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2016年7月

2016年7月31日 (日)

小池百合子氏占ってみた

※以下は趣味でやってる占星術ソフト「アストロロギア」より。鑑定結果が捏造ではないことを示すため、ソフトの原文ママ。実在する何かを誹謗中傷する意図はありません。あくまでネタとしてお楽しみください。

水星と海王星が非常に強いセクスタイル
表現力とイマジネーションの調和。霊感に恵まれ、夢幻の世界を生き生きと表現する。月と海王星の吉角の場合は単にイマジネーションに恵まれるだけだが、水星と海王星の吉角ではそれを具体的に表現してゆく才能ないし素質が与えられる。音楽、絵画、文筆に適性。直観的に物事を見通すことができるので抽象的な学問にも適性がある。性格は深みがあって魅力的。

水星と冥王星が強い合
物事の深層を見抜くような鋭い知性の持ち主。無口で閉鎖的。

海王星と冥王星が強いセクスタイル
信じられないような夢をもたらす世代。終戦直後の1940年代後半、および1960年代にもこの角度ができている。

木星と天王星が強いセクスタイル
発展と変革の調和。良い変化の起こる世代。社会的に変化があり、それが文化的向上につながる。個人的意味としては、独創的な能力によって社会的に活躍できる才能ないしは素質。

水星と木星が弱いスクェア
頭はいいが、どちらかというとずる賢い。おしゃべり。噂話などをととめどなくしゃべりまくる。物事を綿密に検討するのが苦手。いい加減な判断や楽観から窮地に追い込まれる。うかつな人物。もっと慎重になるべし。
(話す力はありそう。ある意味キャスターには向いてた?)

太陽と海王星が弱いスクェア
現実と夢のあいだにギャップがあり、葛藤を覚える。実現不可能な非現実な夢を抱き、むくわれない努力をする。行動はそのときどきの気分に左右され、一貫性に乏しい。健康状態にもやや不安あり。未来を夢見ることに堅実さが加われば吉。
(エジプト留学していた21歳の頃、同じく留学生だった日本人男性と結婚したがすぐに離婚。夢見がちな乙女であったのかもしれない)

月と火星が弱い衝
ヒステリック。感情的になって争う。とくに母子関係に問題があることが多い。争いによって心が傷つく。本当は臆病なのに、やぶれかぶれの気分で大胆なことをしてしまいがちで、心がすさみやすい。陰湿なところがある。内面の葛藤から生まれるエネルギーを良い方向に生かせれば吉。

木星と冥王星がごく弱いスクェア
暴走の可能性を示す世代的座相。

天王星と海王星がごく弱いスクェア
平均すると半世紀に1度ほど生じる世代的座相。不透明なビジョンにもとづく性急な変革を暗示。


◆ヒンドゥー数霊術
運命数3 霊数6 今生のテーマは「無私の奉仕」と「自己鍛錬」

【備考】
小池氏は候補者の中で唯一八丈島(このブログでお馴染み、お金の不徳を正す風水効果のある島を東京都に爆誕させた龍脈上)に選挙演説しに行った人だったので、その時点で東京都政の運勢に対する何らかの「フラグ」を建てたような気がした。
小池氏のホロスコープは理想と現実のギャップ(政治家なら尻つぼみになりやすいタイプ?)が課題の一つであるようだが、猪瀬氏や舛添氏とは違うパターンの運勢になることを祈りたい。
某民放の選挙特番ではゲスト出演した猪瀬元都知事(自分の誕生日にあの島が爆誕し、同時に5千万円問題が発覚して都知事の椅子から吹き飛ばされた人)が小池氏に期待しているようなそぶりを見せていたが・・・

猪瀬直樹、都知事選で自民党内田茂が自殺に追い込んだ樺山都議の遺書をネットにアップの真意は?

2016年7月29日 (金)

障害者19人殺害事件で妄想

※以下に書いたことは全て一個人の妄想です

LINEで友人に“障害者は人間ではない”

植松容疑者は今年2月17日、親しい友人に対し、無料通信アプリ「LINE」を通じてあるメッセージを送っていたことが分かった。そこには「産まれてから死ぬまで回りを不幸にする重複障害者は果たして人間なのでしょうか?」「人の形をしているだけで、彼らは人間ではありません」(原文ママ)などと書かれていた。

ごく当たり前のことを言うと、障害者とその周囲やご家庭が不幸であるかどうかなどケースバイケースであって十把一からげに決めつけることなどできないし、もし不幸になってしまっているのであればそのような不幸をもたらす事情や条件や原因が必ずある。そこから目を背けて盲目的に「不幸なのは障害者というものがこの世に生まれてしまうせいだ」と決めつけヘイト・攻撃するのは問題解決よりも憂さ晴らしを優先する発想だ。メンタリティーが中世とさして変わらない。
「身内に障害者を抱えると家族や周囲が不幸になってしまうことが多い社会の仕組み」を改善するにはどうしたらいいか、どういう条件や事情が重なると不幸になりやすいか、どういう条件や事情が重なると不幸になりにくいのか、という発想を全く思いつかない視野の狭さが、問題解決能力を極端に抑圧している。

「障害者は社会の役に立たないからその命に価値が無い。生きる資格が無い。その命は存在を許されない」という論調はこの事件の犯人のみならずネットでちらほら見かけることがある。

この発想を持ってしまう人は、自分でも気づかないうちに巨大な落とし穴にハマってしまっていることに気が付いていない。彼らはいつの間にか、「人間のために社会が存在するのではなく、社会のために人間が存在する」と本末転倒、主客転倒の思考回路に囚われてしまったことで自分という生命存在さえも「社会のための道具」という扱いをしてしまい、自ら生命の尊厳を否定してしまっていることに無自覚だ。

自分の命に対して「自分自身にとっての存在価値」を感じることができなければ、代わりに社会や他者から己を評価してもらう(利用価値を認めてもらう)ことで代用する心理が生まれるかもしれない。
このような自己肯定の代償行為を社会にベッタリ依存していると、「社会の役に立つ(社会にとっての存在価値=利用価値・メリット)を認めてもらう」ということだけが自分で自分に命の価値や尊厳を認定させる根拠・条件になる。すると、必然的に「社会の役に立たない者=社会がメリットを見出さない者」は生命の価値や尊厳を認定するための根拠や条件が欠落した者(=生命の価値や尊厳が認識されない者)という発想に陥るのは簡単だ。

自分の命に対して「自分自身にとっての存在価値」を感じることができないということは、裏を返すと「自分の生きる喜びを感じることができない」ということでもある。

自分自身では命であること(生きること)に価値や意義を感じることができない。だから外部(世の中)の誰かや何かに価値や意義を認定してもらう・・・
最近はそういう人が増えていったからこそ、「社会のための自分」という外部評価依存の意識から派生した「社会に役立たない(評価されない)命は尊くない」という発想がネットに散見されるようになっていったような気がしてならない。
日本人はいつから自分(人間)の命が「社会のための存在」だと思うようになっていったのだろう?

人間自身が己の利便性のために社会を作ったということを忘れ、社会自身が己の利便性のために人間を存在させている(利便性のある命だけを容認・飼育している)という発想に逆転してしまうのは、自らを「生命の尊厳が保てないほど卑屈な奴隷」にしてしまった証かもしれない。まるっきり古典的なSFの世界観そのものだ。
もしかするとこの事件の犯人自身、「自分の生きる喜び(自分自身にとっての自分の命の価値)」を感じることが出来なかった経験を持っているのかもしれない。そして、自分と似たような心理を抱える層にとっての「英雄」になることで生きる喜びや自己肯定感に飢えた心の空虚さを埋め合わせようとした?
・・・などと妄想した。

果たして「生命」という自然界の存在が自然界の都合ではなく「社会に役立つため」に社会の都合で誕生し生命活動をすることなどありうるだろうか? 自然界が社会の都合に合わせて存在する・動くことなどあっただろうか?
そもそも、生命(=自分)というものが社会ではなく自然界に属する存在だということを一部の現代人は忘れていないか?
 「先天的障害」という自然現象に対して「社会にとって不都合だ・社会にとってメリットが無い」という理由で(社会を自然現象に対応した社会作りを一切模索することなく)激しい憎悪と恨みを抱いてしまう背景にも人間(自分)が自然界に属する存在でありその存在自体が自然現象であることをつい忘れてしまったことが関係しているかもしれない。
人間(生命)と社会の関係が主客転倒するとろくなことがない。

就活自殺の増加
出産する理由と背景についての極論

試しに中二病になってみると自分にとっての「生きる喜び」を実感しやすくなるかもしれない。
(既に中二病を持っているがゆえに犯人を支持してるんなら話は早いw ぜひ己の中二病をこじらせず有効活用してほしい)
中二病の有効活用

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