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2013年8月 4日 (日)

「天空の城ラピュタ」のオカルト解釈

久しぶりにTVで「天空の城ラピュタ」を見た。私がジブリ作品の魅力を初めて理解できるようになった作品でもある。花が咲き乱れるラピュタの風景は、いつ見てもはっとする美しさだ。
スチームパンクのモデルになった時代は、科学の発展の背後で目に見えない世界(オカルト)への関心が高まった時期でもある。

※以下は個人の妄想です。

ラピュタ
人間の脳みそ・意識・精神世界の象徴。平和や愛といった穏やかな心、人知を超えた力、エゴイズム等を併せ持つ。とくに人知を超えた力の象徴として描かれている。

ラピュタの中心にある大きい飛行石
松果体(松果腺)。悟り(大きい直観)やグノーシス、アセンションといった類の象徴。ヨガでいう「第3の目(第6チャクラ)」を司る脳の部位。デカルト曰く、「魂の座」(ここがゴーストと交信する機能を持つ)。
物理科学を超えた霊感やサイキックな能力や悟りには松果体の覚醒が関係しているが、人間は松果体の機能がほとんど覚醒していないという。(霊感やサイキック能力はエゴイズム抜きの平和利用に限定しないと非常に危険なため、エゴイズムの因子があるうちは本格的な覚醒が出来ないというオカルト説もある)
ラピュタの人知を超えたテクノロジーは人知を超えた松果体の能力(テクニック)を象徴。

シータ
パズーのアニマ。パズーの無意識下に秘められた平和を愛する心と直感力(磨き積み重ねれば直観へ至る)の象徴。
人間の脳波の中には瞑想やヨガ等をしている時にしばしば発生する「覚醒θ波(かくせいしーたは)」というものがあるが、これは直感やひらめきを促進する効果がある。心を静めないとこの脳波は出ない。

シータの小さい飛行石
パズーとシータを松果体の覚醒に導く直観力や直感力の象徴。(直観と直感の違い←直観の方が第6感に近いらしい)
ムスカの手の中でシータの落とした飛行石がラピュタの位置を指し示す光線を発したシーンでは、光線がムスカの眉間(=第3の目・松果体の位置)に当たるところが印象的。

ラピュタに張り巡らされた無数の樹の根
神経(ニューロン)。脳(ラピュタ)は樹(神経)の塊でもある。

様々な役割を持つラピュタのロボット達
様々な神経伝達物質

地上に落ちてきたラピュタの戦闘ロボット
アドレナリン(攻撃や闘争、恐怖を司る神経伝達物質)。これが分泌されると覚醒θ波は出せない。スピリチュアル風に言うと「意識の次元を高く保てない」

ラピュタ下部の半球状の黒い機構
エゴイズムや自我肥大など、仏教的に言うと「悟りを妨げる煩悩」、スピリチュアル的に言うと低次元な意識状態の象徴。基本的に弱肉強食の発想で、攻撃と闘争と恐怖の力(=アドレナリンの力)を用いて周囲を支配することでエゴを満たし弱肉強食からの勝利と安心を得ようとする心の象徴でもある。人間の脳が持つ爬虫類的な部分が必要以上に肥大した状態。
これがラピュタの上昇(アセンション・グノーシス・悟り・松果体覚醒etc)を妨げ、テクノロジー(人知を超えた松果体の力・魂の力)を次元の低いエゴイスティックな目的で用いるようになってラピュタは滅んだ。

ムスカ
パズーの中にあるエゴイズムや自我肥大の因子。弱肉強食を前提に「力(パワー)」を志向し、攻撃と闘争と恐怖を利用して己のエゴを満たそうとする者で、いわばラピュタの黒い機構を擬人化したもの。サイキックな力(松果体の機能)をエゴイズムの充足に悪用し、自分が人間以上の存在(世界の王)になろうとした。世界を支配する王になる=世界全体を自我の延長にする=自我肥大。
多分、かなりコンプレックスも抱えてるキャラだと思う(パズーのコンプレックスを象徴してるのだろう)。コンプレックスもまた「煩悩」の一つである。

「バルス」
ラピュタの黒い機構部とその支配範囲を崩壊させる呪文。トルコ語で「平和」という意味。自我肥大やエゴイズム、低次元な意識状態、煩悩などといったものを崩壊させる力がある。この呪文が発動した場合、ラピュタ(脳・意識)の中でも平和的な部分と飛行石だけは崩壊せずに残って上昇する。
要するに松果体の覚醒(ラピュタの上昇・アセンション・グノーシス・悟りetc)を妨げる要素を取り除き浄化する力があるようだが、その力を出すには色んな体験を積み重ねたパズーとシータ(顕在意識と平和を愛する心・直感力)が成長し、様々な執着(時には肉体への執着=死の恐怖さえ)よりも人類愛を選ぶレベルに達し、心が一つになった連携が必要。
バルス直前にシータの髪が断ち切られるが、彼女の髪の毛が時に直感を鈍らせる余計な執着を象徴しているのかもしれない。ムスカはシータの髪の毛を掴んで捕らえてしまった。余計な執着でエゴイズムに囚われるのは人の性か。そしてパズーは、シータの髪が断ち切られる頃、生への執着より人類愛を選び、命と引き換えにしてでも滅びの呪文を発動させることを決意するに至ったのだろう。それはシータも同じだった。
二人の意識は個体(自分の肉体)の視点を超えて種族レベルの視点(種族魂の視点)に意識が合一し、自分にしかできないことをすることで己自身を最大限に生かして己の種族そのものが持つかけがえのない可能性を未来に生き延びさせることを喜び愛する高い視点と心を獲得した。個体(肉体)レベルの視点を超えて種族と合一した意識は種族の視点で物事を見るので本能的な種族愛(人類愛)を獲得し、それまで自分が種族の一端末として使っていた個体(肉体)の死を恐れない。
種族の本能は通常なら個体視点で個体を守ろうとするが、時に個体の意識が己の属する種族の意識と合一することで種族としての視点に基づいた判断で個体(一時的に使用する自分の端末の一つ)の維持よりも種族(=自分)そのものの未来と可能性を最大限に発揮するために特性の適した己の個体を活用し、結果的に個体維持が出来なくなっても恐れず悔いない本能も併せ持つという。これは種族自身の意思と都合でのみ発動する本能なので個体レベルで他人が他人に強要しても発動しない

失明のムスカ
サイキック能力の覚醒や悟りを促進させるというある種のヨガテクニックの中に、「エゴイズムが残った(煩悩が残った)まま実行してはいけない」とされるものがある。エゴイズムが残ったまま(エゴイスティックな目的で)そのテクニックを松果体に対して強引に強行すると、神経系統が耐えられずにショートするという。松果体のそばにある視神経もやられてしまう。人知を超えた力はエゴ(人知)の手に余る。
エゴだけでイメージした喜びや幸せの姿(世界の王として君臨すること)よりも、エゴの向こうにある高次の無意識領域(心の底・魂)からやってくる喜びや幸せ(シータという存在)の方が勝ることをパズーが知ったことでムスカは倒れた。

【余談】
宮崎駿氏には、「人が空を飛ぶ」ということへの根源的な憧れを巧みに描く才能があると思う。今年の新作「風たちぬ」にもその才能は如何なく発揮されている。
空を飛ぶことは低い地上の束縛から解き放たれ神の視点を得ることと同じだ。即ち松果体が覚醒する=低次元の意識状態から解き放たれ高次元の境地を得ること。それは、現在の人類にとって畏怖であると共に根源的な憧れなのかもしれない。
(人類という種族の脳が進化してそれを実現したら、戦争はなくなるだろうね)

次回、「風立ちぬ」についての感想とオカルト妄想(蛇足)を書いてみようと思う。
「風立ちぬ」見てきた

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コメント

>バルス直前にシータの髪が断ち切られる
読んでひらめいたんですけど、あれ、落飾して出家したともとれる場面ですね。
人の世に還俗していたラピュタの末裔が、図らずも髪を切られたことで
ラピュタの王(天上の人=超越したもの)として完成した、ともとれるなぁ、と。
って、そんだけです。

>がまちょさん
たしかにちょっと出家ぽいですね。
すると、煩悩の化身であるムスカは自分自身を自ら切り捨てちゃったんですねw

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