« 中東情勢からの妄想 | トップページ | エボラ熱の流行に奇妙な偶然? »

2014年7月31日 (木)

佐世保女子高生殺害事件で妄想

※以下に書いたことは全て根拠のない個人の妄想です。

前回、「イラクとイスラエルの運気が鬼門と裏鬼門を結ぶ線でつながり照応している」という妄想を書いた。また、「イラクと運気照応してるあの不穏なイスラエルの運気に軍産ビジネス本格化を意図する今の日本が急接近し、今のイスラエルと何らかの形で波長が合いつつある」といった妄想も書いた。
今回は、そんな日本とイスラエル(主にユダヤ人側)の波長が合わさり共鳴しているかのような事件について妄想していく。前回の記事を最初に書きだした頃が26日の夜だったのだが、その頃事件は密かに発生・進行していたのかもしれない(妄想)。
その事件を見ると、やはりユダヤ人疑惑のある「秦氏」は、日本とイスラエルを結ぶ奇妙な因縁と関係があり、事件はそのことをオカルト的に暗示しているような気がした。秦氏もまた、東征時代の日本で軍産ビジネスに関与していたのかもしれない。

その事件がこれ。

高1女子を殺人容疑で逮捕=自宅で同級生殴り死なす―長崎県警
27日午前3時20分ごろ、長崎県佐世保市島瀬町のマンション一室で、同市祇園町の県立高校1年松尾愛和さん(15)が頭から血を流して倒れているのを、捜索願を受けて捜していた県警佐世保署員が発見した。松尾さんは既に死亡しており、同じ高校に通い、この部屋に住む女子生徒(15)が「自分がやった」と殺害を認めたため、県警捜査1課は殺人容疑で逮捕した。

女子高生殺害で逮捕された女子高生がネット掲示板に「殺しちゃったんだけど」と写真付きで書き込みか←のちにイタズラと判明。
「被害者への恨みない」 佐世保高1殺害で容疑の少女
少女の知人らによると、実母が昨秋に亡くなり、直後に父親が再婚。今春から少女は一人暮らしを始めた。県警は少女が家庭環境の変化に大きな影響を受けた可能性があるとみている。
 実母の死後、金属バットで父親を殴り、大けがをさせていたことも判明。小学生時代から父と実母の影響でスポーツに打ち込み、好成績を残す一方で、小学6年だった2010年に同級生の給食に洗剤を混入したことも分かっている。
 少女は、逮捕後の県警の取り調べで、ネコなどを「解剖したことがある」とも明かしており、県警は精神鑑定が必要との見方を強めている。

◆犠牲の33度
事件現場の佐世保には米軍基地があり、日ユ同祖論によればシオン(イスラエルの古名)を意味すると噂の「祇園」という地名の場所で法的には「児童」にカテゴライズされる女子高生が犠牲になった。
「祇園」といえば、かつて結界内の祇園祭が呪術破たんしたと思しき時期に、車が暴走してお稚児さん(元服=成人していない子供)ぐらいの年齢の「児童」が多数犠牲になる事故が結界内で多発したことを思い出す。
長崎県の佐世保にある「祇園」と結界内での「祇園」。共通点は「祇園(シオン)と子供の犠牲」 ・・・

この時、とあるオカルト説が頭をよぎった。いわゆる「犠牲の33度」と呼ばれているものだ。
以下、in deep様より抜粋&要約:

・第二次大戦中に原爆が落とされた長崎の緯度と、その原爆を開発製造して核実験もおこなった米国ロスアラモス研究所の緯度は共に北緯33度で同じ。
・ここ数年、米国を中心にして波乱に巻き込まれている国や首都の多くが 33度線上にある(リビアのトリポリ、イラクのバクダッド、シリアのダマスカス、アフガニスタン、インドのカシミール、チベット、など)。

他にも33度エリアには「冷戦のいけにえ」とも言える出来事によって島民が数万人殺された歴史を持つ済州島がある。「33度の犠牲」にはどこかしら国家や文明のエゴみたいなのが付きまとう気がした。
事件が起きた祇園(シオン)を抱く長崎県と、今まさにシオニズムをこじらせて子供達が多く犠牲になっている「シオン」、どっちも「犠牲の33度線」が通っている。そしてどちらも米国、そして米国を牛耳ってきた軍産複合体と縁が深い。
長崎県には日本最初の軍産ビジネス拠点「グラバー亭」がある。そして何故か庭先にフリーメーソンの石碑が寄贈されているw ついでに言うと軍産複合体とイスラエルも縁が深い。

◆過ぎ越しの犠牲
そして、ふと思った。
祇園の犠牲とシオンの犠牲・・・まさかこのシンクロ現象、「過ぎ越しの犠牲(いけにえ)」を象徴してる?
「過ぎ越しの祭」とは、ユダヤ教のお祭り。その昔、父なる神が下す恐るべき災い(全ての初子が殺される)を避けるために子羊を犠牲(いけにえ)にしたら見事災いを免れたという故事を記念したお祭りだ。「過ぎ越し」とは、「災いがスルーする(過ぎ越す)」という意味。
子羊をわが子の身代りにすることで一番大事なわが子は守られるという安心を確保するということは、子羊(財産)を犠牲にささげる行為が一種の精神安定剤になっているとも言える。
過ぎ越しの故事に見られる「脅威から一番大事なものを守り確保するために、それより大事でない部分を切り捨てる」という発想はかつてヒトデの集団自殺の記事で書いたような競争社会(弱肉強食の世界)で発症した集合無意識規模の精神的な消耗性疾患(いけにえ依存症)を引き起こすこともある(結局、キリストという神話もいけにえ依存症の象徴だった?)。
「いけにえ依存症」は、弱肉強食的な固定観念に人々の発想が閉じ込められている証かもしれない。即ち、「他者を犠牲にすることでしか自分の一番大事なものは確保できない」という心理。弱肉強食の世界において、「他者を犠牲にする能力がない(=捕食能力がない)」ということは、生き残っていく能力がないということである。一番大事な「生存」が確保できなくなり、捕食する側ではなく捕食される側(=弱者=子羊)になってしまうということだ。それはまさに「恐るべき災い」だろう。

話をもどそう。この「過ぎ越しの祭」、今年は4月 15日だったので皆既月の日と一致していた。それだけではない。in deep様の記事によれば、 なんと今年の4月 15日から来年の 9月 28日までのユダヤ教の重要な宗教的祭事と4連続する皆既月食の日時がぴったり一致するのだという。さらに、日食の日とユダヤの暦(2種)の上での大晦日や仮庵の祭の初日も一致する。
以下抜粋:

~2014年から 2015年にかけて起きる月食、日食とユダヤ教の祭日の合致~
2014年04月15日 皆既月食 過越の初日
2014年10月08日 皆既月食 仮庵の祭の前夜祭
2015年03月20日 皆既日食 ユダヤ宗教歴の大晦日
2015年04月04日 皆既月食 過越の初日 
2015年09月13日 部分日食 ユダヤ政治歴の大晦日
2015年09月28日 皆既月食 仮庵の祭の初日

皆既月食が4回連続する現象を「テトラッド」という。20世紀にも2回、過ぎ越しの祭と仮庵の祭の期間中にテトラッドがあった。それは1967年と1948年。第3次中東戦争と、イスラエル建国の年である。そして21世紀最初のテトラッドに当たる今年はイスラエルで大規模な軍事行動。来年には・・・?
・・・なんか鳥肌立ってきた。こういう偶然が起きる年にわざと物騒な事を起こしてるんじゃないかと妄想してしまうオカルト脳。
イスラエル建国も今年のイスラエル情勢(そしてそこにも絡んでくる軍産ビジネス)も、「一番大事なものを確保するために他を犠牲にする」という弱肉強食的発想が付きまとう。それぞれの「一番大事なもの」は違うのだろうけど。
今、そんな奇妙な偶然を抱える「シオン(=イスラエル)」と長崎県の祇園(シオン)が「犠牲の33度線」でつながって象徴的なシンクロ現象を引き起こしている気がしてしまうのだ。

◆一番大事なものって?
「犠牲の33度線」で結ばれ共鳴(?)する長崎県の祇園とシオン(=イスラエル)で犠牲になった子供(達)は、「大事なものを確保するために生じた犠牲」を象徴しているのか? と嫌な連想をしてしまった。
素人が想像するに、イスラエルが戦争(多数の犠牲を出す)をしてでも確保したかったのは「国の安定と領土の主権(シオニズムがらみ)」的なものだろう。では、そんなイスラエルと共鳴する長崎県の祇園で起きた事件の犯人もまた、「殺人をしてでも確保したかった一番大事なもの」があるとすればそれはなんだろう? これまた素人が妄想してみた。 

本当に原始的で動物的な視点での弱肉強食(競争社会の元ネタ)は、出来るだけピラミッドの上位を確保するため(ないし転落防止のため)に自分の捕食能力(優位性)を試し確かめ向上させる本能的な衝動が発生しうる。
万が一そんな原始的すぎる衝動が何らかの理由でパワーを握り、心や理性が乗っ取られ支配されてしまった場合、自分の捕食能力を試し確かめるには「実際に自分の実力に見合う手頃な獲物を狙って倒す」という原始的な物理手段に発想が向かうだろう。最初は虫、やがてカエルや小動物。次に猫などの少し大きな動物、やがて人間・・・自分の実力が上がっていくのに合わせて、「捕食」する獲物は食物連鎖の上位に向かって大きくなっていく。実際、いくつかの殺人事件では犯人が子供の頃から徐々に大きな生物を殺していたなんてケースがある。遺体の解剖や切断は「捕食」の象徴であり代償行為なのだろうか? 実際に殺した相手の一部を食べてしまうケースも稀にあるが・・・なんか「狩りの練習」みたい。
「自分の捕食能力を試し確かめ向上させる原始的な衝動の実現」・・・犯人の少女が確保したかった「一番大事なもの」って、まさかそれ? ピラミッドの上位確保(ないし転落防止)の欲求が暴走?
衝動を実行する際、もし理性が残っていれば原始的で動物的な物理手段ではなく、マウンティングや医者・弁護士などの社会的エリート(それこそ犯人の父親のような)を目指すなどの手段を選んでいたかもしれない。どちらの手段をとるにせよ、衝動の源には弱肉強食下での敗北や転落(=飢え・死etc)の恐怖が存在している気がする。そう。人類の文明や経済システムと同じ構図。

犯人の育った環境を見ると、弱肉強食的ピラミッドの上位に行くことを強く志向する、いわゆる上昇志向、エリート志向の家庭に育ち、ある種の選民思想的な発想が家系or家庭の集合無意識下にあったかもしれない。エリート志向や上昇志向の源にある原動力は、元を辿れば「自分の捕食力を高めてピラミッド上位に行く原始的本能」からきている印象はある。理性がしっかり機能していれば、この犯人もその本能を理性的な手段で満たすことが出来ただろう。 しかし犯人の少女は、その原動力となる本能を非常に直接的・原始的な最悪の方法で実現してしまったのか?

◆まとめ
過ぎ越しの祭の起源となったユダヤ教のストーリーでは、人々が災いを避けるためには戸口(=目立つ場所)に子羊の血をディスプレイすることで「犠牲をささげました(だから災いを与えないでください)」というアピールを父なる神に向かって行う必要があったという。
「犠牲の33度線」が通る地域で発生した件の殺人事件後に、ネットへ「殺しちゃったんだけど」という題名で血の画像がUPされた現象を見た時、私のオカルト脳は「神に向けての過ぎ越しの犠牲アピール」を象徴するかのようなシンクロニシティーを感じてしまった(書き込み自体は釣りでよかったけど)。

長崎県では佐世保の事件を受けて県の教育委員会長が「命の大切さを意識させる教育が行き届いていない」と嘆くコメントを出した。長崎県と同様に33度線を走るイスラエルの現状を見ると、大人の世界でも行き届いてないことが良く分かる。当人達にとって他人の命より大事なものがあれば、そちらの確保を優先してしまう。結果、命への敬意は切り捨てられ、主に無力な弱者(=子羊)が犠牲になる(かつて長崎が核攻撃を受けた背景にもそういう構図があったろう)。

とまれ、暑い夏に何とも背筋が涼しくなる事件だった。
犠牲者のご冥福をお祈り申し上げます。

2014.9.26追記
「過ぎ越しの生贄」として子羊を捧げる相手は災いをもたらす恐ろしい力を持った「父なる神」。友達を生贄のように解体してしまった犯人は、父親をバットで殴り殺そうとしたことがあるという。
この「父」という共通点、何かある? 
父なる神は父性=男性性の象徴。犯人が無意識下で希求していた(かもしれない)弱肉強食ピラミッドの上位を確保できる強い捕食能力(父親を殺せる=父親に勝てるほどの?)は、父権的=男性的な力。そんな「力への崇拝」は、「父なる神(=力)への崇拝」と重なってくる。
そして、事件のあった長崎県と同じく犠牲の33度線が通るシオニズムの国「イスラエル」は、国名が「(父なる)神に勝つ者」という意味を持っている。
犠牲の33度線は、「男性的な力への崇拝が暴走する悲劇」が集中しているとも言える。

« 中東情勢からの妄想 | トップページ | エボラ熱の流行に奇妙な偶然? »

ニュース」カテゴリの記事

不思議な話」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

「 犠牲の33度線 」
「 過ぎ越しの犠牲 」
やっぱり、スピリチュアルな感覚で見ると、
つながる因果ってあるんだなぁ…
と思います。

私は、ニュースや週刊誌を見てませんが、
ちまたの会話に例えると、きっと、

「 お金があっても、幸せにはなれないのね 」
「 お母さんが亡くなって、1年もしないのに、再婚してお父さんが悪いのよ 」
「 まだ小さな娘を独り暮らしさせて、海外に追っ払いたいなんて無責任よね 」

等々、さんざん言って、そのうち話題にものぼらなくなって忘れ去られて消えてしまうのでしょう。
目に見えない、空間の道しるべみたいな話題にはなりませんよね。
本来一人一人が根底にある自我に対話して、本心を語れる相手がいれば、最悪な結果にはならなかったかもしれない…

犠牲になった子も、加害者になった子も、
二人の家族も、目に見えない空間の遠い昔からの、メッセージを代弁するために選ばれた、「 生け贄 」
になったのかなって思います。
亡くなってしまった方のご冥福を陰ながら祈ります。
今回のブログは、決して話題を冷やかしのネタにしたものではないと思います。

> 義月 静堂さん
不謹慎と見なさないでいただいてありがとうございます。

代弁者という名の生贄・・・確かにそんな印象もありますね。
代弁者になるには、自分自身がそれ相応の問題因子を抱えているという条件がそろってないとなれないと思うので、今回の事件当事者の方々は自分自身をよく振り返り見つめていただきたいとは思います。
今回のような結果を招いた因子は何であったのかに気づいてアプローチ・修正できれば・・・

人類史には様々な「代弁者」が時代ごとに出現してその都度集合無意識規模の問題点を如実に表現(代弁)していった気がします。
特に、あのヒトラーはそんな集合無意識規模で人々が抱えている問題点の代弁者だったのかもしれないと思うことがあります。ヒトラーのアーリア人至上主義とユダヤの選民思想なんてほぼ発生原因の心理的背景同じなんじゃないかと思ったからです。
彼はその心理背景となった集合無意識規模の問題点である「民族本来の精神世界が一神教によって侵略・抑圧された状態」をあんな方法で象徴的に表現(代弁)したのかもしれません。
自分本来の精神世界を侵略した価値観に洗脳されて自分自身のオリジナリティを否定すれば、即ち自己否定になります。
自己否定によって自分のオリジナリティに基づく自尊心を持つことが出来なかった者は、他者を卑下し侮蔑することで自尊心の代用を得ようとするでしょう。 ヒトラーもその一人だった気がします。

人類史レベルの代弁者もまた、己の代弁するものと強く共鳴するような波長(問題因子)を持っていたのかもしれません。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/585389/60065472

この記事へのトラックバック一覧です: 佐世保女子高生殺害事件で妄想:

« 中東情勢からの妄想 | トップページ | エボラ熱の流行に奇妙な偶然? »

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
フォト
無料ブログはココログ