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2017年12月 3日 (日)

母性についての妄想メモ

【母性】
種族規模の本能。種族(種族魂)が己の分身で端末でもある各個体に宿らせ働きかける「己を生かす力と意志(生命力+生存本能)」の一種。
その「己生かす力と意志」を各個体に働きかける時、その作用の様子が個体から見て「自分以外の者を経由して自分に作用した(自分を経由して自分以外の者に作用させた)」と見える場合、母性とか慈悲・慈愛とかいった印象になる。
自然界や集合無意識、自分の魂、無意識・運勢などを経由してインフラ的に作用すると「地母神」的な印象になる。
自分自身の顕在意識を経由して作用すると己への母性となり、自分自身が生きる喜びを実感できるような生き方(真の望みに沿う生き方)をしたり、そうして得た生きる喜びの実感から自己肯定や自尊心、 「己を生きる意欲(己の人生を愛する心)」などになる。本当の意味で自分を幸せにする力にもなる。動物的な面では自己保存本能とも密接。

(真偽不明だが、母性には母性独自の周波数のようなものを持っている?)
ある個体が一定の条件下で自分に宿る母性と周波数が同調すると母性が発動する。その個体経由で母性発動する。個体によって同調条件は異なるが、母性発動には自分の同調条件を安定して満たせることがカギ。
ただし24時間365日常に種族本能である母性と同調し続けられる(=個体としてではなく種として生きられる)個体は存在しない(個と種のキャパシティが違いすぎる)。個人に対して常に母性を求めるのは相手の人格と人間性を無視し否定する行為。

自分が特定の誰か(個体)に「母性と同調し自分へ母性発動すること」を求めてもそれが実現しなかった場合、それはその誰かがたまたま個人的諸事情で母性の同調条件を満たしていなかっただけにすぎず、「母性が自分に発動しないのは、種族が自分自身に対して『己を生かす力と意志』の発動を拒んだ(=種族が自分を己の一員と見なさない=自分は種族の一員ではない=自分は人間ではなく種から生を望まれてない人間以下の存在)」という事など意味しないが、時々誤解してそういう解釈をしてしまう人がいる。
それは、母性の発動(同調)を求めた個体(母性の器)と母性そのものを混同・同一視したために発生することがある。種族と個体の混同・同一視は神とヨリマシ(神を降ろす巫女)を混同・同一視するようなものだ。

特定の個人経由で母性の作動が出来なかった場合、最も手っ取り早い対応は自分自身が自分に宿る母性と同調し母性の発動をしてみること。自分で直接、種族規模で存在する「己を生かす力と意志」に触れること。イメージすること。種族自身が自分のその端末(その端末になってる自分)をまだ地上に置いて活動したい場合は別の個体経由で母性が発動するか地母神が発動するか自分を器に「己に対する母性」が発動するかして何らかの形で運気(生命力の一種)を流し特定の個人を経由せずに「己を生かす力と意志」を可能な限り行使するだろう。 全力で死なない運勢を創ろうとする。それは時に奇跡を生む。
例えば、真冬のロシアに捨てられたとある赤ちゃんには、猫に助けられるという奇跡の運勢が発動。恐らく人類どころか高等哺乳類規模で自分の端末(端末になった自分)を生かそうとする母性が動いたか?

一人一人に宿る魂は、種族魂の分身だ。種族にとって一人一人はまさに「自分(自らを分けたもの)」だ。
そのため、種族と魂は「己を生かす力と意志」という一つの心を共有する。
種族と魂は今日も言っている。
『私はお前が(=自分が)健やかに喜びをもって生きていると嬉しい』
魂「私はお前を生きるのが大好きなんだ」
種族「私はお前を生きるのも大好きなんだ」

魂の環境インフラ

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