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2013年11月 5日 (火)

メディア側の未熟なメディアリテラシー

読売テレビ:「たかじん」で「誤解生む表現あった」と謝罪

パネリストで出演した作家の竹田恒泰氏が「在特会が活動したおかげで在日の特権の問題が明らかになった」と発言し、「例えば、通名というのがあって、日本人の名前に変えることによって、犯罪歴や金融関係の経歴を全部消すことができ、また新たな犯罪ができる」と話した。

在日外国人の人権保障に取り組む大阪市のNPO法人「コリアNGOセンター」が「明らかに事実に反する」として10月22日に抗議。3日放送の番組冒頭で、司会を務めるフリーアナウンサーの山本浩之氏が謝罪した。


.◆パブリックとプライベートの混同
パブリックな場所ではちゃんと裏が取れる(確認可能な)話をしないとせっかくメディアの露出が増えてきた竹田恒泰氏の人気も落ちてしまう。 何故それが出来なかったかというと、出演者(メディア側に属する)自体がメディアリテラシーを余り身に着けておらず、自分では確認してない(証拠を提示できない)事象を感情だけで鵜呑みにして信じ込んでしまったからだ。
ネットではしばしば「日本では通り名さえ使えば決して捕まらず犯罪し放題」と思い込んでしまっている人を見かけるが、その中の多くの人々はそれを信じるのに事実確認など必要としておらず、どちらかといえば宗教や信仰の心理に近い。「感情を(心を)満たすことさえ出来れば、証拠など必要ない」というスタンスだ。信者には神様の存在を科学的に証明する必要がないのと同じ。むしろ、「証明しろ」とか言うのはKYだし失礼だ。

飲み会での愚痴や個人のプライベートな範囲内ではそれでもいいのだろうが、パブリックな場所で(それも情報の正確さが必要な場所で)それを言ってしまったりコメントを放置してしまったメディア側の判断力には懸念を感じる。裏の取れる情報や検証を入れて放送するならまだしも、この有様では訴訟起こされたら負けてしまいかねない。アメリカで同じ事やったら相当ふんだくられるだろう。
誤報道どころか、メディア全体が大規模な詐欺に引っかかる可能性すらある。

◆憂さ晴らし≠鬱屈の解決
「感情が満たせれば事実確認など必要がない」・・・日本人の集合無意識にはこのスタンスをあらゆる分野に適用してしまう大衆心理が伝統的に存在するのかもしれない。気に入らない相手の悪い噂をばら撒いて社会的に孤立させるイジメなど、学校や職場のみならず、家庭の間ですら行われている(主に嫁姑)。ここまで頻繁にこの手法が行われるのは、それだけ人々が悪い噂を確認もせずに信じ込むからだ。

オウム真理教の裁判でオウム側を弁護した弁護士を大衆が「オウムとつながっている悪人」と決めつけ事務所に抗議が来たことは有名(法治国家では当然ながら犯罪者側にも弁護士がつく。そうじゃないと裁判が出来ない。それを理解してない人も多いのか?)。
大津イジメ自殺事件ではそんな大衆心理が暴走してイジメ加害者どころか同姓同名の人々にまで嫌がらせ被害を与え、結果的に逮捕者が出た
この現象には竹田恒泰氏と同じくやはりメディア側に立つはずのデヴィ夫人も加担していた。彼女もまた、メディアリテラシーを働かせることができず、デマを信じ込んで無関係な人々の個人情報拡散にブログで加担してしまったのだ(記事)。
あの時は「多くの人が何故確認もせずに無関係な人間への攻撃を繰り返したのか?」と不思議に思う人も居ただろう。それこそまさに、「感情が満たせれば事実確認など必要がない」からだ。デヴィ夫人をはじめ、彼ら自身は生まれつき確認能力が欠落していたわけじゃない。 無意識下で感情的満足を確認よりも優先した結果、「確認する」という発想を抑圧したのだ。彼らは悪を懲らしめたいのではなく、正義を言い訳にして自分の心を満足させたかったのだろう。

ではもししっかり確認して「人違い」でさえなければ個人情報をバラまく「正義の自己満足」に問題が無いかといえば、そうとも言い切れない。個人情報というものは、拡散させると単なる嫌がらせだけではなく犯罪目的に利用されてしまう可能性が高い。実害のあるイタズラの標的にもなりやすい。それを承知した上でなお「社会的制裁」として個人情報を拡散するのであれば、拡散者は罪に問われることもある。
怖いのは、「誰かの個人情報を拡散すれば問題の改善・解決に役立つ」という発想が盲目的な根拠のない信仰(しかも自己正当化に役立つ)であることに多くの人々、そしてデヴィ夫人でさえもが未だ気がついていない点だ。

似たような事例は他にもスマイリーキクチ事件が有名だ。今ではバカツイートした人間に対してよく行われており、ほとんど流行現象といっていい。
国民が自らの鬱屈を根本解決する能力(問題解決能力)を低下させたまま解決ではなく憂さ晴らしを優先して解決した気分に浸る風潮の横行は、景気悪化やネットの普及なども影響しているだろうが、それ以前からの、恐らく封建時代からあった伝統的な日本人の気質があるように見える。以前も書いてきたあの「泣き寝入り根性」というやつだ。
これが忍耐と泣き寝入りを混同させてブラック企業に有利に働いたり、イジメや体罰の問題に一役買っているだろう。どれも相手が泣き寝入りしてくれることに甘えている構造だ。
泣き寝入りするから憂さ晴らしが欲しい。憂さ晴らしのためには相手の泣き寝入りに甘えられる社会に依存するしかなく、社会を変えられない悪循環。
(なお、相手が日本人じゃない場合はこの甘えが通用しない。それで竹田氏と番組側はカウンターを食らったわけだ)

◆メディアは大衆の姿写す鏡
「『相手に落ち度さえあれば憂さ晴らし娯楽の標的にしても正義の行いになる』という風潮はそもそもメディア側が作ったのだからメディアに洗脳されただけの自分達はいくら嫌がらせ行為をしても何も悪くない。ただの被害者だ」と考えて嫌がらせを思う存分続ける人も居る。しかし、嫌がらせの件でいざ警察の取調べを受けたときに胸を張ってその主張を言えるのかどうか?

おそらく、上に書いたような愚かな大衆心理もメディア側も、全く同レベル程度のお粗末なメディアリテラシーしか持ち合わせていないということだ。だって大衆のニーズに応えて生まれたのがメディアなのだから、メディアは大衆の鏡なのだ。大衆の「憂さ晴らし娯楽」を求める心理のみならず、メディアリテラシーの低さまで反映する。
してみると、最近起きたみのもんた氏のケースは非常に象徴的かもしれない。正義を大義名分にして泣き寝入りに甘える「憂さ晴らし娯楽」をしてきた(そしてその様な娯楽を演出・提供していた)人々の運気が変動期に入り、それがメディア側の一員であるみのもんた氏を鏡として反映された様な印象。いわゆる「マスゴミ」の「ゴミ」は、私達が抱え込んでいる心のゴミでもあるのだろうか。

◆何に力を合わせるか
心を満たすため(憂さを晴らすため)に信じる。信じるからためらわず実行する・・・メディアリテラシーなど欠片もなく宗教的な信念が全てを支配していた中世ヨーロッパでは、魔女狩りが横行していた。
日本人は、「泣き寝入り根性」という形で未だにそのレベルをどこかに引きずっている。その引きずったものを解決できたとき、人々は憂さ晴らし娯楽に走る必要がなくなるのかもしれない。
「正義」を大義名分にした憂さ晴らし目的で個人特定するために動く大衆の団結力・連携力は目を見張るものがある。どうせなら、鬱屈を解決できなくて憂さ晴らしに飢え続ける原因の解決(=鬱屈の根本解決)のために皆で協力し合ってみてはいかがだろうか? その方が誰かを生贄にして泣き寝入りさせる「憂さ晴らし娯楽」で連携するよりもはるかにネットを有効活用している。
有効活用の一例としては、大津イジメ事件が発生した際、多くの人々が文科省の窓口に向かって「イジメ対策を見直して欲しい」というメッセージを送り、実際に文科省を動かしたケース。人々が自ら泣き寝入り根性の社会を変えるべく力を合わせたのだ。

余談:
お気づきだろうか? 竹田恒泰氏が自ら所属をアピールしている一族は、事実確認を必要としない宗教的心理に支えられて古代にのし上がり繁栄した一族であることを・・・


いじめっ子を憎む心の落とし穴
自我境界が未発達な国民性2

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