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2014年10月10日 (金)

セカイ系の革命

※以下に書いたことは全て個人の妄想です。人生や世界(社会)に不満を持つすべての人間に当てはまる話では決してありません。


「イスラム国」戦闘員事件 北大生の男「なれないなら自殺する」

シリア行きを計画していた北大生は「そこには戦場があって、全く違う文化があって。イスラムという強大な宗教によって、民衆が考えて行動している。このフィクションの中に行けば、また違う発見があるかな。それくらい」と話した。
(中略)『(北大生は)もしもシリアに行かないとしたら、ことし中か、来年にも、間違いなく自殺しているから、シリアで死ぬことになっても、全く変わりがありません』という言い方をしていた」と話した。

※彼はほかにも、「日本社会のフィクション(虚構)が嫌になった。日本では人を殺すことは悪だが、イスラム国では正義になる。戦闘に参加して人を殺してみたい」とコメント。彼を取材したジャーナリストの常岡氏は「北大生は自分の内面の問題を解決するために日本を離れたいと思ったようだが、本気でイスラム国の戦闘に加わるつもりだったかどうかは疑問を感じた」とのこと。

北大生支援の元教授インタビュー 公安の事情聴取を受けた中田考氏が語る「イスラム国」

――現地に日本人はいたか。

中田 いなかった。これから増えると思うが。

――なぜ。

中田 増えるに違いない。日本にいて何かいいことがあるだろうか。毎年3万人も死んでいくような国。自殺するよりまし。「イスラム国」へ行けば、本当に貧しいが食べてはいける。

(中略)――なぜこのタイミングでこうしたことが起こったのか。

中田 非常に簡単に言ってしまえば、世界がおかしいから。イスラムの世界もおかしいし、世界全体がおかしい。イラクとシリアはイスラムの世界においても、世界レベルでみても、ほぼ最悪の残虐な政権。イラクは単に野蛮で、シリアはもっと計算された冷酷な野蛮さ。人を殺すことも、嘘をつくことも平気な人たち。そういうところを倒すには、それに対抗できるような、ある意味での強さみたいなものがなければならない

シリア戦闘:元自衛官が参加「政治・思想的信念なし」

 
鵜沢さんによると、昨年4月にシリア国境の町、アザズに独力で入った。中学卒業後に自衛隊に入隊、その後始めた有機野菜の訪問販売で成功していた時期だった。
「生活には満足していたが、もう一歩突き抜けたいという思いがあった。政治や思想的な信条は全くなく、死と隣り合わせの戦士になれば見えるものがあると思った」と話す。
(中略)戦場を意識したきっかけは小学校のときのいじめで、自分の存在価値に悩んだ結果、
「極限状況に身を置いて生きる意味を問いたい」と考えるようになったという。
同い年の大学生がイスラム国に参加しようとしたとされ、警視庁公安部が捜査している事件については、
「生きる意味が見つからず、戦場なら何かを見いだせると思ったのでは」と推し量った。

「イスラム国」に引き寄せられる欧米の若者

欧米人がイスラム国にひかれる理由として考えられるのは、祖国での退屈な生活から抜け出し、自らのアイデンティティーを見いだしたいという願望だ。ロンドンにあるシンクタンク、英国王立統合軍防衛安全保障問題研究所(RUSI)でアナリストを務めるラファエロ・パントゥイッチ氏は「人生を退屈に感じてシリアに赴く者もいる」と言う。

兵士たちが玉突きをして遊んだり、甘いものを食べたり、プールで水遊びをしたりしている画像は、時に「ジハードは学生の休暇とさほど変わらない(酒は飲めないが)」という錯覚を引き起こす。さえない町で将来性のない職に就いている若者にとって、兄弟の絆や栄光、銃はゾクゾクするほど魅力的に映る。ベルギー出身の兵士の多くは面白みのない町から来ている。そして過激派たちはそうした場所で集中的に募集活動を行う。

◆つまらない人生の創り方
この前も書いたが、生き辛さや閉塞感を抱えた者達が
「世界(世間)が人の生き方を左右しているのだから、自分達が生きやすくなるため・人生を変えるためには世界を自分にとって都合の良い形に変えなければならない。閉塞感を解決するには自分達の事情に合わせて世界を改善することが唯一絶対の方法なのだ」
と視野狭く思い込んだ結果が古今東西の様々な過激派グループを生み出した一因な気がする(妄想)。
彼らの「革命」が万一成功してしまうと、その革命組織は非常に強い独裁性を放つ。自分と異なる意見を主張する者が出てきて自分の都合に合わない世界が出来上がりそうになるとそういう「異分子」を必死で排除しにかかるから。かくして「独裁者政権崩壊後には別の独裁政権が生まれる(=独裁者のすげ替え)」というオチに。
(無血革命などで政権が転覆した結果、独裁者のすげ替えにはならず本当に社会改革が実現したケースの場合、その革命組織は上述したような過激派的心理とは異なる原動力を持っている気がする)

イスラム国も赤軍派もオウムも、参加者や志願者たちの背後にあるのは心の中の閉塞感と、
「それを打開するためには自分達の都合に合わせて人生の源である世界(外界)や社会を(時には力ずくでも)変形させるしか方法が無い」
という短絡的で思いつめた(そして世界に対する復讐心すら秘めた)思考回路だったのかもしれない。なんと表現すればいいか・・・中二病というか、「脳内セカイ系」をこじらせた感じ。
これ、自分の人生構築を無意識に世界(外界)に依存し、自分の内面(内なる世界)から行っていない証。世界(外界)が自分の人生を創っていると思い込んでいる証だ。実際は、自分が自分の人生を創っているのに。自分達の有様に合わせて世間(社会)が出来上がっているのに。

何でそう思い込んでるかというと、彼らの人生づくりにその原因がありそう。
世界(外界)の様子(例:世間の流行・風潮・価値観・固定観念等)に己を合わせることを第一優先とし、その「レール(基準)」から外れないように、外界の有様と同調するような感性や思考・行動・感情等のパターンを構築し、それを部品として生き方や人生を創っていく方向に陥りがちかもしれない(妄想)。
すると「レール」とは必ずしも合致しない内面の要素(自分の個性・素の自分・素の自分のアイデアや望みなど)は都合の悪い異分子として人生(生き方)から排除・粛清されてしまう。そう。かつて独裁的な革命家達がよくやっていた「内ゲバ(粛清の嵐)」を、自分自身の中でやっているのだ。素の自分を粛清してしまえば、自分が本当に望む生き方も抑圧されてしまう。本当に望む生き方を実現させる運勢も抑圧されてしまう。
本当の自分・素の自分は、世間の流行や風潮や固定観念に縛られず、そんな世間から評価されることも求めておらず、いわゆる「世間的な」考え方や発想や価値観をそこまで強くは持っていないかもしれない。もっと違う感性を持っている可能性がある(世間がつまらないと感じてるわけだし)。
というか、世間と100%同じ感性を持つ人間などいない。にもかかわらず、世間(外界)の平均的思考パターンや価値観を刷り込まれそれを吟味せずつい無条件にトレースして人生構築している人は多い。他人(親や社会含む)からの評価や処世術を優先する(囚われる)あまり自分を押し殺し過ぎて却って損をしている人もいる。今一度、「世間や社会のために生まれて生きている生命など存在しない」ということを再確認した方がいいのかもしれない。
一人ひとり人格が違えば感性も違う。世界でたった一人、替えの効かない独立した人格と感性を持った自分独自の喜びの感覚やありようを、他のもの(外部の評価や風潮や流行etc)や他の人間で代替できるわけがない。

◆侵略者と被侵略者
世界(外界・世間)に依存し絶対服従して自らを支配させた挙句につまらない人生を創って生き辛さや閉塞感を抱えている人の多くは、「世界のせいで自分の人生はつまらなくなった」と思い込んでいる。一種の逆恨み。
自分の人生を創り上げたのは自分じゃなくて世界(社会)だと思い込んでいるが、自分の人生をつまらなくしたのは、つまらない世界の風潮や価値観や流れに人生の構築基準を依存・服従している自分自身だ。
つまらない世界に依存・迎合・服従した没個性的な思考パターンや行動パターン等で人生を構築したらつまらない人生が出来上がるのは当たり前だ。
そう。つまらない生き方を創り上げているのは他ならぬ自分自身なわけ。
ゆえに、自分自身を世界から自立させ、本当の自分に基づいて各種パターンを作り変えていければ例え外の世界が変わってくれなくても自分の閉塞した人生は変えられる。外の世界が変わってくれないと自分や人生は変われないと依存的に思い込むからこそ、「変われない現状を打開するためには、自分にこんな人生を歩ませた外の世界を自分の都合に合わせて変えるしかない」と思い込んでしまう。
外界から侵略されたから、復讐に外界を侵略し返す・・・自我境界不全ゆえの発想だ。

生き方の構築をつまらない世界になんか依存せず自立する事。つまらない世界の風潮に思考や行動を依存すれば生き方を支配されてしまう(依存した『つまらない世界』が横暴な封建社会や独裁政権とかだったりしたら尚更悲惨だ。きっと泣き寝入り体質が染みついてしまい、世代が変わっても似たような社会を続けてしまう)。
人間は何かを依存してる相手にしか服従心理が働かないだろう。どんなに嫌な相手だろうが、何かしら依存しているから逆らえず服従してしまうし支配されてしまう(例えば、相手から評価されること・承認されることを無意識に求めて自尊心を依存していたり)。
で、「イスラム国」という異世界の様子に人生構築の「レール(基準)」を依存して人生を再構築する場合も、自立した生き方をしていないという点では今まで書いてきた生き方と本質的に同じだ。依存対象をイスラム国に変えただけ。(本当の自分がいる)内なる世界に基づいた人生構築はしていないのだ。
それではやっぱり人生は面白くならない。となると、やはり「自分の人生をつまらなくした世界(イスラム国)」を逆恨みするかもしれない。

外の世界に人生構築を依存すれば、外の世界に基づく「レール」に自分の内なる世界(素の自分やそれが作ったアイデア、自分の個性が潜む、自立した生き方構築の源)の可能性が粛清・排除・抑圧されてしまい、人生侵略が起きる。自分を外界に侵略させたのはほかならぬ自分。侵略者と被侵略者は同一人物。
(人生侵略を抱えた人の『国を守ろう(愛国心)』という感情は、自分の内なる世界を愛し活かし大切に守り保持したい感情の裏返しだったりする。外の世界の『国家』というものに自分が今まで無視し排除・抑圧してきた己の内なる世界を投影・同一視している感じ)
革命家や宗教家にありがちな「外の世界を自分の信ずる価値観で統一しよう(=この素晴らしい理想と理念を世界中に広めよう)」とする情熱の背後には、知らないうちに自分の人生が外界の価値観から侵略を受けた経験から「外から侵略されないように自分が外を侵略しておこう(=外に自分と違う価値観があったらそいつに侵略されてしまうから)」という心理があるかもしれない。外界に人生構築をべったり依存するということは、時に外界の価値観に己を侵略させることになることも。自分の中に自分を侵略させる因子を作っていないか要チェック。

自分しか知らない己の内なる世界に基づいてレールを敷き、その上を進むのは世界で唯一自分だけ。そういう発想がベターなのかもしれない。
(なお、他人にまで自分のレールを強要したら独裁者と変わらない。それじゃ自分のために外界を変形させようとする革命家達と同じになる。『これが私の生き方なんだから周囲がその犠牲になっても我慢すべき』では結局外界に依存した生き方でしかない。周囲の我慢に依存しているのだから)

◆セカイを革命する力を
生きてるのが辛いんじゃない。そんな生き方が辛いだけ。
例え世界が変わらなくとも、自分の生き方は変えられる。
つまらない世界に依存し引きずられて自分までつまらなくなることはない。自分は世界から独立(自立)すればいい。つまらない世界なんかあてにせず置き去りにして、つまらない世界に合わせたりしないで、自分は本当の自分の楽しさを追求していけばいい。世界がいくらつまらなくても自分は独自の楽しさを創っていける。世界にたった一人、自分にしか持ちえない「自分という人間の独自視点で物事や自分の人生を味わう力」と「本当に望む生き方を実現させる運勢(魂の環境インフラ)」がそれを可能にする。
外界の様子に依存せず内なる世界に基づいて構築した生き方は時に世間の目には地味でカッコ悪いかもしれないが、見た目は重要じゃない。重要なのは自分がその生き方を喜び愛せるかどうか。
一人一人が「人生」という小さな世界の創造者で、そこから生まれる世界は唯一無二のものだ。
つまらない外の世界に依存し支配されずに自立し、内なる世界に基づく生き方を始める者達が増えていけば、外の世界もやがて変わるかもしれない。ミクロの革命がマクロを変える。マクロの変化を待つまでもなく、自分のミクロを変えていくことは可能だ。
閉塞した人生を打開するために革命すべきは外の世界じゃない。そんな人生を構築する癖のある自分自身だ。
イスラム国に志願する若者達の多くが本当に望んでいることも、そういうことじゃないかと思う。
卵の殻を破らねば、雛は生まれず死んでゆく。卵の殻を破った雛は、やがて羽ばたき壁(世界の果て)を越える。-----------------(自分の)セカイを革命する力を。

◆世界と人生に絶望や閉塞感を抱える方(それでイスラム国行きを考えている方)へ
どんなに些細なことでもいいので世界でたった一人、あなたにしか分からないし味わえなかった楽しいこと、面白いこと、嬉しいことを出来るだけ沢山思い出してみてください。外部の価値観(評価)とは無関係に体験した自分個人の喜びや幸せといった「自分だけの良い思い出」を何でもいいのでを出来るだけ思い出してみてください。趣味の楽しみ、アニメやゲーム、漫画や小説、B級グルメやちょっとした遊び、部活、恋愛(片思い・二次元含む)、ネット等々、今まで生きてきた中で、自分にしか味わえず、自分にしか創ることができない「自分だけの体験」、自分だけが知っている心の宝が必ずあるはずです(例え途中で潰えた物事だとしても、どんなに小さなことでも)。その時味わった感覚は、その時その場の自分にしか持つことが出来ない貴重なもので、あなたにしか成し遂げることのできないことです。あなたという感性にしか味わえないことです。世界で唯一、あなたにしかできないことです。あなたはあの時、世界でたった一人、自分にしかできないことをしました。
今いる世界がどんなに退屈で醜く下らないとしても、そんな素敵なことがあなたにはできます。それは本当の自分が持ってる素敵な個性の一つです。あなたにしか味わえない(ゆえに別の何かと比較できない)そういう宝物を沢山体験し積み重ねてください。例え世間や周囲の価値観がそれを理解しなかったり、快く思わず評価しなかったりこき下ろしたりしても、自分だけはそんな唯一無二の体験に誇りを持ってください。それは誰にも出来ないことです(あなたを支配・抑圧したりバカにしている人にも世界にも出来ません)。自分までそのことに罪悪感や劣等感を持ったり恥じたり禁じたりしないでください。自分の本音を正直に認めてあげてください。あなたが望めば、それらは、必ず実現します。あなたをこの世に誕生させた力が、それを実現させます。
「自分にしか味わえない自分だけの愉快な体験」を積み重ねることは今からでも間に合います。焦る必要もありません。大げさに言えば、「死ぬまでに間に合えばいい」と思ってください。
(余計なおせっかいですが、上手なニートの過ごし方中二病のススメ、あるいはこちらコレもどうぞ)

余談:
アニメ化された有名な日本のラノベ作品に「主人公の少女が世界と人生に退屈するあまり、無意識に魔法のような力を発動させて外の世界を強引に変形・改変させてしまう騒動」を描いた話がある(実は中東でも人気らしい)。
彼女がやがて、「退屈打開のために世界が荒唐無稽な変化を起こさなかったとしても、自分は十分楽しく生きられる」と知った時、物語はハッピーエンドを迎えるかもしれない。
彼女にとって本当の望みとは、(実在したら世界がひっくり返るような)宇宙人や未来人や超能力者との交流ではなく、自分(の感性)にしか味わえない素敵な友情の交流なのだろう。本当は友達に特殊能力が無くてもいいのだ。世界がマンガみたいに荒唐無稽でなくてもいいのだ。ただ、自分が出会えたかけがえのない友達が大好きで、それだけで十分幸せで満足なのだろう。それが彼女に起きた「世界の革命」。
外界の様子に人生構築を依存する癖を持った主人公の少女が抱えている退屈さ(憂鬱)は、同じ癖を持った多くの人々が人生に対して抱えるつまらなさや閉塞感に通じると思う。あの作品がファンを増やしたのは、そういうところも一因かな?

魂の環境インフラ
侵略者と被侵略者←「外の風潮に己を侵略させてしまう」現象は個人単位じゃなくて民族単位で起きることもある
大切なモノを取り戻すためのジハード←イスラム国に志願する若者と犯人、抱える閉塞感が似てる?
「必要とされる」必要が無い
就活自殺の増加について
隻眼の視野
共同幻想から自己をとりもどせ

【オマケ】
イスラム国占ってみた

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コメント

AYAさん、こんばんは
今回も、非常に強い共感を覚えました。
『セカイを革命する力を』・・・全くその通りですね!

本当の愛というものがあるとしたら、それはミクロ方向からしか到達しえないのではないかと思っています。
外界に向かって「愛」だ、「光だ」といくら唱えても(最初は崇高な(?)理念や純粋な気持ちからのものであっても)、いつの間にやら得体の知れない(本当は実在しない自分の心の内部の闇とでもいうべきもの)に取り込まれてしまうのは必至なのではないでしょうか。
「世間」なんてものは、実在しないものの代表ですよね。
たとえば「平均点」を例にとってみると、みんなのそれぞれの点数を足して人数で割った数字・・・つまり、元の数字は実在したけれど、平均点になった途端、どこを探しても実在しない、架空の(理論上の)数字になるということ。
ありもしない「普通」や「平均」「人並」に合わせるということは、実在の自分を実在しないものに合わせるということですよね。

ミクロの方向には心の自由があります。
心が自由になったとき、はじめて誰の心にもある「良心」という名の「愛」が本来の力を発揮するのではないでしょうか。

あのラノベの場合、語り手が、団員の中で唯一「フツーの男子高校生」であり、その語り手こそが、すべての問題のカギを握っていました。本当の主人公は語り手の男子高校生の方かもしれません。
あるいは、主人公の女子高生と対で一つの「主人公」と捉えるのもアリ・・・かと思います(笑)。

長いコメントですみません。
触発されて、つい・・・。

>如月さん

>実在の自分を実在しないものに合わせる
まさにそんな感じですね。ネットでこういう話が出来たのはとても良かったと思います。
どんなに小さく地味で社会には利用価値のないものでも、「自分の視点や感性でしか味わえない体験・自分にとっては宝物で自分を幸せにしてくれるもの」を全く愛せない(愛する事に外部の許可や承認を求めてしまう)生き方をしている人々が集まって作った社会は愛のない社会になりそうですね。
SFなら脳にチップを埋められて社会にとって有益な感情パターンとは無関係な感情を持つと「非生産性私的感情罪」として罰せられそうですw
自分にとっての宝物を愛する心は、そんな宝をもたらす自分の人生と命を愛する(=自分を愛する・自立した自尊心を創る)ことへつながりうると思います。

外界に向かって愛だ光だとやたら叫んでる人は、その人自身が愛情不足(闇)を抱えていて、それが動機になって活動をしているのかもしれません(あるいは教祖になって一発当てたいか)。闇を原動力に依存した活動が闇に取り込まれるのは自然な結果です。

あのラノベ、私はアニメから入ったクチなんですが、主人公たちと同年代の頃が思い出されて自分も彼らと一緒に「やり残した青春」を送っているような気分にさせられますw
ハルヒとキョンはお互いのアニムスとアニマになっている印象がありますね。
常識と理性と節度を愛する(大人っぽい落着きを持つがどこかオッサン臭い)キョン、常識を知っていても依存し囚われることを心の底では望まず(ゆえに放棄してしまう)子供のような感性と独創性を未だに持っているハルヒ、そんなハルヒの感性と独創性に嫌々振り回されても離れることはせずいつしか楽しくなっている(常識に偏りすぎて抑圧されていた少年の心が甦る)キョン・・・
どちらか片方ではなく、両者が統合・連携する(生かしあう)ことが重要なのかもしれません。

未だハルヒは「(世間の常識という基準から見て)特別になること(ナンバーワン)」にこだわっているようですが、そのうち自分が「オンリーワン」であることの意味と醍醐味に気が付いていくんじゃないでしょうか。
(キョンは自分にしか味わえない特別な体験をしたことで一足早くそれに気づき始めてますかね)

こんばんは、
ニュースを聞いて、実在する出来事を、
〔 妄想 〕的な占いとしてのお話しに感銘しました。(^o^)/
今の時代、インナーチャイルドを癒していない人達が、多いようですね。

私自身も、つい最近、インナーチャイルドを知りました。

ハワイのホオポノポノや、
インナーチャイルドを探して癒してのやり方や、
フラワーエッセンスの飲用等を、

この年齢になって始めいます、自分のインナーチャイルドに出会うには、時には、吐き気も催しますが、

お金もかからず、いつでもどこでも、自分で行えるので、実践していると、
内面に抱えている、癒されていない感情がわかります。

AYAさんの言う、自分の内面に依存して、自分がしたいと思うこと、楽しいこと愛しいと思うことを、自分がすることを、自分が許可する時代になってきたと思います。

まだ見つからない、なれっこない、
お金と時間がかかるとか、頭 〔 意識 〕の上では考えてやめてしまうけど、

人間って、生まれた理由は、愛し、愛されて、互いに成長をする勉強をするために生きていくのかもしれません。

時には、悲しみ、恨み、憎しみ、後悔、無念な感情も味わうけど、

自分の内面の自分としか、乗り越えられないと思います。

そして、ただ誰かに聞いてもらえで、
間違ってないよ

って言ってもらうだけで、安心して生きていけるんじゃないかと思います。

みんな、自分が一人ぼっちだと思うから、煮詰まってしまうけど、

ソウルメイトや、
ツインソウルと、
出会うと、また、幸せな感情がわかります。
AYAさんの言うとうり、最後は、死ぬまでに時間がかかっても大丈夫ですよね。

皆さんに幸あれと祈ります。

>義月 静堂さん

個人的には、もしも自分の本当に奥深い領域から来た欲求や発想・結論であれば、決してエゴイスティックな意味での「自分がしたいこと」ではないと思ってます。そういうのはもうエゴ(自我)のレベルを軽々越えちゃってハイアーセルフのレベルからのものですから、自然とそれが実現する運勢(魂の環境インフラ由来)が流れてお金や時間の心配もないでしょう。

そういうレベルのものをキャッチした場合には、誰か外部の人間に打ち明けて聞いてもらって「間違ってないよ」と言ってもらう(外部の誰かに認めてもらう)必要さえないでしょう。
むしろ、安心を得るために誰かに「間違ってないよ」と言ってもらう方法には依存しなくて済むようになりそうです。
「自分が何かを愛したり好んだり実行するのに外部から許可や承認を求める生き方から卒業出来たらな~」なんて思ってますが、まあ口で言うのは簡単w いつ出来るかなんて分からないから気長に思ってようと思いますw

ホ・オポノポノ、一時期流行ってましたね。私も自分の無意識領域にいるウニヒピリ(?)からは良く怒られますw

自分にだけ価値のある幸せにやっと出会えたのに周囲にけなされて自分はおかしいんじゃないかと思っていたときにこのブログに出会いました。

このまま周囲の価値観から離れて自分の中の価値だけを大事にしていたらおかしくなるんじゃないか…一人で趣味にふけり周りと話も合わなくなっていくような不健全なことになりはしないか…ずっとそれが怖くてなんとか忘れようと努力をしたけれど、結局それ以上の幸せは見つけられずにどうしたらいいんだろうと迷っています。

なんで他人からうけいれられやすい幸せを見つけられなかったんだろうって恨みもしたけれど、もしかしたら私は他人にけなされても捨てられないほどの大事なものを見出せたのだから運がいいのかもしれません。
誰かに発信することも、打ち明けることもやめて自分一人で大事に楽しむべきなのでしょうか?

余談ですがウテナ大好きでした。ハルヒも見ました。

>夕陽さん
はじめまして。
自分にしか感じ取れない幸せの価値を他人に認めてもらったり評価してもらいたい心理は、「他人に価値を保証してもらわない限り自信が持てない(他人からの評価保証がない限り自信を持つことは許さない)」という自己暗示の裏返しだったりする可能性もあります。
他人にけなされて傷つくのは、他者からの評価に自尊心の根拠を依存し、他者からの評価以外を根拠にした地震や自尊心の構築を決して許さない自分自身のせいかもしれません。

http://aya-uranai.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-759a.html

ありがとうございます。
元々とても自尊心が低いので、他人に依存している可能性は高いと思います。
最近自分の異常なまでの自尊心の低さを自覚し、やっと心の底から楽しめるものにめぐり合いそれを他人から非難されたのも何かの巡り会わせなのかもしれません。

どうしてこんなひどい目に遭うんだろう…と思っていたけれど、ひどい目に遭わなければ他人の評価ばかり気にして他人の評価のために続けていたように思います。
まずは自分の好きなものを否定することをやめて大事にしたいです。
ありがとうございました。
他の記事も色々読んで色んなことを考えました。

>夕陽さん
妄想の垂れ流しブログですがお役立ちしましたら幸いです。

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