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2019年10月

2019年10月26日 (土)

虹と即位式と皇居の奇妙な偶然

※以下に書いたことは全て科学的根拠のない個人のオカルト妄想です。

◆虹とエールフランス機皇居侵入事件
先日の即位式では、式が始まるタイミングで都心の雨は止み、虹が出た。まるで新海誠監督の新作アニメ「天気の子」だ。
画像① 画像② ←この2つを見る限り、虹が出たのは墨田川付近のようだ。
雨上がりの虹は「物事が調和していく(事態が好転する・肩の荷が下りる)」という象徴になることがある。

実は、即位式のぴったり一年前に当たる2018年10月22日にも皇居の上に虹が出ていた→画像

去年と今年に偶然同じ日付で虹が出た付近は、一部オカルト界隈で「明治時代に近代日本政府が皇居の権威を守るように敷設した山手線結界が破れた」とか噂された「エールフランス皇居上空侵入事件」の侵入経路と偶然ほぼ重なっている。
Airfrance
(左図参照。クリックで拡大。赤い点々は私が書き加えたもの)。 

 また、皇居上空へのフランス機侵入事件翌月(11月18日)には、明治神宮で倉庫のボヤ騒ぎがあった(報道記事)。統治の為に天皇を祀り上げる近代日本の呪術拠点「明治神宮」の中でのボヤ・・・呪術的な象徴現象に感じる。いわゆる火気(軍事のほか、しばしば権力や権威といったパワーの象意になる)の流失だ。
そして、2018年の「皇居虹」と「明治神宮ボヤ」は共に出雲の神在祭の期間中に起きたこと。出雲に集まった神様が会議をするという神在祭。会議でどんな話があったのか?w。
さらにそのぴったり一年後、まさか同じ日付で即位式開始と同時にまた侵入経路と重なる空域で虹が出るとは当時誰が予想しただろう。
今年の令和初になる神在祭シーズン(11月6日~13日)も気になってしまう。

去年と今年現れた二つの虹は、対の存在ではないかと思う。既に大きな流れが存在し、その中に去年11月から今年へ至る流れが含まれていて、即位式もその一部なのだろう(妄想)。その大きな流れとは、「皇族をお神輿に利用してきた者達の呪術破たん」の流れだ。
その流れは当然ながら、担ぎ手だけではなくお神輿側にも作用する。お神輿として高く高く担ぎ上げられた「雲の上の人」から「一人の人間」へ・・・そんな火(権力)の呪術破綻の流れが、さらに進むのだろう。呪術に依存していた物事の運気もまた、大きく変動する。

◆「万歳」の呪術破綻
オカルト界隈では即位式に吉兆と凶兆が両方出たという人もいる。
即位式には絶妙なタイミングで虹が出て、安倍首相の書いた「万歳」という文字の刺繍された旗は強風で倒れた。さらに、首相は天皇の前で万歳三唱する時、敷居を踏みながらやっている。日本の伝統作法では、敷居を踏むのは失礼とされる。
「万歳」の件は両方とも明治神宮のボヤとか結界侵入とかと同じ象徴現象だと思う。天皇をお神輿にしてきた政治的呪術の破たん。

安倍首相が敷居を踏みながら万歳してる間、天皇がちょっと左に傾いた姿勢で(即ち、左傾化して)その様を見ている光景はシュールだったw これからの政治は呪術抜きでやっていく時代なのだろう。敷居を踏んじゃったのはうっかりなのか、わざとなのか・・・

そもそも日本における「万歳三唱」の発祥は1889年2月11日。有志の東大生達が大日本帝国憲法発布を記念して皇居前を進む明治天皇の馬車に歓呼するとき「万歳」と唱和したのが始まり。当時、学生達が万歳を叫ぶと馬が驚いて止まっちゃったので2回目は小声で、3回目は言えずに終わったというエピソードがある()。
そんなわけで、日本の「万歳三唱」は「天皇(お神輿)に対する崇拝が発祥となった呪術」とも言える。そういえば「万歳」の仕草ってお神輿を高く上げる動作っぽく見えなくもない(幻覚)。
史上初めて行われた天皇への万歳三唱が「3回目の万歳は未遂に終わった(=呪術としては未完)」って今思うととなんか暗示的。オカルト脳の私には、昭和以降の天皇は、3世代にわたって徐々にお神輿から降りていく兆しと重なって見えるのだ。現天皇がその3世代目じゃないかと思う
(三度目の正直って言うし)。即位式で万歳旗が落ち、敷居を踏みながらの万歳・・・即位式における万歳呪術もまた、最初の万歳呪術同様に未遂で終わったのはシンクロニシティーではないかと妄想した。
(某愛知県知事関連の騒動も、政治呪術の破綻という文脈で解釈できるかもしれない)


【余談】
このブログでは以前から、「火気の呪術が破綻した後には、火の力(パワー)で本来の場所から押しのけられていた水気が戻るように押し寄せる」と妄想してきた。それもあって個人的に、「天気の子」という作品はタイトルが「天子の気」のアナグラムにもなりうる象徴的な作品なんじゃないかと妄想した。
(以下ネタバレ注意)「天気の子」では、「雨を止ませ晴れをもたらす不思議な力」を授かるのと引き換えに、一定期間力を使った後は生贄として空へ連れ去られ文字通り「雲の上の人」になってしまったヒロイン(実は歴史的に何度もそのようなことが起きていた模様)が彼女を想う少年の手によって再び地上へと帰還する。それと引き換えに少女は力を失い、東京は今まで止めてきた分の雨が降り続けて水没する。そんな物語、私には火気の呪術破綻(火気流失)と水気寄せに見えて仕方がなかった。
去年の明治神宮ボヤ&エールフランス機侵入~皇居上空の虹出現という期間からちょうど一年後、やはり虹の出た即位式の前と後に「台風による大規模水害」が発生するとは、誰も想像しなかったことだが、それらが起きたことの意味については色んな想像が可能なものだ。

 

フランス機の皇居上空侵入で妄想

 

2019.11.1追記
雛形論では皇居と照応説のある首里城がハロウィン(起源は魔除けの篝火をするケルトのお祭り)の日に自ら篝火のようになり焼失

2019年10月22日 (火)

他人の幸せが許せない=自分の不幸が許せない

■「他人の得が許せない」人々が増加中 心に潜む「苦しみ」を読み解く

「彼女はとにかく新しく入ってきた若い人を片っ端からいじめていました。退職に追い込むまで。10人くらい辞めていったと思いますよ」
(中略)
自身はなぜかいじめの対象にならなかったが、ある日、どうしてそんな振る舞いをするのか聞いてみたところ、こんな答えが返ってきた。
「若い人はどこでも就職できるのがねたましいし、腹が立つ。私なんかはもうどこにも行くところがない」

 この女性は、職場でのいくつものいじめの行為が会社に認定され、職場を追われたという。

 

他人が自分よりも得をしている(幸せそうである)有様を見て妬みに苦しむのは、その得有様があまり意識しないようにしていた自分の抱える不幸や不満(思い通りにならなかった、欲しいのに得られない、境遇が悪い、不器用で要領が悪くて損する癖を直せないetc)を強制的に連想させ意識させ刺激・強調するからだと思う。
そんな傷に爪を立てるような苦しみを与えた相手に復讐したい気持ちが人を「妬みによる嫌がらせ」に駆り立てることもあるのだろう。要は本人にしかわからない個人的な事情による逆恨みなので、嫌がらせの被害者にしてみれば「身に覚えのない恨みによって復讐された」ということになる。

自分が不満や不幸を抱えていなければ、現状に満足していれば、いくら他人が幸せでも得していても妬みやルサンチマンは成立しない。そういう意味で、たとえ地味な生活でも他人を妬まなくて済む程度には充実感を持って生きられるのは幸せだ。

先日の台風により武蔵小杉で被災したタワマン住民を叩いている人々の中にも、タワマン住民を妬む心の片隅に、そっと隠しておきたい不満や不幸や惨めな劣等感を抱えた人がいるだろう。彼らの人生に真の幸あれ。

2019年10月20日 (日)

どちらも自分の個性と可能性

※以下に書いたことはあくまで個人の妄想です。あくまで下記報道についての一個人の感想であり、性的マイノリティへの差別や誤解を広める意図はありません。私自身の認識が間違っている可能性を予めご了承ください。


【LGBT】性転換手術を後悔、元の性別に戻りたがる若者が続出

チャーリーさんは女性として生まれ、10年もの間、トランスジェンダーの男性として生きてきました。 しかし現在では男性ホルモンの投与も止めて、再び女性として暮らしているといいます。

昨年、自身の決断を公に発表したチャーリーさん。そんな彼女の元には、何百人ものトランスジェンダーの人々から相談の連絡が入っているとのこと。
「だいたい19~20歳くらいですね。みんな手術したことを後悔しています。性別適合手術を受けても、気分が晴れたりはしないし、自分の性への不安感や違和感が消えてなくなるようなこともないのです」
(中略)
具体的にどれほどの割合で性転換手術を受けた人々が後悔をするのか、明確なデータは挙がっていません。
イギリスで子どもたちの性同一性に関するサービスを提供しているタビストック・クリニックは「かなり珍しいことだ」ともしています。

いわゆるLBGTは、胎児期に性別を決定するホルモンシャワーの種類が何故か途中で切り替わったり、ホルモンシャワーの種類は切り替わらなかったものの何故か絶対量が不足したことが原因の一つではないかと言われている。要するに、LGBTは自然現象ということになる。
ホルモンシャワーの種類が切り替わると、「男女どちらの要素も併せ持つが男女どちらの要素も十分ではない状態」になりうる。
男女どちらのホルモン供給も中途半端で不十分で不足した状態になる。例えば心が女性的で体が男である人の場合、体の側にしてみれば「自分は男性的要素の統合が不足した男」と認識しうるし、心の側にしてみれば「自分は女性的要素の統合が不足した女」という認識になりうる。その認識は、どっちも正しいのだと思う。どっちも併せ持っていると同時に完成されてはいないのだろう。その時どっちの視点に立って恋しているかも人によってまちまち。

仮に男の身体に女性的な心のトランスジェンダーだとしても、恋愛対象が女性の人、男性の人、両性の人がいる。女の身体に男性的な心のTGでも同じことが言える。体と心の性が不一致な上での異性愛や同性愛や両性愛のカップルがいる(参照)。
またホルモンシャワーの切り替えは起きなかったが、ホルモンを浴びる絶対量が不足していたことでハッキリとした性自認を持たないXジェンダーになることもありうる。体と心の性が一致した同性愛者になることだってあるかもしれない。さらにはホルモンシャワーの切り替わっていた時間が短かく、心と体の性は一致しているが感性に異性的要素が多い同性愛者になることもありうる?

先に引用した報道のケースように、性転換手術での葛藤や後悔が出るのは「男性的要素と女性的要素、どちらも自分の一部だから片方を切り捨てないで欲しい」 という自分の生命からのメッセージが出ている場合もあるかもしれない(全員がそうとは限らないが)。
実際、心身の性が一致した男だって女性性を持っているし、同じく心身の性が一致した女にも男性性はある。

自分の心身を「男か女か」という二者択一論で認識する発想だけではなく、男でも女でもない「あるトランスジェンダー」として認識し恋をしカップルになる発想があることは今世紀に入ると急速に広く知られるようになった。トランスジェンダーでありつつも己の内に男性性と女性性両面の要素を少なからず持つ場合、自分の性をどっ
ちか片方の枠にだけ無理して当てはめ完全に統一しようとすれば違和感が出てもおかしくはない。それならむしろ完全性よりも全体性に意識を向け、体の性にも心の性にも囚われない自由な発想があっていい。
ヘテロ(異性愛者)の場合、男女とも「自分の中で眠っている統合したい可能性や個性」を無意識に異性へ連想・投影し心惹かれて恋をすると言われている。恋愛感情の裏には(相手に投影した)自分の中に眠る要素を統合したい気持ちが隠れているという。そう考えると、ヘテロは統合したい内なる要素の投影対象(スクリーン役)が異性であるのに対し、LGBTは必ずしも投影対象が異性だけとは限らないというわけか。
誰が言ったか知らないが、
「恋愛は男女が互いを好きになることではなく、人が人を好きになること」とはよく言ったものだ。

人間は性を問わず、誰もが様々な要素を併せ持ち、そして完成されてはいない。自分の中に無自覚で眠っている未知の要素(時には存在しないものとされてきた要素)を持っていて、それらを自覚し統合していき、併せ持つ要素(統合した要素)を増やしていくことでより完成された自分に近づいていく生き物である。自分が無意識に求めている「未知なる己の要素」を不意に連想・投影した相手に惹かれやすい。結局、人間がどんな相手に恋をするかは心身の性で決まるというより、「自分が今何を求めているか(何を統合したいか)」と、「それをどんな相手に連想・投影したか」かもしれない。
人間にとって、自分の中に眠る要素は何であれかけがえのない自分の個性と可能性であって、「自分の中ので眠っている要素を統合したい」という自然な本能的欲求に沿って恋してるだけという点で、どんな性の人もやってることは皆同じなんじゃないかと思う。

現代は少子化しているとは言うものの、20世紀以降の人類は今までにないスピードと数で人口を増やしていった。そういう背景もあるから生殖とは必ずしも直結しない様々な恋愛の形は、今後さらに増えていくのかもしれない(妄想)。

心と体の不一致はこうして起こる!!性同一性障害の原因
性同一性障害(GID)とは-原因や割合、トランスジェンダーとの違いも含めて解説
性自認とは:生まれてきた性別と反対の性別として自分をとらえる、または性別の規定自体から自由であろうとする人々はトランスジェンダーとよばれる。

2019年10月16日 (水)

香港の運勢に思う事

※以下は占い師個人の非科学的視点からの妄想です


香港でデモ隊を攻撃した白シャツ集団 「三合会」とは何者か

◆みんな似た者同士?
中国も香港も非常に似通ったある波長を帯びていることで、悪い形で共鳴し合ってしまっているようだ。香港は今まで抱えて来たその波長を少しでも変えないと、より波長の規模が大きい中国本土に飲み込まれてしまってもおかしくない。また、宗主国の英国もまた同じく共食いの波長を強く持っていたので、長らく香港と共鳴していたのだろう。香港を植民地にした大英英国は、「広大な植民地(巨大な富)と小さな本土」という状態で、近隣諸国が本土(ブリテン島)へ束になって襲い掛かれば負けてしまって植民地は山分けされてしまうリスクがいつもあった。だから欧州諸国が束にならぬよう、分断工作にいそしんだ歴史がある。
それは中国(共産党・習近平共に)も似たような状態。大勢の人民とそれを抑えつける一握りのトップ(もしかしたら今は、たった一人のトップ)。万が一反乱勢力が膨れ上がって束になってトップへ襲い掛かればひとたまりもない。だからあんなに強権的だしAIを使った監視社会化を急いでいる。(古今東西、独裁者の末路は悲惨だ。多分、党内を粛清しまくった現トップも・・・)

そんな弱肉強食ゆえに「繁栄と多勢に無勢が紙一重でピリピリ」という波長が、「黒社会の首都」という異名を持ち、なおかつ世界3大金融センターでもあり中国大陸有数の「狭い範囲に巨大な富が集中する場所」という図式の香港の中にも強くあるのだろう。だから香港自身がその波長を変えないと、より波長の規模が大きい中国本土に飲み込まれてもおかしくない。
もしも香港の人々が内部に巣食う黒社会の問題(前の記事に書いたような背景で香港と黒社会は共依存の関係があると思う)を大幅に改善したり解決することができていたら、中共と波長を共鳴させる事も中共に飲み込まれる危機もない、今とは違う運勢が展開していると思う。

今からでも、その運勢を変えることは出来るのだろうか。ちょうど今、香港の黒社会は人権と民主主義の確保を望む香港市民ではなく中国政府の側と組んだ。現在、覆面をした集団が度々デモ隊に襲いかかってケガ人を出しているが、覆面の襲撃者達に有名な香港マフィアの「三合会」が関与している可能性が濃厚だという。だとすれば、今まで香港に共依存してきた黒社会は依存対象を変え、香港を捨てたのだ。これは、ある意味チャンスでは?

マフィアと中国。どちらも「繁栄と多勢に無勢が紙一重でピリピリ」という似通った波長を持っているのはいうまでもない。弱肉強食の世界では、多くを持つ者が孤立すれば、周囲にとって格好の標的だ。
香港があの波長をもつ黒社会との共依存関係をやめていくことが出来れば、それが香港の開運法になるかもしれない(妄想)。

 

【余談】
実はチベットもまた国の起源に「繁栄と多勢に無勢が紙一重」という波長を持っており、そこが中国と共鳴しちゃったかもしれない。
50年代に中国によって滅ぼされたチベット王国(現在はインドのダラムサラに亡命政府がある)だが、王国の成り立ちは派閥争いで「多勢に無勢」な劣勢だったチベット仏教のゲルク派が信者だったモンゴルのグシ・ハーンによって土地を寄進されたことから始まる。ハーンはチベット各地へ侵攻して全域を平定したのち、現在のラサを中心とする広大な領地をゲルク派に寄進し、土地を得たゲルク派のダライ・ラマ5世はその土地にラサを都とする国家を作った。
ある意味、外国勢力(モンゴル)がチベットへ各地を侵攻・平定してくれたお陰で国が成立したチベットが、外国勢力(中国)のチベット侵攻によって滅びるということには因果を感じる。

香港もチベットも、中国と共通する波長を手放し変えていくことが開運法となるのだろう。中国政府や中国共産党にも深く根付く「多勢に無勢への不安と恐怖」という意識を動機と原動力にした活動や営みは却って運気にマイナスとなる。もっとポジティブな動機と原動力で動いたほうが良い。例えば、「きちんとした民主主義や人権意識がもたらす可能性を探求する好奇心」とか、「自治なら中国よりもうまくやれる(お手本さえ見せられる)自信」とか。

2019年10月10日 (木)

中国が強いのか人類が金に弱いのか

中国、米人気アニメ「サウスパーク」を完全締め出し 中国批判の内容に反発

中国は、香港のデモを応援する投稿をした米プロバスケットボールNBA「ヒューストン・ロケッツ」の幹部を猛烈に批判して謝罪に追い込むなど、中国市場への依存を強める米芸能界やプロスポーツ界に対し、中国への批判を封殺する動きを活発化させている。
これに対し、サウスパークの制作者、トレイ・パーカー氏とマット・ストーン氏は7日、
「NBAと同様、私たちは中国の検閲を歓迎します。私たちも自由や民主主義よりもお金を愛しています。習氏は熊のプーさんに全く似ていません」などとした上で「中国さんよ、これで仲直りできるかい」 と呼びかけるパロディー版の「謝罪声明」を発表

NBAなど、人口が多い(=消費者や視聴者が多い)中国が大きなお得意さんになっている業界は多いので、得意先を怒らせたくない業界はやがて中国の御機嫌を取ったり中国からの色んな要求や検閲や制限を受け入れたり、中国の政策で発生する人権問題へのコメントをタブー視したり、時には中国のプロパガンダをそれとなく流す運勢にさえなるかもしれない(妄想)。利益の為に中国への忖度を優先し企業理念さえ犠牲になることもありうる。
そして中国が得意先になってる業界は、お金の為に自ら中国へ隷属していって自由な商売を失うことでますます中国に依存しなきゃやっていけなくって、中国に合わせてどんどん窮屈に自分を縛っていく事例が出てくるかもしれない。それと反比例するように中国が増長する。
そう。中国に力を与えているのは、「お金に弱い人間の性」なのだ。
あるいは、飢えの恐怖に弱い人間の性とも言えるかもしれない。飢えや飢えの恐怖は欲望を増幅させる。欲望に弱い者は、飢えの恐怖にも弱い。だから中国はそこを衝いただけ。

中国が強いんじゃない。金が強いのでもない。人間が金に弱すぎるんだ。
お金に弱すぎるのは、飢え(飢えの恐怖)に苛まれているからだと思う。そしてそれは中国も同じだ。
中国とそれに依存しおもねる業界の関係は、極論すれば飢えた物乞いに食べ物や金貨をちらつかせて言うこと聞かせる関係と大差なくなってくるかもしれない。そんな関係を維持する時の注意点は「物乞いを満腹にさせてはいけない」ということ。依存する動機が無くなれば言うこと聞く動機が無くなるから。利用する相手に満腹の夢は見せつつ、常にハングリーで居させなければならない(=ハングリーゆえに目先の餌を無視できないように仕向け続ける)点は、馬車馬と同じかもしれない。中国市場より世界市場の方が大きいのに、心の飢えゆえに目先の利益を追うあまり中国に依存し縛られ囚われていく・・・
そんなわけで個人的には「アメリカンドリーム」とか「ハングリー精神」なるものがうさん臭く感じてしまうオカルト脳現代っ子であるw

そもそも、物々交換をしていた時代から「その品物に飢えている人達のもとに出向いて相手よりも自分に有利な取引をすること」が商売繁盛の起源であり鉄則だ。その利益は、相手の飢えに依存しなければ成立しない。相手と自分、どっちがより飢えているかでどっちが有利か力関係が決まるチキンレース。その目は、飢えているヤツ(=自分に依存してくれそうな相手)を見逃さない。そんなチキンレースが何千年も人類史の繁栄と衰退を支えて来たのだと思うとめまいがする。
飢えた者達を依存させ利用している側は気づかないことも多いが、実は自分も飢えた者達に依存しているのだ。「飢えた物乞いに食べ物や金貨をちらつかせて言うこと聞かせる関係」は、つまるところ共依存の関係だ。
共依存の両者をつなぐ根っこは「心に巣食う飢え(=お金への弱さ)」だ。実際には飢えていないのに、飢えているor飢えを恐れている心がお金への弱さや制御不能なほど強い欲望となり、そんな同じ波長(同じ弱さ)を持つ者同士が時に共依存を生む。
そして全人類がお金に弱いので、全人類がこんな共依存に陥りうる。だから中国(やっぱ心飢えてる)が強く見える。
人類経済の動機と原動力の根底には、飢えや飢えの恐怖が含まれる。誰もが同じ弱点を持つ。

とりまサウスパークの場合、「中国で儲ける」の意味がそういうのとは少し違うので、中国に依存するがゆえに支配される運勢とは一線を画すかもしれないw 実は密かに、中国人民にすらサウスパークの中国風刺が密かに受けているかもしれないのだ。制作側は全く儲からないけどw

お金は人生を満足させるための、悔いなく生きるための手段に過ぎない。商売にせよ創作活動にせよ、お金の為に自分達の自由な可能性や本来の満足を縛り犠牲にするやり方は、お金を得る目的を見失った本末転倒だ。

 

心の飢えが本当の飢えを招く

人の器に宿りし金運

金色の河

2019年10月 7日 (月)

共通点は「努力が報われない」

燃えつきてしまった…頑張る人に起きやすい3つの症状

1. 情緒的消耗感……心身ともに疲れ果てた感じ
2. 脱人格化……人を人とも思えなくなる感じ
3. 個人的達成感の減退……取り組んでもやりがいを得られない感じ

燃え尽きた客を占った経験のある占い師から言わせてもらうと、燃え尽きるかなと思ったら、自分はそもそも何を求めてその仕事をしているのか、何を求めて努力や忍耐をしているのかを再確認するといい。その仕事を通して本当は自分のどんな目的を満たしたいのか、己を恥じたりカッコつけたり裁いたりすることなく、正直に向き合うこと。

努力も忍耐も仕事も、それ自体が目的ではなく、手段に過ぎないものだ。
手段の方にだけ気を取られすぎてしまうと、目的を見失ってしまったり、目的を忘れたがゆえに効果的な手段の選び方、使い方が出来なくなることさえある。そうなると、人は燃え尽きやすくなるようだ。
(ブラック企業などは従業員のプライベートを奪い手段(業務)以外のことに意識を向けさせず意図的に個人の目的を見失わせ、手段を目的と誤認させるように洗脳したり、目的を人質にとることさえある。いわゆる『やりがいの搾取』というやつ)
そもそも、自分の選んだ手段が適切ではなかったことに気付くケースもかなり多い。
目的と手段を再確認することは地味だが欠かせない作業になることがある。

例えば、「人に喜んでもらいたい」という欲求を持つ若い人が接客業のバイトに就いたとする。しかし、期待するほど客から喜んでもらえなかったり、顔も見てくれない客やセクハラなども多くて燃え尽きて辞めてしまったとする。
この時点で本人は「人に喜んでもらうこと」こそが仕事の目的だと思い込んでいて「なぜ人に喜んでもらいたいのか」については自分でもあまりよく分かってない。
何故なら、「人に喜んでもらうこと(そのような欲求を持つこと)」それ自体が単なる手段に過ぎないという事に気が付かないからだ。「なぜ人から喜んでもらいたいのか」ということまで掘り下げないと本当の目的が分からなかったりする。喜んでもらいたい理由の中に本当の目的が隠れていたりする。

そこまで掘り下げた時、ある人によっては
「両親の離婚から自分の誕生に罪悪感や自己否定感を抱いてしまうようになり、それを癒したくて自分が何らかの形で誰かに喜んでもらう経験をしたかったから」ということに気付く場合もある。
またある人によっては
「長く優等生として期待に応えて褒められながら育ったものの受験と就職に失敗し、長く支えてきてくれた大好きな家族からも失望され冷たい仕打ちを受けるようになった傷を癒したかったから。そのためにもう一度褒められていた頃を疑似体験できればいいと思ったから」ということに気付く場合もある。

両方とも、本当の目的に有効な手段は「バイトで客に喜んでもらうこと」ではない。だから、バイトで客に喜んでもらう努力をしても本当の目的にとって「努力が報われる」ことはない。本当の目的(本当の欲求)に気付かなかったために、適切な手段を選びそこなったのだ。
両者とも、本当の目的に有効な手段を、改めて考え直す必要がある。両親の離婚は自分の責任でも自分が原因でもないことを再確認したり、成果と引き換えに家族の愛を得る取引関係以外の幸せな生き方について考えてみたり(むしろこっちを占った方がいい)・・・

心のどこかでその事を感づいていたりすると、ズレた努力をする意欲が急低下して燃え尽きてしまうという現象が起きやすい。無理もない。それはごく正常なことだ。
(ブラックな組織やブラックな価値観はそうなった人間を精神論で糾弾したり罪悪感を植え付けて抜け出せないように支配する)

人間の脳には、欲求が満たされた時や満たされると分かった時、満たされる様子を強くイメージした時、あるいは報酬(欲求の充足)を期待して行動(努力)しているときに活性化し、快感をもたらす神経系が存在する。いわゆる「脳内報酬系」というやつだ。人間はこの神経系が活性化することで味わえる快感を追求する本能が行動や努力の動機・意欲の源になっていることも多いという。いわゆる「幸福の追求」というやつだ。

この脳内報酬系を適切に使いこなす上でも、仕事や努力を通して手に入れたい自分の本当の欲求(本当の目的)を再確認することは重要だと思う。くれぐれも、手段を使いこなすのであって、手段に使われてしまわないように・・・

オマケ:私たちを影で操る脳内の「報酬系」とは?

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