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2016年10月21日 (金)

鳥取の地震と龍脈

※以下に書いたことはすべて個人の妄想です。被災地に心よりお見舞い申し上げます。

鳥取県中部で震度6弱 気象庁会見(全文1)発生1時間以内に震度1以上17回
(10.23追記:鳥取の地震以降、阿蘇~熊本の余震は減っている)

ちょうど以前に書いた出雲に伝わる「国引き神話」を題材にした妄想記事を読み直していたところにTVから地震のニュースが入ってきて鳥肌。震源は出雲~元伊勢~伊吹~富士~寒川~千葉沖を結ぶ春分・秋分レイライン(図の緑線)の真上である。
強い揺れを観測したエリア(隠岐・大山)は国引き神話によると「貧弱な出雲を強化するために大地(龍脈?)を引っ張ってきたエリアおよび引っ張るロープをかけた杭の位置」である(出雲の神話と龍脈参照)。
神話では貧弱な出雲の土地を強化するために他所から土地(龍脈の象徴?)を引っ張るための綱をかけた杭が島根の三瓶山と鳥取の大山で、大山は強く揺れた。また、余震の震源地が本震より大山に近いケースも発生している。
国引き神話で土地(龍脈?)を引っ張ってきたエリアは越の国((越前・越中・越後を合わせた地域)、隠岐、新羅の岬などと言われている。越の国は311直後に余震が多発していたが、当時隠岐や出雲や新羅(韓国)は特に揺れていなかった。

また、件の春分・秋分レイラインの延長上にある海域で先月、しかも秋分シーズンの22~23日にかけ群発地震(うちM6クラスが2回)が起きていたことは記憶に新しい()。
しかも先月は韓国(国引き神話で引っ張られた新羅)でも観測史上最大規模の地震が起きていた()。
レイラインと国引き神話・・・どちらも「出雲」と縁深い場所で起きた龍脈変動である。
先月あったレイライン東の群発地震がそっくりそのままレイライン西部の鳥取で再現されていると言うつもりはないが、両者にもし何らかの関連性がある場合、鳥取ではM6クラスの地震があと1回は来る可能性もある(気象庁も似たようなことを言っている)。
今のところ、今回の地震を含め先月と今月は越の国エリアでは大きな変動が起きていない。越の国の長野県栄村は311の直後から多く揺れたが2011年の時点で既に揺れ終わったのか、今後影響なり象徴的な現象なりが出てくるのかは不明。
今のところは2011年当時揺れなかった国引き神話関連地域が今回揺れた(変動した)と妄想中。
また、熊本に続き近代日本を立ち上げた薩長土肥の火気流失現象としての側面も感じる。

今回の変動が件の秋分レイラインの東で起きた変動(関東沖群発地震)がレイラインの西を刺激した(変動波が伝わった?)ことが引き金だとすると意味深だ。 あのレイラインが通っている富士山は「お金の不徳を正す龍脈」とつながっている。その龍脈の要素もレイライン西部エリアおよび国引き神話エリアに伝わっていく可能性も0ではないかもしれない。鳥取が揺れる前日にはその龍脈上にある硫黄島でM6.0の地震があったのでそんな妄想をしてしまった。

もう一つ気になるのは、このレイラインがヤマトタケル神話の、特にタケルが妻の弟橘姫を失う下りとも縁深いレイラインである(妻が生贄になった海域と失った妻を嘆いた山周辺をこのレイラインが通っている)ということと、イザナミのお墓(出雲をはじめとして各地に散在)の一つがある鳥取県西伯郡がこのレイラインにも震源にも近く、強く揺れた変動地域の一つに含まれていたことだ。
ヤマトタケルと出雲、そしてイザナミの死を結びつける一本の線・・・東征とそれを支えた出雲の軍需産業そしてそれらをきっかけとする地母神(イザナミ)の封印を連想した。イザナミは製鉄(=軍需産業)の神を生んだ時やけどで死んで、出雲をはじめ各地にお墓があるからだ。そんなイザナミのお墓)の一つがある鳥取県西伯郡は震源に近く強く揺れた地域の一つであり、なおかつあのレイラインエリアにある。
そんなことを思うと、311以降続く日本の東征&軍需産業のカルマが運気変動しているようにも感じる。
(なお、第2次東征ともいわれる太平洋戦争中にも鳥取県で大きな地震が起きている
イザナギとヤマトタケル、両者とも妻を失っている。「我が妻」を意味する古語は「あづま(吾妻)」。古事記によれば、東を意味する「あずま」という言葉はヤマトタケルが足柄付近の山から東の海を眺めて失った妻を嘆き3度呟いた「我が妻(あづま)」に由来する。きっとイザナギもイザナミを失い「あづま」と嘆いただろう。
東征を支えた軍需産業の神を生む際犠牲になった妻を嘆く夫と、東征の旅路で夫を救うため生贄になった「妻」を嘆く東征の英雄。その両者が囁く言葉は「東(Azuma)」という皮肉・・・

◆以下、以前に書いた妄想物語を少しいじったストーリー。このブログを読む人には元ネタがわかるかもしれない。

昔々、様々な日本の神々や日本列島を生み出した夫婦神イザナギ(男)とイザナミ(女)は深く愛し合っていました。しかし出雲で製鉄産業(=軍需産業・東征の武力源)が興った頃、鍛冶と火を司る神(=軍需産業の神)を生んだ時にイザナミは火傷で死んでしまいました。死の恐怖を司る産業を生んだことで不死なる命(命本来の姿)を封じられた地母神のイザナミは死に、そして出雲にお墓が出来ました。
地母神(=魂が真に望む生き方=幸せを実現する運勢の源=魂の環境インフラ)を封じられた世界の人々は、「競争(戦い)の勝者しか幸せになれない=幸せは戦いで勝ち取る(奪い取る/他者を犠牲にする)ことでしか手に入らない・戦わない限り生き残れない」と思い込み戦いと競争に明け暮れるようになりました。
それ以来、多くの死が生まれ、死の恐怖が生まれ、それを糧に死の恐怖を司る産業が繁栄しました。

夫イザナギは亡くなった妻のイザナミが恋しくて妻に一目合おうと黄泉の国に出かけましたが、そこで全身にヘビがまとわりついたゾンビのような(タタリ神のような)本来の姿とはかけ離れ変わり果てたイザナミの姿を受け入れられず、怒り狂うイザナミから逃げ切り自ら縁を切ってしまいました。
イザナギは「死の恐怖」が生まれたこととイザナミ(地母神)の本来の姿が失われたという事実から目を背けたのです。その事実はイザナミと共に地下へ封印されました。事実から目を背けたままイザナギは民を生み続け、生まれた民は死の恐怖におびえつつ、生き残るために戦いと競争に明け暮れ多くの犠牲が出ました。

そして数百年後、二人はヤマトタケル(東征のヒーロー)と弟橘姫(東日本の豪族の娘)として転生し結婚しましたが、二人で東征という戦いの旅に出かける途中、浦賀水道で船が嵐に遭遇し弟橘姫は嵐を鎮めるために自ら生贄となり、二人は引き裂かれてしまいました。心に傷を負ったタケルはやがて戦死しました。

引き裂かれたヤマトタケルと弟橘姫(=イザナギとイザナミ)は、やがてアシタカとサンに生まれ変わりました。そこで二人は再会し、不滅なるシシ神の姿を見て命本来の姿を思い出し、お互いの愛を確認しつつも民の戦いは未だ止むことはなく、晴れておおっぴらな関係にはなれませんでした。

さらに二人は現代に宗介とポニョとして転生し、そこで「命の水」が海に解き放たれたことによる大津波をきっかけに宗助はポニョの真実(イザナギがかつて目を背けイザナミと共に封印した事実)から目を背けずに受け入れることを選びました。
そのことで二人は封じられた命本来の姿を取り戻し、ついに晴れておおっぴらな関係に戻れました。

二人が関係を修復し、封じられた命本来の姿と地母神イザナミが復活した時、世界は争いと死の恐怖を乗り越え、幸せの運勢を創造する一歩を踏み出せるのでしょうか?

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龍脈」カテゴリの記事

コメント

ほかのところで、熊本地震と東北地震及び、今回の鳥取地震とヤマトタケルの関連性について書いたコメントを投稿して、そのすぐ後にこちらの記事を見つけて読んでみたら、ここでもまたヤマトタケルとの地震の関連について書いてあるので、びっくりしました。

もちろん、こういう話は目に見える範囲(人間の五感で扱うことのできる範囲)の出来事しか対応できない現代の科学においては、単なるたわごとでしかないでしょうが、人の意識と思考と事象との関連性について考察する、量子力学的には「あり得ること」ではないかと思います。

それにしても、イザナギ、イザナミの話からヤマトタケルと弟橘姫の話を経て宮崎アニメにつなげていく「妄想の手腕」には御見それしました。

> gumさん

初めまして。2か所のコメントありがとうございます。
妄想をお楽しみいただければ幸いです。
311以降、日本列島の龍脈は未だかつてない動きを見せ、古代日本を起源とするカルマのようなものを感じる現象が多発しているように感じます(そのせいで妄想記事を書くようになりましたw)。

出雲の件ですが、いわゆる出雲と呼ばれるエリアと鳥取地震の震源地は少し離れています。震源地とヤマトタケルを直接結び付けることは出来ませんが、今回の地震もまた古代日本との因縁を感じました。
東征のためにやたらとこき使われ疲弊して死んだヤマトタケルと言えば、日本における「記録初の過重労働で亡くなった人」かもしれません。
ちょうど鳥取地震と同時期に電通の過労死問題が浮上しました。日本人の気質とも関係ある問題です。
日本の集合無意識が、古代に端を発するカルマの呪縛から自由になれる日が来ることを祈っています。

311後の余震多発地域と日本の古代史
http://aya-uranai.cocolog-nifty.com/blog/2002/12/post-8fbe.html
出雲で毎年行われる神様会議終了翌日に爆誕した島
http://aya-uranai.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-e5c4.html

オマケ:将門とヤマトタケルの両方をネタに使った妄想
http://aya-uranai.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-bdb9.html

AYA様返信ありがとうございます。
ブログ本文中に「311以降続く日本の東征&軍需産業のカルマが運気変動しているようにも感じる。」という記述がありますが、今の総理が「憲法改正」を悲願とする、安倍総理であるということも一つの歯車になっている気もしますね。

と言っても、自分は「憲法改正反対派」でもないし、前後の見境もなく「戦争法案反対」とか言うつもりは毛頭ありませんが。

ところで、自分なりに宮崎アニメに絡めた「妄想」を書いてみたいと思います。

イザナギとイザナミは実は、宗助とポニョになる前にも現代の日本に転生していた。

その時、イザナミは千尋と呼ばれていて、ある時両親とともに引っ越し先に向かっていた途中で、奇妙な世界に迷い込みそこで父母は豚になり、彼女も名を奪われて、千と呼ばれるようになるが、そこでハクという少年に出会い、いろいろと助けられた。

実は、ハクはイザナギの生まれ変わりであり、いわば黄泉の国に迷い込んだかつての妻の生まれ変わりに対する、罪滅ぼしのために、千に対して力を貸していたのだった。

その数万年後の未来では、イザナミはナウシカに生まれ変わり、そして、その世界でイザナギは王蟲に転生していたのだった。

そして、ナウシカが王蟲がかつての夫の生まれ変わりであったことに気が付いた時、世界は救われ新たなサイクルが始まっていったのだった。

その一方、別の世界では、イザナミはクラリスに生まれ変わり、イザナギの生まれ変わりであるルパン三世から「大変なもの」を盗まれていたのだった。

>gumさん
イザナミ・イザナギとジブリアニメのコラボ妄想、ごちそうさまでしたw
そのコラボ物語でふと気が付いたんですが、多分ナウシカはどちらかというとイザナギで、王蟲の方がイザナミかも。王蟲もイザナミも荒れ狂いますし、荒れ狂った理由はどちらも「死の恐怖」を象徴するものによって傷ついたことがきっかけ。

それと、自分の家系が隠し持つパワーゲームによる黒歴史を当初は受け入れたがらなかった)クラリスはイザナギで、黒歴史の化身であるカリオストロ伯爵は変わり果てたイザナミにも見えます。そう思った決め手は
「私を受け入れればその男(ルパン)の命は助けてやる」というカリオストロと、それを受け入れたクラリスのシーン。

>今の総理が「憲法改正」を悲願とする、安倍総理であるということも一つの歯車になっている気もしますね。

まさしく、現政権は「歯車」になっていると思います。
私は「憲法9条こそ戦争という国境を越えたパワーゲームから日本を守ってきた」とは思っていません。むしろ冷戦というパワーゲームの都合で作られたものだと思っています。これは2016年最初の記事にも書いてあります。

人間にはパワーゲームをする性があります。戦争に限らず、この世のいたるところで様々なパワーゲームが繰り広げられ、時にはその醜くおぞましい姿が「事件」として報じられることもあります。どんな人間にもそのような性があるのなら、どんな国家にも同じくその性はあるでしょう。
ある意味、憲法9条を盲信する発想はそんな醜さやおぞましさも併せ持つ人間の性を忌み嫌って目を背ける発想であり、イザナミの醜さ・おぞましさを忌み嫌い目を背けたイザナギに通じるものがあると思います。

神話にもある通り、日本には古代からの「パワーゲームの性によって生じたカルマ」があります。日本人にもまた日本的な(醜くおぞましい)パワーゲームの性が染みついているわけです。
現在は憲法改正が焦点とされている一連の歯車が生み出す流れは、そんな日本(日本人)が抱えるパワーゲームの性から目を背けず向き合うことを余儀なくされる流れになっていくでしょう。
己の内に、醜くおぞましパワーゲームの性があることを目を背けず受け入れる。その醜さは自分の一部であると認識する。それでもなお自分という存在とその未来の可能性を否定しない。それが第一段階。
そして、パワーゲームの性から目を背けず向き合い、それが自分の一部であると受け入れた上で自己否定をすることなく冷静に見つめ続けることからその性に秘められた背後の事実を突き止める。これが第2段階。

イザナミや王蟲や乙事主やシシ神は、「死の恐怖(パワーゲームの性が生まれた原因=不死なる命のあるべき姿の封印)」を象徴するものによって深く傷つけられて手に負えなくなるほど荒れ狂う(醜くおぞましいタタリとなる)ことで、パワーゲームの背後にある「事実」からも目を背けず向き合うことを促しているようにも感じます。
人が持つ「パワーゲームの性」こそがひとつのタタリなのでしょう。自分達がタタリを(封印を)抱えていることから永遠に目を背けることは出来ない。イザナギは変わり果てたイザナミから永遠に目を背け続けることは出来ない・・・

パワーゲームの性が地母神と不死なる命のあるべき姿(地母神は不死なる命を源としているので両者は表裏一体)を封印したことによって生まれたのであれば、封印した事実からおぞましさや醜さが生まれたのだとすれば、その事実目を背けず向き合い、封印を解くことから逃れられなくなる日は必ず来るでしょう。
もののけ姫のラストに、シシ神が「不死なる命のあるべき姿」を取り戻すシーンがあります。ポニョは「フジモト(不死の源)」が持っていた命の水を海に開放したことで、海が「不死なる命のあるべき姿」に戻ったんじゃないかと妄想してます。
あのシーンは一種の予言だったりして(願望)。

AYA様
なるほど、ナウシカがイザナギで王蟲がイザナミ。
そして、クラリスがイザナギで、カリオストロ伯爵がイザナミですか。

昨今では「ひょっとして私たち、俺たち」「入れ替わっている」というアニメ映画が一世を風靡しているので、性別を入れ替えて考えるというのも、発想としてはアリだと思います。

というよりも、神話などを考える場合には、肉体的な性別よりも、その役割に注目して考えたほうがいいのでしょう。

そういう視点に立てば、「王蟲の役割とカリオストロ伯爵の役割が、イザナミと同じである」。こういう論理は成立すると思います。

そこで、妄想ついでにイザナギイザナミの神話を冨野アニメに当てはめた場合には、どうなるかを考えてみてください。

たとえば、ファーストガンダムを考えたときに、ララァがイザナミであるならば、イザナギはアムロなのシャアなのかどちらなのか。とか。

あるいは、特定の個人というよりも、1stガンダムの地球連邦対ジオン公国の戦争の構造そのものが、イザナギとイザナミの対立構造を象徴しているとか。

つまり、地球連邦がイザナギでジオン公国がイザナミである。と。

ジオン公国は地球から最も離れているコロニー群であり、その意味においては、黄泉の国と同じであり、そこに、宇宙に適応した新人類による理想郷の実現を訴えた、ジオン・ダイクンが表れるものの、デギン・ザビの謀略により暗殺される。

その後、ジオンの掲げた「地球からの独立」が地球連邦から否定されたことで、ジオン公国は実力行使に及び「1年戦争」に突入する。

そして、それが、イザナギとイザナミの対立の構造に当てはまっていくと。

つまり、地球連邦によるジオン独立の否定は、そのまま、イザナミの姿に目を背けて、逃げようとしたイザナギのしたことと同じである。と。

そして、その後ジオン公国はコロニー落としを経て「タタリ」へと変貌を遂げていく。

こうやって考えてみると、「パワーゲーム」という視点からアニメを見た場合、宮崎駿さんよりも冨野善幸さんのほうが、より激しいパワーのぶつかり合いを描いていますね。

何しろ、彼は「皆殺しの冨野」の異名を持つくらいですから。

あるいは、冨野さんも宮崎さんも、そういう意味での日本人のもつ無意識レベルでのパワーゲームに対する「カルマ」をアニメという形で、描いてきただけなのかもしれませんが。

>gumさん

あいにくガンダムは詳しくないです。
ただ、有名な「コロニー落とし」とやらは原爆投下がモデルになっているとどこかで聞いたことがあるので、それなら祟りっぽいかなと思います。

「君の名は」に関しては、日本神話云々というよりも、庵野監督の「シン・ゴジラ」に近いイメージを感じます。
「皆で力を合わせて危機を乗り越えよう!」みたいな。
シン・ゴジラにせよ「君の名は」にせよ、土建屋が喜びそうな復興利権を感じますw

イザナミ・イザナミ神話やパワーゲーム妄想にあてはめやすいのはガンダムや君の名はよりむしろ「ペプシ桃太郎」のキジが出てくる回ですかね。

http://aya-uranai.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-5429.html
http://aya-uranai.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/2-40f5.html

AYA様
「あいにくガンダムは詳しくないです」。
そうですか、それは失礼しました。

とりあえず、wikiなどでガンダムのあらすじなどを把握してもらえれば、上で書いた「妄想」が当たらずといえども遠からず、なのが分かっていただけると思います。

それと、イザナギ、イザナミとタタリ、パワーゲームなどの視点から見ると、むしろ冨野さんのもう一つの代表作である、「伝説巨人イデオン」のほうがあてはまるかもしれませんが。

こちらは、ワープ航法(デスドライブ)を開発した地球人類が、アンドロメダ銀河のソロ星で、未知のエネルギーで稼働するメカと宇宙船を発見したところ、そこにバッフクランと呼ばれるもう一つの「人類」がやってきて、彼らが「無限力」と呼ぶその「未知のエネルギー」をめぐる攻防戦が始まり、やがて地球人とバッフクランの全面戦争に発展していくというお話です。

この物語で「キー」となるのが、地球人の将校であり宇宙船の艦長になるジョーダン・ベスという青年と、バッフクランの軍のトップの娘でありながら、ソロシップ(遺跡宇宙船)の主要スタッフとなり、その後ベスと愛し合い、その子をもうけることになるカララ・アジバの存在なのですが。

最終的に、この物語は無限力の解放で、二つの人類は滅んでしまうが、その意識(魂)はベスとカララの息子である「メシア」の導きで、新たな地球に光となって降り注ぎ再生していきます。

あと、ゴジラがああいう形(シン・ゴジラ)で復活したのもある種「歯車」の一つになっていると思います。

結局この映画は、一般国民に対して、「有事」が発生したときにどのような手続きを経て、自衛隊が動きどういう段取りに基づいて「日米安保」が適用されて、アメリカ軍が動くのかを告知する目的で作られたものでしょうから。

憲法改正が取りざたされ、日米安保をめぐる議論が白熱する時期に、この映画が封切られて大人気になるのもある種の必然だと思います。

というよりも、このシン・ゴジラが大人気になることで一番得をする人物が、実は安倍総理ではないかと自分は思っているのですよ。

そういえば、AYAさんはゴジラを倒すために使われた作戦が、「ヤシオリ作戦」と呼ばれ、元ネタがスサノオのヤマタノオロチ退治であることは、ご存知ですか?

その舞台は言うまでもなく、出雲でありスサノオがオロチを倒すために使ったのが「八塩折の酒」である。と。
こういうことなのですが。

>gumさん

ゴジラを倒すのに「ヤシオリ」作戦ですか。意味深ですねw
ゴジラは確かにヤマタノオロチに例えやすい怪獣だと思います。それを庵野氏が手掛けると怪しさ満点w
ゴジラのしっぽから「草薙の剣」的な何かが出てきたり、あるいは、「もとは対ゴジラ用として草薙重工から開発された日本の強力新兵器が自衛隊に標準装備されることで日本の軍需産業・軍事覇権の台頭と世界のパワーバランス変化がどうのこうの」とかいう展開になると個人的にはもっと面白いんですがねw

話変わるんですが、実は昨日、この記事で少し出した長野県栄村(昔は出雲に龍脈を引っ張られていた越の国エリア。311の余震多発地域)でヘリコプターから「草刈り機」と「ウインチ(引っ張り作業の道具)」が山中に落下する事故が起きました。
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12145-2016102700904/

オカルト妄想脳の悪いところで、出雲と因縁深い鳥取の地震の後だとこんな何でもない出来事が草薙の剣や国引き神話を象徴するシンクロニシティーに見えてしまいますw

出雲の神話と龍脈
http://aya-uranai.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-26ad.html

AYA様
「シン・ゴジラ」はまさしく、ゴジラの尻尾から「何かが出てきた」ことを伺わせることで、終わっています。

つまり、それが「続編」への布石になっていると。

このヤシオリ作戦の概要を書くと、ゴジラは核分裂反応で活動するが、ある種の化学薬品を体内に注入することで、核分裂反応を停止させゴジラを「凍結」させることができることが、ゴジラの生みの親の牧博士の研究資料から明らかになり、「核ミサイルによるゴジラの抹殺」という、アメリカを中心とした世界の「意思」に対抗する手段として、くだんのゴジラ凍結作戦が「ヤシオリ作戦」として実施されるわけです。

その実施内容が、福島原発でも活躍した、高所注水ポンプ車に凍結液を満タンに入れて、東京駅(そういえば、東京駅には「八重洲口」がありますね)で「休眠」しているゴジラに新幹線や東海道線の列車に爆弾を仕込んでゴジラにぶつけて転倒させて、そのうえで高層ビルを爆破させてそのがれきでゴジラを動けなくして、百台近くのポンプ車でゴジラの口から冷凍液を次から次へと注入して、最終的にゴジラは仁王立ちの状態で「凍結」するわけです。このあたりは、福島原発の冷却処理が下敷きですが。

そして、結末部分で凍結したゴジラの尻尾の先端がアップされて、そこが「パッカーン」と割れていて、「何かが出ていった」ことをにおわせて、この物語は終わります。

しかも、その周辺には人間とゴジラの融合体(ゴジラ人間)ともとれるものの「骨」がいくつもありました。

そういえば、庵野秀明さんは1984年に押井守、樋口真嗣さんと組んでそのものずばり、「八岐之大蛇の逆襲」という自主映画を作っているそうです。

こちらは、現代に復活したヤマタノオロチが自衛隊と戦う話だそうですが。この作品は、文字通りの意味で、「シン・ゴジラ」の「祖」なのでしょう。

こういう意味でも、庵野さんがシン・ゴジラを作ったのは必然だと思います。

それと、ゴジラを凍結させるために使われた特殊車両(つまりポンプ車)のコードネームが、「アメノハバキリ」であり、ここからもシン・ゴジラがスサノオのヤマタノオロチ退治を意識して作られたことが、明らかになるでしょう。

あと、オカルト的に長野の地震を考えたときに、昨年末にあった長野の地震の震源地が「白馬村」だったことのほうが、重要だと思います。しかも、日本では「白馬」と書いて「あおうま(青い馬)」と読ませることもあるそうです。
実際、あおうまと入力して、「白馬」と変換されますから。

オカルト的に考えたとき白馬、赤馬、黒馬、青馬(より正確には青白い馬)が何を指すかは、言うまでもないと思います。

そういえば、有事の際に国民保護法が発令された時のサイレンが、「ラッパの音(より正確には、サックスのような低音のラッパ)」に酷似していることはAYAさんはご存知ですか?

シン・ゴジラとヤマタノオロチの話をもう少し続けます。

このシン・ゴジラは基本的に「日本国政府の官僚や政治家たちが、巨大未知生物であるゴジラに向き合い、倒していく」という構造を持っています。

つまり、ゴジラをヤマタノオロチだと考えると、日本国政府がスサノオになるわけです。

それと、もう一つ、出雲には出雲大社があり、そこには「大国主」が祭られています。

つまり、出雲には大国主がいるわけですが、これを逆転させると、「大国主がいるところが出雲である」こうなるわけです。

では、現代における「大国主」は誰でしょうか。

近代的な民主主義の枠組みで考えると、国民が主権者なので、国民が「国の主」となりますが、政治的にはその国民から選挙によって国を預かることを付託された「政府」が国の主になるでしょう。

また、天皇を国民の統合の象徴と考えると、天皇が国の主であると考えることもできます。

もちろんこれには、今では否定論のほうが強いのでしょうが、ここではそれは関係なく、ここで言いたいことは現代の大国主である日本国政府の中枢があり、天皇がいるところである東京が、現代における「出雲」ではないかということです。

ついでに言うと、国会議事堂が現代の「出雲大社」かもしれませんw。

そして、大国主の別名は「大黒天(正しくは大暗黒天だとか)」であり、その源はインド神話のシバ神であり、さらに大黒天=スサノオでもあるそうです。

つまり、シン・ゴジラとは文字通りの意味で、「現代の大国主のいる現代の出雲である東京で、ヤマタノオロチであるゴジラと大国主でありスサノオでもある日本国政府が戦う話」だったわけですね。

そして、そのための武器がヤシオリとアメノハバキリであった。と。

あと、おまけでもう一つ、このアメノハバキリに関して調べていくうちに一つ、気になる話を見つけました。
こちらのブログになりますが。
http://scotchhayama.hatenablog.com/entry/2016/08/10/221923

ここには、アラハバキ神に関して書かれていて、少し長くなりますが引用すると、こう書かれています。

「アラハバキの神とはなんでござりまする」(中略)

須佐之男命が出雲の民より神剣を奪った。草薙の剣と申してな・・・別名をアメノハバキリの剣と言う(中略)

「ハバリキの剣」

「鉄で作った刀のことじゃ。それまで朝廷の祖先らは鉄の刀を拵える技を持たなかった。出雲の民を滅ぼして、ようやく手に入れた」

「するとアラハバキとは?」

「鉄の山を支配する神じゃよ。この神の鎮座ましますところ、必ず鉄がある。アラハバキの神は鉄床を磐座となされる。我ら物部はその磐座を目印にして鉄を掘りだし、刀や道具を代々生み出して参ったアラハバキの神こそ物部を繁栄に導く守り神」
「・・・・・・」
「そればかりではない。アラハバキは少彦名神とも申して、出雲を支配していた大国主命のお手助けまでなされた。それで蝦夷も大国主命とともにアラハバキを大事にしておる」
なるほど、と二人は頷いた。物部は鉄の在処を知らせてくれる神として、蝦夷の祖先の地である出雲の神として敬っていたのである。

詳しくは、このブログ本編をご覧いただくとて、このアラハバキと少彦名神と剣と鉄、そして出雲、蝦夷との関係性について、AYA様はどう思われますか?

おそらく、ここにオカルト妄想的に見た、古代日本の謎が収斂してくると思うのですが。

それとあと、ここ数年の地震の震源域は同時に鉄の産出地ではないでしょうか? 

さらに、ヤマトタケルの東征と西征は実は「先住民族から鉄を奪う」のが目的だったと。

>gumさん
シン・ゴジラのお話、興味深いです。個人的に、オロチ=ゴジラのしっぽから出てきた草薙の剣はその当時のパワーバランスのカギを握る軍需産業(古代なら製鉄・現代なら核技術)の象徴ではないかと思います。
この軍需産業によって大和のパワーバランスは飛躍的にUPする。庵野氏(自民党の拠点、山口県出身)はそんな神話と同じシナリオを現代に復活させたいという政府与党の夢を映画に取り入れたように妄想しました。

また、製鉄の技術(=イザナミが生んだカグツチ)はスサノオが生まれる前に既に存在しているので、出雲の国譲り以前から大和朝廷は製鉄技術を持っていたと考えられます。
また、出雲の人々が東北に移住したという説はありますが、蝦夷という民族は関東~北海道~樺太・カムチャツカなど広範囲に分布していた諸民族の総称なので蝦夷と出雲を同一視するのは無理があると感じますが、出雲からの移住者が移住先で蝦夷の一部と同化していった可能性はあるかもしれません。
アラハバキに関しては、起源にいまだ不明な点が多いようなので、色んな想像が出来てロマンチックですね。
個人的に、アラハバキは元々は巨石信仰とも縁深い蝦夷の神様が客人神として氷川神社などに祭られている説が気に入っています。また、アラハバキもまたオロチ同様龍脈を象徴する神であったのではないかと妄想しました。

サイレンの話は初耳でした。

興味深い議論をされている所、横から失礼します。
ゴジラシリーズの作曲家、伊福部昭は長く続く因幡の神主の家系の出身で、明治維新以降(祖父の代)に北海道釧路に家族で移住しました。
夏に出雲大社釧路講社の神主さんが当店に来られた時に、興味本位で伊福部氏の話を聞いてみました。そうしたら、伊福部氏の事は知らないようでしたが、思わずたじろぐ様な強い殺気が神主さんから出ていたのがとても印象的でした。
他にも伊福部昭+出雲or因幡で検索すると詳しそうなブログが沢山出ます。読んでお役に立てて下さい。

>だつやんさん

興味深いお話ありがとうございます。早速検索してみたところ、面白いサイトを見つけました。以下抜粋。
http://www.akira-ifukube.jp/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%BB%E3%82%A4/%E9%9B%91%E5%8F%B8%E3%81%8C%E8%B0%B7%E3%81%AE%E4%BC%8A%E7%A6%8F%E9%83%A8%E6%98%AD%E2%91%A0/%E9%9B%91%E5%8F%B8%E3%81%8C%E8%B0%B7%E3%81%AE%E4%BC%8A%E7%A6%8F%E9%83%A8%E6%98%AD%E2%91%A3/
伊福部家は実在する人物が7世紀まで遡ることができる古い家系なのであるが、更に遡ると神話時代の始祖は大国主命で、そしてその系統の遡上には八岐大蛇を退治した素戔鳴尊(スサノオノミコト)がいる。かつて伊福部もその素戔鳴尊が主人公の映画『日本誕生』(1959)と『わんぱく王子の大蛇退治』(1963)の音楽を担当したが、神話の時代とはいえ、自身のはるか遠い祖先の話に音楽を付けることになったというのも何かの因縁だろう。

第1作のゴジラは日本人に心に刻まれた戦災の記憶の象徴みたいに描かれてましたね。それこそ体のどこかに「軍需産業(戦争ビジネス利権の源)」の象徴である草薙の剣を隠し持っていてもおかしくない感じです。
また、ゴジラのテーマ曲を作曲した伊福部氏が戦時中に戦時科学研究の放射線障害によって兄を失っているのも因縁めいています(ゴジラも放射能出しますから)。

>出雲大社釧路講社の神主さんが当店に来られた時

すごい体験なさってますね・・・(・o・;)
日本最鬼門エリアの釧路と、そこから裏鬼門の方角にある出雲が鬼門線(別名神の通り道)で結ばれているのは非常に意味深です。北海道東北部の龍脈は、今後の日露関係次第ではきの流れが大きく変わる可能性のあるエリアでもあります。

>>出雲大社釧路講社の神主さんが当店に来られた時
>すごい体験なさってますね・・・(・o・;)
年に一度お参りに来られます。道東をまめに回っているようですよ。

伊福部家やその他の神職の方達が出雲を追放されたのは、彼らが維新側に都合が悪いからと伝記に書いてあるのを読みました。そんな伊福部氏がゴジラの作曲してるのは何か意味深です。

>だつやんさん

おそらく、明治政府が西洋のキリスト教をまねて作った国家神道と出雲大社の折り合いが悪かったんでしょうね。
出雲大社もプライドがあるから伝統を曲げてまで国家神道の傘下に組み込まれるのが嫌だったのかも。
明治以降に作られた「偽の伝統」って結構多いらしいです。

ほかのところにコメントを書くついでに、たまたまこちらを再読してみたら、なんというか、ゴジラというのはいろんな意味での、シンクロニシティに乗っかってできてるものなのですね。

そうですか、ゴジラのテーマを作曲された方にそういう出自があったのですか。

「現代におけるスサノオのヤマタノオロチ退治の神話である、ゴジラの楽曲を作曲したのが、出雲神官の出自を持ち神話的には大国主とスサノオを祖先にもつ伊福部氏だった」。これだけで、映画や二時間ドラマの脚本が書けそうです。「ゴジラを作った男たち」とか言って。

ひょっとすると、円谷英二さんはこのことを最初から知っていたのかもしれませんね。

あと、国家神道は文字通りの意味で、天皇をキリストと同様の「現人神」に仕立て上げて、日本を「欧米化」するために作り上げられたいわば「人工宗教」のようです。

このあたりことは、「小室直樹 天皇」で検索すると、もう10年近く前に他界された小室直樹さんが書いた天皇関係の著作の概略が分かるでしょう。

今調べてみたらもう30数年前に書かれた「天皇畏るべし」が復刊されていましたし。

>gumさん

明治以降から日本人の間にも一神教的な発想(時に排他性・差別性が高く強権的)が普及してきたとも言えますね。その点で、日本もポリティカル・コレクトネス(差別主義者=異端者の烙印になる誤解を防ぐための方便。時に言いがかりや誹謗中傷などの道具、現代版の異端者狩りの道具として機能してしまうことも)の問題は他人事じゃなくなっているかもしれません。

表面上(建前)ではいかにも「善良な子羊」を装っていたとしても、本音や無意識の底では非常に排他的・差別的・利己的な発想や衝動が息をひそめ、抑圧しすぎると反動で猛獣のように暴れるのが人間というものです。その内なる猛獣とどう付き合うか、というテーマがタロットカードの8番「力」のカードに描かれています。

特に、一神教的な発想というのは、その起源自体が利害対立に勝利するために作られたものなので、なおさら利己的・排他的になります。
人類最古の一神教はモーセがいた頃の古代エジプトで、当時有力だったエジプトの神官達と利害対立をしていたエジプトの王様アメンホテプ4世が自分のイニシアチブと地位をキープし利害対立に勝つために「他の神を崇めるのはやめて自分を太陽神アトンの化身として唯一崇めよ」と立ち上げたアトン信仰に由来します。
旧約聖書だとモーゼを育てたのは同時代のエジプトの王族ということになっているんですが、それだと例のアトン信仰を立ち上げたアメンホテプ4世はモーゼから見て「父」になりうるんですね。
だからモーゼが立ち上げたアトン信仰の後継とも一部で噂されてるユダヤ教が「父なる神=唯一神を崇めよ」という教義であるのは非常に辻褄だけは合うんですよね・・・

AYA様
「明治に入って近代化する過程で、欧米の排他性や異端者狩りの要素を持つポリティカル・コレクトネスの源流がもたらされた」確かにその通りですね。

しかも、日本人の根っこには、AYA様のブログのほかのところにも書かれている通りの、「異民族や異人種と接触しないいわば箱庭のような環境で生きてきた」状況下での日本人の無意識レベルの「同調圧力」と一神教的な排他性が結びつくと、それこそ身の毛のよだつようなことが起こる気がするのですが。

というよりも、すでに起き始めていますね。

過去一年間を振り返ってみても、昨年夏の佐野叩きから今年春以降のベッキー叩き、舛添叩きなどなどを見るとその構造は完全に「魔女狩り」や「異端審問」と同一ですから。

まあ、ベッキーにしても舛添元知事にしても批判されても仕方のないことをしたとはいえ、あそこまで叩かれなければならない理由はないでしょう。

それでも、今の韓国の「パククネ叩き」に比べれば、まだましな気もしますが。

しかしよくもまあ、韓国人は「自分たちの責任で選んだ大統領」に対して、あそこまでの仕打ちができるのだかわかりませんが。

いずれにしても、近代民主主義社会においては、政治家にしても芸能人にしても、「不特定多数の者たちに「選ばれた」からその地位にいられる」わけなので、当然「選んだ者の責任」も問われなければならないはずなのに、それに関しては頬かむりしている人があまりにも多いのではないでしょうかね?

いずれそのうち、大きなブーメランがそういう人たちに直撃すると、自分は思っているのですが。

>gumさん

まさに、日本が一神教的排他性と融合・共鳴してしまった背景に「箱庭環境(異質というものが未経験ゆえに異質なものに対してどう対応していいかわからない)」というものがあるのだと思います。
昔の日本人にとって一神教的排他性もまた「異質」なものであったのですが、融合・共鳴することで異質感はなくなったのかもしれません。

>ベッキー叩きその他
憂さ晴らしを求めて(あるいは弱肉強食の手段として)落ち度や欠点のある者を生贄にして叩く文化が日本には以前からあったのだと思います。それで「長所を伸ばすより欠点を無くすことを優先し減点法でものを考える」という自衛手段由来の癖があるように思えます。
「出る杭は打たれる」「能ある鷹は爪を隠す」ということわざもあります。目立つと落ち度を発見されやすい=生贄になりやすいということでもあったのかも(妄想)。

舛添氏やベッキーに関しては、憂さ晴らしの生贄を求める大衆心理だけでなく、何らかの勢力争いもあったかもしれません。特に政治の世界はね・・・

韓国人の朴政権叩きは、自分達が民主的に選んだ政権に裏切られ苦しめられたと感じ、政府に対する不満が一気に噴き出た結果のようにも思えます。
まあ自分達で民主的に選んだ政権によって残業代を0にされたり派遣法改正でより一層正社員になりにくい(=格差拡大する)世の中にされたりと日本も韓国を笑えないかもしれません。何しろ昔から龍脈がつながってる(似たような運勢になりやすい)ので、両国ともにブーメランが直撃する可能性は大きいと思います;
自分の運勢は自分が作ってるわけで、国民一人一人の運勢(良いところも悪いところも)が国の運勢に反映するのは必然でしょう。なので、自分の運勢を良くしていけばその国の運勢も少し良くなるかもしれません(妄想)。

他国間でお互いに欠点をあげつらい叩き合ったり嘲笑しあって憂さを晴らし、「あいつらより自分達はマシだ」と己を慰め問題と向き合わず誤魔化したり隠したりする生き方はしない方が国も人も開運すると思います。

AYA様
「自分の運勢は自分が作ってるわけで」。これは、禅的な言い方をすると「一切唯心造」になり、スピリチュアル的な言い方をすると、「思考は現実化する」ということですね。

ただ、どういう思考の「型」が自分にとって、よりよい現実(運勢)を生み出すのかが、なかなかわかりないのが厄介なところだと思います。

こういう時に、参考になるのが織田信長の思考法ではないかと、ついさっき思いついたところですが。

あと、日本にかかわらず、「落ち度や欠点のある者を生贄にして叩く文化」というのは、洋の東西を問わずに受け継がれた人類のさがなのかもしれませんが。

そしてそれが、日本では明治以降の唯一神教化(国家神道)政策によってブーストしていく。と。

それと、「出る杭は打たれる」で連想する人物をとりあえず3人上げると、古くはイエス・キリストで、日本においては織田信長、そして現代ではスティーブ・ジョブズになるでしょうか。

イエスは磔にされ、信長は本能寺で焼き討ちにあい、ジョブズはアップルを追放されました、が、その後アップルのCEOに返り咲いてその後imacその他を生み出しました。

ジョブズと前二者の違いは「時代の変化」が大きかったと思いますが、何にしても、ジョブズは現代に生きていたのが幸運だったというところでしょうか?

もっとも、イエスは現在放送中の某アニメでは、「廃棄物」という集団の王になっているようです。
そして、信長はその廃棄物に対抗する「漂流者」の一員ですが(なぜか彼は、片目に眼帯をしています)。

それと後、これから先「ポリティカル・コレクトネス」の状況が加速化すると、ホッブスの言う「万人の万人に対する闘争」が表面化することになるでしょうね。ていうか、すでにそうなりつつありますけど。

元々、近代型の民主主義はこの「万人の万人に対する闘争」を制御するためのシステムとして、「社会契約説」という概念が生みだされてそこから、現代にいたるわけですが。

ひょっとすると、トランプ大統領の誕生と、韓国のパククネ叩きはある意味での「ちゃぶ台返し」の幕開けなのかもしれません。

そして、ホッブスは「民主主義が死ぬとその死体から、リバイアサン、あるいはビヒモスという怪獣が生み出される」と警告しています。

>gumさん

>洋の東西を問わずに受け継がれた人類のさが

まあ確かにw

>万人の万人に対する闘争

弱肉強食自体が人のさがでしょうね。欠点を叩いたり、(ポリコレ含め)言いがかりをつけて攻撃すること自体が憂さ晴らしのみならず、弱肉強食の道具になってます。
本来は民主主義のツールである多数決ですら、その道具になります。最も少ない犠牲で済む道を見つけるため(=大多数の希望を優先し少数の希望は犠牲にする)に開発されたのが多数決ですし。
結果、どうしても常に大多数の希望ばかりが叶えられ、少数(マイノリティ)は常に犠牲になる傾向が出ます。
交互にバランスよく希望を叶える(交代で優先権を得る)というシステムが確立されてればいいんでしょうけど、人間が利己的に自分の欲求のみを優先するクセ(貪欲性)から卒業しない限り、そのシステム自体が争い(弱肉強食)の道具になります。

民主主義が抑圧していた(目を背けて放置していた)課題の象徴であるモンスターは貪欲(ベヒモス)と嫉妬(リバイアサン)なんですね。両者はコインの裏表。貪欲だからこそ自分の欲が叶わず他者が欲を叶える姿が妬ましい。
人間をそこまで制御不能な貪欲性に駆り立てるものは何なのか。おそらく生命力(生存本能)なのでしょうが、その扱い方・使い方はあまりに稚拙で、お世辞にも「上手に扱っている」とは言えません。貪欲性の源にある生命力(生存本能)=力のカードに描かれた内なる猛獣(ライオン)・・・をうまく手なづけるのは至難の業かもしれません。

AYA様
多数決について書くと、本来多数決と民主主義とは何の関係もないわけです。

元々、多数決というのはローマ教皇の選出の過程で生み出されました。

この教皇選出のプロセスは全会一致が原則で、これだとあまりにも時間を食いすぎるため(何しろ、この教皇選挙のことをコンクラーベというくらいですから)その効率化のために、多数決という考え方が生み出されました。

そういう意味で言うと、「多数決」=「民主主義」ではありません。

民主主義は組織体の意思決定権(主権)をだれが持つかという話で、「人民が主権を持つ」これが民主主義の原則で、だからこそ、人民がそれに見合った「責任」を負う必要があるのですが。ただ、この場合の「責任」は「間接有限責任」です。

その辺に対する理解が、日本人(というか東洋人)はほとんどできていないのですね。

あと、「民主主義が抑圧していた(目を背けて放置していた)課題の象徴であるモンスターは貪欲(ベヒモス)と嫉妬(リバイアサン)なんですね」このくだりを読んでみると、ホッブスが「リバイアサン」という本を書き、そこから近代的民主主義が生み出されていくのが、ある種の必然であることが理解できますね。

ちなみにいうと、ホッブスの言うリバイアサンは強権的な独裁国家であり、ビヒモスは無秩序無規範状態で崩壊した社会(社会契約という概念のない社会)を指すようです。

そして、今の国際社会(日本を含めて)は文字通りの意味で、そのどちらかの分水嶺にいる気がしますね。

あと、タロットカードの「力」についてですが、伝統的なデッキ(マルセイユ版や1JJ版など)では「力」のカードは大アルカナの11番目であり、8番目が「正義」になりますが、20世紀に入ってから作られたライダー版では、アーサー・ウエイトが力と正義の順番を入れ替えました(ついでに言うと、彼は、審判と世界の間に愚者を入れましたが)。

これって、「力は正義なり」なのか「正義が力」なのかその答えは、ウエイトのみぞ知ることかもしれません。

そういえば、クロウリーはこの力のカードのことを、「LUST(肉欲)」と名付けたのが意味深ですね。

それと、「力のカードに描かれた内なる猛獣(ライオン)」これを、仏教では「貪瞋痴の三毒(つまり煩悩)」と表現していて、それを制御するために、禅を中心とする東洋の智慧が生み出されました。

そして、日本人は元来その智慧を受け継いでいるはずなのですが、戦後に入って、どこかに忘れてきたようです。

>gumさん

>力こそ正義

人類史見てると、この「力」をライオン(内なる猛獣・煩悩)を手なづけることではなく、ライオンそのものの暴走力のことと取り違えてるように見えます。

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