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2013年8月 7日 (水)

「風立ちぬ」見てきた

sign01ネタバレ注意
※以下に書いたことは全て個人の妄想です

◆第一印象
まず、あいかわらずただただ風景と情景が美しかった。冒頭の早朝に飛行機で飛ぶシーンから圧倒される美しさ。その色彩。主人公が体験する夢の世界とリアル世界のクロスオーバーや無意識の描写(象徴的な描写)にも磨きがかかっている。どちらも一人の人間の心が体験したという意味では、「同じ一つの精神世界で起きた真実」なのかもしれない。感情が表に出にくい自閉気質な主人公の精神世界を夢の描写(無意識の描写)が巧みに表現している。主人公と同じく自閉気質であろうと思われる庵野氏の声も合っていると感じた。
観客は主人公が青春のある時期に見聞きし体験した事を追体験することでその世界に引き込まれていく。

関東大震災が発生するシーンの冒頭、このブログをご覧の方には鳥肌モノのイメージ表現を見ることが出来る。まさにあれこそ目に見えない火気流失(火気流出)を視覚的に表現したものだと思った。
そして、当時の日本とドイツが劇的な歴史転換を迎える瞬間(私から見れば劇的な運気変動)を迎える様子を象徴的に表現したと思われるシーン(関東大震災&ドイツの大きくて立派な飛行機がバラバラになって焼け落ちるシーン)では、大地の唸り声というか、目に見えぬ人類の集合無意識が深淵から立ち昇らせる声なき声のような音響を聞くことが出来る。これも鳥肌モノ。特に映画館で聞けば効果抜群だ。計り知れない何か・・・いわば原始的な畏怖さえ感じるかもしれない。人間の小智才覚では決して太刀打ちすることもコントロールすることも出来ない巨大な流れ(むしろ人間の小智才覚が歴史的な規模で積み重なった末のしわ寄せ?)を表現するのにふさわしい音だ。

◆美しい夢の恋
菜穂子と主人公の恋愛は、これ自体が精神世界の象徴表現ではないかと思う。リアル世界のリアルな恋愛を描いたものではなく、夢(精神世界)の恋だ。「人間と愛し合う人間」ではなく、「アニマと愛し合う人間」を描いた感じだ。さらっと描かれる紙飛行機のやりとりが深まりゆく愛を象徴している。愛が芽生える過程の描写がさっぱりしすぎて物足りないと感じるかも知れないが、宮崎駿氏が本当に描きたかったのは両想いまでの過程ではなく「相思相愛になった後」なのだと思う。それが「ハウルの動く城」から進んでいる点か。菜穂子は「美しい飛行機」という少年の無垢な夢を擬人化したアニマなのだろう(あの子の命は飛行機雲)。
二人の美しくロマンチックな象徴描写は一部から「バカップルめ」とか「リア充爆発しろ」とかいう怨嗟が聞こえそうである。このアニメでは、一見すると家に仕事持ち込んでいちゃいちゃしつつ片手で図面引くような新婚バカップルから生まれちゃったのがあのゼロ戦てことになる。こう書くと妙に申し訳ない気分になるw

美しい悲恋モノ(ところにより難病設定)というのは、多くの人にとって伝統的にツボな話なのかもしれない。悲恋は、アニマ/アニムス(心の中の理想キャラ。しばしば抑圧された個性や可能性の象徴キャラ)を相手に投影したまま相手の現実の姿(醜さも生臭さも併せ持つ)を見ることなく美しい姿のまま恋が終わるからか。特に日本人は「結核文学」というジャンルを作るほど「儚く美しい恋」の話が好きな気がする。

例えもてなくても、アニマ・アニムスを投影・同一視した実在の相手(投影スクリーン)と結ばれることは無かったとしても、誰もが己の精神世界に住むアニマ・アニムス(投影の本体)と結ばれる体験は起こりうる。アニマ・アニムスと結ばれる=己の精神世界で個性や可能性が統合される(結ばれる)時、今までは発揮できなかった個性や可能性が現実世界で発揮できるようになる。その体験は、リアル世界の恋に劣ることなく尊い宝物になるだろう。
(主人公の場合は菜穂子と両思いになった後、今まで発揮できなかった可能性を発揮し飛行機開発のスランプから抜け出す。やがて菜穂子と結婚したこと=己の可能性を本格的に統合したことで、ゼロ戦の開発に成功した)

なお、もしこの恋物語をリアル世界のリアルな人間同士がやった恋愛として解釈すると、主人公も菜穂子も、互いに自分のアニマ・アニムス(理想像)を相手に向かって投影しあっているだけで、実際の相手自身の姿を見ることなく(故に人間扱いすることなく)単なる投影スクリーンとして利用しているに過ぎないことになる(ただし無自覚)。そして菜穂子は、自分が病で容色が衰えていき相手から見た「投影スクリーンとしての利用価値」が失われ、恋人から幻滅され愛情が冷める前に、恋人の記憶の中で「永遠に美しい自分(永遠の理想像)」となるべく自ら姿を消したことになる。
個人的に、宮崎氏はそういう類の恋愛模様をいちいち手間隙かけてアニメ作品にはしない気がするのだ。象徴的な映像や音響の様子から何となく精神世界の恋物語を思わせる匂いを感じる(妄想)。

◆儚き夢
純粋な主人公の並外れた天才ぶりは、脳の回転率と集中力が高すぎてしばしば論理的思考で到達できる次元を超えた超人的な直観レベルの感覚(感性)を発生させる。夢の世界(無意識領域)を媒介し論理的思考の過程を飛び越え直観的に真実を悟ってしまう様子の描写からもそれはうかがい知れる。たまに数百年前の日付から当時の曜日を瞬時に分かってしまう人がいるが、そのレベルかそれ以上だ。
そんな主人公だから、当然日本が戦いに勝てないことを知っていたし、ドイツは立派な飛行機を作れるけど負けることも直観したし、菜穂子の命が長くないことも、自分が少年時代から見てきた「美しい飛行機」という夢の命が長くないこともあの時悟っただろう。彼が「菜穂子喀血」の電報を聞いて居ても立ってもいられず駆けつける途中、列車内で美しい飛行機を開発するための力学計算を続けてたらノートに書いた計算式の上に涙をこぼすシーンは印象的だ。「美しい飛行機」という少年の無垢な夢を擬人化したアニマの菜穂子。その命が醜い現実によってまもなく失われることを知った涙と覚悟、決意と情熱が物語をクライマックスに導く。

近く失われることを知りつつなおも主人公が愚直なまでに飛行機開発と結婚生活に情熱と心血を注いだのは、決して「消え行く夢にしがみ付く現実逃避」ではなく、残された夢の時間が短いからこそ「僕達は一日一日を大切に生きることにした」ためだ。残された少ない時間で、ギリギリまで美しい夢を味わいつくし、やがて未来の糧にする事を情熱的に決意したとも見えた。その心に菜穂子(アニマ)も応えて遠い山奥のサナトリウムに入院したり、そこを抜け出して結婚を選んだりした。
その結果、主人公は菜穂子と真に結ばれ、ついにアニマ(己の中に秘められた可能性)を本格統合し、本格的に可能性を発揮した。それが恋のクライマックスであり、夢のクライマックスだったのだろう。それは悲劇の直前で手に入れた、かけがえのない宝物。

「この高原では嫌なこと忘れる。戦争してることも国がいつか破裂することも忘れる」・・・ハイソな保養地軽井沢(=大多数の庶民には夢の世界)で語られたカストルプのセリフも印象的だ。醜いものをいったん蚊帳の外に置き、美しいものだけを見ていられる高原の短い夏のひと時・・・
主人公が身に覚えの無い容疑で横暴な特高警察に追跡され身を隠す時に「特高は他人の郵便物を断りも無く勝手に開けて見てしまう」という話を聞いて「婚約者からの手紙を勝手に開けて見るなんて、近代国家にあるまじき冒涜です!」と怒り所が一般人と微妙にズレている所にも社会の醜さ(現実)ではなく美しい恋人(美しい夢)を見ることに集中している様子がうかがい知れる。その徹底振りを宮崎監督は「狂気」と表現したのか。

◆少年期の終わり
パイロットごと天に昇っていく無数のゼロ戦(主人公がアニマを統合した結果生まれた愛の結晶=子供)と燃え上がる町、爆撃されバラバラに焼け落ちたゼロ戦の残骸が散乱する飛行機工場の廃墟を歩く夢のシーン。主人公は美しいもの(夢)の命が醜いもの(現実)によって無残な最期を迎える時を見届ける。本人はそれを象徴した夢の世界を「地獄かと思った」と評する。多分、死にたい気分にもなったのだろう。
儚く美しい夢(菜穂子と飛行機)が醜い現実によって多くの血を流し無残に死ぬ最期。夢から覚めてその現実と向き合わされることで、しかし主人公は「夢見る少年」から「自分の経験した美しい夢を宝物(糧)にして現実の未来を生きる(=大人になる)決意」をする。夢の経験を糧に現実を生き未来の人生を創ることで、夢は「経験」に姿を代え人生の中で生かされ続ける。どんなに無残な終わりを迎えようと、自分の見てきた夢が美しかった事実は永遠に変わらない。その美しさは、生きるためにこそある。
元気な姿の菜穂子が夢の中に登場し、「あなたは生きて」と伝えて天に昇るのを見送ったあと、主人公が目を閉じ万感の思いを込めて(多分、菜穂子だけじゃなく今までの夢を追う人生自体に向かって)「ありがとう・・・!」と吐露する様子は、さながら悲喜こもごもの青春(そのどれもがかけがえのない自分だけの宝物)をくれた甲子園球場に感謝と別れを告げる3年生の高校球児にも似ていた。
この作品、青春時代に宝物となるような経験をした人々には何処かしら共感する部分がありそうだ。
人生経験が醸造した素晴らしい宝物を糧にして(生かして)創られる未来は、やはり素晴らしいものになるだろう。そこでも新たな宝が生まれるはずだ。そういう人生は、世界で唯一本人にしか創れない(他人には真似できない)芸術作品とも言える。あるいは自分だけが醸造できる「いいワイン(byカプローニおじさん)」か。
(主人公の声優をやった庵野英明氏はこの作品を見て曰く、『あ、宮さん、大人になるんだ』)

                                                  

◆オカルトな妄想(蛇足)
主人公と菜穂子が愛し合ったことで生まれた伝説の戦闘機ゼロ戦。しかしその誕生と共に菜穂子は死んでしまったことを主人公は直観的に悟る。彼の美しい夢もゼロ戦誕生をピークにして死んでゆく。
このことを後でふと思い出した時、古事記のイザナミを連想した。国生み神話で日本列島の島々を次々に生み出す地母神にして日本のアニマの彼女は、火と製鉄(古代において製鉄は軍需産業)を象徴する神カグツチを産んだ時に死んでしまう。古代日本の製鉄の発展は東征と切っても切れない密接なつながりがある。
そんな背景のあるイザナミの死が第2次東征とも言える太平洋戦争に際して日本の軍需産業が開発したゼロ戦の誕生にシンクロした菜穂子の死と重なって見えるのだ。菜穂子は主人公のアニマであると共に、日本のアニマでもあるのか?
あの頃日本の無意識が見た儚い夢。・・・それが「菜穂子」だったのか?

近現代日本は母性的な「生み出す豊かさ」ではなく、男性的な「勝ち取る豊かさ」へ依存し追求していった時代である。やはり古代東征時代も同じようなことが起きた。生み出すものが豊穣ではなく武器になってしまうとき、日本の地母神は黄泉の国に封印されてしまうのだろうか。
イザナミのお墓は出雲にある。奇しくも出雲は古代から製鉄と武器製造のメッカだった場所だ。

関東大震災から終戦までの期間に、日本各地の龍脈を用いた東征呪術(最新は靖国)が作り出していた「戦における開運をもたらす運気」は徐々に火気流失を起こしていき、やがて消えた。戦後、呪術の作る運気は戦争ではなく産業界・政財界に転用されたが、バブル崩壊から現在にかけてやはり徐々に火気流失を辿っている。そのとどめが日本中の龍脈を動かし呪術を破綻させた3.11だ。
昭和と平成にまたがる火気流失の長い時代。その火気流失の反動で引き起こされたすさまじい水気の押し寄せが、3.11の津波を皮切りに、今も日本中で渦巻いている。水気押し寄せの時代も、それなりに長いのだろうか。しかし時代の進むスピードは、試作機を牛に引かせて試験飛行場まで運んでいた昭和のあの頃とは比べ物にならないほど速まっている・・・
押し寄せる巨大な水気の奔流の中で、日本はかつて愛し合ったもののしっかり統合しないまま黄泉に封印してしまったアニマを蘇らせる(黄泉返らせる)ことが出来るだろうか?

もののけ姫を心理学的に妄想←「日本の無意識に紡がれる今までとこれからの物語」参照

【オマケ】ナウシカが乗ってるアレを自作した人がいる。私も子供の頃乗ってみたいと思ってたw

俗に男性は乗り物にアニマを投影することが多いと言われている。そういえばモーターショーでは車のイメージに合わせた衣装のコンパニオンが居るし、堀越二郎の時代からアメリカでは戦闘機に女性のノーズアートを描くのが流行っていた。現代の自衛隊に至っては、萌えキャラ満載の痛戦闘機なるものまで存在する。

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