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2017年10月

2017年10月22日 (日)

立憲民主党占ってみた

※以下は趣味で使っている占星術ソフト「アストロロギア」の鑑定結果です。特定の団体や人物を誹謗・中傷する意図はありません。あくまでもネタとしてお楽しみください。

火星と冥王星が非常に強いトライン
異常なまでの情熱の持ち主。揺るぎない勇気をもって、とことん頑張ることができる。肉体的な愛情関係において、官能的な強い喜びを得ることができる。

月と天王星が非常に強いセクスタイル
感受性と独創性の調和。ユニークな感性を発揮できる才能あるいは素質の持ち主。人とは違った独特の感覚を持っている。風変わりで、おもしろい人。進歩的、未来的。自由・平等・友愛の精神を尊ぶ。

木星と天王星が強い衝
発展と変革のあいだの緊張。この世代においては、急激な社会の変化によって矛盾や問題が生じやすい。個人的意味は、自分のやり方にどこまでも固執してしまうこと。その頑固さに、内省能力が加われば吉。

月と木星が強いトライン
柔軟で寛大な精神の持ち主。才能に恵まれ、全般的にツキがある。物の感じ方は鷹揚で品が良い。多感ゆえの脆さはなく、堂々とした貴婦人のごとし。芸術方面に適性。繊細というよりは、まろやかな性格。

金星と冥王星が強いトライン
いつくしみ深い性格。献身的な愛を限りなくそそぐ。美に関する分野で極端な才能ないし素質を持つ。

金星と火星が合
きらりと光る妖しい魅力があるが、気位が高く、押しつけがましい。「女王様」的な性格。周囲との摩擦が多い。しばしば官能的。

金星と海王星が衝
夢のような甘い話に弱く、結婚詐欺やインチキなセールスにひっかかりやすい。恋人を勝手に理想化して、結果的に幻滅しがち。既婚女性はよろめきやすい。将来に向けて美しい夢を思い描くが、おおかたは机上の空論。夢はあっても地道な努力が嫌い。そのため心の中に葛藤が生じやすい。快楽主義者。酒や麻薬におぼれる。夢想の能力を建設的に生かせれば吉。
(現実よりも理想を優先しがち?)

月と土星がごく弱いセクスタイル
感受性と抑制の調和。一時的な感情に流されることなく、また冷淡ということもなく、程よい距離を置いて物事をしっかり見つめる。冷静にして柔軟。あまり目立たないが、内面的に調和のとれた美しい人。感覚はやや古風で奥ゆかしい。

海王星と冥王星がごく弱いセクスタイル
信じられないような夢をもたらす世代。終戦直後の1940年代後半、および1960年代にもこの角度ができている。

土星と天王星がごく弱いトライン
平均すると十数年に1度の割合で生じる世代的座相。制限と変革の調和。堅実な変革、例えば無血革命を暗示する。

火星と海王星がごく弱い衝
実現不可能な非現実な夢に情熱を傾け、空回りする。不透明な分かりにくい性格なので、いさかいや摩擦が多い。たいした理由もないのに他人と争い、それがエスカレートしがち。原因不明の事故、不透明な性的関係といった意味もある。鋭いイマジネーションを持っているが、ビジョンが粗野で、独り善がり。大事な点を見落としやすい。妄想の世界に没頭する人もある。夢想の世界にかける情熱を建設的な方向へ生かせれば吉。
(完璧主義になりすぎると何一つ実行できなくなってしまう注意)

【余談】
実はは100年前のロシアにも「立憲民主党」と同名の政党が存在した。ロシア革命100周年でもある今年、枝野氏が自ら立ち上げた政党に100年前まで存在していたロシアの政党と同じ名前を付けたのはおそらく偶然じゃないだろう。今後(安倍政権以降?)の日ロ関係を見据えているような気がしなくもない。

2017年10月 3日 (火)

宇宙という生き物

※以下に書いたことは個人の妄想です。かなりイッちゃってます(いつものこと)。

人々の運勢や龍脈の動きや星々の動きというものを見ていて、ある日ふと思った。

「人間界の動き(運勢)と龍脈や星の動きが連動=龍脈や星の動きと人間界の動き(運勢)が連動している」ということは即ち、地球と人類は同じ一つの巨大な生き物である証なのかもしれない、と。
恐らくその「巨大な生き物」とは、哲学の世界で宇宙とか万物とか存在とか呼ばれてるもので、人間を含む様々な生き物に宿る魂(=生命)はその「宇宙(万物)」の一例であり、その生きざま(人生)は「宇宙(万物)」がやっている活動(取り組み)の一例なのだろう。ユングは一人一人に宿るそんな命(=宇宙)を「セルフ」と呼び、古今東西にある「神」の概念のモデルになったという。神・・・アレが「全知全能」な理由は、我々を含めこの世に偏在する「万物」自体が神だからかもしれない。「八百万の神」って言うしw
宇宙は私の人生に取り組み、あなたの人生に取り組み、彼の人生に取り組み、彼女の人生に取り組み、あの人の人生をやっている。今この瞬間も。我々の人生というものは、もしかしたらそのどれも全てが「宇宙規模の取り組み」なのかもしれない。今この瞬間も、宇宙は一人一人になって活動(取り組み)をしてるのかもしれない。
「宇宙」とは、かように壮大で巨大なプロジェクトの名前でもあるのだろうか。
みんな同じ一つの生き物ならば、誰かを見下しバカにするのも他人に劣等感を持つのもナンセンス。宇宙という生き物にしてみれば、見下す側も見下される側も全て自分だし、自分との間で優劣を競うのもナンセンスだ。他人と自分では、取り組んでいることが違う。宇宙はその人にならないと出来ない取り組みをしているのと同様、自分という人間にならなきゃ出来ない取り組みをしているに過ぎない。どっちも宇宙にとっては「やりたいこと」だ。自分のやりたいこと・やってることにいちいち優劣をつけて競うのはナンセンス。優越感にせよ劣等感にせよ、「自分で自分を自分を見下している(自己卑下している)」ことに変わりはない。どちらの感覚も、根っこは同じ「自己卑下」なのだろう。
・・・などと思っていたら、妄想電波が止まらなくなってしまった。

◆見えているものは氷山の一角
宇宙(万物)の全てをひとつにつなげているものは、我々が「集合無意識」と呼ぶもの。しかし我々は宇宙(万物)の大部分を見ることが出来ず認識もできていない。島のようにところどころしか見えてない。
そんな、我々がたまたま今のところ「見えなくて認識できていない宇宙(万物)の大部分」のことを、ユングは便宜的に集合意識と名付けたに過ぎないのだろう。あれは、我々が見えて認識できているもの(顕在領域)と同一のものだ。万物で宇宙だ。 あれを我々が認識できるようになれば「集合意識」に変わる。
我々を含めた宇宙(万物)が巨大な一つの生き物であるなら、集合無意識が関与して発生すると言われる「シンクロニシティー」が起きるのもごく自然なことだ。 多分、量子テレポーテーションとかいう現象だって不思議じゃない(文系オカルト脳)。

宇宙は今この瞬間も新しい何かを生み出し、また生み出したもの(どれも自分)を経験している。宇宙(万物)という生き物は己の好奇心と情熱によって自ら沸き立ち泡を生じさせ波打つ水に似ている。まるで海だ。
そして「海」もまた、心理学的には集合無意識(=宇宙・万物のうち、我々には見えてない大半の領域)の象徴とされることがある。集合無意識(海)もまた宇宙であり万物である。宇宙、万物、海・・・呼び名が異なろうと見える/見えないの差があろうと3者は本質的に同一だ。
海・・・ハワイ語なら『モアナ』という。
我々は宇宙(万物・海)という巨大な一つの生き物にしてその取り組みの一環だ。しかし我々はその全体の一部分しか見えてない。自分と全体をつなげている部分(宇宙の大半の領域)を見ることが出来ずにいる。見えていないお陰で自分達が宇宙(万物・海)という巨大な一つの生き物だと気付かずにいる。
(我々が『人は体が死んだら無になる』と思い込んでいるのも宇宙の大部分が見えてないせいかもしれない。無になるんじゃなくて単に肉眼で認識できなくなるだけだったりして)

◆「モアナと伝説の海」でオカルト妄想
「宇宙の一部分しか見えていないお陰で自分達が宇宙(万物・海)という巨大な一つの生き物だと気付かずにいる」・・・けれど、とある南洋の少女は気づいたのかもしれない。 自分の住む島から見える範囲の海(サンゴ礁の内側)だけではなく、今までは見ることが出来なかったサンゴ礁の向こうに広がる海を見ようとする視点を持っていたあの少女は。サンゴ礁を「宇宙の見える範囲」に、海を「宇宙」に、「サンゴ礁の向こうに広がる海」を集合無意識(=宇宙の見える範囲より向こうに広がる宇宙)に置き換えても同じことが言える。
そしてサンゴ礁を越えて海をどこまでも自由自在にあちこち移動し見て回ることが出来れば、やがて「海は一つにつながっている」ことを知るだろう。

つまりオカルト視点だと、「モアナと伝説の海」は哲学的・形而上学的な解釈すらできそうだ。
旅とか航海は時に「経験を積んでいくこと」を象徴することがある。船はさしずめ経験を積むためのツールか。
サンゴ礁(宇宙の見える範囲)を越えて「海(=宇宙・万物))」を自在に行き来出来た「祖先」が象徴するものとは、自らの好奇心と情熱により万物を創り万物となって(時に無数の多様な生命として)経験をし、宇宙全体の視野(万物を一つの生命とする視野)を持ちながら同時に個々の万物として活動していた記憶。つまり個~宇宙全体までの視点を(見えぬ場所なく)広く自由自在に行き来し個と全の視点を両立・統合させた上で無数の経験を積み重ねていった宇宙自身の記憶であり、その記憶は宇宙が行う活動の一例であるモアナの中にもあっておかしくはない。「生生流転」こそ経験を積む航海の旅。その記憶は宇宙の記憶・・・

その記憶(=祖先)に導かれ、モアナは滝の裏に隠されていた祖先の船(サンゴ礁=見える範囲を越えて航行する能力)を発見し、それに乗ってとうとうサンゴ礁を越える。見えなかった領域が見えるようになる。
宇宙という巨大な一つの生き物にして宇宙が行っている活動(取り組み)の一例でもある我々の中にもモアナと同じ記憶はある。我々はかつて、「サンゴ礁(見える範囲)の向こう側」を知っていたし、自在に行き来出来た。そしてサンゴ礁を超える視野で「自分」という存在を認識していた。自分が宇宙だと知っていた。
モアナは祖先同様にサンゴ礁の向こうを旅するにつれ、ある日自分もまた「モアナ(宇宙)」だということに気付いた。いや、気付いたのではない。自分(宇宙)の記憶を思い出したのだ。だから霊になったおばあちゃんの問いかけ「お前は誰か?」に答えることが出来た。

♪広い海旅した 祖先が私を呼ぶの 
 遠くへ旅をして分かって来た 私を呼ぶ声が聞こえる 

 心の声が呼んでいるの 波のように打ち寄せては 
 語りかけてくるその声が 教えてくれたの

 私はモアナ

そんなモアナの気付きは、世界から失われた「テフティ女神の姿とそのハート(=地母神)」を取り戻し、世界を「黒い病」から救うカギとなった。地母神とは、宇宙が己を(万物を)生かす(生きる・己の人生に取り組む)ための本能であり機能だ。そう、宇宙(モアナ・海)の本能だ。

◆生まれながらの冒険家
自らの好奇心により自ら沸き立ち泡立ち波打って万物を生み出し万物となって経験を積む。宇宙という生命体が行っているそんな活動には、まさに冒険家が自らの好奇心を実現すべく旅する過程で味わう精神的な喜びを秘めているように妄想した。その得も言われぬ無上の「経験する喜び(=好奇心を満たす喜び)」を愛し求める心こそ、旅への情熱になりテフティ女神のハート(経験のために万物を生み出し、宇宙が取り組む経験の旅路を支援する地母神の愛。時に実りや豊かさという形で支援をもたらす)になるのかもしれない。その心をスピリチュアル風に言えば、「宇宙の愛(無条件の愛)」ってやつか?
己の生命活動(人生の旅路)に取り組んでいる我々一人一人(全員宇宙)もまた、自分自身の中に宇宙が抱く冒険家のようなあの好奇心と経験への愛と情熱を宿している。それが単純に言えば「生きる喜び」ってやつなんだろう。
その心が我々の内なる地母神(その人が魂の底から望む生き方を支援するような運勢を創りだす魂の環境インフラ。過去記事参照)にもなるもので、それはまさに魂(=個々の人生に取り組む宇宙)の自己実現本能ともいえる。
宇宙(万物)の一例たる我々に宿りし魂の基本理念は、宇宙が持つ冒険家のような好奇心と経験への喜びに対する愛と情熱=生きる喜びなのかもしれない。そして喜びは愛を生む。宇宙にとって我々は「己の愛しい取り組み」というところか。魂(宇宙)が己という命(取り組み・経験・旅路)を生きる喜び・・・それは自己肯定の源。
(その取り組みの旅路全てが道中に迷いも抑圧も葛藤も困難もなく他や全体と調和してるかどうかはまた別の話。自分にとって本当に望む生き方=旅のし方を自覚し実現できてるかどうかも別の話)

宇宙が愛してやまないその旅路は、祖先の船(サンゴ礁を越える能力)を持つことで初めてできることだ。
もしも意識がサンゴ礁の内側に閉じ込められてその外を見ることが出来なくなったら、自分が何者かを見失い、かつてのようにサンゴ礁を越えて個~全を包括する視点と意識を駆使した「旅」は出来ない。新しい経験も出来なくなる。即ち「経験する喜び(生きる喜び)」が阻害されることを意味する。宇宙視点で旅(経験・取り組み)が実行出来なくなった場合、経験の旅路を支援する(喜びを促進する)地母神の愛も実行できなくなってしまう。即ちテフティ女神とそのハートは機能できなくなる。サンゴ礁の外が見えないと自分が分からず自分の心も深く把握できず本当に望む生き方(旅のし方)も見えてこない。
サンゴ礁内に監禁されて本能的な旅への愛と情熱が吐け口を失ったまま内圧を募らせることで発生する強いストレスは、やがて溶岩の魔物テ・カァとなっていつかどこかで目に見える形で噴火してしまう(封じられた情熱の炎は怒りの炎へと変質しやすい。怒りは情熱が抑圧されることで歪んだ姿だ)。噴火は破壊的な結果となり、自分や周囲を傷つけることもある。旅(宇宙として万物となり経験すること)が阻害されれば、経験のために生み出した万物の存在意義がなくなる。これが世界を消滅させる「黒い病」だ。

このような状態はモアナの世界(テフティ)だけではなく日本神話の世界(イザナミ)においても同じことが起きている。モアナの世界で起きたことと全く同じ課題が日本人の集合無意識領域にも存在するのだ。いや、日本どころか全人類の集合無意識にあるだろう。
日本のイザナミの場合、古代の軍需産業を象徴する製鉄の神を産んだ時に大火傷をして死ぬわけだが、溶けた鉄は溶岩とそっくりな点に注目。彼女は最終的に怒り狂ってテ・カァになる。製鉄神が生まれた時点で、古代日本の人々はサンゴ礁の外が見えず己を見失い本当に望む生き方も見えず実行できず、それを支援する内なる地母神の発動も阻害され、運勢が落ちて飢えて奪い合い争い戦いに明け暮れるようになってしまっていたのだろう。
似たようなことは、どこの国でも起きたことだ。

サンゴ礁を超えた広い視野を持つのと持たないのとでは、自己認識も生き方も運勢も経験も全然違ってくる。
「宇宙という生き物が(冒険家の如き好奇心をもって)行う愛しい取り組みにして宇宙自身の一例」たる我々は、その身に宇宙と同じ経験への喜びと情熱と好奇心(=生きる喜び)を本能的に宿していることを意識し、宇宙という生命体を起源とするあの喜びの心を忘れたり見失なったり抑圧しないようにすることが大切だ。万一忘れたり抑圧していたら思い出すこと・意識することが大切だ。放っておけば己の中に黒い病やテ・カァが発生してしまうが、「思い出す・取り戻す」という発想を常に心にとめておけば、やがて魂が本能的に取り戻す・思い出す方向へと運勢の舵を切り動き出す。モアナの物語が始まる。それ自体が新たなる経験の旅路となる。
我々の本性である不滅の魂は、広く自由な目と心で経験への喜びと情熱をたぎらせる偉大な旅人「宇宙」だ。
宇宙は言っている。「○○(自分の名前)を生きること(〇〇になって人生を旅すること)が好きだ」
(ここで宇宙からの妄想電波回線がクローズw)


【おまけ】
in deep様の記事←記事の題名は「太陽と人間と地球の間に存在する永遠のシンクロ :最近の研究でわかった『全ての人類の心臓のリズムが地球規模で同期している』と共に、『太陽と地球と全人類は常に磁場を介して同期している』こと」。
「同じ一つの生き物」という共通点のある存在同士が共鳴・共振し合うこともあるだろう。

「天空の城ラピュタ」のオカルト解釈
←ここで書いた「種族の視点」は個~宇宙全体の中間に存在するもの。シータとパズーは自分(個)と人類(全体)が同じ一つの生き物であるという視点を獲得することで死の恐怖を乗り越えた。種族の意識(視点)は我々が普段は見ることのない集合無意識領域にある。
「モアナと伝説の海」で妄想

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