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2013年12月11日 (水)

ヒトデの集団自殺事件から妄想

米国の海に広がる衝撃的な光景 : まるで絶滅に向かおうとしているような「ヒトデたちの自殺」

自切:節足動物やトカゲなどに見られる、足や尾を自ら切り捨てる行動。主に外敵から身を守るために行われる例が多い。

現在起きているアメリカでのヒトデの大量死では、まさにこの「自切」行為が発生しているのですが、しかし、普通の自切と違うのは、「自分を守らず死んでしまう」ところです。

つまり、ヒトデたちが自分の腕を自分で落としていってから死んでいっているということが、明らかになろうとしているのです。

なお、これらの現象は決してミステリーの類いではなく、このヒトデの大量死が「消耗性疾患」という名前の病気だということは判明しているのですが、過去にないほど拡大し続けていることと、こんな状態を「どんな科学者も今まで見たことがなかった」ということで、脅威を与えているようです。

AP 通信によれば、ある種ではその棲息エリアで 95パーセントが死滅しているそう。

今年の5月に競争社会を営む現代文明を「自分の足を食べるタコ」に例えた記事を書いたが、上の話もそういった物事を「ヒトデ」で象徴的に暗示した現象のように見えた。あれはいわば競争社会の宿命のようなものだ。競争社会とは、「どこを(誰を)切り捨てるか(=犠牲にするか)」で常に悩む先細りの文明。 やがては自分の足を食べ尽くして死んでいくタコや足を切り落とし尽くして死んでいくヒトデと同じ運命を辿る。競争社会の経済システムにも同じことが言える。これは植民地(足)に支えられた産業革命が起源のシステムなので、植民地を失った時、足が尽きて寿命の来るスピードは加速する。
(足は燃料でもある。燃料が尽きかけた文明運気に燃料の木を追加するべく建てられた開運モニュメントのスカイツリーだが、あの開運法、結局『燃料は自分の足だった』というオチになりそうだ。木が燃料になる運命を脱出することを祈る)

「どこを(誰を)切り捨てるか」で常に悩む先細りの文明。いわば文明が「消耗性疾患」に陥っているともいえる。
アメリカにも「誰かを犠牲にしなければ(生贄に依存しなければ)やっていけない状態に自ら追い込む」という根深い消耗性疾患の症状がある。 「自ら追い込む」ことで、何かを犠牲にする運勢を自ら作り縛られている気がする。 インディアンを排除しなければ成立しない国づくり。奴隷制度に頼らなければ維持できなかった豊かさ(特に南部)。 戦争というビジネスをしなければ支持と豊かさと結束が維持できない(軍産複合体に依存し牛耳られる)国家。生贄を出さないと救われない世界(キリスト教)。

しかし生贄と引き換えのそれは救いでも解決でもなく、犠牲にする部分が自分からよそへ移動しただけだ。世界全体が救われたわけじゃない。 体の切り落とす部分を変えたところで、体全体は救えない。少しずつ少しずつどこかを切り落としながら破滅を遅らせたところで、 待ち受ける運命からは逃げられない。でも、破滅が恐ろしくてそれを止められない。自分でそう追い込んだからだ。
その方法しか自分に思いつかせなかったし。全ての特性(可能性)を活かし連携させる方法で乗り越えるのではなく、何かを切り捨てることでしか乗り越えられない。前に進めない。その発想しか己に許さなかった。手段を現実に合わせようとはせず、手段に現実を合わせようとした。
生贄を捧げる(自切する)ことが破滅からの救いをもたらすのではなく、実際は、そんな方法こそが破滅から逃れられない運命を作っているだが・・・

そうなると、もはや何のために生贄を捧げているのかさえ、分からなくなってしまう。迫り来る運命への恐怖が強迫観念となり、発想が盲目的・原理主義的に先鋭化していくことで、「手段が目的化」していく。目的を失った手段。生贄のための生贄。 理由も無く足を切り落とすヒトデ。盲目的に足を食べ続けるタコ。
・・・そんな集合無意識の様子を、あのヒトデ達は表現しているように見える。ヒトデ達は星条旗の星々であるだけではなく、競争社会を営む人間そのものの象徴だ。
地域を問わず、人類の集合無意識にはそのような「消耗性疾患」が長い間巣食っていたのだ(海は集合無意識の象徴)。当然ながら、日本にもその病はある。ヒトデ同様☆型をした結界が生まれた頃から既にあった。
依存症を前提とする世界では「破滅から救われる」ことはない。破滅に巣食われるのみだ。
足を一本切り落とした(生贄にした)☆型のヒトデは、十字になる。十字架にかけられた生贄の子羊か。

ヒトデの多くは星型をしているので英語で「海の星(sea star)」と書く。タロットの「星」のカードは希望や可能性を意味する。
ヒトデ達が消耗性疾患にかかって自ら足を切り捨てて死んでいく様は、競争社会が末期に至り多くの人が内に秘めた可能性や運気を活かされること無く社会から切り捨てられていく一方になるという、「自ら希望や可能性を切り捨てていく病」に陥った現代文明のように見えた。

追記
TPP交渉(やはり何を犠牲にするか・切り捨てるかで揉めるし悩む)では強引なアメリカの圧力に各国が渋っている。日本すら何とか泣き寝入りは避けようとしてる。実は、アメリカ自身が国内の有力な政財界から「こうしろ」という強引な圧力を受けてやむなく強圧的になっている模様(記事)。要するにトコロテンみたいに圧力が伝わっているのだ。日本はアメポチだがアメリカも多分何かのポチだ。
(日米含め)各国が対等な協力関係を作り直した上で連携して圧力の大元に立ち向かってみたらどうだろう? 国や世界というものは建前上、大企業の「足」じゃないことになっている。
(大元のさらに大元を辿っていったら最後は人間の心に巣食う闇や歪みや抑圧に行き着くんだろうけどね。集合無意識規模で長年巣食った心理的抑圧の解決を探り始めた国も既に出てきた)

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