音楽

2012年11月 4日 (日)

「エデン(ATOLS)」の歌詞で妄想

※以下は根拠の無い個人的な妄想です。作者が実際に意図したものとは関係ありません。

最近気に入った曲がある↓

歌詞
この「エデン」は、歌詞がかなり仏教的・グノーシス的・オカルト的に聞こえて個人的にはツボ。メロディもいい。
冒頭イントロの一部が同じテーマを描いたマトリックスという映画の曲と少し似るのは、あの映画と同じテーマを 連想させるための仕掛けなのかもしれない(妄想)。

仏教哲学には、この世(地上)のものは全て実体の無い幻影だという思想がある。意識が作り上げた幻影。
これを仏教では「色即是空」とか「一切皆空」などと表現される。
「空」とは、サンスクリット語でアカーシャと呼ばれる領域である。ここが「目に見えるもの(万物)の本質」が存在する場所とされる。 地上と空の関係はサイトとそのソース(ソースコード)の関係に似ている。ソースコードを書き込む領域が「空」で、「空」に任意のソースコードを書くと(歌うと)、それが地上(サイト)に反映される。
この「空から地上への反映」をオカルト用語では「顕現」とか「降りる」とかいう。
魂が空に自分の体のソースコードを書くと地上に自分の体が誕生する(魂がその体を扱う)。魂が運勢のソースコードを書けば、地上にその運勢が現象化する。
そして、サイトで表示されたり機能している様々なものは実体の無い幻影であり、偽りの姿(imitation)である。真の姿はソースコードだ。ソースコードで「そのように設定している」からサイトでは「そのように機能する・見える」だけ。
(このブログも動画のソースコードを書くとその動画がブログ上に表示される設定がしてある)

このような幻影が「エデン」であり、別の表現では「未知なるImitation(=imitationであることを未だ知らない) 」~「仮想郷の果て築いたArcadia 」~「旋律神話」まで、様々に表現しているように聞こえる。そして「時空 ノ 狭間」が「空」だ。
「空」において「Adios Eden」というソースコードを書いた(=歌った)ために、Adios Edenが地上に降り立ち、「旋律神話の崩壊」(=エデンという幻影の崩壊)を引き起こす。
(空のソースコードは魔術の世界で呪文と呼ばれる『魔法の言葉』のモデルになったかもしれない。『始めに言葉有りき』の『言葉」はソースコードのこと?)

仏教でもグノーシスでも、多くの人間は地上の幻影(エデン)の中に意識が閉じ込められ、その閉じた世界に支配されてしまい、自分の源であり故郷である地上よりも上の次元にある「空」の境地(空の視点)を忘れ失ってしまっているという。いわば幻影を真実と思い込み惑わされたまま、その妄想に気がつかずにいる状態。 「見えている姿こそが真実」という旋律神話を信じたままの生。仏教だとこの状態が「この世の苦」の原因だという。
これが「命のパンドラ」「Paranoia」とか「失われた翼 」とか表現されている? 閉じ込められた世界から見える空(そら)は、「Paranoiaの空」なのだろう。

歌詞では、幻影を意識から締め出し空を思い出すために、「耳をふさいで感覚を打ち消す」とあるのか。
今まで幻影の世界で体験した諸々を己の経験値とし成長の血肉とした上で、「経験の場」という役目を終えた幻影(エデン)に別れを告げる。 すると己を閉じ込めていた偽りの幻影世界(=エデン)は崩壊する。
それが「色即是空」とか「一切皆空」という悟りの境地であり、失われた翼の復活だ。仏教では悟りの境地を得ると輪廻(産声と花束)や「この世の苦(命のパンドラ)」から解脱するという。

エデンと同じ作者ATOLS氏が「バベル」という作品も作っているが、エデン(幻影に閉じ込められた状態)=バベルと考えていいのかもしれない。
私は時々「卵の殻を破った雛は やがて羽ばたき 壁を越える」とブログに書くが、今回なら「壁」はバベルの城壁になる。
空を思い出す障害として立ちはだかる壁は、幻影の世界に我々を閉じ込めるバベルの城壁。出口は地上より上の次元。 バベルの塔はタロットの「塔」のモデルである。

最近は「般若心経ポップ」が一部で流行するなど、仏教的・グノーシス的なテーマの作品が人気を出す傾向にある。 「マトリックス」以降、集合無意識に何が起きているのか?  (曲はこちら

地上とそれより上の次元にある「空」を行き来し、両者をつなげる能力「翼」。多分、私達の遺伝子には、翼のDNAが組み込まれている(ヘルメスの杖画像参照)。 DNAもまた、ある種のソースコード記入欄(空)である。
輪廻やらそこでの個性化(自己実現)やら諸々の経験を積み重ねて成長すれば、その刺激を受けた遺伝子のDNAがONになって翼はおのずと生えてくるのかもしれない。失われた翼の復活だ。

『翼』は前回「運勢の神業」で書いた『内なるゴーストとの連絡能力』であり、その能力がもたらす可能性の翼でもある。
自己分析作業もまた、翼のDNAを刺激するらしい。
内なるゴーストとの連絡能力を象徴する存在ヘルメス。彼の職業は「神々の伝令役」だ。


運勢の神業←あの兄弟は無意識の奥底にいる魂同士が連携・分担しあって一つの神業的な運勢のソースコードを書き、実行した?
就活自殺の増加に思うこと →「外部評価や社会評価なしにはまっとうに生きられない」ってのも幻影(エデン)なんだよね。それが自己実現能力(翼の一種)を封じてる。そもそも、自分を殺してオワコンになりつつある現代文明社会(これもエデン)に貢献する能力(=高い社会評価)なんて今更必要か? 
「必要とされる」必要がない →「自分以外の誰かに愛されないとまっとうに生きられない」という妄想も同じく幻影。
ヘルメス伝説と進化の記憶→悩みも無ければ進歩も無い本能一辺倒の世界(第1エデン)よりも、知性による試行錯誤の進化を選んだ人類。進化の初期には知性一辺倒の世界(第2エデン)を作って上の次元とのつながり(翼)を遮断してしまった。しかしこの進化がさらに進むと、知性は翼を遮断することがなくなる。知性に翼が生える。

2011年7月29日 (金)

久石譲 1920~AGE OF ILLUSION

1920年代の終末期に人類は初めて世界規模の経済恐慌を知ることになった。
それから70数年後の1992年。バブル崩壊を味わった日本でこの曲は生まれた。
更に16年後の2008年、世界規模の経済恐慌第2弾も第1弾と同じ場所で発生した。
それらを振り返って聞くと感慨深い曲である。

不況下の今。世界はあの頃(1920年代)が発端になって生まれた「歪み」からも戻る時期に来ているかもしれない。

2009年9月15日 (火)

Officium

皆さんは「Officium(オフィチウム)」というCDアルバムをご存知だろうか? 
名高いサックス奏者ヤン・ガルバレクとイギリスの合唱団ヒリヤードアンサンブルがコラボしたアルバムだ。グレゴリオ聖歌にサックスをあわせた曲が詰まっている。
天上の世界と世俗の世界が結ばれてヒエロスガモス(聖なる結婚)を引き起こしたような、甘く囁きあっているような、とてもスタイリッシュかつ神秘的な世界が広がっていく感じがして、私は高校時代からこのアルバムを非常に気に入っていた。今は満月の夜に部屋の電気を消して月明かりの下でワインを傾けながらこのアルバムをかけるのがマイブーム。

ご興味ある人はお試しあれ(右クリックで別窓)

2008年5月22日 (木)

True Colors

※リンクは右クリックで別窓


歌詞の日本語訳

例えば、何でも赤く塗りたくるだけが能じゃないわけで。特定の色だけに価値があるわけじゃなく、美しい色を沢山秘めていることに気づいて欲しい。その自由な組み合わせが、無限の可能性を秘めていることに気づいて欲しい。自分の持っている色の美しさと可能性を知ることで、自然な自信が持てるようになればと思う。自分のいろんな色を受け入れられるように。表面的な面子の殻で自分を守らなくても済むように。些細なことで傷つかなくて済むように。

自分がわからないひと、自分と向き合うことが怖い人、自分を認めることが出来ない人、自分を勘違いしている人、劣等感から他人を見下してしまう人、視野が狭まって自分の生かし方に行き詰っている人、スランプに陥った人、自分を生かすことが出来ないと感じて悩む人、そうではない人。
一人一人に秘められた本当の色彩は、どんなにか美しいだろう。想像もつかないほどだ。

容姿・劣等感・個性
人間を楽器に例えた恋の話

短所含めてありのままの自分を愛して
日本の個性化

2008年5月 1日 (木)

デクレア・インデペンデンス

※以下は占い師の個人的な独断と偏見と妄想です。

卍チベット問題がロック魂を呼び覚ます?
ビョークという世界的人気歌手が3月2日の上海公演で「独立を宣言せよ」を意味する「Declare Independence」という曲を歌った時に「チベット、チベット」と叫んだとして、あの国の政府がおかんむりになった。その12日後の3月14日。中国チベット自治区ラサで、政府の抑圧への抗議行動に対する当局の武力鎮圧をきっかけに暴動が発生。
本人によると、「デクレア・インデペンデンス(独立を宣言しよう)」は当初、個人の精神的自立を念頭において作った曲だったという。
以下、bjork.comより抜粋・意訳したものを某掲示板で発見したので転載。

I have been asked by many for a statement after dedicating my song "declare independence" to both kosovo and tibet ( amongst others ) on different occasions.
何度か私の歌「declare independence」をコソヴォとチベット(他にもあるけど)に捧げた後で、声明についてたくさん尋ねられています。

I would like to put importance on that i am not a politician, i am first and last a musician and as such i feel my duty to try to express the whole range of human emotions.
まず、言っておきたいのは私は政治家じゃないということ。最初から最後まで音楽家であって、人の感情の全体を表現していこうってところに自分の責務を感じています。

the urge for declaring independence is just one of them but an important one that we all feel at some times in our lives.
自立を宣言するっていう衝動はそういったもののひとつでしかなく、だけど私たち誰もがその人生のどこかで感じる大切なものです。

this song was written more with the personal in mind but the fact that it has translated to its broadest meaning, the struggle of a suppressed nation, gives me much pleasure .
この歌を書いた時は個人の自立についてをより念頭を置いたけど、抑圧されている国の争いっていうもっとずっと広い意味に移ったっていう事実はとても嬉しいことです。

I would like to wish all individuals and nations good luck in their battle for independence.
あらゆる個人と国の、自立のための戦いに幸運が訪れることを願いたいと思います。

最近、比較的若い層にチベット問題に対して関心を持ち熱く感情移入する人が増えたらしい。 極端になると、チベットの自由や個性が抑圧される様を見聞きするだけで、自分が個性や人格を何者かに抑圧されているかのような憎しみや怒りやストレスを感じる人もいるらしい。
人権問題ならダルフールやミャンマーやイラクも有名なのに、なぜ、「チベット」が選ばれたのだろう? 
その理由を電波に想像。若い人達の多くが、色んなレベルで「個としての精神的自立(自我の確立)」というテーマを一度は通る(それは若者に限らず一生のテーマ?)。例えば、「コンプレックスを乗り越える」とか「自分に自信を持つ(健康的で自立した自尊心を育てる)」とか、「個人的な生きがい(自分の生き方や自分なりの人生愛)を見つける」とか「個性を確立・発揮する」とか。そんな「内なるindependence(自立)」を妨げる様々な抑圧的要素から自由になるために戦い、自己表現する様子は「ロック」という若者文化を生んだ。「ロック」の重要な要素は「反抗」だ。
その精神的テーマと3月14日のラサを皮切りに起きたチベットの「抑圧から自由になるための抵抗」とがシンクロし、若い人達は、自らの個人的なindependenceをチベットのindependenceに連想・投影した結果がチベットへの急激な感情移入につながったのじゃあるまいか。あの現象は、無意識の「ロック」なのかも(別にそれが悪いとは言わない。度を越さなければ・・・)。

ビョークがラサで暴動の起きる12日前に上海で精神的な自立を歌い、衝動的に「チベットチベット」と言ったのは、何か暗示めいている。シンクロニシティーだと思う。
ビョーク自身、子供時代は顔立ちをバカにされ、「JAP」といじめられていたそうだ(個性を侮辱されたことに対して精神的に戦ったり立ち直るには、他者の評価に依存しない自立した自尊心を確立させる必要があり、それはまさに精神的自立の大事な要素)。「民主主義」という概念には「自分も他人も尊重する」という前提があり、この前提は精神的自立の要素とも 一致する。

恐らくチベット問題に関しては、「精神的自立」ではなくとも自分の独自性を模索する時期の人には年代を問わず比較的共鳴・共感しやすそうだ。コンプレックスを抱えているなどで自己評価や個性が抑圧されていたり、何らかの理由で束縛を受ける(または自分で自分を縛る)などして精神的充実感(=新たな個性や生きがいが芽生える肥やし)が妨げられ密かなストレスを抱えている人はチベットの現状に己の現状を強烈に投影し、両者をほとんど同一化させ、「チベット解放ならずして我が解放なし!」とばかりに日常を忘れてフリーチベットにのめりこむ危険さえある。すると、チベットを抑圧する中国に対しては「自分を抑圧し束縛する憎い何か」を投影することになり、かくして中国は義憤のみならず個人の内面から沸き起こる憎悪の対象にもなる。「ロック」と「反抗」だ。

そんな投影と同一視の結果、聖火ランナーを「中国に協力している=チベット弾圧支持者」と短絡的に見なして怪我をしそうな物を投げつけたり(実際、生卵や水の入った重いペットボトルが投げつけられた)、自分よりチベット問題に関心の低い人(または身近な中国人・中国と取引のある企業やその社員)を苦しむチベットを見捨てる冷血な人とかチベットの弾圧支持者と見なし、一方的に怒りを募らせ許せなくなって自分の感情をぶつけたくなったら(要は八つ当たりをしたくなったら)要注意。少し頭を冷やした方がいい。「ロック」にハマり過ぎかも。そういうのはチベットどうこうというより、ヒステリックな一過性のブームでしかない。つまるところ、チベットのための運動ではなく自分自身のための気まぐれな投影遊びになる。度を越さなければ遊びでもいいと思うけど。

卍偶然の一致
ビョーク事件の起きた日付3月2日は、インドでガンジーがイギリスの抑圧に対する「非暴力の抵抗」を始めた日でもある。やがてインドは独立する。
ビョーク事件以外にも不思議なシンクロニシティーはまだあった。ラサ暴動から丁度一週間後(同じ曜日)の3月21日、チベット自治区と新疆ウイグル自治区の境目でM7.1の地震が起きた(震源は風水で中国大陸の龍脈の源とされる崑崙山脈)。ウイグル自治区ホータン県では約4万4000人が被災。その2日後の23日と24日の2日間、ウイグル自治区ホータン県で当局の抑圧に対する1000人規模の抗議デモが2回発生。実はウイグルにもチベット同様人権問題と独立運動がある。 同じ問題を抱えた二つの地域の境界で大きな地震・・・両方の地域が共鳴してる。
心理的な解釈だと、「地震」は現状に対する不満や現状を変えたい(壊したい)気持ちの象徴だったり「自信がゆらぐ」という象徴だったりする。抗議する側とされる側。どの象徴がどちらの立場に当てはまるかは言うまでもない。

同じ国の2ヶ所で抑圧されたものが吹き出した。どちらも「インデペンデンス」がテーマ。3月14日のチベット騒乱と3月23日から発生したホータンの抗議デモ。日付の合計はどちらも「8」。ある数字占いだと8は「抑圧」を意味する。2つとも、当局の抑圧からindependenceしたいがために当事者が起こした事件。時同じくして個人的な心理的抑圧から心をindependenceさせる戦いを望んでいた若者達による当事者への感情移入。政治的抑圧は心理的抑圧を投影する格好の素材・・・シンクロニティー(意味のある偶然の一致)という現象を提唱した電波系(といわれている)心理学者C・Gユング曰く、「人の心は集合無意識でつながっている」

コアなロックファンの間では、「カタチだけロックを真似しようがそこにロック魂がなけりゃそいつはロックじゃない」と言われている。
「精神的自立」は「形式的に自立したフリをすること」よりも本質的な意味でずっと重要だとされる。
ダライ・ラマ14世の考え方では、チベットにとって本質的に「independence」が実現することは、本質的なindependence後が例え形式上は「ある国の自治区」のままでも、現在の「名ばかり自治区(自治区のフリ)」より本質的な意味でずっと重要だとされる。

あの国の主席が来した5月6日にあわせて東京で行われたフリーチベットイベントにおいて、司会のモーリー・ロバートソンはこう言った。
フリー・チベット! フリー・あなたとわたし!
どういう目的でフリーチベットやってるのか、よく分かる叫びである。

参考: ビョーク、チベット発言について語る
(電波な目で見ると、写真のビョークがどっかのシャーマンに見えてしょうがない)


True Colors
連想と投影の魔力
ウイグル自治区の動乱と龍脈
予言とカタルシス願望
祈り
容姿・劣等感・個性

2008年3月23日 (日)

祈り

動画名:Sunrise in Himalayas(右クリックで別窓)

曲名:Offering Chant
(チベット仏教僧ラマ・ギュルメの祈りと盲目のキーボーディスト、ジャン・フィリップ・リキエルの作品)

チベットで起きたことによる全ての犠牲者のご冥福と、
チベット・中国双方の対話と未来を祈って。

2007年11月22日 (木)

ポール・ポッツ

ポール・ポッツ。携帯ショップの店員で、29歳からオペラの勉強を本格的に始め、現在36歳。思い立ってイギリスの辛口オーディション番組に出ると、最初は気のなさそうな審査員も彼の歌にびっくり。そしてとうとうプロデビューした。動画(右クリックで別窓)
日本でも来年東京で公演するらしい。こちらによると、

“ブサイクオペラ歌手”ポール・ポッツの初来日公演が決定!

(中略)
日本でも夏場から、ブサイクな中年が予想外の美声で番組を勝ち抜く姿が、ネット上の動画サイトなどで話題沸騰。公式デビューを待たずに、来日公演の計画が進行していた。日程は来年4月29、30日に東京・渋谷のオーチャードホール。問い合わせはキョードー横浜=(電)045・671・9911へ。

・・・とだいぶ失礼に報道されている。日本の音楽業界じゃ歌は使い捨てで見た目を売るビジネス展開していることの象徴的なコメントかもしれない。

イタリア語の巻き舌がまだ少し苦手なようだが、歌唱力はあると思う。
Time to say Goodbye

以前書いた「人間を楽器に例えた恋の話」のタンバリンがもし人間だったら、彼は上のような感じで竪琴にラブソングを歌ったかもしれない。

容姿・劣等感・個性1

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