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2013年11月

2013年11月27日 (水)

チベットに(内なる)自由を

※以下に書いたことは全て個人の妄想です。

中国、18歳チベット族僧侶が焼身自殺 懐柔策で月給支給も
「チベットには自由がない。亡命しても自由がない」焼身未遂の若者の言葉を聞いた=チベット蜂起記念日のダラムサラにて
焼身のチベット僧侶、死亡 20歳、ダライ・ラマ14世の名、何度も叫び
ダライ・ラマ「仏教者として心が痛む」 チベット族僧侶らの焼身自殺続

来日中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は19日、東京都港区の増上寺で若手宗教者との対話集会に出席し、中国政府のチベット政策に抗議するチベット族僧侶らの焼身自殺が同国内で続発していることに「最も大切な命を他人のために投げ出し、世の中の不条理を問いかける行為だ。一人の仏教者として心が痛む」と述べた。チベット内部で、人々が焼身自殺に追い込まれるような状況にあることをあらためて訴えた発言とみられる。

◆セルフを外部に投影・同一視しない生き方を
焼身自殺の衝動にかられているチベット人に必要なことは、政治的な「独立」もさることながら、ダライ・ラマや祖国や信仰の姿に投影・同一視してしまった自分自身のセルフ(自我や顕在意識と無意識を合わせた精神世界全体とその中心的存在。時に自我や人知を超えた理想像になったり生きがいや自己実現の象徴になったりする)を自分自身の中に引き戻す(自分と統合する)、自分のセルフを投影対象と混同することなく区別し、いわば精神的な意味で「独立(自立)」することであるのかも。即ち「independence」。
こう考えると、 チベットでは精神的な自立をしていく発達期にある若者の焼身自殺も多いというのがなお痛ましい(青少年期や思春期の心はしばしば己の無意識に秘めた未来の可能性や自己実現を外部投影することがある)。
セルフ(生きがいや自己実現)を外部に投影・同一視してしまったために投影対象の有様に縛られてしまった場合、投影対象の状況が悪ければセルフの状況が悪くなった・失われたと誤認しやすくなる。すると無意識のうちに精神的な行き詰まり感や未来(可能性)に対する絶望感がふつふつと湧き起こるかもしれない。
チベットで発生する若者の焼身自殺は、セルフを外部に投影し、いわば人質にしてしまったことによる自分の精神的な「命の可能性」が抑圧された怒りと絶望感を自分自身にぶつけるという形で表現したSOSのようにも見える。
余談だが、自分の大事なセルフを外部に投影・同一視してしまう仕組みは時に「投影対象さえ無事に残れば自分自身は死んでしまっても構わない」という心理を誘発することもある。その様な心理を誘発させ悪用することで「死を恐れない狂信的で従順な兵隊」を作る組織もあるという。
セルフを外部に投影・同一視してしまう癖や生き方は、時に人生の自由を奪ってしまう。例え、何処に住んでいようとも・・・

◆大切なものは、目に見える世界よりも近くに
今の状態だと、無意識下に発生した「中国によってチベットの自由が奪われたせいで自分のセルフも奪われてしまった(=生きるよりどころを失ったからこの先生きてても一生自己実現は出来まい)」 という勘違いの絶望感に押しつぶされかねない状態で、心を支えるはずの信仰が心を絶望に追いやり、人生の意義や生きがいのあり方を奪ってしまう懸念。祖国も信仰もダライ・ラマも、自己実現のツールにはしてきたがあくまでツール(器)でしかない。 器は死すとも中身は死せず。
もしかすると、チベットが封建社会だった頃からの伝統的な外部投影型共同幻想の作り方が実情に合わなくなって来ているのか?  あれは投影対象が無事であれば安心感を持てるやり方だが、いざそうじゃなくなった時が問題だ。生きがいの作り方を従来よりももっと自由の利く形に再創造出来るかどうかがカギ?

そろそろ外部投影型の信仰から内面重視の哲学型仏教に生き方のよりどころをシフトチェンジした方がいいのかもしれない。チベットは外部投影型の素朴な信仰のみならず、内面重視の仏教哲学も非常に詳しく保存し研鑽してきた国だ。内面重視の仏教哲学では、セルフを外部に投影させる発想を持たない。ゆえに、外部の状況には一切縛られず左右されない。
「セルフ」の概念を説いた心理学者ユングもまた、仏教哲学には大きな関心を寄せていた。セルフは古今東西の神や仏のイメージの元ネタにされたという。また、特に東洋人が見る夢の中にセルフが登場するときは神仏の姿で象徴的に現れることがあるといわれている。それこそまさに、セルフは外部の何処でもなく、自分自身の内部にこそ存在している証だ。
(そもそも、自分の内部に無いものは外部に投影できない)
セルフと縁深いという神仏のイメージ。仏教の世界でも「仏は一人一人の中にいる」という思想はある。神社にお参りすればご神体の鏡に自分が写る。人間は、かなり昔から「己の内なる深淵に潜む尊くて大切に感じるもの」を拝んできたみたいだ。一人一人に自前の神仏がいるらしい。八百万の神仏・・・

とまれ、外部の「目に見える何か」に生きがい(生きるよりどころ)や自己実現といった「目に見えない大切なモノ」を投影・同一視し過度に縛られるのは結構怖いことなのかも。目に見える世界は諸行無常。何が起きるか分からない。

◆「自己」の主権をとりもどす
セルフ、自己実現、生きがい・・・自分の魂ともいえるような大切な部分を外部投影して投影対象の様子に影響され縛られてしまう状態は、自己の命が本来持つべき独自性や主体性を自分以外の何かに明け渡してしまうのと同じこと。チベットの集合無意識は長い間そういう部分を抱えてきたのかもしれない(セルフを日本語訳すると「自己」になる)。
長年積み重ねられたその状態が、「外部(中国)に主権を明け渡す」という運勢を招いてしまったのか?
・・・仮にそうだとすれば、チベットの人々が外部に投影していた己の命の独自性と主体性を己自身のもとにとり戻す(自分自身と統合する)動きをするようになれば、チベットの集合無意識の変化がチベットの主権回復という運勢を作ってけるかもしれない(占い師的発想)。
かつてチベットを侵略した人民解放軍は「宗教はアヘンだ!」と言ってチベットの僧侶達を迫害したという。が、当時の中国共産党思想もまた、一種の新興宗教だったりする。教祖様は毛沢東だ。多分、当時僧侶達を迫害した人々(信者)もまた、己の大切なセルフを「中国共産党」に投影・同一視してしまっていたと思う。とすれば、僧侶達への迫害はある意味近親憎悪みたいなものだ。本人達の無意識からすると、「宗教はアヘンだ!」は自分自身に向かって(又は自分の属する宗教に向かって)言いたかったことかもしれない。

大切な命を投げ出し不条理を問いかけている」byダライ・ラマ
・・・チベタンが「こんなこと間違ってる!!」と最も訴えたい(不条理を問いかけたい) 相手は国際社会でも中国政府でもなく、自ら作った不自由な精神的束縛にあえぐチベタン達自身に対してなのかもしれない。
(自ら作った精神的束縛によって)大事なセルフや自己実現を抑圧され、未来や可能性が行き詰まったことへの燃えるような怒り、身を焼かれるような苦しさ。死にたくなるほどの絶望感。そんな集合無意識規模の悲鳴(訴え)が歪んだ形で象徴的に表現し訴えた結果が焼身自殺になったのか?

だとすれば、自分自身をそこまで虐げ苦しめてしまっているのは、自分自身だ。
まさか、それで自分自身にも怒りが向いて、自分の体を傷つけるようなことを?
自分を苦しみと絶望に追いやったのはチベットから自由を奪った中国だけじゃなくて、自分自身の不自由な発想もその共犯者だったと?

・・・まあ、勝手な妄想でしかないんだけど。

王力雄:焼身するべきか否かの間から考える……あるチベット人との対話
共同幻想から自己をとりもどせ?
就活自殺の増加に思うこと←自分の人生や命の価値を外部からの評価に投影・同一視して縛られてるケース
「必要とされる」必要が無い←自分の自尊心を他者からの愛情に投影・同一視して縛られてるケース
デクレア・インデペンデンス

2013年11月26日 (火)

もみじ

夕べの強風で吹き寄せられた葉っぱも美しい。
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谷間は風から守られた。
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実家の木もなかなか
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2013年11月23日 (土)

「新しい島」で妄想

※以下に書いたことは科学性の無い個人の妄想です。

小笠原諸島・西之島沖で噴火…楕円形陸地も確認
噴火で出現した新島「成長速度が非常に速い」
溶岩で「島」になる可能性が高い
新たな島、二つの火口を確認…マグマが上昇

◆オカルト的偶然?
今年の恵方方角(南南東)に出現したこの島(?)が水没せずに本格的な「島」にまで成長した場合、日本列島全体(国土全体)を取り巻く風水環境(気の流れ)にも影響しそう。既にこの島(?)が属する東京都は風水的な影響を受け、東京都知事の運勢を変動させている模様。噴火が発見された翌日に、こんなニュースが発表された。

徳洲会:猪瀬氏側に知事選前に5000万円 捜査後に返却

公職選挙法違反容疑で幹部らが逮捕された医療法人「徳洲会」グループ側が昨年12月の東京都知事選前、猪瀬直樹知事(67)側に5000万円を提供していたことが関係者への取材で分かった。今年9月にグループが東京地検特捜部の強制捜査を受けた後、猪瀬氏側から全額返却されたという。

しかも、島がどんどん大きくなっていくにつれ、全貌が明るみになってきた。
徳洲会側「猪瀬知事が1億円お願い」
東京都の猪瀬知事が去年の知事選挙の前に大手医療法人「徳洲会」グループ側から5000万円を受け取っていた問題で、関係者によりますと、徳洲会の徳田虎雄前理事長が次男の徳田毅衆議院議員から「猪瀬さんが『1億円をお願いしたい』と言っている」と伝えられ、(中略)これに対し前理事長は「5000万円で対応しろ」「足がつかないよう議員会館で渡せ」などと指示したということです。

「徳洲会に1億円要求」報道を全面否定 猪瀬知事
真相やいかに?

現在も東京都の海上で噴煙を上げ続けている島的なアレ、形状が楕円形をしている。楕円というのは五行思想だと金行を象徴する形なので、アレが出現した直後に東京都知事の献金問題が明るみになったことは偶然じゃないのかもしれない。風水によると、楕円は金の気を拡散させる効果があるという。
そして極め付けがこれ↓
海保が噴煙を上げる島(?)を最初に発見したのは11月20日。偶然にも、猪瀬都知事の誕生日である。

◆個人的願望
いかなる因縁か、都知事はアレが出現した誕生日の直後に己の不名誉な事実が社会にバレてしまったことになる。誕生日の噴火は「バースデーサプライズの巨大クラッカー(後で効く)」か。あの海から見た都庁の方角は「亥(いのしし)」の方角で、猪瀬氏の頭文字も猪(いのしし)なのがまた面白い。
また、政治献金問題で現在注目されている「徳洲会」の「洲」とは、海や川の中にある小さい陸地(=中洲)を意味する字だ。まさに、今噴火して島に成長しようとしているアレのことである。これも妙な偶然?
あの「洲」が出現した直後に都知事の不徳が暴露される運勢が発生しているので、アレは「徳の洲」ないし「お金の不徳を正す洲」なのかもしれないw 海(集合無意識のシンボル)から生まれたばかりの小さなアレが日本の風水的運気に作用し、隠されていた不徳を正し徳を促す運気をこの国にもたらしてくれるだろうか?
まだ小さな影響力しか持たないこの運気、アレが島としてしっかり成長する頃にはもっと大きな力を持った運気になるかもしれない(やがて都知事選になる)。すでに「隠蔽してきた不都合」が暴露される運気は日本を席巻し活性化を辿る一方だ。アレはそれを促進する因子の一つになるだろうか?

しかしこの運気を育てたいなら他力本願ではいけない。しっかり育てて成長させるのは、私達の仕事なのだ。あの運気は私達の集合無意識から生まれたのだから。私達の集合無意識という海からひょっこり頭を出した小さな「徳の洲」、活かすも殺すも私達次第だ。まずは都知事選に行こう。
隠蔽体質に支配された世間の「荒波」に負けないで運気が成長していけることを願っている。

現実にはあんな小さい陸地が新しく出来たところでどうって事は無いのだろうが、オカルト視点で見るとちょっと面白い妄想が出来た。

11.26追記
新たな島、1・5倍に…火口の一つから溶岩確認
海保が見に行ったら楕円だったのが北東(鬼門)の方向に約70m張り出してヒョウタン形になっていたという。ひょうたん型もまた金行に属する形状。しかも魔除け(邪気を減ずる)効果がある。徳の洲、ますます不徳を正してくれそうな形に成長している。特にお金の絡む分野でw
オカルト的には、より一層隠蔽体質の荒波に耐えうる運気へと成長しているのかも(願望)。
11.28追記
もしかすると今回のアレ、今月12日~19日まで出雲で行われていた「神様の総会」によって決まった案件だったりして。アレが出現したのは出雲から帰る神様を送り出す儀式をした翌日なのだ。個人的にはあの島、何故か地母神などの「母性的な豊かさ」を想起させる
(なお、徳洲会は男性的・父権的な組織だ)。というのは、現在の島影が何となく「赤ん坊を抱いた女性」に見えるから(写真)。しかも、頭に角が生えているような・・・? 以前書いた「日本のアニマ」っぽくも見える。「角」の部分が鬼門方角だからなおさら。
2014.1.18追記
あの島が招いた(?)猪瀬氏退陣=東京都知事選。この選挙は出雲で行われた神様会議の結果が反映されるような運気になるのだろうか? もしそうであるとすれば、なんかすごいことになりそう。
2015.7.1追記
アーチ1本5百億円…新国立競技場、入札でJSCが不正疑惑、予算巨額膨張を隠蔽か
あの島と龍脈がつながってる箱根の噴火翌日にコレ。

2016.5.18追記
舛添都知事に“政党交付金400万円”ネコババ疑惑が発覚
猪瀬氏退陣による選挙(2014年に『なんかすごいことになりそう』って書いたアレ)で都知事になれた舛添氏、なんと湯河原という「お金の不徳を正す島」と龍脈的につながった地域へ自ら何度も通っていた(税金を使って)。その結果がこの運勢である。お金の不徳ゆえに・・・; やはりこれも「神様会議」で作られた計画の一部なのだろうか? などとオカルト妄想してしまう。
多分、あの島を生み出した龍脈の力は、これだけでは終わらない。

2016.10.15追記
築地市場の豊洲移転問題
あの島(というかあの龍脈)に吹き飛ばされた舛添氏に代わり、八丈島(あの龍脈上)にまで選挙活動をしに行って当選した小池都知事が取り組んでいる豊洲移転問題。五輪問題やカジノ利権も絡んでて根が深そうである。やはりすごいことになるのかもしれない。徳の洲は豊の洲をめぐる不徳を正すだろうか? 
今年の神様会議の行方やいかに?

2013年11月20日 (水)

進撃のアドレナリン

※以下は太平洋戦争のベルセルク悲話の余談です。元記事を参照した上で以下をご覧になることをオススメしますが、基本的に全部根拠の無い個人の妄想です。

◆脳内麻薬アドレナリン
私達がまだヒト型ではない小さな生き物だった頃から、危機や極限状態に直面すると自分や群れを守るために恐怖や怒り、闘争本能や逃走本能などを司る脳内麻薬「アドレナリン」を分泌するようになっていた。
最近流行の漫画に「進撃の巨人」という作品がある。あの漫画が描くテーマの一つは「アドレナリン分泌」といえるかもしれない。アドレナリンが分泌される人々とそのシチュエーションを如実に描いている。闘争・怒り・逃走・恐怖・不安(不信)・勇猛(蛮勇)、興奮、断末魔、おまけにベルセルク(火事場の馬鹿力を発揮する素養のある戦士)まで描かれている。アドレナリンが流れる場所は交感神経。ちょうど巨人の急所付近だ。

あの漫画の「巨人」は、私達が小さな生き物(よく捕食されてた)だった頃から持っていた「恐怖」の視覚化なのだろう。「壁」は無意識下に潜む恐怖が顕在意識に侵入しないように(顕在意識が恐怖を感じないように)抑圧・遮断する心理的な壁か。
恐怖というものは、理性や判断力をはじめ、人々から心の自由を奪ってしまうことも多い。非常事態に直面しパニックに陥るケースはいくらでもある。他にも、過去に発生した恐怖によって心の自由を奪われることもある。

※例えば、過去に体験した強い恐怖を無関係な物事に連想、投影、同一視し無関係な物事にまで恐怖を感じてしまい、本当に怖いものが何なのかを混同してしまう例もある。その結果変な思い込み(妄想や疑心暗鬼)に惑わされたり、本来は怖くないものを恐れてパニクったり逃げ出したりと様々な形で理性や冷静さを奪い、思考・行動を歪め失敗や判断ミスを誘発するケースは多の人が経験しているだろう。これが恐怖ではなく怒り(闘争心)を無関係な物事に連想・投影・同一視してしまえば、無関係な物事への八つ当たりやケンカにだって発展しうる。あるいは過去の恐怖を連想・投影・同一視した無関係な相手対して反射的な怒りや闘争心を持ってしまうこともある(克服すべきは過去の恐怖や怒りであって相手ではない)。

◆恐怖は「敵」じゃない
恐怖にせよ怒りや闘争心にせよ、アドレナリン分泌の作用は時に巨人のような力で私達から理性や判断力や心の自由を奪ってしまう。強い恐怖は意識から締め出そうと心理的な壁を作っても崩されてしまう事だって多い。その状態はまさしく人類にとって憎らしい「天敵」であり、それにどう打ち勝つべきか苦悩し葛藤する人々の様子をあの漫画は象徴的に描いている気がする。今のところ主人公達は「恐怖」をやっつけるのに「闘争心(怒り)」で対抗しているようだ。主人公が巨人化して巨人と戦う様子は「闘争心vs恐怖」って感じがする。
私には、「恐怖」という巨人に対して、「恐怖を上回る闘争心を出して巨人をやっつけるのだ! 闘争心が出れば勇気も出るから死だって怖くない。アイツを死んでも倒す!!」という発想には少し懸念がある。恐怖と闘争心はどちらもアドレナリンの担当なのだ。即ち闘争心は恐怖心の裏返し。恐怖(アドレナリン)に闘争心(アドレナリン)で対抗したら闘争心に力を注いだ分だけ恐怖心にも力を与えてしまうことにならないか? アドレナリン出しすぎてわけが分からなくなりそうだ。

あの作品における「巨人」がもしも恐怖の象徴であるならば、彼らは「殺すべき者」ではなく、「暴走させずにうまく付き合う者(連携すべき者)」のような気がする。暴走しないで正常に作動する「恐怖」の機能は、危険を察知し身を守るための大事な生命維持装置の一つである。過去に恐ろしい事態を引き起こした原因が未だ改善されずに自分の中で放置されていることを知らせる(ふとした時に過去の恐怖体験を連想させる)ことさえある(そんな『お知らせ』をうまく扱えずに先述の※みたいな暴走事例が起きるわけだが)。
そんな命を守るために生み出された機能(=恐怖)自体を殺してしまったら、それはそれで危険だ。恐怖が問題なのではなく、恐怖を引き起こす事態や原因の方が問題なのだ。その事態や原因から目を背け封印し押し殺そうとすると(抑圧すると)、恐怖は暴走する。正常に危険信号を出しているのに無視し抹殺しようとするからだ。
そういえばあの漫画、「巨人を絶滅させてめでたしめでたし」という展開にはなりそうにない。

また、壁を作って恐怖心を意識から締め出そうとすると、却って恐怖心を強調してしまうことがある。恐怖心(ないし他のネガティブな感情)を動機や理由にした行動や思考は、そのこと事態が恐怖心を強調するのだ。
(占い依存症にもこの仕組みが働いてるケースがある)
恐怖の強調。巨人を遮断するはずだった壁の中から巨人が生まれる描写は、そういうことが表現されている気がする。

◆「アドレナリン依存症」という巨人
私達は太古から危機に際していつもアドレナリンを分泌してきた。当初は自然な生存本能としてやっていたことだったから特に問題はなかったのだろうが、理性や知性を得る頃になっても何かあるとついつい原始的な闘争心(アドレナリン)で何でも解決しようとしてしてしまい、解決できなくて問題から目を背け無かったことにしてしまおうとする。すると今度は無意識が恐怖や不安(やはりアドレナリン)という形で信号を出すが、それに対してまた原始的な闘争心(アドレナリン)使って対応するだけ。以下無限ループ。
やがてアドレナリンが必要以上に沢山出るようになって制御しきれずに心を支配され、理性や判断力を奪われてしまうケースが発生するようになった気がする。元記事の「ベルセルク暴走」はその典型例だし、戦後の左翼紛争もベクトルは違えどその一例である。残念なことに、私達はベルセルク呪術に依存し縛られ支配されてしまった頃や左翼紛争が発生していた頃、というかある意味小さな生き物だった頃からあまり進歩しておらず、今までと同じパターンにはまる可能性はまだ残っている。

例えば、不景気になると人々の無意識下では「飢えの恐怖(死の恐怖と直結)」が音も無く頭をもたげ、やがて顕在意識領域にまでじわじわと浮上してくる(時には漠然とした不安感というあいまいな形で)。それに対処するため、人々は更なる闘争心をかき立てるべくアドレナリン分泌に依存する。結果的に、闘争心用のアドレナリン分泌を促進するような刺激をもたらす様々な娯楽や共同幻想や社会運動、政治リーダーなどが発生し人気と注目を集めることになる。そういうものから刺激を受けアドレナリンを増やした人々は恐怖や不安以上に好戦的な興奮を覚え、「弱肉強食に支配された世界の中でかっこよく勝利するファンタジー」を好む傾向になり、「弱肉強食がルールという前提からの脱出」という発想には意識が向かなくなる(闘争心が強まるため)。アドレナリンは、命が弱肉強食を前提とした世界での生き残りを求めて生み出した脳内麻薬でもある。それに依存している限り、弱肉強食がルールだとする暗示から抜け出せない。

それで結果的に、古今東西で不景気な時代には過激で好戦的な思想・主義(共同幻想・ファンタジー)やそれを吹聴する者が元気になりやすいわけだ(今もそんな時代?)。しかも、ファンタジーと現実の区別をわざとあいまいにさせる。そんなもんだから不景気と戦争は相性がいい。そしてひとたび戦争となれば現実は闘争心に負けないぐらい強い恐怖を撒き散らす。その恐怖から逃れるために更に強い闘争心をかきたて(時にそれがベルセルク現象を引き起こし)、それが更なる強い恐怖を呼び、恐怖と闘争心の間で半狂乱になる。恐怖と闘争心は同じアドレナリンの担当分野。オセロの裏表だ。アドレナリンのファンタジー(闘争心による麻酔・幻想)から現実に引き戻された時のショックは大きい。そして残るのは、「好戦的な共同幻想に逃避して感情を満たすために大きすぎる犠牲を生んだ」という傷だ。
あの漫画も、不景気にあえぐ現在の集合無意識が作者にインスピレーションを与えたのだろうか?

なお、「社会不安」という辛さにアドレナリン分泌で対抗する方法は、単なる紛らわし行為でしかなく、根本解決ではない。紛らわすだけでは社会不安の原因に光が当たっていない。
時に私達の生命維持装置は、過去に恐ろしい事態を引き起こした原因が未だ改善されずに放置されたままだと、いくら紛らわしても不安や恐怖といった警告信号を送ってくる。社会不安の原因を「アドレナリン(闘争心)不足だ」と偽りの結論を出して原因と向き合うことから逃げている限り、不安や恐怖は消えない。偽りの結論に基づいて恐怖を上回る闘争心を作らせていたアドレナリン分泌が、いつ「闘争心を上回る恐怖」へとベクトルを変えるか分からない。それはそれでコワイ。
(巨人と戦う側だったキャラが巨人化するというストーリーはそこら辺と関係してそうだ)
むやみに闘争心に依存することは、それだけ「現実と向き合う・腰を据えて根本解決を探る」ことに対して臆病な証なのかもしれない。
闘争心(戦い)の生まれる動機や原因に不安や恐怖がある。それらが無くては戦えないし、戦わない。

◆恐怖の原因と向き合い対話する
元記事にも少し書いたが、私達が本当に克服すべきものは、己の中に住む「アドレナリン依存症」という見えない巨人なのだろう。アドレナリン依存症から抜け出すのに必要な力は、何かあればむやみにアドレナリン分泌(原始的闘争心)で解決する発想(知性や理性が無かった頃の名残り。一種の先祖がえり)に依存することから卒業し、恐怖の原因(問題)から目を背けずに向き合う非アドレナリン系の冷静な勇気(闘争心には属さない勇気)なのだろう。恐らくそれは、知性や理性を知らなかった太古の祖先は持っていない力だ。アドレナリン系の「勇猛(蛮勇)」とは異なるそれこそが、今の私達に必要な真の勇気なのかもしれない。というかそれはいわゆる「勇気」とは違うものなのかもしれない。「叡智」とか「聡明さ」とか、「進化」・・・あるいは真実を突き止めようとする「探求心・好奇心」というべきかも知れない。それは恐らく、勇猛とは異なる方向で死の恐怖すら越えうる可能性秘めている。

社会不安に対して大衆がアドレナリンによる紛らわし行為をした挙句ヒステリックに暴走する有様は、社会が見えない巨人に支配された状態だ。要するに見えない巨人を作り出し大暴れさせてしまっているのは、自分達自身というわけだ。つまるところ、巨人とは私達自身なのだ。
自分達が今感じている不安や恐怖という信号の発生原因に対して、冷静に光を当て、分析し、背景や原因を探る。今何故恐怖(不安)が発生したのか、それはどんな恐怖なのか、どうしてそれが怖いのか、そうなると何が一番怖いのか・・・などなど、その恐怖が生まれる背景に何があるのか。まずは原因を探るために恐怖の特徴と恐れずに向き合い、「何故その様な特徴があるのか」を問いかける。逃げないで問題の本質と向き合い解き明かそうとする姿勢を持つこと、そこに情熱を傾けることが暴走を制御するコツの一つ。アドレナリン依存症からの卒業を目指す私達に必要なことは、そういう解決発想なのだろう。
(例:買占めパニックを引き起こした恐怖について探ってみた
個人的には、多くの恐怖や不安が生まれる背景には「死の恐怖」があると見ている。不景気による社会不安も然り。死の恐怖に対して、アドレナリン系の原始的方法とは異なる方法で対処できるようになることがカギではないかと思っている。

余談:
原因と向き合う発想は、自分が過去に体験した不安や恐怖や怒りといったアドレナリン系の感情を無関係な物事に対して連想・投影・同一視し混同している可能性のある状態に陥った時も応用できる。コントロール困難な激しい感情を抱いた時には一応やってみるといい。
まず、不安や恐怖や怒りを感じている自分の心に対し、「かつても同じような感覚を味わったことが無かったかどうか」と問いかける。もしも身に覚えのある感覚であるならば、この感覚を味わった時の事を思い出す。昔何に対してそんな不安や怒りを感じたことがあったのか、それのどこが一番嫌だったのか、どうしてそれが一番嫌だったのかを思い出したら、何故その感覚が今になって無関係な別物に連想・投影されたのか。どこがどう似ていたのかを比較してみる。
すると、投影対象への恐怖が消えるので落ち着いて色んな事が分かってきたりする。本当は何を恐れ嫌がっているのか(何を愛するゆえなのか)とか、解決策も分かることが多い。割とマジで。
その謎解きは、怖いと思い込んでしまうことが多いのだけど、むしろ新たな発見を得る謎解きのワクワク感さえある。

万一の何かがあったとき、アドレナリンじゃなくてこっちを上手に使えるようになればとんでもない進化だと思う。そもそもこれ使えたら「万一の何か」を発生させうる運気(因子)が成立しないかも。

魂の環境インフラ
運勢の神業
天空の城ラピュタのオカルト解釈
鍵を握るのは、「ゴースト」だ。

復讐心の裏側は・・・
依存ビジネスの心理的手口
死は感情を満たす道具?

2013年11月16日 (土)

ルパン二次創作動画

ここ数年の金曜ロードショーよりはるかにストーリーも演出もよく出来てる。予告もいい。

ジブリがルパンやってくれないかな・・・

2013年11月 5日 (火)

メディア側の未熟なメディアリテラシー

読売テレビ:「たかじん」で「誤解生む表現あった」と謝罪

パネリストで出演した作家の竹田恒泰氏が「在特会が活動したおかげで在日の特権の問題が明らかになった」と発言し、「例えば、通名というのがあって、日本人の名前に変えることによって、犯罪歴や金融関係の経歴を全部消すことができ、また新たな犯罪ができる」と話した。

在日外国人の人権保障に取り組む大阪市のNPO法人「コリアNGOセンター」が「明らかに事実に反する」として10月22日に抗議。3日放送の番組冒頭で、司会を務めるフリーアナウンサーの山本浩之氏が謝罪した。


.◆パブリックとプライベートの混同
パブリックな場所ではちゃんと裏が取れる(確認可能な)話をしないとせっかくメディアの露出が増えてきた竹田恒泰氏の人気も落ちてしまう。 何故それが出来なかったかというと、出演者(メディア側に属する)自体がメディアリテラシーを余り身に着けておらず、自分では確認してない(証拠を提示できない)事象を感情だけで鵜呑みにして信じ込んでしまったからだ。
ネットではしばしば「日本では通り名さえ使えば決して捕まらず犯罪し放題」と思い込んでしまっている人を見かけるが、その中の多くの人々はそれを信じるのに事実確認など必要としておらず、どちらかといえば宗教や信仰の心理に近い。「感情を(心を)満たすことさえ出来れば、証拠など必要ない」というスタンスだ。信者には神様の存在を科学的に証明する必要がないのと同じ。むしろ、「証明しろ」とか言うのはKYだし失礼だ。

飲み会での愚痴や個人のプライベートな範囲内ではそれでもいいのだろうが、パブリックな場所で(それも情報の正確さが必要な場所で)それを言ってしまったりコメントを放置してしまったメディア側の判断力には懸念を感じる。裏の取れる情報や検証を入れて放送するならまだしも、この有様では訴訟起こされたら負けてしまいかねない。アメリカで同じ事やったら相当ふんだくられるだろう。
誤報道どころか、メディア全体が大規模な詐欺に引っかかる可能性すらある。

◆憂さ晴らし≠鬱屈の解決
「感情が満たせれば事実確認など必要がない」・・・日本人の集合無意識にはこのスタンスをあらゆる分野に適用してしまう大衆心理が伝統的に存在するのかもしれない。気に入らない相手の悪い噂をばら撒いて社会的に孤立させるイジメなど、学校や職場のみならず、家庭の間ですら行われている(主に嫁姑)。ここまで頻繁にこの手法が行われるのは、それだけ人々が悪い噂を確認もせずに信じ込むからだ。

オウム真理教の裁判でオウム側を弁護した弁護士を大衆が「オウムとつながっている悪人」と決めつけ事務所に抗議が来たことは有名(法治国家では当然ながら犯罪者側にも弁護士がつく。そうじゃないと裁判が出来ない。それを理解してない人も多いのか?)。
大津イジメ自殺事件ではそんな大衆心理が暴走してイジメ加害者どころか同姓同名の人々にまで嫌がらせ被害を与え、結果的に逮捕者が出た
この現象には竹田恒泰氏と同じくやはりメディア側に立つはずのデヴィ夫人も加担していた。彼女もまた、メディアリテラシーを働かせることができず、デマを信じ込んで無関係な人々の個人情報拡散にブログで加担してしまったのだ(記事)。
あの時は「多くの人が何故確認もせずに無関係な人間への攻撃を繰り返したのか?」と不思議に思う人も居ただろう。それこそまさに、「感情が満たせれば事実確認など必要がない」からだ。デヴィ夫人をはじめ、彼ら自身は生まれつき確認能力が欠落していたわけじゃない。 無意識下で感情的満足を確認よりも優先した結果、「確認する」という発想を抑圧したのだ。彼らは悪を懲らしめたいのではなく、正義を言い訳にして自分の心を満足させたかったのだろう。

ではもししっかり確認して「人違い」でさえなければ個人情報をバラまく「正義の自己満足」に問題が無いかといえば、そうとも言い切れない。個人情報というものは、拡散させると単なる嫌がらせだけではなく犯罪目的に利用されてしまう可能性が高い。実害のあるイタズラの標的にもなりやすい。それを承知した上でなお「社会的制裁」として個人情報を拡散するのであれば、拡散者は罪に問われることもある。
怖いのは、「誰かの個人情報を拡散すれば問題の改善・解決に役立つ」という発想が盲目的な根拠のない信仰(しかも自己正当化に役立つ)であることに多くの人々、そしてデヴィ夫人でさえもが未だ気がついていない点だ。

似たような事例は他にもスマイリーキクチ事件が有名だ。今ではバカツイートした人間に対してよく行われており、ほとんど流行現象といっていい。
国民が自らの鬱屈を根本解決する能力(問題解決能力)を低下させたまま解決ではなく憂さ晴らしを優先して解決した気分に浸る風潮の横行は、景気悪化やネットの普及なども影響しているだろうが、それ以前からの、恐らく封建時代からあった伝統的な日本人の気質があるように見える。以前も書いてきたあの「泣き寝入り根性」というやつだ。
これが忍耐と泣き寝入りを混同させてブラック企業に有利に働いたり、イジメや体罰の問題に一役買っているだろう。どれも相手が泣き寝入りしてくれることに甘えている構造だ。
泣き寝入りするから憂さ晴らしが欲しい。憂さ晴らしのためには相手の泣き寝入りに甘えられる社会に依存するしかなく、社会を変えられない悪循環。
(なお、相手が日本人じゃない場合はこの甘えが通用しない。それで竹田氏と番組側はカウンターを食らったわけだ)

◆メディアは大衆の姿写す鏡
「『相手に落ち度さえあれば憂さ晴らし娯楽の標的にしても正義の行いになる』という風潮はそもそもメディア側が作ったのだからメディアに洗脳されただけの自分達はいくら嫌がらせ行為をしても何も悪くない。ただの被害者だ」と考えて嫌がらせを思う存分続ける人も居る。しかし、嫌がらせの件でいざ警察の取調べを受けたときに胸を張ってその主張を言えるのかどうか?

おそらく、上に書いたような愚かな大衆心理もメディア側も、全く同レベル程度のお粗末なメディアリテラシーしか持ち合わせていないということだ。だって大衆のニーズに応えて生まれたのがメディアなのだから、メディアは大衆の鏡なのだ。大衆の「憂さ晴らし娯楽」を求める心理のみならず、メディアリテラシーの低さまで反映する。
してみると、最近起きたみのもんた氏のケースは非常に象徴的かもしれない。正義を大義名分にして泣き寝入りに甘える「憂さ晴らし娯楽」をしてきた(そしてその様な娯楽を演出・提供していた)人々の運気が変動期に入り、それがメディア側の一員であるみのもんた氏を鏡として反映された様な印象。いわゆる「マスゴミ」の「ゴミ」は、私達が抱え込んでいる心のゴミでもあるのだろうか。

◆何に力を合わせるか
心を満たすため(憂さを晴らすため)に信じる。信じるからためらわず実行する・・・メディアリテラシーなど欠片もなく宗教的な信念が全てを支配していた中世ヨーロッパでは、魔女狩りが横行していた。
日本人は、「泣き寝入り根性」という形で未だにそのレベルをどこかに引きずっている。その引きずったものを解決できたとき、人々は憂さ晴らし娯楽に走る必要がなくなるのかもしれない。
「正義」を大義名分にした憂さ晴らし目的で個人特定するために動く大衆の団結力・連携力は目を見張るものがある。どうせなら、鬱屈を解決できなくて憂さ晴らしに飢え続ける原因の解決(=鬱屈の根本解決)のために皆で協力し合ってみてはいかがだろうか? その方が誰かを生贄にして泣き寝入りさせる「憂さ晴らし娯楽」で連携するよりもはるかにネットを有効活用している。
有効活用の一例としては、大津イジメ事件が発生した際、多くの人々が文科省の窓口に向かって「イジメ対策を見直して欲しい」というメッセージを送り、実際に文科省を動かしたケース。人々が自ら泣き寝入り根性の社会を変えるべく力を合わせたのだ。

余談:
お気づきだろうか? 竹田恒泰氏が自ら所属をアピールしている一族は、事実確認を必要としない宗教的心理に支えられて古代にのし上がり繁栄した一族であることを・・・


いじめっ子を憎む心の落とし穴
自我境界が未発達な国民性2

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