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2018年2月21日 (水)

楽園が蘇るとき

※以下に書いたことは全て個人の妄想です。

今回は過去記事の「ヘルメス伝説と進化の記憶?」や「母性を見失った進化の記憶?」や宇宙という生き物から派生した電波妄想。

◆危機を引き金にした進化
大分前に書いた「旧約聖書にある「楽園追放」の物語が大昔の中東付近における砂漠化の記憶を示しているのではないか」という妄想からさらに妄想を進めてみると、アダムとイブに「知恵の実を食べろ(=知能を進化させろ)」と促した蛇は、恐らくDNAの象徴だろうと思う。知恵と伝令の神ヘルメスの持ち物「ヘルメスの杖」に絡みついてる二重螺旋のアイツだ。恐らく蛇(DNA)は、悪魔じゃなくて伝令(ヘルメス)だったのだ。
中東では、緑化と砂漠化が数千年周期で交互にやって来る。今から何周期前かの緑化時代にはユダヤ人の遠い祖先の一人となったアダムとイブが果物を主食にして暮らしていたのだろう(妄想)。そんな時代のある日、二人のDNA(=蛇)は囁いた。「ここはもうすぐ雨が減って環境が激変する。今のうちにもっと知能を進化させて激変を生き延びろ」
蛇の囁きは、二人の命が既に野生のカンで砂漠化の予兆をどこかに感じ取っていた結果かもしれない。
蛇に促された二人は知能を進化させて間もなく、彼らの住む土地は今までのように多彩な果物が豊かに実る「楽園」ではなくなった。人々はかつてのような地母神とのつながりを感じられなくなり、地母神から見捨てられたと勘違いしたかもしれない。「見捨てられたのは、何か悪い事をしたからだ」と思ったかもしれない。
「楽園追放」の物語は、知能進化と砂漠化が必然的に同期したことで、「楽園に住めなくなったのは知能を身に着けたことで神の怒りを買ったことが原因だ」という錯誤が発生した記録でもあるのかもしれない。
当然ながら中東の砂漠化は人間が知能を進化させた罰として発生したわけではない。あれは周期的に発生する自然現象だ。それを知らない人類は、自然現象を「楽園から追放された(原罪)」=「幸せに生きる資格を失った(地母神から見捨てられた)」と勘違いした。本当は、蛇(DNA)を使って知能進化を促し砂漠化を生き延び新しい幸せ(新しい楽園)を実現する道へと導かれていた(地母神はその道を支援する)ことにも気が付かず・・・
(中東が砂漠化した時代は中東に限らず世界の各地で気候の激変が起きて人類は『知能進化と同時に楽園から追放された感』を地球規模で味わっていたのかもしれない)

せっかく身に着けた知能に罪悪感を持ってしまえば、知能を使う時に葛藤が生まれて知能を可能な限り効率的・効果的にスマートに活用する妨げとなったりどこか歪んだ使い方になったりして、「幸せな使い方を許さない方向」に進んでしまう。これでは開運できない。邪魔な葛藤を抱えながら危機に追い立てられ死に物狂いで知恵を絞り砂漠化を生き延びねばならなかった苦労はどれほどのものか。時には知恵を使って生き延びる度に「楽園追放(罪悪感)」という勘違いのトラウマが痛んだかもしれない。知恵を使って生きる以上、「生きる事は罪」と極端に思い詰めることだってあっただろうか。
人間がたまたま「危機」をきっかけにして進化の道を歩み始めた代償は大きかったかもしれない。危機を引き金に始まった進化は、さながら「パンドラの箱」を開けてしまったような有様になった?

◆苦しみで脅す力ずくの進化・発展
地球規模で起きた環境激変という危機と苦しみを逃れるため、文字通り死に物狂いで知恵を絞って人類は生き延びた。死の恐怖や飢えといった「苦しみ」が知能を使う動機となり進化を一層刺激しただろう。
人類はそれ以来、進化や発展の動機と原動力を危機や飢えの恐怖・死の恐怖といった「苦しみ」に依存するようになってしまい、己の進化を刺激するためには常に苦しみを手元に置かなければならなくなったことで自らの歴史を苦しいものにしてしまってきた可能性を感じた。「罪悪感が知能の幸せな使い方を許さない」という自罰傾向もそれに拍車をかけたか。個人的には不幸な知恵の使い方にこそ「禁断の知恵」感を覚えるが。

死や苦しみに依存した進化。我々が日々恩恵を得ている科学や医学を最も進歩させたものは戦争だし、人類の経済システムは飢えの恐怖(=死の恐怖の一種)を原動力に依存し発展してきたため、飢え(欲望とハングリー精神の源)を捨てることが出来ない。その経済システムを続ける限り、地母神の封印を解くことが出来ない。
より良く生きるための進化が、生きる意欲や可能性を奪う苦しみ無しには促進できないという皮肉。進化の発展が時に死や苦しみも発展させしてしまう(例:原子力)という皮肉な人類史・・・
まるで「子供の幸せを思いもっと勉強させようとして暴力を使って無理やりガリ勉させてたら子供が勉強嫌いになった(最悪の場合、子供が自殺した)」とか「習い事を上達させようとして暴力を使ったら選手が精神疾患になった・指導死した」とかいった教育虐待にありがちなパターン(加害者本人は本当にそれが子供のためになると信じて疑わず虐待の自覚が全くないケースも)と似ている。能力向上が幸せに結びつかない・・・

とまれ、生物学的に見ても「危機(苦しみ)を脱するための死に物狂い(アドレナリン過剰分泌)」という状態は長く続かない。危機を感じると大量分泌されるアドレナリンという燃料だっていつか燃え尽きるし枯渇する。それを利用したシステムや物事の寿命は短い。文明だって同じこと。文明は人間の生き方を反映する。文明の崩壊はその生き方の破綻でもある。
他の動物から一足早く進化し知能を身に着けたものの、肝心の知能の使い方(動機・原動力・視野・発想)は狭くて動物的なまま。これじゃ本質的には動物と大差ない生き方になる。凝った形で未だに共食いをするのもわかる。

◆進化の本当の原動力
生命進化の動機や原動力、および進化を刺激・促進するものは「苦しみ・危機」だけではない。でも、人類は苦しみや危機(あるいはそれらへの漠然とした不安感)以外を基礎にして進化を歩んだ経験が少ない・浅いような気がしなくもない。昔から災害の多かった日本も例外ではない(妄想)。古代インドにあった「苦行によってのみレベルアップできる」的な発想もまた、そんな経験不足による錯誤が背景にあるのだろうか?
苦しみや危機のみを進化の推進力に依存していたら、その種族はいつまでも危機に瀕し続け地母神の封印を続け共食い(弱肉強食)を続け苦しみ続けなければならない。進化のために死の恐怖へ依存し執着し続けなければならない。死の恐怖を超えられない。危機をきっかけにした飛躍的な進歩・進化の記憶は、危機に進化を依存し支配されてしまう癖を作ってしまったとしたら、まさにそれこそ「種族の危機」だ。
この危機は、アドレナリンを使って解決できない。大量のアドレナリンを用いた「パワー」ではなく、タロットの「力(ストレンス)」に象徴される能力で解決されるものだ。このストレンス、苦しみや危機や「パワー」以上に進化にとって重要である。
力のカードに描かれた貴婦人が持つ能力「ストレンス」は、アドレナリンの過剰分泌(ライオン)を鎮め、命本来の自然なあり方に基づく最も効率的・効果的でスマートな調和のとれた思考や動作や反応を実現するモードであり、真に健康な生命が持つありのままの姿・状態を体現するモードともいえるものだ。インド風に言えば「サットヴァ(純性)」、ユング風に言えば「全体性」か。このモードになれる選手は心身ともに優れたパフォーマンスをはじき出せるだろう。

このストレンスモード、命本来の自然なあり方を見失うと保てなくなる。周期的な地球環境の変化やそれに呼応した知能進化という命本来の自然な変化を「自然界の変化は知能獲得という罪ゆえに楽園から追放された結果」と勘違いするのは命本来の自然なあり方を見失った証だし、そこから始まった苦しみや危機に依存した進化もまた命本来の自然なあり方を見失っていると言える。すると知能を命本来の自然なあり方で使えない。

種族の危機を救うストレンス(サットヴァ)・・・それが発動する動機と原動力は何だろう?
そもそも、命が「進化」する目的は「危機(死の恐怖・苦しみ)を逃れるため」ではない。進化というものには、生存効率をUPさせる以外にもいろんな使い道や可能性が無限大にある。ワクワクするほど多彩・多様な無限の可能性が。だからこそ、そんな多様な「可能性への好奇心(interesting)」が生命本来の進化の動機で、「可能性への好奇心を満たす喜び」が生命本来の進化の原動力ではないだろうか。両者は生命の持つ根源的かつ高次なる本能にして、多分魂(ユング心理学ならセルフ)の思いだ。生命の持つありのままの姿の一つかもしれない(妄想)。
「可能性への好奇心とそれを満たす喜び」・・・太古に生命誕生の動機となり、また生命進化の原動力ともなった、全生命共通ゆえに全生命を包括する視野を持った根源的本能(魂の思い)。そこにストレンス(サットヴァ)発動の動機と原動力もある。

この本能を進化の動機と原動力に用いれば、人類は危機に依存しなくても、地母神が封じられた状態を常に選ばなくても、飢えと奪い合いに耽らなくても、「楽園」を失わなくても進化することが出来る。命本来の自然なあり方であるストレンス(サットヴァ)のもとに知恵をつけて活用し、可能性を広げ、「可能性への好奇心とそれを満たす喜び」を動機と原動力にした進化の歴史を歩めるだろう。内なる地母神(魂の環境インフラ)はそんな生き方のために支援を惜しまない。まさにそれこそ「楽園」だ。仏教風に言うと「弥勒」か? これは、全ての命に潜むもの。「楽園」とは、そういう生き方のことだ。

人類は、危機をきっかけにした「火事場の馬鹿力的進化」の経験から、生命本来が持つ進化の目的や原動力を見誤り取り違えていなかっただろうか? 己に宿る命が発する進化の本当の目的や原動力となる大切なあの本能を封印・抑圧し無自覚にしてはいなかったか? 抑圧されたその本能は無意識の欲求不満となり、歪んだ形で表面化し暴走するような(例えばその本能を満たす代償行為に執着するといった)症状を呈したことはなかっただろうか? 多分それが内なる鬼や悪魔の正体かもしれない。『モアナと伝説の海』ならテ・カァがそれだ。
生きているのが辛いんじゃない。そんな生き方が辛いだけ。生き方を後悔できるのは、自分でその生き方を変えられる証。
人類は楽園を追放されてなどいない自ら「楽園」をやめちゃっただけ
自分を含めた全生命に宿る「楽園本能」を思いだして楽園を再開すればいい。罪とかいうのは妄想なので許される必要もなかった。

◆楽園が甦るとき
楽園は、我々の中にこそ存在し、甦る。楽園は死なない。楽園を作る命の本能も死なない。命(魂)ってのは、死なないからだ。あの死なない本能を使って何万年も何十万年も進化を続けているのだ。人類という命があの本能を使った進化を再開し始め文明を創り変えていく時、人類は死の恐怖を超え楽園は甦るだろう。可能性への好奇心、それは旅人ような探求心でもある。モアナとその先祖を外洋航海へと突き動かす力でもある。本能的な「旅」への愛と情熱でもある。可能性への好奇心を満たす旅路は、生きる喜びの旅路だ。
(『モアナと伝説の海』という作品もまた、南国の楽園が病から甦る話である。女神テフティは楽園を支援する地母神である。女神の心は楽園本能だ。その本能が隠されて封じられ、欲求不満が蓄積し鬱屈した時、テフティは溶岩の魔物テ・カァになる。それでモアナは失われた女神のハートを元に戻す。楽園本能は甦り、南国の楽園は甦る)

死の恐怖から生の喜びへ・・・
人類は、少しずつ進化の原動力を今までのネガティブなものから上記のポジティブなものへとシフトチェンジしている。自分の命(魂)とズレていたチューニングを合わせつつある。
自分の命と波長を合わせ、己の命(魂)にとって本当に大切なもの(真の望み)を自覚したとき、今まで「大切だ」と思い込んで依存し支配され囚われて来た余計な執着(ズレた波長)はみんな吹き飛んでいく(羽生選手を含め、平昌五輪の選手達にもある程度似たようなことが起きているのを感じる)。
これがある程度進むと世界各地で大きな運気変動を引き起こす。「楽園」は、既に甦ろうとしている。実際、かつて「楽園」が存在していた地域である中東は、ここ数年乾いた大地が妙に降水量を増やしている。数千年単位で砂漠化と湿潤化のサイクルを繰り返すあの地が、楽園の存在していた湿潤期を迎えようとしている。内なる楽園が甦る時、外なる楽園の姿も甦る。これはシンクロニシティーだ。「イブのお墓」と言い伝えられているサウジアラビアはジッダの乾燥地帯で数年前に大雨による洪水が発生()したことは、象徴的な予兆と言える。

今度「楽園」が甦ったら一度は忘れた生命本来の進化の動機と原動力を忘れないで覚えておこう。そうすれば、次に外界で砂漠化が来た時も「楽園」の生き方を続けていける。それは、アダム(ヘブライ語で人間の意)が食べていなかった「生命の実」を食べることにもつながる。楽園が我々の中にある以上、生命の木とその実は我々の中にある。心理学的に「食べる」は自覚と統合の象徴だ。

◆小さな命と大きな命は同じ本能で共鳴する
個を超えた種族単位の命が高次の本能に基づいて人類を創り、人類一人一人に宿り人生に取り組んでいる。これを数十万年続けている。それが我々に宿る命の正体でもあるのだろうか。こういう命って死ぬんだろうか? 例え死んでも(人類絶滅しても)、今まで生きて来た(進化してきた)経験は新たな種族に受け継がれ、かつて人類をやっていた種族単位の命は新種族の命に統合されて生き続けるので不滅だ。いわば人類が新種族の前世みたいなものの一つになるわけだ(人類もまた他種族の経験を生かして作られた種族であるため、胎内で生物進化の記憶を再現してから生まれる。あの姿は人類種族から見ると前世みたいなものだ)。

種族を超えた根源的な生命(多分ユング心理学で言うセルフの正体で神のモデルで我々生命の正体で宇宙)は、今日も我々含む無数の自分に対して己の心を伝えている。
死を恐れるために生きるな 可能性への好奇心を満たす喜びに生きよ
種族単位の命も、個体単位の命も、同じことを言っている(同じものだから)。これが高次元の本能「楽園本能」だ。全員の本能が満たせるようにと、やはり高次本能に基づいて開発された「本人が真に望む生き方(その人の楽園)を実現するのに適した運勢を創るインフラ機能」が昔書いた「地母神」だ。地母神は楽園本能の現れだ。これが「和(スタンドプレーから生まれるチームワーク)」を実現するカギにもなっている。
我々という命は、かの存在から見ると「自分(=自らを分けたもの)」なのだろう。そいつは、己が持つ可能性への好奇心を満たすべく展開している「宇宙(生命活動)」を楽園だと思ってるらしい。
てことは、同じ本能を持つ我々も無意識のどこかでそう思ってる。世代が進むにつれ、これを自覚する(命のチューニングが整う)個体は増えていくと思われる。これを自覚すると、多分「不滅の生命(魂)」を自覚・統合する(=生命の実を食べる)ことになる。カバラもそれが目的で「生命の木」を重視する。
そんな個体が増えていけば、やがて人類に「101匹目の猿現象」が発動するかもしれない。
(『101匹目のペンギン』でもいいけど)

【余談】
現代日本もまた、「敗戦でボロボロ」という苦しい危機を原動力にした高度経済成長という『火事場の馬鹿力』でしか国を発展させる術を知らない気がしなくもない。既に経済成長し飢えの恐怖を脱出した日本は、かつての原動力を失って失速した。この解決には、原動力を補充するためにかつての危機や苦しみを再現したり新たな危機や苦しみを選んだりするのではなく、過去とは本質的に異なる全く新しい原動力が要る。危機でも苦しみでもなく、ワクワクするような『可能性への好奇心』という生物本来の進化動機(ストレンス発動の動機と原動力)とそれを満たそうとする本能はその新しい原動力探しのキーワードになりそうだ。

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コメント

戦争が定期的に起きることがない時代になりそうな気がします。まあ外国では起きてるし、飢餓もありますけどね。でもそれも全くなくなって、いちいち苦しまなくても進化する時代も、もうすぐそこだという気がしますよね。

>doctor's advocateさん

私も戦争や飢餓は徐々に減っていくのではないかと思います。戦争もまた「相手から奪うことで飢えをしのぐ」ことから始まった気がします。飢えが奪い合いを、奪い合いが戦争を・・・
「楽園」は有史以来特に戦争の多かった地域に存在していて、今またかつてのような自然環境が蘇る兆しを見せていることは意味深なシンクロニシティーじゃないかと期待半ばに妄想しました。

人間は知性を獲得しつつも従来の動物的な狭い視野でその知性を使うことが多く、知性を使うのにふさわしい視野をこれまで獲得していなかった気がします。
狭い動物的本能の視点・視野を超え種族をも超えた、「全ての生命に共通する本能(可能性への好奇心とそれを満たそうとする意欲)」を自覚し、(それが全生命共通であるがゆえに)今までよりも高く広大な視野・視点に基づいて知性を使うことが出来れば知性はもはや「禁断の知恵」などではなくなるでしょう。
全生命に共通する本能とそれに基づく広大な視野の自覚・獲得が、いわば「生命の実を食べること」なのかも(妄想)。

「命」っていう字は「人」を「一叩き」ってゴルゴ松本が言ってましたが、その鼓動が、焦りや罪悪感から来る一叩きなのか、生きてることが嬉しいぞーっていう一叩きなのかが重要ですよね。後者になれば、別に争う必要ないですもんね。

>doctor's advocateさん

どちらにするかはその人次第ですね。ドラムのように叩かれる鼓動はその人の生きる時を刻む。生きる時の刻まれる間、何を動機と原動力にして過ごすのか、じっくりとえり好みして決めたいものです。

ちなみに、実際の「命」という文字は「祝詞を唱えて祈りを捧げる人に、神のお告げとして天から与えられたもの」という意味を持っているそうです。
https://www.excite.co.jp/News/column_g/20160219/TokyoFm_1GEuVige9u.html
そのお告げとは、人類が忘れかけた例の本能が命じるものと同じものかもしれません(妄想)。

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