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2013年12月31日 (火)

聖なるメディアリテラシー

※以下に書いたことは「誤魔化されず本質を見る力」や「大切なモノを取り戻すためのジハード」から派生した個人の妄想です。

日本を含め、古代には世界各地で人々が霊媒(medium)に降りた神から「お告げ」というアドバイスを貰って社会を営んでいた時代がある。日本には、降りた神が本当に神(高級霊)か神に扮した狐狸や低級霊かを見分け確認する「サニワ」という役目の者がいた。
サニワ役が正常に機能してた時代は、お告げの情報を取捨選択し、確認のとれたお告げだけが採用されていた。
「サニワ」はいわば、その社会を構成する種族にとっての「聖なるメディアリテラシー(聖なる識別能力)」 だ。
(我々が普通に使っている「メディア」の語源は霊媒『medium』から来ている)

やがてサニワ役と為政者(時にシャーマン兼務)が神の権威を私物化し自分自身の権力とするために癒着しはじめ、自分達に都合の良いお告げで人々を騙して扇動・支配するようになった。要するにカルト商法の始まりだ。
サニワ(=神の代理人)以外の一般人にはお告げ(情報内容)に対する判断や識別能力がなく、情報をそのまま信じて従うしかなかった。疑うことなど畏れ多くて微塵も考えなかった者、従わないと天罰が下りそうで怖かったの者、お告げに心の救いを求め依存し感情的・現実逃避的に鵜呑みした者、神の権威を嵩に着たサニワ役や為政者達の雰囲気に呑まれていき、お告げとセルフ(後述)を完全に同一視して強く信仰する人々の同調圧力に逆らえなかった者、色々いただろう。
そのうち「あんなのインチキだ」とか言った者は悪者になって抹殺されるようになったりした。それでますます神の七光り的な権力は大きく広がっていく(後世になると、一部地域ではお告げが「教義」、サニワ役は「預言者」や「神の代理人」に姿を変えていった)。
この星では、大昔にそういうことが世界中で起きた。

それ以来、人々はいろんな意味でメディアリテラシーの発達が封じられがちになってしまい、そのつど「都合の良いお告げ」の支配を受けつつ歴史を進めてきた。
現代でも政治家のパフォーマンスやメディアが出す情報(=お告げ)を鵜呑みにし、メディアが仕掛ける風潮や流行に支配・煽動されてしまったり、デマに騙され暴走するケースが目立つ。カルト商法は数え切れない。
疑心暗鬼にはなるけど「見抜く」ことが出来なかったり、そのせいで色んな憶測や噂、陰謀論が生まれることもあった。要するに、妄想は出来ても事実確認ができないのだ(私含む)。

一説によると、世界各地に古代から存在する「神」という概念のイメージモデルはユング心理学の「セルフ」から来ているという。セルフは自我や顕在意識と無意識を合わせた精神世界全体を統括する機能を持ち、時に自我や人知を超えた理想像になったり自己実現の象徴になったりする。普段はあまり意識できない高次機能でもある。ごく稀に、人知を超えた説明のつかない直感や正夢(=お告げ)、数奇な運勢、シンクロニシティーなどをもたらすことがある。
結局、一人一人に宿る神(ユング心理学でいうセルフ)からやってくる声や導きを一人一人が自ら受け取ることが出来なくなって霊媒の力にすがるようになった頃から(=サニワという役目が生まれた頃から)既に人々の心はメディアリテラシーから遠ざかっていたのかもしれない。
攻殻機動隊という作品では主人公がたまに説明のつかない自分の直感を「~だと私のゴーストがささやくのよ」と表現するが、あれはゴーストをセルフに置き換えるとわかりやすい。

人間は、何故か頻繁に自己欺瞞をする生き物だ。例えば、悩みの解決ではなく単なる憂さ晴らしの手段にすぎないものを「これが解決方法なんだ」と自分を嘘のお告げで騙すことがある。本当の願望ではなく、その願望を象徴的に投影した無関係な人物や物事を「これぞ私の求めているものだ」と騙され追い求めることもある(そこに付け込んで願望どおりのキャラを演じる下心なんてのもある)。昔から抱えてきた不安感を目の前の別物に投影・同一視して余計な心配事を作り上げたり、無意識に不安感を象徴する悪い想像に際限なく振り回されたり、昔から抱えてきた怒りを無関係な別物に連想・投影・同一視して八つ当たりしたり。
自分自身に対してすら本音や本当の感情を誤魔化したり隠したりすることもある。
(個人的には、どんなに醜い感情を持っていてもそのことを恥じたり自己否定するよりも、その感情が何故生まれたのか、その背景に何があるのかという謎を解きたいものだ)。

人間が自我(エゴ)の欲求や都合とセルフからの声や導きを混同し取り違え自己欺瞞する癖がついて自分自身を「サニワ」出来なくなってしまった頃から、「嘘のお告げ」に依存し騙され支配される運勢を自ら潜在的に作ってしまっていたのだろう。そして現代に至る。
そういう視点で見ると、ルシファーが自らを神と騙る神話は象徴的な話かもしれない。

自分自身の内なるサニワ・・・自分にしか出来ないそれこそが、何よりも神聖なメディアリテラシーかもしれない。そんな「内なるメディアリテラシー」を鍛えることは、情報過多の現代においてメディアの情報を吟味・分析し裏を見抜く「外なるメディアリテラシー」を鍛えることにもつながるかもしれない。
私は自己欺瞞に騙されず自分自身の隠れた本音や感情、本当の願望、本当の不安感を突き止めていく練習が内なるメディアリテラシーを鍛えると勝手に思っている。自己発見にもつながるそんな謎解きの冒険は、おっかないけど確かにワクワクしている自分がいることは、誤魔化したくない。

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