慎重である               
・ 愛情豊か、母性的
・ 消費より貯蓄を好み、倹約してお金を使う 
・ 優柔不断になりやすい

☆カパのバランスが乱れた時に起きる健康への影響☆

高血圧、心臓病、循環器系の疾患、糖尿病、胆嚢疾患、湿疹、喘息、鼻炎、気管支炎、肥満、むくみ、無気力、抑うつ病、免疫系の問題(風邪を引きやすいなど)、花粉症が重くなる、頭が重くてぼうっとする、関節炎、冷え性、低血圧、恐怖心、粘着、ケチ

☆カパのバランスが整える生活☆

・ 油、乳製品の摂り過ぎに気をつける
・ 熱くてスパイシーな食べ物を適度に摂る(しょうがなど)
・ 冷たくて生の食物を避ける
・ 間食をしない 甘い物中毒に注意
・ 暖かいお風呂に入り、あまり薄着しない
・ 適度な運動

☆カパのバランスが良い状態のとき☆

思いやりがあり、人の喜びを自分の喜びに出来る、集中力がある、記憶力がある、体力があり、心身共に安定している、人当たりが良い、順応性がある、何かがあっても冷静に考えて判断できる、リラックスしている


★ピッタ体質

ピッタは火のドーシャ。この体質は、比較的中肉中背の人が多いです。ピッタ体質の特徴は・・・・・・

・ 食欲旺盛                   
・ 情熱的
・ 汗かき                    
・ 性欲が旺盛
・ 尿の回数が多い                
・ スポーツが好き
・ 下痢気味                   
・ 政治に興味を持つ
・ 声が大きい                  
・ 贅沢なことが好き
・ 技術系、科学系の知識や情報に興味を持つ    
・ 暑いのが苦手
・ 金銭、利益に几帳面              
・ ハッキリした性格
・ 野心がある                  
・ 儲け、商売に興味がある
・ 負けず嫌い                  
・ チャレンジ精神がある

☆ピッタのバランスが乱れた時に起きる健康への影響☆

潰瘍、消化器系の病気、胆嚢、肝臓の疾患、皮膚の病気、頭痛、膵臓疾患、胆石、血の汚れや血の疾患、アトピー(他の原因の場合あり)、心臓病、精神病、アルコール中毒、怒りっぽい、攻撃衝動、妬み、利己的、目的の為なら手段を選ばない、野蛮性、発熱、理性を失う、批判的、支配的

☆ピッタのバランスを整える生活☆

・ スパイシーなもの、酸っぱいものの摂り過ぎに気をつける
・ 身体を覚ます食物をとる
・ 水分を十分に取る
・ 生野菜や果物を適当に取る ただし漬物、炭酸飲料、酸性の飲料は控える
・ アルコール、塩分、カフェインに注意する
・ 水浴び、月光浴、水辺の近くに居ることなどはピッタ体質に良い

☆ピッタのバランスが良い状態のとき☆

勇敢、リーダーシップ、集中力がある、誠実、愛情表現が豊か、利益を生むのに長けている、未知の分野の開拓、アイデアを考える、勝負事に強い

~自分の体質とバランスを整える生活を知ることで、メタボリックシンドロームの予防にもお役立て下さい~

体質別フルーツデトックス

【参考文献】 
日経BP社 「アーユルヴェーダ・ハンドブック」 Shantha Godagama (原著), 上馬場 和夫 (翻訳), 西川 真知子 (翻訳), 日高 陵好 (翻訳)
「フレグランス・ジャーナル社「アーユルヴェーダとアロマテラピー」ライト ミラー (著), ブライアン ミラー (著), 上馬場 和夫 (翻訳), 日高 陵好 (翻訳), 名雪 いずみ (翻訳), 西川 真知子 (翻訳)
現代書林「癒しのヴィーナス健康法」安田吉三

インド医学 アーユルヴェーダ

そういえば、よくこのウェブログでも「カパ体質」とか「ヴァータ体質」とか書いているけれど、HPを見ていない人には何のことだかわかりませんよねえ; うっかりしてました。ちょっとここでも簡単にご説明します。
この「カパ体質」とか「ヴァータ体質」とかは、私が日ごろ占いにも取り入れているアーユルヴェーダというインドの伝統医学にある概念です。

☆アーユルヴェーダ概要
アーユルヴェーダとは、インドに伝わる、伝統医学の一種です。アーユルヴェーダはサンスクリット語でアーユス(生命)とヴェーダ(科学)が合わさって出来た呼び名です。約五千年の歴史があり、チベット医学や古代ギリシア、ペルシアの医学等にも影響を与えたといわれています。また、インドの占星術とアーユルヴェーダも深い関わりがあるとされています。アーユルヴェーダは人間を心と身体の両面から全体的にとらえる考え方をします。心と身体は切り離せない関係です。更に、アーユルヴェーダでは病気になってしまってからそれを治すことより、病気になりにくい心身を作ること、病気を予防し、健康を維持するという考え方に基づいています。

☆アーユルヴェーダの基本「ドーシャ」と体質
アーユルヴェーダには「ドーシャ」と呼ばれる概念があります。アーユルヴェーダの世界では、人間の身体は大宇宙の中にある一つ一つの小宇宙であると考えられています。そして人間の心身は「ヴァータ(風)」、「カパ(水)」、「ピッタ(火)」という三つの要素によって作られていると考えます。これらの三つの要素のバランスが整っているとき、人間は健康な状態であり、逆にこの三つの要素のバランスが乱れていると健康状態に影響が出て様々な症状や病気が引き起こされるとされています。この三つの要素のことを「ドーシャ((トリ・ドーシャ))と呼びます。アーユルヴェーダでは、この三つの要素のうち、どれがその人にとって優勢であるかを知ることが重要になっていきます。それによって「ヴァータ(風)体質」、「カパ(水体質)」、「ピッタ(火)体質」、「ヴァータ・カパ体質」、「ヴァータ・ピッタ体質」、「ピッタ・カパ体質」、「ヴァータ・ピッタ・カパ体質」といったそれぞれの体質に分類していきます。この体質の違いによって、その人の健康や性格、体型、行動の仕方にも違いが出てきます。陥りやすい症状や病気にも違いが出てきます。それによって、それぞれ健康維持に相応しい生活や食事などが分かります。また、精神状態や季節など様々な環境によってその人のドーシャバランスや優勢なドーシャが変化するのが一般的です。

次の記事に、アーユルヴェーダよる自己体質チェックシートを載せておきます。
因みに私は「ヴァータ・ピッタ体質」。

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