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2016年7月29日 (金)

障害者19人殺害事件で妄想

※以下に書いたことは全て一個人の妄想です

LINEで友人に“障害者は人間ではない”

植松容疑者は今年2月17日、親しい友人に対し、無料通信アプリ「LINE」を通じてあるメッセージを送っていたことが分かった。そこには「産まれてから死ぬまで回りを不幸にする重複障害者は果たして人間なのでしょうか?」「人の形をしているだけで、彼らは人間ではありません」(原文ママ)などと書かれていた。

ごく当たり前のことを言うと、障害者とその周囲やご家庭が不幸であるかどうかなどケースバイケースであって十把一からげに決めつけることなどできないし、もし不幸になってしまっているのであればそのような不幸をもたらす事情や条件や原因が必ずある。そこから目を背けて盲目的に「不幸なのは障害者というものがこの世に生まれてしまうせいだ」と決めつけヘイト・攻撃するのは問題解決よりも憂さ晴らしを優先する発想だ。メンタリティーが中世とさして変わらない。
「身内に障害者を抱えると家族や周囲が不幸になってしまうことが多い社会の仕組み」を改善するにはどうしたらいいか、どういう条件や事情が重なると不幸になりやすいか、どういう条件や事情が重なると不幸になりにくいのか、という発想を全く思いつかない視野の狭さが、問題解決能力を極端に抑圧している。

「障害者は社会の役に立たないからその命に価値が無い。生きる資格が無い。その命は存在を許されない」という論調はこの事件の犯人のみならずネットでちらほら見かけることがある。

この発想を持ってしまう人は、自分でも気づかないうちに巨大な落とし穴にハマってしまっていることに気が付いていない。彼らはいつの間にか、「人間のために社会が存在するのではなく、社会のために人間が存在する」と本末転倒、主客転倒の思考回路に囚われてしまったことで自分という生命存在さえも「社会のための道具」という扱いをしてしまい、自ら生命の尊厳を否定してしまっていることに無自覚だ。

自分の命に対して「自分自身にとっての存在価値」を感じることができなければ、代わりに社会や他者から己を評価してもらう(利用価値を認めてもらう)ことで代用する心理が生まれるかもしれない。
このような自己肯定の代償行為を社会にベッタリ依存していると、「社会の役に立つ(社会にとっての存在価値=利用価値・メリット)を認めてもらう」ということだけが自分で自分に命の価値や尊厳を認定させる根拠・条件になる。すると、必然的に「社会の役に立たない者=社会がメリットを見出さない者」は生命の価値や尊厳を認定するための根拠や条件が欠落した者(=生命の価値や尊厳が認識されない者)という発想に陥るのは簡単だ。

自分の命に対して「自分自身にとっての存在価値」を感じることができないということは、裏を返すと「自分の生きる喜びを感じることができない」ということでもある。

自分自身では命であること(生きること)に価値や意義を感じることができない。だから外部(世の中)の誰かや何かに価値や意義を認定してもらう・・・
最近はそういう人が増えていったからこそ、「社会のための自分」という外部評価依存の意識から派生した「社会に役立たない(評価されない)命は尊くない」という発想がネットに散見されるようになっていったような気がしてならない。
日本人はいつから自分(人間)の命が「社会のための存在」だと思うようになっていったのだろう?

人間自身が己の利便性のために社会を作ったということを忘れ、社会自身が己の利便性のために人間を存在させている(利便性のある命だけを容認・飼育している)という発想に逆転してしまうのは、自らを「生命の尊厳が保てないほど卑屈な奴隷」にしてしまった証かもしれない。まるっきり古典的なSFの世界観そのものだ。
もしかするとこの事件の犯人自身、「自分の生きる喜び(自分自身にとっての自分の命の価値)」を感じることが出来なかった経験を持っているのかもしれない。そして、自分と似たような心理を抱える層にとっての「英雄」になることで生きる喜びや自己肯定感に飢えた心の空虚さを埋め合わせようとした?
・・・などと妄想した。

果たして「生命」という自然界の存在が自然界の都合ではなく「社会に役立つため」に社会の都合で誕生し生命活動をすることなどありうるだろうか? 自然界が社会の都合に合わせて存在する・動くことなどあっただろうか?
そもそも、生命(=自分)というものが社会ではなく自然界に属する存在だということを一部の現代人は忘れていないか?
 「先天的障害」という自然現象に対して「社会にとって不都合だ・社会にとってメリットが無い」という理由で(社会を自然現象に対応した社会作りを一切模索することなく)激しい憎悪と恨みを抱いてしまう背景にも人間(自分)が自然界に属する存在でありその存在自体が自然現象であることをつい忘れてしまったことが関係しているかもしれない。
人間(生命)と社会の関係が主客転倒するとろくなことがない。

就活自殺の増加
出産する理由と背景についての極論

試しに中二病になってみると自分にとっての「生きる喜び」を実感しやすくなるかもしれない。
(既に中二病を持っているがゆえに犯人を支持してるんなら話は早いw ぜひ己の中二病をこじらせず有効活用してほしい)
中二病の有効活用

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コメント

AYAさんお久しぶりです。
豊かさ、幸福を求めた結果、自然から離れてしまった人間。
そこから様々な不幸が生まれてる気がします。
因果応報でしょうか
先日【もののけ姫】を見て感じました。
神に生きよと赦されて、生は与えられると感じます。
優劣はなく、お役目があるのだと。
与えられた条件、環境で死ぬまで最大限の努力をする。
それが人生だと思っています。

>ぷうままさん

もののけ姫では「神」を命そのものだと言っています。
すなわち、その姿や有様を問わず、生きとし生けるもの、その身に命を宿すもの全てを神としているわけで。まさに「八百万の神」といった風です。

「生きよ」と促した神も、促されて生きる命も同一の尊き存在である(例え障害があっても)。
もののけ姫に秘められた哲学のなかにそんな発想がある気がします。
もののけ姫の世界では包帯まみれのハンセン氏病患者が出て来ます。長い間社会から迫害されてきた障害者の典型例です。そんなハンセン氏病患者(重症)の一人がこんなことを言います。
「生きる事はまことに苦しく辛い。世を呪い人を呪い、それでも生きたい」

神(命)の発する「生きよ」という強い思し召しゆえに動物は生存本能という原始的なプログラムを作り、人は社会を作り、それぞれ自分に宿る神(命)の思し召しを実行するためのツールとしたのであれば、今は人間社会が神に成り代わり神を騙って命(神)を抑圧し支配せんと試みるようなものかもしれません。
社会が主導権を握るためなら「神殺し」も辞さない。それじゃあタタリガミ(抑圧された反動で暴走する命)も生まれるわけです。あの事件自体が神殺しであり、また犯人自体が一種のタタリガミであった可能性も・・・

当然ながら、社会は神(命)の代用品にはなりえない。神を騙っても無駄な事。
「神」を心(魂)、「社会」を自我(エゴ)に置き換えても同じことが言えます。すると、エゴが「神に成り代わろうとして堕天したルシファー」みたいにも見えます(妄想)。

社会が命を支配しようとする有様は、以前書いた「ヨガとタロットの『戦車』」(http://aya-uranai.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-b7b3.html)とも通じるテーマに感じます。
命(魂・心・神)はあの記事で言う「戦車のオーナー」です。

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