アニメ・コミック

2016年3月 7日 (月)

日常にありふれた十人十色の偉大さ

『私が大好きなアニメを見れなくなった理由』が大反響 あなたはどう受け止める?

主人公の女の子は、自分の大好きなアニメが映画化決定したことを知り、友人と一緒に公開当日に見に行くことに。
そのあまりの出来栄えに感動してしまった女の子なのだが、それに対して友人は「最悪だねありゃ」と一言。
画の脚本や演出、作画についてさんざん批判された女の子は、映画を見返すごとに友人の言葉が頭をよぎり、だんだんと作品そのものに興味を示すことができなくなってしまう。

このような経験から、「一人でも多くの人に知ってほしい 批判は何も産まれない。それどころか、ファンにとって大切な思い出を、ぶち壊すということを。」(原文ママ)という作者の主張で締めくくられる。

「同じものを見ても人それぞれ感じ方が違う」という事は、一人一人に唯一無二の貴重な尊い個性が宿っている証といえる。それだけで人間は皆、尊さと貴重さを持っている。
「感性が違う」ということは、感性の源である個性や、その個性の源である魂が違う、ということであり、そんな世界で一つしかない貴重でかけがえのない自分の感性(個性)だけがなしうる世界で唯一無二の人生(人生経験)を創るということだ。なんとも貴重で尊いことだ。

他者にとっては退屈で取るに足らない作品でも、「神レベル」と感じるほど素敵な感動体験を自らの心に作り出せる。その能力(体験創造力)のなんと素晴らしく尊いこと。
他人が自分と同じ感覚を共有していなかったと落ち込むより、自分が成し遂げたそんな独自の感動体験を喜んだ方がいい。それが個性への目覚め、自我確立への目覚めでもある。
「他人からの共感や支持を受けること(=他人と同じ感じ方をしている証拠を見つけること)で初めて自分の感性に尊さを認識する。それ以外の根拠で自分の感性に価値や意義を見出すことは許されない」
いつの間にかそんな風に思い込んでしまっていなかっただろうか?

自分が友人と同じではない(友人が自分と同じではない)ことに不安や苛立ちや悲しみや疎外感を覚えるのは、友人と自分の境界があいまいで、友人を自分の延長みたいに認識していて(だからこそ脳ミソが違うのに自分と感覚を共有していると思い込むのだが)、いわゆる自我境界がしっかり出来ていないからだろう。この自我境界がしっかりできていれば、友人と自分双方の異なる貴重な感性(個性)を尊重し合える。お互いを尊重できる。
友人を自分の延長みたいなものだと感じるのは友人独自の個性や感性に気づいていない(あるいは否定している)からだし、そういう人は自分の個性(独自性)や感性にも無自覚(又は否定している状態)で、「皆と同じでなければ」という強迫観念に陥りやすい。日本人には多いタイプかもしれない。

本人にしか無い個性と感性(感じ方)により、その人生の中で世界でも自分にしか成しえない体験、感覚etcを毎日いくつも積み重ねているわけだが、これって地味にすごいことだと思う。
自分が味わったその喜びや感動や楽しみは、人類史上、いや宇宙史上、たった一人の人間にしか成しえない素晴らしい体験なわけだ。例え一冊の漫画や一杯のラーメンといった身近で些細な物事の体験であったとしても、それが持つ意味ははかり知れなく貴重で尊い。
まさに生命の尊さとは、こういうことでもあるんじゃないだろうか(壮大)。
恐らく件の友人は主人公の好むアニメをつまらない出来だと感じる一方で、主人公からすれば何がそんなに面白いのか理解できないものにハマったり妙に好んだりという本人にしか持ってない独自の(そして貴重で尊い)感性をどこかに持っているだろう。その感性で今日も本人にしか味わえない人生を創り味わっている。主人公も友人も、等しく貴重で尊いことをやってのけている。
自分独自の喜びや感動を味わえる自分の人生(そんな人生を創る自分の命)を愛し尊ぶ事が出来たら、他者との比較(優越感を含む)や他者からの評価・同意・承認等に依存しない自立した自尊心の始まりになるかもしれない。

いわゆる「中二病」という症状は、そんな唯一無二なる尊い自分の個性と人生を自覚したがっている(自覚したものを愛し尊び自立した自尊心を持ちたがっている)心の裏返しかも(過去記事参照)。

2014年1月28日 (火)

ドラえもんの思い出

人間の死よりも泣ける? フィクション史上最も心が震えるロボットの死10選

1:T-800『ターミネーター2』(1991年)
2: コンボイ『トランスフォーマー ザ・ムービー』(1986年)
3:アンドリュー『アンドリューNDR114』(1999年)
4:アイアン・ジャイアント『アイアン・ジャイアント』(1999年)
5:ウォーリーとEVE『ウォーリー 』(2008年)

ランキングにはないが個人的に推したいロボットの話がある。
多くの人同様、私も子供時代に「ドラえもん」を見て育った。中でも、幼稚園児の頃見た「ドラえもん のび太と鉄人兵団」という映画は幼い私に強烈な印象を残した。当時の私には物語全てを理解するのは難しかったが、無意識下では、あの作品をきっかけに「命」「魂」「自我」という概念をあやふやながら初めてイメージするようになったのではないかと思う。

この作品には「リルル」という美少女型スパイロボット(ロボット星から地球侵略を目的として派遣された)が出て来る。母星への忠誠心はあるが人間らしい心や感情を持たないこのロボットがのび太達との出会いやらしずかちゃんとのふれあいやら色々あって自分自身の意志と感情、即ち「魂(ゴースト)」を獲得する。すると、母星の地球侵略に疑問を持ち、自分の任務と友情との板ばさみで苦悩することになる。

そんな彼女の下した決断〜最期のシーンが感動的だった。
まず3万年前の母星にタイムスリップ。自分たちの先祖であるロボット「アムとイム」を作った神=科学者に出会い、年老いて体の動かない彼に代わってアムとイムの脳から争いの遠因となる競争本能を削除し、代わりに思いやりや温かい心をインプット。そのことで母星の歴史が大きく変わったために生じたタイムパラドックスにより、リルルははかなく消滅した。彼女の消滅に立ち会ったのは、しずかちゃんだけ。
彼女は自分の消滅を知りながら、自分の意志でそうすることを選んだのだ。

彼女が消滅していくシーンは、まるで霊魂となって天に召されていくように神々しい。実際、ロボットだったリルルはとうとう自分自身の「魂(ゴースト)」を獲得したのだろう。
歴史が改変されたことで消滅したリルルは、改変後の歴史を辿った3万年後の母星で再び「製造」され、物語のラストでのび太と再会(本人にとっては初対面)する。まるで輪廻転生のように。
弱肉強食の源「競争(闘争)本能」というものの成立基盤には死の恐怖がある。弱肉強食な経済の競争原理にも成立基盤には飢えの恐怖(=死の恐怖)がある。
自分自身の「魂(=不滅の生命)」を獲得したリルルは、それゆえに無意識下で「死の恐怖」というとてつもない大きな壁を越え、そのことがラストシーンにつながる・・・などと勝手に思っている。要するにアニメの攻殻機動隊でラストにゴーストを獲得したタチコマ達と同じ。

住人が皆ロボットなのに戦争や植民地支配や奴隷制度といった地球そっくりの歴史を辿るリルルの母星は、紛れも無く地球の人類史を皮肉っている。
世知辛い世界が今も続く地球。リルルの母星のように私達の歴史のパターンを大きく修正させるには、私達が自分自身の「魂(ゴースト)」を今以上に自覚し、何らかの形で死の恐怖を越える(=競争本能が成立しなくなる)か、死の恐怖(飢えの恐怖含む)を原動力にしない文明を作ることにあるのかもしれない。するとゴースト同士の連携プレーなども出来て今までに無い歴史が作られるかもしれない(そのためには必ずしも自己犠牲が不可欠とは思わないが)。
今のところ、ゴースト同士の連係プレーは人々の無意識下で局所的に発生するのだが人類全体の歴史を大きく変えるには至っていないと思う。
過去記事参照
一番大規模なのは「偉い人の言い間違いとそれを聞いた大衆と検問所の兵士の連携によってベルリンの壁が崩壊した」という事例()だろうか。

争いの人類史を変えていきたいのなら、戦争の悲惨さをひたすらグロテスクにアピールしヒステリックに戦争を憎むことで平和を訴えたり、「悪の国」としてヒステリックに特定の国を憎むことに終始する方法よりも、背後にある人間の原始的な競争・闘争本能や人間が持つ心(ゴースト)に注目する視点からのアプローチ発想がもっと広まったらいいなと妄想する。感情論で歴史は変わらない(というか憎しみは争いを生む)。 占星術ではしばしば死の象徴とされる冥王星が「格下げ」されたことは人々が己のゴーストへアプローチしやすい運気が始まる予兆にならないだろうか(妄想)。
今思えば、私はあの作品のお陰で「心(ゴースト・魂)」というものに関心を持つ素地を得たのかもしれない。

朝、自分が病室で幸せだった人生に満足しながら安らかに満ち足りた気持ちで息を引き取る夢を見た日にこの日記を書けたのも、私のゴースト(主に無意識部分)の仕業な気がする。

あの作品、リメイク版じゃない方もオススメ。

オマケ:
進撃のアドレナリン
↑闘争心についての話。「恐怖」というものに対して安易に闘争心で対処すると大変なことになりうる。それは、「飢えの恐怖(死の恐怖に直結)」に対しても言えること。飢えの恐怖にうっかり闘争心で対処したら共食い(奪い合い)の果てに絶滅の危機。それが現代?→心の飢えが本当の飢えを招く
天空の城ラピュタのオカルト解釈←リルルが無意識下でやった「魂(不滅の命)への目覚め」と「バルス」は同じものを示してる? パズーとシータは、あの時確かに死の恐怖を越えた。

冥王星の降格事件を勝手に解釈

2013年11月20日 (水)

進撃のアドレナリン

※以下は太平洋戦争のベルセルク悲話の余談です。元記事を参照した上で以下をご覧になることをオススメしますが、基本的に全部根拠の無い個人の妄想です。

◆脳内麻薬アドレナリン
私達がまだヒト型ではない小さな生き物だった頃から、危機や極限状態に直面すると自分や群れを守るために恐怖や怒り、闘争本能や逃走本能などを司る脳内麻薬「アドレナリン」を分泌するようになっていた。
最近流行の漫画に「進撃の巨人」という作品がある。あの漫画が描くテーマの一つは「アドレナリン分泌」といえるかもしれない。アドレナリンが分泌される人々とそのシチュエーションを如実に描いている。闘争・怒り・逃走・恐怖・不安(不信)・勇猛(蛮勇)、興奮、断末魔、おまけにベルセルク(火事場の馬鹿力を発揮する素養のある戦士)まで描かれている。アドレナリンが流れる場所は交感神経。ちょうど巨人の急所付近だ。

あの漫画の「巨人」は、私達が小さな生き物(よく捕食されてた)だった頃から持っていた「恐怖」の視覚化なのだろう。「壁」は無意識下に潜む恐怖が顕在意識に侵入しないように(顕在意識が恐怖を感じないように)抑圧・遮断する心理的な壁か。
恐怖というものは、理性や判断力をはじめ、人々から心の自由を奪ってしまうことも多い。非常事態に直面しパニックに陥るケースはいくらでもある。他にも、過去に発生した恐怖によって心の自由を奪われることもある。

※例えば、過去に体験した強い恐怖を無関係な物事に連想、投影、同一視し無関係な物事にまで恐怖を感じてしまい、本当に怖いものが何なのかを混同してしまう例もある。その結果変な思い込み(妄想や疑心暗鬼)に惑わされたり、本来は怖くないものを恐れてパニクったり逃げ出したりと様々な形で理性や冷静さを奪い、思考・行動を歪め失敗や判断ミスを誘発するケースは多の人が経験しているだろう。これが恐怖ではなく怒り(闘争心)を無関係な物事に連想・投影・同一視してしまえば、無関係な物事への八つ当たりやケンカにだって発展しうる。あるいは過去の恐怖を連想・投影・同一視した無関係な相手対して反射的な怒りや闘争心を持ってしまうこともある(克服すべきは過去の恐怖や怒りであって相手ではない)。

◆恐怖は「敵」じゃない
恐怖にせよ怒りや闘争心にせよ、アドレナリン分泌の作用は時に巨人のような力で私達から理性や判断力や心の自由を奪ってしまう。強い恐怖は意識から締め出そうと心理的な壁を作っても崩されてしまう事だって多い。その状態はまさしく人類にとって憎らしい「天敵」であり、それにどう打ち勝つべきか苦悩し葛藤する人々の様子をあの漫画は象徴的に描いている気がする。今のところ主人公達は「恐怖」をやっつけるのに「闘争心(怒り)」で対抗しているようだ。主人公が巨人化して巨人と戦う様子は「闘争心vs恐怖」って感じがする。
私には、「恐怖」という巨人に対して、「恐怖を上回る闘争心を出して巨人をやっつけるのだ! 闘争心が出れば勇気も出るから死だって怖くない。アイツを死んでも倒す!!」という発想には少し懸念がある。恐怖と闘争心はどちらもアドレナリンの担当なのだ。即ち闘争心は恐怖心の裏返し。恐怖(アドレナリン)に闘争心(アドレナリン)で対抗したら闘争心に力を注いだ分だけ恐怖心にも力を与えてしまうことにならないか? アドレナリン出しすぎてわけが分からなくなりそうだ。

あの作品における「巨人」がもしも恐怖の象徴であるならば、彼らは「殺すべき者」ではなく、「暴走させずにうまく付き合う者(連携すべき者)」のような気がする。暴走しないで正常に作動する「恐怖」の機能は、危険を察知し身を守るための大事な生命維持装置の一つである。過去に恐ろしい事態を引き起こした原因が未だ改善されずに自分の中で放置されていることを知らせる(ふとした時に過去の恐怖体験を連想させる)ことさえある(そんな『お知らせ』をうまく扱えずに先述の※みたいな暴走事例が起きるわけだが)。
そんな命を守るために生み出された機能(=恐怖)自体を殺してしまったら、それはそれで危険だ。恐怖が問題なのではなく、恐怖を引き起こす事態や原因の方が問題なのだ。その事態や原因から目を背け封印し押し殺そうとすると(抑圧すると)、恐怖は暴走する。正常に危険信号を出しているのに無視し抹殺しようとするからだ。
そういえばあの漫画、「巨人を絶滅させてめでたしめでたし」という展開にはなりそうにない。

また、壁を作って恐怖心を意識から締め出そうとすると、却って恐怖心を強調してしまうことがある。恐怖心(ないし他のネガティブな感情)を動機や理由にした行動や思考は、そのこと事態が恐怖心を強調するのだ。
(占い依存症にもこの仕組みが働いてるケースがある)
恐怖の強調。巨人を遮断するはずだった壁の中から巨人が生まれる描写は、そういうことが表現されている気がする。

◆「アドレナリン依存症」という巨人
私達は太古から危機に際していつもアドレナリンを分泌してきた。当初は自然な生存本能としてやっていたことだったから特に問題はなかったのだろうが、理性や知性を得る頃になっても何かあるとついつい原始的な闘争心(アドレナリン)で何でも解決しようとしてしてしまい、解決できなくて問題から目を背け無かったことにしてしまおうとする。すると今度は無意識が恐怖や不安(やはりアドレナリン)という形で信号を出すが、それに対してまた原始的な闘争心(アドレナリン)使って対応するだけ。以下無限ループ。
やがてアドレナリンが必要以上に沢山出るようになって制御しきれずに心を支配され、理性や判断力を奪われてしまうケースが発生するようになった気がする。元記事の「ベルセルク暴走」はその典型例だし、戦後の左翼紛争もベクトルは違えどその一例である。残念なことに、私達はベルセルク呪術に依存し縛られ支配されてしまった頃や左翼紛争が発生していた頃、というかある意味小さな生き物だった頃からあまり進歩しておらず、今までと同じパターンにはまる可能性はまだ残っている。

例えば、不景気になると人々の無意識下では「飢えの恐怖(死の恐怖と直結)」が音も無く頭をもたげ、やがて顕在意識領域にまでじわじわと浮上してくる(時には漠然とした不安感というあいまいな形で)。それに対処するため、人々は更なる闘争心をかき立てるべくアドレナリン分泌に依存する。結果的に、闘争心用のアドレナリン分泌を促進するような刺激をもたらす様々な娯楽や共同幻想や社会運動、政治リーダーなどが発生し人気と注目を集めることになる。そういうものから刺激を受けアドレナリンを増やした人々は恐怖や不安以上に好戦的な興奮を覚え、「弱肉強食に支配された世界の中でかっこよく勝利するファンタジー」を好む傾向になり、「弱肉強食がルールという前提からの脱出」という発想には意識が向かなくなる(闘争心が強まるため)。アドレナリンは、命が弱肉強食を前提とした世界での生き残りを求めて生み出した脳内麻薬でもある。それに依存している限り、弱肉強食がルールだとする暗示から抜け出せない。

それで結果的に、古今東西で不景気な時代には過激で好戦的な思想・主義(共同幻想・ファンタジー)やそれを吹聴する者が元気になりやすいわけだ(今もそんな時代?)。しかも、ファンタジーと現実の区別をわざとあいまいにさせる。そんなもんだから不景気と戦争は相性がいい。そしてひとたび戦争となれば現実は闘争心に負けないぐらい強い恐怖を撒き散らす。その恐怖から逃れるために更に強い闘争心をかきたて(時にそれがベルセルク現象を引き起こし)、それが更なる強い恐怖を呼び、恐怖と闘争心の間で半狂乱になる。恐怖と闘争心は同じアドレナリンの担当分野。オセロの裏表だ。アドレナリンのファンタジー(闘争心による麻酔・幻想)から現実に引き戻された時のショックは大きい。そして残るのは、「好戦的な共同幻想に逃避して感情を満たすために大きすぎる犠牲を生んだ」という傷だ。
あの漫画も、不景気にあえぐ現在の集合無意識が作者にインスピレーションを与えたのだろうか?

なお、「社会不安」という辛さにアドレナリン分泌で対抗する方法は、単なる紛らわし行為でしかなく、根本解決ではない。紛らわすだけでは社会不安の原因に光が当たっていない。
時に私達の生命維持装置は、過去に恐ろしい事態を引き起こした原因が未だ改善されずに放置されたままだと、いくら紛らわしても不安や恐怖といった警告信号を送ってくる。社会不安の原因を「アドレナリン(闘争心)不足だ」と偽りの結論を出して原因と向き合うことから逃げている限り、不安や恐怖は消えない。偽りの結論に基づいて恐怖を上回る闘争心を作らせていたアドレナリン分泌が、いつ「闘争心を上回る恐怖」へとベクトルを変えるか分からない。それはそれでコワイ。
(巨人と戦う側だったキャラが巨人化するというストーリーはそこら辺と関係してそうだ)
むやみに闘争心に依存することは、それだけ「現実と向き合う・腰を据えて根本解決を探る」ことに対して臆病な証なのかもしれない。
闘争心(戦い)の生まれる動機や原因に不安や恐怖がある。それらが無くては戦えないし、戦わない。

◆恐怖の原因と向き合い対話する
元記事にも少し書いたが、私達が本当に克服すべきものは、己の中に住む「アドレナリン依存症」という見えない巨人なのだろう。アドレナリン依存症から抜け出すのに必要な力は、何かあればむやみにアドレナリン分泌(原始的闘争心)で解決する発想(知性や理性が無かった頃の名残り。一種の先祖がえり)に依存することから卒業し、恐怖の原因(問題)から目を背けずに向き合う非アドレナリン系の冷静な勇気(闘争心には属さない勇気)なのだろう。恐らくそれは、知性や理性を知らなかった太古の祖先は持っていない力だ。アドレナリン系の「勇猛(蛮勇)」とは異なるそれこそが、今の私達に必要な真の勇気なのかもしれない。というかそれはいわゆる「勇気」とは違うものなのかもしれない。「叡智」とか「聡明さ」とか、「進化」・・・あるいは真実を突き止めようとする「探求心・好奇心」というべきかも知れない。それは恐らく、勇猛とは異なる方向で死の恐怖すら越えうる可能性秘めている。

社会不安に対して大衆がアドレナリンによる紛らわし行為をした挙句ヒステリックに暴走する有様は、社会が見えない巨人に支配された状態だ。要するに見えない巨人を作り出し大暴れさせてしまっているのは、自分達自身というわけだ。つまるところ、巨人とは私達自身なのだ。
自分達が今感じている不安や恐怖という信号の発生原因に対して、冷静に光を当て、分析し、背景や原因を探る。今何故恐怖(不安)が発生したのか、それはどんな恐怖なのか、どうしてそれが怖いのか、そうなると何が一番怖いのか・・・などなど、その恐怖が生まれる背景に何があるのか。まずは原因を探るために恐怖の特徴と恐れずに向き合い、「何故その様な特徴があるのか」を問いかける。逃げないで問題の本質と向き合い解き明かそうとする姿勢を持つこと、そこに情熱を傾けることが暴走を制御するコツの一つ。アドレナリン依存症からの卒業を目指す私達に必要なことは、そういう解決発想なのだろう。
(例:買占めパニックを引き起こした恐怖について探ってみた
個人的には、多くの恐怖や不安が生まれる背景には「死の恐怖」があると見ている。不景気による社会不安も然り。死の恐怖に対して、アドレナリン系の原始的方法とは異なる方法で対処できるようになることがカギではないかと思っている。

余談:
原因と向き合う発想は、自分が過去に体験した不安や恐怖や怒りといったアドレナリン系の感情を無関係な物事に対して連想・投影・同一視し混同している可能性のある状態に陥った時も応用できる。コントロール困難な激しい感情を抱いた時には一応やってみるといい。
まず、不安や恐怖や怒りを感じている自分の心に対し、「かつても同じような感覚を味わったことが無かったかどうか」と問いかける。もしも身に覚えのある感覚であるならば、この感覚を味わった時の事を思い出す。昔何に対してそんな不安や怒りを感じたことがあったのか、それのどこが一番嫌だったのか、どうしてそれが一番嫌だったのかを思い出したら、何故その感覚が今になって無関係な別物に連想・投影されたのか。どこがどう似ていたのかを比較してみる。
すると、投影対象への恐怖が消えるので落ち着いて色んな事が分かってきたりする。本当は何を恐れ嫌がっているのか(何を愛するゆえなのか)とか、解決策も分かることが多い。割とマジで。
その謎解きは、怖いと思い込んでしまうことが多いのだけど、むしろ新たな発見を得る謎解きのワクワク感さえある。

万一の何かがあったとき、アドレナリンじゃなくてこっちを上手に使えるようになればとんでもない進化だと思う。そもそもこれ使えたら「万一の何か」を発生させうる運気(因子)が成立しないかも。

魂の環境インフラ
運勢の神業
天空の城ラピュタのオカルト解釈
鍵を握るのは、「ゴースト」だ。

復讐心の裏側は・・・
依存ビジネスの心理的手口
死は感情を満たす道具?

2013年11月16日 (土)

ルパン二次創作動画

ここ数年の金曜ロードショーよりはるかにストーリーも演出もよく出来てる。予告もいい。

ジブリがルパンやってくれないかな・・・

2013年10月10日 (木)

デフォルト騒ぎで妄想

米国デフォルトなら未曾有の大惨事-リーマン・ショック凌駕
米デフォルトに備える投資家、あの手この手でリスクヘッジ
リセッション迫る米経済-財務省が国債デフォルト回避でも
デフォルトの脅威にも動じないティーパーティー

※以下に書いたことは当然ながら全て個人の妄想です。

最近アメリカの議会が政策でもめてデフォルトする・しないとか言うチキンレースみたいな騒ぎが起きてるもんだから、「ドル」という連想から陰謀論めいた空想遊びをやってしまった。題材は宮崎駿監督の「ルパン三世 カリオストロの城」。伊勢の遷宮で臨時祭主をした黒田清子さん(通称サーヤ)の大好きなアニメの一つである。 今回はクラリスに自己投影したサーヤの視点ではなく、以下のようなオカルト視点を当てはめてみた。

カリオストロ公国(ゴート一族)・・・・・・アメリカ合衆国

クラリス・・・・・・・・・・・・アメリカ国民。彼らの政府には造幣権が無い。

カリオストロ伯爵・・・・・・アメリカの繁栄を陰で支えてきたもの。汚れ仕事多し。
               軍産複合体や造幣権を持つ連邦準備制度(FRB)などなど・・・

ゴート札・・・・・・・・・・ドル札


以上の設定を踏まえてあの作品を見ると意味深だ。特に以下のセリフ・・・

クラリス「人殺し!、あなたは人間じゃないわ」
伯爵「そうとも。俺の手は血まみれだ。が、お前もそうさ。我が伯爵家は、代々お前たち大公家の影として、謀略と暗殺を司り国を支えてきたのだ」
クラリス「放して!、汚らわしい」
伯爵「それを知らんとは言わさんぞ。お前もカリオストロの人間だ。その身体には俺と同じ古いゴートの血が流れている」
・・・思わず耳を塞ぐクラリス

伯爵「クラリス、400年の長き年月、光と影に分かれていた2つのカリオストロ家が、 今、1つになろうとしているのだよ。ご覧、我が家に伝わる金の山羊と、君の銀の山羊の指輪が1つに重なるときこそ、秘められた先祖の財宝が蘇るのだ」

暗示の力で人形のように操られ結婚式へ参加する(=伯爵の陰謀の道具にされる) クラリスのシーンなんて、上記の視点を当てはめたらそのまんま「プロパガンダの暗示によって強いアメリカを信じ煽動され利用される国民」である。まさにスケープ「ゴート」だ。
その場合、ルパンはさしずめアメリカ人の集合無意識が召喚した「秩序(暗示)をひっくり返すトリックスター(タロットの愚者・トランプのジョーカー)」か。それは必ずしも人の姿を取らない。その正体は運勢かもしれない。
デフォルトする・しないに係わらず、アメリカのチキンレースが世界に(そして集合無意識に)与える影響は既に大きい。アメリカが今まで通りの運勢を維持することも難しくなるだろう。そうなると「ルパン」が来るかもしれない。

(追記)政府閉鎖の影響で止まってしまった米議会の屋外時計なんか作品のクライマックスシーンに出てきた時計台に見えるw

伯爵が手間隙かけた陰謀をはりめぐらし必死に手に入れようとしていた「封印されし先祖の財宝」。しかし財宝の正体を早い時期に知っていれば、俗物の彼はそもそも陰謀なんか企まなかっただろう。
オカルト解釈だと財宝の正体である「遺跡」というものは、「無意識の世界に潜む叡智」だとか「高い精神性(霊性)がもたらす不変の価値」とかいったシンボルになる。その財宝を扱うには、高い精神性やスピリチュアリティが必要なわけだ。ルパンが「俺のポケットには大きすぎる」とあきらめたのも無理はないw
あの作品を作った当時の宮崎駿氏の無意識下を想像するに、ラストに出てきた「遺跡」はがやがて「天空の城ラピュタ」を生み出す源のインスピレーションへと発展していった気がする。
オカルト的に見た場合、「ラピュタ」で象徴的に描かれているテーマと「遺跡」が象徴するものは、恐らく同じだ。
天空の城ラピュタのオカルト解釈

サーヤがこの作品を好んだ理由についての妄想はここのラスト、「余談」参照。

鬼門のボストン 裏鬼門のテキサス←テキサスといえば共和党
日本最鬼門で起きてること←「10.4追記」参照
オバマ氏占ってみた
暴落にまつわる奇妙な話←三浦さんがエベレストに登る年は世界的に経済が荒れるジンクスw

10.11追記
米下院共和党、無条件の債務上限短期引き上げ検討=関係筋
軍産複合体をパトロンにしている保守系シンクタンク「ヘリテージ財団」が無条件の債務上限引き上げを求めていた結果の検討だという。共和党としては、政府機関の閉鎖を維持したまま債務上限だけ引き上げるとオバマケアの変更を迫る時間稼ぎになるとか。しかしホワイトハウス曰く、「政府機関が再開するまで交渉はしない」そしてこうなる→債務危機回避、合意至らず=米大統領、共和党案に難色-政府再開めぐり協議継続
ヘリテージ財団といえば、こんな陰謀論もある。「カリオストロ伯爵」っぽいw

10.12追記
米下院共和党、債務上限の短期引き上げを提案-11月22日まで
共和党が11月22日までの引き上げを提案とのこと。オバマ氏占ってみたに書いたが、オバマ氏のホロスコープ(生まれたときの天体配置)には木星と土星が合わさった「キリストの合」という星の配置が発生している。キリストが生まれた時も空では木星と土星が合わさってたという伝説に由来する。「キリストの合」が意味することは「やめるべきことをやめ、始めるべきことを始めるという重い責務」といった表現がされている。
11月22日は月日の合計が33。偶然にも、キリストの享年と同じだ。オバマ氏は重い責務を全う出来るだろうか?
10.17
米国債デフォルト回避へ、胸なでおろす株式市場
今回のチキンレースは、オバマの勝ちらしい()政府閉鎖の解除、上限引き上げ2月7日までに決定。
10.18
「神をたたえよ」、米下院で速記官叫ぶ 議員らあぜん
“金融界のスノーデン”が内部告発 これが米ドル崩壊シナリオ

「ドル紙幣は、財務省ではなくFRBが発行している。FRBは意図的に米政府に大量の借金をさせ、その金利でうまい汁を吸ってきた。それが米財政の巨額赤字の原因になった」
「中央銀行は、対価として提供するゴールドがないにもかかわらず、ドルを売っている。これは完全に詐欺だ」

10.20
共和党、チキンレースでオバマに負けて仲間割れの模様(記事)。やはりここにも「ヘリテージ財団」の名前が。

2013年9月 5日 (木)

宮崎駿氏占ってみた

月と水星が強いスクェア
神経質で移り気。情緒不安定。イライラしやすい。実際に感じることと表現することとのあいだにギャップがある。虚言癖、または、生まれ育った環境のせいで気持ちを素直に表現できない。行動にも気紛れで軽はずみな要素あり。知的好奇心は旺盛だが、飽きっぽく、物事を表面的にしか理解しない傾向あり。
(頭は良いけど葛藤が多いタイプの星回り、頭の回転率はとんでもない人だと思う。宮崎氏曰く『昔のインテリは内気だからではなく、頭が良すぎて言葉数が少ない』とのこと。彼自身がそういうタイプかも)

木星と冥王星がスクェア
暴走の可能性を示す世代的座相。
(生まれた頃は国が暴走してて、学生時代は学生運動全盛期)

木星と土星が合
いわゆる大合。20年に1度生じる。アクセルとブレーキの結合。表裏一体を成す権利と義務。やめるべきことをやめ、始めるべきことを始めるという重い責務が課せられた世代。この年は社会的にも重大な分岐点になりやすく、吉と出るか凶と出るか両極端。開戦に向かう 1940-41年は凶と出た例。西暦2000年に再び大合ができる。世代的な座相であるが、個人的な意味もかなり強い。この合を持つ人は、運命的に重い責務を背負う。キリストはこの大合を持つといわれる。
(常に時代の先を見通した作品を作って来ただけに、すごい意味深。オバマ氏や麻生氏と同じ星回り)

火星と海王星がセクスタイル
情熱とビジョンの調和。未来に向けて美しい夢を描き、夢の実現のために情熱を傾ける。勇気があり、勘も鋭い。直感的に大胆な選択をできる。

水星と土星がトライン
 知性・表現力と抑制の調和。研ぎ澄まされた簡潔な表現をなす才能ないしは素質を持っている。勉学においては、地道で着実な努力を行い大成する。どちらかといえばやや陰気だが、控え目で魅力的な人柄。

火星と冥王星が弱いトライン
異常なまでの情熱の持ち主。揺るぎない勇気をもって、とことん頑張ることができる。肉体的な愛情関係において、官能的な強い喜びを得ることができる。
(空を飛ぶ描写に優れている宮崎氏。夢判断では、異性と一緒に飛ぶイメージはその異性と『身も心も結ばれる』ことを象徴する。彼の作品に出てくるヒロインは彼のアニマなのだろう。よく空を飛んでいる。最終作品に至っては、飛行機自体に菜緒子というアニマが投影されている)

太陽と水星が弱い合
活力と知性の結合であるが、あまり強い意味はない。一応、インテリタイプの合理主義者と解釈できる。しかし、他の配置によっては、太陽の「消耗」というマイナスの意味が出て、なまくらな知性、あるいは神経衰弱となる。
(幸いにして神経衰弱はしなかった模様)

土星と冥王星がごく弱いスクェア
信じられないような恐ろしい災難、最悪の事態、極度の試練を暗示する世代的座相。およそ10年ごとに生じる。
(そんな時代を潜り抜けてきたし、そんな事態を描く作品も多い)

太陽と月がごく弱いスクェア
半月または満月の日の生まれ。満月(衝)の場合、エネルギッシュで、鋭敏な感受性を持つが、やや浮ついている。浮き足だったり、調子に乗って浮かれ騒ぐ傾向。半月(スクェア)の場合も、内面的なエネルギーは高い。人生において、たびたび今までのやり方を見直し、反省する必要に迫られる。その努力を惜しまなければ、飛躍的な発展につながり吉。
(彼は半月生まれ。文明に対して『今までのやり方を見直せ』と促すメッセージの作品が多い)

水星と木星がごく弱いトライン
高度な知性を持つインテリ。こけおどしや表面的な雄弁ではない堂々たる表現力を持つ。生き生きとした精神の持ち主。陽気で高潔。フットワークも軽やか。さわやかな好人物。
(あんな表現力を持つ人はめったにいないかも)

天王星と海王星がごく弱いトライン
平均すると半世紀に1度ほど生じる世代的座相。美しいビジョンにもとづく変革を表す。とくに意識の変革という意味がある。
(彼の作品が人々の集合無意識に与えた影響は計り知れない)

海王星と冥王星がごく弱いセクスタイル
信じられないような夢をもたらす世代。終戦直後の1940年代後半、および1960年代にもこの角度ができている。
(本当に沢山の夢を見させていただきました)


余談:
幼児期にナウシカを見て衝撃を受け、ジブリを見ながら大人になり、小学生から読み始めたコミック版ナウシカは感性に多大なる影響を与えた。常に彼の作品から刺激を受けそれを栄養として育ってきただけに、宮崎氏の引退は非常に感慨深いものがある。
個人的な話で恐縮だが、実は彼の引退発表の日は私が幼少期から抱えてきた非常に厄介な問題に解決の糸口が見えた日でもある。この個人的なシンクロニシティー、宮崎氏の作品が問題を抱えて原因も解決法も分からずさまよっていた私に心の支えをくれていた日々を思うと、ある種の「卒業」を迎えたような気分になってしまった。

ありがとうございました。あなたに頂いた心の糧をムダにはしません。


崖の上のポニョとカタストロフィ
宮崎監督、震災について語る
もののけ姫を心理学的に妄想
「天空の城ラピュタ」のオカルト解釈
「風立ちぬ」見てきた

2013年8月 4日 (日)

「天空の城ラピュタ」のオカルト解釈

久しぶりにTVで「天空の城ラピュタ」を見た。私がジブリ作品の魅力を初めて理解できるようになった作品でもある。花が咲き乱れるラピュタの風景は、いつ見てもはっとする美しさだ。
スチームパンクのモデルになった時代は、科学の発展の背後で目に見えない世界(オカルト)への関心が高まった時期でもある。

※以下は個人の妄想です。

ラピュタ
人間の脳みそ・意識・精神世界の象徴。平和や愛といった穏やかな心、人知を超えた力、エゴイズム等を併せ持つ。とくに人知を超えた力の象徴として描かれている。

ラピュタの中心にある大きい飛行石
松果体(松果腺)。悟り(大きい直観)やグノーシス、アセンションといった類の象徴。ヨガでいう「第3の目(第6チャクラ)」を司る脳の部位。デカルト曰く、「魂の座」(ここがゴーストと交信する機能を持つ)。
物理科学を超えた霊感やサイキックな能力や悟りには松果体の覚醒が関係しているが、人間は松果体の機能がほとんど覚醒していないという。(霊感やサイキック能力はエゴイズム抜きの平和利用に限定しないと非常に危険なため、エゴイズムの因子があるうちは本格的な覚醒が出来ないというオカルト説もある)
ラピュタの人知を超えたテクノロジーは人知を超えた松果体の能力(テクニック)を象徴。

シータ
パズーのアニマ。パズーの無意識下に秘められた平和を愛する心と直感力(磨き積み重ねれば直観へ至る)の象徴。
人間の脳波の中には瞑想やヨガ等をしている時にしばしば発生する「覚醒θ波(かくせいしーたは)」というものがあるが、これは直感やひらめきを促進する効果がある。心を静めないとこの脳波は出ない。

シータの小さい飛行石
パズーとシータを松果体の覚醒に導く直観力や直感力の象徴。(直観と直感の違い←直観の方が第6感に近いらしい)
ムスカの手の中でシータの落とした飛行石がラピュタの位置を指し示す光線を発したシーンでは、光線がムスカの眉間(=第3の目・松果体の位置)に当たるところが印象的。

ラピュタに張り巡らされた無数の樹の根
神経(ニューロン)。脳(ラピュタ)は樹(神経)の塊でもある。

様々な役割を持つラピュタのロボット達
様々な神経伝達物質

地上に落ちてきたラピュタの戦闘ロボット
アドレナリン(攻撃や闘争、恐怖を司る神経伝達物質)。これが分泌されると覚醒θ波は出せない。スピリチュアル風に言うと「意識の次元を高く保てない」

ラピュタ下部の半球状の黒い機構
エゴイズムや自我肥大など、仏教的に言うと「悟りを妨げる煩悩」、スピリチュアル的に言うと低次元な意識状態の象徴。基本的に弱肉強食の発想で、攻撃と闘争と恐怖の力(=アドレナリンの力)を用いて周囲を支配することでエゴを満たし弱肉強食からの勝利と安心を得ようとする心の象徴でもある。人間の脳が持つ爬虫類的な部分が必要以上に肥大した状態。
これがラピュタの上昇(アセンション・グノーシス・悟り・松果体覚醒etc)を妨げ、テクノロジー(人知を超えた松果体の力・魂の力)を次元の低いエゴイスティックな目的で用いるようになってラピュタは滅んだ。

ムスカ
パズーの中にあるエゴイズムや自我肥大の因子。弱肉強食を前提に「力(パワー)」を志向し、攻撃と闘争と恐怖を利用して己のエゴを満たそうとする者で、いわばラピュタの黒い機構を擬人化したもの。サイキックな力(松果体の機能)をエゴイズムの充足に悪用し、自分が人間以上の存在(世界の王)になろうとした。世界を支配する王になる=世界全体を自我の延長にする=自我肥大。
多分、かなりコンプレックスも抱えてるキャラだと思う(パズーのコンプレックスを象徴してるのだろう)。コンプレックスもまた「煩悩」の一つである。

「バルス」
ラピュタの黒い機構部とその支配範囲を崩壊させる呪文。トルコ語で「平和」という意味。自我肥大やエゴイズム、低次元な意識状態、煩悩などといったものを崩壊させる力がある。この呪文が発動した場合、ラピュタ(脳・意識)の中でも平和的な部分と飛行石だけは崩壊せずに残って上昇する。
要するに松果体の覚醒(ラピュタの上昇・アセンション・グノーシス・悟りetc)を妨げる要素を取り除き浄化する力があるようだが、その力を出すには色んな体験を積み重ねたパズーとシータ(顕在意識と平和を愛する心・直感力)が成長し、様々な執着(時には肉体への執着=死の恐怖さえ)よりも人類愛を選ぶレベルに達し、心が一つになった連携が必要。
バルス直前にシータの髪が断ち切られるが、彼女の髪の毛が時に直感を鈍らせる余計な執着を象徴しているのかもしれない。ムスカはシータの髪の毛を掴んで捕らえてしまった。余計な執着でエゴイズムに囚われるのは人の性か。そしてパズーは、シータの髪が断ち切られる頃、生への執着より人類愛を選び、命と引き換えにしてでも滅びの呪文を発動させることを決意するに至ったのだろう。それはシータも同じだった。
二人の意識は個体(自分の肉体)の視点を超えて種族レベルの視点(種族魂の視点)に意識が合一し、自分にしかできないことをすることで己自身を最大限に生かして己の種族そのものが持つかけがえのない可能性を未来に生き延びさせることを喜び愛する高い視点と心を獲得した。個体(肉体)レベルの視点を超えて種族と合一した意識は種族の視点で物事を見るので本能的な種族愛(人類愛)を獲得し、それまで自分が種族の一端末として使っていた個体(肉体)の死を恐れない。
種族の本能は通常なら個体視点で個体を守ろうとするが、時に個体の意識が己の属する種族の意識と合一することで種族としての視点に基づいた判断で個体(一時的に使用する自分の端末の一つ)の維持よりも種族(=自分)そのものの未来と可能性を最大限に発揮するために特性の適した己の個体を活用し、結果的に個体維持が出来なくなっても恐れず悔いない本能も併せ持つという。これは種族自身の意思と都合でのみ発動する本能なので個体レベルで他人が他人に強要しても発動しない

失明のムスカ
サイキック能力の覚醒や悟りを促進させるというある種のヨガテクニックの中に、「エゴイズムが残った(煩悩が残った)まま実行してはいけない」とされるものがある。エゴイズムが残ったまま(エゴイスティックな目的で)そのテクニックを松果体に対して強引に強行すると、神経系統が耐えられずにショートするという。松果体のそばにある視神経もやられてしまう。人知を超えた力はエゴ(人知)の手に余る。
エゴだけでイメージした喜びや幸せの姿(世界の王として君臨すること)よりも、エゴの向こうにある高次の無意識領域(心の底・魂)からやってくる喜びや幸せ(シータという存在)の方が勝ることをパズーが知ったことでムスカは倒れた。

【余談】
宮崎駿氏には、「人が空を飛ぶ」ということへの根源的な憧れを巧みに描く才能があると思う。今年の新作「風たちぬ」にもその才能は如何なく発揮されている。
空を飛ぶことは低い地上の束縛から解き放たれ神の視点を得ることと同じだ。即ち松果体が覚醒する=低次元の意識状態から解き放たれ高次元の境地を得ること。それは、現在の人類にとって畏怖であると共に根源的な憧れなのかもしれない。
(人類という種族の脳が進化してそれを実現したら、戦争はなくなるだろうね)

次回、「風立ちぬ」についての感想とオカルト妄想(蛇足)を書いてみようと思う。
「風立ちぬ」見てきた

2013年6月24日 (月)

本気で架空のキャラを愛する人々

ちかごろ、以前に書いた恋人は、誰よりもあなたのそばに?探し求める存在は、もしかすると・・・エア恋愛の意味・・・とりわけ童貞のまま30代で死んだ男の誕生日「草食化」という本能?といった一連のテーマと非常にマッチする動画を発見したのでご紹介。

この動画は、アニメを媒介(きっかけ)にして己の内なる「アニマ(※)」を愛してしまった男達の心と生き様が記録されている。アニマとの出会いは時に奇跡的な変化をもたらす。

アニマ:
心に住む理想の女性像。しばしば本人の抑圧された個性や可能性や欲求のシンボルになっている。この男性版を「アニムス」という。「自分」という魂の片割れともいえる。
年齢や精神的変化に伴ってアニマ・アニムス特徴が変化していくこともあるので、常に同じタイプの女性像・男性像を好み続けるとは限らない。

見ているものはアニマか人間か←この記事も同じテーマを扱っている。アニマの投影対象が2次元キャラかアイドルかというだけで、心の中で行われている事は同じだ。

好きになったキャラのどの部分に自分のアニマ・アニムス(抑圧された個性や可能性や欲求を象徴表現した理想の女性像・男性像)を投影しているかで、自分が無意識下でどんなことを 求めているのかがわかる。
自分の理想を投影しているのは、そのキャラのどの部分か。そのキャラの一挙手一投足、言動の全てが自分の理想(アニマ・アニムス)を体現などしていないはず。ほんの一部分にすぎないはず。
もしもそのキャラの有様が100%自分の理想を体現しているのだとしたら、それはもはや他人ではなく、「本人(自分の脳内が物質化)」になってしまう。本当に脳内物質化現象が起きたらそれこそ超常現象だ。

無意識下で気づかずに「そのキャラの100%全てが自分のアニマ・アニムスを体現している」と勘違い・錯覚する(ほんの一部分を針小棒大に拡大解釈する)ことで他人とアニマ・アニムスの混同・同一視・すり替えが発生する。
そのキャラがそのような有様に見えるのは、自分の中にそのような理想(アニマ・アニムス)があるから。そのキャラは他のファンから見た場合と自分の目から見た場合とで全く同じ見え方はしていないはず。
「嫁」とは、そのような姿のアニマ・アニムスを持っている自分自身の中にしか存在しない。
そして、最初からこの世のどこにも存在しないが、自分自身の中に確かにあって、世界で唯一自分にしか体験できない(出会えない)存在でもある。嫁は誰よりも自分に近いところに存在している。 最初から自分の中にしか存在しない。

heart012次元キャラを本気で愛してしまった皆さんへ
皆さんのその心は、決して異常なものではありません。人類がずっと長い間やってきた「恋愛」と本質的に全く同じものです。よって、自分の恋愛感情や精神性を異常視して劣等感や厭世感を持つ必要はありません。
「恋愛」というと、今まで人類の間では生身の実在する人間にアニマやアニムスを投影して交際を求め叶えようとするタイプの恋愛(ある意味互いに相手を投影スクリーンとして利用する取り引き・駆け引き・協力関係)が主流でした。ある意味、「どんなに色んな人と交際しても、そこに見ている相手は同じただひとつの者」だったりすることがままあります。

しかし最近は他人を投影スクリーンとして使わず (ゆえにそのためのかけひきや協力関係を作らず)、もっと自分のアニマ・アニムスを投影するのに適したカスタマイズが出来る別のもの(例:いわゆる『二次元嫁』やオリジナルキャラ)を利用することでより直接的に自分のアニマ・アニムスを感じとり対話することで己を理解し成長・成熟しようとする傾向が増えているようです。そのような恋愛を通してなされる成長や成熟は、従来型の「男女の駆け引き」を用いてなされる成長・成熟とは少し趣が違うかもしれませんが、 それはそれで従来時代には無い新しい可能性を生むでしょう(コミュニケーション能力の発達をないがしろにすべきだという意味ではなく)。
時代が進むにつれ恋愛の舞台が社会的な場所から、より個人的、精神世界的、内面的な場所にも広がっていくことで多様化し、「恋愛」の定義が多義的になっていくのかもしれません。
皆さんの中には「恋人がいない」と嘆く人もいますが、皆さんはとっくに「恋人」がいます。むしろ浮気もせずその恋人(心に決めた人)だけを見てきたと言えます。
あの天才レオナルド・ダ・ヴィンチもその様な恋をしていた可能性があります()。

animation(アニメーション)は、ラテン語で霊魂を意味するanima(アニマ)に由来しており、生命のないものに命を与えて動かすことを意味します。つまり、アニメの語源は理想の女性像「アニマ」とスペルが同じです。生命の無い単なる2次元画像の集合体。それが視聴者達に配布された先で視聴者本人の魂の一部から出来た命(=アニマ・アニムス)を吹き込まれることがあったとすれば、それは語源が持つ運命のようなものかもしれません。
愛するお相手の姿・形は公式作品のキャラを借用していますが、それは紛れも無く「昔から自分の中にいた存在アニマ/アニムス」です。彼らはその作品が生まれる前から存在していたので公式設定やストーリー等の制約を受けず自由に生きて動ける存在です。公式設定に縛られない二次創作の同人作品がその証。
心にいる彼らはあなたに自分が動いている様子やシチュエーション等を「ふとイメージさせる」ことであなたにメッセージを伝えてきます。心に浮かんだそのイメージが何を象徴しているのかを解き明かしてください。彼らの見た目、特徴、どこでどんな動きをしているか等から「それらが象徴的に何を意味するか」を解き明かしてください。暗号めいたやり方ですが、それが彼ら(彼女ら)との交信手段になります。
彼らと出会えたこと、彼らを愛したことで生まれて初めて味わう心情や感覚を体験したはずです。もはやそれを体験する前の自分には戻れないでしょう。生まれて初めて自分の愛する気持ちを相手に向かって(密かに)まっすぐ表現できた人も居るでしょう。そのような唯一無二の人生経験をさせてくれることが、彼らの愛です。彼ら(=アニマ・アニムス)があなたの愛に応えてくれた証です。
彼らの愛に対して感謝の気持ちを伝えるのも一興。

皆さんの愛するお相手は確かに3次元世界には実在しない存在です。しかし皆さんの精神の世界、即ち2次元を2乗した4次元の世界において確かに実在する存在であり、確かに皆さんの心と人生に作用しています。皆さんは2次元の存在を愛しているように見えて、実際は4次元の存在を愛しているといえるでしょう。
愛する相手は誰にも見えない場所に居ますが、誰よりも近い場所に居ます。あなたの魂の片割れが共に生きられる唯一の相手は、あなたしか居ません。一度共に生きることになれば、その生き方は今後実在の人物と恋愛し結婚しても続く関係です。人間は誰とどんな関係になろうが自分の魂と人生を歩んでいるからです。
その体験(経験)と作用は、自分自身にしか味わえない人生の宝物となり、また自分にしか作れない未来を作る糧となるでしょう。世界で唯一、自分にしか作り出せないその人生経験を尊んで下さい。

中二病の有効活用

2012年4月13日 (金)

もののけ姫を心理学的に妄想

『もののけ姫』のカヤはアシタカの妹!?

さて、その真相はというと……ズバリ……妹ではない! 公開当時、販売されていた『もののけ姫』のパンフレットには「アシタカの許嫁」と書かれており(中略)
ちなみに、カヤが渡した玉の小刀は『乙女が変わらぬ心の証に贈るもの』という設定。(中略)
アシタカは玉の小刀をもらったときに「私もだ。いつもカヤを想う」と甘い(?)返事をしておきながら、旅の途中に出会ったサン(=もののけ姫)に、サックリと小刀をあげてしまうのだ! 女性陣から大ブーイングが起こりそうなこの行動から「許嫁にもらったものを、ほかの女に簡単に渡せるわけがないからカヤは妹」と考えるファンもいる模様。しかし、あくまでも設定は「許嫁」。

以下、上の記事を読んで作った妄想。ここに登場する要素は全てアシタカという一人の主人公の中にある各側面。いわば、同一人物。「もののけ姫」は、アシタカの心の中で起きた物語。

カヤ・・・アシタカが呪いを受ける前、平穏な人生を生きていた頃に求めていたアニマ(心の中にいる理想の女性像。時に無自覚な個性の一部)
タタリ神・・・抑圧された(虐げられた)ことでアシタカ自身の無意識が発する本能的な怒りと悲鳴。呪いの源。抑圧の真相が分らないうちは八つ当たり的な暴走をしうる。
呪い・・・心が抑圧された(心理的抑圧を負った)ために発生する症状。
サン・・・呪いを受け、さまざまな体験をして人生を激変させた後のアシタカが求めるアニマ。彼の抑圧された個性。縄文的。
シシ神の森・・・サンというアニマが住んでいるアシタカの無意識世界。
森の住人達・・・アシタカの無意識世界にある個性や可能性。
シシ神・・・アシタカのセルフ(顕在意識と無意識を含めた精神世界全体の姿。精神世界全体を統括する中心的な存在)。森とそこに住む生き物と人間、という作品世界に登場する全要素を併せ持つ姿をしている。その本質は魂(=命そのもの)なので変幻自在にして不死。
エボシ御前・・・アシタカの心を抑圧する無自覚な因子を象徴するアニマ。近代的思考の持ち主。

カヤからもらったアニマと愛情のシンボルである小刀をサンに贈るということは、カヤというアニマがサンというアニマに「キャラデザ変更」されたような感じがする。
だが、アシタカはかつて求め惹かれていた「カヤ」というデザインのアニマを忘れない。それは、既に彼自身の一部なのだ。
サンもまた、彼の一部として「対立せず共に生きる」ことを誓った己の一部である。
アシタカは、既に「カヤ」という個性を統合し終え、次に「サン」という個性を統合することにしたわけだ。

愛情のシンボルである小刀は、統合のシンボルでもあるのだろう。そして「もとからアシタカのために作られていたもの」だった。
そういえば、作中でサンはアシタカの胸にあの小刀を思いっきりぶっ刺しているw そして刺されたアシタカがそのままサンを抱きしめるシーンにつながる。

とはいえ、彼女はまだ無意識界の住人である。ラストでも本格的な統合には至っていない。己が抑圧してきたものの存在をありのまま認め、しかしそれをおおっぴらには表に出せない。異なる場所で対立せずにできるだけ尊重しようとしている段階。異なる場所で「共に生きよう」だ。

もののけ姫から11年後の「ポニョ」では、主人公の宗介が海(やはり無意識のシンボル)の住人であるポニョのありのままを受け入れ、そして「同じ場所で共に生きる」ことを誓い、白昼堂々と口付けを交わす。
ここが「もののけ姫」の二人よりも進歩している。
宗介とポニョは、アシタカとサンが生まれ変わった来世の姿かもしれないw

作品の中で「虐げられていく森」は、近代思考(近代的意識)によって切り捨てられ、顧みられることなく抑圧され(虐げられ)ていく無意識の世界と、そこに潜んでいる個性や可能性のシンボルのようにも見える。
無意識を虐げそこに潜んでいる個性や可能性を抑圧する近代的思考はエボシ御前が象徴する。これが健康だった心の世界(森)を脅かし征服していく。彼女が頼り信じる「近代的思考に基づく価値観」を追求するための犠牲になって抑圧され(虐げられ)ていく森と住人たちは怒りと悲鳴を上げる。
森の住人と対立したエボシ御前が左腕(左は無意識の方角)を食いちぎられたのは、「無意識とのつながりを断ち切られた」という象徴か。近代思考を選んだ彼女は自ら無意識を切り捨てたのだ。そしてそれは、自らの半身を切り捨てたのと同じ。

アシタカが呪いを受けたのは右腕。左の無意識に対して右は顕在意識や自我の方角。不自然な生き方を突き進む近代思考に抑圧され虐げられていく無意識の怒りと悲鳴が顕在意識に神経症状として現れた様子が「呪い」という形で表現されている様子とも想像できる。
「呪い」を持った者が試みるべき救いの道は、「曇りなき眼で見定め、決める」ということ。即ち、抑圧を抱えた己の心と正直に向き合い、探り、心の中で起きている真実を見つけ、その上で今後の生き方を決めること。
その結果、サンに向けたラストの科白がその時出せたアシタカの精一杯の結論だろう。
この『救いの道』は、以前の記事で取り上げた依存症という症状を抜け出す時にも同じく使える道だ。即ちその願望やその不安がどこから来たのか、その抑圧された真実を曇りなき眼で見定め、解決策を決めるのだ。即ち、「ニセの不安や偽の願望(呪い)」に惑わされぬ曇りなき眼で己の心と正直に向き合い、願望や不安の原因となっている抑圧の正体を探り、真実を見つけ、適切な解決手段を決めること。


【ここは心理学というよりオカルト】
無意識を切り捨てたエボシ御前は無意識の奥深くにある「神秘」とのつながりを持っていない。彼女は「神殺し」と称して森の奥深くに住むシシ神を撃った。近代思考は己の本質が魂という「死なない生命」だとする認識と、それに基づく視野や発想を抑圧し否定してしまったのだ。それが「死の恐怖」という現象を引き起こす。タタリ神になってアシタカの村を襲った「ナゴの守」が死を恐れたという設定は意味深。ナゴの守もまた、もとはシシ神の森(=アシタカの無意識世界)の住人だ。彼は、「死に対する恐れ(銃弾がその象徴)」を植えつけられたことで自分自身の本来の姿(不死なる命の姿)を抑圧されてしまったためにその怒りと苦痛で祟り神になってしまったのだ。
(ナゴの守が植えつけられた不死性を抑圧=忘却した結果の『死の恐怖』は肉体の損傷に対して必要以上の余計な苦痛を増幅させてしまうのかもしれない。余計な恐怖が余計な苦痛を増幅させ、余計な苦痛は恐怖を増幅させる)

【蛇足の妄想】
アシタカの村は蝦夷がモデル。多分タタラ場のモデルは出雲だろう。
鎮西(九州)から来た人語を解するイノシシたちは熊襲や隼人達なのかもしれない。ボディペインティングが彼らの刺青っぽい。
(蝦夷は縄文系民族だといわれている。サンというアシタカのアニマが彼以上に縄文的なのは意味深?)

個人的なイメージだが、タタラ場を開きやがては「国崩し」という銃器を量産して己の国を築こうとしたエボシ御前はなんとなく卑弥呼っぽい。神秘の変わりに科学とモノづくりの力を駆使した卑弥呼。
(まあ彼女は『クシャナ』なんだけどね。共産革命起こしそうなクシャナw そしてジコ坊はクロトワw)

「もののけ姫はこうして生まれた」に収録されている宮崎駿の言葉が今となっては鳥肌モノなのでご紹介。

百億の人口がねぇ、二億になったって別に滅亡じゃないですからね。そういう意味だったら、世界中の野獣は、もう滅亡、絶滅していますよね(笑)。そうですよ。元は百匹いたのに、今は二匹しかいないなんて生きもの一杯いますからね。そういう目に、今度人類が遭うんでしょ、きっと。でもそれは滅亡と違いますね。僕等の運命ってのは、多分、チェルノブイリで、帰ってきた爺さんや婆さん達が、あそこでキノコ拾って食ったりね、その『汚染してるんだよ』って言いながら、やっぱり平気でジャガイモ食ってるようにして生きていくだんろうなっていうね…まぁ、その位のことしか言えないですよね。それでも結構楽しく生きようとするんじゃないかぁっていうね、どうも人間ってのは、その位のもんだぞって感じがね…

(´-`;)・・・チェルノブイリ、ね。 
今となっては、「強い火気」を発するタタラ場が原子力産業にみえてしょうがない。「国崩し」なんてまさに原子力兵器。それから、森(無意識)の主、シシ神に潰されたタタラ場と、海(やはり無意識のシンボル)に潰された福島のアレは、なんか似てる・・・
また、現代の「タタラ場」もやはり出雲の地に存在している。国産第一号の原発、島根原発だ。今年に入って全て停止中。

このヒトはポニョでも予言めいた描写をしてる。おそらく、アシタカとサンそして宗介とポニョの物語は、日本の無意識に紡がれる今までとこれからの物語。近代思考の象徴エボシ御前に傷つけられてタタリ神になったナゴがアシタカの右腕にかけた呪いを「近代思考に無意識世界が虐げられ抑圧された結果の神経症状」と解釈した場合、「ポニョ」がリリースされた当時に 宮崎氏が近代思考によって文明が成り立つ現代のことを「不安と神経症の時代」と表現していたのが意味深になってくる。

もしアシタカがサンというアニマと晴れて結ばれたなら、彼女を「わが妻」と呼ぶだろう。即ち吾妻(あづま)だ。東日本を示す古語の語源である。ここまで連想した時、 以前書いた記事を思い出した。「あづま」の語源は、ヤマトタケルの神話だっけ。神話の公式設定ではタケルの「吾妻」は自然の怒りを鎮めるための生贄になった。で、ジブリの公式設定だと生贄として森に投げ込まれた赤子がサンだ。

~日本の無意識に紡がれる今までとこれからの物語~
「様々な日本の神々や日本列島を生み出した夫婦神イザナギ(男)とイザナミ(女)は深く愛し合っていました。しかし出雲で製鉄産業(=軍需産業・東征の武力源)が興った頃、鍛冶と火を司る神を生んだ時にイザナミは火傷で死んでしまいました。死の恐怖を司る産業を生んだことで不死なる命(命本来の姿)を封じられたイザナミは死に、そして出雲にお墓が出来ました。
夫イザナギは亡くなった妻のイザナミが恋しくて妻に一目合おうと黄泉の国に出かけましたが、そこで全身にヘビがまとわりついたゾンビのような(タタリ神のような)本来の姿とはかけ離れた変わり果てたイザナミの姿を受け入れられず、怒り狂うイザナミから逃げ切り自ら縁を切ってしまいました。イザナギは「死の恐怖」が生まれたことと命本来の姿が失われたという事実から目を背けたのです。その事実はイザナミと共に地下へ封印されました。

そして数百年後、二人はヤマトタケル(東征のヒーロー)と弟橘姫(東日本の豪族の娘)として転生し結婚しましたが、二人で東征の旅に出かける途中、船が嵐に遭遇し弟橘姫は嵐を鎮めるために自ら生贄となり、二人は引き裂かれてしまいました。心に傷を負ったタケルはしばらく後に戦死しました。
引き裂かれた悲劇のヤマトタケルと弟橘姫(=イザナギとイザナミ)は、やがてアシタカとサンに生まれ変わりました。そこで二人は再会し、不滅なるシシ神の姿を見て命本来の姿を思い出し、お互いの愛を確認しつつも
人々の戦いが止むことはなく、晴れておおっぴらな関係にはなれませんでした。
さらに二人は現代に宗介とポニョとして転生し、そこで「命の水」が海に解き放たれたことによる大津波をきっかけに宗助はポニョの真実(イザナギがかつて目を背けイザナミと共に封印した事実)から目を背けず受け入れることを選びました。
そのことで二人は封じられた命本来の姿を取り戻し、ついに晴れておおっぴらな関係になれましたとさ」

・・・そんなシンボリックな妄想をした。


『崖の上のポニョ』とカタストロフィ

2010年7月 7日 (水)

ヘタリアをタロットに当てはめてみた

今回は個人的な趣味に走った記事。ヘタリアでタロットを作ったらこんな感じかなという妄想。タロット対応は絵柄よりも意味を優先。分からない人スイマセン。

愚者:
アメリカ(愚者には怖いもの知らず、という意味があるため)

魔術師:
イギリス(魔法使えるし)

女司祭:
リヒテンシュタイン(伝統的に清純な女性の姿で描かれるため)

女帝:
ウクライナ(伝統的に豊満な女性の姿で描かれるため)

皇帝:
中国(始皇帝的な意味と、カードのシンボルカラーが赤なので)

司祭:
イタリア(バチカン的な意味で。バチカンのキャラがいれば交代)

恋人:
オーストリア&ハンガリー

戦車:
ローマじいちゃん(戦車を古くから使っていた国なので)

力:
プロイセンをなでるフリッツ親父(無骨な軍事国家に洗練された文化をもたらした所がライオンを手なづける貴人のイメージと重なった)

隠者(賢者):
カナダ(ある意味いつも隠れちゃってるからw アメリカと違って思慮深さがあるのもカードの意味とマッチ)

運命の車輪:
エジプト(カードにスフィンクスが描かれることがあるため。車輪を国章にしてるインドのキャラが登場すればそれもアリか)

正義:
スイス(カードに中立的な視点、という意味があるので)

吊るし人:
フランスとジャンヌ・ダルク(自己犠牲という意味があるので)

死神:
神聖ローマ(横たわる神聖ローマと死神的な絵柄で)

節制:
ドイツ(某国の塩分を節制させる役だったのでw)

悪魔:
ロシア(束縛という意味があるので。絵柄的に、鎖に囚われているのはバルト三国)
ロシアを縛り付けて結婚を迫るベラルーシや、鎖で繋がれた植民地(南米等)を従えるスペインでも面白いかも。

塔:
崩れる塔(ソ連の象徴)からパラシュートで脱出しする旧ソ連領の国々とパラシュートなしでまっさかさまに落ちるロシア

星:
シーランド(希望という意味があるため、将来国になる希望を持った彼に・・・)

月:
トルコ(国旗的な意味と、仮面で素顔を隠している様子が真相不明というカードの意味とマッチするため)

太陽:
日本(国名と国旗に太陽を使ってるから)

審判:
ピンクの棺から甦るポーランド(カードに復活という意味があるのと、ポーランドという国家が何度も消滅しては復活しているため)

世界:
地球の上で輪になっているキャラたち(アニメだとエンディングのアレ)


ヘタリアのお料理動画好評御礼申し上げます。

2017年8月
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