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2016年10月

2016年10月21日 (金)

鳥取の地震と龍脈

※以下に書いたことはすべて個人の妄想です。被災地に心よりお見舞い申し上げます。

鳥取県中部で震度6弱 気象庁会見(全文1)発生1時間以内に震度1以上17回
(10.23追記:鳥取の地震以降、阿蘇~熊本の余震は減っている)

ちょうど以前に書いた出雲に伝わる「国引き神話」を題材にした妄想記事を読み直していたところにTVから地震のニュースが入ってきて鳥肌。震源は出雲~元伊勢~伊吹~富士~寒川~千葉沖を結ぶ春分・秋分レイライン(図の緑線)の真上である。
強い揺れを観測したエリア(隠岐・大山)は国引き神話によると「貧弱な出雲を強化するために大地(龍脈?)を引っ張ってきたエリアおよび引っ張るロープをかけた杭の位置」である(出雲の神話と龍脈参照)。
神話では貧弱な出雲の土地を強化するために他所から土地(龍脈の象徴?)を引っ張るための綱をかけた杭が島根の三瓶山と鳥取の大山で、大山は強く揺れた。また、余震の震源地が本震より大山に近いケースも発生している。
国引き神話で土地(龍脈?)を引っ張ってきたエリアは越の国((越前・越中・越後を合わせた地域)、隠岐、新羅の岬などと言われている。越の国は311直後に余震が多発していたが、当時隠岐や出雲や新羅(韓国)は特に揺れていなかった。

また、件の春分・秋分レイラインの延長上にある海域で先月、しかも秋分シーズンの22~23日にかけ群発地震(うちM6クラスが2回)が起きていたことは記憶に新しい()。
しかも先月は韓国(国引き神話で引っ張られた新羅)でも観測史上最大規模の地震が起きていた()。
レイラインと国引き神話・・・どちらも「出雲」と縁深い場所で起きた龍脈変動である。
先月あったレイライン東の群発地震がそっくりそのままレイライン西部の鳥取で再現されていると言うつもりはないが、両者にもし何らかの関連性がある場合、鳥取ではM6クラスの地震があと1回は来る可能性もある(気象庁も似たようなことを言っている)。
今のところ、今回の地震を含め先月と今月は越の国エリアでは大きな変動が起きていない。越の国の長野県栄村は311の直後から多く揺れたが2011年の時点で既に揺れ終わったのか、今後影響なり象徴的な現象なりが出てくるのかは不明。
今のところは2011年当時揺れなかった国引き神話関連地域が今回揺れた(変動した)と妄想中。
また、熊本に続き近代日本を立ち上げた薩長土肥の火気流失現象としての側面も感じる。

今回の変動が件の秋分レイラインの東で起きた変動(関東沖群発地震)がレイラインの西を刺激した(変動波が伝わった?)ことが引き金だとすると意味深だ。 あのレイラインが通っている富士山は「お金の不徳を正す龍脈」とつながっている。その龍脈の要素もレイライン西部エリアおよび国引き神話エリアに伝わっていく可能性も0ではないかもしれない。鳥取が揺れる前日にはその龍脈上にある硫黄島でM6.0の地震があったのでそんな妄想をしてしまった。

もう一つ気になるのは、このレイラインがヤマトタケル神話の、特にタケルが妻の弟橘姫を失う下りとも縁深いレイラインである(妻が生贄になった海域と失った妻を嘆いた山周辺をこのレイラインが通っている)ということと、イザナミのお墓(出雲をはじめとして各地に散在)の一つがある鳥取県西伯郡がこのレイラインにも震源にも近く、強く揺れた変動地域の一つに含まれていたことだ。
ヤマトタケルと出雲、そしてイザナミの死を結びつける一本の線・・・東征とそれを支えた出雲の軍需産業そしてそれらをきっかけとする地母神(イザナミ)の封印を連想した。イザナミは製鉄(=軍需産業)の神を生んだ時やけどで死んで、出雲をはじめ各地にお墓があるからだ。そんなイザナミのお墓)の一つがある鳥取県西伯郡は震源に近く強く揺れた地域の一つであり、なおかつあのレイラインエリアにある。
そんなことを思うと、311以降続く日本の東征&軍需産業のカルマが運気変動しているようにも感じる。
(なお、第2次東征ともいわれる太平洋戦争中にも鳥取県で大きな地震が起きている
イザナギとヤマトタケル、両者とも妻を失っている。「我が妻」を意味する古語は「あづま(吾妻)」。古事記によれば、東を意味する「あずま」という言葉はヤマトタケルが足柄付近の山から東の海を眺めて失った妻を嘆き3度呟いた「我が妻(あづま)」に由来する。きっとイザナギもイザナミを失い「あづま」と嘆いただろう。
東征を支えた軍需産業の神を生む際犠牲になった妻を嘆く夫と、東征の旅路で夫を救うため生贄になった「妻」を嘆く東征の英雄。その両者が囁く言葉は「東(Azuma)」という皮肉・・・

◆以下、以前に書いた妄想物語を少しいじったストーリー。このブログを読む人には元ネタがわかるかもしれない。

昔々、様々な日本の神々や日本列島を生み出した夫婦神イザナギ(男)とイザナミ(女)は深く愛し合っていました。しかし出雲で製鉄産業(=軍需産業・東征の武力源)が興った頃、鍛冶と火を司る神(=軍需産業の神)を生んだ時にイザナミは火傷で死んでしまいました。死の恐怖を司る産業を生んだことで不死なる命(命本来の姿)を封じられた地母神のイザナミは死に、そして出雲にお墓が出来ました。
地母神(=魂が真に望む生き方=幸せを実現する運勢の源=魂の環境インフラ)を封じられた世界の人々は、「競争(戦い)の勝者しか幸せになれない=幸せは戦いで勝ち取る(奪い取る/他者を犠牲にする)ことでしか手に入らない・戦わない限り生き残れない」と思い込み戦いと競争に明け暮れるようになりました。
それ以来、多くの死が生まれ、死の恐怖が生まれ、それを糧に死の恐怖を司る産業が繁栄しました。

夫イザナギは亡くなった妻のイザナミが恋しくて妻に一目合おうと黄泉の国に出かけましたが、そこで全身にヘビがまとわりついたゾンビのような(タタリ神のような)本来の姿とはかけ離れ変わり果てたイザナミの姿を受け入れられず、怒り狂うイザナミから逃げ切り自ら縁を切ってしまいました。
イザナギは「死の恐怖」が生まれたこととイザナミ(地母神)の本来の姿が失われたという事実から目を背けたのです。その事実はイザナミと共に地下へ封印されました。事実から目を背けたままイザナギは民を生み続け、生まれた民は死の恐怖におびえつつ、生き残るために戦いと競争に明け暮れ多くの犠牲が出ました。

そして数百年後、二人はヤマトタケル(東征のヒーロー)と弟橘姫(東日本の豪族の娘)として転生し結婚しましたが、二人で東征という戦いの旅に出かける途中、浦賀水道で船が嵐に遭遇し弟橘姫は嵐を鎮めるために自ら生贄となり、二人は引き裂かれてしまいました。心に傷を負ったタケルはやがて戦死しました。

引き裂かれたヤマトタケルと弟橘姫(=イザナギとイザナミ)は、やがてアシタカとサンに生まれ変わりました。そこで二人は再会し、不滅なるシシ神の姿を見て命本来の姿を思い出し、お互いの愛を確認しつつも民の戦いは未だ止むことはなく、晴れておおっぴらな関係にはなれませんでした。

さらに二人は現代に宗介とポニョとして転生し、そこで「命の水」が海に解き放たれたことによる大津波をきっかけに宗助はポニョの真実(イザナギがかつて目を背けイザナミと共に封印した事実)から目を背けずに受け入れることを選びました。
そのことで二人は封じられた命本来の姿を取り戻し、ついに晴れておおっぴらな関係に戻れました。

二人が関係を修復し、封じられた命本来の姿と地母神イザナミが復活した時、世界は争いと死の恐怖を乗り越え、幸せの運勢を創造する一歩を踏み出せるのでしょうか?

2016年10月 9日 (日)

残酷な罠

日弁連、「死刑廃止」を宣言 賛成は7割弱、反対意見も
「殺したがるばかどもと戦って」 瀬戸内寂聴さん発言に犯罪被害者ら反発

かつて、「死は感情を満たす道具?」という記事で死刑制度と大衆心理について問題提起したことがある。
そのテーマに対し、社会はより本格的に向き合う必要に迫られていると感じる今日この頃。
失った悲しみを癒したい、前向きに生きるため区切りをつけたい、愛する被害者の恨みを晴らしたい、あまりに可哀想な愛する被害者の仇を討ってやりたい、失われた命の対価(代償)の支払い(=償い)を求めたい、犯人を同じ目に合わせたい・・・死刑を望む動機は様々だけど、多くの場合、心や感情を満たす欲求が動機になっていることが多い。
「死刑があると社会の秩序維持に便利だから」といった事務的な発想から死刑制度を支持する人は多分それより少ないだろう。

非常に酷な言い方だが、要するに、【感情を満たすために人の命を奪う手段を望む】という点で犯人の心理と被害者遺族の心理が一致してしまうケースすらありうる。場合によっては凶悪事件に感情移入して怒りのあまり犯人の死刑を感情的に望む大衆や裁判員の心理とも一致しうる(裁判員に至っては、自分の感情的動機で死刑判断をしてしまうと、後でトラウマになってしまうリスクさえある)。
だが少なくとも、被害者遺族は決して人殺しが好きな人種ではない。憂さ晴らしや感情的動機で人を殺す手段を選ぶなんて言語道断だと普段は思っている。
ただ、犯人が殺されることにしか癒しや救いを見出せない状態に追いやられ、その苦しみと悲しみのあまり、やむにやまれぬ状態になっているとは言えそうだ。

そう。刑法とは別個に、「被害者遺族をケアする仕組み」がこの国には全く存在しないのだ。
いわば被害者遺族のケアを死刑制度で代用しているようなものだ。その結果、多くの人々の頭の中で「死刑制度」と「遺族へのケア(いたわり)や救い」の2つが混同・同一視され、すり替わってしまってさえいる。何とも残酷な罠に落ちたものだ。
その現状では、死刑制度の廃止は被害者遺族への配慮や労りをやめることと同義になってしまう。これ、被害者遺族達がすごくそう感じてらっしゃるようだ。
だから「どうか見捨てないで・私たちを救って」と声を上げる。2つを混同させる罠の中から・・・

犯人逮捕から死刑判決という「ケア・救い」が実現するまで平均すると10年近くかかるという。最悪の場合、「罠」に落ちたせいで被害者遺族達は、救いが訪れるまで10年も苦しみ続けなきゃいけないことになる。

社会は愛する者を無残に殺された被害者遺族の苦しみを救うことは出来ない。でも、彼らが自ら立ち直っていく意志を持ってるとき、支援することは出来る。カウンセリング、セラピー、認知行動療法・・・死刑よりも効果のあるケアは色々ある。
個人的には、死刑制度よりもそっちの仕組みを充実させた方がいいんじゃないかと思う。例えば犯人が塀の中で働いて遺族ケアの資金を稼ぐ仕組みがあると合理的だし犯人が自分の罪(自分が傷つけた相手は被害者だけではなく遺族を含む)を自覚し反省を促す上でも多少効果はあるかもしれない。

少なくとも、死刑制度というものを「被害者遺族の救いとケア」を混同・同一視・すり替えた上で議論するのは筋違い・お門違いな気がする。
今騒動になってる死刑制度反対派も支持派も、もはや自分の感情を満たすための感情論に終始していて、もはや死刑云々・遺族の気持ち云々とかいうのはどうでもよくてただの勢力争いになってるんじゃあるまいな? などと妄想した。

似たような心理テーマ:いじめっ子を憎む心の落とし穴

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