書籍・雑誌

2009年8月 5日 (水)

ピョコタン的不思議ライフスタイルのすすめ?

皆さんは「ピョコタン」と言う漫画家を知っておられるだろうか?
彼の生き様はまじめな人からは目の敵にされそうなものかもしれない。

彼の生き様が垣間見られるインタビューをご覧頂きたい(右クリックで別窓)

こんなんでどうして今まで生きてこれたのか首をかしげる人、「自分はこんなに毎日がんばっている(苦しんでいる)のに何だあいつは!」といらいらする人、思わず笑ってしまう人、色々なリアクションがあるだろう。私は彼の持つ「楽しさを食べて生きる力」に尊敬の念を持った。
「ピョコタン」はお金で食べてるんじゃなくて、「楽しさ」を食べて生きてるんだろうな。そういう運勢を作れる人。一種の生命力。

そんな彼の生き様を支え、楽しさを食べて生きる運勢を作った生命力の一端をご覧下さい。
 続き
・・・ちゃんと「楽しさ」をエネルギー源にとんでもない運勢を作っている。 なんと楽しい体験を創れる人だろうw

タイミングと物理的背景(=時間と空間)、ピョコタン独特の漫画を発想していた本人の感性、本人の興味が向く方向(本人が楽しいと思った物事)、本人と参加者の事情…色々な条件が全てひとつに集約した偶然が「ポーカー大会の奇跡」を発生させ、彼の運勢(可能性)をさらに切り開く。そんな集約の偶然(もはや奇跡)を楽しんで漫画にし、読者が読むことで読者をも楽しませ、その結果漫画家としての運勢(可能性)までUPするかも知れない。
まるでいろんなことがうまい具合に一つの結果へ集約するべく計算された大規模な 「運勢的ピタゴラ装置」みたいだ。

「特に気合を入れるでもなく、ただ楽しさを求め楽しさを食べることで周囲に新たな楽しさを生み出し供給する」こんなことできる人が他にどれだけいるだろうか?
ポーカー大会の奇跡はシンクロニシティー(意味のある偶然の一致)のなかでもかなりハイレベル。「異様な調和」とでも言えばいいのか? もはや人間業じゃない。というかこれは彼個人(自我意識)の仕業じゃない。 多分ユング心理学でいう「セルフ」の技だ。
「ピョコタン」は努力・根性・勤勉といった人間の能力の中でも現代文明の前提基盤になっている「自我領域の力(物理的知性)」をよりどころにした生き方をしていないのではないかと思う(彼自身はそんなこと意識してないと思うが)。

ジョジョ風に言うと、
「な…何を言ってるのかわからねえと思うが努力とか根性だとかそんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ  もっと巨大で神秘的なものの片鱗を味わったぜ…」

こんな運勢を作れるほど高度な生命力は意識的に作れるわけがない。個人の無意識世界にある運勢を作る領域(多分個のレベルを超えた集団の無意識とつながっている)との連動率・シンクロ率が半端じゃない。 自我領域を超えた力と連動した生き方・・・自我の視点から見れば「インチキ」か「奇跡」のどちらかだろう。
もしかすると、自我(物理的知性)だけの力を前提基盤に使った生き方に限界が来ているのが今の現代社会で、それに対する別のライフスタイルの一例が「ピョコタン」なのかもしれない。彼の自我領域を超えたシンクロニシティーを使った神業的な生き方は、どちらかというとチベットあたりで山篭りをする修行者に一部共通するかもしれない。

「人間」と言う生き物は、私達が頭(自我)で考えているようなものじゃないのかもしれない。私達ですら、私達を知らない。

「楽しさを食べる生き様」…
いつかそんなことさえできるほどの境地に到達できる日が私にも来るだろうか。

文明と生命力の使い道
人々を社会に合わせさせる? 社会を人々に合わせる?
村上春樹氏のスピーチ

2008年3月31日 (月)

コネクト!オン占いコーナー最終回

コネクト!オンの占いコーナーが今回のVOL.17で最終回になります。
コネクたんの開運待ち受け画像配信も今回が最後です。
http://coneon.com/dl.html

読んでいただいた皆さん、ダウンロードしていただいた皆さん、ありがとうございましたm--m

2008年3月 4日 (火)

コネクト!オン連載終了のお知らせ

vol.17でコネクト!オンの占いの連載を終了します。
開運待ち受け画像の配信は来月分までです。
初めてイラストを使っていただいたお仕事でもあるので感慨深いです。
ご覧頂いた皆様、ありがとうございました。

2007年11月16日 (金)

「MISTY」12月号に載ります

17日発売の月刊MISTY12月号の「人生相談の小部屋」というコーナーに載るみたいです。コーナーの趣旨はMISTY読者が悩みを投稿し、それに対して毎回色んな占い師さんがお答えするというやつです。今回は私がお答えすることと相成りました。
普段MISTYを読んでる人は探してやってください。

2007年8月 5日 (日)

予言とカタルシス願望2

※非科学的なお話です。2009~2010年にだいぶリメイクした記事です。
※お好みでBGMどうぞ↓

カタルシス:精神的なしこりを破壊したがっている心の持ち主が、その代償行為によって得られる満足

◆ジュセリーノの予言とカタルシス
「ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルース」というブラジル人の男性がいる。普段は高校で語学の先生をしているが、「予言者」もやっている。なんでも、9歳の頃から身の回りのことに関する予知夢(未来の出来事を暗示する夢)を見るようになり、それがまたよく当たっていたのだそうだ(当たったとされる予言はこちら)。現在は予知夢を通して世界中の出来事を予言しており、予言の内容は公文書に記録しているらしい。夢のお告げに従って、各国の政治家に予言の内容を記した手紙を送ることもあるそうだ。ノーベル賞を受賞した元米国副大統領のアル・ゴア氏にも、何年も前に手紙を送ったことがあるという(本人談)。そんな彼は今、ブラジルのみならず日本でも話題になっていて、たま出版から彼の「予言」をまとめた本も出た。日本のテレビでも取り上げられた。
彼が予言する出来事で印象的なのは、世界中で巻き起こるらしい終末的な自然災害だ。特に、大地震の予言が注目されている。他には事故や犯罪、そして「人類滅亡」についての予言もあり、これまた人々の注目を引いている。その様子は20世紀に流行った終末予言系のパターンやその焼き直しのマヤの予言、アセンションといったものと似ている気がする。

注目される彼の予言に大地震の予言がある、ということは、大地震の夢を見ている、ということ。夢の世界では、地震は精神的な動揺とか、現状に対する不満や現状を変えたい(破壊したい)気持ちの象徴だったりする。大地震によって立派で頑丈な多くのビルが基礎から破壊され跡形も無く瓦礫と化す夢やイメージは、壊れゆくビルに鬱屈(と、その原因)を投影出来ていかにもカタルシスの方法になりそうだ。そして、「集合無意識を覗き込む夢」ともいわれている予知夢で大地震の夢を見るということは、集合無意識規模で多くの人々が大地震のイメージを思い浮かべており、大地震のイメージを使ったカタルシス欲求を持っているのは夢を見た本人だけではないということだ。彼の夢(予言)に興味を持った多くの人々も同じく「大地震カタルシス」の欲求があるのかもしれない。大地震の予言が特に注目される理由は、日本が地震国だという理由だけだろうか? 

世紀末を過ぎても予言が話題になるということは、「予言ビジネス」が儲かるということは、それだけまだ「予言」というカタルシス方法に需要があるということか。
特に、「人生に不満や鬱屈を抱えているけれど、その正体が具体的に何なのかハッキリ自覚できない」という条件下では、自分の顕在意識(我々の普段の意識)が鬱屈を解決する具体的手段を思いつけない。鬱屈を自力では解決できない行き詰った状態だと、「自分以外の力」に解決してもらわなくてはならない。よって「鬱屈破壊」の代償行為に使うイメージが人知を超えた神秘的なもの・謎めいたものになることも多いのではないか。何か人知を超えた不思議な大きい力が自分でも正体が分からずに壊せない鬱屈や行き詰まりを壊してはくれまいか(自分の現状を変えてくれまいか)と期待する心理が生まれそう・・・
鬱屈の正体がわからず、鬱屈破壊の手段もわからず、いつまでも自力の鬱屈破壊ができない。それで仕方なくいつまでも代償行為を求める。仕方なく。自分に出来るのはそれだけ・・・
終末予言にワクワクする心の裏では密かに思う。
「いつまでこんなことやってなきゃいけないんだろう?」
そして心の裏では密かに思う。
「・・・いっそ何か不思議な力が鬱屈をドンと破壊してくれないかな・・・」
21世紀初頭。そんな心理を抱えた人は一体どれだけいるんだろう? 

今までの終末ブームで多くの人は鬱屈破壊の漠然とした代償体験はできたものの、ぼんやりとした代償体験(にせの体験)では不完全燃焼だったらしい。
そのせいで、ある予言でスッキリできなければ、別の予言を「はしご」する。だから終末ブームは終わらない。本当に望んでいるのは自分の奥深くの鬱屈が解決することであって、破壊的な予言が当たることじゃないと彼らが気付くまで。その日が来るまでメディアはカタルシスに使えそうな予言をセンセーショナルに盛り上げる。本も売れる。世紀末をとうに過ぎたとしても。

結局、カタルシス(代償行為による満足)なんかじゃダメなのだ。本当に壊したいものが壊れねば(本当に解決したいものが解決せねば)心の底からスッキリ出来ない。代償行為で「壊した気になって満足」なんかできなかったのだ。(それに気づけなかったオウムは教義での脳内疑似カタルシスに満足できず、とうとう暴走してハルマゲドンになぞらえたテロという大掛かりな形で終末系カタルシスをやってしまった?)

前回も書いたが、人は心の中で何かを強く望むと、意識的にだろうが無意識的にだろうが、実際にそれを現実化させる(又はリアリティーを持たせる)傾向にある。人の運勢も同じ。心(無意識を含む)に強く思うものがあると、それが行動パターンや運勢(現実)に反映されると言われている。例えば「、鬱屈から己を解放する」という望みを強く願うなら、その願いを叶える力はやがて当事者の運勢に何らかの形で作用し、またもしも多くの人がカタルシスのために終末的な現象の実現を強く求めてしまえば、何らかの形で世界にそういう運勢が表面化することもありうる。

さて、予言(カタルシス)をはしごする人々は自分たちが心底強く望んでるのが鬱屈破壊の代償行為(カタルシス)なのか、それとも本当の鬱屈解決(=本当の鬱屈破壊)なのか。彼らは自分が真実どちらを望んでいるのかしっかり気づいているだろうか?
もしも予言に鬱屈解決の代償行為を求めていた人々が、実際の鬱屈解決の方を強く望むようになれば、もはやカタルシスのために予言を求める必要がなくなる。よって、予言が当たる必要も無くなる。やがて予言は当たらなくなるだろう。

また、もしも本当に予言的中を怖がっている人がいたら。その人は予言に自己の内なる不安感を投影している可能性が高い。予言が怖いのではなく、抑圧された内側の不安感を恐れている感じ。本当に恐れているものは何か、抑圧された不安感の正体は何か。それが分かれば何も怖くなくなりそう。

人の運勢は、人間ひとりひとりの顕在意識を超えた無意識領域から発する。だから、「運は自分で作る」とも言う。もしも予言を信じることに鬱屈破壊の代償行為(カタルシス)を求めているのであれば、それよりむしろ鬱屈解決を直接強く望んだ方がいいかもしれない。長い鬱屈およびそれを引き起こしている原因は、健康的な精神活動・生命活動を妨げる。健康な生命活動に関わる望みは無意識領域が強く反応するので、代償行為ではなく直接鬱屈解決の望みを自覚・意識すれば運勢に反映されて実現しやすい。人の無意識領域にはそういう生命力がある。
その力は、我々の普段の意識(顕在意識)から見れば、確かに「人知を超えた不思議な大きい力」に見える。その力が己や人生を変える働きをする様子は、予言が当たるのと同じくらい神秘的で、信じられないほど画期的な驚異のドラマに見えるだろう。
(だから神秘的な終末予言にその神秘なる力が働く願望を知らず知らずのうちに投影・同一視した結果終末願望が生まれるのは無理もない)
そして、その力は、いまだ謎に包まれた一人一人の広大な無意識領域からやって来る。自分でもよく分からない深遠なる無意識領域の中には神の力を秘めたかのような部分があるのかもしれない。
人は願いを叶えてもらおうと神に祈る時、己の深層に潜む自らの不思議な願望実現力を神に投影しているのかもしれない。願いを叶えるには、自分の願望を正確に知ること、なぜそのような願いを抱いたのかを自覚する事がコツだ。

結局、鬱屈解決の鍵は、自我の能力とは異なる無意識領域からの力(生命力)だといえるだろう。「自力では解決できない鬱屈」ということは、その鬱屈を解決するのに必要な力や手段が自我(顕在意識)の領域ではなく、普段意識することがない無意識領域に属するものだということだ。人間の持つ「自力」という概念は顕在意識の能力範囲にほぼ限定されている。要するにほぼ物理的な力だけだ。
この無意識領域の力を無視して顕在意識の力(物理的な方法)だけで無理やり鬱屈を解決させようとしてしまうと、苦し紛れにカタルシス(代償行為)を繰り返すことで己を騙すことくらいしかできないわけだ。先に書いた「自分に出来るのはそれだけ・・・」となる。

そして忘れてはいけないのは、破壊と再生は表裏一体で、鬱屈解決(=鬱屈破壊)は最終目標ではないということ。
破壊はスタートのための準備や手段。破壊されてはじめて新たなスタートが始まる。新たなスタートの邪魔をする鬱屈や古いものは一掃されてしまう。その一掃する役目を持った破壊は「始まりのための終わり」だ。始まりのための準備でしかない。
人々が終末系予言に投影する本当の願望は、「自我を超えた力が自分と生き方を変革・進歩させること」。終末願望に投影された「破壊したいもの」は、「進歩・変革できずに行き詰った自分とその生き方&そんな生き方の根底にある根本原因(=基礎から崩壊する予定のビル)」

ユング心理学の概念を借りると、行き詰りを基礎(原因)ごと壊して進歩・変革をもたらす力は一人一人の自我(顕在意識)の次元を超えた広大な無意識領域の中心に住んでいる「自己(セルフ)」と呼ばれる「おおもとの自分」の領域から来るかもしれない。「このおおもとの自分」と自我がつながって上手に連携が取れたとき、運勢が非常に良く機能する状態(=開運)になるようだ。分からなかった自分の鬱屈の正体が分かったり、手の打ちようがなかった閉塞感の打開や鬱屈浄化が実現する運勢を作ることも出来るのかもしれない。ユング心理学で「自己(セルフ)」と名付けられた「おおもとの自分」も「自我」も、同一人物、同一の生命体だ(ただし自我とセルフの役割を混同してはいけない。いわば脳と指みたいなもの)。その生命体は予想以上に深遠で広大なようだが、我々の顕在意識は外界の物事にあくせくすることで手一杯でそんなことには見向きもしない。自分で自分本来の姿を無視(抑圧)してしまえば、確かに鬱屈が生まれやすいだろう。

鬱屈解決(=鬱屈破壊)が投影された終末予言。ならば、イメージしてみよう。

予言が的中して世界が激変した未来は、どうなっていて欲しい? それは、なぜ?
その世界で、自分はどんな人生を生き、どんな人間になっているだろう?

そのイメージの中には、鬱屈が解決されて新たなスタートを切った自分のカギが隠されている。
そのカギが、終末願望に投影された本当の願望を象徴してるのかもしれない。
時には自分が予言に投影した「己の望む生き方」に気付きさえすれば、今この瞬間からそれを実行できるかもしれない。もはや、ハシゴした予言の的中を待つまでもない。

未曾有の刺激
終末予言の終末

※あとがき
「カタルシス願望」につながる無意識の鬱屈や閉塞感などは、以前に書いた記事の「生命力を代替する文明」と「自分の生命力が分からない・うまく引き出せない・使い道がわからない」といったこととも関係あるまいか?
終末ブーム時代に流行った漫画が、「水没するビル街(文明破壊のイメージ。水は無意識の象徴)」という絵柄を採用してるのが多いようなので、ふとそう思った。
カタストロフィを起こす終末予言のイメージだと、滅びるのは大概文明世界だけで、自然界は滅ばないようだ。

「草食化」という本能?

2007年7月30日 (月)

予言とカタルシス願望1

※非科学的なお話です。  お好みでBGMどうぞ↓


◆流行するカタルシス願望
カタルシス【katharsis(ギリシア)】(浄化・排泄の意)
1. 古代ギリシアの医学で、病的な体液を体外へ排出すること。瀉血(しゃけつ)。
2. アリストテレスは悲劇の目的をパトス(苦しみの感情)の浄化にあるとした。最も一般的な理解では、悲劇を見て涙をながしたり恐怖を味わったりすることで心の中のしこりを浄化するという意味。
3 .精神分析の用語。抑圧されて無意識の中にとどまっていた精神的外傷によるしこりを、言語・行為または情動として外部に表出することによって消散させようとする精神療法の技術。浄化法。
4. ジクムント・フロイトがこの語を採用したことから、カタルシスは代償行為によって得られる満足を指す心理用語としても用いられるようになった。

20世紀の日本。高度経済成長期~バブル崩壊を経て世紀末にかけて。ある有名なカタルシスが流行した。最初はマニアックな分野から発生したそれは、やがて漫画や小説や映画まで、それをイメージさせるような題材を使うものが流行った。それだけ需要があった。宗教の分野では、言うまでもない。
カタルシス。人々は、自分の内部にある鬱屈し行き詰った「壊したいもの、消したいもの、水に流したいもの」を外の世界に投影し、それを破壊することで、内なる鬱屈・行き詰まりを破壊したつもりになってすっきりしたくなる(=カタルシスしたくなる)衝動に駆られることがあるようだ。内に秘めた「破壊したいもの」がどういうものかは、破壊された後のスッキリ感がどんなイメージかによって象徴的に暗示されている。

あの頃流行ったカタルシス願望の名前を、「終末ブーム(終末願望)」という。有名どころは五島勉の「ノストラダムスの大予言」。当時ベストセラーになり、何と翌年にはこれを原作とした文部省推薦の映画まで作られている。その後も、ノストラダムスの予言を焼き直したような終末予言系の本が世紀末までに沢山出た。世紀末が過ぎてしまった現在は、それに代わるものとして最近話題の「マヤの予言」や「アセンション」、「ジュセリーノの予言」などが挙げられるだろうか。あの頃からのカタルシスは、未だに十分には満たされていないようだ。経済の分野では既に一度「恐怖の大王」が降臨したと思うのだけど、それだけじゃ願望成就として不十分なのか、その後には某宗教団体が自分たちの手で世間にカタルシス(カタストロフフィー)を起こそうとした事件まで起きた。そしたら破防法によって自分達が別の意味でカタルシス(浄化)された。強いカタルシス欲求が終末願望という形をとると、人は実際に「終末」を演出するような行動をとることがある。その例として「地下鉄サリン事件」のほか、海外の宗教団体が集団自殺をするニュースなどはこれまでに何度か報じられている。
・・・こういうのって、彼らだけでなく、テロリスト(特に自爆テロリスト)達にも通じる心理なのだろうか? 人は心の中で何かを強く思うと、意識的にだろうが無意識にだろうが、実際にそれを現実化させる(又はリアリティーを持たせる)傾向にある。人の運勢も同じ。心(無意識を含む)に強く思うものがあると、それが無意識の行動や運勢(現実)に反映されると言われている。
もしも世界中の多くの人々が鬱屈と行き詰まりを抱えてカタルシスを求め、そのためにはどうしても恐ろしげな予言の「実現」が必要だと思ってしまったら・・・? 

破壊と再生は表裏一体。カタルシスの役割として、カタルシス投影の条件として、「破壊の先には新たな希望(可能性)が開ける」というものがある。心を鬱屈させ行き詰らせる何かが破壊されれば、その向こうから新しい世界がやってきて、毎日が変わる。きっと新しい気分で毎日が送れる。以前とは全く違う生き方になる。ノストラダムスの予言で言うなら「恐怖の大王が降って来た後、火星が平和のうちに統治するだろう」という部分がそれ。希望へと続く道を開くには、それを妨げ「通せんぼ」している何かを破壊しなければならない。一体、何が道を塞いでいるのだろう? 

次回はこの続きで最近流行のジュセリーノの予言やマヤの予言等を例に挙げて書いてみようと思う。
予言とカタルシス願望2

参照:広辞苑と大辞泉、ノストラダムス現象

2007年7月 3日 (火)

シャーロックホームズの失われた冒険

以前から、「チベット人の書いたチベットが舞台のシャーロックホームズのパスティーシュ(模倣作品)がある」と聞いていた。ホームズは本家コナン・ドイルの書いた『最後の事件』という作品で宿敵モリアーティ教授と戦いのさなかに滝に落ちて以降、一度行方不明になっている。後の作品『空き家事件』の中でもちゃんと、「ライヘンバッハの滝に落ちてからの空白の2年間はチベットに旅行していた」と言っているらしい。その部分をチベット人が書いたというわけ。それがジャムヤン・ノルブの『シャーロックホームズの失われた冒険』
チベットが舞台のホームズパスティーシュは他にもいくつかあるらしいのだが、作者達があまりチベットに詳しくなかった。地元に詳しいチベット人が書いた作品は今回が初めてだそうだ。話がインドから始まることもあって、ラドヤード・キプリングの『少年キム』のネタもだいぶ入っている。
で、読んでみた。
・・・・・・・・・・
何と言うか・・・すごかった。いろんな意味で。シャーロックホームズをあまり読んだことのない私的には、面白かった。チベット人のメンタリティー、とりわけ「優れたもの、力あるものは国や民族を問わず自分達の中にとりいれる」というチベット人の精神的性質を見ることが出来た部分も、興味深かった。「推理小説」としてのシャーロックホームズを好む人達に受けるとは限らない気がするが、エンターテイメント性はかなりあるので「ホームズ」にこだわりがない人には十分楽しめるのではないだろうか?
内容の雰囲気を料理のレシピっぽく表現するなら、

1.『シャーロックホームズ』に『少年キム』の世界をみじん切りにして混ぜ、なじんだところで『インディージョーンズの始めの2、30分辺り』のみを投入してテンポ良く生地をこねる。
2.こねた生地にチベットの貴重で詳細な歴史と文化と精神性を丹念にすり込み、隠し味に『香港映画』を少々ふったら適当な大きさに分け、それぞれに『推理』と『オカルト』をぬり、シャンバラの氷河の入った冷凍庫にて凍らせる。
3.一時間後、凍ったその物体めがけて『インディージョーンズのクライマックス部』と『サザンアイズ5巻』を渾身の力で振り下ろして粉々に叩き割る。
※ハリウッドなどで市販されている『無理目どんでん返し』と『ご都合主義的展開』を使えば後始末は楽々です。
4.ヤクのバターで独特の香りが出るまで祈りを込めて神聖な気持ちで焼く。

この表現で分からない人は、実物を読んでみればいい。

実はシャーロックホームズの作者アーサー・コナン・ドイル(1859-1930) 、オカルト信奉者としても有名。『心霊術の歴史』という本も出している。19世紀末、最も有名な魔術結社『黄金の夜明け団』からの勧誘を受け、夜中に幽体離脱した結社のメンバーの訪問を受けたという。彼はまた、妖精の存在を信じていた。ドイルが関わった「コティングリー妖精事件」という実話をもとにした『フェアリー・テイル』という映画をご存知の方もいるだろう。彼は古くから妖精信仰を持つケルト系なのだ。
科学的・理論的手法が売りの推理小説を書くかたわら、オカルトにも親しむ。「イギリス人はオカルト好き」といわれているが、ドイルもそうらしい。彼に今回のチベット人が書いた作品を見せてみたい。多分怒らないと思う。

2007年2月23日 (金)

ファミ通コネクト!オンvol.4

さて、本日出ました「コネクト!オン」。とうとう占いコーナーにオリジナルのマスコットキャラクター登場! カエルさん多謝。一応かわいいキャラクターのつもりなんですが・・・
今回の編集長代理との掛け合い部分において、私がなかなかの電波キャラ扱いをされていますが(最終チェックのPDFが届いた時は大爆笑)実際はそこまで飛ばしてません。登戸に来る方は怖がらなくても大丈夫ですよ?

2006年12月22日 (金)

コネクト!オンvol.3

えーと、一昨日未明、出版直前の修羅場を乗り越えた編集長の生霊に枕元で脅されたので(嘘です)、お知らせします。
ファミ通コネクト!オンvol.3が出ました。今回私の占いコーナーはクリスマスなイラストを載せてお届けいたします。
イラストのコメントにある「ノーラッド」がわからない人はこちら。誕生の歴史が面白いです。
最後の一文を「ノーラッドのように」か「地上400kmから」にしようか迷いました。
今回はゲームソフトが当たるクリスマスプレゼント企画もあるそうです。
詳しくはコネクトオンのブログでどうぞ。

この編集長、ホントに面白い人です。ゲームに詳しくない人がブログを読んでも、きっと楽しめるでしょう。

2006年10月 6日 (金)

ちょっとウレシイこと

今月発売される「コネクト!オン」vol.2にて、私の描いた何かが占いページに載ります。
数日前にページのデザインが届きました。そこに確かに載っていました。しかも、マルで囲って「もっと大きく」とメモが入ってました。自分の描いたものを何かに生かせないかとずっと思っていたので、うれしいです。

現在「コネクト!オン」ではアンケートを募集しているようです。内容が採用されると掲載されます。ファイナルファンタジーXIをやってる方はぜひ。

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