パソコン・インターネット

2018年3月20日 (火)

「いいね!」依存症

※以下に書いたことはすべて個人の妄想です。

フェイスブックやインスタグラムを含むSNSが、「人間の心理学的な脆弱性を悪用する」意図で設計され、「いかに子どもの脳を破壊しているか」が元CEOより暴露されるより:

あなたがたは、もっと《いいね!ボタン》をと求める…そして、もっと好意的なコメントをと……
これは社会的検証のフィードバックループだ...。そして、これらはまさに私のようなハッカーが思いつくようなもので、なぜなら、これはあなたがた人間の心理の脆弱性を利用しているからだ
(フェイスブック現CEOの)マーク・ザッカーバーグ、あるいは、インスタグラムのケビン・シストローム(Kevin Systrom)... このすべては、意識的に、この《人間心理の脆弱性》を理解してやっていた。そして見事にやってのけてしまった

◆自尊心の代用品
・・・「いいね!」依存症は抑圧された自尊心(自己肯定)の代償行為に中毒した状態でもある。暴走する承認欲求の背後には、自尊心(自己肯定)の形成を抑圧しているがゆえの自己否定感(劣等感)も見え隠れしているかもしれない。
他者から否定されたりこき下ろされたり低評価されたりするのが怖いのは、代償行為が実現・成功できない事への恐怖であり、抱え込んだ自己否定感(劣等感)を紛らわせることが出来ない恐怖であり、自尊心(自己肯定)が未だ持てない(抑圧されていて自覚できない)ことへの恐怖でもある。
それは、「自分なりの生きる幸せ」が自覚出来ずにいる・作れずにいる恐怖でもある。

恐らく、「いいね!」ボタンのあるSNSで他者を攻撃したりこき下ろす習性のある人(いじめ加害者含む)の何割かは、潜在的に上記のような恐怖感を抱えており、なおかつ「代償行為(他者からの評価)」が満足できるほど成功していないor代償行為に失敗しているケースがあるかもしれない。 自分の現実や人生が「うまくいってない・幸せじゃない・自分にとっての喜び(評価点)が少ない」と無意識に感じている人である可能性も。
ある意味では、その手の攻撃やネットイジメ衝動はその人の心の悲鳴が歪んだ形で表現されてしまった結果かもしれない。ある意味で、SOSの出し方を間違えたようなもの。
(余談:世間ではいじめ被害者の相談に乗ったり支援する動きは出てきているけど、イジメ加害者側の相談に乗ったり、自分でも止め難いイジメ衝動を卒業する支援する動きは未だ出てきていない。『どうしても他人をイジメることが辞められない』という悩みは誰にも相談しづらくて、結局占い師に相談してしまうケースさえある)

◆優越感と自尊心の違い
優越感を作るには、他人に高く評価してもらうか、それが出来なければ自分よりも劣っている(と見なしたい)誰かをバカにさせてもらうしかない。どちらにせよ、他人の助けなしに優越感は作れないので、優越感に依存している状態は精神的な自立が出来ていないという事でもある。
それに対し自尊心は、趣味(中二病含む)だろうが萌えだろうがラーメンの食べ歩きだろうが、自分が人生の中で本当に好きなことや本当に喜びを感じる何か(『いいね!』をもらえるよりも楽しくうれしい)と出会うことで、そんな喜びのある自分の人生やそれに不可欠な自分という存在に対し個人的な価値や意義や喜びを自覚することで形成されていく。自分が喜びを自覚することが不可欠なだけで、他人の助けは必要ない。
その「個人的な喜び」の価値を例え他者が認めなかったとしても、全く困らない。他人が同意・評価しなかったとしても、自分にとってそれが他人の同意や承認や評価が貰えることよりも好きで喜びになっている事には変わらない。自分の好きな物事(あるいは同好の士)をこき下ろす他人に対してムキになって反論したり言い負かそうとする必要もない。そんな時間があったら自分の好きなことをするために使う。
自分が何かを好きになったり何かに喜びを感じることに誰かの承認や同意など必要ない。いちいち他人からの同意や承認をもらうメリットも無い。自分の人生で発生する喜びは、世界でたった一人、自分だけが創り味わえる喜びだからだ。自分の喜び方と100%全く同じ喜び方を持つ人間は存在しない。物事の感じ方は十人十色だからだ。「自分と全く同じ喜び方をしてくれる他人」がこの世に存在しなくても、寂しがる必要はない。むしろ、自分にしか実現できない喜びに誇りを持ち、他人の喜びを尊重し、時には互いにしか持ち得ない感性

優越感を抑圧された自尊心の代用品にしてる人達、およびその代用品でしかない優越感(他者を見下し自分よりも低く評価する心)を肥大させてる人達は、本当の幸せや真に望む生き方を見つけてないか、既に持っているのに気が付いていないという事でもありそう。

◆心を搾取させてくれる人々に依存する何者か
なお、他人に対して自分なりの幸せを見つけ実践する生き方を許さず、その代わりに用意した好都合な代償行為に依存させるよう仕向ける組織をカルトと言う。ホームグロウンテロの先駆けともなったボストンマラソン爆弾テロ事件の犯人(兄)がこの手口で洗脳されていた()。それはまさに、SNSが誘発するイイネ依存症とも共通する仕組みだ。
その仕組みを利用している何者かはこう思っているかもしれない。
「お前個人の幸せなど何の価値もない。認めない。許可しない。我々にとって利用価値のある思考と行動をする者だけ(我々が心理搾取できる者だけ)に存在価値を認めてやる」←認めてもらうメリットが無い。
彼らもまた、「搾取させてくれる誰か」に依存しているという点では他者の評価や優越感に依存する人々とどこか似た部分があるのかもしれない。本当の幸せを見つけていない・気付いていないという点は同じか??

◆「いいね!」よりもうれしく楽しいもの
自分が真に望む生き方やライフスタイルを抑圧し目を背け無自覚なまま放置した結果、無意識下の欲求不満が歪んだ形で(代償行為を求めて)暴走した結果が「いいね!」依存症であり、自分が本当にしたいことをする代わりにインスタ映えする写真を撮る(さして食べたくもない割高パンケーキを注文する・さして関心のない場所へ行く)ことに貴重な休日を使い潰す日々だったりするんじゃないだろうか?
(ああ、イイネを餌に心理と生き方を搾取されている。イイネに釣られて本当に望むことを探す時間さえ搾取されてしまった)←「搾取で生じた人生と心の飢えはイイネ獲得で満たすしかない」と何者かは洗脳する。

本当は、自分にとって「いいね!(=他者からの評価や承認)」をもらい、「いいね!」に縛られ囚われることよりもずっと楽しい事や嬉しい事がこの世には転がっているんじゃないかってことに、うすうす気が付いてるイイネ依存症の人も多いんじゃないかと思う。
そう思えるということは、自分なりの喜びや幸せや自尊心を作れる力にうすうす気が付いているということだ。
心のどこかで、自分を開運させる本能的な命の力を感じている証だ。

選挙権が18歳に引き下がる時代。人格形成期に「いいね!」依存症となり自尊心を形成する上で大切な栄養分である「自分なりの喜びや幸せを探す心理と時間」を搾取され続ける若者(自分の幸せを知らぬがゆえに騙され扇動され利用される=利用価値のある思考と行動をする者。カルトに最適な人材)が量産されることの意味を、今一度考えてみて欲しい。
「人々が幸せになればその国も幸せになる」という開運法則から見れば、「自分の喜びや幸せへの自覚が搾取される病」が蔓延している現状は好ましくないが、人類はいつかこれを乗り越えるだろう。
自分を開運させる命の本能的な力によって。


中二病の有効活用
「必要とされる」必要がない
就活自殺の増加について
上手なニートの過ごし方

2012年11月12日 (月)

建前ではない本当の品位

はるかぜちゃん、体調崩す… 殺人予告の通報に後悔

先月31日にツイッターで殺害を示唆する投稿があったことを公表した人気子役・春名風花(愛称・はるかぜちゃん)が5日、「怖くて通報したけど、後悔してます」「本当に殺されそうになるまで、がまんすれば良かった」などと苦しい胸中を自身のツイッターで吐露した。また春名は、現在、熱・吐き気による体調不良で休養していることも明かしている。

 11月2日に警察に通報した春名だが、届け出る前は「こわいし、通報したい(ω)でも、ぼくのことで『子どもがネットをやるべきではない』ていうふうに、世論が動くのだけは、避けたい(ω)」(原文ママ)と自分の考えをツイッターで示していた。

今の大衆民度を考えると、この話を報道したり、この話について本人が何か発表(ツイート)すればするほど、却って殺人予告や嫌がらせが増えかねない懸念を感じる。杞憂であればこの上ない。
はるかぜちゃん本人はこの騒ぎを収拾させるスキルをまだ持ってないだろうから大人が色々教えてあげないといけない。こういうのは「何も語らない・蒸し返さない」に尽きることを。通報したとかしないとかも発表すべきじゃなかった。 周囲の大人や事務所の対応(放置?)は疑問。
本人にこういうツイートさせて話題性や事件性をupさせることが事務所の狙いか? 炎上ビジネス的な?

今の子はネットの使い方を小学校で習うのかどうか知らないが、自我が未発達な子供がネットを操る時代になっているのだとしたら、「言葉の暴力」が野放しになっているネット世界に今以上の民度が要求されるようになっていくかもしれない。
「子供が見たり作ったりしても問題の無い健全な交流サイト」などというものを存在させ続ける能力は、残念ながら現代の大人たちにはまだ期待できない。
むしろそういうところへわざと喜んで悪質な書き込みやリンクを撒き散らす輩すら出るだろう。いい歳した大人が小学生のブログを荒らすケースすらある。
かといってこれからの時代、子供達にネットを使ったコミュニケーションのやり方や「ネチケット」を教えずネットにも触れさせないでいることがふさわしいかといえばNOだ。得てして子供は本能的に大人のマネをする。ネット世界でもそうだろう。 だから大衆が(大人が)民度を上げていくしかない。

ネットの匿名性に守られながら、建前に縛られたリアルでは決して言えない・出来ないことをためらわず(時に恥も外聞も無く)ぶちまけてしまえるようになった時代。「取り繕ってお上品ぶる」必要の無い世界では、「本音と建前」という日本独自の処世術の裏側に抑圧されていた民度の幼い部分が何の躊躇もなく露呈する。だって隠す必要ないから。
「お上品の仮面を脱いでしまえるのはネットの世界だけ。ここだけは唯一鬱憤をぶちまけられるシェルターみたいなもの」という側面がある。

しかし、子供がネットに出てくる今は、そんな 「シェルター依存」から卒業する必要が出てきたわけだ。
今ほど真の意味で大衆の民度upが要求されている時代は今まで無かったんじゃないかと思う。「匿名か否かに限らず己の品位はいつも自然に保てるし、そこに価値を置ける」というのは、今の大衆にとって難易度が高い。
取り繕ってお上品ぶる(=建前上の演技・仮面=ボロが出る)じゃなくて、本当に心の底から品が良くないと実現不可能なことだ。中2病的に言うなら「深淵に封じられた魂の高潔さが目覚める」とかそんなレベル。

恐らく、子供相手に悪質な書き込みをするような手合いは「ネットに品位と民度を」という風潮が今後出来ても、「言いたいことも言えない世の中じゃ」と意に介さず、逆により一層暴れまわるのだろう。
「ぶちまけられるシェルターを子供に奪われる恐れと怒り」さえ抱くかもしれない。
あ。もしかしてすでにそういう恐れと怒りを抱えた人々がネットに出てくる子供(今回ははるかぜちゃん)に当り散らしてるのか? 

・・・要するに、「そもそもぶちまける必要が無い」社会作んないといけないのかも。うわー難易度高w


オマケ←今回の場合、社会の鬱憤を虫歯の原因(歯の汚れ)に置き換えると・・・

2012年10月 9日 (火)

自我境界が未発達な国民性2

「生意気」と歩行者3人はねる=殺人未遂で作業員逮捕-埼玉県警

埼玉県警所沢署によると、「道路を広がって歩いていたので注意したら、生意気な口をきかれ頭にきた」と容疑を認めている。(中略)
容疑者は運転中、白線で仕切られた歩道を約10人で2列になって歩いているグループを発見。車を降りて注意したところ、口論となった。会社員らは最後は「すみません」と謝ったが、同容疑者はいったん立ち去った後、車をUターンさせるなどして追い掛けて来たという。

◆対立する者同士には共通点がある?
被害者と加害者。立場は違うが抱えてる問題は同じかもしれない(妄想)。
自分の意図や行動を邪魔されたり否定されると自我や人格を損なわれたと思い込んで被害妄想的な恨み(認知の歪み)を抱くタイプの人は最近増えてる。

被害者は自分の歩き方を否定された(注意された)ことに人格を否定された被害妄想的な恨みを抱いて反撃し、
加害者は自分の行動(=運転)を邪魔された挙げ句に注意したら期待通りのリアクションをしなかった(=注意という行動を否定された)相手に被害妄想的な恨みを持った。
で、被害者の反撃に車体で反撃してお縄。

ギャグみたいな話だけど同じ仕組みのトラブルは最近増えてるから困る。
そういうタイプのトラブルを抱えて占い師に相談持ちかけた挙げ句、期待した結果が得られなくて逆ギレする人は占い業界全般で数え切れない。
「百パー相手の落ち度でアナタは何一つ悪くない」と言ってもらうために来たのに言ってもらえず、「わざわざ金かけて占いしに来た」という行動を占い師から全否定された挙げ句、トラブル解決のためには被害妄想の修正が必要だとか言われてしまう。
あのタイプの被害妄想を抱えている人の目から見れば許しがたい人格否定と侮辱になってしまうのだろう。
このタイプ、前回の自我境界が未発達な国民性1で言えば、「独裁者タイプ」に該当する。

◆「パブリック」の欠落と孤独
そういうタイプの人は、本来自分とは別モノ(=自分とは別の動きをする)である他人や公共物、公共の場といった「パブリック」を自分の一部、自我の延長として脳内処理してしまう印象がある。いわばパブリックがなくなって全部プライベートになっている。自他の分類をするという作業がうまくいってないか、欠落している。多分、普段から自他を分類する機能がしっかり動いてない。
その人はパブリックの存在しない世界、自分(プライベート)しか存在しない世界にいる。自分しか存在しないので、独りぼっちだ。
実際に孤立し、孤独感を抱える人もいる。

自他分類機能が未発達なのは、自我境界が未発達だということ。
自他分類、自我境界がゼロならコミュニケーションは成立しない。「他人(相手)」の存在を認識せずにコミュニケーションは成立しないからだ。ゆえに自我境界と自他分類はコミュニケーション能力の発達に不可欠だろう。

◆ネットでのやり取りは自他分類機能が低下?
自他分類が欠落し被害妄想的な認知の歪みによるトラブルはネットの世界でとても多く見かける。
例えば、被害妄想的な認知の歪みが「私と逆の意見(=私の思考を肯定しない=私の思考を否定する)人間は私の思考の源である私の人格を否定する敵だ」という図式の思い込みを無意識下に作ってしまうと、自分と違う意見を書き込んだ見ず知らずの他人(この人もまた、自分と違う考え方をする人間を憎むような言葉遣いで主張していることが多い)を一方的に恨み攻撃し、本題を忘れて互いの人格をけなしあうことが目的の口論になっていく光景など日常茶飯事だ。

これは恐らく、ネットでのやり取りは自他分類機能を動かしにくいからではないかと思っている。今までの時代は、人間同士が自分の個人的意見や個人的感情(=プライベート)について文章を使ってやり取りする場合、お互いに相手の顔も声もよく知っている者同士で行うことが大半だった。要するに、互いの間で既に自他の分類がしっかり成立している関係だ。けれどネットの世界では匿名性が高いので、顔も声も知らない相手と文章でやり取りするケースが大半になる。すると、頭が自他分類をするときのカギになっている「顔」と「声」のデータが手に入らない状態でのやり取りになる。五感で相手を感じ取れないバーチャル世界の匿名コミュニケーションが持つ特徴か。
これが自他分類機能をしっかり起動させにくくしているのではないか? などと妄想した。

で、普段から頭が自他分類の作業をあまり行わないやり取り(バーチャル世界の匿名コミュニケーション)にばかり偏ったライフスタイルで生きていると、リアルの世界でも自他分類機能がとっさに起動しなくなって「パブリック」を忘れたり、パブリックとプライベートを混同・誤認するような現象が起こりやすくなってるんじゃないかと思った。
よくブログやツイッターで「口を滑らせて炎上」という現象が増えているが、これも自分が「パブリック」な場所で発言していることを忘れてしまっていることに起因するのではないだろうか。
(迷惑行為や違法行為の写真をUPしてしまう現象なんかもその最たるもの?)

匿名性の強いネットの世界は気兼ねなくプライベートな本音をだだ漏れにして鬱憤を吐き出すこともできる便利な世界ではあるが、実はパブリックな世界でもある。自分の自我境界を保つためにも、被害妄想やトラブルを防ぐためにも、自他分類の作業だけは忘れずにやっておきたいものだ。

◆国民の不安定な自我境界が国の運勢に反映!?
国民の60%に自閉気質の遺伝子があるという日本人は、ただでさえ自我境界が未発達で脆弱になりがち(気質的な不得意分野?)。そこへネットが普及していけば、もたらす影響は大きい。バーチャルに偏って自他分類をする機会や頻度が減ってくれば、自我境界の発達はさらに抑圧されていく懸念。
自我境界が未発達だと過激な思想や大衆ヒステリーやデマにも簡単に煽動され、流されやすく釣られやすい。震災時におきた被災地への過度の感情移入から発生した諸々の現象も典型例のひとつ。
最近の典型例では、大津いじめ事件を引き金にしたネット住人達の暴走。
国民の自我境界が未発達(=脆弱)なことが露呈した「ネット住人暴走事件」の直後、そんな「自我境界の脆弱さ」を象徴的に体現するかのような運勢が日本国そのものにふりかかった。

それが、竹島の騒動と尖閣の騒動だ。日本国の領土・領海・領空の境界は、即ち日本国の自我境界。それにちょっかいを出されるというのは、オカルト的に見ると国の自我境界が不安定で脆弱になっていることを象徴する。自我境界即ち「自分の輪郭」が保てていない感じ。
これは、国民の未発達で脆弱な自我境界が国の運勢に反映したのではないかと思う。国民の集合無意識が国の運勢を作っているのだ。国の運勢を作っているのは、私達国民だ。私達がこの国を作っている。だから私達の有様が国の運勢に反映するのは、オカルトでも何でもなく、ごく自然なこと。

実は日本という国、自我境界の発達スピードは遅め。脆弱な自我境界しか持たない自我を何とか安定させ守るために、「引きこもり」と「独裁者(侵略者)」の間を行き来したことも。今もその間を漂っている。個人の中に「引きこもり」と「独裁者」が同居している。パブリックを忘れ、自分(プライベート)しか存在しない世界に引きこもり、外界を自分の延長にしてしまうことで、自我境界は崩れていく。
逆に、自我境界と自他分類を確立していけば、「独裁者化」を防ぐので自分と他人の双方を尊重することができる。
(自我境界の脆弱さは為政者にとって好都合でもある。人々を簡単に支配できてしまうのだ。意識ごと支配してしまえば、多少のことは都合よく泣き寝入りしてくれる)

私達が己の自我境界をしっかり保ち発達させることが、日本国の自我境界を安定させ保持するための身近で強力な開運法になるかもしれない。バーチャル・リアルを問わず自他分類作業を忘れずに行うことは、自我境界の発達を促進するトレーニングになる。だから人々がこの作業を忘れずに行うこと自体が、ひいては日本の集合無意識規模での開運法になるかもしれない。

自我境界が未発達な国民性3
日本の個性化←日本が集合無意識レベルで自分の輪郭(自分という個性の姿)をキープしにくい背景?
暴走せずに自分のペースを保つこと←必要ない所でムダに自分を押し殺すと自分のペースは保ちにくくなる。繊細であればなおのこと。

なぜ日本の若者は画一化が進むのか?←外部リンク。「子供を産まないことによる閉塞感」は「子供を産まないことによるプレッシャー」がより近い気がする。


2012.10.23追記
遠隔操作、少年の「無罪」申し立て 誤認逮捕で地検
遠隔操作(ウイルス)と誤認逮捕。これも自我境界の問題を象徴する現象だ。IT・医学・心理問わず、昨今の「何かに感染する」という現象が多発していること自体、自我境界の不全を象徴してる気がする。

自我境界が形成不全な人←外部リンク

2010年10月 4日 (月)

占いとアカシックレコード

アカシックレコードって何?

↑こんな記事を見つけたので、占いとアカシックレコードについて、しがない占い師の個人的憶測を書いてみる。多くの人にとっては意味の分からない例えを使うと思うので、よほどのマニアでもない限りこの記事はただの時間的損失になるだろう。
以下、一部抜粋

「アカシックレコードはすべての人の歴史、すべての人類の歴史、宇宙の歴史その過去から未来までが克明に書かれているそうです。このアカシックレコードに書かれていることは『絶対』で、書き直すことも書き足すこともできません」(taekwengさん)


アカシックレコード=書き換え不能な「運命」の記録ということでしょうか。ということは、この記録が読めれば未来を予知することも可能ですよね。では、どんな人がこの記録にアクセスできるのでしょうか?

「アカシックレコードには、宇宙のあらゆるすべてのことが記録されています。その記録をどの程度読めるかは、その人の霊的な覚醒度によります。アカシックレコードを読むためには、ほとんど覚者になっていないと読むことは出来ません。霊能力があるくらいで読めたりはしませんので、ほとんど実用性はないと思います」(rurubonppさん)

タロット占いは「暗示(または人工的なシンクロニシティー)」という形でここから必要な情報を検索し、結果をカードに反映・表示させて(投影させて)それを読み解くものだと思っている。カードに出たものがアカシックレコードのどこら辺から出てきた情報なのかは、「個人の無意識」という項目であったり同じく「遺伝子の記憶」だったり「集合無意識」だったり、色々だ。そういった普段目に見えないあらゆる情報源の総称を「アカシックレコード」と呼ぶのではないかと想像する。

アカシックレコードと占いの関連性はタロットのみならず、易やルーンなど「ランダムな状態から偶然抽出された結果」から読み解く占い全般に言える。この種の占いを「卜占」という。仮に卜占をGoogle検索だとすれば、アカシックレコードはネットの広大な情報の海みたいなもの。あるいはアカシックレコードを一つのパソコンの全データに例えるなら、占いはエクスプローラーの検索か。恐らく上記の例えで言えば、アカシックレコード自体はネットの広大な海と、個人端末含めたこの世の全てのデジタルデータに例えられるものだと思う。

また、個人的なイメージだとアカシックレコードは未来の運命(運勢)が何もかも決められていてシナリオのように保存されているというよりは、「シナリオ」の形になる前の、シナリオの材料やネタがしまってある場所という感じがする。そんなある種の保存庫は宇宙(?)などのマクロな規模のものから個人規模のものまである(個人規模のものは個人の無意識領域にある)まあ、「個人は宇宙の一部」とも言ってしまえるが。
そして、材料をどう扱いどんなシナリオを作るかは当事者次第だろうと思う。いずれにせよ、どうせなら有意義な作品にしたい、良い材料を使いたいというのが人情。でも、自分では保存庫やそこにしまわれている材料を上手に認識できない人が多い(自分の無意識に秘められたものを把握するのが苦手な人が多いように)。なもんで、少しでも良い作品にするために(良い運勢を作るために)必要に応じてカード検索をするという方法を誰かが思いついたんだろう。記事に書かれている『覚者』とか言うのになってしまえればそんな手間も省けるかもしれない。それは多分「悟り」とかそういうレベルじゃないだろうか。

私達の目に見えぬ冷蔵庫の奥深くには、素敵なものがたくさん隠されている。

2010年4月21日 (水)

出来事と連想~流星と噴火から恋まで~

※連想をつなげてとりとめもないことを無軌道に書き散らかしてみました。一部オカルト系ヨタ話が混入していますが、本気にしてはいけません。 リンクは右クリックで別窓

今年の4月14日は大自然の驚異をまざまざと見せ付けられる日だった。
14日は今も空の便に影響を与えているアイスランドの火山噴火が発生し、アメリカでは小型ミサイルに相当するエネルギーの流星が落下した。
流星は大気圏に入って空気摩擦で激しく燃え輝き、最終的にフットボール大の塊になって
どこかへ落ちたとのこと。被害なし。
流星が落ちる様子の動画

この流星のニュースを載せた某所の見出しが「450キロほどの巨大流星がアメリカ中西部に落下?」だったもんだから、一瞬「アメリカ大丈夫?」と思ってしまった人は私だけではないはずw
「大きさ」と「重さ」を混同したら大惨事。「450キロ」「巨大流星」という言葉から大きさと重さを混同して終末的な状況を連想してしまった人の中には、無意識下にカタルシス願望や終末願望を抱えた人がいたかもしれない。

一部のオカルトマニア達の間では、14日の流星と火山噴火について、預言書との噂があるヨハネの黙示録になぞらえて遊んでいるところもある。曰く、「黙示録が流星落下と火山噴火を予言していた」というもの。
以下がネタにされた黙示録の下り。

>第五の天使がラッパを吹いた。すると、一つの星が天から地上へ落ちて来るのが見えた。
>この星に、底なしの淵に通じる穴を開く鍵が与えられ、それが底なしの淵の穴を開くと、
>大きなかまどから出るような煙が穴から立ち上り、太陽も空も穴からの煙で暗くなった。
>そして、煙の中から、いなごの群れが地上へ出て来た。

こういうこじつけ遊びが発生したのは、流星と噴火が同日だったのと、噴火による農作物への悪影響の噂が件の黙示録に書かれた「煙からイナゴの群れ(凶作のシンボル)が登場」というシーンを連想させこと、そして噴火口の画像がオカルトホラーな雰囲気だったからだと思う。 画像

人間の想像力は色々な物事同士を連想・投影させて様々にこじつけ、結びつけることが出来る。その能力が恋を生んだり、文化を発展させることもあれば、妄想を拡大させたり暴走させたりするだけで特に役立つことなくに終わることもあるわけだ。

どうせなら、自分が行った感情やイメージの結びつけをきっかけにして、自分の内面をさぐるヒントにすれば、どんな恋愛やこじつけも無駄にはならないかもしれない。
その時発生した恋愛感情が自分自身の内面に気付くヒントになっていたり、その時心に浮かべた空想、あるいは夢や理想のイメージが、自分の心の奥底で気付かず抱えていた本当の望みのヒントになっていることは結構ある。
恋が自分の隠された内面部分を知るきっかけになった体験を持つ人は多いと思う。
人は内なる自分の思いに気付くために無意識のうちに恋をすることもあるのだろうか?

占い依存症チェック

2010年3月14日 (日)

ヘタリア的お料理動画

世界各国を面白おかしく擬人化した「ヘタリア」という漫画のキャラクターを演出に使ったお料理動画を作った。何も知らない人が見ればオタク的に見える演出だが、料理の手順を紹介しただけでやましいモノを作った覚えはないし、思い切ってここで告白してみる。「ヘタリア」知らない人すいません。
閲覧者のコメントが邪魔なときは吹き出しマークをクリック。

その1

歓声を入れるタイミングがちょっと悪かったかも・・・

その2

御好評感謝。


ヘタリア

2009年12月28日 (月)

マット・ハーディング

※リンクは右クリックで別窓

マット・ハーディング(マシュー・ハーディング)という有名な人がいる。本職はゲームクリエイターの彼は、世界各地の旅行先で自分の踊る様子をビデオ撮影し、「Where the Hell WAS Matt?」という題でyoutubeなどの動画サイトにアップした。ただのオッサンが旅先でヘンな踊りをするだけの動画。時々現地の人も参加している。ただそれだけの動画が人々に何故か不思議な感動や喜びを与え、国境や言語の壁を越えて非常な人気を呼び、動画のアクセス数はうなぎのぼりに。その後旅行先が増えると共に動画は最新版がアップされ、チューインガムの会社が旅行費用のスポンサーになり、とうとうVIZAのCMにまで使われた。
人々は、この動画から確かに「何か」を感じているようだ。

最新版の動画を見る←右クリックで別窓

最新版の動画の挿入歌:Garry Schymanの「Praan」 。英訳すると「Stream of Life」。

挿入歌の歌詞はタゴールの詩「Praan」より:

ひるとなく 夜となく わたしの血管を流れる 同じいのちの流れが
世界をつらぬいて流れ 旋律にあわせて踊っている。
そのいのちが 喜びがなってほとばしり
大地の塵から 無数の草の葉を 萌え出させ
木の葉や 花々の騒がしい波を 立たせる。
そのいのちが 生と死の海の 揺りかごのなかに
満ちたり引いたりしながら揺られている。
このいのちの世界にふれて 私の四肢は 栄光に充たされる
そして私の誇(ほこ)りは いまこの瞬間に私の血のなかに踊っている
幾世代のいのちの 鼓動からくるのだ。


世界中の様々な生命がそれぞれ独自の音色を響かせ、それらは生命の壮大なシンフォニーを形成しだす。全ての生命が妙なるシンフォニーを奏でる楽器たち。シンフォニーはこの瞬間にもさらに美しく進化し続ける生命体。命の楽器たちで出来たとどまることのないひとつの生命体。

私達はこんな素晴らしい音楽にもなれるんだ。


皆様がより美しい音色を奏でられることを願って。良いお年を。

ある楽器の話

2009年10月 9日 (金)

ウィンドウズ98とXPの効果音だけで作った曲

ひとつ目
聴く
ふたつ目
聴く

びっくりした。いつも聞いているパソコンの効果音にこんな可能性があることに。要は音の使い方次第というわけだ。人を楽器に例えた場合と同じように。

その楽器は、自分が出せる音を今どれだけ知っているだろうか? 
自分が持ってる音の使い道を、どれだけ見つけられるだろうか?
「これが自分」と思っているものは、表面化した僅かなキィで奏でるささやかなメロディ。
「つまらない生き方」と感じているものは、僅かなキィで奏でてるワンパターンなメロディ。
自分が単なる曲ではなく、いろんな曲を奏でられる楽器だと気付くのはいつだろう?
自分が出せる音の可能性を、使い道を、沢山見つけたくて仕方がない。
普段使ってる表面化したキィと、表面化せず無意識の世界に置き去られたままのキィ。
自分のキィをかき集めていったら、どれだけの曲が奏でられるんだろう?
ひとつ。またひとつ。時を追うごとに見つけたキィとひらめいたメロディが増えていく。
ひとつ。またひとつ。成長するごとに楽器のキィは増える。演奏できる曲が増えていく。
ひとつ。またひとつ。時を追うごとに合奏仲間が増えていく。ハーモニーが増えていく。
自分達が出せる音の可能性を、使い道を、沢山見つけたくて仕方がない。
私達は多分、無数の楽器が集まったひとつの巨大な楽器なのかもしれない。

Hello Windows Hello World ←二つ目に歌をつけたもの

2008年3月23日 (日)

祈り

動画名:Sunrise in Himalayas(右クリックで別窓)

曲名:Offering Chant
(チベット仏教僧ラマ・ギュルメの祈りと盲目のキーボーディスト、ジャン・フィリップ・リキエルの作品)

チベットで起きたことによる全ての犠牲者のご冥福と、
チベット・中国双方の対話と未来を祈って。

2007年9月27日 (木)

ねこ鍋(youtube)

ねこ鍋(右クリックで別窓)
白い子の表情がたまらない(笑)。
音楽もいい。

どんな夢を見てるのかな・・・

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飼い主様のブログによると、白い子は「ましゅまろ大仏」と名付けられたとか

当初4匹は大腸・小腸・十二指腸・盲腸と名づけられそうだったという(笑)。

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